司会 まず、自由法曹団に入られた動機はいかがですか。
伊賀 弁護士になる契機を与えてくれたのが「ある弁護士の生涯」
【*1】という本で、高校時代に読んで「民衆と共にある。そういう仕事を、自分の選択としてやれるといいな」と。それで、弁護士を目指して、自由法曹団に入れていただきました。
杉井 私の場合、社会経験もなく、学生からすぐ弁護士になったんですが、受験団体の先輩に、現団長の豊田誠先生ほか自由法曹団の先輩がたくさんいらっしゃいました。また修習生時代に青法協
【*2】の活動の一環として多くの団員の方からお話を聞く機会のあったことが契機でしょう。
千葉 私の場合も受験指導してくださった先生が自由法曹団員でした。
司会 上田先生は自由法曹団に入られて半世紀以上でしょうか。
上田 ちょうど半世紀です。第二次世界大戦の結果、日本の国民がこうむった犠牲・被害。そして対外的にもたくさんの犠牲と被害を及ぼしたこの国は一体どうなるのかという、少し大きく言うと、そういうところからこの道を歩みだしたということです。
団は私にとっての基盤
司会 みなさんにとって自由法曹団とはどんなものですか。
千葉 自分が弁護士になって本当にすべきことは何だったのか、お金とかそういうことだけではなくて、弁護士としてやるべきことは何だったのかということを思い出す場所というような感じです。
伊賀 自由法曹団というのは、自分にとっては基盤というか土台なんです。ネーミングが実に素晴らしく「自由法曹団」でしょ。自由であるためには、よくこの社会を認識する必要がある。そのために協議をして、意見交換するという、そこだと思うんです。
杉井 私は結婚してすぐ子どもができたのですが、子育て中の女性団員にとっては、五月集会
【*3】や総会
【*4】というのは参加しにくいものでした。私にとっては、自由法曹団の女性部
【*5】があったから自由法曹団につながっていたという感じがします。女性部総会に行って先輩の苦労話などを聞き、同様の愚痴を出しながらいろいろな話をする。そういうなかで「みんなも頑張っている、自分も頑張らなきゃ」という元気を与えられるという、そんな感じのものだったという気がします。
上田 やはり、自由法曹団を中心にした優れた先輩・同僚・後輩に恵まれたことを、まず何よりも感謝しないといけないというのが、僕の気持ちだね。省みて50 年、そう大きな誤りは犯していなかったという感じでいますけれども、それができたのは人々に恵まれたことだったんだろうという気がするな。いくつかの事件に取組み、学習などを通じて、ある種の認識論的な訓練を受けたということ、これはありがたいことだと思わなければいけない。証拠の組み立て方とか、証拠の見方とかいう、弁護士にとってみれば重要な仕事、そういうことも含めて教わった。
混迷する時代の中で
司会 今、時代は大きな変革期にきているように思われるので、少し大きな話しをしましょうか。
伊賀 大転換の時期になるかどうかというのは、これからのことだと思います。今の日本社会で自分が感じている主要な側面というのは、混迷です。僕にも転換の展望とかは見えていませんが、逆に、支配層自身も、この国をどうしようとしているのか自覚的な路線の上で動いているというよりは、何か混迷しているようなふうに見えてならないのです。大阪で、信用金庫、信用組合の全員解雇という厳しい金融リストラと取組んでいますが、そのスキームとか施策なりをずっとみていくと、5 年後、10 年後の日本の金融政策をどうするのかということは、大蔵も日銀も見えていないのがわかる。
上田 この巨大な財政赤字を処理する力のあるものが誰もいない。宮沢が公共事業などと言うくらいがおちでね。(笑)
杉井 私は、働く者(人間)を大事にしてリストラや合理化をしない、消費税の税率を下げる、あるいは廃止してくらしを守る。そういう国民ひとりひとりを大切にするという原点に帰るということが必要で、それが経済の立て直しにもつながると思います。
千葉 教育制度もそうですね。ある自治体が選択的に小学校を選べるようにした。ところが何を基準にして選ぶのかの指標もなく、いきなり個々で選択しなさいということで実施しようとしている。選択制によって学校の特色を打ち出していきなさいということらしいのですが、義務教育で果たして意味があるのか、全然わからないうちにそういうことにされている。子どもと親は混乱のなかに残されるばかりです。
司会 混迷ということが出されましたが、そういうなかで、自由法曹団がどういう理念を掲げて、どのような活動をしていくことが求められているのでしょうか。
杉井 自由法曹団はそれぞれの分野で非常に深く分析していろいろやっているわけですが、専門家集団すぎて、トータルに情勢をとらえるかということが最近はだいぶ弱くなってはいないかと思うのです。総会などでも個々の発言はそれぞれ立派なのだけれども、全体像がなかなかつかめないという感じがします。こういう時期だからこそ、なおさらそういう作業が大事だと思います。
伊賀 いろいろな課題に共通する普遍的なものを認識するというのが大事なんだろうと思います。子ども
の問題とかいろいろな課題があって、それぞれにすごく精通している若い人がいますね。そういう人たちがより前に進むために、議論を組織するということが大事だと思います。キーワードは「自信と責任」だろうと思います。必ずそういう要求や課題を実現できるという自信、それと社会の運営者が持ちだしてくる体たらくな無茶苦茶なものに責任を持って対案を出す。自由法曹団の活動の基盤としての「自信と責任」を持ってやっていく。震災
【*6】の被災者に対する公的支援制度の提起を、自由法曹団の対策本部でやる機会があったのです。あの時に、被災者は、この国の自然災害の被災者に対する施策を、自分たちが「自信と責任」を持って提案していると感じた。時の運営者、政府の方が自信をもっていない、責任感も持っていない。いい加減だという対比が、結局は法律
【*7】(市民立法運動)を成功させた力ではないかと思っています。
団員は信頼をかちえてきた
司会 団員の弁護士というのは、弁護士のなかでも特殊な人と見られてしまう風潮はあるのでしょうか。
千葉 あまりないですね。
伊賀 自由法曹団という名前は、全然市民的には知られていないと思うけれども、革新系とか地域事務所
【*8】は、他ではやってくれない問題でも受けてくれると。その信頼というのは大事だと思います。
杉井 自由法曹団の事務所は、大体、低額の細かい事件をたくさん持っているじゃないですか。数でこなして何とか稼ぎをあげている。そういう意味で忙しさが倍加されていると思うんです。お金になる事件を選んでやっているのなら、もう少しゆとりがあるかもしれないけれども。本当に一番困っているお金のない人たちの権利を擁護するためにやるには、そこはジレンマですよね。
司会 私の所属する埼玉弁護士会の場合、弁護士会における団員の割合は比較的高く、団員だからといって特殊な目で見られるということはありません。弁護士会のなかでも信頼がそれなりにあると思います。
上田 昔はそうではなかった。けれども時代がたってみると、「彼らのやっていることは、やや特異なやり方であった。しかし、彼らがやっていたことは、正しいことではなかったのか」というものができてきた。松川事件
【*9】も、メーデー事件
【*10】も、弁護団のやったことは少し乱暴だったかもしれないけれども、中身の話は別だというような信頼感がかもし出されてきたと思います。それが、ここ20 年くらいのひとつの変換ですね。
今、何故、自由法曹団か
司会 弁護士会としての人権擁護活動があり、消費者被害や公害などについては弁護士の団体やネットワーク、あるいは弁護団がある。その中にあって、自由法曹団というのはなぜ必要なのでしょうか。
伊賀 僕は、いわゆる社会変革をしようという個人の欲求で自由法曹団に入りました。事件活動や弁護団活動を通して、という立場とは違う。弁護士ではあるけれども、市民のひとりとして日本の社会変革のための闘う部隊だと思います。他ではそういう課題は持ちえないと思います。
杉井 あくまでも出発点は弁護士として、弁護団をつくったりしていろいろな活動をするというのが、個別弁護団の役割かもしれません。でも、自由法曹団はもう少し幅広いというか、弁護士としての生き方だけではなくて、人間として、1 人の市民として、私たちは弁護士という職業ではあるけれども、多くの市民と手をつないでこの社会を変えていくという、そういうものなのでしょうか。
若き法曹に期待すること
司会 後輩の弁護士たちやこれから自由法曹団に入ってほしい法曹の卵たちに期待することというとどのようなことでしょうか。
伊賀 厭わないこと。これをやるとしんどいと嫌がらないでほしい。やっぱり仕事で成長していってほしい。「○○事件をやりたい」という希望を持っている新人が結構いる。でも、法律事務所の戸を叩いてくる依頼者が、どんな事件であれどんな規模であれあるわけです。そのなかで、その人の共感を得て、その人の権利利益を守るということ。そういう思いがでてくるまでつき合う。淡々と「これは仮差押ね」とか「これは答弁書、書きましょう」ではなくて、何かそういう事件で育っていくまで厭わないでほしいという、そんな感じです。
司会 杉井さん、実際に事務所の若い団員たちと、世代間ギャップというか、気質の違いみたいなのを感ずることがありますか。
杉井 人によるんではないんですか。一般的に若い人はということは言えないと思います。ただ「私は少年の事件をやりたい」とか限定して、それ以外はあまり首突っ込みたくないというタイプの人が増えてはいますね。そういうのだとよくないと思います。
最近つくづく思うけれども、普通の事件、離婚事件でも、結局、解決というのは、弁護士が解決するわけじゃないんですよね。本人自身が解決する。その解決について、弁護士はひとつの援助をするだけではないかなと思うんです。もちろん、いろいろな意味で依頼者と距離をおいたアドバイスをしなければいけないところがあるわけだけれども、解決に向けて本人をどういうふうに成長させるというか、その人の力をつけていくかという、そういう意味での、依頼者と共に解決していくという姿勢。それが、事件の依頼者から学ぶということにもつながってくるのかなという気がします。
伊賀 自由法曹団、今後どうなっていくのかということも、この社会がどうなっていくのかということと関連するのだけれども。庶民の事件をやる弁護士がいる限り、おっしゃるように庶民から鍛えられ、庶民の期待に応えるために努力し成長する。大企業の顧問になりたいというのは、大企業に雇われてそこで育てられる。自由法曹団は庶民の事件から、その期待と信頼を得て、それに応えられる弁護士になっていく。どんな事件も、そういう意味では、学ばせてもらうものとして取り組んでいこうということと違うかな。
司会 短い時間で、団の全てを語ることは無理でしょう。団の姿の一端を知っていただけたのではない
かと思います。
本日はありがとうございました。