東京支部13 期イタイイタイ病、薬害スモン、水俣病、そしてハンセン国賠訴
訟に取組み、生涯現役の気概。全国公害弁連結成時の事務局長、その後幹事長。
水俣病全国連事務局長として、92 年ブラジルでの国連環境会議に大代表団を組
織してのりこみ、世界に水俣病の悲惨さを訴えた。
司法制度がどのような機能を果たしているかは、その国の民主主義の到達の度合を示すバロメーターの1 つでしょう。司法には社会の様々な紛争を迅速に解決することが求められていますが、それ以上に大事なことは、司法が憲法の番人として、自由と人権を守るべき社会的役割を果たすことです。
司法官僚システムを骨核としている現在の司法は、この国民的要請に応えてはいません。
多年にわたり、私はいくつもの公害裁判に関与してきました。どこの地域の公害患者たちも、金と暇のかかる裁判を好んで提起したわけではありません。加害企業がその事業活動を通して人の生命・健康を侵害しながら、自ら進んで謝罪や補償をしない。行政もまた、企業を擁護することはあっても、住民を無視しつづけてきた。公害患者たちの提訴はやむにやまれぬ選択であり、司法が人権擁護の砦であることを期待したからにほかなりません。
しかし、裁判の道のりはどれも険しいものでした。高額な印紙代をめぐる訴訟救助のたたかい、手弁当の弁護団の組織化など、裁判は国民の利用し易いものではなかったのです。審理の長期化によって、判決をみるまでもなく逝った患者たちの何と多いことか。「生きているうちに救済を!」という悲痛な訴えは、この国の司法の問題点を浮彫りにしているのです。しかも、最高裁判所が裁判官会同
【*1】で最高裁の見解を示し、裁判官の独立を侵していることも、公然の秘密となっています。ヴェールに包まれた統制の壁を前にして、公害を現場で止める差止請求の権利の確立が先送りされています。裁判官の突然の更送など、司法人事権が裁判内容のコントロールにつながっている疑いすらあるのです。
司法制度改革の今日の動向は21 世紀の司法のあり方に重大な影響をもたらすことになるでしょう。政府や自民党の提唱する司法改造を許してしまうのか、それとも国民のための司法の民主的改革を実現するのか、その分岐点にあるのです。自由法曹団は、広範な国民とともに「21 世紀の司法の民主化のための提言案」
【*2】の実現をめざして運動していくとともに、身近にある一つひとつの裁判を市民とともに真剣に取組んでいきたいと考えています