<<目次へ 団通信1000号(10月21日)

団通信1000号を祝う

東京支部  竹 澤 哲 夫

 新しい世紀を迎えようという節目のときにそれに先だって「自由法曹団通信」が一〇〇〇号の大台に乗ることになるとは、めでたい限りです。それまで五〇年余の団のたたかいの伝統をうけつぎ、旬刊を重ねて四半世紀余、発刊千号の偉業に寄与された関係者のみなさんの不断の、たゆまぬ努力に心から敬意を表し、感謝申し上げます。シドニーオリンピックが終わったばかりですが、団通信チームにもメダルをさしあげたいような思いです。
 当時、団長は岡崎一夫さん、事務局長が谷村正太郎さんで、私は幹事長でしたが、発刊のいきさつについては、団通信五〇〇号に書いたとおりです。
 その頃タブロイド版で出していた「自由法曹団ニュース」を団通信の形式に吸収して行動の団体にふさわしい速報性の要求に応え、併せて省力化をはかることによって事務局の負担の軽減になれば、ということだったと思います。
 団通信に関連して、これまでに書かなかったことで、気になっていたことが一つあります。それは「季刊人権のために」のことです。速報性の要求に応える旬刊紙ー実践的課題に対応して簡潔に情報を提供、交換するーの他に、もう一つ、団・団員の理論的諸課題を深め、論じあい、普及もする刊行物があってよいのではないか、そのような趣旨で「自由法曹団ニュース」と並んで「人権のために」が、その頃まではまがりなりにも刊行されてきました。気になっているというのは、その後、廃刊を決めたわけではありませんが、中断したままになっていることです。
 団が当面する諸課題の中には、団通信に包摂しきれない論稿を必要とするものがあるはずです。そうかといって「人権のために」をすぐに復刊してくれ、というわけではありません。既刊の「人権のために」を、新しい世紀をになう世代に、いちど読み直してほしい。その時々の、時代の、闘いの要求にこたえた団ならではの、今に生かせる、優れた論稿がある、と私は思っています。
 団通信の一〇〇〇号を祝い、さらなる継続と発展を祈るとともに、お願いしたいことを申し上げました。

団通信1000号

東京支部  谷 村 正 太 郎

 団通信が一〇〇〇号を迎えた。
 第一号が発行されたのは、一九七三年三月二一日である。このときから二八年間、途中中断することなく、毎月三回定期的に発行され、今日に至った。全国から寄せられた通信を整理し、各地の団員に原稿を依頼し、編集・印刷をして、全団員に発送する作業は想像以上に時間と労力を要する。創刊当時の館山茂さん、筑紫修二さん、平出利恵さんから、現在の阿部敏也さん、薄井優子さん、森脇圭子さんまで、その時々の団事務局のみなさんの労苦に深く感謝する。

 団通信以前にも、団は何回か、通信・ニュースを発行していた。資料でわかる限り次の通りである。
 一 「自由法曹団ニュース」(第一次)
 第一号(一九四六・一〇・一)ー第一二号(一九五〇・八)
 敗戦の年一〇月に団は再建され、翌年一〇月に最初の団ニュースが発刊された。B四版一枚両面、謄写版刷りのニュースである。第一号には「海員ゼネスト弾圧の陰謀V三三号告発への抗議」「高萩炭坑犠牲者公判」「日真光学の凱歌」などの記事のほか、第一五回幹事会(出席者九名)、仙台支部、名古屋支部結成などが報告されている。
 二 「自由法曹団ニュース」(第二次)
 再刊第一号(一九五一・九・二五)ー再刊第一四号(一九五五・八・一五)B五版六ページー一六ページ。
 三 「自由と人権」
 第一号(一九五五・一二・一五)ー第二三号(一九五八・一一・二五)はじめB四版一枚両面、途中からB五版四ページー八ページ。
 この後、一九五九年一〇月一五日に団報の第一号が発行され、現在に至っている。
 四 「自由法曹団ニュース」(第三次)
 第一号(一九六八・一〇・一〇)ー第四四号(一九七三・四・五)
 タブロイド版二ページの新聞形式で発行。月刊。団通信の発刊に伴い休刊した。
古い資料は、館山さんが時間をかけて収集・整理され、団本部に保存されている。

 いつの時代でも、団員の活動のある限り、団のニュース・通信は必要である。団通信が一〇〇〇号まで発行されたことは、現在の団の力量を示している。
 自分は何号まで読めるのかな等と考えながら、団がますます発展し、団通信がいっそう充実することを期待している。

団通信1000号に寄せて

東京支部  鶴 見 祐 策

 団通信は、組織活動の伝達と団員の交流の場としては見事に機能しているように思う。団員の活躍の領域の広がりを反映して教えられることが多く、名うての論客の熱い議論にも大いに啓発される。使える情報にも事欠かない。私は、三五〇号あたりから保管(若干の脱漏)している。相当の分量になる。こうなると一層捨てがたい。
 私は、四三〇号から一四回にわたり旅行記を連載させてもらったことがあった。上田さんと岡部さんとアメリカ大統領選挙などを見物に行ったときのことだ。毎号の原稿募集に腐心していた事務局の橋本さんから誘われて当初の四、五回の予定がこの長編になった。今読むと赤面ものだが、当時としては得難い追体験を書き綴ることに没頭した。大変面白いと褒めてくれる人がいて気分が高揚したものだが、長すぎると貶す人もあったとか。後で聞かされて落ち込んだ。
 旅行中に街角で銀行の倒産を目撃して驚愕した。日本では考えられないと思ったものだが、今では本邦でも珍しくない。おりしもアメリカ国内の不況の深まりを各地で見ることができた。財政赤字でも破綻に瀕して債務超過に転落するまさに前年のことだ。再選のレーガンは日本に強力と犠牲を強いた。そして世界最大の債務超過国でありながら、今では好景気(ただしバブル)を謳歌して不況にあえぐ本邦を見くだしている。この間の変転を思わざるを得ない。
 団通信は、その時々の団と団員の活動の歴史をきざむ貴重な文献ともなりうると思う。これに関わって愛着ひとしおならぬ者として、団通信が、これからも全国の団員のよりどころとなり、皆から大切にされることを心から願ってやまない。

団通信1000号を祝う

福岡支部  永 尾  廣 久

□ 1000号を迎えた団通信
 団通信が1000号を迎えた。旬刊だから編集にあたっている人の苦労はいかばかりかと推察する。私は本つくりのかたわら、編集も業としているから、よく分かる。とかく弁護士は口達者の人間が多い割には、あまり文章を書かない。なんとか書かせると、出てきた文章は準備書面みたいな古風な文体で漢字がやたら多い。内容も事実経過にこだわったり、難解な判例理論を展開するものが多くて、読みすすめるのが辛い。にもかかわらず他人の文章にケチをつけるのを得意とする人間の多さに呆れてしまう。それはともかく、団通信の常連投稿者として、発表の場が今日まで確保されていることを大いに喜びあいたい。
□ どれくらい読まれている?
 自由法曹団通信がどれくらい発行されているのか、私は何も知らない。団外の人にも届いている気配はある。いったい全国に一五〇〇人を超える団員のうち、どれだけの団員が団通信を読んでいるのだろうか?団通信に私の書いたものが載ると、「このあいだのは面白かった」とほめられたり、「単なる評論家に堕している」と酷評されたり、いろいろ反応があって私自身は手ごたえを感じているし、もちろん私は隅から隅まで目を通している。
 そこで、身近な団員一〇人ほどに質問してみた。どれだけ団通信をよんでいるか、と。
 「目次を見て、面白うそうな記事が載っていないとクズ箱にすぐ捨ててしまうことが多い。どっかの裁判闘争のレポートなんて、自分には関係ないと思うから読まない」。驚くなかれ、これはわが自由法曹団支部の要職にある団員の正直なこたえ。
 「弁護士会のいろんなニュースよりは読んでいる。司法改革の論議は関心があるから読むようにしている」。これは会議への結集はよくないが、真面目にやってる団員の声。
 「司法改革の議論はなるべく読むようにしているけれど、東京の発言ばかりなのが悔しい。といっても、地方にいると事件に追われて発表するほどの活動もできない」。これは、少し前まで支部の要職にあった団員。以下、こたえを羅列してみよう。
 「知っている団員のは必ず読む。それと、読んで元気の出るものがいいね」
 「事件が解決した報告で、教訓なんか書いてあるものは読んでる」
 「司法改革で論争があるのは関心もって読んでいる」
 「団通信は結構面白く読んでいるよ。もっと地方からの発信があるといいと思う。総会のとき支部のレポートには面白いものがいっぱい載っているよね。あんなのが団通信にも載ればいい」。そういえば、支部報告集からの転載は見かけない。編集者は読んでないのかもしれない。福岡支部にも断続的ながら『腹ばかかんか』という面白い機関誌があるんだけど・・・。
 「字ばっかりなので、写真を載せるとか、もっとレイアウトも工夫して読みやすくしてもらいたいね」。私も同感だ。編集者は毎号の原稿をそろえるのに苦労していると思うけれど、やはり手にとって読まれなくては発行する意味がない。
 「薄っぺらなようで内容がある。旬刊だし、下手するとどんどんたまってしまうから、あわてて目次だけ見て面白そうなものを選んで拾い読みすることも多い」
□ 団内部の「過激な」対立
 最近の団通信でよく見かけるのが「安易なレッテル貼り」とそれへの反撥だ。つい先日の「遅れてきた斥候兵」というのも、そのひとつだ。モノ書き志向の私は、自らのボキャブラリーの貧困をいつも嘆いているが、この「レッテル貼り」もまさにそれだろう。「あんたはダメなヤツ」というレッテルを貼りつけて、なんとか一致点を見出す努力を放棄してしまうことがいかに多いことか。だって、その方が簡単なんだから。でも、それをすると、先に展望の見える議論はできないし、感情的なしこりだけはしっかり残してしまう。それに、あまり過激な言葉づかいが多いと、読み手がいやになって、読む気を失わせてしまう。
 実は、これは決して他人事ではない。私はいま、福岡県弁護士会の次期会長に立候補しようとして動いている。そのとき、私がこれまで「一丁あがりの破産」とか勝手なことを言ってきたことに対して、かなり強い反撥があることを初めて知った。私としては、理論的なレベルで問題提起してきたつもりだったけれど、いつのまにか仲間のプライドをひどく傷つけていた。そのことについてまったく自覚がなかったことは、まさに不徳のいたすところで申し訳なく思った。その点をおおいに反省しながら、私は目下、活発な「事前運動」を展開し、流れをつくろうとしている。
□ インターネット時代の団通信
 弁護士の個人広告が解禁され、ホームページが花盛りの世の中だ。いったい活字の団通信はいつまで続くのだろうか。やはりぺーパーレスの大波にされわれて消えていく運命にあるのだろうか?実は、どんなにインターネットが日常的なものになっても、私は本は消えないし、活字は残っていくと見ている。ペーパーレスの時代が今にも来るという予測は今のところ見事にはずれている現実がある。なにはともあれ、当分のあいだ、団通信が健在であることを私はひたすら願っている。次の二〇〇〇号まであるかどうかは別として。
 活字人間として、最後に、PRとお願いをさせていただく。かつて好評だった(と自称する)『法律事務所を10倍活性化する法』を最近の状況にあわせて改訂して新版を発行した。日弁連の業務対策委員長(名古屋の青山学弁護士)の推薦文までもらって格を上げた(私も、五〇歳を過ぎてついに権威主義に毒されたかな・・・)。ぜひ読んで下さい(ここは、急に哀願調です)。
 ホントの最後です。私は目下、セツルメントと東大闘争について「大河小説」を執筆中です。当時についての資料を持っている人は大小にかかわらずお借りしたいと思います。ぜひ私あてに連絡して下さい。よろしくお願いします(ここだけは、全部ですます調です)。

中 国 訪 問 特 集 第一回

二一世紀に引き継ぐ事実とたたかい

─日中、「平和と戦争」シンポジウム─

東京支部  中 野 直 樹

一 九月一四日夕、新装のモダーンな北京空港ビルに、成田便と関空便のメンバーが合流した。家族を含め、宮城一名、千葉二名、東京一五名、静岡二名、愛知一名、石川二名、大阪三名、京都二名、福岡六名、沖縄一名総勢三五名であった。豊田団長、鈴木幹事長、小口事務局長が顔を揃えた団の公式訪問である。
 準備は、団が国際問題委員会、中国が人民対外友好協会を窓口とした。その国際交流部には日本語が堪能なスタッフが常駐し、連絡は電話とファックスで直に行えた。七月初めに予備訪問をしたときにすっかり親しくなった部長の汪さんが人なつこい笑顔で私たちを迎えた。かつて五年間、駐日大使館か領事館で勤務したことがある彼は、関西風の日本語を流暢にあやつり、旅の楽しさを倍化してくれた。名を失念したときには、国際部に「黒沢年男」を自称する男と説明すれば、すぐ通ずるとのこと。今回の訪問の中国側責任者である協会の理事黄嵐庭さんとも再会できた。この方は七〇才を超え、予備訪問時の懇親のとき確か、解放闘争経験者であるように伺った。

二 北京の西南を刻む永定河にかかる盧溝橋のたもとに、中国人民抗日戦争記念館がある。一九三七年七月七日この地で関東軍が中国軍を攻撃開始し全面戦争に突入していった。日本国内では治安維持法による過酷な抑圧にたちむかう自由法曹団の先輩弁護士の活動に対して、三二年頃から苛烈な検挙投獄の嵐がふきあれた。
 九月一五日午前九時から、この記念館の会議室でシンポジウムを行った。赤地に白字で書いた「戦争与和平問題 中日学者座談会」の看板が目を引いた。
 七月の予備訪中の際、シンポジウムの準備と進行について打ち合わせをした。問題関心を共通の認識にするのに時間を要したが、双方から三本を目安とした報告を一〇分ずつ行うこと、テーマ毎に質疑応答の時間をとること、事前に報告文書を送り、相手側で訳をつけて自国参加者に配布しておくこと、同時通訳方式とすることを申し合わせた。団からは、「自由法曹団の紹介」(菅野昭夫団員)、「米軍基地撤去の闘いと東アジアの平和をめざして」(新垣勉団員)、「日本国憲法明文改憲の動きと国民の意識状況」(私)の文書を送った。
 中国側は、当初戦後補償をめぐるシンポのひとつと受けとめ、侵略の歴史認識と事実問題に関心が限定されていた。これに対し、団側からは、そこに絞らないで、「中国における司法制度の進展と課題―中国における法律家の役割」「中国の改革開放政策の進展と克服すべき課題」「中国の考える東アジアの平和を実現するための戦略」をテーマとした報告もほしいと求め、黄さんから努力しようとの回答を得た。
 中国側から九月になり五本の論文が届いた。侵略の実態と補償問題、歴史認識、日本の右翼言論の動向に関する力作であった。しかし、団から求めた三つのテーマについての報告文書はなく、再度要請することになった。出発日の前日にようやく中国からシンポの進行表が届き、そこに三つのテーマが含まれていることを確認し、ほっとした。

三 シンポには団側は家族も含め全員、中国側は、抗日戦争史学会、抗日戦争記念館、対外友好協会、軍事科学院、人民大学、国防大学、全国・北京律士協会などから二一名が出席した。
 小口事務局長と張承鈞抗日戦争記念館館長の司会で、日中交互に一〇分ずつ報告して質疑をすることを重ねた。団側の報告は、戦前戦後の活動の紹介を石川元也団員、米軍基地問題を新垣団員、憲法問題を高橋勲団員が担当した。各報告は一方的な話しで終わることなく、双方から活発で率直な質疑応答、意見表明がなされ、濃淡はあるが実質的な対話となったと思う。昼食を挟んで、午後三時すぎまで、双方とも居眠人の姿もなく集中した。
 石原都知事をはじめとしたウルトラ右翼言論の横行に中国がきわめて憂慮し神経を尖らせていることを感じた。市場開放政策のもとで所得格差や国民の中の矛盾が拡大していること、グローバリゼイションに対する肯定的な評価があることを知った。司法の独立はないが、法曹教育と資格を要する弁護士制度ができて一〇年、ようやく来年から完全に民間人とされるとのことであった。被害の司法的救済や権利闘争の交流をするためにはまだ時日を要するようだ。
 会議後、一一八九年に建造されたという石橋を、一五分ほどかけて対岸まで歩んだ。自動車は進入できないが、家路につく人々の自転車とオートバイがひしめいていた。両側の欄干にはひとつとして同じもののない獅子の石像が五メートルおきに並び、どれも穏やかな笑顔を見せていた。
 初対面の限界はあるが、二一世紀の交流に向けたかけ橋を造ったシンポとなったろうと考えた。

中国旅行の記

宮城県支部  庄 司 捷 彦

 なぜ心惹かれたのだろうか。団通信の「中国旅行への誘い」の文に。自分の住む町・石巻で、教師や主婦達と「手作り平和展」を一〇年余り続けてきて、東北出身の軍人が数多く中国の大地で「戦死」していることを知ったことや、最近の書店に溢れる「自由主義史観」本に強い反発を覚えていたことなどがあったのかもしれない。
 ともかく、パスポートの期限を確認して「一〇年もの」を作ることから始まった。出発の前日九月一三日に石巻を成田行きの直行深夜バスに乗り込んで私の旅行は始まった。翌日は早朝六時に空港着。集合時間まで六時間余り。朝食のあと仮眠して待つ。集合の後、成田出発組での結団式。豊田団長から、旅行の意義と目的についての格調高い説示あり。
 わずか三時間で北京に到着。時差は一時間しかない。一衣帯水を実感。北京での夜は、大阪・福岡組と合流して、談話煥発の夕餉と老酒で始まった。楽しい旅の予感あり。案内は「北京の黒沢年男」を自称する汪革平さん。汪さんは在日経験もある、ユーモア溢れる流暢な通訳。中国人民対外友好協会・国際交流部長の肩書きを持つ。旅の不安は半ば解消する思いとなる。
 一五日から公式行事が始まった。中国人民抗日戦争記念館(なぜか旅行社のパンフには盧溝橋抗日記念館とあった)を訪問し、そこで、相互に準備されていたテーマに沿ってのシンポジュウム。会場となった大きな会議室には、赤い横断幕に「戦争と平和問題・中日学者座談会」と白書されている。同時通訳まで完備している。ここでの相互の発言は真摯なものだった。治安維持法による弾圧と闘いぬいた自由法曹団であればこそ、柳条湖事件以来の「日華侵軍」の罪悪を率直に指摘できた。上田誠吉団員の満州国司法官僚の戦争責任についての発言は、中国側にとっても意外な問題提起と受けとめられたように感じられた。日本での右翼的言論の台頭への危惧を語る若い中国学者の発言には、その系統的・歴史的な追及に驚かされ、自分の不勉強と思想闘争への無関心を知らされた。夜の北京ダックを囲んでの夕食会は、中国式にテーブル毎の懇親となった。屈託なく語る党史研究所の研究員など印象深い会合であった。会議後の盧溝橋と夜の天安門広場での散策も忘れ難い。
 一六日は、万里の長城・故宮を見学して、北京空港へ。ここで北へ向かうグループと別れて、私たちは南京へ向かう。空からの南京は光溢れる大都会。ホテル内での夕食のあとに、「足指マッサージ」を体験。
 一七日、侵華日軍南京大屠殺遭難同胞記念館を訪問。館長と体験者の出迎えを受ける。ここは一九八五年に開館され、その契機になったのが日本での「南京大虐殺否定論」の台頭であったと言う。入口の「死者三〇〇〇〇〇人」を示すモニュメントは象徴的であるし、そのほかの彫刻なども美術的に成功しているように思われた。入口壁の「前事不忘・後事之師」の文字は、中国の良識からのメッセージではないか。展示内容も、客観的な事実を丁寧に冷静に提示していて、ヒステリックではない。とりわけ、幾層にも積み重なった人骨群が発掘時のまま保存されている箇所では足がすくみ、言葉を失った。否定論者たちは一度この地を踏むべきである。改めて日本での論争の国際的意味を考えさせられた。ここで体験者が語ったことは、断片的なこととは言え、日本軍の残虐さを知るに十分である。しかし、体験者の高齢化が進んでいることから体験の継承の難しさを語る館長の言葉にも共感を覚えた。
 この後は観光を中心とする日程が続く。国民党政府が建設した「中山陵」(孫文の墓所)の壮大さに驚き、上海雑技団の妙技に感嘆し、寺院や庭園の精緻さに歴史の深さを知った。ある寺院で通訳が、「昔は縦書きでしたが、現在の中国では、教科書も官公署文書もすべて横書きです」と語ったとき、旅行団一同から驚きの声。来年から裁判所で始まる「A判横書き」も世界の趨勢か?
 上海で「二人の一日入院」のアクシデントもあったが、予定通り一九日成田着。楽しいながらも、なにか宿題を持ちかえったような気分で帰宅した次第。
 最後に今回の旅行を企画し、周到な準備をして頂いた事務局の諸兄に心から感謝を申し上げる。団がまた一段と素敵に思える。これも人生の甘露。

【旅行で得た歌三首】 みちのく赤鬼人
揚江の千古の水を汚したる 蛮行の責め わが前にあり
城囲む静かな流れ秦准河 万人坑の 恨み沈めて
「前事不忘」 確といま 胸に刻めり 南京の朝
(二〇〇〇・一〇・九)
 *次号でもひきつづき中国訪問特集を掲載します。


九〇年代規制緩和路線下の司法制度改革の性格

東京支部  小 池 振 一 郎

 総会議案書は、司法改革について、『規制緩和社会に対応する司法を求める日米支配層とこれまでの官僚統制司法を基本的に維持しようとする最高裁と民主的司法改革を求める国民各層のそれぞれの強い要求が背景にあ』る(二〇〇〇年団総会議案書、以下『』同様)と指摘する。これらの『要求がせめぎ合い、極めて複雑な様相を示している。そうしたことも反映して、団内の意見も一致しているとは言い難い状況にあった』という。
 『司法改革審は先のような要求を持つ政・財界のイニシアチブで設定された』のだから、いわゆる「上からの改革」という面が強い。
 そこで、支配層が求める『規制緩和社会に対応する司法』の内容と評価が問われる。
 まず、支配層の規制緩和路線について。そこでいう「規制」には、守るべき規制と撤廃・緩和すべき規制の両面があるのではないか。
 日本は市民革命を経ないで近代社会に入った。前近代的な規制が打破されないままに、市民社会が根づかないままに、高度経済成長社会に入った。官主導の政官財癒着の構造、護送船団方式といわれる横並び構造が維持されたままに、バブルがはじけて、九〇年代長期経済不況に陥った。
 この間、政財官癒着の構造が次々と暴露された。ゼネコン政治の出口が見えない。二一世紀の日本を展望できないことについて深刻な危機感が支配層の一部に出てきた。日本を国際社会に通用する近代国家にしなければ、日本は二一世紀を生き残れないという危機感。近代市民革命を経ていない日本を上から近代化しようという問題意識である。
 この近代化と福祉切捨ての規制緩和論が一体となって展開されたところに日本型規制緩和の特徴がある。前近代的社会を引きずってきた日本では、「市場原理に戻れ」論が、福祉社会からの逆戻りと日本の近代化促進という両面を指向する。グローバルスタンダードは、日本が国際社会に生き残るための国際化として、日本の前近代性を払拭する側面もあわせもつ。
 日本型規制緩和路線には、前近代的規制の緩和(近代化路線)と独占の行き過ぎや市場原理の行き過ぎから国民を守るための規制の緩和(福祉切捨て路線)という二つの側面がある(拙稿「規制緩和の時代に」九八年八月一日付東京税理士界[論壇]―同年九月団常幹資料)。
 この日本型規制緩和路線が本格的に展開されたのが、日米構造協議が後押しして九三年平岩(経団連会長)レポートが出された九〇年代のことである。
 この日本型規制緩和の流れの中に今回の司法改革がある。日本型規制緩和に両面があるように、今回の司法改革に両面がある。
 九四年経済同友会が従来のタブーを破り初めて司法府を痛烈に批判した。そこには日本の司法の前近代性批判が色濃く現れている。冷戦構造の崩壊で初めてできた批判だといわれる。以後マスコミも司法批判を展開。さらに財界の司法府批判が続く。法曹一元や国民の司法参加を進めようという提言が明確に打ち出される。これらは九〇年以来の日弁連の司法改革宣言を視野に入れていたこともあるだろう。同時に、これらのなかに、福祉切捨ての規制緩和論に基づく司法改革論が色濃く滲んでいることも事実である。
 九七年、九八年の自民党司法制度特別調査会報告書にも、この両面が色濃く反映されている。「我が国は、今、内外の極めて厳しい環境の下に、大きな転換期を迎えて」いる(小渕首相挨拶・論点整理)との認識のもとに発足した司法制度改革審議会の性格も同様だ。
 これが九〇年代に本格化された日本型規制緩和路線下の司法制度改革の性格というべきだろう。
 そのなかの近代化路線が、日弁連の司法改革運動や国民の司法の民主化(『憲法的価値の実現』)運動に重なる。「上からの改革」としての近代化と下からの民主化運動が呼応する面がある。
 だから、『日弁連を中心とした運動も未だ十分に国民に浸透している状況にない』が、『司法をめぐる国民の不満と要求を無視できず』とまでは至っていなくても、陪審・法曹一元をはじめ諸要求実現の「可能性」がある。被疑者国選はもとより、証拠開示、被疑者取調べ記録化、検察起訴独占の見直し(検察審査会の機能強化を含む)など前進の現実的な展望が出てきたことは、この間までは考えられなかったことだ。日弁連刑事弁護センターでアクションプログラム作成に関わってきた者としては感慨深い。
 だから司法審を全否定できない。司法審は、従来の隠れ蓑的な審議会とは異なる。『批判すべき点は厳しく批判するとともに、勝ち取ることのできる改革と前進の可能性を粘り強く追求するという両面のたたかいに取り組まなければならない。』『政府・財界(そしてアメリカ)の求める司法改革の大局的な狙いを許さずたたかいながら、同時に可能な改革の機会をつかんで成果を上げて、国民のための司法実現へ早期に道を開くという複雑な闘争に直面している』。
 しかし、陪審・法曹一元をはじめ諸要求実現の「可能性」はあくまでも可能性である。
 そこに『最高裁を頂点とする司法官僚』が立ちはだかる。財界・自民党を取り込み、私たちの目指す司法改革を流産させようと必死だ。最高裁は、『法曹一元など実現するわけがない』といった猛烈な巻き返しと逆宣伝をしている。司法審のとりまとめについて、『法曹一元見送り』とのマスコミ報道が流れた。これは最高裁の周到なマスコミ対策の成果であったといわれる。この報道に落胆しては、最高裁の思うつぼだ。
 もちろん、最高裁の巻き返しは当初から予想されたこと。ではあるが、最高裁を先頭とする保守的な潮流の巻き返しに、揺れ動いている。最高裁の身体を張った巻き返しに取り込まれようとしている。論点整理が、最高裁に遠慮して、『裁判の実態をまったく取り上げず…官僚的司法制度に関する批判もない』のは極めて問題だ。
 論点整理の中で、このような点や福祉切捨て路線に基づく司法改革論については大いに批判すべきだ。
 しかし、論点整理の中にある『国民一人ひとりが、統治客体意識から脱却し、自立的でかつ社会的責任を負った統治主体として、互いに協力しながら自由で公正な社会の構築に参画していくこと』『弱い立場の人が不当な不利益を受けることのないよう』『国民主権の実質化を目指して』『法の支配の理念』『行政・立法に対する司法のチェック機能を充実させる』『住民の自立と参加』『裁判官の独立をいかにして保障するか等について、国民の視点に立って』といったキーワードを無視ないし軽視すべきではない。これらをまやかしの言葉として葬り去るべきではない。
 このようなキーワードを積極的に活用すること。裁判の実態を訴え、最高裁批判を強め、法曹一元・陪審と共に、司法についての国民の様々な要求を取り上げ、結び付けて、総合的、全面的な司法の民主化運動を展開すること。こうして司法改革の世論を盛り上げて行き、マスコミに訴え、審議会を包囲して、雰囲気を変えていくこと。そうでなければ「上からの改革」も腰砕けになりかねない。
 福祉切捨ての規制緩和路線に基づく司法改革論に対抗するビジョンを打ち出すことも重要。
 市民革命を経た欧米諸国では、八〇年代に福祉切捨ての規制緩和路線を歩んでいたが、ヨーロッパ先進国では九〇年代に規制緩和見直しの動きが始まった。アメリカに対抗して経済力を維持するために通貨統合してヨーロッパ経済圏を形成しながら福祉を確保する新福祉国家に向けて歩み始めている。日本はアジア経済ブロックを形成してアメリカ型の規制緩和路線に対抗するしかないと思うが、そこまでには至っていない。司法改革の対抗軸は、経済政策まで視野に入れて打ち出すべきかもしれない。
 団の二〇〇〇年一〇月司法審に対する意見書が一〇月拡大常幹で採択された。司法審に対して真っ向から切り結んだ説得力あるもの。今後、大いに武器となる画期的な文書だ。
 この動乱の時代において、『支配層内の矛盾をきちんととらえ、刻々に、そして様々に変化する彼我の力関係を読みとり、たたかいを強化しなければならない』。悪法反対闘争よりもはるかに広くて大きく、複雑なたたかいにいま直面している。


「司法改革審議会への意見」への道

担当事務局次長  小 賀 坂  徹

 わが国の司法制度をどう改革するかについて、今ひとつの山場を迎えている。
団内の議論も白熱の度合いを増し、激論が闘わされた。このことは団通信紙上においても同様である。団では八月三日の司法民主化推進本部の拡大会議、例年は休会となっている八月常幹(八月一九日)、九月常幹(九月一一日)、九月一五日・二三日の祭日に集まった緊急会議、例年行われない一〇月常幹(一〇月七日)と、この間、司法問題について精力的に論議を尽くしてきた。
団内の議論のひとつの焦点となったのは「司法制度改革審議会」をどう見るかということであった。司法制度審議会の出す結論がわが国の司法改革のすべてを規定するものではないが、大きな方向性を決することは間違いなく、したがってここに議論が集中し、様々な意見が闘わされることも当然である。
 しかしややもすると、審議会をどうみるかということは、抽象的な議論になりがちである。審議会の政治的位置づけを議論することの重要性はいうまでもないが、逆にそこにとどまってだけもいられない。一一月二〇日には「中間報告」がなされ、来年には「最終報告」が行われる。ここでどのような「報告」をさせるのか、できうる限り私たちの要求を反映させ、制度改悪になるようなものは阻止していかなければならない。正に「今」問われているのはこのことである。したがって、審議会で具体的にどのような議論がなされているのかを具体的に検討し、積極的に提言していくことが求められる。
審議会の議事録は公開されているがその量は膨大で、そのすべてに目を通し分析・検討することは多大な労力を要するしんどい作業であるが、ことここに至っては労を惜しんでいられない(ここから担当者の苦悩は始まるのであったが・・)。
議事録を読んで感じるのは、審議会自体が決して一枚岩ではないということである。具体的な論点においては、相当激しい議論やせめぎ合いが行われており、一部委員からではあるが、国民要求に根ざした改革要求の意見も述べられている。
と同時に実感するのは、審議会は「動いている」ということである。初めから結論が決まっていて、そこに形式的な議論を集約するというだけのものではない。国民世論の動向に影響された議論の進展も見られるのである。ここに、私たちが審議会を「活用」する可能性を見いだすことができる。審議会の性格論議にとどまらず、具体的審議内容に則して、審議会を動的に捉えることの重要性を痛感する。
とはいえ、審議会の委員の多数が私たちの要求を受けとめているというわけでは全然ない。楽観できる要素はどこにもないのも事実である。だからこそ、私たちの運動によって審議会を「動かしていく」ことが求められていると思うのだ。
「意見書」は審議会の議論を相当程度網羅したものとなっている。単に審議会に意見をぶつけるというだけでなく、国民に向かって審議の内容と問題点を明らかにしていくということを心がけた。もちろん団員に対しても。
「中間報告」が出されれば、当然そこに機敏に意見表明をしなければならない。そこに向けて団内の議論を発展させ、国民運動を組織していくことが緊急に求められている。今回の「意見書」が、団内の議論の素材となり、運動の発展に資するものとなることを望む。と同時に不十分な部分、不足している部分等々の意見を是非寄せて頂きたいと思う。
一〇月一〇日には「意見書」を審議会と日弁連に提出した。審議会には三役を含め九名が参加し、審議会側は事務局の小島吉晴参事官(法務省)が対応した。そこでは一時間余に渡って、法曹一元、陪審制について曖昧な取りまとめでなく、積極的に導入することを打ち出すべきこと、裁判の実態についての具体的な調査を直ちに行うべきであること等の私たちの意見を述べるとともに、佐藤幸治会長との直接の懇談の機会を設定するよう要望した。
「意見書」の執筆は、工藤・財前・私の三名の担当次長と共に、東京支部の坂本団員、野澤団員にも協力して頂いた。また、意見書作成の議論の過程では、この他何人かの団員からも貴重な意見を頂いた。また、一〇月一〇日の審議会への提出にあたって、本部専従事務局の皆さんに印刷について無茶なお願いをした。限られた時間の中の作業に協力頂いた方々に本当に感謝したい。
 これからが正念場だ。さらに団の英知を結集させていきたい。


司法制度改革審議会に対する団意見書を作りました。
ぜひ読んでください

担当事務局次長  財 前 昌 和

一 司法制度改革審議会の審議は一一月二〇日の中間報告に向けて大詰めを迎えています。九月九日の常幹で中間報告前に団としての意見書を審議会に出すことが決まりました。その後プロジェクトチームで作成作業を行い、一〇月七日の常幹で一部修正の上了承されました。一〇月一〇日には早速審議会と日弁連に提出しました。常幹では簡単なものでいいから早く作ろうということでしたが、出来上がってみればA4判で三八頁の大作となりました。チームのメンバーはここ半月間意見書作成のため大変な目に遇いましたが、その点については小賀坂次長が別途報告しているので、ここでは意見書の内容について簡単に説明します。
 意見書の大まかな構成は、「第1 審議会審議の基本的・構造的問題点」で論点整理やその後の審議内容の持つ問題点を総論的に検討した上で、第2ないし第7で、法曹一元、裁判官に対する中央集権的官僚統制の廃止と裁判官の独立の確保、陪審制、刑事司法、民事司法、弁護士改革と弁護士自治について意見を述べています。この構成からも分かるとおり、審議会での審議内容をほぼ網羅した内容になっています。なお、今回の意見書は審議会に早急に提出することを目的としたため、現段階で団内で大筋意見の一致が取れると考えられる問題に限定して意見を述べ、法曹人口年間三〇〇〇人増員問題や法曹養成・ロースクール問題については触れていません。この点については、今後の団内での議論状況や情勢を見ながら、追加の意見書を出すかどうかを議論していくことになると思います。 

二 意見書の内容の特徴ですが、審議会の審議内容に即してその内容を具体的に分析・検討するように心がけました。これまで常幹では政府や財界の司法改革の狙いや審議会の性格については何度か議論してきましたが、審議会の審議内容に即した批判がやや不足していたように思います。そこで意見書作成に当たっては審議会の議事録や取りまとめの文書に直接当たり、その内容に即して検討しています。
 また評価に当たっては、できるだけ一面的評価に陥らないように注意し、評価できる点は積極的に評価しその方向で改革を進めるよう要求するととともに、問題ある点については厳しく批判し団として反対の意思を表明しています。審議会の取りまとめ文書を読むと、重要な点について「委員の間で意見の一致を見なかった」として先送りしたり、今後制度をどのように改革していくかの方向性を曖昧にしている部分がかなりあります。その点については批判するとともに、団の考える改革の方向性を明示し、その方向で今後審議を進めるよう具体的な改革要求を突きつけるようにしました。さらに、審議会が欠落させている重要な問題については今後審議するよう要求しました。
 以下各項目の内容をかいつまんで紹介します。

三 法曹一元の項では、法曹一元導入が取りまとめで明記されなかった点を批判するだけで終らせず、法曹一元導入に反対した委員を具体的に批判し、賛成した委員を積極的に評価しています。そうすることによって今後批判すべき相手が明確になると考えたからです。また、審議の中で裁判官の給源・任用・人事の在り方が議論されたことは評価しつつ、改革の方向性が曖昧な点は批判し、団として考える改革を具体的に示し、その方向で今後審議を進めるよう要求しています。

四 陪審制についても同様で、審議会が「国民の参加が形式的なものとなってはならない」と明言し最高裁の提案していた評決権なき「参審制」を事実上否定した点は評価しつつも、陪審制か参審制かを明記しない曖昧な取りまとめになっている点は批判し、陪審制を基本にした制度を検討すべきこと、その範囲は刑事事件に限定することなく行政事件や労働事件においてこそ導入すべきことを提案しています。
 また、審議会が導入を検討することにした専門参審制については反対の意思を表明しています。さらに、最高裁が国民の司法参加に対して極めて消極的姿勢を取ったことに対しては、特に項目を起して厳しく批判しました。

五 刑事司法の項では、被疑者取調べの適正確保、証拠開示などいくつかの問題で評価すべき点があることを認めつつ、現在の刑事司法の実態・問題点についての評価が委員の間で一致せず、基本的に現状を肯定的に評価する委員がいること、その結果多くの問題で委員の意見の一致を見ないとして先送りなっている点を厳しく批判しています。また、公的費用による被疑者弁護制度導入を打ち出した点は評価しつつも、公費投入を口実に弁護活動の内容に介入することを意図する方向での議論については厳しく批判を加えています。

六 民事司法の項では、審議会が議論した、弁護士費用敗訴者負担、専門参審制、審理期間・開廷間隔等の法定などについて批判しました。また、国民にとっての民事司法の改革にとって重要なはずの証拠収集手続の充実や行政訴訟の改革については十分踏み込んだ提案がなされていない点も批判しています。
七 弁護士改革に関しては、弁護士として聞くべき意見が含まれていることは認めつつ、司法が国民にとって利用しにくいことの主たる責任が弁護士にあり、弁護士人口の大幅増員によってそれが解消するかのような一部の議論に対しては積極的に反論しています。法律扶助制度の大幅な充実など国民が弁護士を利用しやすくするための基盤整備が必要であること、そもそも裁判所が国や大企業の利益擁護に偏し国民の権利・利益を救済する姿勢に立っていないため国民の司法離れが生じていることなどを指摘しています。
 弁護士自治に関しては、弁護士自治が国家権力と対峙してでも弁護士が人権擁護活動をするための制度的保障であることを強調した上で、弁護士会の強制加入制度の見直しには断固反対であること、綱紀・懲戒制度を国民から見て分かり易くすることには賛成しつつも見直しに当たっては弁護士会や弁護士への国家的・権力的介入を招くようなものであってはならないことなどを指摘しています。

八 意見書の内容を全部紹介することは出来ませんが、それぞれの項でできる限り議事録の内容を踏まえた分析と批判を行っています。また、どの委員がどういう立場をとったのかもなるべく明記し、審議会での対立状況を浮き彫りにするよう努力したつもりです。これまで審議会の議事録を読んだことのない方でも意見書を読んでいただければ、これまでの審議会のおおまかな審議内容とその問題点が理解できると思います。
 作成に関わった人間が言うのもなんですが、プロジェクトチームの団員の大変な努力によってわずか半月で作ったとは思えない力作ができました。是非一度目を通していただきご意見をお寄せください。また運動を行う際の資料として活用していただけるとうれしく思います。


再度「当面の緊急要求」について

大阪支部  笠 松 健 一

一、坂本修団員の意見書に対する私の意見と、それに対する坂本団員の反論が、団通信九九八号に掲載された。私の意見は、裁判官の独立の保障のための改革を当面の緊急要求として掲げることは、法曹一元の実現にとって逆に障害となる、というものであり、坂本団員の意見はこれを緊急要求として掲げるべきというものである。私の文章が少し言葉が足りなかったかもしれないので、この点について再度意見を提出する。

二、私が理解している法曹一元制とは、次のようなものである。
 第一に、裁判官の給源としては、判事補という中途半端な法律家ではなく、法律実務経験を積んだ実務法律家の中から裁判官にふさわしい人を選任する。第二に、裁判官の選任を、市民と法曹とで構成した裁判官推薦委員会が、裁判官応募者に関する多数の資料を収集して透明かつ公正に選任するという民主的な選任手続とする。第三に、裁判官人事については、転勤・昇進・昇給という官僚的要素を排除した裁判官の独立を保障するものとする。
 私は、これら三つの要素が実現できた時点が、法曹一元が実現できた時点であると考える。これらを一体的に提起することが、法曹一元実現の運動なのである。問題は、これらが一体的に実現されないと、真に法曹一元制が実現されたとはいえない点である。法曹一元制とは、単に弁護士経験者が裁判官になれば良いという制度なのではない。法律家の中からこの人なら裁判官にふさわしいという人が裁判官に選ばれ、なおかつ、裁判官選任後の人事制度は、裁判官の独立性を侵害するようなものであってはならない。人事制度が裁判官の独立性を侵害するならば、如何に良い人が裁判官に選任されても、統制に服して行く可能性を否定できないからである。

三、つまり、私が主張するのは、給源の改革・選任方法の改革・人事の改革という三点を切り離して運動すべきではないということなのである。法曹一元の実現を主張する以上、我々はこの三点を常に一体のものとして継続して主張すべきなのである。

四、言い換えれば、もし我々が当面の緊急運動方針として裁判官の独立性の確保を主張するのであれば、それと一体としてあるべき裁判官の人事の他の問題点の改革と、給源、選任のいずれをも当面の緊急要求として提起すべきである。
 私が指摘したかったのは、裁判官の独立を確保する方法として考えられる転勤・昇進・昇給の改革の内の一部のみを要求として提起することは、その他の課題については我々は当面実現しなくても良いと考えていると見られる惧れがあり、そうなると我々が裁判官のキャリア制を肯定したように受取られる可能性があるから、そのような事態を避けるべきであるという趣旨である。

五、従って、私の主張を逆に言えば、裁判官の独立性確保について当面の緊急要求を提起するのであれば、前述した法曹一元の三要素を同時に並列的に提起せよ、ということになる。もちろん彼我の力関係によってその内どれだけの制度改革が実現するかは分らない。
 しかし、これらを一体的に提起しつづけることが、キャリア制の一部手直しで我々の運動を終結させず、粘り強く法曹一元実現の運動に取り組み続けることが出来ると考えるのである。
 法曹一元実現のための闘いは、この一年二年で決着のつく問題ではない。
 最高裁が堅持しようとするキャリア制度を解体することは、非常に難しい課題である。しかし、難しい課題であるからこそ、我々は広範な市民と連帯し、広範な市民の声を力として法曹一元実現を目指さなければならない。
 キャリア制の一部手直しで終結するような運動の組織ではだめなのである。
 裁判官人事の一部手直しで終息しない運動を如何にして組織するか、これが我々の最重要の課題である。
もし、我々が今、裁判官の独立性の確保を緊急要求として掲げた場合には、人事の一部手直しが実現できた時に、運動が急速に終息することが危惧される。キャリア制の最終的な廃止まで運動を継続するためには、法曹一元の三要素を、その内のどの点を優先させるのでもなく、同列に置いて運動すべきなのである。そのような運動方針こそが、息の長い法曹一元実現の運動を成功させるものと考える。
 従って、もしどうしても裁判官の独立性の保障という緊急要求を掲げるべきというのであれば、私は今度は逆に、法曹一元の三要素全部を緊急要求として掲げることを提案したい。
何度も言うが、三要素を分断するような運動方針は、法曹一元実現に結実するとは到底思えないからである。