<<目次へ 団通信1002号(11月11日)

団長就任のあいさつ

団長  宇 賀 神  直

 この度、宇奈月温泉での二〇〇〇年富山総会で団長に選出されました。全国の団員の皆様、ご協力のほどを宜しくお願いします。
 二日間の総会においては、当面の情勢と憲法問題、裁判闘争、なかんずく司法の民主化、司法改革をめぐって活発な討論が行われ、わが自由法曹団の闘うべき方針が決められました。司法改革については、総会議案書、司法制度改革審議会に対する意見―国民のための司法制度改革の実現のために―と司法改革に関する団の当面の行動方針の三つの文書が多数の拍手で可決、確認されました。この確認、決定は極めて重要な意義があります。法曹人口の三〇〇〇名増員、法科大学院(ロースクール)の問題については討議不足もあり、これらの文書には入ってはいませんが、司法制度改革審議会に対する意見書を理論的、実践的土台にして決められた方針を実践しながら、討議を深めていくつもりです。
 一一月二〇日には司法制度改革審議会の中間答申が出され、いよいよ正念場を迎えます。私たち自由法曹団は広く国民と団結して闘うという伝統を生かして司法の民主化、司法改革に取り組んで行きたいと思います。
 弁護士会、日弁連の中での活動も極めて大切です。司法の民主化、司法の改革については法曹三者の一つである日弁連の占める役割は大きいものがあり、日弁連が掲げている国民のための司法を実現するために弁護士会、日弁連の中でそれぞれの団員が活動することが重要です。
 自由法曹団の任務を首尾一貫して実践するためには当面する司法の民主化、司法改革の情勢と課題について団員の共通の認識が必要です。それには団内の活発で建設的な論議、討論は欠かすことが出来ません。そして皆で決めたことを皆で実践することです。
 ところで、討論の仕方ですが、司法の民主化、司法改革について言うと、財界、自民党の狙う「司法改革」ではなく国民に奉仕する民主的な司法をつくり上げる必要性、重要性については団員皆が一致するところです。だから、その目的に向かってより良い方針をつくり、実践するための討論です。厳しい相互批判の中にも心を通わせることが大切と思うのですが、如何でしょうか。そのような論議と討論は大きな問題について意見の違いがあっても当面する実践課題を一致させ、これを実行することが可能だと思います。
 総会は司法改革の外、憲法問題、大衆的裁判闘争の三つの課題がメインでした。憲法問題は衆議院、参議院の憲法調査会の審議が進められ来年は改悪の動きが活発になって来ます。司法改革も大切ですが、その土台の憲法が改悪されたのでは国民のための司法は実現できません。重視して運動を強化する必要があります。大衆的裁判闘争については労働事件で敗訴する事件が相次いでいますが、総会ではその問題の討議が不十分であったと思います。敗訴事件、勝訴事件を分析して我々の側の取組みについて深める必要があります。賃金差別裁判につき次の四点を指摘したい。賃金差別事件といってもその事件ごとの顔、特徴、論点があり、これを浮き彫りにして裁判官に突きつけて対決し、説得する必要があります。二つはその対決と説得は事実と道理に基づいて行うものであり、理論ではありません。理論も大切ですが、事実と道理に則しない理論では対決も説得も出来ないと思います。三つは、広範な労働者を味方にして闘う視点が大切です。女性に対する差別扱いですが、資本・企業は合理化、賃金の切下げ、首切りなどで最大限の利潤をあげる目的で、弱い女性に向けて差別扱いをするわけであり、女性を中心にした運動では狭いものになります。いろんな多くの男性の労働者にも訴えて共に闘うことで裁判官と対決し、説得することが出来るのです。四つは法廷内での鋭いやりとりが大切です。
 来年、二〇〇一年には自由法曹団創立八〇周年を迎えます。一〇月には東京で全国総会と八〇周年記念の集いが行われます。
 これからの一年間、力を合わせてこの総会で決められたことをやり遂げて八〇周年総会と集いを成功させようではありませんか。


団長退任にあたって

東京支部  豊 田 誠

団長を退任するにあたり、その重責を果たし得たか、内心忸怩たる思いです。
毎年の議案書、五月集会報告書などをみながら、団の活動がさまざまな人権課題にひろがっていることは知っていましたが、三年前、団長の重責を実際に担ってみて、その拡がりと深さ、問題の重みを痛感させられてきました。公害裁判という「専門店」から、人権課題の「デパート」にやってきた思いをしました。
就任早々、ワシントンでのNLG総会への出席、帰国してまもなく、沖縄名護の調査、新ガイドライン、盗聴法、労働法制、日の丸・君が代、日産村山工場問題、そして司法改革、先月は中国法律家などとの交流のための訪中などなど。めまぐるしいスケジュールの三年間でした。
何はともあれ、この三年間、団長の重責を支えてくれたのは、荒井・鈴木両幹事長、小部・小口両事務局長、そして事務局次長や団事務局の方々、常任幹事や全国の団員の方々のご理解とご支援があったからだと思っています。心より感謝申しあげる次第です。
司法改革をめぐる団内討論は、久方ぶりに、団内討議を活性化させています。激論の末に、行動方針が採択されました。さすがに自由法曹団だという思いを強くしました。この行動方針を、各地域で、各分野で具体化しながら国民的運動を展開していく、その先頭に団員が立つことが、私たちの課題となったと確信しています。
二一世紀初頭は、激動の時代となるでしょう。自由と人権の課題が、いっそう、社会のあらゆる分野できびしく問われることになるでしょう。
自由と人権の確立、平和と民主主ーこの課題は、どんな時代にあっても、人類普遍の課題です。これは、私たち自由法曹団員共通の「志」でもあるのです。そうした意味では、団の歴史的役割が期待されることになるでしょう。
宇賀神新団長、篠原新幹事長、小口事務局長の新しい執行部体制に皆さんの絶大なご支援を心からお願いいたします。


幹事長に就任して

幹事長  篠 原 義 仁

一 九月常幹の確認を経て、対立候補がなければということで次期幹事長の予定候補となりました。
 団情報は早いもので九月末から一〇月にかけていろいろと団員のみなさんに声をかけられるところとなりました。
「大変ですね」がほとんどで、なかにはごていねいに「大変な時に大変ですね」という前置きがあり、そして、ひと呼吸おいて「ご苦労さん」「頑張って下さい」ということでした。
 私本人としては、二、三年前から事務所会議の場で、年とともに昔どおりの無茶な活動はできず、斗いの場を限定しての「五五才定年制」(全く活動しないといういみではなく、地域事務所の特性で何でもやる、何でもやらされるという活動スタイルから、二、三の分野に限定して気楽に活動に参加するという趣旨)を導入すべしと主張し、そしてその年齢もすでにすぎたこと、団活動には昨年二月に退任するまで通常二年のところ五年間も神奈川支部幹事長としてご奉公したこと、ましてや団本部常幹には五年半も出席していない不良常幹であること等々からして幹事長というのはおそれ多い話でした。
 しかし、詳しい経緯は省略するにしても、「大変な時期」に「大変な任務」を背負うことになりました。

二 そんなことから今年の団総会議案書は、いつものときよりていねいに読むこととなりました。
 それにしても、団の実務執行体制の現状を聞くにつき、それと対比してみても実に多面的な活動を単に幅広くでなく、実に誠実に深く実践しているものだと今更ながら実感しています。
 そのなかでも皆さんが「大変だ」という諸課題の中心に司法改革問題の取組みがあるのでしょう。弁護士会活動に距離をおいていた私としては、幹事長をやらざるをえないのかと観念した八月一〇日すぎからにわか勉強を始めました。
 この問題は今まで関わったことがないのでわかりません、ちょっと待って下さいといって一年(任期)をやり過す課題ではないようです。
 若干の助走をつけて、「両論」対立論争のなかに参加してゆきたいと考えています。
 しかし、情勢分析に係わる、もしくは司法改革のそもそも論に関する論争はもとより、団総会で今後の活動の方向性が確認された今、今後その実践をどう追求してゆくのかがきわめて重要と認識して、ことに対処できたらと考えています。

三 さて、就任直前から聞かされていたはなしですが、司法改革はもちろん他の委員会も同様ですが、常幹での議論の多さに比べ、実務を担う各委員会(対策本部)の結集は心もとない限りのようです(本当かどうかは、これから自分の眼で確かめることとします)。
 斗う団体を自認している団が、議論は多いが、実践の場、運動の局面で結集が悪いというのは、何とも解せない話ですし、おかしなはなしです。
 団活動の(より一層の)活性化、運動の具体的展開のために事務局人事の一層の拡充、各種委員会への積極的参加(委員会活動に外の空気を吹きこむことも念頭に入れて)を追求すべし、というのが前執行部の「引継事項」のようです。
 もともと力不足を承知でひきうけた幹事長ですから、皆さんの団本部活動への実践的局面への結集を心からお願いして就任のごあいさつとする次第です。


事務局次長退任にあたって

東京支部  工 藤 裕 之

一 九八年一〇月の長野・上山田総会で本部の事務局次長に就任して以来、振り返るとあっとのいう間の二年間でした。この日が来ることを心待ちにしていたはずなのに、いざ退任すると事務局会議などに何度となく通った団本部が遠のくようで何とも言えず寂しい気持ちです。次長就任時に同期の小賀坂次長から団通信でカラオケ狂いのように書かれたことが、事実に反するかどうかは別にして、ついきのうのことのようです。以来、盗聴法などの担当になって、何度となく国会要請に通い、盗聴法が成立した九九年八月の徹夜の参議院本会議を朝まで傍聴したことが鮮明に思い起こされます。

二 盗聴法が成立した後はやや気が抜けてしまいましたが、九八年から九九年にかけては新ガイドライン、労働法制改悪、地方分権一括法、「日の丸・君が代」法、盗聴法など悪法が目白押しで、各担当次長にとっても大変な時期でした。
 そして、二年目は司法改革の担当になり(一年目も担当だったかもしれません)、司法民主化推進本部会議などに出席してきました。二〇〇〇年一〇月の司法審に対する意見書の大部分は担当次長である財前、小賀坂両次長が、仕事の時間も寝る時間も大幅に削って超特急で作成したもので、わずかな部分しか担当しなかったわたしとしては本当に申し訳なく思っています。その償いの意味も込めて、今後も団の司法改革の活動について、少しは参加して行きたいと思っています。一一月二〇日には司法審の中間報告が出されますし、ロースクールの問題についても団員から増員反対とは違った切り口での意見が出されていますので、いずれにせよ今後が正念場であることははっきりしています。

三 次長在任中は、豪放磊落な豊田誠団長、細かいことにこだわらない鈴木亜英幹事長のもとで愚痴を言いながら活動してきましたが、しかられもせず楽しくやらせていただきました。また、小部正治、小口克巳両事務局長、専従事務局の阿部さん、薄井さん、森脇さん、本当にお世話様でした。ただ、わたしとともに退任するはずだった小賀坂次長があと一年次長を続けることになって、彼がきわめて有能だということはあるにせよ、わたしが先に退任してしまい何となく申し訳ない気持ちです。

四 最後に団員の皆さんへのお願いですが、団の日常的な活動にもっと多数の人に積極的に参加していただきたい。各種の委員会や対策本部などへの参加者はいつも少なく、これでは団活動そのものあるいは団内の合意形成の上でもまったく不十分です。また、全国各地からぜひ次長を出して下さい。本部の活動への理解が深まり、必ずや支部活動にとってもプラスになるはずです。
 本当に最後になりますが、二年間ありがとうございました。そして、今後ともよろしくお願いします。自分なりに団活動を理解できて、とても有意義だったと改めて思っています。


次長退任のご挨拶

東京支部  中 野 和 子

 一昨年の盗聴法、定期借家法、今年の商法改正・労働契約承継法など、次々と切れ目なく国会要請・集会・FAXニュースの作成等を行ってきました。盗聴法では、救援会の望月さん、日産村山工場閉鎖問題では全労連の熊谷さんに大変お世話になりました。
 また、リストラ合理化への反撃を準備するため、今年の三月末から一〇日間、ベルギーのルノー・ビルボルド工場などに赴き、ベルギーの労働運動、フランスの司法救済制度の調査に行ってきました。その報告は、別途団員の皆さんには配布される予定です。
今年の四月には、刑事弁護ガイドラインにつき、事務局長・幹事長とともに、日弁連に問題点を提起してきました。平行して、三月の事務局会議では、団の司法改革論議が情勢に比較して立ち遅れていることを感じていたので、五月集会での討論を提起しました。さまざまな消極論がありましたが、五月集会の全体企画となり、それなりに前進があったと考えています。その後も、常幹などでは激しい議論がありましたが、新たに担当次長となった財前次長を加えて、三人の担当次長が奮闘し、総会までできることは全てやりきって本総会に臨めたと思います。
 今後の団の活動に期待することは、以下の二点です。まず、常幹での議論は、多様な常任幹事からの発言を保障することです。今期は、女性部から多くの若手団員が常幹に入っています。是非、発言を保障する議事進行をしていただきたいと思います。もう一つは、団の活動範囲として消費者事件のとりくみも位置付けるという点です。理由は、この分野で活躍している団員が多数いること、そして、消費者法をつくろうという立法化の要求が政府に頼るのではなく自分たちの運動で行うという形で芽生えていることがあるからです。
 五月集会でもコンビニ・フランチャイズ問題を取り上げさせていただきました。今後の弁護団結成にもご協力ください。
 その他、毎回、子どもをつれて参加させていただき、周りにはご迷惑もかけたと思いますが、保育制度を設置しつづける原動力となっていたと自負しております。
 最後に、司法改革、憲法改悪阻止、裁判闘争の諸課題を進めるにあたって、全国の団員が本部に団結して行動し、討議を進められることを期待して、次長退任の挨拶とします。


次長退任挨拶

埼玉支部  神 田 雅 道

 二年間の次長を経験して、忙しかったけれども大変有益であったというのが率直な感想です。
 九九年には新ガイドライン法、盗聴法、君が代日の丸法など悪法が続き、日比谷野音での集会やデモもしました。新ガイドライン法反対の日比谷集会、銀座デモ行進には埼玉支部から支部長の宮沢洋夫団員を初め多くの団員が参加しました。
また所沢の産廃問題では調査団を団本部が派遣し現地の住民を激励しました。その後、所沢産廃問題は証拠保全も実施し運動が盛り上がっています。埼玉支部と本部をつなぐという役割は果たせたかなと思っています。やりがいのある次長の仕事が出来なくなって、途方に暮れていたのですが、埼玉支部で栄えある支部事務局長の職を得ることが出来ましたので、喪失感に陥ることなく引き続き団の仕事に関われることになりました。今後は常幹に地方の代表として出席させていただきます。


冤罪日野町事件で不当な上告棄却

滋賀支部  玉 木 昌 美

 最高裁第三小法廷(千種秀夫裁判長)は、強盗殺人事件の被告人とされたのは冤罪であると争ってきた阪原弘さんに対し、平成一二年九月二七日付で上告棄却の決定をした。
 この事件は、一審においては自白の信用性が問題となり、一審判決がその信用性を否定した事件である。そして、一審では、論告直前に主任裁判官が訴訟外で担当検察官に公訴事実をぼかすように指示し、これに応じて予備的訴因の追加がなされ、一審判決は情況証拠によって概括的認定をなし、阪原さんに対し無期懲役を言い渡した。
 二審判決は、情況証拠によって有罪とすることはできないとしたものの、翻って一審ですら否定した自白の信用性があるとし、有罪判決を維持した。
 今回上告が棄却されたが、事件は何も解明されていない。最高裁の決定は、「記録を精査しても、被告人が犯人であるとした原判決に法令違反、事実誤認があるとは認められない。」としたが、およそ記録を精査した形跡はない。
 原判決は、被害金庫が店頭にはなかったことが一審で証拠上明確になっているにもかかわらず、「当該金庫が店頭にあり、犯行を思い立った」という自白に信用性があるとした。一審判決も二審判決も認めたように、被告人の自白には犯人しか知り得ない秘密の暴露は何もない。動機も被害品も紛失している被害金庫の部品も何ら解明されていない。三年以上経過した後、捜査の決め手となった被害者の着衣の微物の鑑定結果の証拠価値は一審で明確に否定されている。いずれの点からしても、阪原さんを犯人と認定できるほどの証拠はない。
 また、弁護団は担当調査官に対し、被害金庫の傷の問題について専門家による鑑定を依頼していることを報告し、鑑定結果が出来次第、その点に関する上告趣意補充書を追加提出する旨を伝えていた。にもかかわらず、今回の決定が突然なされた。担当調査官は「報告書の作成や提出の時期についてはお教えできない。」と述べていたが、再三にわたり調査官面会をしてきたのであるから、被告・弁護側の主張・立証を打ち切る意向であれば、それを事前に告げる程度のことは人間として当然なすべきである。最高裁はDNA鑑定が問題となった足利事件においても、弁護団が上告趣意補充書を提出した一週間後に上告を棄却したという。
 名張事件でも同様のことがあった。最高裁は説得力のない不当な判断もさることながら、被告・弁護側に主張・立証の機会を与え、慎重な手続をとることすら放棄している。
 現在司法改革が議論されているが、虚偽の自白を強要する代用監獄を存続し、捜査過程の可視化をしない刑事手続、自白偏重の誤った裁判を繰り返している刑事裁判こそ直ちに改めなければならない。一度警察に疑われ、虚偽の自白をさせられた者は、松山の誤認逮捕の事件のように真犯人が発見されるなど極めて稀な場合しか救われないというのではどうしようもない。人間として普通の感覚すら持ち合わせていない職業裁判官に刑事裁判を任せるわけにはいかない。


判事任用制度の改革

─「既得権益の排除」と「公正な競争」─

東京支部  後 藤 富 士 子

一、キャリアシステムは独禁法違反
司法修習修了者を任命資格とする「判事補」は、「他の法律に特別の定のある場合を除いて、一人で裁判をすることができない」(裁判所法第二七条一項)とされているから、憲法七六条三項にいう「裁判官」ではありえない。判事補は、弁護士や検察官と全く対等な「判事の給源」の一つにすぎない(同法第四二条)。
 ところが、判事補は、職権特例法により五年で判事と同等の職権を付与され、一〇年経過すると、全く無審査で自動的に名目上も判事に昇格する。「給源の一つ」といいながら、判事補だけが他の給源に比べて、異様かつ極端に優遇されている。その結果、判事の給源の殆ど全部が判事補となる事態が生じている。これは、他の給源からの判事への参入を妨害し、判事の給源を独占するものである。法適用領域の問題をクリアすれば、明らかに独禁法違反であるし、そうでないとしても、憲法第一四条違反であることは明白である。どうしてこのような不公正が、公正であるべき司法界で、公然かつ長期にわたって罷り通っているのか、驚愕すべきことである。
 判事補が一〇年経過すると自動的に判事に昇格することについて、法律上は何の根拠もない。裁判所法では、判事補は一〇年以上やれない、とされているわけではない。また、一〇年やれば、自動的に判事に昇格するとの規定もない。それにもかかわらず、判事補が自動的に判事に昇格することが怪しまれなかったのは、その職務の同一性・連続性の故であろう。しかしながら、それは、あたかも無免許運転を長年やった者に対してペーパードライバーよりも運転技術が優れているといって免許を与えるのに似ている。つまり、技能だけを問題にするのであれば、資格制度は崩壊する。
 こうしてみると、「判事補が判事の給源の一つ」ということは、判事補を一〇年やったからといって「自動的には判事になれない」ことでなければならないことが分かる。

二、「給源の多元化」と「判事の一元化」
 判事補を一〇年やったからといって自動的には判事になれず、給源の一つとして、他の給源と対等・公正に選任競争する体制を作るには、判事任命について、然るべき審査手続を設けることである。即ち、判事指名諮問委員会である。
 こういう審査手続を設けたとしても、現状では、判事補以外の給源(実際問題としては弁護士であろう)からどの程度の競争者が参入してくるか心細いが、仮に、他の給源からの競争参入者がなく判事補ばかりであったとしても、それでもこの審査手続を設ける意味は大きい。それは、丁度、法曹一元を人的資質論として考えるのではなく、システムの問題として考えるのと似ている。そして、実際にも、これがあるのとないのとでは、判事任官者の心構えは随分違ってくるだろう。「無審査で自動的に判事に昇格する」というのは純然たる年功序列であって、それ自体が二一世紀には生き延びることの出来ない人事システムである。また、このように公正な競争を建前とする判事任用制度になれば、他の給源からの参入希望者が公然化するし、他方、個々の判事補の質も「判事にふさわしいか」(つまり「成熟したオトナの法曹」か)が審査されるのである。
 そこで、問題は、この指名諮問委員会の構成をどうするか、ということである。これについては、直ちに理想的なものを追求するのではなく、「外部の目」が入りさえすればよしとすべきであろう。まずはシステムとして立ち上げることを何よりも優先させて考えるべきである。競争が活発になれば、自ずから委員会の構成や運営について、改善が図られるようになるはずである。
 このようにして審査を経て「判事」に任命された者は、「完成された職業人」として、対等・平等の権限・処遇を手にする。即ち、判事の累進制は廃止できるのである。

三、一元判事の報酬
 一元判事は「完成された職業人」として高い地位にあるから、その報酬は「国会議員並み」とするのが妥当と思われる(臨時司法制度調査会では「大臣級」という意見もあったようである)。そして、検事よりも高い水準にすべきであり、もし必要であれば検事の報酬水準を引き下げることも考慮すべきであろう。
 そこで、現在のキャリア判事について、どのように扱うかが問題となる。判事一年目の人はだいたい三五〜六歳であるとして、その人にも「国会議員並み」の報酬を与えることは、いかにも多すぎるように思われる。しかしながら、それは、彼が「完成された職業人」でもないのに「判事」になっていることから生じる不合理なのであり、これを是正する方策を構じるしかない。その方策の一つは、既に「判事」の職にある者のうち、二期目以上の者については個別審査なしに「一元判事」を承認し、一期目の者については個別に審査をし、「完成された職業人」と認められる者についてのみ「一元判事」とし、それに及第しない者は、判事補に降格する方法である。他の方法は、制度導入以前の「判事」は「一元判事」とは別の「キャリア判事」として残す方法であり、「一元判事」体系への選択ができるようにしておくものである。
 いずれにせよ、現在の判事の質に対して「国会議員並み」の報酬を与えることについて、納税者の理解が得られるか、法曹界全体の課題であろう。また、判事から判事補への降格など、キャリア裁判官たちが「既得権益の侵害」を主張することが予想されるが、考えてみれば、彼らは現行制度で不当な既得権益を得ていたのであって、それを維持させることについて納税者が容認するとは思えない。
 司法制度改革審議会では、弁護士制度の改革論議に入っているが、弁護士制度についても「既得権益の排除」「公正な競争」ということが改革理念として語られている。しかし、このことは裁判官任用制度についてこそ一層強く求められることである。そして、私たちが直面している現在は、このような改革を必要としている時代なのだということを、改めて認識させられるのである。


司法官僚の裁判官統制から文部官僚・財界の全法曹統制へ

ー法科大学院構想の本質と危険性ー

東京支部  小 沢 年 樹

一 一〇月二三日の団総会全体会では、議事進行をめぐる一定の混乱の末、東京の萩尾団員から法科大学院構想の危険性を指摘する発言がなされた。しかし、一一月一日の日弁連総会では、年間三〇〇〇人法曹人口増員論の是非のみが実質的争点とされ、法科大学院の問題性をめぐる論争は未着手のまま、討論打切り・決議採択が強行された。私は、青法協を中心に修習生支援・民主的法曹養成の課題に微力ながら取り組んできた一人として、文部省主導の法科大学院構想に深い憂慮の念を覚える。以下、限られた字数だが、その理由を述べる。

二 体制順応・無批判的法曹を育成する「プロセス重視」
 法科大学院の教育システムとしての特徴は、学部段階の成績・課外活動・さらに学外の社会活動に至るあらゆる要素が法科大学院入試の判定材料となる「プロセス重視」の思想である。これは、受験競争緩和の美名のもと、教員による学生管理を容易にし、学生の絶大な萎縮効果をもたらしていると批判されている中学・高校の「内申書重視」と同一の発想に立つ。客観的基準による「一発試験」である現行司法試験からの根本的転換である。さらに、法科大学院では実務家(裁判官・検察官・行政官僚・ビジネスロイヤー・企業人)による日常的「指導」を受け、一定の水準に達しなければその後の履修を認められない制度のもとで、実務の現状について批判的視座をもち、国家権力や巨大企業に対峙して民衆の権利を擁護する立場の学生が育つ余地はきわめて少ない。現在の司法研修所における任官・任検希望者に対する管理統制が、法科大学院では弁護士志望者を含む全ての法曹予備軍に対して飛躍的に拡大強化されるのである。

三 法科大学院推進論者からは、「人権活動に熱心な弁護士が教員となれば、現行制度より人権派弁護士は養成できる」と反論されよう。三つの疑問を呈示したい。@官僚やビジネスロイヤー教員は、「出向」扱いで従前の待遇が保障されるだろう。だが、「人権派弁護士」教員の収入は誰が保障するのか?学生の高学費か、文部省のひもつき補助金か、あるいは弁護士会が巨額出費するのか?A認可取消権限すら有する文部省主導の「第三者評価機関」の監視下で、「人権派弁護士」の自由な教育は保障されるのか?Bそもそも、人権感覚とは教員が学生に「教える」ものなのか?多くの団員は、自主的で自由なサークル・自治会・青法協活動等の中で、人権感覚や批判的視座を培ってきた自分史を想起できるであろう。教科としての「人権科目試験」に優秀点をとる学生が、ただちに「人権派弁護士」に成長するものだろうか?

四 さらに法科大学院構想には、教育の機会均等や大学自治の破壊など、戦後大学政策をめぐるたたかいの焦点となった大問題がいくつも含まれている。にもかかわらず、自由法曹団を含む良心的弁護士層の中で、これらの論点が真剣に論議された機会はこれまで皆無に等しい。それは、「司法制度改革」という限定された問題枠組みの中で、自らの経済的基盤を揺るがす「弁護士大幅増員」の攻勢をかけられ動揺した弁護士集団が、「法曹人口増員手段としてのロースクール」の側面のみに目を奪われた結果であると評さざるを得ない。支配層からすれば、実は弁護士大幅増員よりも文部省統制下のロースクール実現こそが、日本の弁護士変質攻撃の決定打だったのではないか。今こそ、法曹人口大幅増員に関する意見の相違を超えて、すべての団員が法科大学院構想に内在する重大な問題性を認識し、議論することを切望する。


いかなる見地から「法科大学院構想」を論ずるか

東京支部  中 西 一 裕

 木を見て森を見ない類の議論は避けたい。なぜ多数の大学がなだれを打ったようにロースクール構想を推進したのか。「少子化時代の大学生き残り策」というとらえ方ではあまりに矮小かつ一面的であり、それこそ大学人を侮辱するものではないか。
 問題の出発点は、1)資格試験の建前とほど遠い司法試験のために多数の学生が予備校に通い大学の授業を受けない、2)そのために法曹養成に大学の専門研究が反映されず時代のニーズにこたえられない、というものであり、さらに、弁護士側の議論として、3)官僚司法維持を目的とし過労死を出すまで管理統制の進んだ現行司法修習制度を廃止または変革し法曹養成の重心を大学に移す、というものも加えてよい。
 こうした問題提起に答えず、枝葉の各論的批判をするだけでは、大学人の共感を得られないだろうし、官僚司法変革の展望も全く示されない。現に、ロースクール構想にもっとも消極的で現行修習体制維持に汲々としているのは最高裁にほかならない。研修所弁護教官らの反対声明など、最高裁と反対派の奇妙な共闘関係は、全く見苦しい。
 指摘されている様々な問題点は、新しい制度はすべて諸階級、階層、集団の利益の対立と妥協の産物という面を持ち、現在の保守政治の下で完全に満足なものは実現できないということであろう。しかし、基本方向が官僚司法の変革と国民のための司法制度をめざすものであるならば、建設的な観点でねばり強い批判をし、よりよい制度を実現すべきである。全否定の議論は、結果的には全肯定を帰結するだけであろう。政府・財界が主導しているから反対というのは、およそ革命が起きない限り司法改革などできないというに等しく、変革を求める者のとるべき態度ではない。
 私は、現在の画一的な法曹養成よりは各法科大学院ごとに多様性がある方が、選択の自由と相互の刺激と競争という点でよほどよいと思う(たとえば東大が官志向、早稲田が在野志向、○○は刑事に強い等々のカラーがあってもよい)。予算措置などでの差別は批判されるべきだが、格差批判を強調しすぎるのは角を矯めて牛を殺す結果となる。
 また、法科大学院が法曹資格に直結するものである以上、何らかの評価機関は必要であろう。それが大学自治を侵害しないように配慮すればよいことである。
 学生の管理統制については、任官の選別をテコとした研修所の管理統制と本来自由と自治の大原則と歴史のある大学における管理とは同列に論じられまい。もとより、成績不良で単位取得できない者が落第するのは当然のことである。問題は教科内容の当否であろう。
 現在の開かれた司法試験に比べ、法科大学院になると法曹への機会が狭くなるという批判も疑問である。高額の予備校授業料を支払い、多年受験を強いられ、結局受験秀才しか受からないいびつな司法試験よりも、各人の個性にあった法科大学院を選択でき、三年の間に自己の適性を判断できるシステムのほうが、本当に法曹になりたい者にとってはよいのではないか。
 「統一試験・統一修習」イデオロギーとギルド的弁護士観に凝り固まった議論から一度離れ、自由な観点で問題を見るべきだ。青法協の研修所告発意見書などは、まさに袋小路に閉塞している現状を示しているはずだ。


司法シンポ「陪審席への招待状」にご参加を!

東京支部  伊 藤 和 子

 来る一一月一八日午後、日弁連第一八回司法シンポジウムの二日目の企画として、「市民フェスティバル 陪審席への招待状」が開催されます(詳細は後記のとおり)。これは、日比谷公会堂(収容二〇〇〇人)に多くの市民に集ってもらい、ともに陪審制を考え、参加者に陪審裁判を「体験」してもらう市民集会です。
集会では、まず模擬陪審劇として、被告人が無罪を主張する殺人被告事件「失恋サンタの殺人事件」を上演します。そのうえで、有罪・無罪を市民から募集した陪審員(一般参加の一二名と高校生一二名の二つの陪審員団)に評議をしてもらい、参加者にも考えてもらいます。
陪審劇の後は、ゲストの料理研究家の小林カツ代さん、作曲家の三枝成彰さん、アナウンサーの田代尚子さん、司会の木村晋介弁護士の参加による模擬「評議」を開催します。さらに、国民の司法参加について、キャスターの筑紫哲也氏による講演をしていただくことになっています。
 この企画はインターネットでも同時中継され、ネットによる参加・投票も実施します(http://www.baisansin.com)
 参加者全員が楽しめる、充実した集会となるよう、現在鋭意準備が進められています。
今、司法改革は正念場を迎えています。九月二六日の司法制度改革審議会は国民の司法参加についての審議の結果、「訴訟手続への(国民の)参加については、陪審・参審制度にも見られるように、広く一般の国民が、裁判官とともに責任を分担しつつ協働し、訴訟手続において裁判内容の決定に主体的・実質的に関与していくことは、司法をより身近で開かれたものとし、裁判内容に社会常識を反映させて、司法に対する信頼を確保するなどの見地からも必要であると考える」という取りまとめを行いました。国民の司法参加・陪審制導入への道が開けつつあります。しかし、これを形だけの市民参加に終わらせず、抜本的な制度改革に結実させるには、今後の国民的な運動の展開が必要です。
その点で、今回日比谷公会堂で行われる司法シンポは是非成功させたいと思っています。是非、多くの市民をお誘い合わせのうえ、ご参加下さい。
なお、会場の日比谷公会堂の収容人数二〇〇〇人というのはかなりの数ですので、席にはまだまだ余裕があるようです。当日は、各マスコミの取材・報道もあり、是非会場をいっぱいにして成功させ、市民の力を示したいと思います。
多くの団員・市民が参加されるようよろしくお願いします。

                    記

    日時    一一月一八日(土)午後一時〜五時
    場所    日比谷公会堂
    内容   模擬陪審裁判「失恋サンタの殺人事件」
            パネリストによる評議  
            パネリスト  小林カツ代氏、三枝成彰氏、田代尚子氏
            講演  筑紫哲也氏                                

書評

毛利団員著「弁護士が語る子育てキーワード」を勧める

静岡支部  萩 原 繁 之

 団の中国訪問団の一員として、南京大虐殺の跡、文字通り死屍累々たる場所に立ちながら、「人を殺す経験がしてみたかった」と供述したいう優等生など一七歳少年たちのことを思い起こし、石原慎太郎の差別発言を支持する世論などにも思いをはせるにつけ「南京大虐殺のまぼろし」を言うどころか「南京大虐殺、またやろうぜ」という風潮が生じることを危惧しなければならないのではないか、というおぞましい想念を禁じ得なかった。
 このような私の想念が、単なる妄想、杞憂に終わることを切望するが、富山団総会で東京支部の島田修一団員が「民衆の欲求不満が排外主義的民族主義に結びついて、その解消へと向かうことを警戒しなければならない」旨を発言されるのを聞くと、我が意を得たり、との思いとともに、おぞましい想念が再びわき上がる。
 こうした中、毛利団員の表記著書は、私にとっての心配を解決する、正しい現状認識と処方箋を示すものと思われる。
 「子育て」は、子を持つ親にとってはもちろん、私のように、たまたま子を持たない者にとっても、将来・未来の社会をどう築くか、その担い手をどう育てるかという、重大問題である。日本人の中に、間違っても「南京大虐殺、またやろうぜ」などという輩を生まないために、平和で民主的な社会を築くために、等しく関心を持たなければならないことだ。
 こうした問題意識の下に読み進むに、毛利団員の本は、子どもたちを取り巻く環境の中で、現実の暴力や、命の大切さを実感できないこと、さらにバーチャルリアリティーの問題の中でのテレビや漫画などとともに、テレビゲームのもたらす悪影響の大きさを、政府調査研究などの資料も踏まえながら正しく認識、指摘されている点で、まさに我が意を得たりという感が強い。子どもたちが(おとなたちも)今、熱狂しながらプレイしているロールプレイングゲームなどの中には、次々に登場するモンスターなどの敵を、様々な道具や身につける魔術などで「やっつける」ことの反復練習になっているものが数多い。成長期にある子どもたちにとっては、言ってみれば、算数の計算ドリルや漢字の練習の代わりに、繰り返し繰り返し、「敵をやっつけるドリル」「暴力ドリル」を行い、それによって自己が成長したり宝物を獲得したりする喜びを得る。凶暴さ、暴力的な情操の訓練教育には、またとない教材になっているのではないか。テレビゲームの少年犯罪への精神的影響については、古くは開成中学生徒の両親、祖母殺害事件の頃から指摘されているし、今年相次いだ一七歳の犯罪に際しても、「ファミコン」発売の年に生まれた子どもたちだ、とか、特定のゲームに「はまって」いた、との指摘などもある。
 現実の暴力とともにこうしたバーチャルリアリティーの中の暴力にも目を向け、これらを含めて暴力をなくすことを提唱されていることは、誠に正しい指摘・提唱だし、こういう声を大きくしていく必要があると思う。こういうことなしに少年への重罰化へと短絡していく政府・与党の発想の貧困へも厳しい批判が必要だ。
この著書で毛利団員は、少年犯罪の防止、暴力否定の精神を、憲法九条の非暴力、平和主義の思想とも結合し、それを血肉化しようという問題意識を示されている。地域で平和運動、民主主義運動に先頭に立って取り組んでこられた団員弁護士ならではの発想と思う。この著書は、多くの団員が読まれ、認識をともにすることが有益な一冊だろう。


沖縄・憲法問題対策本部会議のご案内

沖縄・改憲特別対策本部事務局長
吉 田 健 一

 一〇月末に、「船舶検査法」案が国会に提出されました。団通信や総会での井上団員の発言に見られるように、新ガイドラインを実施の段階に高める上で極めて重要な法案と思われます。
 今国会では、衆議院憲法調査会の議論で何人かの参考人の意見を聞きながら、「この国のかたち」論などを軸に、改憲の動きを促進しようとしてきております。
 対策本部では、引き続き憲法調査会の議論の検討を行うとともに、「船舶検査法」案の問題点の分析、今後の改憲阻止の取り組みについて討議していきたいと考えております。
 次のとおり対策本部会議を予定しておりますので、ぜひご参加をお願いします。

【次回対策本部】
 [日時] 一二月五日(火) 午後六時三〇分〜八時三〇分
 [場所] 団本部会議室
【次次回対策本部】
 [日時] 一二月二二日(金) 午前一一時〜午後一時
 [場所] 団本部会議室