<<目次へ 団通信1028号(08月01日)

  高橋  融 劉連仁判決の特徴と私たちの課題
  橋本 紀徳 追悼 兵頭進団員 後に続く者があるー我が友兵頭進のこと
島田  広 韓国訪問報告
  《書評》
永尾 廣久 安倍晴彦著 『犬になれなかった裁判官』を読んで
阿部 芳郎 自由法曹団創立記念日の周辺H
黒澤 計男 『くらしの法律相談ハンドブック』 改訂版刊行迫る

劉連仁判決の特徴と私たちの課題

東京支部  高 橋  融

1 はじめに

 七月一二日、東京地裁民事一四部(西岡幸一郎裁判長)は、劉連仁事件につき、強制連行・強制労働事件で初めて国の責任を認め、二〇〇〇万円の請求全額認容する判決を言い渡した。この判決の持つ意義は、直後に発表された弁護団声明のとおりであるが、今後も引き続き検討して行かねばならない多くの点を含んでいる。さまざまな戦争犯罪による中国人の被害に取組んで来た私たち弁護団が、この分野で初めて、国の責任を認める判決を、しかも東京地裁で、勝ち取ったことを喜びつつ、現在この判決に対する国の控訴を、直ちに断念させる闘いに取組んでいる状況を、とりあえず報告したい。

2 判決の簡単な評価

 この判決の最大の到達点は、強制連行・強制労働の全過程を、公文書である「外務省報告書」と石炭鉱山業の明治鉱業株式会社(既に清算済み)作成の「事業場報告書」などを用いて客観的に認定し、その中で原告劉連仁の被害を克明に認定したことである。この認定は、これら証拠に対し批判的で手堅いばかりか、被告国が除斥期間の適用を主張して、事実について全く認否も主張も行わなかったために、今後覆すことは極めて困難で、鉄壁のようなものになっている。
 これまで、戦争犯罪についての全ての裁判における被告国の基本的訴訟戦略は、除斥期間の適用と、国家無答責を主張し、原告側の請求自体失当を強く打ち出し、事実認定を行わせないことであった。戦争犯罪をあからさまに否定することをせずに、法律論レベルで請求棄却を求める作戦は、今ごろ何故訴訟かと言う風潮と裁判所の協力を得て、これまでは成功してきたといえる。花岡事件一審判決、中国人慰安婦第一陣判決(平一三・五・三〇)はこの結果であった。そして、私たちにとってこれは高く固い壁であり、これをどう乗り越えるかが、最大の課題であったといってよい。劉連仁事件では、これを戦後救済の努力をしなかった事実をフルに利用して、ようやく乗り越えることができた。
 そしてこの事実認定させたことが、次の除斥期間の適用制限論を大きく進めることに繋がり、これが更に今後の企業責任追及の可能性を大きく開いたと言えよう。
 この判決の未到達点もまた明らかである。主要な争点である戦前の強制連行・強制労働そのものについては明確に責任を否定しているのであり、これが私たちの今後の課題である。しかし、この点は判決の主文に関わりを何ら持たない傍論であるばかりか、この判決を通して、更に高く登るための次の手がかりと道筋が、次第に明らかになりつつあるとも言える。この勝利の意義は大きい。

3 控訴を許さず確定させる闘い

 今、私たちは当面の闘いの重点を、この判決に対する国の控訴を許さない点に置いて、全力で取組んでいる。
 この闘いに勝ち抜き、判決を確定させることによって開かれる展望は、広大である。
 まず、認定された歴史的な事実が確定する効果がある。これは、この事件に続く訴訟上も役立つのはもちろんだが、それ以上に現在の靖国公式参拝や、「つくる会」による歴史教科書検定などの反動に対して、国の加害の事実を裁判所が認定したものとして、社会的に定着することの意義は巨大であり、当面私たちに可能な最大の貢献となろう。
 また、これを確定させることができれば、戦後補償闘争全体に対し、新たな地平を切り開くことになろう。私たちが現在提起している政府と企業の出資による被害回復のための基金など解決のための政策転換させる展望が、現実に可能なものとして開かれる。
 考えてみると、この判決については、国にとって控訴理由はない。まず、事実関係を争うことは許されない。今まで、裁判所から釈明を求められながら、主張立証を全く行わなかったから、明らかに時期に遅れているのである。
 また、除斥期間論も控訴理由にならない。判決の、事実関係から見て適用を制限しないと「正義と公平に反する」との認定に対し、この事実関係が、正義と公平に反しないとは到底言えないからだ。除斥期間論を理由とする控訴は、正義と公平に反する主張になるとい言い切ることさえできる。私たちは、この点でも確信を持って、劉連仁さんの長男劉煥新さんともに内閣、外務、厚生労働、法務の各省、各党に対し、申入れと折衝を行っている。

4 おわりに

 この事件と関連して、今闘われている中国人の戦争犯罪による被害回復の闘いは、多くの団内外の弁護士が参加し、更に中国やアメリカの弁護士の協力も得て進められているのも重要である。この判決はこれら多くの弁護団に結集した弁護士、そしてそれよりも国境を超えた多くの民衆による運動の成果である。これらの全ての仲間に、ともに慶びと感謝そして今後の闘いの誓いを申上げたい。
 そして、今想いが残るのが、判決直前に、ともに議論し、研究し、戦った兵頭先生を失ったことである。先生がおられたら必ず、一緒に法廷に出て、一緒にこの判決を聞き、どんなに喜びあったことだろうと思う。
 深い哀悼の念を懐きつつ、この判決を先生に捧げる。
以上

追記
 尚、七月二三日、国は不当にも控訴した。


追悼 兵頭進団員

後に続く者があるー我が友兵頭進のこと

東京支部  橋 本 紀 徳

 二〇〇〇年一一月、兵頭進(一五期)は、日本医科大学第二附属病院に入院した。食道癌の診断であったが、本人は「癌に勝つ」という不退転の決意をもって入院した。
 それから、わずか半年後の二〇〇一年六月二五日、彼の訃報を知った。六八歳だった。
 誰ひとり、これほど早く別れを告げられるとは思っていなかった。本人ですら、予期しない別れであったろう。
 彼と私は司法研修所以来の付き合いである。弁護士へのみちをすすんで、彼は一人で事務所を経営し、私は東京合同に入り、活動のスタイルはすこし違ったが、共に志を同じくした。
 東弁の綱紀委員会に一二年、日弁連の人権擁護委員会に三年在籍するなど、彼は東弁や日弁連を中心に活動をした。
彼の心底を支配したのは誰にも負けない強い正義感であった。彼は語ったことがある。
 「自分より貧しい人がいる。そのような貧しい人々と共に斗っていきたい。そのような人々を苦しめてきたのは天皇制である。」一九八〇年、彼は、東京弁護士会創立一〇〇周年記念に、一部会員からでた天皇を招待しょうとする動きに激しく抗議した。彼の少年時代の原体験は天皇制と軍国主義だったのである。
 その年の五月、彼は、中西克夫さんや宮川光治さんと「ヘーゲルの論理学に学ぶ会」を旗揚げした。以来、入院まで、彼が中心となり二〇〇回余の読書会を重ねた。ヘーゲル「小論理学」をはじめ内外の名著が読まれた。弁護士業務と弁護士会活動の合間をぬって、これは希有のことであろう。この読書会を通じて天皇制の根底をなす日本近代の政治経済の構造がとらえられた。彼の正義感はこのような深い哲学的、思想的思索に裏付けられていたのである。
 彼の最後となった仕事は、七三一事件、南京大虐殺事件、第一次、第二次毒ガス事件を含む中国人戦争被害者損害賠償事件であり、ハンセン病訴訟であり、横浜事件である。業なかばで倒れ、さぞかし無念のことであろう。
 後に続く者のあることを告げ、彼への追悼の言葉とする。
 兵頭君、安らかに眠り給え。


韓国訪問報告

北陸(福井県)支部  島 田  広

1 はじめに

 参与連帯、ちょっと聞くと何をやっている組織か分かりにくいところがありますが、韓国では「参加」のことを「参与」というので、参与連帯とは市民参加型の政治・社会を目指す連帯組織ということになるかと思います(ちなみに英語の標記はPeople's Solidarity for Participatory Democracy)。「行政権力、司法権力、市場権力、言論権力など全ての権力は、ガラス張り状態で監視しない限り、いつでも腐敗し、自らを絶対化し、堕落する。ここに、参与連帯のような総合的権力監視運動の存在意義がある。」というチョ・ヒヨン執行委員長の言葉がこの団体の理念をよく表しています。
 一言で言えば様々な政治、経済の分野でのオンブズマン活動をしている市民団体ということになるのですが、以下に見るようにその活動内容は多彩で、かつ非常に戦略的に運動が構築されており、韓国における市民運動の総合センターともいえる組織です。

2 組織の歴史と概要

 参与連帯の設立は一九九四年九月。八〇年代後半の民主化と市民運動の勃興という新たな情勢を背景として、従来反独裁民主化闘争を担ってきた革新的、戦闘的民衆運動と、穏健路線を標榜し「非」ないし「反」民衆運動的態度をとる市民運動の対立という構図を克服し、進歩的市民運動の運動体を構築するという問題意識から結成された組織です。
 現在の会員は一万三三九四人、今年末までに二万人を目指して会員拡大に取り組んでいるとのことでした。メンバーの中心は八〇年代に学生運動を経験した世代で、平均年齢は三五歳です。事務局には常勤の弁護士が三人おり、活動の中で弁護士が重要な役割を担っていますが、学者グループも参加しており、執行委員長のチョさんも聖公会大学の教授です。こうした多様な幹部構成に加え、五〇人のスタッフを抱える充実した事務局体制、三〇〇人のボランティア活動家が、創造的でスケールの大きな市民運動を可能にする土台となっています。
 活動の内容は、国会議員や裁判官、検察官に対する監視活動、政府の財閥政策を変え、経済民主化を求める運動、社会福祉政策の充実を求める運動、携帯電話の利用料の引き下げ運動など多岐にわたり、分野ごとに委員会を設けて活動を行っています。

3 落選運動

 参与連帯を韓国で一躍有名にしたのが国会議員に対する落選運動です。二〇〇〇年春の国会議員の選挙で四〇〇余りの市民団体が協力しあい、賄賂をもらうなど腐敗した国会議員、かつての独裁政治への協力者や、民主的改革に積極的でない議員など、「落選させる」議員を選んで、政党の公認から外させる運動や、各選挙区で議員落選のためのキャンペーンを行ったのです。この運動により、選挙では、落選対象になった候補者のうち四七パーセントが公認落ちし、落選運動が行われた八六の選挙区のうち五九人が落選したと言われています。
 説明にあたった担当者は、この運動はすぐにできたものではなく、過去数年にわたる市民運動の成果であると強調していました。事務局には国会議員のデータファイルがそろえられており、数百冊に及ぶ分厚いファイルがまさに地道な活動の蓄積を物語っていました。

4 少額株主運動

 そのほか、参与連帯は少額株主運動でも有名です。少額株主の議決権を代理行使する方法による運動で、銀行や大手電機メーカー、電話会社を始め、最近では五大財閥傘下の主要企業全体に監視対象を広げています。大学教授、弁護士、会計士、実務スタッフなどを結集したチームによる企業分析を進めているのが特徴です。

5 税金の徴収と使途に関する市民のチェック

 オンブズマンというと、日本では税金の使途についての活動が主ですが、参与連帯では脱税の告発にも力を入れています。日本でも有名な「サムソン」の経営陣の脱税事件では、企業監視活動などにより得た情報を分析して六〇〇億ウォン(約六〇億円)の脱税を摘発した実績もあるとのことでした。

6 立法運動の重視

 参与連帯では、立法運動を運動の重要な柱と位置づけており、。法案の策定、マスコミとの共同キャンペーン、主婦、退職者などで構成された「市民ロビー団」によるロビー活動など、多彩な運動を展開しています。「国民基礎生活保障法」、「腐敗防止法」など実際の立法に結びついたものもありますし、現在も、集団訴訟法、納税者訴訟法、商店街賃貸借保護法などの立法運動に取り組んでいます。
 市民運動がこのような旺盛な立法運動を行う背景には、韓国には市民の要求を吸い上げる政党の勢力が弱いということがあるようですが、そのことがかえって市民運動としての参加連帯の活動に豊かな創造性をもたらす結果ともなっているようです。

7 インターネットの活用

 参与連帯では、あらゆる運動において、インターネットの活用が重視されています。単なる広報としてではなく、新しい市民運動の媒体として重視しているのです。参与連帯の活動分野のそれぞれについて、キャンペーンサイトと呼ばれるホームページを通じて、直接市民に運動への参加を呼びかけています。
 具体的な例として、インターネットを使っていろいろな課題で市民一人一人に国会前でデモを行うことを呼びかけ、参加した一人一人の写真や名前などをインターネットで紹介して行くという運動が紹介されました。サムソン関連の脱税の摘発ではこの運動が威力を発揮し、デモの輪がひろがって、当初全くこの問題を無視していたマスコミも取り上げざるを得なくなったとのことでした。
 また落選運動の際にはサイトに一〇〇万人以上のアクセスがあったといいますから、ここでもインターネットが世論形成の重要な武器となったと言えます。
 実際に、参与連帯のホームページ(http://www.peoplepower21.org)をプロジェクターを使って見せてもらいました。たくさんのキャンペーンサイトがあり、インターネット上での署名活動など盛りだくさんの内容でした。
 また、運動の情報だけでなく、参与連帯の財務内容などの情報も、個々のスタッフの給料に至るまでインターネットで公開されていました。
 現在は全部英語かハングルですが、将来は日本語への翻訳も予定されているとか。楽しみです。

8 訪問を終えて

 訪問に参加して、韓国社会の民主的な発展のために、様々な社会問題を戦略的に取り上げ、学者、弁護士、様々な分野の専門家と市民を組織した運動を提起し続ける参与連帯という組織のパワーに強く打たれました。それは激しい民主化闘争を経験したばかりの韓国社会の持つパワーに通ずるものなのでしょうか。日本の市民運動にとって参考にすべきことも多く、今後の交流の発展が望まれるところです。


書評 安倍晴彦著

『犬になれなかった裁判官』を読んで

福岡支部  永 尾 廣 久

ネーミングが悪い

 本を手にとって読んでみようかと思うためには、ネーミングは内容以上に重要だ。私の「売れない本」の数々も、もっと人の心を魅きつけるネーミングにしたいと思うのだが、イマジネーションの乏しい凡人にはなかなか至難のわざだ。
 私は、法曹人の書いた本は古今東西なるべく読むようにしている(ただし、専門書を除く)。しかし、この本はネーミングが悪い。いや悪すぎる。反撥すら感じさせる。私自身は愛犬家のはしくれだけど、「権力の犬」をイメージさせる言葉使いには、他人をさげすむニュアンスがある。それじゃあ、裁判所には「犬」ばっかりなのか、そんな無用の反撥を買ってしまう。私も手にとる前、おおいに心にひっかかるものがあった。
 裁判所のなかで良心を貫いてがんばっている裁判官を私は何人も知っているし、その人たちを尊敬している。普段は、むしろいやな奴だな、もっとシャキッとしろよ、と言いたくなる裁判官が、ときに偉大な光りを放つことだってある。最近のハンセン病事件、強制連行事件、筑豊じん肺訴訟など、勇気ある判決が次々に出ると、日本の裁判官もまだまだ捨てたもんじゃないな、と思う。
 まあ、そうはいっても、「犬にならなかった」という自慢話ではなく、「犬になれなかった」と、いささか自嘲気味もあるネーミングなので、手にして(もちろん買って)読みはじめた。

元セツラーは偉い

 本の内容は、まことに率直に飾り気なしに自分の心情を吐露するもので、ネーミングとは裏腹に抵抗なく、肚にすーっと落ちる明解なものだった。ネーミングにこだわったのが嘘のようだった。
 しかも、安倍晴彦元裁判官(以下、安倍さん)が、学生時代にセツルメント活動をしていた元セツラーであることを知って一気に親近感を覚えてしまった。終戦後から一九七〇年代まで盛んだった学生セツルメント活動の意義を世間に知らしめることを天命と考えて著述にいそしむ身として、安倍さんがセツラーであったことを今なお自覚して、わざわざ著書に記述していることにこたえて、頼まれなくてもこうやって書評を書こうと思いたった。
 安倍さんは戸別訪問禁止の違憲無罪判決を書いたのは、「要するに、結局は、私の憲法観、憲法に対する想いがそうさせたともいえよう」とし、「一瞬、これも学生時代のセツルメント活動の影響かな、という思いもした」とする。
 定年退官した元裁判官が、学生時代のセツルメント活動が自分の判断の原点になっていたことを明記した本というだけで、同じ元セツラーの私としては紹介に値する本だと考えてしまう。でも、こんなことを書くと、それこそ元セツラーでない人の反撥を買ってしまうので、この本で感銘を受けた内容を少し紹介したい。

違憲無罪判決の衝撃度

 裁判官が憲法違反を理由として無罪判決を下すなどということは、最近では考えたこともない。しかし、二〇年以上前に、実は違憲無罪判決が相次いだことがあった。私も、福岡地裁柳川支部(平湯真人裁判官〈今は少年事件の分野で活躍している弁護士〉)で戸別訪問禁止の無罪判決をもらって感動した覚えがある。
 安倍さんにとっても、戸別訪問の禁止を憲法違反として無罪判決を出すまでには、おおいに心が揺れ動いたようだ。安倍さんの決断を促したのは、最後の段階での法廷で思うところを陳述してもらう被告人質問のときだった。このとき、被告人が「戸別訪問を禁止したら貧乏人にほかに何ができるのか」といった言葉を聞いて、その感動に安倍さんの目がうるんだ。学生時代のセツルメント活動をしていたとき、安倍さんはきっと真実の言葉に直面して大いに心が動かされたことがあるのだと私は思った。人は若いころに人生観・世界観が変わるほど大いに感動した経験があるのとないのとで、その後の人生の歩みに決定的な違いがある。
 ところが、この違憲無罪判決は安倍さんの「不遇な裁判官」生活の原点ともなった。多くの先輩裁判官は戸別訪問の禁止が違憲だなんて、「時代遅れ」だと安倍さんを非難した。そのうち、安倍さんが話しかけるのさえ拒むような雰囲気ができあがった。「裁判所内では、用もないのに話しかけないでください」これが、憲法によって独立を保障されている裁判官の言葉だとは、とても信じたくない。
 安倍さんは、「刑事不適任」「合議不適」の烙印をおされ、三六年間の裁判官生活のなかで、裁判長を経験したことがほとんどなく、家庭裁判所勤めが長いという「不遇」な状況に置かれた。
 そして、給料面でも大いなる差別を受けている。「高給取り」の世界にいるのに、「少しくらいの差別」を受けてガタガタするな、という批判がある。しかし、安倍さんは反論する。私も、その反論に同感だ。合理的な根拠のない差別を認めるわけにはいかないというのが、法曹人としての義務だと思うからだ。
 安倍さんは三号になるのが遅れ、定年退職日に一日限りの一号になった。これはひどい扱いだ。こんなことを書くのはいじましいと言う人は他人の痛みを理解しようとしない無情の人だと私は思う。
 しかし、それでも裁判所のなかにも見る目をもつ人はいる。安倍さんが違憲無罪判決を出して四面楚歌の状況にあるとき、ときの地裁所長は安倍さんを呼びとめて「キミ、あれは名判決ですよ」と耳打ちしたという。安倍さんは、「あふれてくる涙の処置に困るほど、うれしかった」。
 この感動が安倍さんに信念を貫かせたのだと思う。
 安倍さんは、もっと良心的な裁判官を弁護士や世間の人々は励ますべきだと訴えている。やはりだれだって、自分の心血をそそいだ判決について立派だとほめられたらうれしいのだ。
 私は裁判官の実名批判をもっと大胆にすべきだと、ますます強く思った。多くの人がネーミングの悪さを乗りこえてこの本を読むことをすすめたい。【NHK出版社・一五〇〇円】


自由法曹団創立記念日の周辺H

赤旗社会部  阿 部 芳 郎

 「団の創立記念日」があと一ヶ月足らずに迫ってきた。都議会、参議院と二つの選挙が相次ぐ中、仕事上の制約もあって、「八月二〇日」の近い線まではたどり着けたものの、これと特定できるまでには至らなかった。最終的には「社会運動通信」に基づいた山崎今朝弥説に戻ってしまうからだ。有力な根拠とされている「社会運動通信」が、昭和八(一九三三)年一月発行で、一二年余を経過した後に報道されたものだが、さまざまな歴史事典・年表にある創立の日も、どうやらこれに基づいて「定説」となったものと思われる。  私が調べた資料の中で、創立に最も近い時点で、かつ当事者が書き残したものとして有力なのが、連載Dで紹介した吉田三市郎弁護士のコラムではないかと思う。同氏は脱稿した日付として、創立された年である一九二一年の九月二五日を書き記している。連載Fで「秋口には結成されていた」としたのは、これが根拠である。
 だとすると、森長英三郎氏が「九月の終わりか一〇月頃ではないか」と「新編史談裁判」で述べているのも、理由のあることと思われる。ただし、神戸の造船争議から帰京したのが「八月一五日」だから、その後、「九月二五日」までの四〇日の間に正式に結成されたと見るのが妥当だろう。
 部外者に団通信の貴重なページを割いてもらったが、まだ調べきった、といえるだけの自信はない。しかし、あちこちから、「団創立の日について、そんなことがあったとは知らなかった」と言われた。八〇周年史になにがしかの役に立つことができたかもしれない。次に迎える百周年に向けて今後、何を調べたらいいか、ささやかな手がかりだけは残せたのではないか、と思う。誰かの手で新事実が発見されることに期待したい。そのために、参考にした資料を列挙した。長期間のご愛読に感謝します。(完)

◇参考文献◇

「自由法曹団物語」(日本評論社)、「自由法曹団への招待2000」(団発行)、「自由と人権のために」(同・団報一〇六号)、「自由法曹団への招待」(同・八八年一〇月一五日)、「日本弁護士列伝」(森長英三郎著・社会思想社)、「新編史談裁判(二)」(同・日本評論社)、「山崎今朝弥」(同・紀伊國屋書店)、「布施辰治外伝 幸徳事件より松川事件まで」(布施柑治著・未来社)、「ある弁護士の生涯」(同・岩波書店)、「人々とともに」(上田誠吉著・光陽出版)、「法治國」一九二一年一〇月一日(東京法律事務所)、「社会運動通信」一九三五年一月九日、「法律新聞」一九二一年一一月一八日、「無産者新聞」一九二六年一月二日、「日本政治裁判史録」(我妻栄、林茂、辻清明、団藤重光各編集委員・第一法規)、「日本労働年鑑」(大原社会問題研究会)


『くらしの法律相談ハンドブック』
       改訂版刊行迫る

担当事務局次長  黒 澤 計 男

 一九九六年に刊行された『くらしの法律相談ハンドブック』も、その後の五年という年月の経過による法令の改定・実務の変化から、内容のアップデートの必要性が生じて居りました。此の五年間の変化は其れ以前の五年間とは比較にならないほど大きな物が有ります。刊行から五年という区切りに加え、自由法曹団の八〇周年に臨んだ時点における旬報社からの改訂の提案は、まことに時宜を得た物でした。其処で、昨年の暮れより、改訂の為の作業を開始して居りました。但し、全くの新版を作成する迄には編集委員会体制を構築できません。あくまで五年前の旧版を前提とし、可能な限りの改訂を施しながら内容をアップデートするという方針に留まって居ます。残念では有りつつも、旧版の到達点は十分に生かし切れましたから、団の力量のさらなる蓄積という成果は勝ち取れた事と思います。
 さて、七月下旬時点での進展具合ですが、概ね九割の作業が終了して居ります。出版社に入稿していない原稿もあと僅かとなりました。常幹の場での口頭報告の様に、旧版の各担当支部・委員会等から可成り順調な原稿チェックを頂きましたから、編集開始当初は不安とも武者震いともつかない複雑な想いに眠れぬ日々が続いた物の、現在では九月の刊行を夢に安らかな眠りに浸ることができます。
 新版がどの様に改訂されたかに関するデータは次回以降にお知らせ出来ると想います。此処では一言お断りを申し上げます。其れは、頂いた原稿につき、若干ですが手を加えさせて頂いた部分が有るという事です。此の事は、旧版の原稿につき改訂の必要なしというご連絡を頂いたパートに付きましても同様です。勿論、内容を大きく変更するという事ではなく、若干表現を判り易くする・引用条文の明らかな間違いを訂正する・小見出しを設ける等という、いわば技術的な部分の加工です。内容上の変更の必要性に付いては元々各支部・委員会に御検討頂いて居りますから編集委員側で手を加える事は有りませんが、右の加工は全体のバランスを構築する上で不可欠な作業ですので、ご了承頂きたいと存知ます。
 団八〇周年記念行事には誇らしく発表する事ができます。