篠原 義仁 | 暑中お見舞い申し上げます | |
千田 功平 | 税金裁判〜最高裁逆転勝訴判決〜 | |
松尾 直嗣 | 三和銀行争議は勝利解決しました | |
荒川 英幸 | 団までが「文化人アグネス」をもてはやすのか | |
萩尾 健太 | 「大学構造改革」は何をもたらすか | |
《書評》 | 鈴木 康隆 | 「豊島産業廃棄物不法投棄事件」を読んで |
今年が酷く暑いのか、やはり例年どおり暑いのか。ともあれ、暑中お見舞い申しあげます。
六月一二日に司法改革審の最終意見が提出され、団としてもこれに対抗して「国民のための司法改革を」(団見解)をとりまとめるべく七月常幹を経て、八月常幹での討議を予定しています。
さて、その内容はそちらの討議に譲るとして国民の司法参加にとって気になる動向が先行的に進んでいます。
そのひとつが、土地収用法の改悪でした。幹線道路、空港・基地、ダム建設など不要不急の公共事業について、「公害反対」「環境保全」の闘いに加え、「税金のムダ遣い」との批判、闘いが国民的世論として大いに盛りあがっています。
公害環境問題の闘いとオンブズマン活動に象徴される住民運動が合流して、ムダな公共事業の推進にストップをかけています。
公害道路の建設中止、脱ダム宣言、空港建設の見直しなど国民世論の前に新たな情勢が生まれています。
ところが、土地収用「改悪」案(三月に通常国会に提出)は、こうした情勢に逆らって、公共事業の強引な推進を図るために準備され、つい先頃、何と当初反対を表明をしていた民主党をも巻き込んで、さしたる審議もなく可決成立してしまいました。
土地収用委員会の審理を簡易・迅速化し、起業者側が一方的に手続を進め、他方、住民参加の途を狭めたこの「改悪」案が、いとも簡単に国会で成立しました。土地収用をめぐる沖縄の闘い、圏央道をはじめとする道路建設反対運動の拡がりを目の前にして、行政手続上、裁判手続上の国民参加にしぼりをかけてきた悪法が成立しました。
一方で税金のムダ遣い、公共事業の見直しを唱えながら、一方で公共事業の強引な推進を図る法律の成立に手を貸す政党に、本当に公共事業の問題につき議論をする資格があるのでしょうか。前者も後者も首尾一貫した主張をしてほしいものだし、そうした政党がもっともっと大きく国民から支持される必要があると実感しています。
私たちも国民に開かれた司法、国民参加を保証した国民のための司法改革を掲げて闘う以上、関連分野の動向をも注視して総合的な取組みを展開してゆく必要がありそうです。
さて、その二です。これは三月に国会提出されたものの、「つるし法案」となり参議院議員選挙が終わった今、九月以降にもちこされた課題、地方自治法の改悪問題です。
地方自治法二四二条は住民監査請求を、二四二条の二は住民訴訟を規定しています。オンブズマンをはじめとする住民運動団体は、この二カ条の規定を拠りどころに情報公開の取組みを加えて、三本柱の闘いを展開してきました。
今回の改悪案は、これにしばりをかけてくるものです。団員の奮闘で下関市長を相手とする損害賠償請求で、無謀な公金支出を行った首長に対し、その責任をとらせる判決が言渡されました。
改悪案は、この種事例において直接住民が首長等を相手に損害賠償の申立てをすることをできなくするもので、一歩前進した住民参加の闘いを後戻りさせようとしています。
川崎では、川崎市長を代位して住民が公序良俗違反の取引(賄賂を贈って土地払下契約を締結)について原状回復を求める裁判を提起し、一審(横浜地裁)、二審(東京高裁)で勝利し、判決を確定させました。川崎市(市長)が見逃した不正を住民自らの手で糾しました。
ところが、改悪案は、この原状回復請求裁判を条文からはずすよう求めています。裁判闘争を通じて住民が新たに築いた山を、そもそも「裁判をさせない」という改悪で封じこめようとしています。
国民の司法参加をうたった司法改革論議が進行している最中、立法で「裁判の土俵に乗せない」画策がつづいています。
このことは、私たちに立法に係わる周辺の情勢を正しく把握して、総合的に取組みを展開する必要性を示しています。
暑中お見舞いのむすびに闘う自由法曹団の名にふさわしく、夏から秋へかけての諸日程をご紹介し、その取組みを呼びかけることとします。
今、団では司法改革、憲法問題、教育改革問題を三つの柱として団員各位に全国的な取組みを呼びかけています。
司法改革の分野では、八月一八日(土)の常幹で前記団見解の最終討議を予定し、次いで、九月一五日には運動の課題を視野に入れて、全国活動者会議を開催することとしています。
憲法問題では、ブッシュ・小泉政権発足以降の新たな情勢の展開も分析して、九月二一日には憲法問題での全国活動者会議を予定しています。
教育改革問題では、これも先頃教育関連三法案が、土地収用法改悪案と同様の政党間の枠組みで成立してしまいましたが、他方、今秋にもいよいよ教育基本法の大改悪が想定されるということで、九月二三日に団内の全国活動者会議を、一〇月二〇日には団外の関係団体の協力をえて大規模な経験交流会を企画しています。
さてその先が一〇月二六日の団八〇周年記念行事と一〇月二七日の二〇〇一年団総会となります。
暑い夏は、いよいよもって暑くなりそうです。適当に休養をとって鋭気を養いながら、「秋の陣」に向けて心身ともにリフレッシュしておきたいものです。
暑さの折、ご自愛下さるよう重ねて申しあげます。
団通信に以前一審勝訴判決の際投稿した。その後二審敗訴となり、原告が上告し、口頭弁論が開かれ、本年七月一三日、最高裁が原判決を破棄自判した。
花泉中央りんご生産組合一関班の組合員である原告(六九歳、男性)が一関税務署を訴え、原告が組合から得てきた日当が給与所得か事業所得かで争われていたもので、最高裁が原告主張どおり給与所得と判断したものである。
国税庁はこれまで通達をもって民法上の組合から組合員が受取る金員はすべて事業所得として課税するとしてきた。
今回の最高裁判決は「当該支払いの原因となった法律関係についての組合及び組合員の意思ないし認識、当該労務の提供や支払いの具体的態様を考察して客観的・実質的に判断すべきもの」として、通達のように一律に課税すべきでないとした。
最高裁は、一審が認定した、組合員である原告が、一般作業員と同様、管理者の指揮命令に服し給与を得てきたことをすなおに認め、その事実関係の中で給与所得としたもので、誰もが納得できるものであった。
これに比べて、二審判決は通達を正当化する余り、一審の事実認定を無視し、「屁理屈の法律論」をこねまわし、弁論一回結審で敗訴させた。不当な税務行政を追認する判決であった。
本件は知り合いの税理士が当法律事務所に持ち込んだもので、不当と感じて異議申立をしてきた熱意と正義感に感動したものだ。
請けた私としては一審で丁寧に事実関係を主張・立証した。この力が結局は最高裁を動かしたと思う。
上告申立後、最高裁の結論を待っていたが、半年過ぎたころからもしかしたら勝てるのではないかと思い始めた。上告申立後一年半にして口頭弁論を開く旨通知があった。
最高裁第二小法廷で口頭弁論があったが、勝訴を確信していたので一〇分間の意見陳述もゆったりとした気持ちで行った。
弁護士生活三〇年で始めての最高裁での弁論で、しかも、逆転勝訴判決ということで久しぶりにスカッとした気分である。
税金裁判の原告勝訴率が平成一一年度で三・三%ということでも貴重な判決となった(国税速報第五二九七号四頁)。
今回の判決の確定で取消される所得は平成三年から平成五年までの三年分の給与所得控除分の一九六万三八七五円で、取消される税額は三年分で三四万円である。広く全国に存在する民法上の組合の同じような事案で、事業所得として一律に課税されてきたのに対し、比較的税額が少ないということで泣く泣く納税してきたというのが実態ではなかったかと思うし、各地で点検の必要がある。
さらに、内職者などの所得に対し事業所得として課税されている場合において指揮命令に服して労務を提供している実態がある時には、給与所得として給与所得控除を認めさせるべきではないかとの展望も出て来た。この事件を担当して、具体的事実を押し出して闘う重要性、税金裁判での税理士との協力・共同の大切さを改めて感じた次第である。
今年の一月一六日、一二年間にわたる「三和銀行争議」は勝利和解により、全面解決した。
三和銀行に働く仲間たちは、他の金融職場の人たちと連帯して、この四〇年余り安心して働ける職場を願って闘い続けてきた。
労使協調の組合執行部批判派として、代議員選挙への立候補活動や様々な合理化反対闘争、頚腕職業病闘争、男女差別賃金是正闘争、コース別人事制度反対要請、サービス残業是正闘争等々である。
そして、今回の原告一九名は、一九八九年には賃金昇格差別の是正を求める運動も開始し、その一環として、一九九二年七月には「トップ銀行のわれら闇犯罪を照らす」という出版物に、職場での自らの経験を語る手記を寄稿した。
ところが、銀行は翌年二月、本件出版物が銀行を誹謗中傷し信用を失墜させるものだとして、一九名全員を戒告処分としたため、同年七月七日大阪地裁に本件処分の無効確認と慰謝料の支払いを求めて提訴した。
そして、一九九四年一月には、同じく一九名が大阪地労委に対して、賃金・昇格差別は「潮流間差別」であり不当労働行為であるので、その是正を求める旨の申立をした。
裁判の方は、昨年四月一七日、懲戒処分は無効との勝利判決が出された。この判決は、使用者に対する労働者の批判の自由を大きく認めた画期的なものであり、関電ビラ事件最高裁判決の射程距離を大きく制限するものであった。又、この判決は賃金差別についても、原告らが差別と考えるのには相当の理由がある等、相当踏み込んだ認定もした。
この判決は、原告らやその支援者に、大きな喜びと自らの闘いに対する確信をもたらした。
この判決をひとつの梃子として、原告らは再び大きな運動を展開するとともに、銀行との交渉も開始し、今回の全面解決を勝ち取ったのである。
和解内容は、@最高三ランクアップの昇格是正や、女性一名を含む六名が管理職へ昇格する等の是正、A戒告処分の撤回、B解決金の支払い等である。
人間らしい職場を求めて声を上げた銀行員たちは、大銀行に対する社会的批判や全国的な支援の力を得て、見事な勝利を勝ち取ったのである。
七月一日付通信に掲載された足立憲法の集いに関する記事を読んで複雑な思いにとらわれた。頑張って運動している人々に水をさすのは嫌だったので、黙っておこうと思っていたが、他でも足立に追随してアグネスを呼ぼうとする動きがあるようなのでー本稿を書くことが自分にとってはマイナスしかもたらさないことを承知の上でーあえて意見を述べる次第である。
自分は、最初は「歌姫アグネス」の一ファンとして、途中からは強い社会学的関心をもって、二十数年以上にわたりアグネスウオッチングをしてきた。その自分は、いわゆる民主勢力が「文化人アグネス」を講師として呼ぶことは正しくないし、愚かな歴史を再現するだけであると言いたい。ここで絶対に誤解してほしくないのは、自分はアグネス個人の主観的意図や資質を云々しているのではなく、日本社会において「アグネス・チャン」という存在が持つ意味について述べているのである。
端的に言って、日の丸・君が代の押しつけや教職員の権利侵害など、憲法を踏みにじってはばからない教育委員会の広報誌に、アグネスのボランティア活動などを賛美する記事が重ねて掲載されているのはなぜなのか。それは、アグネスの言動が、一見、憲法の理念を体現するかのように見えながら、実際には彼らにとって何ら脅威とならないばかりか、全体の戦略上は有効に利用できるからに他ならない。そして、このことは「子連れ出勤」に伴う「アグネス論争」の全経過を通じて、歴史的にも証明済みであると考える。
なぜ、日本社会の官僚、マスコミ、大学、参議院などは、アグネスを「働く女性のオピニオンリーダーか何かのように美化し、祭り上げ」、国会の参考人として呼ぶまでしたのか。優れた社会学者である吉澤夏子(日本女子大学)は、論文「ベビーフェースとヒール」において、「『子どもと母親の幸せな図』を描き続けるアグネス・チャン母子の存在は、それだけで男社会にとって利用可能なもの、有益なもの」であり、「現代社会がその根底においては、男社会の構造を維持・強化しようとする『力』に支えられながら、表面的には『フェミニストたること』を装うべく仕向けられている」結果、「アグネス・チャンの言動に好意的な態度を示すことによって、フェミニストの『装い』を保つことができ、同時に深層では『母性イデオロギー』の強化を遂行できる」からであると分析している。そして、多くのフェミニストがアグネス擁護に動いたことは、とにかく女性にとって何が得かという短期決戦的戦略であったが、それは「いかにも楽観的で見当外れ」だったのであり、アグネスの言動は「男社会の歪みにまるまる乗っかったもの、それを強化こそすれ、けっして問題化することのない無害なものだった」のだと。かかるフェミニストたちは、あの栗本慎一郎にまで「林真理子が提起したのは…男社会の中で女の自立は、どれだけ男に女を売らずにできるかどうかということのはず」と批判されたのである。
今、改憲側のみならず、それに反対する側も同じようにアグネスを賛美するのであれば、それは「アグネス論争」をめぐる全状況のどのような総括に立った上なのかを知りたい。また、アグネスは、あれ以後どのように変わり、改憲を推し進めようとする権力構造のどの部分と対峙しているというのだろうか。団が「文化人アグネス」をもてはやすことによって、まともなフェミニストからは愛想をつかされ、反動側のインテリ達からも笑われるという事態だけはごめんこうむりたい。
先の記事では「アグネス・チャンさんのメッセージは平易で明快だ。自由と愛と平和と夢。」とされている。しかし、吉澤はすでに前掲論文で「日本には『女子ども』というカテゴリーがある。…愛や平和や正義がもし『女子ども』の口から語られたなら、それは無条件に立派だと評価される。それを本気で批判する大人は、大人気ないと失笑をかうだけである」と先見的に分析している。また、「夢」についていえば、九九年に旬報社から出版されたアグネスの「みんな未来に生きるひと」の「夢」の章には「立派な専業主婦になるためには、たくさんのやりたくないこともやらなければいけません。食べさせてもらう代りの、自己犠牲はつきものです。夫の機嫌もうかがうし、子どもの面倒をちゃんと見られるのも当たり前のことです」とのDV男達が泣いて喜びそうな「平易で明快な」記載がある。
アグネスは昨年の全国コンサートの初日公演(大阪)でも、歌の合間にアフリカの子どもたちの悲惨を語り舞台で涙を流している。観客の約七割の女性達は、「やっぱりアグネスの話は体験にもとづくから深いわね」などと言って満足気に帰っていく。その表情は、カルチャーセンターの帰りと同じである。だから言おう。その程度の話が聞きたいのなら、わざわざ呼ぶ必要などない。アグネスのコンサートに行くか、権力側(改憲側)のメディアを利用すればよいのである。
本年六月、文部科学省は「大学構造改革」という名の大学の大リストラを提唱した。その内容は以下の通りである。
1 国立大学の再編・統合を大胆に進める。
○教員養成系大学の縮小再編・単科大学の他大学との統合
○県域を超えた大学・学部間の再編・統合
○国立大学の数の大幅な解消を目指す
以上のスクラップアンドビルドで大学を活性化する。
2 国立大学に民間的発想の経営手法を導入する。
○大学役員や経営組織に外部の専門家を登用
○経営責任の明確化により機動的に大学を運営
○能力主義・業績主義に立った新しい人事システムを導入
○国立大学の機能の一部を分離・独立(付属学校、ビジネススクール等から対象を検討)
以上により、新しい「国立大学法人」に早期移行する。
3 大学に第三者評価による競争原理を導入する。
○専門家・民間人が参画する第三者評価システムを導入
○評価結果を学生・企業・助成団体など国民、社会に全面公開
○評価結果に応じて資金を重点配分
○国公私を通じた競争的資金を拡充
以上により、国公私「トップ三〇」を世界最高水準に育成する
文部科学省はこの方針を本年七月六日から行われた来年度予算の概算要求に向けてのヒアリングで各国立大学の事務局長に押しつけた。
本年八月三日号の週刊朝日は、「文科省国立大学『脅し』の全容」として、その情況を詳報している。
教育は国の基である。そのため、今日の教科書問題や教育改革に見られるように、支配層は教育を掌握しようとする。それに対して、日本の民主主義発展に大きな影響を与えたのは全国の教職員養成系大学の学生運動とそこで育った教職員の労働運動であった。だからこそ、真っ先に教職員養成系大学に攻撃が仕掛けられ、既に一九七〇年に東京教育大学は筑波大学に移転・改組された。今回、その最後の息の根が止められようとしている。
また、上記の一県一国立大学制の見直し、削減により、地方の大学は、統廃合され、その過程で紛争、労働争議が頻発することが予想される。
さらに、上記の国立大学の経営体化、外部の専門家(=財界人)の参入、第三者評価による競争原理の導入で、大学の自治は廃棄され、財界の下請け研究機関に化す危険が高い。
上記1、2、3の項目の「国立大学」を弁護士ないし弁護士会に置き換えれば、その規制緩和路線に基づく危険性は決して他人事ではないということが分かるだろう。
加えて、大学は今日ただでさえ文科省による予算誘導に弱くなっている。そのうえ、文科省が上記のような大学の財政自治権をあからさまに侵害する方針を打ち出したもとでは、有力な国公私立大学は、「トップ三〇」に入って予算優先分配を受けようと競って大学自治を形骸化し、学生自治を切り捨てるだろう。
ところが、こうした動きに対抗すべき民主的学生運動は、困難な情況にある。北海道大学、九州大学、金沢大学、早稲田大学などでは、謀略集団革マル派などとの抗争も一因で疲弊してしまっている。
また、民主的学生運動の拠点と目されたところは、丸ごと廃止される動きまである。私学の動きは特に早い。
すでに、多くの自由法曹団員を含む労働者出身の法律家を輩出した中央大学夜間部は廃止され、西の立命、東の都立と並び称された都立大学も夜間部廃止の動きが生じている。かつては私学学生運動をリードしていた早稲田大学の地下サークルスペースも退去を迫られ、代わりに監視カメラで当局に管理統制された「学生会館」が建設された。
こうした大学自治破壊の走りとなった事件が、東京大学駒場寮廃寮問題である。東京大学教養学部学生自治会は、今年五月には、駒場寮存続を求める学生投票を二〇〇〇名以上もの学生の賛成で批准し、国による明け渡しを認容する高裁の不当判決にもめげず、七月にはのべ数百人の学生の参加で学部当局との大衆団交を実現した。しかし、学部当局は非情にも仮執行宣言に基づき強制執行なす事を公言している。当局はまさに「大学構造改革」路線に則って、廃寮を貫徹しようとしている。
こうした民主的学生運動に対する攻撃は、自由法曹団員の後継者養成という観点からも、極めて重大な問題である。
このような状況下の大学に、私たちの後継者を養成する法科大学院が設置されようとしていることを直視しなければならない。事態は、法科大学院の講師に自由法曹団員を送り込めばよい、などというのんびりしたものではない。
大学の大リストラを引き起こし、大学の自治を完全に破壊し、大学を財界の下請け機関と化す「大学構造改革」に断固反対する取り組みを行った先にしか、民主的法科大学院設立の展望はない。
速やかに、各団員がそれぞれの地域や出身の大学の情況を調査し、その自治や雇用の擁護、民主的学生運動支援の運動に取り組むべきであると考える。
このほど、大阪支部の大川真郎団員が「豊島産業廃棄物不法投棄事件」(日本評論社)を出版した。
題名からするとこの本は、それほど取っつき易そうには見えない。ところが実際に読み出したら、この先どうなるだろうか、という興味が湧いて、結局一気に読んでしまった。近頃は、わが同業者もいろいろな本を著しているが、総じて理屈が多く、あるいは自慢話が満載されていたりして、読み易いというものはそれほど多くはない。ところが大川さんのこの本は、なまじっかの推理小説などは足元にも及ばない迫力を持っている。内容が起伏に富み、豊島の人たちをはじめ登場する人たちが一生懸命に取り組んでいる姿、そして成功も失敗も生き生きと描かれている。しかもこうしたいろいろな出来事を実に淡々と書いている。私の友人の福山孔市良弁護士がこの本についてあるところで「淡々と描くことによって一層迫力がある」と評していたが、まさにそのとおりだと思った。
さて、この本によると「豊島産業廃棄物不法投棄事件」とはつぎのようなものであった。
豊島は瀬戸内海の島の一つであり、香川県に所属している。この豊島にある豊島観光株式会社は島内に約三〇ヘクタールの土地をもっていた。一九七五年、この会社は香川県に対して、「有害廃棄物処理場建設」の許可申請を行い、県はこれを許可しようとした。島の住民は反対運動に立ち上がり、建設差止の訴訟にまで発展した。反対運動が進む中で、豊島観光は申請の内容を「無害物によるミミズの養殖」という内容に変更し、一九七八年二月、香川県は豊島観光にその内容で事業を許可した。
島の住民は、当初から「ミミズの養殖」などというのは名目だけで、実際に有害な産業廃棄物が持ち込まれるのではないか、と危惧していた。そして現実にそのとおりとなった。住民は、香川県に対して、再三、豊島観光は建設許可条件に違反していることを訴え、許可の取消しを求めた。しかし、県は全く動かなかった。というより後に判明したところによれば、この間、県の担当者はむしろ豊島観光のためにいろいろと便宜をはかっていたのであった。そのため有害産業廃棄物の搬入、埋立てはずっと続いたのである。
一九九〇年一一月、兵庫県警は、豊島観光とその経営者に対して、廃棄物処理法違反の疑いで強制捜査を行った。この段階でようやく、有害廃棄物の搬入が止まったのである。一九九一年一月、豊島観光の経営者らは逮捕され、一九九一年七月、神戸地裁姫路支部に有罪の判決が言渡された。
しかし、このときすでに豊島には、文字どおり有害廃棄物の山が出来ていた。その量は六〇万トンともいわれていた。このゴミの山からは、ダイオキシン、PCB、水銀等の有害物質が浸出水として地中や海中に流出していた。このゴミの山を撤去することは焦眉の急のことであった。
ところで先に豊島観光の経営者らに対する強制捜査の中で、香川県の担当職員が警察の事情聴取を受けていた。その中で担当職員は、経営者らの威圧のもとに県がその違法行為に目をつぶり、さらには許可取消を免れさせるためいろいろと便宜を図ったことを認める供述をしていたことが判明した。
これらのことからして、ゴミの山を築くような事態を招いたのは、まさに県の責任であるとして、住民たちは県が責任を認め、ゴミを完全に撤去するよう強く求めた。しかし、県は全く聞く耳をもたなかった。
住民たちは、当時日弁連会長を退任して間もない中坊公平弁護士にこの件を相談し、そしてこの本の著者大川さんたちも参加して弁護団が結成された。一九九三年のことである。こうして、豊島に積まれた六〇万トンにも及ぶ有害なゴミの山を香川県に撤去させることと香川県の責任を認めさせるための、豊島の住民とその弁護団とのたたかいがはじまった。
弁護団はこの件を国の公害等調整委員会(公調委)に持ち込んだ。この公調委の場で、住民と弁護団は香川県がその責任を認めることを強く求めた。しかし香川県には依然として責任を認めようとせず、またゴミを撤去することも約束しなかった。
こうして公調委の場での攻防がくりひろげられたのであるが、それは常に決裂寸前といった、ツバ競り合いであり、緊張の連続であった。それは、住民にとっても、また弁護団にとっても初めての経験である上、相手方の香川県は何としてでも非を認めようとしない(非を認めたら、たちまち組織が瓦解するとでも思っていたのかもしれない)、そのような状況でのたたかいであり、文字どおり悪戦苦闘そのものであった。この本からは、そうした緊迫感がひしひしと伝わってくる。
公調委へ調停を申し立ててから七年後の二〇〇〇年五月、紆余曲折を経た後、ようやく香川県は、責任を認めて住民に謝罪し、ゴミの山は、香川県や国などが共同して島外に撤去するという内容の調停が成立した。そのたたかいの内容は本書に譲ることとし、その中で印象に残ったことを書いてみる。
豊島弁護団は、このたたかいを広く世論に訴えることを重視し、マスコミなどにも積極的に働きかけた。一九九六年五月には住民の代表が東京の銀座に出掛けて、そこでゴミのパレードを行った。またその年の一二月にはニュースキャスターの筑紫哲也氏らを招いて豊島でシンポジウムを開くなど、次第にこのたたかいは世論の注目を集めるようになった。しかし翌一九九七年六月の香川県の県議会では、地元選出の議員が、この運動は「弁護団主導の根なし草の運動である」と批判する発言をした。住民も弁護団もこの発言にショックを受け、これを契機として運動を一から始めることとした。こうして以後住民は手分けして、地元の小豆島や香川県の各町村に出向いて支持を訴える活動を展開することとなる。
この本には、こうしたエピソードが積み重ねられており、そのことによって内容が充実し、そして読みやすくなっている。もちろん専門的な叙述もあるのであるが、それも実にわかり易く書かれている。
ところで本書には豊島弁護団の中で大川さんがどのような役割を果たしたか、いいかえればいかに貢献したか、ということについて一言も触れられていない(もっともそういうことを自慢たらしく書いてしまうと如何ともし難くなるのであるが)。しかし、大川さんが豊島弁護団の副団長としていかに重要な役割を果たしたか。それは昨年七月、NHKが豊島弁護団副団長としての大川さんにスポットをあてて、事件だけでなく大川さんのプライベートな面も含めて四五分のドキュメンタリー番組「巨大な壁に挑みつづけて―香川・豊島産廃合意を支えた男」(NHK列島スペシャル)を製作し、これを二回に亘って放映したという事実が、そのことを余すところなく物語っている。このような例は、私は他では聞いたことがない。