<<目次へ 団通信1035号(10月11日)
八〇周年つどいの日に全国の団員で緊急デモを! 一〇・二六緊急デモにご参加を! | ||
内藤 功 | 米軍協力支援法案を読む | |
千葉 恵子 | テロ糾弾・報復戦争反対 九・二八緊急中央集会に参加して | |
毛利 正道 | 若者に曳かれて「憲法九条で世界をリード」 | |
田中 隆 | 教科書、北坦村そして「報復戦争」 | |
井上 正信 | これは戦争ではない ーアメリカの世界戦略との関わりー | |
城塚 健之 | デモと五団体共同声明で報復戦争反対をアピール | |
テロ反対・報復戦争反対・日本の参戦反対 当面の行動についての呼びかけ | ||
連載 八〇周年に寄せて その5 | ||
野仲 厚治 | 私の戦争体験 ー同時多発テロへの報復について考えるー | |
荒井 新二 | 「小澤 茂を語る」を読みませんか | |
鶴見 祐策 | 中小商工業全国交流研究集会の報告 | |
萩尾 健太 | 「国民のための司法改革を」? |
幹事長 篠 原 義 仁
東京支部幹事長 小 木 和 男
全ての団員の皆さん。ご承知の通り、アメリカの報復戦争はいつ始まるともしれない情勢です。日本では憲法の平和原則を完全に蹂躙する対米支援新法が今国会に上程され、政府与党は民主党を抱きこんで早期成立を狙っています。二一世紀の初頭、またもや世界と日本に戦争の惨禍をもたらす危険性のある非常に重大な情勢です。
自由法曹団の八〇周年・総会は、まさにこのような緊迫した事態のもとで行われます。
戦前一貫して侵略戦争に反対し、戦後一貫して平和憲法堅持の立場を貫いてきた自由法曹団の真価が問われています。
団本部は、こうした情勢を踏まえ、八〇周年記念事業をこの問題での闘いの総結集の場と位置付け、八〇周年事業の名において緊急決議を採択し、国会に届ける予定です。また、翌日の総会においても、報復戦争・日本の参戦をいかに阻止するかを重点的に議論したいと考えます。
全ての団員の結集を呼びかけます。
団本部・東京支部では急遽、一〇月二六日、八〇周年事業の前の昼休み、一二時〜一二時四五分までの時間に、「テロ根絶 報復戦争反対 日本の参戦反対」緊急昼デモを行うこととしました。全国から集まる団員の報復戦争反対・日本の参戦反対の声を首都にとどろかせましょう。総会・八〇周年参加の全ての団員の皆さんの参加を呼びかけます。
既にチケット等取られた団員も、一二時に間に合うよう、時間を繰り上げて頂きますようお願いします。
あわせて、この重大局面における、各地での、報復戦争と日本の参戦に反対する闘いの最大限の奮闘を呼びかけます。
東京支部 内 藤 功
米軍協力支援新法案(世界どこでも派兵法案)は、一〇月五日国会に提出され、政府与党が一一日からの審議入りを狙う。法案を読むと、その骨格は、一見「周辺事態法」に似せてつくられているが、内容は全く異質だ。日本国の平和安全に影響がある事態だろうとそうでなかろうと問わず、九・一一テロに対応する米軍その他各国軍隊(多国籍軍)への全面支援協力法案である。それを名目に自衛隊が出動できる法案である。作戦地域としては、日本周辺とか東北アジアとかアジア太平洋とかいうような地域的限定は取り払われ、世界中どこでも派兵できる法案である。同意があれば他国領土にも自衛隊が進駐し行動することを認める法案である。同意とは当該国の「政府の同意があれば足りる」と解すれば、パキスタンのように、政府は親米で、人民は反米という国でも、自衛隊が派兵され、それにともない、当該国人民との間に緊迫した事態が生じるのは必至である。捜索救難活動も、インド洋上に不時着水した空母艦載機乗員の救出に限らず、他国領土の山岳砂漠でも行なわれる。アフガニスタン周辺国領土内での、米軍多国籍軍将兵の救出行動にも道をひらくことになる。
九・一一テロ発生直前までは、日本政府防衛庁が意図していた防衛政策は、優先順に並べてみると、?PKO法案の五原則や武器使用基準緩和、?多国籍軍後方支援法制定、?(懸案の)有事立法、?RMA(「軍事革命」。米国とテロ勢力との「非対称『戦争』」の軍事理論化・体系化)、?集団的自衛権の行使容認、?憲法九条二項の解釈・明文改憲、ということだと判断された。五月二二日防衛庁長官の諮問機関「防衛戦略会議」の報告にもこのような脈絡が見られた。しかし、これらの実現は決して容易とは思われない政治情勢があった。しかし九・一一テロを追い風とし、口実として、充分な国民的論議もさせず、これらを一挙に実現しようとしている。「テロ対策法案」どころか、「テロ悪乗り法案」である。私は、法案のネイミングとしては「世界どこでも派兵法案」がいいと思っている。半世紀にわたり蓄積された全体験、全知識、全能力を一挙にみんなで発揮して、多くのひとびとの心を動かし日本と世界の政治を動かす力にしたい。大論議を巻きおこそう。
東京支部 千 葉 恵 子
テロは許せない。本当にひどい。国の象徴的な建物に自国の民間機を衝突させられる、その衝撃的な映像を見せられたアメリカ国民のショックはいかばかりかと思います。
でも、テロに対して、武力で攻撃をすることは原則として国際法上違法であるし、報復攻撃はさらなる憎しみを生み、何の罪もない市民を殺すことになり、抜本的な解決にならないと思います。
また、国際法上違法の行為、抜本的な解決にならない行為について、日本がこの機会に便乗して違憲である後方支援を行う、新法をつくるという動きは絶対阻止しなければならないと思います。
そのような思いで(事務所で萩尾団員に見つかって連行された面もありますが)九月二八日の緊急集会に参加しました。会場は日比谷野音。司会者は我らが伊藤和子団員。参加者は四〇〇〇名(主催者発表、団員は一〇数名が参加していました)で、緊急の集会にもかかわらず、多数の方々が参加していました。日本共産党の志井和夫委員長、宗教者の方、アメリカの労働者の方のお話があり、テロで亡くなられた方に哀悼の意を表明し、この問題を解決するにはどうしたらいいかという話がありました。アピールの採択後、国会までデモを行い、シュプレヒコールで思いを叫びつつ、日頃のストレスも発散しました。団の旗がなかったこと、同期の団員の参加がなかったのが寂しかったです。
私は本集会の前に青法協呼びかけのマリオン前の昼宣伝などに参加しました。今後は団、青法協の行動の他、同期(五三期)でアピールを出そう、署名に取り組もうとしています。引き続き「アメリカの報復攻撃を許さず、テロを国際的に根絶していくための運動」(長いですね)をがんばると共に、国際法上の問題、テロの真に実効的・抜本的な解決方法は何かを考えていきたいと思っています。
長野県支部 毛利正道
「何か私たちで」
一六才の愛娘の誕生日を少しは祝いたいと、いつもよりは早く帰宅してテレビをつけた直後に二機目が世界貿易センタービルに激突。二機衝突の偶然はありえず、とっさに「テロだ」と叫んだ。身震いがした。生涯忘れられない誕生日、九月一一日となった。
その直後、一五―一六日に五百名が集って開催された日本AALA主催非同盟国際シンポジウムで口々に「テロも軍事報復もノー」とパネリストが発言。しかし、その報告会となった一七日の「憲法九条を世界に広げる諏訪地方ネットワーク」での、この問題についての私の提起は「次の会議でテーマに」という感度のものだった。それを、右シンポに参加して、自発的にネットワークの会議に出席していた、二五才の女性の一言「何か私たちでやれませんか」が突き破った。
インターネットも活用する署名に取り組むこと、憲法九条を生かすことを要求に盛り込むことが決まった。
「信州からPEACEネット」立ち上げ
さあ、それからが大忙し。「一切のテロ・軍事報復ノー 緊急グローバル署名」の名称と要求項目を何十回も書き直して一晩で完成。署名サイトの立ち上げとアクセスが増えるための工夫、信州秋まつり会場で署名ボードを持って歩き回り七百名分集めた若者への確信、続々と寄せられる「新たな人命を決して奪わないで」との切迫感に満ちたメッセージで熱いものがこみあげ身がひきしまる思い、二五日に我が国で初めて小泉首相とブッシュ大統領にそれぞれ提出した八八九人分の署名。
そして、二五日夜には、短大生・大学生など若者五名と私が呼びかけ人となって三〇日に「松本城集会」を開くことを提起。
その集会には、五〇名を超える若者が集結、街頭にくり出し、一三五名の署名を集め、その会場で署名推進母体兼情報交換の場としての「信州からPEACEネット」(代表は「何かやれませんか」と発した若者)が立ち上がった。この動きがマスコミで刻々と報道される中で電子署名も四〇近い都道府県とアメリカ・カナダ・フランス・コスタリカから寄せられ、五百を上回った(四日現在)。若者と時・所を共有することは楽しいし、前記した愛娘が、自分からメールで署名をしてくれたことが嬉しかった。
アメリカで始まった署名を上回るという壮大な目標を掲げているこの取組にお力添え下さい。(署名サイトには、「毛利正道」を検索して私のHPから入ってください)。
ある母のメッセージ
この二週間の斗いの中で何よりも実感したのは、憲法九条の非軍事非暴力の価値観がかなり国民に定着しているということだ。
署名メッセージに「小泉首相は、憲法九条で世界をリードする立場に立って下さい」とする要求項目に共感を示すものも目立ったが、私が特に強くこのことを感じたのは、懇意とも言えないある母親に恐る恐る送ったメールに対する、その日のうちの次のメッセージが付いた署名だった。
―「私の息子は少年九人に集団リンチされ、殺されました。わずか一五歳二ヶ月の命でした。もう、人が殺されるのも、大切な人を殺されて悲しむ人々も見たくありません。無差別テロは、決して許されるものではありませんが、軍事報復により関係のない人々まで危害を加えて良いはずはありません。平和的解決を切に希望いたします。」
我が子を殺した少年に同じ報いをとの気持ちをのり超えたのでしょう。
一 教科書問題と加害責任
五月二五日、教科書問題緊急プロジェクトの総括冊子「『つくる会』教科書にNoを!」を脱稿した。教科書問題の本質や団の活動を論稿にまとめ、各地の運動のスケッチや関係資料を付している。一〇月の団総会では全参加者に配布するので、ご一読いただきたい。
まとめる過程でこの数か月の闘争や団と各支部・法律事務所の活動のレポートに触れた。地域でのたたかいを全国規模で結びあった教科書闘争のいぶきに圧倒される思いだった。そのいぶきが「草の根」の良識を呼び起こし、ネオ・ナショナリズム勢力の策動をほぼ完全に封じたことは記憶に新しい。
その教科書闘争の意味はなんだったか。教科書闘争は侵略戦争の加害を問いかけた闘争、そしておそらく戦後五五年余を経てはじめて展開された加害の側から戦争をとらえて展開された国民的な闘争だった。たたかう中で学んで到達したいまの認識である。
「神の国」日本の優位を誇示し、あの戦争を「アジア解放戦争」であるかに描き出した歴史教科書、その戦争へ反省から生まれた日本国憲法への悪罵に彩られた公民教科書、およそ「教科書」と呼ぶに値しないこれら雑文の底流に流れていたものは、歴史への責任と人間への信頼のおどろくべき欠如ではなかったか。とすれば、その雑文を拒否した「草の根」の良識は、あらためてあの侵略戦争と平和憲法の意味をこの国に刻み込ませたものでもあっただろう。
この良識を、戦争責任を認めずアジア諸国民への謝罪も補償も拒否するこの国の政治と、いまこのとき世界を覆おうとしている戦雲への問いかけに結びつけねばならない。
二 三光作戦・北坦村の調査の旅から
総括を脱稿した三日後の九月二八日、三光作戦問題の調査のために中国にとんだ。訪問したのは北京南方の河北省定州市北坦(ホクタン)村。太平洋戦争開戦の翌年の一九四二年五月二七日、抗日根拠地の覆滅を策して掃蕩作戦を展開した日本軍(北支那派遣軍 第一一〇師団第一六三連隊第一大隊)が、地下道に逃げ込んだ村民ら約一、〇〇〇名を毒ガス等で虐殺した村である(団通信一〇二四号参照)。
家族の多くを奪われながら、壊滅に瀕した村を再建して今日現存する幸存者は二十数名とか。調査活動で証言を得た生存者はそのうち八名、いずれも七〇歳後半から八〇歳である。「毒ガスを吸って胸が焼けつき、涙と鼻水がしたたり落ちた。あまり苦しいので服を裂き、『ガスにきく』と聞いていた尿で口をしめした。喉をやられていていまでも苦しい。毒ガスを使った日本の政府に謝罪と賠償を要求する・・」高齢の生存者の証言には肺腑をえぐるものがある。
「坑道ヲ捜索セシメ又部落中ノ井戸其他坑ヲ捜索セシメ毒瓦斯ヲ投入セシム(中略)内ニテ共匪ノ約百名ヲ窒息殲滅セシメ、小銃軽機等約百二十丁鹵獲」。大江芳若第一大隊長が残した手記であり、鉛筆手書の大江手記はいまも現物が防衛研究所史料室に保存されている。「歩兵第百六十三聯隊第一大隊は(中略)、約一、〇〇〇名の敵を包囲急襲し、これを地下道内で殲滅した」とは、通称「公刊戦史」とされる戦史叢書「北支の治安戦2」の一節。指揮官にも「公刊戦史」にも、村そのものを掃蕩の対象とし、「毒瓦斯」を使ったことへの反省は微塵もない。
いまだに総括さえされぬ三光作戦の真実を明らかにするため、団内外の弁護士と研究者で構成した調査団では、調査報告の出版を検討している。
三 「報復戦争」問題へのメッセージ
教科書闘争の総括と北坦村調査の準備を進めていた九月一一日、同時テロの衝撃が世界を覆った。それから三週間、「報復戦争」の準備が刻一刻と進められ、この国の政府は公然たる参戦を表明している。テロの犯罪性や「報復戦争」の国連憲章背反、参戦の憲法蹂躙などは繰り返すまでもない。
教科書問題と北坦村事件から「報復戦争」問題へのメッセージ。
「つくる会」教科書が「解放戦争」であるかに描いた侵略戦争の発端は、ちょうど七〇年前の一九三一年九月一八日、奉天(現在の瀋陽)付近の柳条湖で満州鉄道線が爆破された一種の「テロ」だった。この犯罪行為の真相究明など見向きもせずに、関東軍は東三省全域に侵攻作戦を展開し、傀儡政権の「満州国」(中国では偽満州国と呼ぶ)を樹立した。この満鉄線の爆破が関東軍の謀略であり、自作自演であったことはいまでは公知の事実、「なぜ真相究明をしなかったか」などは、「聞くも愚か」だろう。同時テロをアメリカの謀略などと言う気はないが、テロを口実にした軍事侵攻がいかなる事態をもたらすかを示す歴史的教訓ではないのだろうか。
河北省一帯を中心に展開された三光作戦(あるいは三光政策)とは、八路軍の抗日戦に手を焼いた日本軍が、兵士や食糧を供給して八路軍を支える抗日地区を根こそぎ覆滅しようという「報復作戦」であった。そのためには、村そのものを「敵」として「包囲急襲」し、「殲滅」しなければならなかった。まさしく「かばうもの」は敵、「従わぬもの」は敵であり、毒ガスの使用すら躊躇はされなかった。その狂気の「報復作戦」が民衆にいかなる惨禍をもたらし、どれだけの怒りと恨みをいまに残していることか。
英知を集めて平和への道を模索してきたはずの世界は、再びあの狂気に身を焼かせるのだろうか。
一、九月一一日朝、快晴のニューヨーク、マンハッタンの超高層ビル「世界貿易センタービル」へ、二機の民間旅客機が相次いで乗客・乗員もろとも衝突した。このテロ事件は言葉で表せないほど衝撃的であった。翌日のワシントンポスト紙の第一報の社説は「War」という表題で、六〇年前のパールハーバー奇襲攻撃と比較し、この攻撃が海外に起源を有するものであれば、法の執行の問題ではなく戦争行為であり、それに相応した対応が必要であると、武力による報復を煽っている。米国はいまや、武力報復一色に塗りつぶされている。一三日のNHKがこの事件を特集した、「クローズアップ現代」でも出演した東大教授は、「戦争」と断定した。
今回の事件の衝撃、被害の甚大さから、マスコミは「戦争だ」と煽っている。あまりにも感情的に安易に「戦争」という言葉を使いすぎてはいないか。「戦争」であれば、自衛のための武力行使が可能となる。現にNATOはワシントン条約第五条の事態と考えて、史上初めて集団自衛権を発動するのではないかと言われている。
私達はここで一歩引いて冷静に判断する必要がある。冷戦崩壊後突然イラクによるクゥエート占領が行われ、湾岸戦争に発展した。この出来事は冷戦崩壊とその後のソ連崩壊により、敵のいなくなった米国とその同盟国の軍事戦略を大きく変更する絶好の口実となった。「ならず者国家ドクトリン」である。米国は二一世紀の世界戦略・軍事戦略を構築する上で、非対称的脅威(Asymmetric
Threats)をキーワードにしている(ジョイントビジョン2020 2000.5.30)。非対称的脅威とは、軍事力では圧倒的に米国に劣る国家や非国家的主体(テロリスト)が、米国に対して正規軍による戦争行為で挑戦するのではなく、テロ行為や米国戦闘コンピューターへウィルスを侵入させるなどのサイバー戦争を意味している。その意味で、今回の事件は父ブッシュ大統領の時と同じようにブッシュジュニアにとってお誂えのものであったであろう。米国は今回の事件をこの二一世紀戦略の実験場にしようとしている。
二、「戦争」若しくは「武力行使」という概念は、国際法上極めて重要な概念である。とりわけ現代国際法では「戦争」は原則的に違法とされ、武力行使の違法・合法が問題とされる。即ち個別的集団的自衛権を巡る問題である。
「自衛」と似て非なる概念に「復仇」がある。「復仇」のための武力行使は違法とされている。
国際法上の武力行使とは当然の前提として、国家の行為と想定されている。今回のテロ行為が、国際法上の武力行使(又は戦争)というのであれば、テロリストの行為が国家の行為と見なされなければならない。そうでなければこれに対する武力行使と言うことはあり得ないのである。犯罪として警察権力による捜査の対象でしかない。
一九八四年一一月二六日、国際司法裁判所(ICJ)は有名なニカラグァ事件判決を下した(判決に対する分析は松井芳郎「国際社会における力の支配と法の支配」アジア・アフリカ研究第三〇七号所収を参照)。ICJは武力行使の諸形態を二つに分類する。一つは、武力攻撃を構成する、武力行使のもっとも重大な諸形態と、もう一つは、他のより重大でない諸形態である。前者は、正規軍の越境攻撃の外、それに相当する重大性を有する武力行使を他国に対して実行する武装集団の派遣や、それに対する国家の実質的な関与である。後者としては、兵器又は兵站その他の支援の供与の形で行われる他国の反徒への援助である。
判決はその上で、前者に対しては自衛権の発動が可能だが、後者にはないとする。
いずれにせよ国家が武装集団に対して武力支援することにより、武装集団の行為がそれを支援する国家の行為と評価されることにより、その国家に対して自衛権としての武力行使ができるのである。
では今回のテロ行為は、アフガニスタンの武力行使と評価できるのであろうか。アフガニスタン政府機関がテロリスト集団を雇い又は今回の行動を指揮したり、武器又は兵站支援したというのであろうか。ブッシュ政権はこのような主張をしていない。ただアフガン政権が首謀者と米国が称する(未だその証拠は示されないが)オサマ・ビンラディン一味をかくまっている、と主張するだけである。これでは今回のテロ行為がアフガニスタンによる武力行使とはいえない。
実は九八年八月アフリカの米国大使館が爆破された際、犯人はビンラディンだとして、アフガニスタンのテロリスト訓練施設とイエメンのビンラディンが関係しているという化学工場を、トマホークミサイル攻撃した。その際クリントン政権は国際社会に対して、ビンラディンが犯人であるとの証拠があり、それを明らかにすると大見得を切った。しかしついに証拠は示されなかったのである。今回も証拠が明らかになりつつあると、国務長官が発表しているが、具体的に示されるまでは絶対に信じることはできない。
三、自衛権は、急迫不正の武力攻撃が現に行われ、且つ行われつつある場合に発動されうる。予防的な発動も事後的な発動も違法である。復仇のためであっても武力行使はできないのである。ブッシュ政権は自衛とは言わない。報復すると言っている。今回のテロ行為が既に終わったと見ていることは明らかである。「生死に関わらず」ビンラディンを捕まえるとすごんだブッシュは、まるで西部劇にでてくる保安官気取りである。米国は西部開拓史時代のようなリンチ縛り首を二一世紀に復活させるのであろうか。
四、以上から、今回のテロ行為に関して米国が自衛権を行使することは、国際法上違法となり許されないという結論になる。
では仮にアフガニスタン国内のビンラディンの施設のみをピンポイント爆撃する場合、国際法上許されるであろうか。公海上の米海軍艦船から発射されたトマホークミサイルで攻撃したとしても、米国のミサイルがアフガニスタン領空を通過し、アフガニスタン領土の一部を爆撃するのであるから、アフガニスタン政府が承認しない限り、アフガニスタンの主権に対する武力侵害として違法な武力行使である。
五、米国が検討している武力行使とはどの様なものであろうか。ブッシュ政権高官の発言では、あらゆる選択肢を排除しないとしている。政治的な思惑・配慮から政治家が予め行使する武力のレベルを規定すれば、ベトナム戦争の二の舞になるのであろう。ベトナム戦争の苦い教訓から、短期間に大量の戦力で一気に片を付けるというパウエルドクトリンが適用されたのが湾岸戦争であった。
テロリストにたいするピンポイント爆撃から、特殊部隊の侵攻、大規模な地上軍の侵攻まで考えているであろう。攻撃の対象は、テロ関連施設から、アフガニスタン政府機関・軍の施設、民間施設(交通、通信、兵器工場や軍事物資関連生産施設など)も考えているであろう。更にイラクも攻撃対象に含めていると思われる。これに乗じてイラクの軍事行動が活発になることを予め封じるためである。
私は核兵器の使用も選択肢にはいっていると考えている。ペンタゴンの作戦文書「統合戦域核作戦ドクトリン(九六年二月九日 文書番号Joint Pub3-12,1)」第三章「作戦計画と核兵器の使用」では、核兵器の標的として、WMD(大量破壊兵器)を所持する非国家的主体(それらの施設と作戦センター)を挙げているからである。非国家的主体とはテロリストのこと。米国がミニニューク(超小型核兵器)を開発しようとしているのは、一つにはこの作戦のためである。海上配備のトマホークミサイルは、核弾頭と通常弾頭があり、形状からは見分けがつかない。爆発して初めて判るのである。標的にされた相手側は、核攻撃を想定した対応を迫られるであろう。
米国が今後どの様な対応をするとしても、核兵器の使用の可能性を常に我々は念頭に置かなければならない。
六、なぜ米国が狙われたのか。
過去の国際的テロ事件は、ほとんどが米国を標的にしたものである。英国上空でのパン・ナム航空機の爆破、ドイツのディスコ(米兵がよく利用していた)爆破、世界貿易センタービル地下爆破、中東での海兵隊宿舎爆破や米国海軍駆逐艦爆破、アフリカの米国大使館爆破等々。これらの原因は、米国の中東政策に起因している。国際的に批判され孤立した「テロ国家」イスラエルを頑なに支持している。「敵の敵は味方」という論理で、反米国家イランと戦争しているというだけで、クゥエート占領直前まで、フセイン政権を軍事的財政的に支援し、有数の軍事国家に育てたり、アフガニスタンのソ連傀儡政権に抵抗しているというだけで、イスラム原理主義勢力を武器支援し(この中にビンラディンもいた!)たのである。また米国は世界最大の武器輸出国であり、これらの武器の一部が、地下ルートを通ってテロリスト達の手に渡っている。国連の小火器規制のための会議で、米国が一人強硬に反対したため、尻抜けの規制になってしまった。
米国のイスラエル支持政策が、反米テロを生み出す温床となり、「敵の敵は味方」という政策が、武装テロリスト集団を育てているのである。
ブッシュ・ジュニアは今回のテロ事件を、民主主義に対する挑戦だと述べた。まさに人類共通の敵というのである。従って世界中の国家と国民はこぞってテロとの闘いに米国とともに立ち上がれというのである。協力しなければ、テロリストと同罪だとも言いかねない勢いで、半ば脅迫まがいである。軽薄な小泉首相は、これに直ちに呼応し、最大限の支持を与えた。
今回のテロ事件は、市民を無差別に標的にしたもので、人道に対する挑戦ではあるが、私はあえて「米国に対する挑戦」であることを強調する。その理由は、民主主義への挑戦=世界共通の敵という図式に乗ってしまうと、テロリストの温床を作った米国政府の責任を不問に付し、米国とともに闘うことを求められ、自らをテロリストの標的にしてしまうという、米国と同じ過った危険な道にはまってしまうからである。このような「ドロ船」には決して乗ってはならない。国際社会は、テロに対しては異なった対処をすべきである。
七、国連安保理決議への疑問
九月一三日、国連安保理は今回のテロ事件に対して、国際の平和と安全に関わる問題として決議を採択した。私はこの決議は今後国際社会がテロ問題に取り組む上で、障害にならないかと懸念している。
安保理決議は、前文で「憲章に従い個別的又は集団的自衛の権利を認め」と述べ、以下に1項から6項の決議をしている。5項では二〇〇一年九月一一日のテロ攻撃に対処し、国連憲章に基づく責任に従ってあらゆる形態のテロと闘うため、必要なあらゆる措置をとる用意を表明する。」と述べている。
この決議から、まず米国には今回のテロ事件に対して個別的集団的自衛権があることを安保理が表明したことにならないのか。また、5項の「必要なあらゆる措置をとる用意」が、米国や同盟国に武力行使を容認したととられないか。
湾岸戦争で、多国籍軍に安保理が武力行使権限を委任した決議六七八号は「必要なすべての手段を行使する権限を付与する」となっている。決議六七八号は憲章第七章(安保理による強制措置)を引用しており、今回の決議は第7章を引用していないので、直ちに武力行使を容認したとはいえないが、米国政府は強引にこの決議を根拠にする可能性がある。米国にはその前科があるのである。湾岸危機の際決議六六五号により、武力による臨検をやったり、ユーゴスラビアの空爆も安保理決議を根拠にした。
八、武力行使ではテロ問題は解決しない。
米国による武力行使は、テロリストを一層活発にさせるであろう。彼らは武力報復を当然予想している。米国に対するテロ活動の正当性を一層確信させ、新たなテロリストを生むであろう。国際的なテロ活動を防ぐ上で、米国には特別な責任がある。不公正な中東政策を改めること、小型武器取引の規制強化に協力することが重要である。
国際社会は、国際法・国連憲章第二条の原則に立った公正な世界秩序を作ること、富の偏在をなくし、貧困を克服すること、一国内での民族・宗教抑圧、人権弾圧に対しては、国際社会が一致して平和的手段で解決を図ることなどが重要である。今回のテロ事件の犯人が家族に残した遺書が新聞で公表されているが、これを読むと、彼らが受けている民族抑圧と貧困が彼ら自身の将来の希望を奪い、絶望的な状況から救いを求めてテロに参加していることが読みとれる。
万一テロ行為が発生した場合は、その犯人の捜査、逮捕、裁判に国際社会が協力しなければならない。間違ってもイスラエルが行っているような国家テロに及んではならない。
大阪支部 城 塚 健 之
九月一一日に起こったアメリカの同時多発テロに関して、民法協は、二一日、「緊急昼休みデモ」を実施した。急な呼びかけにも関わらず、二〇〇人を超える方に参加していただき、マスコミもたくさん来てくれ、成功と言っていいだろう。参加されたみなさん、本当にごくろうさまでした。
デモ隊の先頭は、なんと、東中光雄、橋本敦、小林つとむ、河村武信の各先生という陣容。これは凄かった。途中でアメリカ総領事館に戦争準備中止要請書を持参することになっていたが、安保の竹馬さんからの直前のアドバイスで、弔問を兼ねて花束を用意した。これは名案だった。直前に、男が花束を渡してもさまにならんということで、急遽、デモ隊の中にいた北大阪法律事務所の二名の女性事務局を強引にスカウト。これも成功で、マスコミのカメラ攻勢を受けた。その隙に私は正門を固めていた守衛(アメリカ人)に要請書を手渡した。
小林つとむ先生から「ピストルで撃たれないよう気をつけろ」なんて脅されていたが(?)、確かにテロを警戒してものものしい警備だったが、守衛のおじさんは日本語で「はい、分かりました」とすっと受け取った。こちらが礼をすると、きとんと挨拶を返してくれて、その紳士的な態度にちょっと拍子抜けした(もちろんすかさず情報収集はされるのだろうけど)。
実は、情けないことに、テロ事件以後、私はしばし呆然としていて、民法協として何をするかという点に頭が回らなかった。ところが、九月一六日(月)定例の憲法連続講座のあとの慰労会の席上、梅田弁護士が(酒の勢いもあってだが)、「デモをやろう」と言いだしたのである。そしてその場で携帯電話で自交総連の林さんを呼び出して、そこから嵐の四日間が始まった。
翌朝、私は生まれて初めて公安委員会へのデモの申請者となった(申請に行ってくれたのは林さんと事務局の魚田さん)。ちなみにこの申請は開始七二時間前とされており、二一日(金)に実施するにはぎりぎりのタイミングだった。同時に(前日は酔っぱらって寝てしまったので)早起きして作成した呼びかけ文を各方面にファクシミリとメールで送った。すると、徳井弁護士が「法律家団体の共同声明を追求すべし」と返信をよこしてくれた。さっそく青法協大阪支部、自由法曹団大阪支部、大阪社文センター、大阪労働者弁護団の各事務局長や窓口に打診し、追っつけ、声明案を起案して各団体に送付した(後で気づいたのだが、国法協関西支部をころっと忘れていた。小林保夫支部長、ごめんなさい。でも、梅田事務局長が指摘してくれてもよかったのですけど)。声明案は誰もが賛同できる内容にしたつもりだったが、ある団体の役員から修正要求が出たそうで、間に挟まれた当該団体の事務局長さんが苦渋の調整をされていた。そんなこんなで、二〇日(木)夕刻、ようやく声明文が確定。それでデモ参加者に配布することが可能となった。
このように時間との勝負だったが、このような対応がとれたのも梅田弁護士や徳井弁護士といった元事務局長の助言のおかげである。げに持つべきものはよき先輩。民法協活動はこうした瞬発力あふれる先輩方に支えられているのである。
もっとも、言い訳がましいが、多くの人々もテロに呆然としていたのではないだろうか。崩壊した世界貿易センタービルは、私が小学生のころ、「エンパイアステートビルを抜いて世界一の高さ」と教わったビルなのだ。それが崩壊するショッキングな映像。そして六〇〇〇人をはるかに超える犠牲者。何の罪もない、何十カ国から集まったエリートサラリーマン、清掃労働者、彼らを助けようと突入した消防士、警察官らの命が奪われたのである。はたして残された幾万人もの家族や友人の負った心の傷が癒える日が来るのだろうか。私たちにはかける言葉もない。
テロは言語道断である。しかしながら、ビンラディンはもともとアメリカがソ連のアフガン侵攻に対抗して資金と武器を湯水のように提供して育てた一派なのである。言葉が悪いが「飼い犬に手を咬まれた」わけであり、その意味では「因果応報」ともいえる。そしてその背景に反グローバリゼーション的感情(あるいはその一つとしての原理主義への回帰)が結びついているとすれば、軍事報復でテロ勢力を撲滅することなどそもそも不可能である。殴られたら殴り返すといっただけでは、果てしない応酬が続き、犠牲者はますます増えてしまう(もっともこれまでアメリカは一方的に殴っていただけという気もするが)。いったい、戦争を始めて、そのあとにどんな展望を描いているのだろうか。
独自の外交姿勢を持てない日本は、アメリカに媚びるかのようにブッシュ全面支持なんて言って周辺事態法の拡大解釈やら有事法制やらを言い出している。いつまで「米国のえんま帳の成績を気にする点取り虫」(板垣雄三東大名誉教授・二〇日付朝日新聞)を続けていくのか。こんなことをやっていれば、日本も本当にテロのターゲットにされてしまう。それどころか、戦争行為に荷担しようというのだから、日本は敵国として攻撃されても文句が言えないことになる。敦賀湾の原発が狙われれば関西は全滅の危険にさらされる。小泉発言は明らかに国益に反するのである。
少なくとも私はテロや戦争なんかで死にたくないし、家族も友人も、いや世界中の誰だって犠牲にしたくない。犠牲を最小限に押さえるためには、今こそ理性的な対応が求められるのであり、そのためには私たちはいろんな機会を捉えて発言し続けなければならないのである。(『民主法律時報』二〇〇一年九月号掲載稿を改題した)
改憲阻止対策本部事務局長 吉 田 健 一
担当事務局次長 南 典 男 同
伊 藤 和 子
一、 重大な局面
アメリカは、同時多発テロ事件に対する報復戦争へと突き進んでいます。日本では、一〇月五日に、対米支援新法・自衛隊法改悪案が閣議決定、国会提出されました。
一〇月一一日から法案の審議が開始されますが、政府与党は民主党を抱きこんで一〇月中にもこの新法を成立させ、報復戦争への軍事支援にひた走ろうとしています。対米支援新法・自衛隊法改悪案は憲法九条を根底から蹂躙する内容であり、戦後最大の憲法の危機といわなければなりません。すべての団員がこれを阻止する闘いに立ち上がられることを緊急に呼びかけるものです。
二、当面の行動提起
1 全国各地で運動を 団本部では急遽、声明を発表するとともに、宣伝ビラを作成し、報復戦争と日本の参戦に関する団意見書「テロを根絶し、軍事報復・自衛隊海外派兵に反対する意見書」を完成させました。
一〇月四日には東京支部や日民協、青法協、国法協と共催で約一八〇名の法律家、市民、労働者の参加する昼デモを行い、第一回目の国会要請行動も実施しました。都内主要マスコミの論説委員に対する要請行動の準備も進めています。
是非各地で、学習・宣伝、集会、地元マスコミ、地元議員への働きかけ等の行動を旺盛に取り組まれるよう呼びかけます。そして、この間の憲法問題、教科書問題でのつながりを最大限生かし、各地で広範な共同を構築して下さい。
2 一〇月一二日全国一斉宣伝行動の成功を!
今こそ、緊急の宣伝行動が求められています。団本部は報復戦争と日本の参戦に反対する全国一斉宣伝行動を急遽一〇月一二日に行うことにしました。東京では全労連等にも呼びかけて一〇月一二日午後に有楽町マリオン前宣伝行動を実施します。
この緊迫した情勢のもと、全国一〇〇ヵ所規模で成功させることが是非とも必要です。各地で至急具体化して下さい。
3 国会要請行動
第二回目の国会要請行動を一〇月一五日午後一時より国会で行います。是非とも多数ご参加ください。
4 緊急連続学習会
政府与党は支援新法の早期成立を推し進めようとしています。団としても早急に学習をする必要があります。急遽、自由法曹団、日民協、青法協、国法協の共催で、テロと報復戦争・自衛隊海外派兵をめぐり、緊急に連続学習会を企画しました。
多くの団員の参加を呼びかけます。
一〇月一七日 六時〜 「アメリカの軍事報復と日本の海外派兵をどう見るか」 各国の意見の現状や反応から見た世界の動向と今後の世界に与える影響 講師 浅井基文氏
一〇月一九日 六時〜 「国際法から見た今回のテロ問題」 講師 松井芳郎氏 今回のテロ問題の本質とその対応について国際法はどう見るか いずれも会場は文京シビックホール(地下鉄後楽園駅地上)
三階会議室1 参加無料
5 一〇月二六日 昼デモ
一〇月二六日 一二時〜一二時四五分 八〇周年記念行事の前に霞ヶ関周辺で昼デモを行います。 全国からの団員の皆さんの参加で大きく成功させましょう。
大阪支部 野 仲 厚 治
一、私が、初めて「戦争」というものについて微かにでも認識を持つようになったのは、今年四月他界した父の手枕でうたた寝をしながら聞いた「戦友」と言う歌です。「此処は御国の何百里・・離れて遠き満州の・・」と言う詩歌の何とも物悲しいメロディを聞く度に、何と戦争とは寂しく悲しいものなのかと思ったものでした。父は盲目に近かったことから、鍼灸師として生業を立てていたのですが、その父ですら三〇歳を過ぎてから赤紙が来たそうで、マッサージを仕事にする一一歳年下の母(当時二一歳位)と生れたばかりの年子の長男と長女の三人を残して応召したのです。
ところが幸いにも間もなく終戦、鹿児島で八月一五日を迎えたとかで、もう少し終戦が延びていると父も戦死、従って私もこの世に生れることも無かったかと想像します。
二、次なる戦争体験は、父の実家に居候していた沖縄出身の若い兵士の話です。沖縄は、米軍の全面占領下に落ち、今帰ると兵士は全員銃殺されるとの噂に怯えて帰る当て無き彼らは、上官であった父の実家の跡取り息子(私の従兄弟)を頼って大分県大野郡朝地町の実家にしばらく身を寄せて、農業の手伝いをしながら飢えをしのぎつつ「帰国の日」の来るのを待ったのです。
私は毎週のように父の手を引いては父の実家に里帰りをして、農作業を手伝っては遊んでいたのですが、もちろんそんな古い時代の終戦直後ことは皆から語り聞く程度の話でした。その中で、唯一父宛てに沖縄から毎年送られて来る年賀状に変わった名前がありました。「具志堅政義」と言う名字なのですが、「これ、なんて読むん?」と父に聞くと、それがきっかけに父の戦争話が始まるのです。父の自慢は、実家の甥が陸軍中尉に出世したことで、今でも実家には銃剣を帯した軍服姿の写真が威風堂々として飾られています。
しかし、私にはこの時以来、妙に沖縄の地が気になる存在として記憶されました。
三、三つ目の戦争体験は、小学生の時に目の当たりにした「陸上自衛隊の大移動」です。
たしか、小学校三年生の時でした。田舎の小学校から約二キロほど行った県道を自衛隊の戦車が通ると言う話を聞いて、早速友達ら数人で見に行きました。するとどうでしょう。戦車や装甲車やジープ等の大部隊が移動中で、あの巨大キャタピラーがゴーゴーたる地響きを立てて走る様は、一遍に戦争のイメージが重なって、私はえも言えぬ恐怖心に襲われ、早々に「帰ろう」と言って皆と家に帰ったのです。恐ろしい物を見てしまった私は、とにかく早く大人になりたい。そうすればきっと戦争に行かなくて良いだろうし、自分が大人になるまでは少なくとも戦争は無いだろう、等と本気で心配しました。
その後中学高校大学へと進む内に、日本には憲法と言うのがあって、戦争は永久にしないことになっているということを知り、少し安心したものでした。それが今はどうでしょう。憲法の枠組みは限りなく蔑ろにされ、自衛隊員はいよいよ戦場もしくはその近い地域に引っ張って行かれようとしています。かつては天皇のためにと死んで行った若者たち。しかし、今海外派兵の大波に抗うこと叶わずして出掛ける自衛隊員には、いったいどのような大義があるのでしょうか。
四、私の戦争体験の四つ目は、和歌山のある漁師さんとの出合いです。岸和田の春木港の漁師さんから紹介をして貰って、和歌山は由良港に船釣りに通うことになりました。事前に連絡を入れておくと、叔父さんは朝から採って来てくれた魚を鍋一杯にして旅館で待っていてくれるのです。当時は一軒しか無かった旅館に土曜日の夕方着くと、早速魚チリ鍋をつついての酒盛りです。しかし、一息着いた頃から「叔父さんの戦争体験話」が始まります。敗戦の色濃き頃、南方はボルネオ島のジャングルを逃げまどう日本兵。
マラリアで次々と倒れる戦友たち。喰う物も無く、命の限り夜陰に紛れて行軍する。何処をどう、そして幾日間逃げたかも分からない。幾百人の兵士の、いったい幾人が生き延びたかも分からない。とにかく九死に一生を得て復員出来た戦後の自分の命は、異境の土地で自分の身代わりとなって死んで行った戦友たちがくれた「つけたしみたいなものだ」と語る。その叔父さん漁師の話を聞くために、私は毎回何人かの仲間を連れて出掛けた。それが由良の漁師さんである。
五、私の戦争体験の最後は、沖縄です。自由法曹団の五月集会が行われた年、初めて沖縄の地に降り立ちました。子どもの頃から、夢にまで見た沖縄です。その時、私は「観光コースに無い沖縄」と言う一冊の本を買いました。その本と地図を片手に、私はハイヤーをチャーターしてとある場所を探し回りました。その場所とは「ガマ」です。現地の運転手ですら知らない「ガマ」を探すのは大変でした。何カ所か探しました。抜けるような青空と昼間でも懐中電灯無しでは一歩も歩けない真っ暗なガマとのコントラスト。
ガマから出ると明るさに目が眩みます。荒れ果てた畑の、生い茂る雑草をかき分けて進む度に、付近に居たオオヤドカリがびっくりしてガサゴゾと逃げるのですが、こっちの方がびっくりです。しかし、それ以外は静寂そのものです。
沖縄戦の悲劇は、いたる所に無数に点在する鍾乳洞である「ガマ」にあると思うのです。婦女子子ども老人らは、米軍に追い立てられてこのガマに逃げ込んだのです。しびれを切らした米軍は、ガマに爆弾を投げ入れ、そして出てきた住民を火炎放射器で焼き殺した。それを恐れたガマの中の住民は、集団自決という名の狂気の殺戮に駆り立てられた。そして悲しいかな、うら若き姫百合たちは、ガマで身を寄せ合う住民を追い出す行為に手を染めた。「ガマは怪我をした日本軍人ための野戦病院にする」との理由からである。姫百合たちの苦悩はここにある。「我が沖縄の同胞を、ガマから追い出して米軍の銃火にさらしてしまった」と。
那覇空港に着くと目にするのは、軍港から修理のために陸揚げされた多数の戦車である。米軍が展開する戦場がジャングルであれば、例の迷彩色に塗り、中東が戦場の時は戦車は砂漠色に変身する。平和資料館の横では、今でも掘り出される人骨が筵の上で陰干しされる。こうして、「沖縄に来るとかつての戦争と今の戦争とが重なる」のです
。
六、さて人類は、二〇世紀、戦争により未曽有の犠牲を払ったにもかかわらず、二一世紀に入りその一年目にして早速にも戦争が始まろうとしている。世界最強の国アメリカに対して、テロで対抗したアルカイーダとビンラービン。彼らの邪悪な目的は別として、一瞬にして数千人の民間人の命を巻き添えにしたテロを許す者は居ない。しかし、かつてアメリカがベトナムで行った民間人に対する大量殺戮はどう正当化するのか。
今回の情勢を見て、私は二つのことを心配する。一つは、 今回のテロは、物質文明に対するイスラム原理主義の挑戦であり、一種の宗教戦争であること。それだけに根が深く、しかもその手段が民間人を道具に使ったテロである以上、テロに対する報復はかならずテロによる報復反撃を生むということである。テロに対する報復には、必然的に民間人を巻き込むことになり、血で血を洗う報復合戦に発展するであろう。二つ目は、もしアメリカが間違った対応をすると、すべてのイスラム社会国家を敵に回すことになると言うことである。世界で最も敬虔な宗教であるイスラム教は、それ故に世界中に広がる理由がある。「お経を読んで幾ら」とか「御布施の額が多いほど信心深い」とか言うどっかの国のまやかし宗教とは訳が違う。
「日本には平和憲法があり、自衛隊が合憲か違憲かの議論を置いたとして、なお自衛隊は少なくとも海外には行けないし、行ってはならない」。それが国是であったはずの憲法はもはや死に体と化したか?。
東京支部 荒 井 新 二
小澤茂さんは、団の大先輩。七十歳をお祝いして四谷法律事務所が中心につくられたのが文集「小澤 茂を語る」である。オリーブ・グリーンのB5版で四九三頁の大著。七六年の刊行だから、本に登場する少なくない方がすでに物故されている。嬉しいのは、その構成の斬新さ(内容は言わない。見てのお楽しみ)と「カミシモをつけない自由な発言の収録であるこの文集」(大塚一男さん「あとがき」)のお陰で、寄稿者や座談会の出席者たちの真卒な思いやその息づかいを今日でも生き生きと感じとられることである。私のみるところ、その後四半世紀、弁護士個人を語った本や法律事務所○○周年記念文集が、ひそかにこの本を超えようとしてあまたつくられたが、いまだこれを超えるものはない。
個人的な経験でもちょっとした機会、たとえば愉快な酒の席などで、この本の一節が、ひょこっと何げなく出てくるときがある。仕事、弁護士としての人格、事務所の経営、その経済‥等々、人生の機微に触れた箇所は忘れ難い。ときどき読み返したりもしている。
その本が七二冊も岡田啓資団員(東京支部団員)が持っておられた。しかも新品同様に大事に保存されていたとは。
八十周年の機会に団通信への投稿を全国の団員にお願いし、現在まで逐次団通信上に掲載されている。岡田さんもこの夏、編集委員会がお願いしたうちのおひとりであった。先日東京地裁のロビーで偶然遭った際、岡田さんがこの団通信投稿の話を口にされた。「小澤 茂を語る」を新人弁護士に進呈する旨の文書を投稿する積りであったが、四谷事務所の諸先輩を差し置いての推薦文を書くのに躊躇を覚えるため、原稿依頼の要請に応じられないでいて申し訳ない。
岡田さんはとりわけだが、こういう団からの要請にいつだってきちんと律儀に応じ、責任を果たすのに人一倍心をくだく団員がいることは団の美風であり、その力量である(逆に言うと、団としてなにか要請するときには、それだけのきちんとした熟慮と不退転の覚悟が必要ということである)。
あの本が七二冊も。おどろき、喜び、かつ湧き上がる思いは「ああ、勿体ない」であった。この四半世紀に団員になった方々にこそ、手にとって読んでもらいたい(新入団員には甚だ申し訳ない)。
不安げな依頼者の目をよそに、その場で岡田さんとの間で次の盟約をにわかに結んだ。
(1) その本を岡田さんは団編集委員会に寄託(無償)する。
(2) 委員会は、七二冊を受け取り、これを最大限有意義に活用する。
(2) その活用の機会を八〇周年記念事業とする。
(3) 委員会は本の受領をもって岡田さんが団通信の投稿責任を果た
したとみなす。
団の編集委員会と言っても、現事務局長のほか、委員長の鶴見祐策団員と谷村正太郎団員と私の三人だけの小さな世帯である。一時間後には快く追認してもらい、活用の具体化を次のように決めた。
この本を座右にしたい方(事務局員も含め)、あるいは事務所におきたい方は、面倒でもファクスあるいは電話で私宛、お申し込みいただきたい。委員会は六五冊分を先着順にお領けしたい。無償で送料なしにしたいので、八〇周年記念会場に私が必要数を持ちこみお渡しする。申込みが殺到すると十分予測されるので、申込開始時を一〇月一六日午前一〇時とさせていただく。責任をもって「有意義な活用」をする手前、漏れやトラブルを防ぐ為、申込者に編集委員会発行の引換証をファクスで返送するので会場までご持参いただきたい。
この本の第四章は「自由法曹団とともに」とあり、戦後の団の草創が語られている。団と共に歩まれた小澤さんを知り、語ることはこれまでの団の歴史をあらためて知ること。八〇周年を機にこの本が広く読まれることを願っている。
東京支部 鶴 見 祐 策
八月二五日から二七日まで松山市の県民文化会館に全国から一四〇〇名の商工業者、行政関係者、労働者、研究者が参加して集会が開かれた。主催は実行委員会。わが団も一員である。二年ごとに各地で開かれ、これまで一二回を数える。助言者などの立場で団員も参加することが多い。「21世紀!地域の豊かさ・可能性の再発見」
が今回のスローガンであった。大企業のリストラと下請業者の切り捨て、地域産業の立ち枯れをもたらし、勤労市民層にひたすら「痛み」を強いる政治のもとで自営業者は未曾有の困難を余儀なくされている。そのなかで中小商工業者が、いかに地域の個性と自らの技術や資源を活かしながら日本の経済を再生させるか、その道筋をさぐる三日間の熱意のこもった討議となった。前後二回の全体会と二〇の分科会、移動分科会、パネルディスカッション、展示会、基礎講座の学習会など多彩で活発な交流が行われたが、私自身は「税務行政」の分科会で助言者をつとめた。各地から消費税に重心が移行しつつある税務行政の新しい特徴について語られなかで、それを反映した厳しい側面が報告されたが、それと同時に裁判闘争の一定の前進が税務行政に少なからぬ変化をもたらしていることについても窺い知ることができて有益であった。さらに情報公開法を活用して税務行政に切り込む新しい工夫が各地で試みられ、成果をあげていることにも大いに勇気づけられた。納税者の権利確立法制の必要性と展望についても語られた。現在は「TCフォーラム」を中心に運動が進められているが、この運動における団員をはじめ法律家の役割の重要性を再認識させられた。
次回は二年後に神奈川で開かれる予定である。
東京支部 萩 尾 健 太
1 司法審「最終意見」に対する自由法曹団の意見書、読みました。これだけの文章をまとめたのはすごいと思います。新司法試験を受けるためのバイパスを認めないなど、私とは見解を異にする点もありますが、新自由主義改革とのせめぎ合いの中で司法審を捉えるなど、基本的な視点が座っており、概ね賛同します。
しかし、表題を見たときに始まり、団の意見書を読み進めるごとに、強い違和感を感じずにいられませんでした。それは、「国民のための司法改革」との言葉が使われているためです。
私には、在日の友人もいました。彼がこの意見書を見たら、なんと思うでしょうか。自分たちのためには司法改革は行われないのか、と疎外感を味わうでしょうか。
2 団の意見書一頁には、以下のような記載があります。
「現在の日本国憲法は、国民主権の原理にたち、国民こそ国の主人公とすることから、国民一人一人が人間として尊重されることを政治の究極の目的としました。」
この記述は、憲法学の通説的見解からすれば、誤りということになると思います。まず、国民とは、国籍を有する者とするのが、通説的理解ですが、人間として尊重されるべきは、国民のみならず、全ての人間です。それは、万人にとって人間として尊重され人権を保障されることがその人格的生存に不可欠だからです。そして人間として尊重されることとは、国政も含めたできる限り多くの場面で自己決定権を保障されることが含まれます。それが広い意味での主権です。しかし、国政の場面においては、制度的には、一定の資格要件を有した人、即ち国民に主権者は限られました。このように、個人の尊重から国民主権原理が導き出されるのであり、団意見書のように国民主権から個人の尊重、人権尊重を導き出すことは出来ません。国民でなくとも、全ての人が人権享有主体だからです。
また「国民の人権に対する最大の侵害行為である政府による戦争は永久に放棄されました(九条)」との記述も誤りだと思います。 憲法が戦争を放棄したのは、「正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し」たためであり、国民のみならず国民でないアジア人民の人権を侵略戦争で侵害したことの反省に立つと考えるのが文理解釈上も沿革上も正しいと思います。
「裁判の使命は、国民の基本的人権を守るために」との記載も誤りです。
前述のように、基本的人権は、国政への参政権などの僅かな例外を除き、国民でなくとも万人が享有するものです。そして、裁判所の使命は、国民主権原理とは区別される基本的人権の尊重です。実際上、裁判申立に国籍は関係ありませんから、裁判で人権を救済されるのは、国民には限りません。戦後補償の裁判は、外国人が原告となって行われています。この前、画期的判決を得た劉連仁さんも中国人です。裁判所の使命は、国籍を問わず全ての人の人権を守ることなのです。
団意見書最終頁には「主権者は国民であり、司法は国民のものです」との記載があります。この前段はその通りですが、後段は誤りです。司法は、人権救済機関ですから、人権享有主体性を有する全ての人のものなのです。
3 「何を細かなことを」と思われるかも知れません。しかし、今日、日本には多くの外国人が住んでいます。在日のひと、外国人労働者、難民、留学生、観光客、不法入国者まで様々です。最近、街で外国人を見かけないことの方が珍しいぐらいです。また、在日の人は、見かけでは区別が付きません。あなたの友人、依頼者、同僚も、実は在日の人かも知れません。「国民のための司法改革」を唱えて知らず知らずのうちに彼らに不愉快な思いを与えているかも知れません。そうした点への配慮が必要です。
団は、戦後補償の事件やNLGとの交流など、誇るべき国際活動を行っています。個々の団員も、外国人の事件に取り組んだりしています。「国民のための司法改革」を唱えることは、そうした団の実態にそぐわないと思います。資本がグローバル化している今日こそ、民衆のレベルでの国際連帯が必要なのであり、その観点からも「国民のための司法改革」との言葉は使うべきではありません。
4 では、どんな言葉を使うべきでしょうか。団の規約からすれば人民です。また、これまで団は民衆や大衆という言葉をしばしば使ってきました。私は、それらの言葉でかまわないと思います。なお、創価学会は聖教新聞紙上でも「民衆」という言葉を用いており、進んでいます。
市民という言葉を使うことには、争いがあるようですが、私は使ってかまわないと思います。市民は、本来は近代合理主義人を指す言葉であり、市民革命の当時、近代合理主義人はブルジョワジーしかいなかったので、ブルジョワジー=市民と考えられるようになったと私は理解しております。言葉の本来的な意味は、ブルジョワジーではないとおもいます。
「国民」という言葉には、どうしてもナショナリズムの臭いが付きまといます。自衛隊の報復戦争協力が取りざたされている今日、少しでもナショナリズムの臭いがする言葉は、遠ざける必要があると思います。