<<目次へ 団通信1037号(11月01日)


  自由法曹団事務局 二〇〇一年総会 東京にて開かれるー報復戦争反対などで活発な討議ー
村田 正人

県立高校の土地使用料として約八〇九〇万円の支払いを命じた名古屋高裁判決 

  菅野 昭夫 NLGアリゾナ総会とロースクール調査の旅
大久 保賢一 「法による裁き」の可能性と現実性
河内 謙策 二一世紀の新しい平和運動を考える
市川 守弘 ブッシュ・草の根ナショナリズム・そして日本
松島 暁 一集会参加者のつぶやき

二〇〇一年総会 東京にて開かれるー報復戦争反対などで活発な討議ー


自 由 法 曹 団 事 務 局


一 一〇月二七日、教育会館ホールにて自由法曹団二〇〇一年総会が開催された。参加者は約三四〇名であった。
 総会は、大阪支部・上山勤団員、愛知支部・西尾弘美団員、東京支部・中野直樹団員が議長団となって進められた。
 宇賀神団長は、挨拶で、団創立八〇周年の記念のつどいの成功に感謝したあと、「報復戦争参加法」案、自衛隊法「改正」案に触れ、総会の成功を訴えた。

二 来賓として大韓民国「民主社会のための法律家集団」(民弁)の事務総長ユン キウォン氏(松浦信平団員通訳)及び日本民主法律家協会会長の北野弘久氏が連帯の挨拶をのべた。
 自由法曹団が民弁を公式招待したのは初めてである。ユン・キウォン事務総長は自由法曹団の創立八〇周年に祝意を表し、その歴史は民弁の鏡だと評したあと、唯一の進歩的弁護士集団である民弁の歴史、労働運動に対する弾圧の状況、教科書採択の問題で団と連携してたたかったことも含め韓国の法律家のたたかいや、日本の憲法改悪への憂慮など多岐にわたる発言をされた。最後に、二つの法律家団体が、東北アジアの平和と民主主義のために手を取り合って実践的かつ持続的な共同行動を積み重ねていきたい旨の意思を表明して結んだ。

 北野弘久教授は、日民協が四〇周年を迎えること、自由法曹団がその構成団体として重要な役割を担っていることを強調された後、米軍支援法の策動にふれ、太平洋戦争の際の日本軍人戦死者が、戦闘行為で亡くなった人よりも兵站活動で亡くなった人が多いことを紹介して、政府答弁のまやかしを厳しく批判した。

三 古稀団員二三名の表彰と出席された九名の団員に一人一人表彰状と記念品が贈られた。出席された団員は、飯野春正団員、中田直人団員、徳満春彦団員、浜口武人団員、石川元也団員、宇賀神直団員、土田嘉平団員、三浦久団員であった。今総会から代表一名のみの挨拶となり、一月一日生まれの三浦団員から力強い挨拶があった。

四 篠原幹事長は、前日開催した八〇周年記念のつどいが七〇〇名、夜のレセプションが六五〇名の参加で成功したことの報告をした後、討議の問題提起を行った。同時多発テロ後、アメリカの武力報復が開始され、日本の報復戦争参加法への反対、これに対する団のたたかいについて、素早く立ち上がった各地でのたたかいの状況も含めて積極的な活動が紹介された。

 教育問題については、教育三法の強行、教育基本法の改悪の動向についてのたたかいの意義と必要性を訴えた。また「つくる会」教科書の採択を阻止した成果を強調。教育改革対策本部が教育問題を団全体としてのたたかいに押し上げたことを報告した。

 司法問題では、前日、司法改革推進法案が衆議院法務委員会で採決されたこと、今後のたたかいで国民の目から見えないところでの法案作りに対し、一層国民的運動を盛り上げていく必要性を強調した。法案の中身については、一条の目的条項の危険性、それとリンクした基本理念の問題、さらにそれを受けた形での、日弁連の責務条項についての問題、五条の司法改革の枠組みが、法案づくりの過程で司法制度改革審議会の最終意見のうち積極面をも排除してしまう危険性をはらんだものになっていることを指摘した。
最後に、予算案・決算報告の提案を行い、会計監査から会計処理が適正に行われていることが報告された。

五 討論は三三名の団員(文書発言一名を含む)と、事件当事者一名が発言した。
 同時多発テロ、報復戦争、報復戦争参加法案の問題に関する発言が相次ぎ、一一名の団員が発言した。自衛隊参戦の違憲性、防衛秘密における国家秘密法の復活の危険性、アメリカの武力報復の国際法違反、同時多発テロ実行犯の処罰の法的手続の道筋などの討論、そして大阪でのいち早い法律家デモ(九月二一日)、長野における青年たちと団員の共同、五三期で始めた意見広告運動、京都、東京での運動、これからの運動のあり方など多角的観点からこの問題が深められ、活動の交流がなされた。とりわけ、若い世代の立ち上がりが注目され、そこでインターネットによる急速で新しい結びつきの工夫がなされていることが教訓的であった。また、国際法を含めた法的問題の解明が法案反対の勢力の中でも拡がっておらず団の役割が重要であることが述べられたことが注目される。

 憲法調査会の問題では、仙台と神戸での公聴会における取組みが紹介され、公述人の選定などについて不透明で市民に開かれていない実施要領であったことをはね返して、いずれも護憲の意見が会場を圧したことなどが紹介された。

 司法問題では、六人の団員から発言があり、司法制度改革推進法案の問題点の解明と共に今後の「国民運動が主戦場」であること、そしてそのなかでの団の役割についての議論、大阪、東京での市民集会の開催、市民向けパンフレットつくりの紹介など、問題点の解明とそれに基づく運動の両面での討論が行われた。

 労働問題では、三名の団員から発言があり、NTTでの大規模なリストラ攻撃に対する反撃のたちあがり、白木屋事件での巨額の残業代不払いなどに対する勝利解決、芝信での男女差別について最高裁での勝利解決を目指すたたかいについての発言があった。

 教育問題・教科書問題では三名の発言があり、教育基本法の改悪の動き、政府の進める教育「改革」とこれへの対抗、「つくる会」教科書不採択運動での勝利とその意義、東京・杉並での熱いたたかいの経緯と勝利の報告がなされた。文書発言は、日本育英会奨学金制度改悪に反対する署名への協力要請であった。

 ほかに国家公安委員会への情報公開請求の取り組み、コンビニ問題での取組を訴える発言、ヤコブ病の救済を求める訴訟の報告、痴漢えん罪長崎事件の経過報告と本人からの訴えがなされた。

 また、NLG総会参加者から、同団体が報復戦争反対の立場を確立していること、テロ犯人捜査を口実に大量の人が拘束され会員がその救済活動に取り組んでいること、えひめ丸事件被害者支援と憲法九条など平和の問題をテーマとして日本問題分科会がセットされたこと、今後NLGの国際問題委員会の中に日本問題小委員会が設置されることになった、との報告があった。

 五四期の新人から、研修所で競争をあおる教育が強められている実態と、同期で白いリボンをつけて報復戦争に反対する意思を表明する運動に取り組んでいること、等の報告がなされた。

 最後に、いままで経験したことのない壮大なたたかいの局面にたっていること、一〇年〜一五年目の若い団員が大きな力を出していることに勇気を与えられていること、労働組合運動もナショナルセンターの枠を超えた共同の広がりとなってきている情勢に確信をもってたたかっていこうという発言で討論が締めくくられた。
六 討論を踏まえ、総会議案、予算案・決算報告がそれぞれが承認された。そして、次の各決議が採択された。
 (1) 報復戦争の即時中止と報復戦争参加法案等の撤回を求める(八〇周年記念の集いの決議を総会でも確認)
 (2) 国民のための司法実現にふさわしい民主的で開かれた推進体制を求める決議
 (3) 教育基本法改悪に反対し、憲法・教育基本法・子どもの権利条約に基づく教育改革を実現する共同行動を進める決議
 (4) 雇用・失業問題に関する決議
 (5) 住民訴訟制度を改悪する地方自治法「改正」案の廃案を求める決議
 (6) 芝信用金庫の女性差別是正事件と不当労働行為事件について、公正で正義と良識にかなった最高裁判決を求める決議

七 選挙手続で団長、幹事が選出されたことが報告され、総会の場を一時休会にして拡大幹事会を開催し、常任幹事を選出したほか、新入団員二二名の入団を承認した。また幹事長、事務局長、事務局次長を選出した。新役員は次の通りである。
 団長    宇賀神 直(大阪支部  再任)
 幹事長   篠原 義仁(神奈川支部 再任)
 事務局長  中野 直樹(東京支部 新任)
 事務局次長 山田  泰(神奈川支部 再任)
   同   黒澤 計男(東京支部 再任)
同   大川原 栄(東京支部 再任)
   同   伊藤 和子(東京支部 再任)
   同   柿沼祐三郎(群馬支部 再任)
   同   斉藤 園生(東京支部 新任)
   同   山崎  徹(埼玉支部 新任)
   同   井上 洋子(大阪支部 新任) 

八 退任した役員は次の通りで、退任の挨拶があり、慰労の拍手があった。
事務局長  小口 克巳(東京支部)
事務局次長 財前 昌和(大阪支部)
  同   小賀坂 徹(神奈川支部)
  同   南  典男(東京支部)

九 閉会にあたって二〇〇二年五月集会へのお誘いの挨拶が三重支部の石坂俊雄団員からあった。今回は五月二六日(日)〜二七日(月)の日程(ただし、五月二五日にはプレ企画を検討中なので合わせて日程を確保いただきたい)であり、例年と違うので手帳に記載され、間違いのないようにお願いしたい。
 最後に開催地の東京支部・松井繁明支部長から閉会のあいさつがあった。
 一〇月二六日に開催された八〇周年記念のつどい、記念レセプションについては、次号別途報告する。    (文責 小口克巳)


県立高校の土地使用料として約八〇九〇万円の支払いを命じた名古屋高裁判決 


三重支部  村 田 正 人


一、三重県立津西高校の学校用地を所有している津市が、契約書もないままに三重県に使用させているのは、地方財政法第二七条に違反しており、不法占有であるとして、@津市長が使用料相当の損害金を三重県に請求しないのは違法であることの確認と、A使用料相当の損害金の支払いを求めていた住民訴訟で、名古屋高等裁判所民事第二部(裁判長裁判官大内捷司)は、平成一三年九月二八日、原告の請求を棄却した一審判決を覆す逆転勝訴を言渡しました。判決は、使用貸借契約の締結を認めることはできないとして、イ、津市長の怠る事実の違法確認を認め、ロ、監査請求のあった日の一年前から口頭弁論終結時まで使用料相当の損害金として八〇九〇万円を三重県に支払うように命じています。

二、新設の県立高校は、市町村に誘致合戦をさせて、敷地の寄付を受ける「土地の官々接待」の悪習があとをたたなかったため、自治省は、昭和三八年に地方自治法第二七条を改正した際、県立高校の建設費(土地取得を含む)を地元市町村に負担させることを禁じました。また、昭和五一年の自治省「内かん」で、いまだ、肩代わりを存続している措置は市町村の自主的な財政を阻害するとして、法的形式の如何をとわず、新年度からの予算措置で是正するよう各都道府県に通知しました。

 しかし、三重県は、津西高校の学校用地の全部約八万平方メートルをただ使いする一方で、約九万平方メートルの所有地を、三重大学附属小学校の学校用地として国に貸与し、年間約三億円余の高額な使用料を受け取ったり、桑名市や四日市市には、県立高校の学校用地の使用料を支払うなど、ちぐはぐな行政を行っていました。今回の判決は、誘致をエサに、立場の弱い市町村に土地取得を肩代わりさせる「土地の官々接待」にメスをいれるものとして意義があります。

 判決は、地方財政法違反の判断は避け、その前段階の使用貸借契約の不成立で勝訴させましたが、この判決は、学校用地の使用に関する全国ではじめての判決であり、いまだ、全国で多数の地方財政法違反状態を是正しないでいる県立高校の敷地問題を見直す契機となるでしょう。津市は市民の利益に反して上告し三重県もその後に上告しました。最後の勝利まで闘わなくてはなりません。関連情報をお持ちの方は是非三重合同法律事務所までご連絡下さい。
電話〇五九・二二六・〇四五一/FAX〇五九・二二三・〇九五七   


NLGアリゾナ総会とロースクール調査の旅(報告)


国際問題委員会委員長  菅 野 昭 夫


1 団は本年度もナショナル・ロイヤーズ・ギルド(NLG)の総会(アリゾナ州 トゥーソン市)に代表団(鈴木亜英前幹事長、島田広団員(北陸支部・福井県)と私の三人を派遣し、同時にロースクールの調査を行ってきました。

 日程は以下のとおりでした。
 一〇月八日出発。一〇月九日ロス・アンゼルス市にて午前中UCLAロースクール、午後LOYOLAロースクールを訪問し、見学・懇談。
 一〇月一〇日トゥーソン市に移動し、観光。一〇月一一日終日アリゾナ大学ロースクールにて懇談・授業の見学 夜NLG総会オープニング・セッションに参加。
 一〇月一二日午後NLG総会の日本問題分科会を主催する。終了後メキシコ国境を超えてメキシコ領内までのデモンストレーションに参加。
 一〇月一三日NLG総会の反核問題分科会に参加。観光。一〇月一四日帰国。

2 アメリカは、九月一一日事件後のテロ対策警備の強化の最中であり、空港には銃で武装した州兵が徘徊し、FBIが最高度の警戒を発令し、テレビをつけると空爆と炭疽菌事件の報道ばかりという状況でした。しかし、NLGの弁護士たちは、政府とマスコミが戦争を正当化するために意図的に危機意識を演出しているという見方をしていました。

3 ロースクールの調査は、民衆の弁護士を養成するためにNLGを始めとするアメリカの進歩的な弁護士がロースクール教育においてどのような取り組みを行っているか、それに対する学生の反応と成果はどうかに焦点をしぼって行われました。私たちは、この点に関し、三つのロースクールの教授(NLG会員とその友人)の手厚い案内と説明を受け、授業を参観し、NLG支部の学生と懇談することができました。この成果はいづれ、報告書を出す予定ですが、NLGがロースクールの教官の中で大きな影響力を持ち、民衆の弁護士を育成するために系統的な努力を続けている事が良く理解できました。同時に、「ロースクールに入学する学生の半分は社会の進歩に役立ちたいと考えている。しかし、卒業するときは五%に減ってしまう。そして、弁護士になってからはローンの返済に追われて、進歩的なスタンスを維持できる者はさらに少数になる。」との説明が印象的でした。また、NLG総会に参加したある学生と話をした際、ロースクールの中のNLGの支部が民衆の弁護士の育成に不可欠の役割を果たしており、彼自身もそれなしでは将来を展望できないことを力説していました。

4 NLG総会での日本問題分科会は大成功であったと思います。当初は日本からえひめ丸事件の寺田さん夫妻を含め二〇人近い代表団を約束していたのに、三人に減り、分科会内容の送付が遅れたためプログラムには殆ど記載なく、公式の宣伝も無い中で、分科会が成り立つものかと心配しましたが、口コミの宣伝で二〇人のアメリカ人が参加してくれました。その中にはアーサー・キノイ、ピーター・アーリンダー、ロビン・アレクサンダー、エリック・シロトキンらの我が友人たちの顔もありました。ピーター・アーリンダーが司会を努め、鈴木団員がえひめ丸事件について真相解明を求める被害者の闘いとそれに冷淡な日本政府、愛媛県の対応、日米法律家の共闘の必要性についての報告を行い、私は、現在の報復戦争参加法案の危険性と憲法九条の危機について、歴史的経過を含めた報告を行いました。アメリカ人の参加者は活発な質問・意見を述べ、えひめ丸事件の被害者の闘いや憲法九条を擁護し日本の軍事化を阻止することはNLGにとっても共通の課題であることが確認されました。NLGは、こうした課題のために、国際問題委員会の中に日本問題の小委員会を設けるべきとの意見も出され、実行に移される見通しです。

 この分科会で痛感したのは、日本の憲法九条の国際的な意義でした。私たちがNLGの総会に参加するようになって一〇年近くになりますが、最初はNLGの弁護士も憲法九条や在日米軍基地のことは全く知りませんでした。しかし、今では、かなりの人たちに知れ渡っているばかりか、九条の精神こそが国際平和の灯台であると認識されるようになっています。翌日の反核の分科会でも、アメリカ人による報告や発言の多くが九条の危機に言及しており、私たちは誇りをもって九条の擁護に取り組む必要があります。

5 私たちが参加したメキシコへのデモンストレーションは、多少緊張したものでした。デモは、国境をメキシコの労働者のために恣意的に閉鎖し、メキシコ労働者を搾取していることに対する抗議のためのものでした。NAFTAによって資本の移動は自由に保障され、かつアメリカ人のメキシコへの移動も自由にしておきながら、メキシコ人はアメリカへ自由に入国させない不正義に加え、九月一一日事件後は国境警備がさらに強化され、レイシャル・プロファイリングに基づく取り締まりが当たり前になってきたとのことです。デモは国境の検問所を赤旗を林立させて行進し越境するのですが、私たち三人は外国人であるため、メキシコへ出国した後再入国するにはアメリカ入管の厳重なチェックをうけなければなりません。しかし、NLGの移民法の教授の保護で無事戻って来れました。

6 総じて、極めて有意義な調査・交流が出来たことを喜んでいます。
※次号にて鈴木亜英団員、島田広団員からの訪米報告を掲載致します。


「法による裁き」の可能性と現実性

埼玉支部  大 久 保 賢 一


一 アメリカのアフガニスタンに対する武力行使は、単に国連憲章上の「自衛権の行使」と認められないだけでなく、「友好関係原則宣言」(一九七〇年・国連総会)で禁止されている「復仇」に該当し、「侵略の定義に関する決議」(一九七四年・国連総会)に照らせば「侵略」に該当すると思われる。また、「テロ対策特別措置法」による自衛隊の米軍への協力は、武力行使そのものであって、「憲法の枠内」などというのは悪質なデマゴギーである。このままでは、「政府の行為によって、再び戦争の惨禍」を招くことになる。アメリカと日本の政府は、「法の支配」も「立憲主義」も無視する軍事力優先主義なのだ。けれども、彼らも「正義」と「秩序」をそのスローガンにしているのである。私たちは、武力行使を否定し、「法の支配」や「法による裁き」による正義と安全を主張している。では、私たちのいう「法による裁き」とはどの様なものなのか。それは可能なのか、また現実的なのか。検討されなければならない。

二 今回のテロ事件は、国際社会に対する犯罪であるから国際法に基づいて裁くべきだという主張がある。確かにこの事件が国際社会に与えた負の影響は甚大である。しかしながら、「国際社会の安全を脅かす罪」という犯罪類型はない。国連安保理が国際社会の安全と平和を脅かす行為であると決議したからといって、それだけで法的な意味で国際犯罪となるわけではない。

 また、現在、テロ行為を国際犯罪とするいくつかの条約があるけれど、今回の事件に直接適用できる条約がないだけでなく、テロ行為一般を処罰できる条約もない。(テロリズムについての共通の定義すら確認されていない。)仮に、適用できる条約があったとしても、犯人の引き渡しを求めるか、犯人の所在国での処罰を求めることができるだけである。

 そこで考えられるのは、今回の事件を「人道に対する罪」として処罰することである。この罪は、国際法上明文の規定がなくても慣習法であるし、戦時だけでなく平時においても適用できるとするのである。国際刑事裁判所規程はこの構成要件を用意している。けれども、この規程は未発効である。当然、常設の国際刑事裁判所はない。そうすると、この事件を法的に裁くためには、九月一一日の事件を犯罪とする条約をつくるか、あるいは国際慣習法があるとして、特別の裁判所を設置しなければならないことになる。要するに、刑事法の一般原則を無視し、かつ関係国の国家主権を制限することができれば、特別の国際法廷を設置し、そこで犯人の処罰は可能になるのである。

 先例はある。旧ユーゴやルワンダでの非人道的な行為を裁くための特別の国際法廷は設置されている。国連安保理の決定に基づくものである。弁護士とすれば、刑事法の一般原則を無視することは心苦しいけれど、ここではとりあえず触れないでおこう。問題は、安保理常任理事国のアメリカが自国の裁判権が制約されることを承認するかである。アメリカが拒否権を発動すれば安保理での決議はできない。また、安保理以外の国際機関が、国際法廷を設置する権限があるとすれば、国連総会ということになるが、この先例はない。ただし、パンナム航空機の事件のように、関係国の合意で特別法廷を設置できれば、それはひとつの方法であろう。

 国際法に基づいて、国際裁判所で処理するという方法には以上のような困難が伴うのである。

三 アメリカが自国の裁判権の制約を拒否するのであれば、アメリカに裁判をさせるのはどうだろうか。今回の事件がアメリカの国内犯罪であることは自明であろう(私にはアメリカ刑事法の知識はないので、日本法の類推でしかないが)。アメリカには、この犯罪者の捜査・逮捕・起訴・裁判・刑執行の権限があることは誰しもが認めるところであろう。問題は、ビン・ラーディンが犯人であるとして、アフガニスタンがその引き渡しや捜査と裁判に協力するかである。国際法上、犯人の引き渡しや司法共助について、個別条約は別として、一般的な条約はない。従って、外交交渉が必要となる。もちろん、アメリカがアフガニスタンに対して、その根拠も証拠も示さないままに、犯人の「即時・無条件の引き渡し」を求める国際法上の根拠などない。タリバン政権が「証拠が示されれば、信頼できる第三国に身柄を移してもよい。」と主張するのは当然のことである。ここでもアメリカの横暴ぶりが目に余る。それはともかくとして、アメリカは、アフガニスタンの協力なくして、その裁判権の行使は不可能となる(欠席裁判は別だが)。アメリカでの裁判にも困難が伴うのである。

四 いずれの方法でも困難が伴うことは明らかである。けれどもこれを解決しないかぎり、アメリカの武力行使に、「犯人の引き渡しを求める」ということに限れば、正当性の根拠を与えてしまうことになる。なぜなら、法の執行が不可能であれば、「直接的な力」で正義を実現するという主張を無視することはできないからである。
 「法の裁き」を現実とするためには、国際社会の協力が必要なことはいうまでもない。安保理は、今回のテロ事件が国際の平和と安全を脅かすものとして、あらゆる手段をとることを決議している。「法の裁き」のための一つの方法は、国際法廷の設置である。もう一つは、アメリカの裁判権行使のための国際協力体制の確立である。第一の方法は、アメリカの抵抗と伝統的国家主権論の克服という困難はあるが、イスラム諸国の支持は得やすいかも知れない。第二の方法は、国家主権の制限はないけれど、アメリカに世界の裁判官の地位まで認めることはできないという抵抗にあうであろう。

五 私には、第二の方法が現実的であるように思われる。この事件は国際的な事件ではあるけれど、直接当事国はアメリカなのだから、その裁判権の正統性の論証は難しくないであろう。アメリカは国際社会の裁判官になるのではなく、国内犯罪について裁判権を行使するだけなのである。アメリカには、その主権を制約されることなく、法的に正義を実現する機会は提供されるのである。他方、アメリカの軍事力の行使は国際法に違反することの論証も困難ではない。場合によっては、国際司法裁判所の活用を考えてもいいだろう。そして、アメリカの武力行使を停止するのである。法的に正義を実現する方法があるにもかかわらず、いたずらに実力行使をすることは、単なる「私刑」である。アメリカは国際的無法者になる。

 いま、求められていることは、アメリカの武力行使を停止し、自衛隊の出動を阻止し、国際社会の強い協力の下に、強制的な手段の行使を含め(軍事力ではなく、国際司法警察権の確立である)、「法による裁き」のシステムを構築することである。

 「力の支配」から「法の支配」へ。そして非軍事平和思想を国際規範に高める時が来ている。 (2001/10/29)


二一世紀の新しい平和運動を考える

東京支部  河 内 謙 策(在ボストン)


1 私は、ハーバード大学ライシャワー研究所の客員研究員として、アメリカのボストンに住んでいます。多くの団員の皆様に十分な連絡もしないまま渡米してしまい申し訳なく思っています。お許しください。今回のアメリカの報復戦争については、絶対に反対だという思いから主として日本国内の友人に対しBOSTON PEACE NEWS を、主として日本国外のNGOにたいしPEACE LETTERS FROM JAPANESE FRIENDS を不定期にメールで発行しています(ご希望の方は、メールでご連絡ください。kawauchi@fas.harvard.edu)

 今回本部事務局の森脇さんから原稿の依頼を受けたときに右のテーマを思いついたわけですが、右のテーマを今回の九月一一日以降のアメリカの反戦運動の新しい特徴と関連付けて考えてみたいと思います。

2 今回のアメリカの反戦運動の新しい特徴の一つは、戦争勢力の側だけでなく、反戦運動の側も全面的にコンピュータを活用していると言うことです。実際、世界各地で行われた集会が数時間後にはコンピュータで、場合によっては音声と動画つきで見ることができるのです(たとえば、http://www.indymedia.org/ 参照)。新しい運動のための組織がつくられると、直ちにサイトもつくられます(たとえば、http://www.internationalanswer.org/index1.html や
http:www.justicewithpeace.org/参照)。市民はどの集会に行くかを、サイトを見て考えることができます。団体の運営もサイトを中心になされているといっても過言ではないようです。ヨーロッパでも同様らしく、コール・モアトンは、一〇・一三のロンドン五万人集会につき「ロンドンでの平和集会は、かつてのどの時よりも早くウェブサイトやイーメイルによって大きくなった、戦争に反対する多様な人々の力を示す最初のショーであった」と述べています
(http://www.independent.co.uk/)。

 この流れは、21世紀に全世界で完全に定着することになるでしょう。しかし、今はまだ表面化していませんが、コンピュータ化は、思考の画一化と組織の機械的運営に結びつきやすいのではないでしょうか。

3 今回のアメリカの反戦運動の新しい特徴の一つは、反戦運動において非暴力(nonviolence)の理念が大きく取り上げられていると言うことです。ブッシュが九月一一日の直後から報復を口走っていたこともあって、反戦運動の側は、「暴力は暴力を生む」とか「暴力の循環をやめさせよう」というスローガンに見られるように、早くから非暴力の理念を掲げていました(たとえば、エリック・ピアニの九月二〇日付ワシントンポストの記事参照
http://www.washingtonpost.com/)。これは、アメリカにおいては画期的なことです。なぜなら、アメリカは西部劇に見られるように暴力賛美、国際社会において暴力=軍事力の使用は当然と考える国なのです。これはガンの規制の難しさにも現れています。今回の反戦運動において理論的な指導者はいないようですが、かのガンジーの孫であるアルン・ガンジーの与えた影響は、きわめて大きいものがあるように思います(彼の見解は、ガンジー非暴力研究所のサイトで見ることができます。http://www.gandhiinstitute.org 彼の「テロリズムと非暴力」という論文の翻訳文が必要な方は、河内までご連絡ください)。

 一九九九年の春にオランダのハーグでHague Appeal for Peaceの国際市民会議が開かれ、戦争の廃止がテーマになりましたが、今回の反戦運動は、大衆的な規模でこれを発展させたと言うことができます。これは、人類史上の重大事と言ってもいいかもしれません。しかし、非暴力の問題は、発展すればアメリカの軍隊の廃止につながる問題であるだけに、これから一波乱も二波乱もあるでしょう。私見では、暴力の問題は、優れて文明的な問題だと思います。暴力を用いないとは、人間と人間の関係を優しくすることですから、自然にやさしくない人間が、人間同士でやさしい関係を作ることができるとは考えられません。また、この問題につき日本の運動に言いたいことは、この問題は日本の運動にとって、決して卒業済みの問題ではないと言うことです。
4 今回のアメリカの反戦運動のもうひとつの新しい特徴は、NGOが主役だと言うことです。AFL・CIOのサイトを見てください
(http://www.aflcio.org/home.htm)。実際、反戦運動に労働組合はほとんど参加していません。このように言うと、日本の階級的労働組合は違う、という反論がなされるかもしれません。しかし、私の日本での経験から言えば、労働組合が平和の問題を生き生きと取り組むためには乗り越えなければならない幾多の問題があり、そこにはアメリカとも共通した問題があるように思うのです。

 逆に、その機動性、活動の柔軟性・創造性、国際性を遺憾なく発揮して大活躍しているのがNGOです。世界的に見ても二一世紀の新しい主役がNGOであるということは、明白だと思います。私が特に親しくさせていただいているのはクェーカー教徒ですが、彼らはほんとに立派で尊敬しています(http://www.afsc.org/ および http://www.fcnl.org/index.htmを参照。日本語での案内書としては、阿部知二『良心的兵役拒否の思想』岩波新書、がお勧めです。)。このNGOに若い人と一緒に新しく参加しているのが団塊の世代の「老人たち」で、経営学者のドラッカーはアメリカでは老後の楽しみはNGOという人が増えていると指摘しています。日本の平和運動の一部には、NGOに対する消極性があるようです。しかし、今回の反戦運動は、日本が世界の人々に積極的に働きかけ問題提起をするチャンスだと思います。
 青年学生の問題や新しい国際連帯の問題など、述べ足りなかった問題もありますが、枚数を超過してしまいましたので、次回ということにします。             [一〇月二一日記]


ブッシュ・草の根ナショナリズム・そして日本


北海道支部  市 川 守 弘(在コロラド)


 九月一一日のテロ、引き続くアフガン攻撃は、筆者を含め多くの人のアメリカ観を塗り替えるような出来事である。また異常とも思える「国際社会から取り残されるな」という日本の対応は多くの国民に戸惑いと不安を与えている。しかし実際のところアメリカ人が何を考え、どうしようと思っているのかはマスコミ報道からはなかなかうかがえない。筆者の二年間のアメリカ滞在の経験は、アメリカ社会のほんの一部を垣間見ただけであるが、この経験から感じたことをまとめてみたい。

 まず九割を超えると報道されるアメリカ国民のアフガン攻撃に対する支持率はテロの発生した東部と筆者が生活している西部とではかなりの温度差がある。少なくとも私の周りの人たちはすべて戦争に反対している。コロラド選出の下院議員(Udall)は兵力のアフガン投入に反対している。この温度差はテロに対する現実の恐怖からきている気がする。東部はテロの「標的」ゆえに戦争を支持する率が高く、西部は逆なために戦争を支持する人が比較的少ないように思われるのだ。マスコミの世論調査の方法によってはこの支持率も高下するように思われる。

 といっても、多くのアメリカ人が報復戦争を支持していることに変わりはない。いったいこの「草の根ナショナリズム」はどこから来ているのだろうか。ある友人は、「やられたらやり返す」という西部劇以来の伝統と評した。確かに西部開拓の時代には自分たちの家族や町は自分たちで守る、もし家族や町に危害を加える者(単に対立する者にも)があれば、力ずくで相手をねじ伏せるという伝統があった。テキサスレンジャーはその最たるものである。ワイオミングのジョンソン郡では牧場主たちがガンマンを雇って利害の対立する入植農民を殺したり、焼き討ちしたりして「戦争」にもなった。今でも西部では多くの家庭で銃を所持している。家族を守るのは自分たちの責任で、銃を持つのは権利だと多くの人が考えている。ただ、この「西部開拓以来の伝統」だけでアフガンにまでミサイルを飛ばすことが説明できるとは思われない。

 また、ある説明では、「アメリカは外国に攻められたことがないため、実際に外国から攻撃されると、パニック的になる」からといわれている。確かに東部での状況はパニック的だ。精神科医にかかる人も急増していると聞く。この「攻められたことがない」というのは戦争被害を受けた国の痛みがわからないということも意味する。だから容易に他国への攻撃を肯定する。ヒステリックとまで思える今の状況は、「純粋培養」されてきた国民が外から受けた被害に過剰反応している気はする。

 さらに、報復戦争の支持はアメリカ人の「文化」にも影響されているように思えてならない。アメリカ人(ヨーロッパ人)は応報、報復には肯定的である。開拓初期のインディアンとアメリカ人(当時はまだヨーロッパ人)との刑罰観に対する比較がある。インディアンには殺人犯に対する死刑はない。あるヨーロッパ人が三人のインディアンを殺害したとき、インディアンは賠償をヨーロッパ人に要求した。インディアンの考えからは、犯人側の家族から遺族に対して賠償することによってこそ地域の平和が保たれるとされているためだ。要求を受けたヨーロッパ人側はインディアンとの平和が壊れることを恐れ、五人の犯人を逮捕し、死刑にした。死刑執行にインディアンを招待し「正しく処罰」することを証明しようとした。インディアンは驚き、死刑を止めるように懇願したが、ヨーロッパ人にはこの考えは理解できなかった。次々と死刑が執行されて三人が殺されたところでインディアン側は「インディアンは三人殺されただけだから、もうこれで十分」と申し入れたが、結局五人が殺された。同じようなことが独立後にもあった。あるインディアンリザベーションで一人のインディアンが白人に妥協するチーフのインディアンを殺した。犯人とその家族は被害者側に賠償し、これで一件落着であった。驚いた合衆国政府は「殺人行為を賠償だけで済ますのは野蛮な習慣」として、犯人を逮捕し合衆国の裁判にかけた。判決はインディアンの自治権から合衆国は犯人を処罰できないとしたが、これをきっかけに重大事件はインディアンの慣習法による裁判ではなく合衆国の裁判にかけ死刑にする、という法律を通してしまった。インディアン側からは今でも応報を要求するアメリカ法はインディアンの伝統と慣習にはなじまない、として応報的考えそのものに懐疑的である。この文化の根元がどこにあるのかは筆者にはわからないが、多くのアメリカ人は依然この「単純明快」な応報的考えに支配されているように思われる。多くのアメリカ人は、テロ行為は当然にそれと見合う罰が下されるのが正義であると確信しているようだ。九割近い報復戦争の支持は結構単純な、この文化の結果という気がしてならない。そういう意味では、案外とこの戦争支持率は気分的なもので、アメリカ軍が多くの無関係の市民を殺しているという戦争の実態がわかるにつれて、この支持率も下がって行くように思える。

 「純粋培養」国民の過剰反応にしても、応報文化にしても、今のアメリカ社会で一番問題なのは、このような国民意識をこれでもかとばかりに煽るマスコミとブッシュである。

 マスコミは、連日、テロの恐怖を煽る。アメリカがかつてビンラディンやフセインに武器提供していたことや、アフガンの国境閉鎖はそれまでの国連などの救援物資の輸送を不可能にし、それによって飢餓で死ぬ人が何万人にも上る可能性のあることや、最近の中東危機にブッシュは知らん振りをしてイスラエルのやりたい放題を是認していたことや、キューバ航空機爆破(八〇年代)のテロ犯人を匿い、キューバからの犯人引渡要求を拒否していることなどなどには全く触れず、アメリカがテロに狙われていること、今こそアメリカは一丸となってテロと闘うとき、テロとの闘いは唯一戦争である、と戦時報道を繰り返す。アメリカの今のマスコミは読売新聞よりもひどい。

 ブッシュは連日のようにテレビに登場し、月光仮面のように振舞っている。ところでブッシュの大統領としての正当性は、最高裁判事によって与えられた。このブッシュの正当性を認めた最高裁判事は九人中五人を占める共和党判事であった。レーガン、ブッシュ(父)時代に任命された判事がブッシュを大統領としたという事実は、多くの国民が必ずしもブッシュを全面的には支持していないこと、つまりブッシュは常に薄氷の上にいることを意味する。私の周りの人たちはこのことから、ブッシュの政策はいつまでも高支持率のままでは推移しない、と指摘する。つまり、アフガン攻撃に対するブッシュへの支持も、いつまでも続くとは限らないようだ(もちろん、マスコミには登場しないが全米各地で反戦運動も起こっている)。ブッシュは、このことを熟知している。だから、国民に危機感を煽ることによって自分への高支持率を維持しようとしているように思える。テロ直後、ニューヨークで、「アメリカ統一」を声高にまくし立て、大げさとも思えるようなジェスチャーで「テロの恐怖」「戦争の危機」を毎日煽っているのはこのためと思えてならない。しかも、この危機感を煽ることによって、アキレス腱の経済危機を国民の目からそらし、カーター政権以来のエネルギー政策の転換を積極的に進めようとしている。エネルギー会社の後押しで大統領になったブッシュにとって、アラスカ、中西部、メキシコ湾での油田開発、原子力発電の再開は国民の「大反発を招くはず」であったが、「戦争騒ぎ」で国民的討論のないまま着々と開発法案を通しているのだ。

 このように、強固とは思えない戦争支持の国民の意識やブッシュが実際に行っていることを見る限り、国民が冷静になって事態を見始めたとき、世論は劇的に変化するように思う。かつてベトナム反戦運動に多くの国民が参加したように反戦運動が盛り上がるだろう。ウォターゲート事件がニクソンを辞任にまで追いこんだように「騙された」事を知った時のアメリカ国民の回復力は外国人には計り知れないほど大きい。今はテレビを見ながら、このアメリカ人とアメリカ民主主義の持つ復元力に期待している。

 日本はどうだろう。アメリカから見ているかぎり、アメリカが日本に「戦争協力」を要求してはいない。自衛隊の後方支援などアメリカのマスコミや世論はまったく考えてもいない。日本のマスコミによる「国際社会」は作られた意識であることをアメリカで実感している。日本政府やそれを支持するマスコミは、ブッシュと同じように、これを機会に特定の目的にために事態を「利用」しようという思惑が働いていることは確かである。日本の民主主義にも、この事態を元に戻す復元力のあることを期待したい。


一集会参加者のつぶやき


東京支部  松 島   暁


 世界金融資本の象徴である貿易センタービルが、ほんの数人のテロリストによって、瞬時に崩壊させられた。二つのシンボル、軍事と経済の破壊に激怒したブッシュ米大統領は、「これは戦争だ!」「第二のパールハーバー!」だと叫び、報復戦争を世界に宣言した。わが小泉首相は、ここぞとばかりアメリカの復讐心に便乗し、自衛隊の海外派遣の実績作りをもくろんでいる。

 そんな中、自分に何ができるのか、報復戦争をやめさせることはできないものだろうか。とりあえず九月二八日の日比谷野音での緊急集会に事務所の何人かの弁護士と参加した。

 政党の党首や労組の幹部が次々に演壇に立って、「テロ糾弾、報復戦争反対」を訴えていた。が、何故か、心に響いてこない。

 「テロ糾弾」の訴えを聞いても、今回のテロに対する「怒り」がわいてこないのである。「糾弾」とは、罪状を問いただして調べ暴くこと、らしい。高層ビルやペンタゴンに突っ込んだのがイスラム過激派の行動であれば、とてもではないが、彼らの「罪状を問いただす」気分にはなれない。

 イラン封じのためにイラクを育て、イラクがクウェートに侵入すると湾岸戦争を始める、ソ連排除のために、アフガニスタンでのイスラム義勇兵を財政的にも軍事的にも支援する、そもそもタリバンを育てたのはCIAだったはず、今度は、タリバン壊滅のためかつての敵、キューバやシリアとも手を組むという、そんなデタラメな外交政策を展開してきたのはアメリカではなかったのか。神からの「授かり物」である原油を国際石油資本(メジャー)が押さえた上、世界人口の五%で全エネルギーの三〇%を浪費しているのはアメリカではないのか。また、「赤禍(ソ連)の次は緑禍(イスラム)だ」「冷戦後の最大の課題は、イスラムの脅威から西欧文明社会を守ることだ」等と「文明の衝突」を煽ったのはアメリカの支配的イデオログー達ではなかったのか・・・・等々を考えると、とても彼らを声高に「糾弾」する気分にはなれない。

 加藤周一氏は、『私にとっての二〇世紀』の中で「テロリズム」について、「優越している大きな民族集団あるいは国家が、自らの標準を世界中に強制するようになると、反発が起こって、しばしば強い衝突になる。衝突はいきなり暴力の行使ではなく、経済的、技術的、文化的と様々な手段で起きますが、力が拮抗していれば抵抗は暴力的にならない。ところが道がふさがれて、一方が非常に強くて他方が大変弱い場合は、弱い側が文化的にも政治的にも軍事的にも全ての点で押しつぶされる傾向がある。押しつぶされそうになって、それでもアイデンティティを強調するから、最後の表現手段はテロリズムになる。テロリズムは、歴史的文化的なアイデンティティの表現の道がふさがれたときの最後の絶望的反応です」と述べている。なぜ彼らが絶望的反応をとるに至ったかを問うことなしに、「国際社会全体に対する攻撃」だとか「世界の法秩序に対する攻撃」などといって、これを「糾弾」することは空疎である。

 ブッシュ米大統領は、米上下両院合同会議で、「世界のあらゆる地域のあらゆる国は決断しなければならない。我々とともにあるか、それともテロリストと一緒になるかだ」と演説(脅迫)した。しかし、暴力によって自らのアイデンティティを表現しようとするテロリストも、武力によってアメリカの威信を回復しようというブッシュも、自らが正しいと信ずる目的を武力・暴力によって実現しようとする点において、同じ穴の狢だと言えよう。

 憲法九条は、侵略戦争か自衛の戦争かを問わず放棄した。それは目的が正当か、正義の戦争か否かにかかわらず、戦争を悪としたのだ。どんなに正しいことであろう、目的がどんなに崇高であろうと、それを武力や暴力で実現することを止めようというのが、憲法九条のメッセージだと思う。そして「命こそ宝」という沖縄のこころをあらゆる生活空間に行き渡らせることだと思う。

 もやもやとした気分のまま緊急集会も終わりとなった。デモ行進に移ろうとした時に、「○○の方は、□□梯団へ」という主催者による場内アナウンスが聞こえた。反戦平和集会から『梯団』などという軍事用語が消える日は何時になるのだろうか」等と考えながら、国会へ向かった。