<<目次へ 団通信1043号(1月1日)


  宇賀神 直 新年のあいさつ
篠原 義仁

明けましておめでとうございます。

  小笠原 彩子 半年遅れで提出された国連子どもの権利委員会への第二回政府報告書
西   晃 「象のオリ」の不法占拠認めるも「改定」特措法の違憲性認めず
ー「改定」特措法違憲訴訟判決についてー
伊藤 和子 一二・八「アフガニスタンに平和を!   法律家・市民の集い」ご報告
神原 元           報復戦争反対に関連してふたつの報告
書評
小林 保夫 正森成二(大阪支部)著「質問する人 逃げる人」
ーたぐい希な国会論戦の記録と舞台裏ー
根本 孔衛 テロ対策問題の法的検討の到達点と今後の課題

新年のあいさつ


団長  宇 賀 神   直

 団員のみなさん、二〇〇二年明けましておめでとうございます。
 昨年は自由法曹団創立八〇周年に当たり、構成劇、リレートーク、レセプションの集い、続いての総会、記念の「法律相談ハンドブック」の発行など団にとり記念すべき年でありました。その直前の一〇月八日にはアメリカ軍のアフガン攻撃が開始され、アメリカの報復戦争に自衛隊が参加する報復戦争参加法が国会で可決される事態が起きました。自衛隊が初めて戦争地域に出て行くのです。本当に憲法九条が危ない。その事態は今年に続いています。憲法第九条を護る運動の強化が求められており、団はその力を発揮しなければなりません。

 司法改革はいよいよ本番に入りました。昨年一二月一日、政府は小泉総理を本部長とする「司法改革本部」を設置し、三年以内に改革を実現する予定です。司法制度改革審議会の最終意見書を実現することになりますが、その意見書の中身は多くの問題点を含んでいます。私達の改革の基本的方向は団の意見書の通りでありますが、今まで以上に「せめぎ合い」は激しくなり、これに勝たないと、後に取り返しのつかない悔いを残すことになります。日弁連、弁護士会の運動をはじめとして、労働者など国民大衆の世論を盛り上げる必要があります。

 教育基本法の改悪など戦後の民主的な教育制度を破壊する総決算の企みが進んでいます。この問題も軽視することは出来ません。運動化に困難を伴うでしょうが、団の課題として取り組みましょう。

 団員の皆さん、忙しくても文化的な生活にも気を遣い、健康にも留意して試練の二〇〇二年を有意義に送りましょう。


明けましておめでとうございます。


幹事長  篠 原 義 仁

 団活動へのひきつづく結集を祈念して、今年もよろしくお願いいたします。
 昨年九月一一日に発生した同時多発テロを口実に、アメリカによる報復戦争、戦争協力法の成立による自衛隊の海外派兵など平和と民主主義の要請に逆行する動向が強まっています。テロにも反対、報復戦争にも反対、ましてや憲法違反の自衛隊派遣反対の声をますます大きくしてゆく必要があります。法律家として、国際法と国連憲章に基づく平和的解決の道筋を多くの人々に示してゆく責務の遂行が求められています。

 今、アフガン問題の解決にとって何が必要なのか、国際的、国内的議論に加え、自由法曹団有志による法律家調査が、一月早々から企画されています。実践に基づく討議を深め、この問題への関わりを重視してゆきたいものです。

 ここ数年来くすぶりつづけていた憲法改悪の策動は、戦争協力法、PKO法の改悪と連なって、有事法制の整備等を通じ加速されようとしています。

 しかし、草の根の闘いに支えられた憲法擁護の取組みは、各地、各地域で闘いの拡がりを示して多種多様に展開されています。憲法調査会の仙台・神戸・名古屋公聴会に対する取組みは、護憲勢力の力強さを示すところとなっています。

 昨夏、最も熱く闘われた「つくる会」教科書を採択させない運動は、私たちの取組みに確信を与える大きな勝利をかちとりました。教科書問題の中心に侵略戦争の問題、平和憲法の問題があり、その闘いに勝利した意義は、今後の憲法運動を考えるうえで貴重なものとなっています。

 その教育の問題で、昨年六月の教育関連三法案につづき、ついに一一月二六日、文部科学大臣は、教育基本法の見直しを中央教育審議会に諮問しました。中教審の検討は約一年といわれ、答申後の立法化が短期の審議のなかで進行してしまうという昨今の国会事情からして、短期間のうちに、教育問題でいかに国民的大運動を構築してゆくのか、団としてどのように協力体制を組むのか、その力量が問われているようです。

 司法改革の課題は、毎月の常幹で議論を深めてきたとおりです。司法改革推進法が、多くの問題点を有しつつ成立しました。司法改革審の内容につき、○△×と評価した諸課題について、前進面をより大きく拡げて定着させ、不十分な課題は積極的提言を提起して取組みを強め、絶対に導入を許してはならない問題は断固阻止する姿勢で、団としての作風を貫き通す取組みが求められています。一月一九日の裁判員制度にかかる活動者会議を契機に団としての具体的な提言活動を進めることが重要となっています。

 リストラとどう闘うのか、国際的活動をどう推進してゆくのか。近年における団の多面的活動のなかで、この一年はまたまた忙しい一年となりそうです。激動の一年を迎え、健康に留意して皆さんといっしょに活動を進めてゆきたいものです。

 ご協力のほどを切にお願いいたします。

半年遅れで提出された国連子どもの権利委員会への第二回政府報告書


東京支部  小 笠 原 彩 子

 日本政府は〇一年一一月一四日、国連子どもの権利委員会に対し、第二回政府報告書を、半年遅れて提出した。
 第一回政府報告書に対して国連子どもの権利委員会は、九八年六月「高度に競争的な教育制度……が子どもの身体的および精神的健康に……否定的な影響」を与えていることの是正勧告(四三項)や、「学校制度の中」で「参加に関する権利(一二条)を行使する」ことが困難となっている事への懸念(一三項)等を含み、〈おとなの指導に従うべき存在としての子ども観〉から〈意見表明権を行使する子ども観〉への転換を求めていた。今回の政府報告書は、この点をどのように是正し、子どもの権利の前進をはかったのか、その実績が中心になるはずである。

 しかしながら政府報告書は、国内の子どもの実態を基礎にしたものではなく、事前に行った市民・NGOとの対話の成果も無視したものである。問題点の一・二を挙げると、

 イ、政府報告書は一般原則の個所で意見表明権を尊重し、学習権を保障した実績として、学校教育法を「改正」して、出席停止処分を受けた親の弁明を聴く機会を設けたこと、出席停止となった生徒にたいする学習支援の規定を挙げている。しかしこの「改正」は、これまで以上に公然と生徒の出席停止措置を容易に採ることができるようにしたため、それとのバランス上、親の意見を取り入れたに過ぎず、子どもの意見表明の尊重や学習権の保障に寄与する規定ではない。また教育への権利の改善として、教科によって習熟度別に区分する手法を採ったことをもって、「二〇人程度の少人数による指導」が可能となった実績として挙げている。つまり、その実態と全く異なる報告をしているのである。

 ロ、更に実態を無視したあまり、政府報告書のなかで既に破綻をきたしている部分もある。例えば子どもの意見を尊重する制度として、学習指導要領で生徒会・児童会の活動の記載があり、学校の意思決定に参加しているとしている。しかし一方で市民的権利および自由の部分で、校則の見直しを記載するにあたって、教育委員会が児童生徒の実態・保護者の意見を踏まえて、絶えず見直すように指導しているとして、生徒会・児童会の意見を聴いていないこと・尊重していないことを、自ら認めている部分がある。つまり子どもの意見の尊重に務めているような素振りを示してはいるが、本当は内実を伴ったものでないことが、報告書の中で明らかになっている。
このように問題の多い政府報告書を、団を含め多くの団体・個人が読み・検討し、国内の実態とかけ離れている部分や改善されていない実態の報告書をまとめ、「第二回子どもの権利条約市民・NGO報告書をつくる会」をつうじて、国連子どもの権利委員会に届ける活動が、今後きわめて重要になっている。また、このような政府の子ども政策の態度は、憲法、教育基本法の「改正」に通じる危険な動きの一貫として捉えていく必要もある。


「象のオリ」の不法占拠認めるも「改定」特措法の違憲性認めず
ー「改定」特措法違憲訴訟判決についてー


大阪支部  西    晃

1、強制使用期限が切れても暫定使用できるよう九七年四月に改定された米軍用地特措法は違憲であるとし、反戦地主八人が国に対し、総額約一億一千万円の損害賠償を求めた「改定」特措法違憲訴訟の判決が一一月三〇日那覇地裁で言渡された(綿引穣裁判長、鈴木博裁判官、高松みどり裁判官)。

2、訴訟における主な争点(原告の主張)は以下のとおりである。

(1) 適正手続き及び不遡及原則違反(憲法三一条関係)
(1) 適正手続違反
  「改定」特措法は、地主に対して私有財産を制限するために必要な「事前の告知、弁解、防御の機会」を保障せず、事後の不服申立も一切認めていない。
(2) 法の不遡及原則違反
  「改定」特措法附則二項の規定は改定法施行前の「内閣総理大臣の使用認定」「採決申請」を対象にして過去の収用手続で保障されていた地主の権利をはく奪するものであり、明らかに近代法の不遡及原則に違反する。

(2) 法の抽象性・一般性違反(憲法四一条関係)
  「改定」特措法一五条一項による暫定使用の対象は、原告らを含む約三〇〇〇人の未契約地主の土地の適用だけに限られ、とりわけ附則二項後段は原告知花氏所有土地(通称「象のオリ」)だけを対象としていることは明白。憲法四一条の「立法」の限界を超えており、法規範としての効力を持たない。
(3) 「象のオリ」の三八九日間の不法占有について

  原告知花氏所有土地に関しては、すでに前年の九六年四月一日から使用権原のない状態が続いていた。この期間は使用権原のない不法状態であり、「損害賠償」を支払うべきである。

3、国の主張(反論)
 以上に対し、国は日米安保条約の高度の公共性と土地の使用権原を緊急に取得しなければならない必要性・緊急性を強調し、地主に対する事前の告知・聴聞等の機会を与える必要性はないとし、三八九日間の無権限状態に関しても「直ちに違法とは言えない」とした。また、改定特措法は使用権原を過去にさかのぼって発生させるものではなく、今後全国で同様の事態が生じた場合にも当然に適用があるのであるから、法文上も一般性・抽象性を有するとしていた。

4、判決の骨子
 判決では、知花氏所有の「象のオリ」に関して、期限切れ後「改定」特措法での暫定使用権が発生するまでの三八九日間に関しては「被告国は何らの占有正権原もなく不法に占拠していた」として国家賠償法一条一項に基づく責任を負うとして、四七万円の賃料相当損害金の賠償を認めた。しかしながら「改定」特措法成立後に使用期限が切れたその余の七名の原告に関しては、違憲の主張をいずれも排斥し国の主張に即して合憲の判断を下し、請求を棄却した。尚、「改定」特措法成立時点においてすでに使用期限がきれ、国の占有が違法状態になっていた「象のオリ」に関する暫定使用権原の違憲性(先述の三八九日間以降の、暫定使用期間に関する)については、「仮にこの期間の国の占有が違法であったとしても、損害金に相当する金員が後日収用委員会の採決によって支払われており、損害は補填されている。また、慰謝料の請求は失当である」として、「損害がないので憲法判断はしない」という憲法判断回避の姿勢を示した。

5、本判決の持つ意義と問題点について(弁護団声明より)。
 本判決が、使用期限が過ぎても土地を返還せず、三八九日間もむき出しの不法占拠を続けた国の態度について「直ちに違法ではない」とする主張を退け、「故意による違法な公権力の行使である」としたことの意義は決して少なくない。しかしながらすでに使用期限が切れ、土地の返還請求まで提起されている状況の中で、「ゲームの途中でルールを変更したに等しい手段で土地が返還されないこととなった(判決文の表現)」その立法のあり方に関して憲法判断を回避したことは極めて不当である。

 さらに、その余の原告七名に関する暫定使用権原をめぐる判断に関しては、一方で「被告国は、沖縄県に基地が集中し、基地が存在することにより生じる被害の絶えない現状を改善する努力よりも、国民の権利、利益を制限する方向で問題を解決しようとしたとみられなくもない」と判示しながら、安保条約上の基地提供の必要性を優先させ、違憲の主張を全て退けた。しかしながら事前に地主の告知・防御の機会を保障しないまま財産権を制限する「改定」法は憲法及び法治主義の精神に著しく反するものである。これらの意味で今回の判決には重大な誤りがあるといわざるを得ない。

6、今後について
 原告らは控訴してさらに闘う方針である。国側敗訴部分に関しては本原稿執筆時点では態度不明である。


一二・八「アフガニスタンに平和を!法律家・市民の集い」ご報告


担当事務局次長  伊 藤 和 子

一 パールハーバーから六〇年目にあたる去る一二月八日、法律家四団体で「アフガニスタンに平和を!法律家・市民の集
い」を開催した。

 タリバン政権崩壊後メディアはあたかも「報復戦争によってアフガンの人々は解放された」かのような報道を繰り返して、罪なき多数のアフガニスタン人を殺戮した報復戦争の責任が曖昧にされようとしている。しかし、報復戦争の責任は今こそ問われなければならない。あの報復戦争は、日本の参戦は、何をもたらしたのか、そして私たちがアフガニスタンの平和と復興
のために何をなしうるのかを実態から考えよう、ということがこの集会の出発点であった。

 この集会の特徴は、今まで団とのつながりがなかったNGO関係者を多数講師にお願いした点、若手の弁護士が企画の中心を担ったことである。

 戦争の実態、アフガニスタンの現状を最もよく知っているのは現地で活動しているNGOに違いない、ということで、現地と日本を行き来している多忙なNGOのメンバーに「あたって砕けろ」でどんどん電話をかけ講師依頼をした結果、非常に多
彩な報告者・講師に参加していただくことができた。

 報告をしていただいたのは、まず、アフガニスタンの難民への越冬支援活動を現地で展開するNGO「JEN」(ジャパン・プラットフォーム副代表理事)の木山啓子さん、同じく現地で活動する地雷廃絶日本キャンペーンの北川泰弘代表、そして急遽参加していただいたアフガニスタンの女性団体「RAWA」のメンバーで来日中のマリアム・ラウィさん、アフガンの女性と子ども展を全国で開催する映像ディレクター川崎けい子さん、アフガニスタン難民弁護団と申請者、JALパイロット、ピースボート、「チャンス」のメンバー、靖国訴訟弁護団である。そしてアフガニスタンをめぐる世界情勢と憲法九条ということで南山大学の小林武教授に締めくくっていただいた。

三 紙面は限られているが、それぞれの報告を少しずつ紹介したい。
 まず、「JEN」の木山さんは、難民の置かれている実態を報告してくれた。戦禍を逃れた難民達は、木の棒二〜三本で組み立てた屋根に一枚の布を掛けただけの粗末なテントで零下二五度になる冬を過ごさなければならない、そうした人々を救うために本当に時間との勝負になっているとの報告がされた。そして、「今は世界の目がアフガニスタンに向いているが、すぐ皆忘れられてしまう。大切なのは、私たちが忘れずにずっと目を向けつづけていくこと」と話された。

 地雷廃絶日本キャンペーンの北川さんは、今後の地道な地雷撤去活動こそがアフガン復興にとって極めて重要であると訴え、クラスター爆弾の残虐性・深刻な被害についても報告された。アメリカの落とすクラスター爆弾と投下食糧の袋は同じ色で、誤って接近する人の被害が相次いでいるそうだ。そして、最新の対人地雷全面禁止条約の再検討会議では、クラスター爆弾を全面禁止にする提案がされ、欧州諸国も賛成の方向で議論が前進していると報告された。

 マリアム・ラウィさんはアフガニスタンで人権抑圧され続けている女性のための団体「RAWA」のメンバーであり、北部同盟支配の時代に多くの女性が強姦の被害にあった事実、虐殺行為が全土で繰り広げられてきた事実を告発し、北部同盟もタリバンもその根本は同じであると強調した。彼女はボン合意に強い不信感を示し「国際社会は、ヒトラーやムッソリーニ、あるいはタリバンを大量虐殺者として断じるのに、なぜ北部同盟の大量虐殺・残忍行為の犯罪性を忘却し許すのか」と訴えた。そして長い道のりになるが真にアフガスタンの人々のための国づくりを目指す、そのために国際社会の注目が必要だと訴えた。川崎けい子さんは、アフガニスタンの女性を取材し続けた立場から「アフガニスタンの将来はアフガニスタンの人々の意思によって決まるべきであり、自立的な解決を可能にするような援助が大切だ」と強調された。

 入管の収容停止の判決を得た直後に難民申請を斥けられたアフガニスタン難民と弁護団の報告は参加者の衝撃を呼び、日本政府の「難民支援」なるものが全くの欺瞞であることが明らかにされた。また、靖国訴訟弁護団からは一二月七日提訴の東京訴訟について報告がされた。

 JAL機長で航空安全推進連絡会議議長の大野則之さんからは、「同時多発テロ事件後、安全対策が言われているが、政府・航空会社の安全対策はあまりにもアリバイ的なお粗末なものであり、航空関連職場で働く者の命を全く軽視している。そうした中で有事法制という動きが出ているのはとんでもない。皆さんと協力して有事法制を阻止していきたい」との訴えがあった。

 さらに、ピースボート、チャンスのメンバーがそれぞれの活動と平和への思いを語ってくれ、特にチャンスのメンバーが、多くの若者が平和に関心を持ち、メーリング・リストやピースウォーク等多彩な活動・プロジェクトを展開している様子を報告したのが興味深かった。「平和のために何かしたいけれど、組織とか、デモとか、いかにもという運動には抵抗がある」と思っている若い人はたくさんいる、そういう人も入ってきやすい活動スタイルを心がけた結果、一〇〇〇名以上のメーリングリストが出来、毎回のピースウォークにも沿道からどんどん若い人が参加してくる、という話であった。「平和」というメッセージを伝える表現手段が紋切り型でなく、豊かでいきいきしているのが新鮮だった。

四 現地からの報告は、アフガニスタンの復興のために今求められているのは非軍事の平和的・人道的貢献であり、継続的な国際社会の関心であるということで共通していた。「憲法九条」の精神をまさに行動で実践しているNGO、市民団体の活動からは圧倒的に学ぶ事が多いと感じた。今後もこのような広範な人々と連帯して、戦争拡大阻止、アフガン復興、そして九条改悪阻止の活動をしていく必要があると思う。そして、これらの人々と連帯し広範な共同を実現しない限り、九条改悪を阻止する真の力は生まれ得ないのではないだろうか。

五 集会後、参加者有志で、ペンライトをもって薄暗くなった御茶ノ水駅周辺を歩きながらそれぞれが平和への思いを訴える小企画を持った。その後の飲み会で、若手から「やはり集会やって終わり、じゃなくて、外の人に伝えるウォークがあってよかった」「ウォークをやると元気になるからこれからも時々やりたい」との声が出された。

六 集会の内容はあまりに内容が濃かったので、現在記録化を考えている。メディアでは知られていない報復戦争の実態を伝えていくことは重要である。
 今回の集会は、五三期の神原元団員、大山勇一団員、田部千枝子弁護士が企画・進行で奮闘してくれ、土井香苗団員、大山団員が報告者となり、森川文人弁護士に最後の「イマジン」の演奏で登場してもらった。今後も若手が中心となって、平和のための活動を発信していくことを期待したい。


報復戦争反対に関連してふたつの報告


神奈川支部  神 原   元

 一点めは、一〇月三一日朝日新聞夕刊に掲載された、「報復戦争反対意見広告」である。ハートをあしらったデザイン。中央に「私たち法律家は、法と理性による平和的解決を求めます。」とのコメントを入れた。ハートの中には、ご賛同頂いた皆さまの名前を入れることにした。

 うれしかったのは、新聞の読者からの反響であった。鎌倉に住む高校生からは、次のようなファックスを頂いた。

 「私は、今、大学の法学部に向けて勉強を続けている高校三年生です。毎日、新聞を見るたびに、どんどん日本が戦争に向かっている様子が感じられて、改めてこんなにも国会という機関が大きな力を持っているのだなぁと、本当に驚いています。このままでは、世界戦争になってしまいます。小学生の頃からたたき込まれてきた、日本の戦争放棄は守られるべきです。私も法と理性による平和的解決を求めます。今こそ、日本国憲法は守られる時です。私も未来のために一生懸命勉強します。みなさんも頑張って下さい。」

 反省点も多い。最初に発表した文案は、カンパ集めを進める間、先輩達から多くの点で間違いを指摘され、訂正を余儀なくされた。特に、テロ犯罪は、「人道に反する罪」に当たる、とした部分については、難しい論点を含むことが分かり、より抽象的な文言に変更することを余儀なくされた。ところが、そうすると、当初の文案に賛成して頂いた方への説明不足が問題となり、この点でもご批判を受けてしまった。

 二点めは、一二月八日に全労連会館で行われた、法律家四団体(日本民主法律家協会、青法協、国法協、自由法曹団)共催で行われた法律家・市民のつどい「アフガンに平和を」である(参加約五〇名)。一般市民を対象とし、アフガニスタンの現状を伝えるとともに、国内の各NGOによる様々な取り組みを紹介することを目的とした。

 NGO「JEN」事務局長からは、アフガン被災民を現地で救済することの重要性についての訴えがあった。アフガニスタン女性の権利擁護のために現地で闘っているラワのメンバーからは、「北部同盟」の下で現在も人権侵害が続いていることが曝露され、衝撃的だった。そのほか、平和NGOのチャンス、ピースボート、航空安全推進連絡会議から、それぞれの立場で、アフガン問題への意見が発表された。圧巻だったのは、タリバン勢力の迫害を逃れてきた、在日アフガン難民らの声だった。彼らは、(テロリストと誤解したのであろう)日本政府の弾圧を受け、「収容」という名の苛酷な拷問を受けた(彼らの多くはショックでPTSDとなっている)。彼らの悲痛な叫びが響く。
 「国内の難民が助けられないのに、何故、国外の難民が助けられるでしょうか。」
 最後に、憲法学の小林武先生に、報復戦争のはらむ憲法上の論点を検討して頂いた。

 後日談がある。この文章を書いている一二月二一日、アフガン難民らは、再び日本政府の手によりその身体を拘束された。同じ日、自衛隊機が「難民支援」を理由に戦地に飛び立った。
 日本がタリバンにも劣らぬ反人権・反人道的・ファシスト国家であることがより一層明確になった。


正森成二(大阪支部)著「質問する人 逃げる人」
ーたぐい希な国会論戦の記録と舞台裏ー


  大阪支部  小 林 保 夫

 正森成二元衆議院議員(日本共産党)は、議員在職二五年、質問回数五四〇回を数えた。回数の多さで国会史上に記録を残したというだけでなく、おそらくは国会での論戦のありかたを変えたといえるのではないか。
 本書は、その代表的な論戦のいくつかの記録である。

 ちなみに私は、正森さんや鈴木康隆弁護士とともに旧正森成二法律事務所(その後、名称を「きづがわ共同法律事務所」に変更して現在に至っている)の設立に加わり、同じ事務所の一員として、あるいは選挙活動の一端にかかわってきたことから、日頃、正森さんに接する機会が多かった。

第二部「質問する人、逃げる人」の論戦の白眉は、いうまでもなくロッキード事件である。
 ロッキード社の旅客機売り込みをめぐる贈収賄事件での正森さんの第七七国会予算委員会での国会質問(第二章)は、多くの国民をテレビの前に釘付けにし、国会中継としては前例をみない視聴率を記録し、連日の大見出しの報道ともあいまって国民の政治的関心を高めた。それにとどまらず、このような正森さんの国会での追及もあずかって、ついに田中角栄首相の逮捕・断罪という政界の金権腐敗をあばく結果となった点で歴史に名を留めることとなったといえるだろう。

 「昭和天皇在位六十年と戦争責任」をめぐる論戦(第三章)は、第一〇四国会予算委員会において、昭和天皇の在位六十年祝賀行事をめぐり、正森さんが、昭和天皇の戦争責任にもふれて、中曽根首相の歴史観や思想を鋭く追及したものであった。そこに披瀝された正森さんの見識と昭和史に関する広範な資料の渉猟に基づく言論戦は、最近でも、今日における国会論戦の低調を批判し叱責する際に国会質問の範として想起されるのである(朝日新聞二〇〇一年六月三〇日付朝刊社説)。

 そのほか、金丸五億円問題(第四章)、円高不況の原因をめぐり、対米追随をやめて経済主権の確立を求める立場からの政府に対する追及(第五章)、リクルート汚職事件をめぐる中曽根首相に対する証人尋問(第六章)、創価学会の政治活動と同団体に対する課税に関しての憲法二〇条(信教の自由・国の宗教活動の禁止)をめぐる論戦(第七章)などは、いずれも、今日なお珠玉の記録として輝きを失わないといえよう。
「ハマコーとの対決」(第二章)は、「ハマコー」こと浜田幸一氏が、予算委員会の席上、予算委員長の立場にありながら、正森さんの質問中、これをさえぎって割って入り、共産党の宮本顕治議長を「殺人者」呼ばわりをする暴言を吐いたことに端を発して、正森さんが「ハマコー」を徹底的に追及し、マスコミや世論の支持も得てついに予算委員長辞任に追い込み、共産党と宮本顕治議長の名誉を守った論戦の記録である(ちなみにこの国会論戦のテレビの中継は、六・九パーセントという未曾有の視聴率を記録したという)。 正森さんにとってもきわめて感慨の深い事件であったと聞く。

 正森さんは、第二部「質問する人、逃げる人」の冒頭に、「はじめに・質問準備と心がまえ」を置き、そこで、このような国会質問の意義と準備について、「周到な準備と勉強」を強調する。正森さんの論戦の記録を見ると、その平明な言葉遣いによる明快な弁舌は天性というべく、余人の追随を許さないものがあるが、加えておそらく他に倍する準備のための努力の跡がうかがわれる。

 実際、日頃折にふれて正森さんから国会論戦の苦労話や裏話などを聞く機会の多かった私は、正森さんが、国会質問のため
に、論題に関連するきわめて多くの著作や資料を渉猟し、これに幾重にも傍線を引き書き込みをして、自家薬籠中のものとし、周到に緻密な質問を組み立てる努力を怠らない姿を見てきた。
こうして多くの国民は、一再ならず、正森さんが並み居る各大臣や各省の官僚を追及し、ついに大臣等が逃れることが出来ず立ち往生する場面に、大いに溜飲を下げ、悪政に対するうっぷんをはらす機会を経験することが出来た。
私は、正森さんが、不公平税制の問題をめぐって、この種の問題についての共産党議員による政府・大蔵省に対する国会での追及が必ずしも多くなかった理由として、「それは一つにはイデオロギーの違いもあり、同じ土俵で相手も認めざるを得ない論理を駆使しながら尚かつ相手を説得もしくは論破することが困難だからであろう。」と指摘し、みずからは、このような困難にもかかわらず、しばしば宮沢大蔵大臣をはじめとする大蔵官僚を追及して大きな成功を収めた秘訣に注目したい。

 この点について正森さんは、「相手も認めざるをえない資料と、争いがたい論理の力」を挙げる。この「資料」は、多くの場合政府など論戦の相手方やその陣営の作成にかかるものであるから、正森さんの卓越した「論理の力」とあいまってほとんど抗しがたい武器となったのである。
正森さんの論戦の舞台裏として興味の尽きないものがある。

第一部「国会つれづれ裏ばなし」は、長年にわたる正森さんの国会生活やただちには国会の論戦にとりつきにくい読者のために、国会にまつわる裏話を披露したものである。正森さんは、病を得たあと引き続き静養中であるため、大部な著作をものすることまでは困難であったと思われるが、紹介されたいくつかの話題も興味深いものである。

 中曽根康弘元首相や「ハマコー」が登場するのは、国会の議場では完膚無きまでに追いつめた論戦の相手方に対する正森さんの「武士のなさけ」であろうか。「委員会での質問のしこりを議場外に残さない」という正森さんの面目が躍如としている。

 また、元警察庁長官として、共産党対策をも含むわが国の治安対策の総元締めであった後藤田正晴氏が登場し、しかも正森さんが同氏を「先生」として敬意を表する一文は、正森さんの党派的立場からみれば意外であろう。

 しかし、正森さんの「裏ばなし」での紹介によれば、近時、後藤田氏が、政治変動の節目にしばしばマスコミに登場し、政治のありかたに対していわば警世の発言を行い、多くの共感を得ていることからすれば、同氏に対する正森さんの共感にもうなづけるところがある。正森さんの後藤田氏に対する党派を越えた個人的心情も垣間見られて興味深い。
(発行 清風堂書店出版部、一八〇〇円、二〇〇二年一月刊)


テロ対策問題の法的検討の到達点と今後の課題


神奈川支部  根 本 孔 衛

 今回のニューヨーク市の世界貿易センタービル等へのハイジャック航空機による襲撃について、所々で論議が重ねられてきているが、その中で大方の一致を得たとみられる見解の結論部分と今後なお検討を要すると思われる課題について記述する。

I 犯罪であるテロ行為とそれへの対策

1.襲撃の性質となさるべき処置
世界貿易センタービル等への攻撃は、犯罪行為であり、その実行者、共謀者、教唆者、幇助者は法によって処罰される。

2.米国政府は、犯罪発生地の政府として、その犯人を捜査し逮捕し裁判にかけ処罰を実現すべき権限を有し、またその責務を被害者及び米国民に対して負っている。

3.この事件は、同時にハイジャック禁止条約等に違反する国際的犯罪でもある。
この事件の被害者の中に多数の外国民が含まれていることにおいても国際的犯罪である。また事件の対象が米国の国際的地位を象徴する建物等に対して同時多数襲撃としておこなわれたことにおいても国際的なものである。すでに発表された容疑者からすると国際的な背景を有することが想定され、その処罰の実現には国際協力の必要が生ずるであろう。

4.米国政府は、当然国内犯罪として処置することをめざすべきであった。処罰の実現が諸国の協力をえることなくしては困難な事態に立ち至ったことが判明した場合は、犯罪の捜査、証拠の蒐集、容疑者の身柄の確保等について、国際刑事警察機構に援助を求め、犯人引渡条約等により外国政府の協力を得ることができる。

5.この種の事件に関してテロ犯罪対策として12の国際条約があげられている。米国政府はこれらの条約にすでに加入している場合は、その条約によって有する権限を行使して処罰の実現を期すべきである。未加入ならば加入を促進して、その活用に努めるべきものである。

6.この事件によってその国民が被害者となった国の政府は勿論、その他の国の政府もこの種のテロ行為の世界から絶滅を期して、その処罰の実現について自らの権限を行使し、また米国政府から容疑者の特定、証拠の提示等による相当の根拠をそなえた捜査援助の要請があった場合は、これに協力することが必要である。

7.犯罪に対する復仇あるいは報復としてなされる武力行使は現在の国際法では禁止されている。

8.犯人を捉えた場合での裁判なき処断あるいは暗殺は、文明に反する野蛮行為であり、法の否定である。これらを行えば、それ自体いずれも殺人犯罪である。

9.犯人の処罰について軍事裁判方式によることは戦争状態以外においては認められていない。

II 武力行使問題

1.今回のテロ攻撃の被害は大きいが、行為主体、攻撃方法、持続性の各点からして武力行使=戦争行為とはいえない。従って被害国にも自衛権(個別的及び集団的)発動としての武力行使が認められる余地はない。

2.米国及び英国によって、アフガニスタンの大部分について実行支配をしていた勢力に対しておこなわれた武力行使は、国連憲章によって国際法上容認されていない武力行使=戦争である。
 テロ行為実行者とその共犯者を援護する国または勢力に対する武力行使が容認される余地があるのは、それらがそのテロ行為を実行させあるいは管理するか、または軍隊による武力行使に相当する攻撃をしたテロ集団とその行為について実質的に関与した場合である。その際にも被害者側の国が行う武力行使が国連憲章の規定にしたがっての武力行使でなければならない。

3.なお違法、合法を問わず、その武力行使においては、無差別攻撃の禁止などの国際人道法が適用されることはいうまでもない。

4.ある国の違法な武力行使に対する他国の協力もまた違法性を帯びる。

5.日本政府がテロ対策特別措置法に基づいて行う自衛隊派遣による米軍等への協力行為は、その後方支援としての兵站作業であって武力行使である。

6.自衛隊は、日本政府の従来からの見解にしたがうと、憲法9条において認められている個別自衛権に基づく専守防衛行為に限定づけられている戦力であり、その範囲を超える行動は違憲行為となるをされていた。現在具体化されようとしている自衛艦等のインド洋への出動は、日本の領域内で攻撃があったことへの対処とはいえないから専守防衛行為とはいえない。したがってこのような出動は政府見解によっても9条で認められているという自衛権の外にある違憲行為となる。

7.日米安保条約上からしてもこの出動は、その第5条が規定する共同防衛行為の範囲の外にある。
 周辺事態法上も、この法が想定している地域外でおきていることであり、それを適用することはできない。

8.結局、このような自衛隊の行動は、憲法上の根拠を全く欠いているので、自衛隊の存在を容認するとしても、その権限外の違憲行為である。

III 課題
 今回のテロ攻撃について、その犯人が米国外におり、これに関与している者もまた外国にいることが証拠によってあきらかにされた場合において、現在の法制度をもってしては、その処罰の実現が担保されているとは言いがたい状態にあると思われる。そこで、その処罰の実現及びこの種の事件の発生を防止するためには国際的協力が必要となろうが、そのため今後なされるべき課題として次のことが考えられる。

1.現在のテロ対策関係の12の条約の内容を検証し、それらによる処置可能の範囲を明らかにし、そこで既に有するとされる権限に基づく措置をとる。未加入の各国はこれに加入し、それに伴う国内法の整備をおこなう。
 これら条約の不備が判明した場合、各国はそれを補う方法として、例えば新しい条約の制定、国際協力機構設置の作業にとりかかる。

2.大規模な国際犯罪に対処する国際協力として国際刑事裁判所設置条約(ICC)が既に採択されているが、未発効である。今回のテロ事件はこの手続によって裁くことはできないが、これが発効した後において同種の事件がおきた場合これによる処罰が可能であるかどうかが問題となる。具体的には、この条約中に犯罪類型として規定されている人道に対する罪にこの種のテロ行為が該当すると思われるが、それは未だ確定的な見解とはなっていない。

 この裁判所の設置は戦争に関連して起こる犯罪に対処することがその動機であった。この中の人道に対する罪は戦争中あるいはそれと密接な関係を有する戦前の非人道行動に対して規定されたことからして、その規定の仕方は戦時外の大規模犯罪にも焦点があてられているとは必ずしもいえないからである。平時の大規模テロ行為にこの条約の適用がないとされた場合においても、戦時中にはテロ発生の可能性が高いから、この条約はなおテロ対策としても有効である。

 国際世論の喚起によってこの条約の発効に必要な措置を、日本、米国など未署名国未批准国に促すと共に、その適用の範囲について世界各国において共通の見解が早急に出来上がることが望まれる。

3.航空機に関する犯罪については、上の12の条約及び通常の国内法による処罰の他に、国際協力のもとにアドホックな方法による裁判が既に実現している。例えばスコットランド上空で米国民間機が爆破されたロッカビー事件について、オランダのハーグに法廷が設置され、スコットランド法による裁判が行われた。

 今回の事件についても犯人が特定され、捜査の結果容疑者の身柄が押さえられ裁判が行われるとすれば、被害感情や報復観念が高まっている米国内での裁判よりも、このような方式による方が公正な裁判が行われる可能性が大きいと思われる。このような裁判方法がとられる場合、先例に学びその短所を捨てて長所をとり、またICCの設置の趣旨・方法が参照されてしかるべきである。4(1) 米英の武力行使の対象となっているアフガニスタンの大部分を実効支配していた勢力とテロ犯人との具体的関連は、既に明らかにされているとはいえない。米国政府から伝えられた情報として英国政府が発表した容疑内容についての報告も具体性を欠いている。米国政府が国際協力を求めるのであれば、協力を要請された国がその強力にあたって主権を発効するについての民主的手続上から見てその国民を納得せしめるに足る情報の提出発表が必要である。

 米国政府が今回のテロ犯罪の首謀者とみなしている者がアフガニスタンの実効支配区域内にいたことをその勢力自体認めているが、米国の引渡要求には応じていない。米国がその首謀者とみなしている理由について、世人をして了承しうる程度の容疑の根拠を明らかにされていない現状においては、仮りにその相手が通常の国の政府であったとしても、国外犯人の引渡請求について人権上の理由からこれに応ずることはなかったであろう。そのことからして、アフガニスタンの実効支配勢力がその容疑の根拠が示されていなかった状態で米国政府の引渡要求を拒絶したことについて非難を加えることはできないであろう。

(2) ロッカビリー事件では、リビア政府に対する米国政府の容疑者引渡要求はその要求はその根拠が相当に明らかにされていた。今回の事案はその要求の相手は実効支配勢力であったが、米国、リビア間の応対は事件処理の先例たりうる。この処理について国連の安保理事会等の関与により事件解決の方途を見出すことが考えられる。なおロッカビー事件の処理に関して、安保理と国際司法裁判所との間の事案処理についての役割については、同裁判所の判断がある。
 この場合引渡要求をうけている側は一部地域の実効支配勢力にとどまっているのであるから、国連の場による解決はより困難であろう。しかしロッカビー事件の処理にあたって、米国政府が「国際の平和と安全に対する脅威」として安保理に問題を付託せず、いきなり米国がリビヤに対して武力行使をしたならば、国際法違反の非難が米国に集中したであろう。
 アフガニスタンの実効支配勢力は国家と認められてないが、それが引渡要求に応じないことには上記のように相当の理由があるので、これを理由にして、米国がおこなった直接的な武力行使は、国際法違反との結論となるであろう。今回はこのような武力行使がおこなわれたのである。

(3) まして米国の武力行使の現状では、その方向は犯人の身柄の確保にむけられているというよりは、この勢力のそのものの壊滅とアフガニスタンにおける支配の奪取にむけられているように思われる。テロ容疑者の追及を名目にして、その地域の支配権の奪取をはかることは、その地域の人民の自決権、主権に対する侵害であっての国連憲章上その違法性は明らかであろう。

(4) 現実の問題として、今回のように宗教的な結集勢力が相手となる場合、また民族あるいはそれとまでもいえないエスニシテイの問題が絡む場合の紛争が頻出しているのが世界の現状である。その紛争解決は国家間の国際法による解決よりはるかに困難である。その処理の困難性を国際社会がいかに克服していくか、問題解決に有効な国際法の新しい道筋をいかに切り開いていくかは、今後の重要な課題である。戦争状態における人権に関するジュネーヴ条約が、国家とはいえない交戦団体にも一定の国際法上の地位を認める一方その規制をしようとしていることが参考となろう。

5.現在問題となっているテロは、その発生について歴史的社会的な背景があり、それを基礎に政治的な対立があることは、誰しもが気付いているところである。

(1) その第一は、イスラエル・パレスチナ問題の存在である。今年10月、国連における討議において、テロ防止の包括的な条約の採択ができなかったのは、この条約の対象となるテロの範囲について意見がわかれ、テロ行為をどう定義するかの合意がえられなかったからであった。アラブ関係諸国は、イスラエルのパレスチナ住民に対する弾圧・武力行使に対する住民の抵抗行為はテロに該当せず、イスラエルがとっている武力行使こそ軍事テロだと主張した。イスラエル及びこれに同調する西欧側の見解は、パレスチナ人民のこのような行動の多くについてもテロ行為に含めてこの条約の対象とすべきであるとし、事実上イスラエルの武力行使を正当視した。

 今回の世界貿易センタービル等に対する爆破行為のような無差別大量殺傷をともなう攻撃を容認しようとする者は少数に過ぎないであろう。しかし国際社会が何をもってテロ行為として防圧の対象にし、これに対する処罰実現についての国際的協力を各国政府に義務ずけることは解決の困難な問題である。現に存在している各地の複雑な歴史的背景と対立する双方の「やりかえし」がからみあい錯綜している現実をどこから断ち切りどう打開していくかについては、人類の英知と忍耐と決断が要求されるであろう。

(2)
 イスラエル・パレスチナ問題の発生は、幾世紀の間ヨーロッパ社会に存在したユダヤ人に対する差別、迫害に起因し、ナチス・ドイツがおこなったユダヤ人問題の「最終解決」はその極点であった。ユダヤ人が多年の圧迫からの解放をのぞむことは当然で認められるべきである。しかし、その方法としてパレスチナの土地を占拠し、その地域から先住民は実力で排除しようとすることは、国連憲章の趣旨に反するものである。パレスチナ住民が古くからそこで生活してきた事実は尊重されなければならない。

 西欧諸国で多くの人びとが、ユダヤ人がその地域から去りパレスチナに移住していくことは、結局「厄介者ばらい」となると考えていたのではないだろうか。ヨーロッパ諸国はこのような移住によるユダヤ人問題の解決を期待してイスラエルの建国を支援したと思われるふしがある。また多年にわたる自分たち父祖以来のユダヤ人迫害に対する贖罪意識から、イスラエル国のパレスチナ住民への人権侵害行為に目をつぶり、それを真剣になって制止しようとしていないかに見える。ヨーロッパ側が自分自身の地域をおけるユダヤ人問題の解決を、これについて何の責任もないアラブ側の他人の犠牲によって、達成しようとするかに見える。このような態度は公正というの立場からみて支持することはできない。イスラエル国家によるパレスチナ住民の自決権と人権に対する侵害はきびしく非難されなければならない。

 ユダヤ人が2000年の昔、その地の住民であった事実をもって、イスラエルがその政策の正当性を根拠づけ、それがまた欧米諸国のイスラエルの武力行使の現状容認の根拠をされるのであれば、ある時期にあった優越した地位の回復に固執するところの現在世界各地に存在している民族紛争は収拾のつかないものとなり、その間の平和的共存による解決は到底不可能となるであろう。またそれによってキリスト教とイスラム教間等にあった宗教的対立関係や民族紛争などが解消するどころか、一層の亀裂をうみ悪化を推進することとなる。

(3) 
パレスチナ問題が紛糾する第二の要因は、欧米諸国がイスラエル国家の建設とその植民政策の遂行を、石油資源問題を中心とする中東地域政策遂行の手段として利用してきたことにある。これが中東地域諸国の間の利害関係を複雑にし、諸種の対立紛争をひきおこし、それがアラブ・イスラム関係諸国民の先進諸国に対する反感の原因となっている。

(4)
 第三のより根源的な原因は、先進諸国の積年の帝国主義政策にあり、ことに最近の米国を先頭とする多国籍資本の対外進出にある。彼らがとる容赦なき利益追求のグローバリゼーションの波が、第三世界に重大な影響を及ぼし、その結果南北間の格差が拡大し、各国内において階層分化を促進している。それでなくとも生活の困窮にあえいでいた途上国の人民は、このグローバリゼーションによって一層の窮乏におとしいれられ、そこで社会的矛盾が激化しているのである。それはまた地域紛争をひきおこし、そこからおこる戦争の被害は民衆の生存と安全を脅かし、健康を破壊することとなっている。

 多国籍企業を中心とする資本のあくなき欲望の達成のための圧倒的な軍事力をはじめとする国家権力の行使が、被圧迫諸人民をして一層の苦境に落しいれているのである。これに対する抵抗と正面からする政治的あるいは軍事的な反撃を試みようにも、その効果はそのためについやされる犠牲に比して余りに少ないという現実に直面して被圧迫者側民衆は絶望的心境に追い込まれている。その中で起こる反撃行動の一部が今回のようなテロとなって現れるのである。そうだとすると今問題とされているテロ行為は米国をはじめとする先進諸国の政策と行動こそがテロの根本的な原因であると言うことができる。この根本的な原因が除去され、少なくとも緩和されるのでなければ、これからもテロ行為はなくならないと思われる。

2.今日の平和と人権の状況において、テロ行為は非難され、防止されなければならず、これをおこなった犯人に対して処罰がなされるべきである。このような立場をとり、その絶滅方策を講じようとする者が、一方ではテロ行為がおこる原因をなしている考え方と行動を放任するばかりかそれを促進していることは矛盾である。そのような態度はテロ防止の効果の面でその成果を期待できないばかりか人道からして不公正である。テロ禁圧を唱えるについては、他面においてテロ発生原因の除去の実行がともなわなくてはならない。

3.テロとのたたかいは、正義と自由、平和と人権のための行動であると言っている者がある。しかし、そこで言われている正義と自由、平和が、現に存在している抑圧と搾取の事実の基礎の上にはじめてなり立っているものであるとすれば、それらの考え方は身勝手な一人よがりの「理想」に過ぎない。そのような主張はその根拠はについてはあらためて疑われ吟味されなければならず、そのもっているであろう限界が見極められなければならない。欧米諸国の金世以来の思想と行動を中心にして形成されてきた国際法の基本理念についても、その「普遍性」をこの際、再検討してみる必要が生じているのではないだろうか。

 そこでそれら理想といわれているものが、世界の人々のすべてによって受け入れられる普遍的な原則となるためには、その検討と合意形成の過程の中で諸地域の人民の生活と信条が視野の内にいれられ、融和されなければならない。それが諸地域の人民によって信頼され遵守されるようになるためには、先進国側で一段の努力がかさねられ「独善的」な意識の改革が必要である。

4.現におき、今後もおこるであろうことが想定されているテロ行為を根絶するためには、世界各地に現存する欠乏と恐怖をなくしていくことが必要である。それについては、諸国民ことに先進諸国民が一層の努力と負担をおう覚悟が必要である。また欠乏と恐怖の原因であったものであり現在なお推進されようとしている先進諸国に共通する帝国主義的な思想と行動を抑制していくことが基本でなければならない。このような努力なくして軍事力、警察力に依存するテロ対策にのみ固執することは不正義であり不公平である。それは被圧迫人民の怨恨を深めて今後のテロ多発の誘因となり、またテロ防圧の効果を発揮することはないであろう。そればかりか、さらに世界の富める者、抑圧者と貧しい者、被圧迫民との間の矛盾を深刻化する。またそのような対策は先進国民が現に到達し享受している自由と人権すらうばうことになり、社会危機を呼びおこし、各国人民の平和と安全すらおびやかすことになろう。

5.現在の日本の立場がこのような欧米先進国側にあることは言うまでもない。日本の権力層がとってきている米国への従属と追随政策の推進はテロ発生の基盤の拡大、深化の一因となっているのである。テロ対策特別措置法の制定及び自衛隊のインド洋派遣は、軍事面においてもこのような政策が格段に進められたことを明らかにしたものである。世界の、アラブ・イスラム社会をはじめとする被抑圧者側の日本を見つめるまなざしは一層きびしさを加えるであろう。また日本においてテロが実行される可能性を増大せしめることとなろう。

6.現に日本政府がおこなおうとしているいわゆる人道援助は、米国の日本に対する「信頼」をつなぎとめ、先進諸国間における日本の地位を高めようとす意図にもとづくものである。また今進められている軍事的抑圧加担行為から生じてきているその被害者からの日本批判をかわそうとするための見せかけの「人道的」行為である。日本政府が本当に人道的措置をとろうというのであれば、武力行使を本質とする自衛隊を派遣する必要はない。パキスタン等の地域における治安の維持は本来その国の政府の責任と権限の問題である。そこに武力行使を前提とする外国の軍隊がいることはかえって紛争惹起の原因ともなりえるのである。これに代って、これまでこれら地域において人道的救援にあたってきたNGO活動を強化するとか、民生専門家をおくり、経済的援助をおこなうことの方がはるかに人道にかない、その目的達成に効果が上るであろう。

7. テロ絶滅のための人道的援助はアフガニスタン地域に限られるべきでないことは言うまでもない。それは世界各地に現存する恐怖と欠乏に対する目配りが必要であり、その中で特に重要な地域と問題の評価がされ、それについて必要な措置がなされるべきである。それが「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」日本国民及びそれによって権限を付与された政府のとるべき道でなければならない。憲法前文の「平和を愛する諸国民」を、軍事力の行使とそれによる制圧にたより、経済力の「自由」な発揮を主張する諸国政府と読み替えることはできない。これら諸国ことに米国の「自由」な経済力の発揮への協力、共働が、世界各地に公正と信義をもたらさないことは、テロ行為を生み出されている世界の現実が示しているとおりである。日本の政府と国民は、過去の歴史に対する反省とこれを再び繰り返さないことを、日本国憲法の制定によって世界に表明したその決意の原点にたちかえることが必要である。日本は憲法の平和原則にそった方策をとることにより、日本国民が諸国民と共に平和の内に生存する権利の確立に資し、国際社会の中で名誉ある地位を占めることができるのである。

(以上の論稿は、団通信には長文のため掲載されていないが、本人の了承を得てHPのみに掲載したものです)