<<目次へ 団通信1046号(2月1日)
団アフガニスタン問題調査団報告特集(1) | ||
山本 真一 | ||
田中 隆 | 子ども、青年、日本という国 | |
上山 勤 | アフガニスタンで起きていること | |
伊藤 和子 | 何というひどい戦争ーパキスタン調査報告ー | |
今村 幸次郎 | NTT「違法・脱法」リストラ対策 弁護団の結成等について | |
松村 文夫 | 労連系労働者委員選任される | |
盛岡 暉道 | 緑色韓国連合、クンサン米空軍基地そしてハノイで アンニョンハシュムニカ(こんにちは)、韓国米軍基地反対運動(四) |
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金野 和子 | 小泉司法改革に対し団の司法制度改革審「最終意見に対する意見書」 (二〇〇一年九月)を活用しよう |
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後藤 富士子 | 「改革メニュー」の賞味期限 弁護士懲戒制度の改革について |
東京支部 山 本 真 一
本年一月七日午前一一時三〇分、自由法曹団アフガニスタン問題調査団を乗せたパキスタン航空八五三便は成田を飛び立った。一行は団員七名、通訳二名。目的地はパキスタンの首都イスラマバードである。
昨年一一月団常幹の際に、東京支部の伊藤和子団員や神田高団員がアフガン問題の現地調査に行こうと言いだした。アフガンに対する米軍の空爆という事態に怒りを感じていた私もその場の雰囲気で何となく参加することになった。しかしそれからが大変だった。第一、アフガニスタンとはどういう国かということが分からない。今どうなっているのかも判然としない。タリバーンという奇妙な政権が国土の九〇%を支配し、九・一一事件の主犯らしいオサマ・ビンラディン指揮するアルカイダの組織があるということくらいしか分からない。しかも米軍の軍事行動が何時終わるか分からないから現地調査といっても隣国のパキスタンにしか行けそうもない。よく考えてみると、一体何をしに行くのかがよく分からない。これに気がついた。あわててまずアフガンの歴史、特に近現代史について勉強を開始した。しかしほとんどそれらしき資料がない。岩波書店の「世界」の二〇〇一年一一月号から二〇〇二年一月号の三冊に掲載された中のいくつかの論考、東大出版会の出した「講座 世界史 一一巻」の中にある「アフガニスタンとイスラム原理主義」(高橋和夫)をはじめとするアラブ民族主義や中東に関する幾つかの論文、そしてあとは朝日新聞や赤旗の記事くらいしかなかった。これではどうにもならない。すると一二月三日の朝、同僚の池田真規弁護士から電話があった。ペシャワール会の中村医師の講演が武蔵野公会堂で明日の夜あるが行かないかというお誘いだった。たまたま時間が空いていたので行くことにした。同日は時間前に着いたが会場のホールの中には入れなかった。ホールの外のロビーでスピーカーから流れてくる中村医師の声だけを聞いた。しかしそこで中村医師の著書や「アフガニスタンの仏像は破壊されたのではない。恥辱のあまり崩れ落ちたのだ」という長い名前の本を買い込んだ。後者はモフセン・マフマルバフというイランの映画監督(今年二月に彼の監督した「カンダハール」という映画が日本でも上映される。アフガンの現状を知るには最もよいもののようである)の書いた本である。この両者の本を読んだ。アフガンの現状がなまなましく書かれていた。こうして現在のアフガンの置かれた状況は大体把握できた。何とか間に合った。一二月中には数回、参加する東京近辺の五名の団員で準備の打合せをした。一体何処に行って、誰に会えばいいのか。かいもく見当がつかない。現地の関係するNGOや国連機関というくら
飛行機に乗った。席はエコノミーだったが、ファーストクラス(パキスタン航空八五三便には五列くらいしかなかった)のすぐ後ろだった。間を仕切るカーテンは空いていた。ぼやっと前の入り口の方を見ていると、よくテレビや新聞で知った顔と出会った。あれ、誰だったかなと考えたら、前国連高等弁務官だった緒方貞子さんその人だった。彼女が一月二一日と二二日に東京で開催されるアフガン復興会議の日本の政府代表として共同議長を努めることやその準備のためにほぼ我々と同じ期間にパキスタンやアフガンを訪れる予定だというのは新聞で知ってはいたが、まさか我々と同じ飛行機で行くとは思わなかった。緒方さんは飛行機の一番前の席に座ったようだった。回りには何人かのお付きらしい人がいた。この中に羽生さんもいるだろうと見当をつけた。なにしろ緒方さんはついこの間まで羽生さんの上司だったのだから。お付きのうちの若い二人がエコノミークラスの最前列に座った。たぶん外務省のお役人だろうと検討をつけた。これは幸先がいいと、図々しくその内の一人に話かけた。案の定、外務省の人だった。羽生さんの事を聞いた。しかし意外にも知らないと言う。あれっと思った。しかし緒方さんなら知らない訳はないから、今度は緒方さんの席まで行って、緒方さんには会釈だけして、回りのお付きの人に聞いてみた。すると意外にも「H15の席にいる」と言う。我々の席よりも後ろだった。しかしともかく羽生さんは特定できた。飛行機の中で羽生さんと面会の約束が取れそうだ。やっとほっとした。いよいよアフガン調査の始まりであった。
以下に掲載する原稿は、参加された団員が取り急ぎまとめた感想です。正式の報告集は二月二〇日すぎには完成させる予定です。ご期待ください。(二〇〇二年一月一四日記)
東京支部 田 中 隆
一 難民居留区の「寺子屋」
ほとんど泥を固めたような壁が続き、路地の脇には汚水がたまっておせじにも衛生的とは言えない。その一角の入り口をくぐった瞬間、狭い中庭にビニールシートを引いただけの教室に、隙間もないほどに座った子どもたちの目がいっせいにこちらに注がれた。かろうじて屋根のある軒下では、上級生の少年が別のクラスを教えている。イスラマバードの難民居住区で、督永忠子さんが主催するNGO「アフガン難民を支える会」が支援する「寺子屋」である。
ちょうど授業終了のお昼時、教科書とノートを届けにきた督永さんに群がって歓声をあげて握手攻め。同行した私たち(大久保賢一弁護士、筆者)もいつしかその渦に巻き込まれ、いっしょに歓声をあげていた(おかげで「あまり子どもたちをけしかけないで」とあとで督永さんから注意をいただくことにはなったが)。
整然と区画されたイスラマバードの一角(I―地区)の国有地に、未公認の難民が住みついて二〇年。この居留地だけで六千世帯・数万人に及ぶという。だから、子どもたちは居留地で生まれ、母国を知らない。屈託のないその子どもたちを見ながら、遠い昔の学生セツルメント時代に川崎の貧民街で出会った子どもたちを思い出していた。
二 日本NGOの青年たち
「なによりも平和なアフガンをつくりたい。平和がなければ病院を建てても戦争で壊れてしまう。ソ連撤退の後はそうだった。もう繰り返したくない…」。ペシャワルの診療所で会ったアフガン人のドクターの痛切な言葉だった。戦火のアフガンから日本に来た彼は、日本の病院(城西病院)に勤務して、日本NGOのJIFFの診療所で母国アフガンの子どもたちの治療にあたっている。
「空爆を続ける米軍には怒りを覚える。けれども、その怒り以上に、これ以上地雷が埋められず、爆弾が落とされない方向を求めたい…」。外務省や経団連もかかわるジャパンプラットフォームで会った広報担当の若い女性はこう語った。二五歳の彼女はイスラマバードに住みついて、政府資金などを難民救援に生かすコーディネートをしている。
「日本ではなんとなく言いにくいが、やっぱりお金が一番ほしい。物価が安いこの国で難民にあった毛布を大量に買えて、地元の経済復興にも役立つから…」。これはペシャワルで会った日本NGO・JENの青年の言葉。紛争予防を研究してきたという二八歳の彼は、「僕らは運搬屋だ」と言いながら、今日も地元ベースでの物資の調達・運送に奔走している(帰国した一四日の朝日紙に、カブールでのJENのノート配布が報道されていた)。
パキスタン調査で出会った日本NGOの青年たちは、いずれも真摯で献身的だった。このところめったにないことだが、日本にいることをちょっとばかり誇らしくも思った。
三 「パキスタンの日本人」と「永田町の日本人」
パキスタンで一週間聞きつづけたのは、「何よりも平和」であり、「アフガンの再建、難民の帰還と自立」であり、「そのための国際社会の支援」だった。このことは、国連(UNHCR)だろうと、政府も参加するNGOだろうと、難民キャンプだろうと違いはない。
その願いのもとで活動を続けてきたパキスタン(あるいはアフガニスタン)の日本人と、「湾岸戦争のトラウマ」とやらで報復戦争支援・自衛隊派兵に狂奔してきた永田町の日本人と、どちらが本当の日本人の姿なのか。どちらの日本を実現することが、「国際社会で名誉ある地位」を占めて、真に平和で安全な国をつくれるのか。
有事立法だの、安全保障基本法だのと、ほとんど「悪乗り」とでもいうほかない愚かな企てが動き出そうとするいま、問いかけられているものは、まさしくこの選択なのである。
(二〇〇二年 一月一五日 脱稿)
大阪支部 上 山 勤
1、なぜこの調査に参加したのか
九月一一日以降テレビはいつもテロと戦争の報道であった。NHKの報道はまるでアメリカ国防省の下請けであり、米国の戦略の見通しや武器の解説を、したり顔でおこなうのをみていて、何か違う、おかしいという焦燥感がいつもあった。世界で一番豊かで軍事力のある米国が世界でもっとも貧しいといわれているアフガニスタンの爆撃を始めた。これは公然とした人殺しではないか。勿論、貿易センタービルが破壊されたことは許せないけど、一ヶ月後同じことを米国はやっているのではないか。そして自衛隊はインド洋まででていったけどほんとにそれが国際貢献なのか。
この戦争行為を告発するには戦争の内実、被害を突きつけることが大切だ。私は、マスコミではなく自分の目と耳でアフガニスタンに対して行われていることをつかみたいと思った。
2、難民の悲惨
最初に訪問したQetta の北、Chamanにある難民キャンプは土埃が舞い上がる乾燥した大地に新設された、この一〇月以降の難民のためのキャンプであった。車でキャンプに乗り入れて最初に目にした光景が五、六歳の少年がバケツに水をいれて運んでいる光景であった。少年は裸足であった。膝から下は白っぽく、ズボンはすり切れている。私は不覚にもこの光景を見ただけで胸がいっぱいになってしまった。仲間にみられると恥ずかしいので、必死で涙はこらえたけれど…。
実は爆撃が始まって、ロイターの提供した写真で、タジキスタンとの国境に近い難民キャンプでパンを抱えて立ち止まり、考え事をしている少年の写真( 少年は指先の汚れた手を埃にまみれた自分の鼻にあてて何かを考え込んでいる。少年の汚れた顔には両の目から流れた涙の跡が写真を通してでも見て取れる。とてもつらいことがあって、立ち止まっているのに違いない…そんな写真です) にとらえられほっておけない気持ちになった。事務所にもカラーコピーをして掲示して皆に見てもらった。難民の子ども達がずっとひっかかっていたから想像力が豊かになっていたのでしょう。多くの子ども達は埃だらけで手も顔も裸足の足も汚れていたが、とても人なつこくて私たちに近づいてきた。生まれてから現在まで銃声を聞かなかった日はなかったであろう彼らの六〜七割は読み書きができない。
それでも見せてくれる笑顔は唯一の希望であった。
登録された難民はUNHCRから少なくとも水とテント、食料の配給を受けている。しかし、彼らだって故郷に帰って農耕をやりたいはず。その前提となる、爆撃の中止・平和の実現・地雷の撤去、これらのことのために何が出来るのか。それを考える指針にすべきだと強く思う。
3、帰国して思うこと
文字で知らされ写真で眺めていた難民はもっと重たい存在だった。彼らが家を追われ、家族を失っていま生きていること、これが戦争の実相なのだと思った。これがアメリカのやっていることなのだと感じた。必要なことは、この違法の実態を少しでも私の言葉で周りの人に伝え、戦争の非道を告発し、アフガニスタンの復興に向けて関心を払い続けることだ。
新しく分かったこともある。例えば、日本のメディアはトラボラ地区への米国の爆撃の報道はするけれど、あたかもそこは険しい山岳地帯で洞窟の中にタリバンやアルカイダの残党が潜んでいるイメージで報道をする。そうではないのだ。トラボラにも六〜八〇〇の村があり、人々が自給自足的な生活を営んでいるのだ。こんな所に沢山の爆弾やディジーカッターなどという爆弾を投下する行為は無差別の殺戮以外の何ものでもない。これは人道に反する罪といえるのではないか。
更に、強固な岩を貫いて爆発をさせるため、対戦車用に湾岸戦争の時に用いたと同じく劣化ウラン弾が使われている疑いが濃厚。これは、ガイガーカウンターを持参してトラボラに入ればすぐにも明らかになることであり、絶対に放置出来ないことだと思う。
最後に団員の皆さん。パキスタンでホテルから国際電話を掛けるとき、日本へは0081の次に都市のナンバーをダイヤルすればよろしいのだが…ホテルでは代表的な三つの都市の市外局番が案内カードに書いてあります。最初は広島、そして長崎、最後に東京の市外局番が表示してあります。アジアの人たちの日本に対する普通の認識がうかがえるではないですか。
事務局次長 伊 藤 和 子
多くの方から激励・ご心配をいただいたパキスタン調査団ですが、おかげさまで全員無事に帰国することができました。調査も非常に充実し、国境付近の難民キャンプでは私の想像をはるかに越える戦争被害の実態が明らかになりました。以下ご報告します。
1 恐るべき戦争犯罪
何より、まず報告しなければならないのは、空爆被害にあった難民の訴えである。私たちはカンダハルに程近いパキスタン国境の町チャマンにある新しい難民キャンプ「ランディ・カレーズ」、ジャララバードに程近いパキスタン北西・国境沿いの難民キャンプ「コトカイ」に行き、いずれも空爆から逃れたパシュトゥン民族の人々の話を聞いた。
最もショックだったのは、UNHCRやNGOの人々とともに「コトカイ」キャンプにいる長老格のアフガン難民達から聞いた証言である。「皆さんの中で空爆によって村全部が破壊されたのを見た方はいますか」と聞くと、みなが一斉に、「至るところにある」と答え、空爆で廃墟になった地名を次々に挙げた。彼らは、何も軍事施設がない村が標的になり破壊された、と訴えた。
アルカイダの巣窟と言われ、米軍が絨毯爆撃を集中的に浴びせた「トラボラ地区」は、谷あいに多くの村や集落があり、アフガンの人々が普通に日常生活を送っていたという。そして、その村の中心部に「デージー・カッター」(燃料気化爆弾)が投下されたという。トラボラから約一〇キロの村に住み、避難の際にトラボラ区を通った難民は、「一〇〇〇人位の死体を見た」と話していた。トラボラやジャララバードのあるニングラハル州では、人々の生活する街中や村に「デージー・カッター」が落とされ、他にも巡航ミサイル、クラスター爆弾、ナパーム弾が使われ、多くの村が連日の空爆で廃墟と化したという。通称「デージー・カッター」、正式名称「燃料気化爆弾(BLUー82)」は、直径約五百メートルを高熱で焼き尽くし地上を無酸素状態にさせるもので、一瞬にしてその範囲内にいる全ての人を皆殺しにする、核兵器に次ぐ大量殺戮兵器である。この兵器を罪のないアフガニスタンの人々の暮らす町や村、集落に公然と落とす、これは大量虐殺であり、戦争犯罪にほかならない。空爆の民間人死者は三千余名と言われているが、はるかにこれを上回る被害が出ているはずである。このような事態に沈黙していていいのだろうか。メディアが、そして国連が、アフガン全土の戦争被害を調査・告発せずに、報復戦争の実態を覆い隠しているのは犯罪的である。ジャーナリスト、法律家、NGO等、この時代にこの世界に生きる私達の責任として、アフガン全土で徹底した調査を行い、アメリカの行った戦争の残虐性を明らかにし、二度とこのようなことをさせない世論を作っていく必要があると痛感した。
2 戦争被害に接して
戦争の最大の犠牲者はいつも女性と子どもである。家や平穏な生活、そして父や夫を奪われ、すさまじい空爆を体験し、少なくない女性が深刻なPTSDに苛まれ、毎晩悪夢に悩まされたり、全く喋ることができなくなったり、小さな音にも恐怖にかられパニックに陥る、という状態だという。実際に会った、そういう小さな子どものことは忘れられない。
私はランディ・カレーズで難民の女性に「一つだけ」質問を許された。マザリシャリフの近くのダルザブ村は一〇月二五日以降一〇日間、地面に五フィートの穴をあける大型爆弾が連日投下されて村が壊滅、二〇〇家族が果てしなく遠いチャマンまで逃げてきた。その一員の女性の顔には疲労と悲しみが深く刻まれ、呆然とへたり込んでいた。彼女に「今一番何を望みますか」と聞くと、「家に帰りたい。平和がほしい。尊厳を取り戻したい。私達はこれまで平和に暮らしてきたのですから」と言った。彼女がそれまで平和に暮らし、尊厳をもって生きていたのだ、その平和も、家も、人間の尊厳をも奪ったのが報復戦争である。
3 戦争によって平和は創れない
アメリカではよく、古くなった国内の建物をダイナマイトで破壊し、新しい建物を建設しているようだ。しかし平和というのは、暴力的な破壊によって創れるものでは決してない。タリバンが崩壊すれば全てが解決し、平和が実現するなどということはありえない。私達が訪問したアフガンの女性団体RAWAは、北部同盟の時代こそ、女性の強姦や虐殺、誘拐等筆舌に尽くしがたい蛮行が全土に繰り広げられ、北部同盟のカブール制圧後若い女性やその家族は恐怖に慄いている、パシュトゥン民族への新たな虐殺も発生していると訴えていた。
私達が訪問したアフガン人のNGOガーディアンは、「カンダハルでは市民がみんな武装している。治安は最悪である」と言っていた。そして、今後の平和への道のりとして教育の重要性を指摘し、「アフガン人としての連帯感を持てるような教育をしていかなければならない。それぞれの民族が民族浄化の恐怖を持って生きてきた。子ども達は、南の子には角がある、北の子には尻尾がある、と思い込まされ、それぞれに恐怖感を持っている。恐怖を取り除き、アフガンの同じ一員として共生する教育をしていくことが必要だ」と強調していた。
「ブルカ」に象徴される女性の人権問題も、タリバン以前からの保守的な風土や男性の意識が変化しない限り、根本的には変わらない。「アフガンの女性の人権」を旗印に、家や家族の殺戮が行われ、生存の基盤が破壊されることをアフガン女性は決して望んでいない。平和も人権も、まず人々の心の中に構築されなければならない。それは地道で時間がかかっても、平和的な対話による意識の改革、そして教育なくしてありえない。戦争がもたらすのは破壊と死、悲しみだけであり、戦争が平和をもたらすことは決してない。
4 最後に
私達はアフガンの平和復興に携っている多くのNGOを視察し懇談した。特に感銘を受けたのは「ぺシャワール会」で、空爆開始後、国連機関が一斉に手を引く中で、アフガン現地スタッフとアフガン国民の信頼に支えられ、アフガンに開設中の病院をひとつも閉鎖せずに医療活動を続け、ただひとり飢餓に瀕するアフガン市民のために食糧を送りつづけたという。そして現在の国連・各NGOの支援がカブールに集中する中で、さらに困難な地方へと援助を拡大しようとしている。またガーディアンのように、アフガン人によって構成されるアフガンの自立的復興を真剣に目指すNGOの存在は非常に嬉しかった。
国連機関やNGOが計画する、食糧、医薬品、医療、水の確保、教育、それらはすべて平和と治安回復なくして成し遂げられない。
しかしアフガンの人々は、同胞の大量殺戮を黙って見ていた国連が、全て破壊された後に突然現われて自らに施す「援助」をどんな不信感を持って眺めていることであろう。私達は、アフガンの平和復興を援助するとともに、諸悪の根源である戦争をもう二度と許さない力を作っていかなければならない、との思いを強くした。
東京支部 今 村 幸 次 郎
1 NTTは、現在東西地域会社で行っている電話の保守・営業等の業務を新設する一〇〇%子会社に移管し、約一一万人もの社員を削減するという未曾有の企業再編リストラ(いわゆるアウトソーシング)を計画し強行しようとしている。本リストラは、五〇歳以上の社員約五万五〇〇〇人について、一旦NTTを退職させ、賃金を三〇%切り下げて新会社へ再就職させるというものであるが、実質五〇歳定年制の導入であり、労働条件一方的不利益変更禁止の法理を子会社設立・外注化・退職再雇用という「カラクリ」を使って潜脱するものである。この手法に含まれる違法、脱法の数々については、昨年来、自由法曹団常幹声明、学者・弁護士アピール等により厳しく批判してきたところであるが、雇用形態選択通知書(辞職願とみなされる)の提出期限が目前に迫るという緊迫した情勢の中、東京、大阪を中心に一九名の弁護士が全国弁護団を結成し、一月一一日発表した(団長坂本修〔東京〕、副団長河村武信〔大阪〕・小木和男〔東京〕、事務局次長山崎徹〔埼玉、団本部〕、事務局長小職、〔敬称略〕)。
2 記者会見に臨んだ坂本団長は、「ルール破りと確信した」「これを放置すれば、NTTだけでなくどこの会社でも、仕事を全部外注化して転籍に応じなければ働けないという脅しがまかりとおってしまう」としたうえで、本リストラと闘うNTT労働者の弁護に総力をあげて取り組む決意を表明した。本リストラは、これまでに勝ち取られてきた労働のルールを完全に破壊するものであり、NTT労働者だけでなく、日本の働く者五三〇〇万人すべてに向けられた攻撃である。
3 現時点において、通信労組の五〇歳以上組合員の約六割(約五〇〇名)がNTTに残って闘う見通しである。これらの人たちに対して会社は、異職種・広域配転の脅しをかけている。不当配転については裁判等で徹底的に争う構えである。今後、常幹での議論を経て、早急に各地での弁護団を立ち上げていただくことになるが、全国の団員各位におかれては、是非とも、この闘いにご参加いただきたい。NTTリストラは、資本側の「壮大な実験」とも言われている。このようなものを許すわけにはいかない。この闘いは、今、この国で横行している無慈悲で非人道的なリストラ攻撃をはねかえし、病んだこの国をまともな姿に立ち直らせる大きな流れに連なるものである。困難ではあるが、やりがいのある闘いである。
4 ご承知のとおりNTT東西会社は、全国各地に支店・営業所をもっており、組合員も広く全国に点在する。NTT労組がリストラ計画を既に受け入れているという困難な状況の中、全国で五〇〇名もの労働者が闘いに立ち上がっている。自由法曹団の総力を上げて、この「資本の横暴」への闘いを支援し、励ますときである。今がまさにそのときである。
長野県支部 松 村 文 夫
一、田中長野県知事は、この一月一五日地方労働委員会労働者委員(五名)に県労連が推薦した工藤きみ子(県医労連委員長)を選任しました。
田中知事は、昨年五月県労連系委員選任の意向を公表し、それ以来連合の猛烈な反対工作があったにもかかわらず、その初志を貫徹したものであり、まことに見事なものです。
二、労連は、吉村前知事による連合独占の選任が続けられているのに対して、九六年以来三次にわたって、取消と損害賠償を請求する訴訟を提起して来ました。
昨年のメーデーの際、田中知事は労連系集会に長野県知事としては初めて参加し、連合系集会より長い挨拶をしました。
労連は、すぐさま、田中知事に面会を求め、不公平人選について改善を申し入れました。田中知事は全ての面会を記者にも取材させていますが、この時も記者のいる前で、「一流派だけに独占させるのは好ましくない」と発言し、次の定例記者会見でもわざわざこれに言及しました。これが大きく新聞等で報道されました。
田中知事は、九月労政懇談会委員に県労連委員長を選任しました。その挨拶も兼ねて県労連が候補者の工藤さんも同席して選任を申し入れしました。工藤さんが二七年にわたる看護婦や労組活動を述べると、田中知事は、「生まれた時から看護婦をしていたのですか」「張りのある仕事をしている方は違いますね」と言い、びっくりした工藤さんも、「二七歳くらいに若く見える」という趣旨だとわかると、爆笑になったそうです。
三、他方、連合は、田中知事を支持した唯一の団体であり、知事に対して強硬に反対を申し入れしておりました。「県労連は一方的に使用者側が譲るべきだとの立場で運動しており、労働争議の調整にはなじまない」などと言ったそうです。
しかし、田中知事は、「選挙支持とこれとは別だ」と言い、連合が次回選挙における支持を取り消すと言っても動じませんでした。
一月八日に連合の新春交歓会があり、連合会長が「何年か後、長野県の労使関係がぎくしゃくしないように願う」と牽制したのに対して、出席した田中知事も負けずに「異なる考え方や立場・目的があっても等しく扱い、正当に評価される社会に、長野県をしたい」と挨拶し、その後の祝宴では隣りに居合わせても一言もかわさなかったなどと報道されています。
四、今回の選任の大きな要因としては、一〇回の敗訴判決にもかかわらず、果敢として裁判を闘ってきたことがあります。
田中知事は一橋大の法学部出身で、上條弁護士(支部事務局長)と松本深志高校の同級生ということもあって、裁判に関心は強く、じん肺訴訟では知事として全国唯一賛同し、県が被告となっている裁判については自ら見直しています。
長野県でも最初は東京裁判の書面を援用して来ましたが、そのうちマンネリとなり、「やはり裁判ではなく運動だよ」などという裁判とりやめ論も出て来ました。
私は、書面を作成するにあたり、奥田福岡県知事が断念し、大田沖縄県・橋本高知県知事が連合・経営者団体・労働者の圧力をはねのけ選任した歴史、千葉県・愛知県でかちとった判決内容(敗訴ではあるが)なども取り入れてスケールを大きくするとともに、県労連は、丸子警報器女性パート賃金格差是正裁判や飯島過労自殺労災認定訴訟などで全国にも誇れる立派な闘いをしているのに対して、富士通など連合系労働者委員が委員長をしている組合ではリストラを容認しているだけで労働者委員の資格はないなどと長野県らしさも取り入れて毎回新鮮なものにするよう工夫しました。
五、私は、「負けてもスジを通す」派で上告しましたが、他県の裁判で、最高裁敗訴判決(と言っても「三行半」ですが)が引用されたなどと言われると多少畏縮してしまったことがあります。
最後までスジを通して闘えば、いつかは勝利の女神がほほえんでくれるものと確信が深まりました。
東京支部 盛 岡 暉 道
この時、女性たちから出た最も大きな話題は「米軍機の騒音もひどいが、一番心配なのは、基地内の弾薬庫が、最近新たに沢山建てられて、それがどんどん私たちの家の間近に迫ってきていることだ。これをやめさせたい。そのためにはどんな方法があるのか」というものでした。
私は、この難問に対して「日本の政府も韓国の政府も、騒音をなくせという私たちの要求に対して、自分の方から基地に接近したくせに何をいうかと言いがかりをつけているが、ここの弾薬庫の場合は、逆に、米軍の方からみなさんのそばに接近してきているのだから、誰が見てもみなさんには弾薬庫を近づけるなという権利がある。」というのが精一杯で、しかし、これでは答えにも何にもなっていないことは明らかです。
今、考えれば、せめて、日米地位協定には一六条で米軍には日本国内法令を尊重すべき義務があることになっているが、韓米地位協定ではどうなっているのだろう。同じ規定があるのならそれが武器になるし、ないとしても日本並みにやれと要求すべきではないだろうか、ぐらいの言葉は思い浮かぶべきでした。
なお、二〇〇一年一一月に北九州市で行われた全国公害患者の会連合会主催「NGO国際会議」では、グリーンコリアのイー・ユジン氏が(私たちはこの方にはお会いしませんでしたが)、すでに、「二〇〇一年二月に地位協定が改定され、在韓米軍は韓国の環境法規を尊重すること、また韓国は米軍人の安全に配慮すること(!ー私の驚き)が盛り込まれた」と報告しておられることを付言しておきます。(同報告集二四頁)
この「憩いの場所」の立ったままでの交流会は、折からの風も強く時間も押してきていることもあって、残念ながら短時間で切り上げになり、車で少し行ったところの、以前農家であった建物をそのまま食堂にした風の郷土料理店のようなところで(食事を運んでくれた女性たちは韓国衣装を着ていて、そして私はこの店で、こちらに来て初めて、私が郷里の京都府・福知山で子ども時代に朝鮮のおばさんたちが履いているのをよく見かけた、つま先が尖った、懐かしい朝鮮靴が、靴脱ぎ台に脱いであるのに気がつきました。)、ずっと案内役を勤めて下さった牧師さんと女性のキム・ミンアさんのお二人を囲んで昼食をとりました。
そして、これが私たちのクンサン基地訪問の最後のスケジュールになるので、少しゆっくりと時間をかけて情報交換をしました。
弾薬庫が民家から五〇メートルのところに押し寄せてきている
お二人によると、韓国では、米軍基地周辺はおろか、なんと民間空港周辺でも、いまだに騒音被害緩和のための民家防音工事助成は全くない。それどころか、米軍機の騒音測定自体もやっていないというのです。
市には「基地対策課」はない、政府から市への基地交付金もない。
自治体は、「北を助けることになる」から、米軍基地には及び腰で、米兵にいかに金を使ってもらうかにしか関心がない。
米軍は、飲料水は自分から運んできているが、洗濯その他の水は市がクンサン基地に供給している。
基地からの汚染排水による農業被害の補償金は、運動の結果、米軍がその七五%(韓国政府は二五%)を負担するようになった。
F一六の訓練飛行について、被害を拡散しないための飛行コースの規制はなく自由に飛び回っており、夜間の時間制限もない。たまりかねて市民が抗議すると、しばらく「おとなしく」なる。
民家から五〇メートルのところに弾薬庫が造られ、まだどんどん造られている。沖縄から米軍基地が追い出されれば、米軍機が韓国にやってくるのではないかという不安もある。一方的に被害を押し付けている基地正門で、労働者、市民、学生が週一回抗議集会を開くが、住民はあまり参加しない。五〇年間の「北の脅威」の意識がしみ通っているから、むずかしい。
キム・ヨンサム政権時代になって、ようやく人権の尊重・言論の自由が認められ始め、さらにメヒャンニ射爆場の闘いのことを聞いて、住民も声を上げようとよびかけている。
五〇年代、六〇年代はアメリカは絶対で、まだその意識は根強く残っているが、ここ数年、米軍の一方的な態度のおかしさに、住民は気が付き始めた。市民団体と連帯して声を上げ始めれば、住民も変わるのではないか。力はまだまだ弱いが。
これに対し、私たちが日本で初めて取り組んだ米軍基地騒音訴訟の場合は、米軍基地に対しても国内の民間空港と同じ騒音対策をとれというのが中心的な要求であったといっても過言ではありません。
また、当時の美濃部革新都政は、羽田空港周辺での騒音調査と並んで、昭和三四年から横田基地の騒音測定を行っていたばかりか、周辺住民の真上に襲いかかる米軍機の姿や、騒音のために集団移転で街の取り壊されていく様子を写した記録映画を二本も製作しており、私たちは、裁判官たちに横田基地の騒音被害に対する認識を深めてもらうために、これらの記録映画も法廷で上映させたりしたのでした。
だから、私は、前日のソウル・文化会館での「韓国と日本の米軍基地訴訟の現状」交流会で「横田基地訴訟の原告たちは『大阪伊丹(大阪国際空港のこと)の爆音も 東京横田の爆音も 音に変わりはあるじゃなし 受ける被害はみな同じ』という替え歌を歌って運動に立ち上がった」と報告したが、これはあんまり役に立たなかっただろうと思わざるを得ませんでした。
いずれにせよ、今回の交流に関する限りは、勿論、後知恵でいうことですが、このクンサン基地訪問をしてから「韓国と日本の米軍基地訴訟の現状」交流会の方を持つべきであった。順序が逆であった、と思います。
しかし、私たちが、訴訟の提起に踏み切る前の約四年間、「横田基地爆音をなくす会」を作って、これを一種の情報センターにして、周辺住民に、横田基地よりも進んだ国内外のさまざまの空港騒音対策の実情などを紹介し、それらをもとに世論を喚起して、基地や国や自治体に住民要求を突き付けていったという経験については、牧師さんもキム・ミンアさんも関心をそそられた様子でした。
こういうことならば、私たちの「横田基地爆音をなくす会」から横田基地公害訴訟団の二〇余年間のニュースやビラ類を収めた五一七頁に及ぶ「横田基地公害訴訟団ニュース・総集編」をこそ持ってくるべきだった。
そう思う一方で、言葉という韓国と日本の間のこのとてつもなく大きな壁のために、実際にはこれらのニュースやビラ類がどれほどの役に立ててもらえるものか。それを考えると、つくづく、もったいない話だなあ、と思うのです。
成田空港からは沖縄よりも近い隣国の弁護士や住民との間の経験交流・情報交換だというのに、言葉がこんなに大きな壁になってしまっているについては、ついこの前まで「朝鮮語科がある大学は大阪外語大学のみ、私立では天理大学のみで、日本では八百をこえる大学があるが、わずかにこのふたつにすぎない。これを全国の英語科の数と比較してみると思いなかばにすぎるものがあろう。」(塚本勲著「朝鮮語を考える」白帝社)という状態であったことに、私たちがまったく無頓着で過ごしてきた、その天罰があたっているからにちがいありません(この「朝鮮語を考える」は、語学書では、全然ありません。私たちの世代で、日本と朝鮮・韓国の関係について正しい姿勢で向き合いたいと考える者にとっては、まさに必読の書だと思います)。
しかし、私のようにただため息をついているだけではなくて、もう既にこの壁を破る具体的な努力をしている弁護士が団の中にもいることを、一〇月一九日からハノイで開かれたCOLAP?に参加したときに知りました。
初めてお会いした佐々木猛也団員(広島・佐々木法律事務所)は非核運動の交流の中で知り合った韓国の弁護士との間で、互いに本音で語り合うことの重要性を確認しあい、そのためには「私は韓国語を勉強してくる、君は日本語を勉強しろ」と約束して、去年からNHKの韓国語講座を聞きながら勉強を始めておられるのだそうです。こういう人もいるのだと、つくづく頭が下がりました。
(続く)
秋田県支部 金 野 和 子
一 団通信一〇四二(一二・二一)号に宇賀神団長の「司法改革の団の意見書を読みましょう」と題する文が掲載された。
団内には、司法改革問題についていろいろ意見の相違があった(今でもあるのだろう)。しかし、団長の文書にあるように、二〇〇〇年夏以来、活発な団内討議を重ねた団の意見の到達点が標記意見書にまとめられている。そして、標記意見書は、その構成にも執筆者らの苦労が感じられる内容となっている。
ところで、標記団意見書について、同じ団通信の中の斎藤事務局次長の文の中に、「ごく普通のまじめな団員(?)は、ほとんどあの分厚い意見書全部読んでいないんじゃないかなあ、というのが私の感想です」と忙しい団員の本音が述べられている。確かに興味と必要がないとなかなか始めから最後まで続けて読めない。そこで、読み方としては、団が今回の司法改革をどう考えているのかという第一項はじめの部分(ここまではたった七頁)を熟読し、第二項から第七項までは各論なので(八頁〜六二頁)興味と必要のあるところから団の意見を見ていくという方法をおすすめする。
二 今年は小泉内閣によって有事法制の本格化と司法改革の法案化が進行するという団員にとって重大な年である。情勢は小泉司法改革(団意見書三頁以下参照)に対する団の意見書を活用した活動が求められている。
「せめぎ合い」(団意見書六三頁)の闘いである以上、相手の戦略・戦術の分析が不可欠である。私は、それには昨年改革審最終意見書発表直後の日民協第四〇回定時総会シンポジュームで行われた渡辺治教授の基調講演「『司法改革』の本質と背景」(法と民主主義二〇〇一年七月号掲載)は必読のものと思う。右基調講演の内容は、情勢分析と闘いの方向性を論じており、団意見書と是非併読すべき文書であると思う。
渡辺治教授は、「司法制度改革を支配層全体の改革の一環としてとらえることが必要」と指摘し、構造改革急進派の小泉政権下「司法制度改革審議会の意見書に書かれたからといって、ただちに実現できるわけでなく『構造改革』に反対する大運動の中でなければ、こういう成果(審議会意見書に盛り込まれた一部の前進的部分)一つも実現することは難しい」と述べ、更に新自由主義改革の一環としての現在の司法改革の情勢分析について、「新自由主義改革としての支配層の司法改革の三つのねらい」として、第一のねらいは「新自由主義改革と資本のグローバル化の結果、破綻しつつある社会統合」を市民上層中心の「強い市民」による社会統合システムに構築していくこと、第二のねらいは強い市民に入れない下層市民に対する秩序と治安の強化、階級的大衆運動・消費者運動・市民運動への抑圧、大衆的な裁判運動の回路の閉鎖、第三のねらいは企業にとって使い勝手の良い司法作りであると分析し、この間の政・財界等の資料をもとに鋭く深い考察を述べている。結びの部分では、現在進行している司法改革は「その本質は資本のグローバル化と新自由主義改革に伴う社会統合の危機に対処し、新しい社会統合システムをつくっていきたいという、財界本位の司法改革と断ぜざるをえません」と述べ、そこで私たちの闘いのスローガンは「財界本位の司法改革から働く者と弱者のための司法改革の実現へ」となるべきと結論する。そして、「『市民のための司法』という言葉は、たしかに口当たりはよい。しかし私はあえて『働く者と弱者のための司法』という方向をより明確に打ち出して闘っていくべきことを強調したい。」と述べ、その理由は「それはいまの司法改革が『市民のため』の名のもと、強い市民による階層的秩序の強化をねらって行われているからです」(傍点筆者)として、支配層の新自由主義国家社会再構築構想の下、構造改革の強行による労働力の流動化やリストラ等により今までの日本の社会的統合の基礎であった企業社会の崩壊・自民党政権の基盤であった農村、中小業者の崩壊と所得格差の拡大がもたらす社会の不安定化に対する方策として、支配層が「市民のため」と称して目指しているアメリカ型の強い市民を基礎におく上層市民中心の新しい社会統合システムの方向性のねらいを明らかにし、「市民のため」の表現に含まれる支配層の戦略の重大な問題性を指摘している。ちなみに久保井日弁連会長は、「自立した市民社会
一九九四年頃からアメリカでは中流階層衰退論が急激に高まり社会統合の危機が論じられ、そのきっかけとなる講演をしたクリントン政権の労働長官ライシュは、中流階層を上昇していく部分(オーバークラス)、下降していく部分(アンダークラス)、その間にはさまれた中間部分―職についてはいるが自らの地位についても子どもたちの将来についても不安感を強く抱いている―「不安階級」(アンクシャスクラス)と分ける表現をしているが(大塚秀之「現代アメリカ社会論」大月書店・第三章「ミドルクラス」衰退論とその背景)、日本の市民社会も中間層のアンダークラス化の増大とアンクシャスクラス化が進んでいると思われる。今後の運動について支配層側の「市民のため」という言葉は市民社会の上層中心の強い市民による社会統合の戦略に基づいていることに留意すべきであると思う。
三 情勢は
昨年一一月九日「司法制度改革推進法」成立。一二月一日内閣総理大臣を本部長とする「司法制度改革推進本部」を内閣に設置・発足、一〇の部会に分かれ法案化検討が進められている。
小泉首相は、司法改革について「国家戦略の一環として位置づける」と言明している。今年は小泉司法改革との闘いの段階に入ってきた。
今後の運動としては、小泉構造改革に反対する各分野の運動と連帯し、団の標記審議会意見書に対する意見書を活用し、宣伝を強め、各論については更に法案化の情勢に応じて討議を深めつつ、自由法曹団のスローガンをより明確にして小泉司法改革に対決する団らしい運動を発展させることが求められている。
東京支部 後 藤 富 士 子
1 現行弁護士懲戒手続の基本的問題点
現行法では、弁護士会が受け付けた懲戒請求事案および弁護士会が自ら懲戒事由があると思料した事案は、直ちに懲戒委員会に付されるのではなく、まず綱紀委員会の調査に付さなければならない(弁護士法五八条二項)。そして、綱紀委員会が調査の結果「懲戒相当」と認める結論を弁護士会に報告すると、弁護士会は懲戒委員会に当該事案の審査を求めることとなる(同条三項)。
このように懲戒委員会の審査の前に綱紀委員会の調査を経るという制度を設けたのは、懲戒請求の濫用による弊害を防止するためである。弁護士法は、弁護士会による懲戒権の行使が遺漏なく行われるよう広く一般からの懲戒請求を認めた。しかし、その反面、根拠のない不真面目な請求あるいは単に嫌がらせを目的とする請求等がなされることも予想され、もしこのような事案が直ちに懲戒委員会の審査に付されることとなると、当該弁護士は著しい不利益を被ることとなる。弁護士がその業務を行う上で信用の維持は必要不可欠であるが、仮に懲戒処分を受けなくても懲戒委員会に付されたというだけで弁護士の名誉・信用は害されることとなるし、懲戒委員会の審査に付された弁護士は登録換えや登録取消の請求の制限(法六三条)という不利益も受けるのである。そこで、懲戒請求の濫用によるこれらの不都合を防ぐために、直ちに懲戒委員会の審査には付さず、予め綱紀委員会において事案を調査し、明らかに懲戒請求の濫用と認められるものを排除するという、いわば「ふるい落とし」をすることとしたのである。
ところで、この綱紀委員会の手続は、懲戒請求の濫用事例を懲戒委員会の審査手続から事前に排除するためのものにすぎないから、本来の懲戒審査手続とは別物である。それでは、本来の懲戒審査手続は現行法上どうなっているかといえば、「手続」という観念すら存在しないほど未整備である。懲戒委員会の審査の対象は何か、それは誰が設定するのか、事実認定における証拠法則はどのようなものか、被審査人=弁護士には手続上どのような権利保障がなされているのか、等々、刑事手続を思い浮かべて検討すると、どれひとつとして刑事手続に相当するものはない。防御の対象が訴因によって特定されることがないから、懲戒請求人が問題にした弁護士の行為と綱紀委員会が懲戒相当とした行為と懲戒委員会が懲戒事由とした行為とは同一ではない。しかも、犯罪構成要件と異なり、弁護士懲戒事由は「弁護士法又は所属弁護士会若しくは日本弁護士連合会の会則に違反し、所属弁護士会の秩序又は信用を害し、その他職務の内外を問わずその品位を失うべき非行」(同法五六条一項)とされているのだから、極めて漠然としているし、相対的であることを免れない。さらに、「立証手続」が存在しないから、被審査人=弁護士には証人尋問の機会さえなく、防御のしようがないのである。
弁護士会による懲戒は、当該弁護士にとっては刑事処分に匹敵するほどの重大な不利益処分である。それにもかかわらず、被審査人=弁護士に防御の権利が手続的に保障されていないことは恐るべきことである。そして、この事態を憲法三一条違反と考えない日本の弁護士を、私は信用しない。また、このような弁護士会によって「弁護活動の自由」が守られるとは到底思えない。
2 姑息な日弁連執行部の姿勢
今般の司法制度改革論議の中で弁護士会に対する要望として挙げられた綱紀懲戒制度の改革については、弁護士の非行に対し弁護士会の懲戒権が厳正かつ迅速に行使されていないとの現状認識の下に、実体的にも外観上も懲戒権の厳正かつ迅速な行使がなされるように改革することが求められている。
このような背景を受けて、日弁連執行部は改革案を策定し、二月の臨時総会にかけようとしている。ところが、執行部案は、前述した現行制度のひどさには何の検討もなさず、専ら「外圧」をかわすことを主眼として作られたもののように思われる。即ち、執行部案の立場は、実体的・外観上の厳正さを綱紀委員会・懲戒委員会の外部委員の増員や綱紀審査会の設置により改善を図り、また、迅速化については調査・審査体の複数・独立化を図る一方、「時間切れ」による懲戒逃れをなくすために登録換え・登録取消により手続が中断しないこと、除斥期間の停止を「綱紀委員会の調査開始時」とすることなど、「外圧」迎合に終始している。こうなったのは、懲戒制度が「弁護士自治」の根幹をなすものであるにもかかわらず、現行制度の実体的・手続的不備を放置したうえ、「弁護士自治とは弁護士を懲戒しないこと」と弁護士会が勘違いしているのではないかと市民から疑われるような運用をしてきたツケが回ってきたからである。
かような日弁連執行部の対応を見ると、司法試験改革問題(合格者数、丙案、修習期間)についての一連の対応を思い出さずにはいられない。「外圧」を目測して提示する「改革案」は、現実の改革案にはなりえなかったのであり、今やロースクール等の抜本的改革が図られようとしている。懲戒制度の改革についても同じ事がいえるのであり、執行部案の賞味期限は極めて短期と思われる。日本の弁護士は、自らの職業の発展・進歩について余りにも見識がなさすぎるのではなかろうか。
3 懲戒制度確立のための抜本的改革を
私は、懲戒請求された弁護士の代理人として実際に手続を経験したことから、現行制度のあまりの未開ぶりに驚愕したし、実質的に防御の方法がないことの無力感も味わった。この件は、現在日弁連に審査請求しているので、事案の内容を具体的に述べることはできないが、経験に基づき考えている制度改革について触れておきたい。
それは、まず何よりも懲戒委員会の審査手続の適正化、とりわけ被審査人=弁護士に対する手続上の権利保障を実現することである。そのことを考えると、結局、刑事手続に準じるのが合理的と思われる。即ち、審判者と訴追者を分離すること、訴因制度のように審判・防御の対象を特定すること、証拠に基づく事実認定のための立証手続および証拠法則(伝聞排斥の法理等)が挙げられる。
このような手続保障がなされれば、陪審裁判のように、審判者を全部市民にし公開手続でも一向に構わないと思う。特に、懲戒事由が明確な法規違反ではなく「品位を失うべき非行」であるときには、弁護士よりも市民の常識の方が妥当な判断をすることは充分に考えられる。委員の構成を弁護士が過半数を押さえることで弁護士自治が守られるかのように言う執行部案は、問題の本質を外した議論である。また、もともと刑事裁判の公開原則は被告人のためのものであることを考えても、非公開にこだわる理由はないと思われる。
近時問題となった安田弁護士刑事事件や埼玉保険金殺人事件の国選弁護人に対する検察官からの懲戒請求事件を見ても、事実認定が適正に行われたとしても、認定された行為が犯罪や懲戒事由に該当するか否かという判断については相対的であることを否めない。そして、これらの行為は弁護活動としてなされることから、これが正当な弁護活動とされるか否かは、当該弁護士の問題に止まらず、広く弁護士一般に通用する準則としての意味をもつことになる。即ち、懲戒事由は「弁護活動の自由」の保障と裏腹の緊張関係をはらんでいるのである。したがって、懲戒手続の適正保障は、まさに「弁護士自治」の根幹なのである。 (二〇〇二年一月一一日)