<<目次へ 団通信1050号(3月11日)
千葉支部 馬 屋 原 潔
1 千葉県富津市田倉地区で建設予定の安定型処分場に対する建設、使用及び操業の差止を求める仮処分を申請していたが、千葉地方裁判所民事四部(合議、井上稔裁判長)で本年二月一八日に建設等の差止を認める決定がされた。
2 本件処分場は一九九五年に千葉県知事に対し設置許可申請がなされていたものである。建設予定地の富津市田倉地区には市営水道がなく、住民は井戸やしぼり水(山から染み出てくる水)に頼って生活していた。水源地の山あいに処分場を建設する計画が持ち上がったのである。地元は一九九八年三月一一日に処分場の建設に反対する会を結成して反対運動に立ち上がり、二〇〇〇名を超える署名を集めて反対の陳情を行うなど市に対する働きかけをした。
同月二五日に千葉県における事前協議が終了した。同年六月二四日に富津市議会は建設反対の決議をしたが、千葉県は同年一二月一八日に富津市と建設業者の間の環境保全協定締結等を条件として処分場の設置を許可した。その協定が締結されていないにもかかわらず翌一九九九年に業者が処分場予定地の樹木の伐採等への着手を強行したため、千葉県は許可条件に違反したものとして処分場設置許可を取消した。これに対し業者は厚生省(当時)に行政不服審査請求を申立て、翌二〇〇〇年になんと厚生省は処分場設置取消処分を取消すとの裁決をしたのである。
3 これを受け、二〇〇一年二月に業者は工事に着工した。そこで、地元住民二四七名が工事の差止を求めて法的手段をとることを決めた。そして、田久保公規団員らを中心とする弁護団が結成され、私や井出達希団員ら登録後半年ほどの新人もこの弁護団に加わった。弁護団は建設等の差止を求める仮処分を申立てることにし、二〇〇一年三月に申立てた。
最初の双方審尋(二〇〇一年四月二二日)に際し、裁判所が業者に対し、本件仮処分の決定が出るまで工事は中止するように求め、業者もこれを了解し、工事は一応中断した。
4 一回の債権者審尋と六回の双方審尋を経て、昨年一一月に結審した。そして、本年二月の決定に至るのであるが、その過程で、以下の四点が争点となった。
すなわち、@本件処分場に有害物質が混入する可能性があるか、A本件処分場内に混入した有害物質が処分場外に流出するか、B流出した有害物質が地下水汚染等により住民の健康に被害を与えるか、あるいは周囲で営まれている農業や漁業等に影響を与えるか、C保全の必要性があるか、の点である。
@ 我々は安定五品目自体危険であるとの主張もしたが、これは認められなかった。しかし、安定五品目に混在あるいは付着している有害物質を分別することは極めて困難であり、それらの有害物質が混入することは不可避であることは認められた。
A 処分場下の地層の透水性が低いことや、処分場側壁部分の地層の傾斜の向きからして、有害物質は処分場外に本当に流出するのかが問題になった。裁判所は、地層内の亀裂や毛細管現象、地層の凹凸、間隙水圧等により、処分場下の地層及び処分場側壁を浸透して汚染物質が拡散していくことを認めた。この点については、業者は資金力を背景にボーリング調査等をし、その調査結果を地質学の「モデル的ケース」にあてはめた学者の意見書を提出してきた(要するに一般論)。原告団や弁護団にはボーリング調査等をする金銭的余裕は全くなく、協力して頂ける地質学者の方とともに何度も現地に足を運び、自分らの足で集めた様々な事実を積み重ね主張を組み立てていくという作業に徹した。但し、仮処分という短期決戦であることをふまえ、一部の住民の方に重点をおいた調査にせざるを得なかった。現場で撮影した写真やビデオも証拠として提出した。この我々の事実の積み重ねに裁判所は軍配を上げた。
B 流出した汚染物質がどの範囲に拡散し、各戸に設置されている井戸等に影響が及ぶかが問題となったが、処分場近辺の住民六名についてのみ影響が及ぶものと認められた。
C 地下水は一度汚染されたら回復は困難として当然に保全の必要性は認められた。
5 今後は、業者が起訴命令をかけ、本訴に至る可能性が高いと思われる。そして、本案になった場合、業者は今回の仮処分の結果をふまえ、計画の一部変更を行うとともに、さらに金をかけた追加の調査を行い、主張・立証を充実させるであろう。
今回の仮処分では、疎明だから何とか裁判所を説得できたものの、証明を求められた場合、業者に比べはるかに乏しい手持ちの資料だけではかなりの困難となることは想像に難くない。しかし、一方、仮処分の性質上、重点を絞った調査をしてきたことから、今まで我々がやり残してきた調査も少なくない。今回の仮処分で工事の差止は認められた以上、今後はじっくりと綿密な調査を積み重ね、仮処分でやり残した調査を尽くし、法廷内闘争の武器を磨き上げていきたい。
また、仮処分中に申立人団の一部が何者かの圧力によって取下げに追い込まれてしまった。今後ともさらに住民運動の輪を広げ、県を、厚生省を突き動かしていきたい。
今後、そのように法廷内外の活動を通じて、業者を追いつめていく決意である。
千葉支部 守 川 幸 男
1 事件の背景と法廷闘争の全局面の概要
旧運輸一般(現建交労)の分会結成を契機とした若松運輸の不当な出勤停止処分攻撃に、千葉地裁(二〇〇〇年九月一三日)と高裁(二〇〇一年一〇月一六日)で断罪の判決があり、労働組合の無形の損害に対する賠償額三〇〇万円が認められたことは、いずれも団通信で報告した。この事件は上告されたが、その後すぐに確定した。
今回報告するのは、この千葉地裁判決にショックを受けた専務がその三日後に、複数の目撃者の面前で分会書記長による傷害事件をデッチ上げて損害賠償請求をした事案であり、本年一月二二日に請求棄却の判決が出た。その後様子を見ていたが、専務が不当にも控訴したので本報告をする。
このころ会社は相次ぐ敗訴のためか、処分攻撃や一時金等の未払い攻撃などもできなくなっていた。そこで、団交拒否や仕事差別等による賃金差別等の攻撃は継続するとともに、攻撃の重点を、暴行事件をデッチ上げて刑事告訴や損害賠償請求したり、社外での会社及び社長、専務宅周辺でのビラ配布を理由に損害賠償請求をするなどの戦術に移してきていた。
現在、不当労働行為事件の行訴で和解中であり、別に分会員や組合を原告とする第二次訴訟中であるが、たたかいは確実に会社を追い詰めてきている。告訴事件も昨年末に不起訴となった。いずれこれらのデッチ上げ事件を含む不当抗争の法的責任を問うことも検討している。
2 事件の概要
当日朝、書記長らが専務に判決を読んだか聞いたことを機に口論となって、結局専務が就業拒否だとして仕事を取り上げた。書記長らが専務について歩いて仕事を要求したが聞き入れなかったので、二人で座り込んでいたところ分会長が話しかけてきた。専務が分会長に対して突然「お前も拒否か」と言い、分会長が「何が拒否なんだ、馬鹿なことを言うな。」と言ったのに対して専務が(不当処分をしようとしたのか)事務所に来るように言いながら同人に近づこうとしたので、書記長が二人の間に立って両手を広げて「やめろ、やめろ」と言いながらこれを阻止した、というだけのことである。判決もそのように認定した。
ところが専務は、書記長が背後から上半身を抱え込み締めつけながら振り回す暴行を加え、二四回の通院を要する頸部拘紋捻挫及び腰椎捻挫の傷害を負わせた、と主張した。
原被告尋問のほか、目撃証人として工場長、分会長及び分会役員の五名の集中証拠調べが行われた。
3 判決理由と勝訴の要因
何よりもデッチ上げ事件だという厳然たる事実が勝訴の要因である。したがって、書記長側証言は一貫しており、他方、専務の主張、立証は矛盾点や不可解な点が多かった。反対尋問ではそこを突いた。
判決は、専務側各証言と陳述書類との一貫性のなさに加えて、工場長が「しりもち」と証言しているのに専務はよろけて前につんのめったなどと供述していること(いずれも反対尋問で、わざと陳述書以上の大げさな証言を引き出した)、専務らの主張どおり仮に至近距離で約一分の暴行を目撃していたのならば、だれも止めに入らなかったことが不自然であること、工場長が専務と高校一年生のときからの知り合いであることから、その証言は信用できない、などとした。また、専務も工場長も、書記長が「やめろ、やめろ」と言って立ち塞がったことを認めていたにもかかわらず、書記長が腕や肩で専務にぶっかって暴行したということは不自然と断じた。
さらに、職務放棄と暴力という解雇に値する行為をしたと言うにもかかわらず、処分について取締役会での検討すらしておらず、裁判結果を見てから決定しようと考えていた(注、要するに、あわよくば公的お墨付きを得て処分する計画だったのである)ことは不自然である、仮に書記長が何らかの有形力の行使をしたとしても、専務の主張する傷害を惹起したとは認められない、診断書でも病名の原因まではわからない、書記長の有形力の行使によって生じたとまでは認められない、とした。
裁判官は当方の反対尋問に負けずに専務や証人にきびしい「反対」尋問をしていた。そして(おそらく自信を持って安心して)ほとんど書記長の主張を認めた判決を出した。
4 埼玉所沢中央自動車教習所事件の有罪判決との比較
−刑事司法改革の必要性
ところで一月二五日付救援新聞の一面に、埼玉所沢中央自動車教習所労組弾圧暴行デッチ上げ事件の昨年一二月二八日付有罪判決(罰金二〇万円)の記事が載った。この事件は、「被害者」証言の矛盾もあるのに「不自然ではない」としたり、暴行は見ていないという会社側証言を、被告に不利な供述を差し控えた心理的葛藤の結果などとしたという。診断書があるのか不明だが、私たちの担当した事件よりはるかに勝訴の条件が多かったのに、この違いはどこから来るのであろうか? 実は本件でも、証人調べが終わるまでは、診断書の存在と「目撃」証人の存在から、敗訴も予想していた。
おそらく、本件では警察も検察官も告訴をまともに取り上げなかったのに対し、前記事件が会社と警察が一体となってしかけた不当弾圧の刑事事件だからであろう。
いったん起訴された事件では、裁判所は屁理屈をつけてでも有罪判決を出す。恐ろしいことである。刑事司法改革が望まれる。
(この事件は、同じ事務所の白井幸男弁護士と共同担当である)
事務局長 中 野 直 樹
一 二月二〇日夜開催。有事法制阻止を副題とした。団本部が主催となって、中央団体の幹部を対象に参加呼びかけを行った。団が通常配信をしている中央団体は一七〇近くあるが、集会参加のお願いとなるとかなり厳しい。私と次長とで分担して二〇団体ほどに足を運んだ。
二 第一部 「アフガン空爆の裏側でーパキスタン調査の報告」
正月明け早々、パキスタンに飛んだ七名のうち、仁比聰平(北九州)、大久保賢一(埼玉)、田中隆、伊藤和子(東京)各団員に参加いただいた。彼らは帰国後直ちに調査報告書の作成に取りかかり、二月一五日まで「平和的解決と復興のために、パキスタン調査報告書」を刊行した。敢行したという言葉が適切なほどの勇躍と集中力である。四人は、この報告書を素材に、報復戦争・空爆の被害、難民救済と帰国支援の問題、平和的解決と復興の道を探る、という切り口で、語った。それぞれすでに何箇所かで報告会の経験を積んできていることもあるが、現に自分の耳で聞き、目で見てきたことからくる迫力がある。気合のこもった、そして言葉が上ずらない話しであった。よく感性が潤った。
この報告書は一冊三〇〇円、初刷二千部が発行直後に売り切れた。さらに二千部増刷したので、さらに積極的な普及をお願いする。
三 第二部 「戦争の道を許さないためにー有事法制阻止に向けて」
松井繁明団員に三〇分のコースで有事法制とはなんぞやを講釈してもらった。松井団員は、難しい事柄を、卑近な例にくだいて、軽妙な語り口で、切っていくことが得意である。一緒に司会していた斉藤園生次長は吹き出しそうになりながら手で口を押さえていた。準備書面にしようとすればいささか厳密さにかけるのではないかと思われる個所もあるが、わかりやすさ優先のデフォルメも交えて、絶妙に有事法制のばかげた側面と怖さの本質を描いたと思った。
現在中央レベルの平和団体が、この問題で、いくつかの講師養成講座を開いてきているが、そこにも参加してきている組合幹部の方から、松井団員の話しがもっともわかりやすいとの感想が述べられていた。
団の闘争本部では、この松井団員の発言録を文書にして盛りこんだ緊急意見書「往くべきは平和の道」を作成した。団のホームページにアップしているので活用されたい。
四 参加者が集まるか心配があり、本部専従事務局も総出であった。団員もかけつけてくれ、五〇名の会場がほぼ満席になった。安保破棄、平和委員会、原水協の平和団体の参加は得られなかったが、全労連、自治労連、国交労連、全教などから代表参加があった。和光大学の先生が朝鮮大学校の学生四人とともに参加されており、動員集会にとどまらない雰囲気がつくられたのがよかった。
東京支部 藤 原 真 由 美
一、団員のみなさま、二月二八日付けの朝日新聞朝刊をご覧になりましたか?そうそう、憲法特集ワイド版のうち、第六面の一ページを、まるまるコスタリカでの取材記事に費やしている、あれです。まだ見ていない人はすぐに見るべし。
実はこの記事、私たちが企画・実行した「コスタリカの大統領選挙を見ながら、非武装の精神と民主主義・人権のかかわりを考えてみようじゃないかツアー」に参加して、連日カルチャーショックの嵐にみまわれていた朝日新聞社の論説委員・藤森研氏が、腕をふるって書いてくれた貴重なしろものなのです。ちなみに、同じ朝日新聞記者でコスタリカ大好き人間の伊藤千尋氏(現ロサンゼルス支局長)も、サンホセの空港で「いよっ、待ってました!」とばかりに我々のバスに乗り込み、以後ほぼ全行程つかず離れず。その感動の記録を、週刊金曜日(二月二二日発売号)に「非武装という強さ」と題して執筆しておられるので、これも是非見てね。
二、もともと今回のツアーは、五三期の元気印の弁護士五人組(大山勇一・土井香苗・田部知江子・笹山尚人・長尾詩子各氏)にほだされ、「青法協の人権交流集会で報告したいので、是非是非お知恵をお借りしたい」とさわやかにお願いされ、「はいナ」と気前良くお応えしたのが運のつき。いつの間にか調査団の団長にさせられてしまっていたというわけ。
池田真規・服部融憲・青木護の三弁護士の他、憲法学者の浦田一郎先生、北海道の太田一男先生、コスタリカ専門家の竹村卓先生など、そうそうたる(というか、うるさそうな)メンバーに加え、平和運動家や法律事務所職員の方々がチラシを見て参加。朝日新聞社の藤森研氏も加わって、総勢二三名で調査団を結成。NHK取材班四名も、「一時間番組に編集してBSで放映しまーす」と言ってついてきたので、これまた「請うご期待!」なのです。
三、なにゆえ大統領選挙?
コスタリカは二月三日が大統領選挙なので、ツアーはその時期にセット。なぜかというと、前回の訪問の際、「コスタリカが、紛争絶えぬ中米で五〇年以上非武装を続けることができた、その核心は、何と言っても市民社会の強さー自由と民主主義を愛する国民の気持ちの強さーにあるのです。国民がお祭りのように楽しんでいる大統領選挙を是非見に来てください。そのことがはっきりわかるはずです。」と、何度も強調されたからです。
期せずして、長野の毛利正道弁護士を中心とするAALA連帯委員会のグループも、私たちより一足早くコスタリカ入りしていました。やっぱり、同じようなことを考える人はいるもんです。
というわけでコスタリカ報告ですが、既に藤森・伊藤両氏の「さすがプロ!」というべき簡にして要を得た報告記事が出回り、われらが報告書も青法協で作成中なので、調査の全体像はそれらを絶対に見ていただくことにして、私は現地で「うわー、すごい」「へー、おもろい」と思ったことをお知らせします。
四、サンホセ市民に直撃インタビュー
一体全体、内戦続きの中米で、五〇年以上も軍隊を持たずにどうやって非武装を続けてこれたの?どこが日本と違っているの?国民は武力攻撃を受ける危険をどう考えているの?前回、フィゲーレス元大統領夫人のカレン女史が「コスタリカは『軍隊はいらない』という考え方をみーんなが共有している国でございます」と挨拶し、池田先生が度肝を抜かれたというけど、大統領や長のつく人ではない、フツーの市民みーんなが本当に「軍隊はいらない」と思っているのかなあ。よーし、サンホセ市民に直撃インタビューしよう!私が密かにそう考えていた時、実は藤森氏も同じことを考えていました。そこで早速、二月三日の大統領選挙当日、開票までのあいた時間にサンホセ市街に出撃しようということになったのです。
インタビューのターゲットは、国立博物館の警備員さん、露天商のおじさん、女子学生、デート中の鳶職人、家政婦さん、タクシーの運転手さんなどなど…。これらの人たちに「あなたの国に軍隊がないことをどう考えていますか」「他の国から武力行使された時のことを考えると不安を感じませんか」などの質問をし、「どうしてそう思うのか」を詳しく聞いてみました。
何と、全員が「軍隊を解散して、その分の費用を教育や福祉に回したのは正解!」「軍隊なんていらないよ」と回答。「軍隊がないことに不安を感じる」と答えた人は、人っ子一人いませんでした。
五、「紛争は予防できる。話し合いが大事」という確信
街の人々が、「軍隊がないことに別に不安を感じない」「軍隊はないほうがいい」と答えた理由は、次のようなことでした。
・「人が嫌がることさえしなければ、人から嫌なことをされたり、攻撃されたりすることはありません。自分はそういう教育を受けてきたし、自分の子どもにもそう教育しています。国と国の間も同じで、軍隊を持って周りの国に圧力をかければ、必ず自分の国が同じ目にあいますよ」
・「軍隊を持つと、他の国に干渉するようになります。それでかえって他の国から干渉されたり武力攻撃にさらされやすくなると思いますね。私たちは他国に干渉などせず、友好的に接しているから、不安はありません。」
・「武力行使というのは、問題が解決できずに山積みになった結果起きるものでしょう。だから大事なことは、そうなるもっと前に、ちゃんと話合いで問題解決をはかっておくことよ。そういう努力を問題にしないで、他の国から武力行使された時のことだけ聞かれても全然現実性がないわ。」
・「紛争がまず起きないように予防すること。そのためには、何と言っても話合いが大事。世界の完全な平和は夢だと思うけど、誰もがみんな少しづつ相手を許す、寛容の気持ちをもつことも大切じゃない?」
・「軍隊を持たず、何の反撃もできないこの国に、武力行使をするなんてそもそもありえないですよ。もしそんなことをしたら、他の民主国家を敵にまわすことになるから。」
・「私たちの国には、独裁者がいなくて民主主義がたくさんあるから、軍隊なんて持つ必要がないのよ。」
・「私たちの国は、軍隊にかけてたお金を教育や医療にまわしたから今のような平和でゆったりした暮らしができるんだ。こういう生活を失ってまで軍隊を持ちたいなんて、全然思わないよ。」
私たちの質問に、「なんでそんなこと聞くの?」と不思議そうに答える人が多く、インタビューする私がアホのように思えてなりませんでした。彼らは、「非武装でも平和は守れる」ではなく、「非武装だからこそ平和を創っていける」という発想ですし、「平和」とは、ただ「戦争がない状態」ではなく、「人間の命や健康、人権が大切にされている状態」とイメージしているのです。だから、平和は「日々の努力によって創っていくもの」で、平和を「守る」という表現をする人がいないというのも、驚きでした。
また、日本の「安全保障論」のような抽象的な議論や、「世界情勢がどーだから日本はこーすべき」といった話をする人がおらず、逆に、軍隊を持つと国民の生活がどうなるかとか、紛争の危険性が大きくなるという現実から考えていること、「紛争が起きてからじたばたするのではなく、紛争が起きないように予防することの大切さ」や「対話と相互理解の大切さ」を自分の言葉で、身近なことを例にあげて一生懸命誠実に話してくれるのが新鮮で、感動的だったのです。
六、知識ではなく「家庭の中から平和の実践者になる」教育実はこの国の平和教育、日本の「平和教育」とは中身も位置付けも全然違っています。「兵士の数だけ教師を」のスローガンのもと、軍事費をそっくり教育費にまわして識字率九六%を達成。現在でも国家予算の二三%が教育費というお金の使い方だけではありません。
本当にすごいのは、日常の授業の中で行われている平和と人権の教育、そして憲法を知識として詰め込むのではなく、実際に使って人権問題を解決していく力をつけさせる「市民教育」の授業です。
例えば、中学二年生の「市民教育」の教科書。「コスタリカ 自由の国」というタイトルの下に「このテーマについて調べてみよう」とあり、調査のテーマが三つ挙げられています。
@ 民主主義はみんなの手によるもの」と言われるのはなぜ
A 良きコスタリカ人として求められる美徳とは何でしょう
B 「平和とは戦争がない状態ではない」と言われるのはなぜ
このテーマについて考えるヒントが、次のように書かれています。
「民主主義は、教科書や憲法の中のみに存在するのではなく、私たちの生活の中にあり、民主主義について考えるという行為の中に存在するものです…美徳というのは、「生命、人間に対する尊敬」「寛容、団結」「共同の精神、平和な共存」「理性的な自由の行使」そして何よりも「平和への希求」が挙げられます…平和とは、理想を希求する心からなるもので、それを実現するためには、個人がそれぞれの平和を確立することが大事です…。
こんな説明のあとに、「考えてみよう」「自分の言葉で説明してみよう」と続くのですが、要所要所に憲法や世界人権宣言、独立宣言などがちりばめられて、まるで大学の人権ゼミのようです。実際の授業では、兄弟喧嘩、夫婦喧嘩などの身近な暴力からはじまり、国と国との紛争解決のためのコミュニケーションのしかたまで、小学校の頃から実践的に教育をするというコスタリカの平和教育。
日本の教育と、あまりに違っていると思いませんか? (つづく)
山口県支部 田 畑 元 久
団通信一〇四八号 (二月二一日付)での渡辺脩団員の日弁連執行部批判は打算抜きの健全なものだが、帰す刀で、弁護士自治の根拠を「国民の付託」に求めないでどこに求めるのか、弁護士自治は天賦のものではない、日弁連の路線にとり「国民の支持」は不可欠、等と、「国民の付託」論否定の「批判路線」の「立脚点の誤りが致命的」と酷評されるので、「批判路線」の末席を汚す者として反論しておきたい。
(1)では、弁護士自治と同一線上にある司法府・裁判官の独立は「国民の支持」が揺らげば損なわれてもいいのか。国民の多数が誤謬に陥る場合に損なわれる程度の「独立」で多数者の横暴から「天賦」の人権が擁護できるのか。それらと弁護士自治は違うのか。
弁護士自治は司法府・裁判官の独立と同様、(それ自体擬制ではあるが)「天賦」の人権を保障するための制度的保障で、ある意味「天賦」のものではないのか。
(2)「国民」とは何なのか。無留保で「国民」といえば、「ときの国民多数派」の意である。その「国民」の「付託」「支持」を得られるよう心掛ける(顔色を伺う)のは、司法・在野法曹の自殺行為ではないか。多くの公害事件・消費者事件等で、はじめから(無視しえない程度の少数派ではなく)国民多数派が支持した事件がどれだけあったか。
特に弾圧事件をはじめとする刑事事件は国民多数派の支持など得られないまま終結するのが殆どでないのか。渡辺団員は日弁連執行部は「何に『国民の支持』を求めるのかを見失」っており「『権力に屈従することなく、依頼人のために、真に闘う弁護士を必要とするか』を国民に問いかけ、その支持を求めるべき」とするが、その権力を支持し「付託」しているのが「国民」多数派であり、自ら選んだ権力と「真に」闘う弁護士を必要とする「国民」が多数を占めることは背理である。予め勝負がついている「民主的基盤」で競争しようというのは、三権分立を採る立憲民主主義の日本国憲法下ではなく会議制の人民民主主義体制ですべき議論である(因みに日本共産党も「自由と民主主義の宣言」で将来も人民民主主義を採らず三権分立を承継するとする)。だから、(私に代表権は無いが)「批判路線」は「国民の付託」論を否定するのである。
弁護士が「付託」を受けているとすれば、少なくも時の国民多数派ではなく、憲法制定権力としての「国民」と理解する他ない(人民主権説の先生方、ごめんなさい)。ここからは日弁連執行部の路線は出てこない。 以上
東京支部 松 島 暁
一 篠原幹事長は、「団は実践の団体で、評論家集団ではない」ということをよく口にされる。篠原幹事長の場合、人を何とか動かそうというときにしばしば登場する印象があって、ややいかがわしさが感じられるが、言わんとするところは理解できる。しかし、ビラをまき、ハンドマイクを握り、集会を組織することが実践的であり、研究や議論をすることが評論家的だというのであればことは簡単であるが、何が実践的で何が評論家的かそれほどはっきりはしているわけではない。
結論を先取り的に述べれば、実践的か否かは、社会の現実、課題と具体的に切り結んでいるか否かにかかわっていると思う。
二 昨年一〇月、ヨーロッパ各地でアメリカによるアフガン空爆反対の集会デモが行われた。イタリアで二五万人、ロンドン、ベルリンでも数万人の集会がもたれたのと比べると、日本における空爆反対の「実践」は見劣りがしてしまう。
最初のボタンのかけ違いは、九・一一のあまりの被害の大きさに驚嘆し、平和勢力の一部が、これを「地球文明と人類社会に対する攻撃」としたことにある。「国際社会全体に対する攻撃」だとか「世界の法秩序に対する攻撃」とするのも同類である。
この九・一一を「地球文明と人類社会に対する攻撃」とすることは、客観的評価としても間違っているし、実践的にも、その後の運動を限りなく評論家的にするものであった。
仮に「地球文明と人類社会に対する攻撃」と評価できるものがあるとすれば、私の理解によれば、ユダヤ人を根絶やしにしようとしたナチス、ヒトラーとスターリンの粛清などである。これらの実例と比べるならば、その規模や系統性においては、質的な違いが存在する。だからこそ多くの人々はこれを「単なる犯罪」だとしたのである。
「地球文明と人類社会に対する攻撃」だとした結果、国際テロに対する対応が、地球文明と人類社会が共通して取り組むべき第一義的課題になってしまった。実践的には多くの関心がテロ対策に集中することになり、控えめに表現してもかなりのエネルギーを注ぎ込むべき対象がテロ対策だとする議論を誘引するきっかけを与えたと言いたいのである。「テロリストに対しては、国連が中心になって、テロ犯罪の容疑者を逮捕し裁判にかけ処罰する。パンナム機爆破時のように」だとか、「国際社会の安全と秩序維持のためのシステム構築と実効性確保のための強制力確立」云々という議論が横行するのである。
これらが間違っているとか、そのような議論をしてはならないと言うつもりはない。問題は、アフガニスタンへの空爆が目前に迫っていながら、あるいは、現に空爆が敢行されている状況の中で、そのような議論を続けることの空疎さを言いたいのである。「評論家」の議論そのものである。
その端的な例が平和委員会作成の有事法制のパンフレットである。二〇〇二年二月発行のパンフレットには「アメリカは本気で戦争をしようとしている」とある。私はこの見出しを見て我が目を疑った。この見出しはイラクについては正しい。問題はアフガニスタンに対しアメリカが現在も爆弾を投下し続けているという現実が、日本の平和活動家の意識からすっぽり抜け落ちていることにある。アメリカ軍が今もアフガニスタンにおいて軍事行動を続けており日本の自衛隊がそのアメリカ軍に燃料を補給し続け、それによってアフガニスタンの人々の被害が増大しているという現実を、痛みをもって思い続けておれば、間違ってもこのような見出しは出てこない。
三 自国内のことにしか関心を示さず、今ある現実に目を向けようとしないこの国で有事法制が作られようとしていることに、私は大きな不安を覚えずにはいられない。「備えあれば憂いなし」とか「他国が攻めてきたらどうするのか」等々の評論家的議論が横行するに違いない。現に、この点を解明しない限り「国民的支持」が得られない云々の主張が出始めている。しかし、現に起きていること、起きようとしていることは北朝鮮や中国による対外侵略なのか。そうではない。現に起きていることは、アフガニスタンへのいまだに続くアメリカの空爆であり、日本軍(自衛隊)のそれへの兵站(補給)活動である。現に起きようとしていること、それは五月にも迫っているアメリカ軍のイラクへの攻撃である。ブッシュ政権は、イラク、イラン、北朝鮮を「悪の枢軸」といい、「専制、テロ、大量破壊兵器という三つの頭をもつヒュドラに対して、固い決心に基づく攻撃がなされなければならない」と宣言している。固い絆=日米同盟に基づき、日本は有事法制をもって、この「ヒュドラ討伐作戦」に参加しようとしている。
イラク攻撃はまだ遠いかもしれない。インド洋やペルシャ湾で起きていることにさほどの現実感はないかもしれない。しかし朝鮮半島でアメリカ軍が懲罰行動を起こしたとき、それでもまだ遠い海の向こうのできごととして言っていられるだろうか。その時には有事法制が整っているのだ。
九四年の北朝鮮核疑惑の際、アメリカは本気で北朝鮮攻撃を考えていた。カーター金日成会談でぎりぎり回避されたものの、日本は有事法制を持たずアメリカ軍の兵站体制にないことが、アメリカの決断を阻む有力な判断材料となったといわれている。有事法制を作らせないことが、アメリカの「悪の枢軸」国への討伐行動を阻止し日本に戦争加担をさせない道である。
四 有事法制ができると、自宅の庭に陣地が作られてしまうという類の議論がある。それ自体は正しいのだが、やはり他国が攻めてきたら同様に抽象的で評論家的な議論である。現にアメリカが世界で何をやっているのか、それに日本はどのように加担しているのか、その現実を前面に出すべきである。
私たちの当面の実践的スローガンは、@アフガニスタン空爆の即時停止、Aイラクへの討伐戦争反対、Bアメリカ軍の世界戦争に加担する「有事法制」阻止である。
神奈川支部 小 賀 坂 徹
15 団通信のこと
本部の次長になって最も変わったことは、団通信を読むようになったことである。というよりも、毎号の団通信を楽しみに待っているようにさえなった。私がたまに原稿を書くようになったせいもあるが、全国各地での様々な取り組みやいろんな人の意見を聞くことができるのは、とても貴重なのだ。考えさせらることも多い。
思えば、このヨタ話シリーズを別にしても、私自身もよく原稿を書いた。次長の「お仕事的」な原稿を除いても、自分自身の思いを時々書かせてもらった。「日の丸」のこと、チャイルドシート規制のこと、刑事弁護ガイドラインのこと、「憲法判例をつくる」のことなど様々だ。その中で、最も「反響」が大きかったのは「鈴木幹事長宅訪問記」であったことは、何となくもの悲しい気もするのではあるけれど。
神奈川支部のニュース担当をしている杉本朗団員は、その前に青法協神奈川支部のニュース委員長で「青法協かながわ」という支部ニュースの発行の責任者をしていて私もそこにたまに原稿を書いていた(因みに「青法協かながわ」は実にすぐれた読み物である)。その杉本さんが初めて編集した団支部ニュースの編集後記で、「たかだか戦後三〇数年の歴史しかない某団体のニュースと違って、戦前から八〇年もの歴史のある団のニュースを編集することには重みを感じる。それにひきかえ、歴史の浅い某団体の支部ニュースとまったく同じトーンで団通信に原稿を書いている小賀坂は大したものだ。」という趣旨のことを書いていた。けれど俺だって、こんなの書いて文句いわれないだろうか、団の輝かしい伝統を汚すことにならないだろうかという思いを持ちながら書いているのだ。特にこのヨタ話シリーズはそうで、そこには深い含羞というものがあるのだ。そうであっても特に弾圧されずに載っているのだから、全国の団員の皆さん、安心していろんな原稿を書いて欲しい。それにしても、最近神奈川支部ニュースを全然みてないぞ。杉本君、どうなっておるのかね。
一〇日に一度という頻度で、こういう水準のニュースを発行している団体は他にはないだろうと思う。それだけに編集担当の苦労はたえないと思うし、時には個々の原稿をめぐって様々なやりとりがあることも知っている。私も随分面倒をかけたと思うのだが、これからも内容の濃い団通信が発行され続けることを、一読者として楽しみにしている。
16 今日までそして明日から
軽い気持ちで書き始めた原稿が、ここまでだらだらだらだら続いてしまった。本部での活動の楽しさが少しでも伝わればと思って書いてきたのだが、もしかしたら逆効果になってしまったかもしれない。団通信におよそ似つかわしくない原稿を延々と書き綴ったのは、「退任あいさつ」という短い原稿で三年間を締めくくる気持ちにはとてもなれなかったというのが、実は本音だ。名残が惜しいというが正直な気持ちだったのだ。しかも書き続けながら、いろんな事を思い出すものだから、思っていたよりも大幅に長くなってしまったのだ。
これまでに書いてきたことや書ききれなかったことを含めて、本部での三年間はかけねなしに面白かったし、魅力的な人々との出会いに満ちたものだった。本当に有意義な時間だったと思う。ただ、苦労したのは日常の仕事との兼ね合いだった。横浜から東京に通うのは、大阪から来る財前さんほどではないにせよ決して楽ではなかったし、団の会議の後、事務所に戻って準備書面を書いたりするのは、やはり気が重かった。もっとも、ほどなく割り切って飲んで帰ることの方が多くなっていったけれど、その分早朝から仕事をするはめになることも少なくなかった。
次長の任期が終わって団本部へ通う回数も格段に少なくなったけれど、正直なところ「あー、清々した」という気持ちより、何だか寂しい気持ちがしてしまうのである(だからといって仕事を押しつけないでくれ)。毎月の常幹の議論などを聞いていると、前にも増して多くの厳しい課題に団が直面していることを感じる。本部の事務局次長という役割は終わったけれど、自分の持ち場でやるべきことは山積している。差しあたっては…、まあそれは別の機会に書くことにしよう。
「今日までそして明日から」というのは吉田拓郎の歌のタイトルで「私は今日まで生きてきました…そして今、私は思っています。明日からもこうして生きていくだろうと。」という歌だ。団本部での三年間の中で、私も少しばかりは成長できたかなと思っているし、間違いなくそこで得たことを糧に、この歌のように、これからもこうして生きていくのだと思う。その意味で私の自由法曹団物語は始まったばかりである。しかし「序章」と呼べる時期はすでに終わったのだろう。これからの私の自由法曹団物語がどのように展開していくのか、自分でも楽しみにしている。
(「序章」終わり。次号からは「第一章」が始まりますーウソ。ホントにこれで終わり)
東京支部 町 田 伸 一
九・一一事件以後のアメリカ的そして日本的情勢に危機感を持った者は多数いるとしても、その危機感を転じて直ちに行動に移し得た者はそれほど多くはないであろう。著者は、事件のわずか1週間後には「一切のテロ・軍事報復ノー 緊急グローバル署名」を始め、九月三〇日には「信州からPEACEネット」署名運動を立ち上げるなどして、個人・地域レベルの草の根からの運動を大きな流れに育てている(この辺りの事情は団通信一〇三五号に掲載されています)。
本書は、その愛娘の誕生日が九月一一日であった著者が、九・一一事件をテーマの一つとして語る平和論であり、子育て論であり、かつ憲法論であって、小泉流構造改革が指向する競争中心の優勝劣敗社会ではなく、「テロも戦争もない全ての人類が支え合って生きる共生社会」の創造を目指す著者からのメッセージである。昨二〇〇一年一二月に行われた母親大会での一時間二〇分の講演に加筆したもので語り口は優しく平易でありながら、根底には「かけがえのないいのち」に対する共感が熱っぽくかつ理論的に流れている(私は、九条論と子育て論との融合に接したのは初めてでしたが、なるほどと肯かされました)。「テロ」を「国連の手で裁く道」に対しては異論もあり得ようが、いのちを尊ぶ共生社会を創造しようという点においては大方の一致するところと思われる。
ところで、著者の若者に対する信頼は、著者自身が若者と交流した体験に基づくものだそうだが、偶々著者の周りにいる若者に社会を創造するエネルギーに溢れた者が多かったのではなく、やはり、著者の持つ熱い思いがそういう若者を惹き付け、あるいは普通の若者のエネルギーを著者が沸き立たせているのであろう。そういう意味では「いのちの世紀」を担う世代の若者でなくても、自ら又は他者に働きかけることによって共生社会を創造することはもちろん可能であろう。
「未来は明るい。よし、明日も世の中を変えるために頑張りましょう。」と思うことのできる本です。昨今の情勢に閉塞感を感じている悲観的な方には特にお薦めです。