<<目次へ 団通信1061号(07月01日)
毛利 正道 | 長野県内での有事法案反対意見書採択の闘いから | |
鈴木 亜英 | 防衛庁のリスト問題から国会の重要法案を見る | |
梓澤 和幸 | 個人情報保護法案は憲法違反 コンピューター時代の治安維持法 | |
鈴木 康隆 | 三重五月集会感想特集A 五月集会に参加して |
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山田 暁子 | 五月集会をきっかけに 同期で有事立法勉強会を開きました! |
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平井 哲史 | 挑戦しよう | |
宇賀神 直 | 「自動車排ガス汚染とのたたかい」 を読んでの感想 |
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森真 奈美 | えひめ丸事件・愛媛新聞意見広告キャンペーンに ご協力ご賛同有り難うございました |
長野県支部 毛 利 正 道
1 ほとんどの議会で採択
二三日までの集約では、県内一二〇議会のうち、一三市・三一町・四一村の計八五議会(七〇%超)で、法案反対の趣旨明確のもの一七、問題が多いため強く慎重審議を求めるとする六八の意見書が採択されており、これから開会される一〇を超える木曽郡や下伊那地方の議会などでもかなり採択される勢いである(現時点でも全国の同種意見書のほぼ半分となっている)。閉会した議会で、慎重意見書も採択されなかったところはほんの一握りしかない。「武力攻撃事態概念や自治体への直接執行権などあまりに問題が多く、国民の合意のない拙速な審議に反対」することを旨とする慎重審議を求める意見書は、「有事法制が必要(だがあまりに拙速)」との表現が入っている一件はあるものの、与党が通常国会でごり押ししようとしてきていて今も公式に今国会で成立させないとは表明していない点では、全体として大いに積極に評価できる。
今回は、日本共産党の各議員へのアンケートにより直接把握できた五〇の議会の動きを中心に、長野県内で全国を励ますこのような結果となっているのはなぜなのかを分析し、全国津々浦々で同様の成果が生まれる糧にしたい(多忙な中、アンケートをお寄せいただいた議員の皆さんに感謝する)。
2 数多くの請願・陳情を
まず、何よりも地域住民団体から、たくさんの法案反対の陳情・請願が出されたということである。四ないし五団体から出ているところがかなりあり、ほとんどは複数出ている。いわゆる「共社系」だけでなく、新たに結成した団体による住民数百名の署名を付した請願や、全議員に説明して回るキリスト教系の団体の動きもあり、元自衛隊員が請願者代表を務めた自治体もあった。これが出発点である。高遠町では、本会議で、それまで反対していた議員も含めて全員一致で慎重審議案を採択したが、住民四〇〇人連名の請願が効果あったようである。
3 出足早い動き
問題点が国民に知られないうちに国会会期中に成立させてしまおうとの動き急の時期、定例会前の臨時会の際に反対の議決をした喬木村、臨時会を開催させて反対の議決をした信州新町、さらには臨時会を開催させたうえ、定例会初日に反対の採択をした高森町をはじめ、六月一〇日までに採択した、一七の議会のほとんどは、臨時会若しくは定例議会初日の議決である。そこには四つの反対意見書と、諏訪市・松本市など七つの市議会意見書があり、これらが地元有力紙に連日大きく報道される中で、その後の毎日ウェーブのように採択されるうねりをつくる上で大きな役割を果たした。ここでは日本共産党をはじめ、反対派議員の積極性が決定的であった。
4 大いに論議し、条件のあるところでは反対意見書採択を
トップをきった喬木村では、二名の議員が意見書案を持って全ての議員に説明し全員から賛成者になってもらった。毎月、保革を問わない議員学習会を持ってきていたことが力になったようである。池田町では、議員二名で全議員に意見書案を説明して回ったあと、議会で「この案文にこだわるものではなく、できれば全議員一致で提出したい」と提起して、大いに論議した。「政府内でも一致できておらず国民は不安に思うだけ、戦争体験を生かすべき」「地方自治の根幹にかかわる」「慎重審議を求めるだけでは首相に強行されてしまう」「理解しにくい面があるので今回は撤回を求めたい」など真剣な論議を踏まえ、議長提案の文案を「慎重審議では生ぬるい」と修正までして、明確に「法案の撤回を求める」との意見書を全員一致で採択した。清内路村では、四対四になり、反対派が、否決されるよりはと慎重審議案を提案したところ、「慎重では無意味、反対で通そう」と確信持った発言があり、議長が決裁して可決。議長も、この「確信発言」者も自他ともに認める保守の人である。
5 反対が難しければ、できるせいいっぱいの一致点を探る
諏訪市では、当初、反対派で共同して各議員に話したが、反対での可決は無理と判断、公明党が慎重審議案にもOKせず、同議会には意見書の採択は全員一致でとの慣例があるため、壁に当たる。その中で、保革五名の全女性議員が、いのちを生み育てる立場からともに慎重意見書案を提案し、公明党もこれには反対できずに全員一致の可決。このように、反対の陳情・請願に固執することなく、議会の同意を得られる可能性を追求して、積極的内容の意見書採択が可能であれば、他の議員と共同して議員提案をしていく。その結果が、多数の慎重審議意見書の採択である。
公明党は、小諸市・真田町・東部町など東信地方で制定促進の陳情を出し、議会では、「他の議員の賛成署名を集めて回ったのは共産党だ」と妨害し(茅野市)、真田町では、慎重意見書にさえただ一人反対討論する(それでも、堂々と正面から批判し、一二対六で可決された)、東部町では、陳情者が議員の質問に答えられなくなり、「上からの指示で提出した」と述べる始末。他でも、足を引っ張る発言多し。
その一方、反対派は、首長への一般質問で、「問題点多い」(辰野町)、「慎重審議求める」(小諸市)、「法案に基本的に反対」(小布施町)などの回答を引き出し、意見書採択に活用している。小布施町では、反対案は一四対三で否決されたものの、保守系会派の提案で、「広範な国民的議論を経ず、国会で強制的に成立させられることに反対し、慎重な審議と国民的同意を得ることを求める」との立派な意見書を採択している。田中康夫知事が、早い時点で、「次々と議会で反対意見書が出されていて頼もしい」と「激励した」こともその後の意見書採択に影響を与えた、との分析もある。
6 「戦争は二度といや」との声に依拠して
全体として、保守系や無所属の議員の中にも、女性や戦争を知る高齢者をはじめ、「戦争を経験している人間としては反対」(池田町)、「いのちを生み育てる立場で」(諏訪市)など、頼りになることが少なくない。下諏訪町でも、保革全女性三名の共同提案で採択された。ある村議会では、保守系の元議長から「俺は戦争孤児で有事法案には反対。自分は立場上動けないので、共産党に動いてほしい。この問題では一致する。」と申し込まれ、採決に結実した。
私が、諏訪市議会で、陳情者として四〇分間意見陳述質疑をした際、昭和一三年の国家総動員法制定理由として、「帝都が空襲を受ける恐れ極めて大なり」が言われていたこと、当時戦争をしていた中国が東京を攻めるはずもなく、それは、その後の対米開戦に日本が踏み切ることを既に企図しており、そのために国家総動員法を作ったことを示している、このように、有事法制は、銃後の体制を固めてこちらから相手に戦争を仕掛けるために使われることがあることも考慮して、その是非を考えるべきだ、と発言したときには、全員が「そのとおり」という反応を示した。過去の戦争の惨禍を肌やこれまでの学びで知り、「もう戦争はこりごり」という深いところでの意識が呼び出されたという感じだった。
7 今後の課題
今回、あらためて、各議員の報告に接し、大きな感動を覚えた。絶対多数の保守系議員に公明党、その中でただ一人で闘う女性議員もいた。一部の最終盤での慎重審議意見書採択議会を除いて、皆で「四面楚歌」のごとき状況を粘り強い努力で切り開いた。
ところで、慎重審議を求める意見書には、@武力攻撃事態を明確に分かりやすく説明定義すること、A自治体の自治権を侵害しない法律とすること、B住民の人権を侵さないものにすること、C各自治体の非核平和都市宣言を侵さないものにすること、D国民の同意を得ることなど、これらを守ることと両立する有事法制など存在しない、と思われるほど厳しい要求を政府に突きつけているものが少なくない。このようにはっきりとした要求を盛り込んだ、慎重審議意見書も全国で大いに成立させたい。とともに、条件のあるところでは、「現法案の撤回」若しくは「現法案の成立を断念するよう求める」意見書の採択に尽力されたい。「反対」「廃案」よりは穏やかな表現だが、有事法制推進派にとっても、あまりにもひどいこの法案はひとたび撤回したうえで、冷静な国民的論議をすることのほうが「得策」であることをわかってもらうことは不可能ではない。
長野県内でも、議員提案の慎重審議意見書が可決された議会で、住民からの反対の陳情・請願が継続審議とされている議会が少なくない。現在開会中の議会を始め、全国で有事法案反対・撤回・慎重審議を求める意見書がウェーブのごとく高まることを祈念する。
(六月二五日 記)
東京支部 鈴 木 亜 英
防衛庁の情報公開請求者のリスト作成問題は二九人の処分と三人の更迭で幕が引かれようとしている。事件の発覚当初は個人的行為と言い張りながら、結局は組織的行為だと認めざるを得なくなり、トップ以下の処分者を出した点は例の緒方宅電話盗聴事件を思い起こさせる。それにしても、軽い処分である。
情報公開請求者はいうまでもなく公平な扱いを受けるべきである。「反戦自衛官」なる思想信条若しくはプライバシー事項にかかわるリスト作成が違法なことは言うまでもない。違法なリストを作成し、これに基づいて、請求者への対応に甲乙をつけていたとしたら、請求者は重ね重ねの人権侵害に遭ったことになる。憲法を遵守すべき公務員によって何の罪もない国民がいやな思いをさせられる社会は我慢がならない。私が捜査機関による思想調査事件を訴え出た原点もそこにあった。
戦後社会の中でも、思想による様々な差別は当然のように行われてきた。しかしこのことが日本の民主主義の成長を阻害してきたことは今日という時代の反省であるべきである。関西電力事件において、最高裁をして、「自由な人間関係を形成する自由」と言わしめたのもここにその契機があるはずである。
今回のリスト問題で承服できないのは、公表も含め目的外利用の違法性が問題にされるばかりで、違法リストの作成や違法情報の保有が敢えて問題から外されたことである。私の思想調査事件でも高裁判決はそうであった。一審判決が政党所属というプライバシー事項を警察官が捜査報告書へ記載し、これを検察官に提出する行為を違法としたのに対し、高裁はこの記載行為を免責してしまった。
しかしどうだろうか。リストの作成は情報の収集を出発点とするはずである。収集された情報は必ず保有されるに違いない。収集も保有もいつの日かの利用を待つために存在している。逆に言えば、利用は収集と保有があっての利用なのである。この一連の行為をどれも違法だと咎めなければプライバシーの保護は徹底しない。違法な情報を、保有はいいが、目的外の利用はだめなどという感覚こそ問題にされなければならない。「反戦自衛官」などという情報が合目的的に利用される機会などいったいあるのだろうか。権力内部で思想信条、プライバシーにかかわる、いわゆるセンシティヴ情報を勝手に操作し、バレたらそこだけを切り取るというやり方は甚だしく時代遅れであり、最早国民はそうしたやり方を納得しない。行為を違法と認識している場合もそうでない場合もあるだろう。しかし、いずれにしても、この時代遅れを当然のこととする感覚と気風がいまだにどこの役所の中にも厳然と存在する。真相究明もそこそこに処分を発表するのは情報の違法な保有を温存したい考えからだろう。国民やマスコミから非難を受けると狼狽し、あわててトカゲの尻尾切りのような隠蔽劇に走るのもそのためである。
国際人権の流れに応えるふりをして政府は人権擁護法案を今国会に提出している。深刻な人権侵害が公権力によってもたらされることに敢えて目をつぶった法案だと各方面から批判を浴びている。そうだと思う。権力からの独立性の乏しい機関に権力を監視する能力があるなどとは誰も思わないだろうといわなければならない。公権力の人権侵害を看過する人権機関など人権機関の名に値しない。今回のリスト問題は法案の構造的欠陥を防衛庁が見事に例証してくれた。メディア規制法だとして批判の強い個人情報保護法案にしてもそうだ。民間のプライバシー侵害には罰則付きで臨みながら、政府のセンシティヴ情報の保有を全く問題にしない。「国家は誤りをおかさず」なのだそうだ。冗談ではない。有事法制法案にしてもそうだ。平和が脅かされるだけではない。これとパラレルに人権が脅かされるわけだが、有事法制を受け持つ防衛庁の体質がこんなものであれば、誰が進んで自分の人権を差し出すものか。改めてそう思うのである。
盗聴法が国会審議されたとき、緒方宅電話盗聴事件の判決とこれを勝ち取った運動がどれほど大きな力を発揮したことか。この教訓を知る者にとって防衛庁リスト問題が私たちに教えるものは何かを今日の情勢をみつめて改めて考えてみる必要があるのではないか。
東京支部 梓 澤 和 幸
1、今国会に提案されている個人情報保護法は、行政機関による命令、命令違反に対する刑事処罰規定を盛り込んだ。
このため、結社、組合、集会、学問、表現など自由の諸領域に多大な抑圧をもたらす。
私はこれをコンピューター時代の治安維持法と命名するが、これは誇張の修辞ではない。一般にはメデイア規制立法といわれるが、問題の一部をいいあてているにすぎない。
次のとおり法案は憲法違反であり、国会議員、政府官僚の憲法擁護義務を喚起したい。
2、〈規制の対象〉
法案は、データベース化された名簿だけでなく、索引可能なすべての名簿を対象としている。(二条2項一、二)
法案は営利企業だけでなく、市民団体すべてを含む。1…の名簿をもっていれば規制の対象となる。(政府説明)
3、〈規制する主体〉
主務大臣(四一条)、または国家公安委員会(四一条)、警察庁(警察法五条に国家公安委員会は警察を管理するとされている)、地方公共団体の長、知事、その他の執行機関(五六条)とあり都道府県公安委員会が除外されていない。
知事の所轄のもとに都道府県公安委員会をおく。(警察法三八条)とあるから五六条では、警察が想定されているとの疑念がある。
4、〈報告徴収権限〉の意味するもの
主務大臣および警察(五六条)は、あらゆる団体(個人情報取り扱い事業者)に対し、個人情報の取り扱い(名簿、メーリングリスト等)について報告をさせることができる(三七条)。
5、〈報告義務違反罪〉
もとめられて、報告をしないもの、虚偽の報告をしたものは、三〇万円以下の罰金に処せられる(六二条)。なんだ罰金か、というわけにはいかない。
継続犯であるから刑事訴訟法二一三条、二一七条により、令状なしの逮捕捜索(二二〇条)がされるおそれがある(不退去罪における退去要求の意思表示とこれに従わないときの継続犯状態を想起されたい)。
6、〈是正命令違反罪〉
主務大臣および警察は、コンピューターデータベースまたは索引付き名簿の目的外使用、第三者への提供について、是正勧告、是正命令をだせるし、緊急のときは勧告ぬきで命令を出せる(三九条2項3項)。
命令に違反したものは、六ヶ月以下の懲役または三〇万円以下の罰金を処せられる(六一条)。
団体では、代表者だけでなく、代理人、従業者、使用人も処罰される(六三条)。よって一網打尽である。
現行犯逮捕、令状なしの逮捕、捜索(刑事訴訟法二一三条、二一七条、二二〇条)(前同様、不退去罪を想起されたい)。
7、学問、報道について
適用除外されたと理解されているが、適用除外するか否かの判断は主務大臣、公安委員会が握る。その判断の対象から除外されているわけではない。報道機関が報道目的で個人情報を取り扱うときに限り義務が除外されるにすぎない。主務大臣と警察がすくなくとも報告をもとめることができるのは間違いない。報告しなければ、現行犯逮捕、令状なしの捜索である。また是正命令もだせる。報道目的を否定すれば。判断は公安委(警察)がやる。
学問研究では、大学の教師以外はみな、報告義務、是正命令遵守義務を負う。公安委(警察)が報告をもとめ、法の義務を守った研究か否かを審査する権限をもつ。
大学人の場合も研究目的かどうか公安委が審査できる。
8、労働組合、弁護士会の活動については四〇条の配慮義務もない。
9、命令については、行政処分の公定力の理論で仮処分では争えず。行政処分の取り消し訴訟をおこし、執行停止を求めることができるにすぎない。
10、憲法違反
法案は行政機関による事前審査、事前規制を許している。憲法二一条2項は検閲を禁止しているがこれに反する。集会、結社、出版等の一切の表現の自由(二一条)を抑圧する。また学問の自由保障の条項にも反する。この際立法を準備する人々の、内心の意図が問題ではない。これが為政者をしばっていないことが問題なのである。国会議員はヒットラー、悪代官が権力を握っても大丈夫の法律を作る責任がある。
11、まとめ
コンピューターによる民衆の運動の威力は、反グローバリズムの市民運動で発揮された(一〇人のメールリストを持つ人が一〇人に次々よびかけるネットをもっていれば、一〇の八乗は一億である)。
また、環境、介護、自然食、健康、ごみ、地球温暖化などのNGO運動がもつ変革の力は官僚を畏怖させたであろう。
Nシステム、住民基本台帳ネットなどで民衆を監視しつくし、一方では新しい時代の市民運動の力を総合的に抑圧する結果をもたらすのが、個人情報保護法である。
個人情報保護法はコンピューター時代の治安維持法である。
大阪支部 鈴 木 康 隆
三年ぶりに、今年の三重県志摩での五月集会に参加しました。五二六名の参加者とのことで、私が入団した一九六七年の五月集会(当時は全国幹事会といっていた)と比べるとまさに隔世の感がします。
夜の恒例の懇親会で、新人団員の紹介が行われたのは、例年と同じです。壇上にあがった新人団員は、いまや私の息子たちと同年齢であり、何とも複雑な思いをしました。それよりも、壇上に並んだ新入団員三十名(数えたらちょうど三十名でした)のうち、きっちり半数の十五名が女性であったことは、いまさらながら時代は進んできているということを感じさせられました。
今から三十年以上も前の五月集会でも、同じように新人団員の紹介が行われました。その際、壇上に並んだ新人団員は、自己紹介が終ったあと、やおら一人の女性団員を中心に、それを囲んで男性団員がその頃流行っていた「ピンキーとキラーズ」の「恋の季節」を歌い出しました。振り付けつきで壇上狭しと歌って踊ったその様子は、たいへんな迫力でした。それをみていた戦前からの古参団員などは、腰を抜かさんばかりに驚いていた、ということを後に聞きました。その頃の自由法曹団では「沖縄を返せ」とか「がんばろう」などという歌が本流であったのであり、「恋の季節」などは型やぶりだったのです。
そのときの新人団員も、いまや中堅を通り越してそろそろ古参の域に差しかかろうとしています。それにしても、あのときの他を圧倒する迫力に比べると、その後の新人団員の歓迎会では、腰が抜けるほどびっくりすることも起こらないのはいささか寂しい感じがします。
私は、第一日目は有事法制の、第二日目は憲法の分科会に出ました。今までは、こうした分科会に余りまじめに出席せず、旅行などに出掛けてしまったりしたのですが、今回は最後まで参加しました。
とくに有事法制の関係では、全国各地での取り組みが報告され、それぞれのところで創意工夫をこらした運動が進められていることが、強く印象に残りました。これらの取り組みが、全体として有事法制廃案への大きなうねりとなってゆくのが実感させられました。
私は、団の伝統などという言葉はあまり好きではないのですが、それでも、私たちが先輩から承け継いだものが、それぞれの時代に合わせた形で若い団員に引き継がれている―そのことが分科会に出て感じたことです。(二〇〇二.六.一七)
大阪支部 山 田 暁 子
五月二五日から二七日にかけて、三重県賢島で行われた五月集会に参加しました。私は五月集会に参加するのは初めてでした。この五月集会への参加をきっかけに、同期で有事立法勉強会を開くことになりましたので、そのことをご報告したいと思います。
五月集会全体会では、有事立法をテーマとしての講演と、その後分科会が行われました。講演の内容は日頃の睡眠不足がたたり、ほとんど記憶にないのですが(企画された方、申し訳ありません。その代わり今講師の浅井先生の著書を読んでいます)、分科会では活発な議論が行われ、興味深い意見が次々と発表され、時間が限られているのを残念に感じました。中でもなるほどと思ったのが、同期(五四期)の菅さんの意見で、「有事立法の勉強会は、法案の内容を説明するだけでは足りないのではないか。私たち戦争を知らない世代は現代の『戦争』をリアルに想像できない。その世代が、『私は戦争に反対する。だから日本を戦争をする国にする有事立法には反対する。』という気持ちを共有するためには、現代の『戦争』をリアルにイメージできるような話をすることが必要なのではないか。」というような内容でした(勝手に要約しています)。なぜ有事立法に反対するかといえば、戦争に反対するからです。私も、菅さんが言うように、戦争に反対する、という根っこのところを共有することが大切だと思いました。
翌日の昼食時、同期の成見さんと一緒に食事中、前日の分科会の感想を言い合ううち、二人とも盛り上がり、大阪の同期で有事立法の勉強会を開こうか、ということになりました。こういうことは日程を決めなければ流れてしまうので、早速六月一〇日という日程だけ決めました。
私は、分科会での菅さんの意見にとても共感していたので、この勉強会を法案の内容の説明だけに終わらせたくないと思いました。そこで、ふと、今年の一月にパキスタンへ調査に行かれた上山勤弁護士のことを思い出しました。上山弁護士なら、現代の(しかも日本がいち早くアメリカ支持を表明した)「戦争」についてリアルに語っていただけるのではないかと思いました。そこで、上山弁護士に依頼したところ、上山弁護士は、直前の依頼で、しかも同じ時間に既に予定が入っていたにもかかわらず快諾して下さいました。それで勢いを得た私は、団や青法協の会員以外の同期にも電話をかけ、当日は私と成見さんを含め七人の同期が集まりました。
勉強会は、まずはじめに上山弁護士からパキスタンの状況報告、アフガニスタン空爆と有事立法との関係についてお話しいただき、その後成見さんが有事立法の内容と問題点を話しました。
上山弁護士のお話は、私に「こんな戦争に絶対加担したくない!」と思わせるものでした。アメリカは軍事施設をピンポイントで狙っているというが、どれだけたくさんの民間人が空爆の被害にあっているのか。どれだけたくさんの民間人が家族を失って嘆いているのか。難民キャンプで生活しているアフガニスタン人はどれだけ遠く地雷の埋まっている危険な道のりを歩いて難民キャンプにたどり着いているのか。難民生活がいかに悲惨か。等々、上山弁護士は、写真や地図で具体的なイメージが持てるように話して下さいました。
その後、成見さんが有事立法の内容と問題点についてわかりやすく話した後、七人で疑問や意見をぶつけ合いました。「日本にも自衛権があるのだから攻め込まれたときのための法整備は必要ではないか。日本が攻め込まれないとどうして断言できるのか。」、「アメリカはテロに対しどう対処するべきだったのか。国際犯罪を取り締まる制度が十分でない以上、報復は仕方なかったのではないか。」などの意見が出て、「仮に日本の過激派組織がアメリカでテロ行為をして上○○色村付近に潜んでいるときに山梨県全域に空爆されたらどうか。少しの犠牲は仕方ないと言えるか。」など反対意見が出るなど、少人数ならではの率直な意見交換ができました。その議論を通じて、「日本にも自衛権があるのだから攻め込まれたときのための法整備は必要ではないか。」という意見は根強いのだなと実感しました。
五月集会に出席するまで、いまひとつ積極的に有事立法の反対運動に参加できていなかった私が、五月集会をきっかけに有意義な勉強会を開くことができました。
最後に、この場をお借りして、ご多忙の中、勉強会にお出でいただいた上山弁護士に心からお礼申し上げたいと思います。
東京支部 平 井 哲 史
1 いつでも、どこでもそうなのだが、先達の話を聞くことはためになる。しかし、自由法曹団五月集会は、単なる事件報告ではなく、事件の起こる背景に迫り、問題が起こる根本に何があるのかに目を向かせる数少ない「研究討論集会」の一つであったように思う。また、どう解決していくのか、そのために何を運動として取り組む必要があるのかを網羅的に検討するという点で、普通の研究集会とも違っていた。同期の長尾団員が団通信一〇六〇号に書いていたが、「闘う法律家集団」ならではのものであったと思う。
2 運営面では、事務局のみなさんの大変な努力にもかかわらず、全体的に議論をする時間が少なかったのではないかとの感想を持ったが、これは準備段階でどの程度の議論が重ねられていたかに規定される面があるので、来年は、自分も傍観者的な一参加者にとどまらず、議論を充実させることに貢献しなければと思う。有事法制・司法改革・リストラ「合理化」と、社会全体が大きく変わろうとし、自由法曹団がこれまで以上に力を発揮することが求められているときに、もっと参加意識を持つようにしなければと思う。
3 私が一番参加して良かったと思ったのは、新人弁護士向けのプレ企画の挨拶で聞いた宇賀神団長の言葉であった。それは、相談を受けた際に、やろうかやるまいか迷ったら常にやる方を選択せよという簡単なメッセージではあったが、そのように挑戦してきた先達の取り組みが今日を築いているのだから、心に沁みた。
4 これから東京を皮切りに中国残留孤児の人々の要請を受けて国家賠償請求訴訟を起こすことになるだろうが、単に国を相手にするという壁だけでなく、言葉の壁をはじめ様々な困難が伴うだろうことは新人でも容易に想像がつく。しかし、困難にひるむことなく、新しい挑戦をしていきたい。そんな思いを固めることになった五月集会であった。
団長 宇 賀 神 直
篠原義仁幹事長の著書「自動車排ガス汚染とのたたかい」(新日本出版社)を読んで公害闘争のことや、我が自由法曹団と公害裁判闘争の問題について、多くのことを学び、又示唆を受けた。本の表題を、初めは「大気汚染」とのたたかいと言わずに、「自動車排ガス」とのたたかいに限定した意味が理解できなかった。しかし、読み終わってなるほどと思った。大気汚染とのたたかいが、自動車排ガスとのたたかいに収斂していきながらも、大気汚染とのたたかいが終わったわけではないことも読みとれたと思う。「自動車排ガス」は「道路公害」であり「道路公害の根絶と環境再生・まちづくりの展望」がこの著書のねらいであると僕は読んだ。そのねらいを実現するまでの大気汚染とのたたかいを柱に今日までのたたかいの軌跡を振り返り、その到達点に立って、東京都の道路公害対策のもつ積極面と消極面をみて消極面を克服し、積極面を発展的に定着させ、今年の夏から秋にかけて判決の言い渡しが予定されている「東京大気汚染」に注目をよせている。この判決の動向が道路公害の今後のあり方を左右するかも知れないと著者はみている。
さて、この著書は、序章で「公害裁判の今日的到達点」のことを分析、評価し、以下「日本の公害裁判の前進と逆流」「二〇年にわたる逆流とのたたかい」「川崎公害裁判と司法・行政の対応」「新しい前進と展望」の四章に書きすすんでいる。公害裁判の到達点と言っても、それは大気汚染の公害のことであるが、一九七〇年代の四大公害裁判勝利と逆流と闘って新しい前進にいたる千葉川鉄、西淀、川崎、倉敷、尼崎など、大気汚染裁判の流れをおい、損害金の支払いから、差止請求へと判決を勝ち取り、東京都の道路公害施策の見直しへと発展したと著者は言う。第一章は戦後のイタイイタイ病、新潟・熊本水俣病、四日市公害、大阪空港裁判など第一期から第四期に分けて主な公害闘争の流れを「前進」と「逆流」とで説き明かし、第二章では二〇年にわたる逆流とのたたかいが解明されている。第三章は篠原弁護士が担当した川崎公害裁判について、なぜ、川崎公害裁判かと問題を提起し、損害賠償と差し止めの二つを柱に提訴した経過と西淀川裁判につづけを旗印にして連携プレ―を重視して裁判闘争を展開し、ついに国と勝利和解した結びにいたる闘いの足跡が記述され、最後に環境再生とまちづくりをめざしての展望に筆は運ばれていくのである。きれないな空気と天高く青空がひろがる下で市民がくらす町づくりと思う。第四章は放置できない自動車ガス汚染の実態を数値に依拠して説き、自動車NOx削減の抜本的改正、公害健康被害補償法の改正をめざしての闘いの必要性を力説し、そのためにも東京大気汚染裁判で勝利する意義は大きいと筆者は言うのである。
僕は公害裁判を担当したことがないのでこの本を読み理解するのに努力を要したが、公害裁判闘争の重要性とその困難さを改めて思い知った。そうして自由法曹団と公害裁判闘争のことに思いが及んだ。「公害における大衆的裁判闘争の発展のために」これは団報臨時増刊号八九号「一九七九・二」の題名である。団主催の七八年四月名古屋での公害問題全国活動者会議と同年五月集会の討論をまとめたものである。豊田誠団員の「スモンにおける大衆的裁判闘争」近藤忠孝団員の「公害裁判と司法の対応」など多くの発言が記載されている。僕が当時印象にのこったのは近藤さんの「レジメに聖域と言う言葉がでてくるが、私自身聖域で闘ったことはないし、もともと聖域ではなかつたし、途中で聖域になったことも一度もなかったし、また現在も聖域ではない。私は聖域ではなく厳しい中で闘ってきたと言いたい」という発言である。公害裁判は公害被害者という弱い人間が当事者であり、世論は公害裁判に味方している、だから労働裁判や公安弾圧裁判にくらべて裁判所、弁護団からみて「聖域」であり勝利判決がとれた、と考える弁護士が存在していると報告者のレジメに記載された。そんな状況のなかで近藤さんの発言になったのである。近藤さんの発言の正しいことは、豊田さんのスモン裁判の発言や、多くの公害裁判闘争で実証されている。また、篠原さんの著者でも明確である。
いろんな弁護団の裁判闘争が困難を迎えた時に公害裁判を担当してない団員も含めて討論しその困難を克服して勝利判決をめざして闘うところに自由法曹団の伝統があると思う。僕が幹事長をしていた一九八六年の京都五月集会で「教科書裁判、厚木騒音裁判、カネミ油症裁判が高裁で逆転敗訴判決」の報告があり、「団として、どんな援助ができるか」を論議し、夏に活動者会議を行なうことを決め、八月初めに一泊二日の会議をもった。この会議では、教科書裁判、カネミ油症、横田基地騒音、国道四三号線、西淀公害、安中公害、椎葉訴訟、千葉川鉄、長野じん肺訴訟の九事件の報告をうけて討論した。上田誠吉さん、中田直人さんを含め参加者の内容のある発言は問題点を深め、発展の道筋を示したと思う。「一九八七・三団報一二七号」に報告と討論が詳しくまとめられている。
もう一度、著者と著書にもどると、『先の公害における大衆的裁判闘争の発展のために』の団報に著者は「被害者運動の発展」と題して報告している。この文に「総反撃のたたかいとしての総行動デー」というものがある。財界・政府の全面的なまき返し攻撃に対して全国の被害者が一致結束して行政、政府、経団連などと要求をもって交渉し、回答を迫ったのである。三回に及ぶ総行動が「環境週間・全国公害被害者総行動デー」として取り組まれた。公害弁護団は事務局的役割を果たし総行動の成功を推進した、と報告されている。
著者は公害弁連の事務局長、幹事長をつとめている。今、団の幹事長として十二分に力量を発揮しているが、その土台に公害裁判での活動の蓄積があったのである。労働、刑事弾圧の団員だけではなく公害裁判の団員が事務局長、幹事長や団長につくことは団の活動の質を豊かにする。前の豊田前団長は「スモンの豊田」と言われた公害弁護士であり、今、行なわれている司法民主化総行動は豊田団長の提起によるものであるが、それは公害被害者総行動に学んでの提起と思う。
篠原幹事長は根本孔衛さんが喜寿の歳になったので川崎合同法律事務所として本を出す予定と言っていたが、自分の本のことは何も口にしなかった。本を出すと前宣伝をする人が多い中で奇特な人である。しんぶん赤旗の広告欄に大きく掲載されてはじめて知り、そのうちに贈呈があると待っていたが音沙汰がない。止む無く一七〇〇円と消費税をだして手にした。六月の常幹のおりに団通信に書評が載らないな、と僕が言うと、団に遠慮しているとの返事。それでは僕が書くよと約束し、真面目に読んだ次第。さて、弁護士が本を出すことで思うのであるが、「生涯一篇」という言葉がある。詩集、俳句、小説などたくさん書いているが先人が書き残したものや、発想を引継いだものが全くないオリジナルなエッセンスを含んだ作品は殆どないと言ってよい。だから、そのオリジナルなものを含んだものを生涯で一篇書けばよいと言うことである。弁護士がオリジナルなものを書くのは難しい。先年大川真郎弁護士が出した「豊島産業廃棄物不法投棄事件」の本はオリジナルを含んでいると思う。自分の弁護活動というよりは住民の闘いを柱にしているからと思う。
この生涯一篇の意味ではなく何か得意な活動分野でもよい、また散文でも、詩集でも本を出すのは嬉しいことであり、親しい人に読んで頂き語り合うのは楽しいと思う。そんな意味で篠原幹事長に祝福の言葉を差し上げたい。
*問い合わせは新日本出版社(電話03・3423・8402)または川崎合同法律事務所(FAX044・211・0123)へ。
東京合同法律事務所事務員 森 真 奈 美
「ワドルさん、疑問に答えて下さい。私たちは待っています。」をキャッチコピーに、宇和島駅伝言板の形式で、賛同者代表五名(早坂暁さん、天野祐吉さん、西村直記さん三名は愛媛県出身者。椎名誠さん、竹下景子さん)の直筆署名と、アピール「真相究明、再発防止、ワドル前艦長の来日謝罪」を盛り込んだ意見広告は、一五〇三人、一一〇団体(五月三〇日現在)のご賛同を頂き五月三一日付け愛媛新聞一四面に掲載されました。
ご協力頂いた皆様、またこの運動を自分達の問題として盛り上げて下さった多くの団体の皆様に心より感謝申し上げます。
六月に入ってからも賛同金が全国各地から寄せられ六月一一日現在で募金額は三八〇万円を超えました。特に、地元愛媛県内のがんばりは目覚ましいものでした。
地元宇和島に事務所を置く「えひめ丸の会」には、呼びかけ文を見て「自分の団体でも訴えたいので資料を送ってほしい」と、電話やFAXが続々。振り替え用紙には米海軍への怒りの声や、日本政府へのいきどおり、被害者遺族へ励ましの言葉等が添えられて、被害者家族の方も発送作業等を手伝いに来てくれる中で、共に大きく励まされる日々でした。又、えひめ丸の母港神奈川県三浦市の三崎港等、オルグに出かけた先々でも温かいご支援を頂き、一人一人への感謝の気持ちを忘れません。
同じ時期に一部で、ワドル前艦長が来日謝罪に前向きである旨が報道されました。この意見広告は「どれだけたくさんの日本国民がワドル前艦長の直接謝罪を求めているかを米海軍やワドル前艦長本人に知らせるための大きな力になった」と確信しております。
私たちは、この運動で多くの皆さんとつながりをもてたことをバネに、さらに被害者の思いの実現に向けて、これからも弁護団と共にがんばっていきたいと思っております。
今後とも温かいご支援よろしくお願い申し上げます。