自由法曹団通信:1063号        

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四位 直毅 有事法制三法案 夏(会期末)。そして秋へ。―ひと汗かき、うまいビールを―
吉田 栄士 新横田基地公害訴訟判決
鷲見 賢一郎 産業空洞化・会社解散・全員解雇とのたたかい―JMIU東亜通信支部のたたかい
菅野 昭夫 日中司法制度改革シンポジウムの報告
毛利 正道 続続・国会は犯罪者の巣か―私が、有事法制に反対する理由―


有事法制三法案
 夏(会期末)。そして秋へ。
  ―ひと汗かき、うまいビールを―


有事法制阻止闘争本部本部長  四 位 直 毅

 延長国会の最終日である七月三一日まで、残りわずかとなった。
 このところ、与党筋からも「継続審議に」とか「廃案、出し直しも」などの声が聞こえてくる。内外の批判と運動の反映であり、廃案実現に向けて追撃する好機、である。
 その今、懸念されることのひとつは、運動の一部に一服気分、様子見状態がみられることである。「どうせ継続審議に。」「廃案は無理では。」などときめこみ、運動の出足をみずからにぶらせるうごきである。これでは、廃案の可能性をみずから投げすて、運動に水をさし、推進側をよろこばせることになりかねない。成果はたたかってかちとるものだ。
 今なによりも大事なことは、会期末までの残された日々、運動の手をぬくことなく、街宣、ビラまき、国会要請、自治体申しいれ、集会等々、なし得るすべてをやりきることである。そうしてこそ廃案を実現し、または実現に肉迫することができる。また廃案実現のばあいでも次への火種をのこさせないことにつながる。たとえ結果として継続審議になろうとも、今ここで全力をつくしておくことは、秋のたたかいへの大きな力となるだろう。
 その秋の陣だが、会期末の結果がどのようなものであれ、日米の推進側が有事法制を断念する可能性は絶無に近いもの、とみざるをえない。
 では、どのようにたたかうか。
 一つには、三法案のひどさ加減を多少なりとも改めて、化粧直し法案を出してくる可能性があるだろう。だが化粧では素顔はかわらず、この法案の骨がらみの本質と問題をかえることは至難の業、であろう。このことを私たちは鋭く看破して、化粧直しのなかみ共々きびしく検討批判することとなろう。
 同時に、そもそも有事法制は必要か、人びとの生命安全と権利救済のために有効でありうるか、日本国憲法の下で認められる余地があるか否かなどの諸点についても、これまでにもまして、正面からいっそう明確果断に論ずべき場と機会がふえてくるのではないか。
 もう一つ。このたびの法案で二年以内の制定が予定されている各法案各分野について、人びとに何がもたらされるのかを(できれば各分野との協力共同で)具体的に検討提示する必要があろう。いわば各論での批判と反撃である。
 炎天下、会期末まで盛大にひと汗もふた汗もかこうではないか。
 それでこそ、夏休みも生ビールも心行くまでたのしめる、というものではないか。




新横田基地公害訴訟判決


東京支部  吉 田 栄 士

1 本年五月三〇日、東京地裁八王子支部において、六年余りの裁判を経て一審判決が言い渡された。約二四億円という多額の損害賠償が認められたが、夜間早朝の飛行差止は今回も認められなかった。同時に二次、三次の対米訴訟の判決も言い渡された。この判決に対しては六月一一日に控訴した。
 多額の賠償が認められた点、うるささ指数の低い地域(七五W)についても認定された点、賠償額もこれまでの最高レベルを維持した点など評価できる所もあるが、他方、不当、特異な内容もある問題の多い判決であった。問題を二点にしぼって報告する。
2 第一の問題は被害立証問題についてである。
 通常、被害立証のために「陳述書」を作成する。我々は全体の八割を作成した段階で、陳述書による「共通被害の立証」は十分だと考え作成を終了した。しかし裁判所は、陳述書未提出者について立証不十分として賠償を否定した。その理由は、「陳述書の作成はさして困難ではない、自己の被害について陳述書を提出せず被害内容を明らかにしない原告らについては、損害賠償を認めることはできない」というものである。これで一〇〇〇名以上の賠償が否定された。これまでこのような理由で賠償を排斥した例はなかった。原告が多く被害立証の困難な公害訴訟においては、個別被害の立証責任を負うということだけで、立証活動は大きな壁にあたるという現実があった。
 立証緩和の闘いの末、個別立証論から共通被害立証論へと勝ち取ってきたのである。今回の判断はこの根本を崩す判断であった。
3 第二は、「危険への接近」問題についてである。
 国は被害地域に再転入している者について、被害を認容したものとして損害賠償を否定する免責論を主張し、その事例に該当する大量の原告本人尋問を申請してきた。裁判所は人数は絞ったが四五名ほど採用した。採用された原告については、個別陳述書を提出したが、種々の理由で裁判に出ない者もあった。不出頭理由については上申書を提出した。しかし裁判所は不出頭者について、損害賠償を否定した。理由は「不出頭者は(再転入についての)特段の事情を裁判所で供述することを拒んだのであるから、特段の事情を認めることはできない。陳述書の提出だけではその記載の真実性を吟味できない、同居人も同様である」とするものである。不出頭を理由に賠償を認めないとすると、国は、ともかく大量の本人尋問を申請することとなろう。これは今後、大規模訴訟を阻止する手段として使われよう。今回の判断は極めて危険な、かつ裁判所絶対主義的な判断であった。
4 今回の判決は、従前通り、差止、将来請求を認めないという不当性もある。しかし、強調したいのは、被害住民に対する大変冷たい態度である。六〇〇〇名もの住民が何故裁判に立ち上がったのか、この点を直視する姿勢がこの裁判所には欠けていたとしか言いようがない。
5 また、二次、三次対米訴訟の判決は、四月一二日の一次最高裁判決を踏襲したものであった。即ち、「米軍機の離発着は米軍の公的活動そのものであり、主権的行為であるから、国際慣習法上、民事裁判権が免除されるものである」というものである。これだとアメリカには何も言えないということになってしまう。最高裁判決はこの問題についてのリーディングケースとなったが、これに対しては対米訴訟をしている新嘉手納基地訴訟、上瀬谷通信基地訴訟などと連携して打破していくつもりである。



産業空洞化・会社解散・全員解雇とのたたかい
  ―JMIU東亜通信支部のたたかい


東京支部  鷲 見 賢 一 郎

1 産業空洞化の嵐のなかで
 茨城県つくば市にある東亜通信工業株式会社は、一九五四年三月に設立された、家庭用電化製品等に使用されるトランス等の電磁鉄心を製造販売する会社で、電磁鉄心業界では国内のトップメーカーでした。
 会社は、最盛時の一九七〇年代には一〇〇人を超える労働者を雇用し、一か月約二〇〇〇トンの電磁鉄心を製造販売していましたが、この一〇数年来、大手家電メーカーの海外への生産移転や海外からの部品調達によって製造が激減し、二〇〇一年には労働者三一人、一か月の製造鉄心約一五〇トンにまで減少していました。
 会社には、正規従業員二〇人全員が加入している全日本金属情報機器労働組合(JMIU)茨城地方本部東亜通信支部がありましたが会社の再建策についても積極的に提言し、取組を強めていました。
2 三井物産と東亜通信による会社解散・全員解雇の攻撃
 会社は、二〇〇一年一〇月二五日、組合に対して、鉄心製造事業の廃止と正社員全員の退職募集(退職に応募しなければ解雇)を通告してきました。会社の親会社である三井物産株式会社と会社が相計って、経営責任を放棄し、事業を廃止し、不良債権化のおそれのある債権の回収に乗り出してきたのです。ここにも、小泉内閣が進める不良債権の早期最終処理政策が現れています。
 この会社の通告を受けて、労使間で一〇月二九日から一二月二五日までの間に九回団交が持たれましたが、会社は、これらの団交で組合の鉄心製造事業継続の具体案をすべて拒否し、賃金約四か月分に相当する特別退職割増金等の支払を提案するだけでした。
 会社は、一二月一四日以降、次に述べる茨城地労委の三者委員の要望書も一切無視して製造事業の廃止作業を強行し、一二月二八日には組合員一九人を全員解雇し(部課長三人と組合員一人は解雇される前に退職に応募)、二〇〇二年一月一一日には臨時株主総会を開いて会社解散を決議してしまいました。
3 茨城県地方労働委員会の光と影
(1)光―申立から五日後に三者委員の要望書
 組合は、二〇〇一年一二月一四日、茨城県地方労働委員会に会社の不誠実団交について救済申立をし、あわせて、「命令が出されるまでの間、会社は『製造事業の廃止と組合員全員解雇』をおこなってはならない。」との勧告を発することを求める審査の実効確保の措置の勧告申立をしました。
 この勧告申立に対して、茨城地労委の労使公益の三者委員は、五日後の一二月一九日、会社に対して、「会社は、会社の製造事業の廃止と組合員の解雇について、組合と速やかに誠意をもって話合いを行なうようにされたい。」との要望書を発しました。この要望書は、組合員に組合の闘いの正当性への確信を与え、労働者救済機関としての労働委員会の真価を遺憾なく発揮するものでした。
(2)影―不十分な調整(和解)機能
 組合は、二〇〇二年一月一五日、茨城地労委に組合員一九人の解雇撤回を求める救済申立をしました。茨城地労委では、三月八日、三月二五日、四月一八日と調査が行なわれ、三者委員から特別退職割増金等の上積みを中心に和解の打診がありました。しかし、三者委員は労使双方の意向を聞くだけで、解決に向けてのイニシアチブをほとんど発揮しませんでした。
 自由法曹団の二〇〇二年六月二八日付「不当労働行為審査制度の在り方に関する意見」の「労働委員会の判定機能は不十分である。特に中労委がそうである。迅速・果敢に判定をしないため、調整(和解)機能も十分に働かないこととなる。」(3頁)との指摘がそのまま当てはまる状況でした。
4 水戸地裁土浦支部における仮処分のたたかい
 解雇された組合員一九人は、一月一五日、水戸地裁土浦支部に地位保全及び賃金仮払い仮処分を申し立てました。土浦支部では、二月六日、四月八日、四月二六日の三回審尋が行なわれました。
 会社は、解雇前の団交に提出した修正バランスシートで、会社が保有する関係会社の未公開株式を額面合計額の六千万円と評価していました。組合の調査により、その関係会社は資本金の五倍を超える資産を有していることが判明し、会社が保有する株式は三億円を下らない評価が可能であることが明らかになりました。会社が団交に提出した修正バランスシートに上記のような虚偽があった場合、組合員らに対する解雇は当然に無効になるものでした。私は、決定になった場合、この仮処分は勝てる可能性が強いと思っていました。
5 労使で自主解決
 組合は、五月二一日、会社との間で、「@会社は、廃業と全従業員退職の事態に至ったことを謝罪する。A会社は解雇を撤回し、組合員らは任意退職する。B会社は、規程退職金の他に、賃金約一年分に相当する特別割増退職金及び解決金を支払う。」を骨子とする協定書を締結し、約六か月間の闘いで労働争議を自主解決しました。
職場を活動の拠点として確保しながら、三井物産への抗議・要請行動、裁判所と労働委員会に対する要請行動等を強めるなかで勝ち取った勝利です。
6 産業空洞化とのたたかいを課題として
 日本の大企業は、一九八〇年代後半以降本格的な海外進出をアジアを中心に始めましたが、いまその中心はアジアのなかでも「技術水準の向上を実現した」中国に移ってきています。そして、不況の長期化のなかで、親会社の「海外への生産移管」による子会社の倒産や工場閉鎖が増大し、地域経済に大打撃を与えています。
 東亜通信の闘いでは、「たたかってよかった」という確信は皆のものになりましたが、残念ながら会社再建と雇用の確保はできませんでした。どこから手をつけたらよいのかわかりませんが、日本のものづくりと雇用を守るために、産業空洞化との闘いを今後の課題として考えていきたいと思います。



日中司法制度改革シンポジウムの報告


北陸支部(石川県)  菅 野 昭 夫

一 はじめに
 六月八日から九日の二日間、北京市の中国人民大学法学院で、日中司法制度改革シンポジウムが開催され、日中それぞれの司法制度改革の現状についての討議が行われた。このシンポジウムに参加した一人として、若干の報告をしたい。
 シンポジウムは中国司法制度調査団(団長石川元也、事務局長沢藤統一郎各団員)と中国人民大学法学院の共催によって行われたが、背景には、長年日中法律家の交流を発展させてきた畑中和夫団員(立命館大学名誉教授)や石川元也団員のご尽力で中国人民大学法学院が中国全土の学者弁護士を結集して開催の運びとなったものである。日本から参加した学者弁護士等は二三人で、私は団国際問題委員会を代表して参加した。中国側の参加者は、曽憲義氏(中国人民大学法学院長)ら人民大学、清華大学、浙江大学、南京師範大学等の学者、最高人民法院、国家検察学院、中国人民公安大学等の裁判検察の要職にある実務家及び多数の律師(弁護士)並びに中国共産党の幹部らで、一〇〇人近いそうそうたる人員であった。
 中国側からは二日間で合計一四人が中国の司法制度の現状と改革の課題を報告したが、私にとっては中国の司法制度について初めての体系的な学習の機会となり、興味深い内容であった。既にご存じの方が多いかもしれないが、以下は私なりに理解したそれら報告の概要である。なお、日本側からは、合計一三人が司法改革と各分野の裁判闘争の課題について報告した。
二 中国司法制度の現状と課題
1 中国の法曹資格と統一司法試験
 中国では本年統一司法試験が実施されたが、それ以前は法曹三者は別々の試験・資格制度を有していた。
 弁護士は、一九八六年から、高等教育部(短大)の法律学部または他の学部の大学卒業者で全国の弁護士試験に合格した者(二〇〇一年までに一八万人が合格)が資格を取得していたが、四年制の大学の法学部を卒業し法律の研究に従事して副教授以上となった者や海外で法律関係の仕事に従事した者も少数ではあるが弁護士資格を取得していた。
 裁判官や検察官は、一九九五年までは試験制度さえ無かったが、一九九五年から弁護士とは異なる試験制度を有し、試験合格者から全人代(全国人民代表者会議)によって任命されていた。しかし、人民解放軍を引退した者などが多く、その水準、廉潔性には大いに問題があることが報告からうかがえた。現在、裁判官の数は全国で約二〇万人ということである。
 そうしたところ、二〇〇〇年から二〇〇一年にかけて決定された全人代の司法改革の方針の一つとして、本年三月に法曹三者の資格要件を統一するために、全国統一の司法試験が実施された。三一万人が受験したが、合格基準を満たした者は二四〇〇〇人(七%)であった。
2 弁護士の現状
 かくて、この新司法試験合格者を含め中国の律師(弁護士)は一二万二五八五人の数となり、全国に約一万の法律事務所があるという。
 中国の法律事務所は、@国が経営している事務所、Aパートナー式の事務所、B合作の事務所の三種類あるが、@は無くなりつつあり、殆どはAまたはBで、激しい競争にさらされている。
 加えて、一九九二年に対外開放が行われ、外国法弁護士に対する規制が撤廃された。現在アメリカ、イギリス、日本など一八カ国の一〇四の外国法弁護士事務所があるが、WTO加盟により一年以内にさらに数量的規制を撤廃しなければならず、これも競争激化の要因となっている。
 中国政府の弁護士に対する要求は、開放経済に即応して経済発展の潤滑油になることであり、私達が会った中国の弁護士の関心と仕事は殆ど企業法務や渉外事務に向けられている印象であった。
3 司法の独立
 中国の司法機関は、人民法院(審判機関)、公安(捜査機関)、検察(監督機関)、司法行政の四者とされている。刑事事件においては、公安が捜査を行い、検察が逮捕と監督の権限を持ち、人民法院が裁判し、司法行政が執行をする。
 中国憲法は司法と行政の分離を定めており、司法は行政から独立している。しかし、中国においては全人代が国家の最高権力機関であり、人民法院を含め全ての司法機関の権力は全人代に由来し、全人代に責任を負う。シンポジウムの報告者によれば、司法改革のひとつの内容として、むしろ、全人代常務委員会の司法機関に対する監督を強化すべきであるとされている。背景には、中国の裁判官が法律的素養において高い水準とはいえず、かつ地元出身者で占められ、知人を裁く過程で涜職事件が後を断たないことが、報告から推察された。
 司法機関としての裁判所の相対的独立は認められているが、個々の裁判官の独立を認めるべきであるかは、シンポジウムの中でも論争があった。社会主義的原則を理由に否定する論者に対し、肯定する論者は、旧ソビエト連邦でも裁判官の独立は保障されており、中国で現在認められていないのは裁判官の能力の低さという実際的な理由にすぎないことを強調していた。しかし、裁判官の独立や下級審の上級審からの独立などが確立していないことは、報告内容から事実のようである。
 さらに、中国特有の事情として、司法機関と中国共産党との関係をどのように考えるかということも、大きな問題のようである。シンポジウムの報告者は一様に、司法機関は国家の権力機関であり、政党から切り離された機関として、政党から独立であるべきで、共産党は個々の裁判に介入してはならないと主張していた。
4 司法制度改革の方向
 前述のように全人代が司法制度の近代化に向けて司法制度改革の一連の決定を行っているようである。
 報告者の発言からうかがえる方向は、以下の点にあると理解された。
 まず第一に、司法の公正を実現する必要性が強調されていた。そして、前述のように、裁判官の廉潔性や水準に問題があることから、全人代常務委員会の司法に対する監督を強化すべきことが提唱されている。しかし、同時に司法の独立を実現すべきであり、中国共産党は個々の裁判に干渉すべきでないことも主張されている。
 第二に、司法の効率という標語も随所に使用されているようである。報告者によると、司法の効率とは、投入すべき人員、物資、時間を必要なものは投入すべきだが、必要でないものは投入すべきではないという考えのようである。
 第三に、司法の公開も実現すべき課題とされている。このうち審理の公開はほぼ実現されたとの報告であった。判決の公開に関しては、判決言い渡しそのものの公開はもちろん、合議体の各裁判官の意見の公開、廷務会議や審判委員会(正確には理解できなかったが、各裁判所にはそうした機関があり重大事件などの場合には合議体にいろいろ影響を与える討議をおこなっているようである)の意見の公開等も必要であることが報告されていた。
 第四に、開放経済の発展から、その水準にふさわしい弁護士等を養成すること、また刑事司法のみならず、民事事件についての司法改革を重視すべきとされる。
三 交流の発展を願って
 シンポジウムや宴会で知り合った中国の弁護士の全員は、日本流にいうと企業弁護士であり、アメリカ流にいうとウォール・ストリート・ロイヤーである。民衆の弁護士には一人も会えなかった。また、シンポジウムでの日本側の発言者は一様に、官僚司法を打破し、大企業や行政権力のためではなく社会的弱者のための司法制度改革を目指す取り組みを紹介したが、これらの点では、中国側の報告とかみあいは少なかった。
 しかし、中国の参加者は、日本の各報告に大いなる興味を示し、カネミ油症の闘いなどには質問が殺到した。また、小野寺団員が中国人戦後補償裁判闘争について報告したが、明らかに戦争を知らない世代を含め多くの中国人参加者に深い感銘を与えた。他方、さまざまな要職者の参加する中で、中国側の報告はかなり率直に問題点や欠陥を吐露する内容であった。畑中団員などの長年の交流の実績のなせる技であろう。中国側の報告内容は、人権や三権分立の民主主義概念からは首を傾げるものもあったが、人口と国土において巨大な国家に近代的な司法制度を築こうという意欲に満ち満ちており、感銘深いものがあった。やはり、国情は異なれ、本音で語り合い、率直に対等に討議すれば、おのずと学び合えるものだと改めて実感した。
 団は一昨年団独自としては初めて中国に代表団を送り日中法律家の交流を開始した。しかし、団として例えばこのような大規模のシンポジウムを実現するためには、今後何年も中国式乾杯で何百回も杯を乾し合うことが必要のようである。
 北京を離れて杭州、蘇州、上海と旅したが、案内の中国人ガイドの全員が、貧富の差が驚くべき速度で大きくなっていることを話してくれた。六月一七日号のタイム誌によると、グローバリゼイションの中で国営企業の倒産が相次ぎ、特に北京以北の都市部の実質失業率は二〇%と推定され、労働争議が頻発しているとのことである。今後一〇年間でアメリカの就業人口を超える約一億五〇〇〇万人の農民が土地を離れ都市部に職を求めて失業予備軍として移動するであろうとも予測している。このような経済情勢で、今国民のために開放経済を推進しようとする弁護士や若者の中から、民衆の弁護士がやがて輩出されることは必至と思われる。
 他方私たちは、有事立法をはじめとする憲法九条の破壊をくい止める責任を中国やアジアの人たちに負っている。そして、それらの闘いの意味を共有する必要性はますます大きくなっている。
 今回の旅行で、団の中国との交流を強め発展させる必要性をますます痛感した次第である。



続続・国会は犯罪者の巣か
  ―私が、有事法制に反対する理由―


長野県支部  毛 利 正 道

A 今国会に提出されている有事三法案については、アーミテージ報告に代表されるアメリカの要求により、アメリカのイラク・北朝鮮などへの先制攻撃戦争に、日本の自衛隊と日本の総力を使うために作成されたものであり、そのためにこそ、どのようにでも運用できるように曖昧無限定な規定になっているのであって、したがって、有事法制のない現在より日本(の自衛隊員と国民)を危険に追い込むものであること明らか(いわば、「まじめな有事法制賛成者」にとっても、反対すべきもの)である。
B 以下は、いざというときに武力行使とそれを支えるための国民への強制によって日本を守る、「まじめに有事法制が必要と思っている方」が求める有事法制、に反対する理由です(現在の法制度では、自衛隊が緊急時に武力を行使するための最低限の諸制度が十分とは言い切れないために、今回自衛隊法改正案が出されている面もありますが、私は、この改正も反対です)。なお、
@災害をはじめとする各種緊急事態に、武力以外の方法で対処する制度、例えば国家規模でのレスキュー隊の創設などが早急になされる必要があることは確かです。また、
Aテロへの対処は、軍事力でなく警察力で行うべきです、この点は末尾に述べます。
Bこの@Aは、有事法制と切り離して論じられるべきです。
1 賛成者は、「いざというときの備えが必要」、すなわち、武力によって日本を守らなければならない事態が(「万万万万が一しかない」というのが国会答弁ですが)絶対ないとは言い切れない以上、世界中が持っている有事法制を日本が持つのは当然、と言います。これに対して、反対者は、侵略戦争で内外二三〇〇万人の命と数億人の人生を破壊する高い代償を払って手に入れた憲法九条を活用する、いざという状況にならないための努力こそ必要なのに、日本はこれまでその努力をしてこなかった、「いざという状況にならないためにどうするか」こそ問題、と言います。
 しかし、論理的には、憲法九条を世界に広げる努力をして、いざという状況にならないために努力している途中でも、「いざという、武力によって日本を守らなければならない事態」が発生する可能性はあります。まじめな賛成者は、そのときのための備えが必要、とも言っているのですから、反対者としては、それに対して正面から答えなければなりません。そうしてはじめて、かみ合う議論になるのです。
2 私は、純理論的には、そのような意味での有事法制の必要性を否定することは出来ないと思っています。しかし、それではどの程度の有事法制が必要なのでしょうか。あらゆる事態に対処できる有事法制を設けるとすると、アメリカのように数十兆円もかけて戦略ミサイル防衛システムを確立しなければすまなくなりますが、それでも九・一一テロは防げなかったことは確実でしょう。武力攻撃する側は相手方の守りの裏をかこうとしますから、必要にして(というより、アメリカでテロの後、一〇〇〇人以上のイスラム系の人々を理由なく拘束したことが問題になっているように、人権との兼ね合いがありますから「必要最小限にして」が正しい)十分という軍事力・有事法制を見極めることは至難の技です。どうしても、拡張する傾向になりがちです。戦前、有事法制=国家総動員法を作り、その後「徴用令」など九八もの実施勅令を次々に作って国民をがんじがらめにしていったことを忘れることはできません。有事法制を作ることには慎重なうえにも慎重な姿勢が必要なのです。
3 私は、それに留まらず、有事法制そのものに反対です。なぜか。それは、有事法制が政治の現実から切り離されて存在することがありえない以上、有事法制を誰が執行=発動するのかということまで含めて有事法制の是非を考える必要があり、そのようにみると、有事法制がない現在よりも存在するときの方が、はるかに自衛隊員を含む日本国民にとって危険と思うからです。そして、そうである以上、私は、「いざという事態」が来ても、武力ではない非暴力的手段でのみ対応すると決断しているのです。
 具体的に見ていきます。
 一つは、過去の歴史から見て、日本(と同盟国アメリカ)からの先制攻撃をやり易くするために有事法制を作った(あるいは作ろうとしている)事実があるからです。
 @一九三八年の有事法制・国家総動員法の提案理由として、政府が「帝都が空襲を受ける恐れ極めて大なり」と議会で述べていました。当時日本から戦争を仕掛けられていた中国が東京を攻めるはずもなく、その提案理由は、その後の対米開戦に日本が踏み切ることを既に企図しており、そのために国家総動員法を作ったことを示しています。
 A一九九四年北朝鮮核開発疑惑のときに、アメリカが北朝鮮に対して先制攻撃しようとして、日本に一〇五九項目の協力を求めてきましたが、日本政府が「有事法制がないため応じられない」と答えたため、アメリカが軍事攻撃を思いとどまった経過があります。このときに有事法制があれば、アメリカの先制攻撃がなされた可能性が極めて高かったのです。有事法制賛成者は、あの時、アメリカが先制攻撃したほうがよかったというのでしょうか。朝鮮半島と日本で数十万人の死者が出たかもしれません。
 二つには、これから有事法制を作った場合にその発動・執行者となる自民党と自衛隊が、有事法制を正しく運用するとはとても思えないからです。
 @同じアメリカと軍事同盟を結んでいる国々のなかで、日本政府があまりに対米一辺倒であることは世界の常識です。アメリカの無理難題でも有事法制さえあれば、自主的判断を放棄して何でもきく可能性が極めて高いのです(なぜこんなに日本はアメリカ一辺倒なのか、まだ私の仮説ですが、敗戦直後、日本の権力者は、昭和天皇の戦犯訴追回避並びに―緩やかなものとはなったが―天皇制を残すことと、日本がアメリカに従属する国になることを取引した。だからこそ、日本の右翼は日本の対米従属に反対しない。ということではないか)。
 A自民党は、一五年に及ぶ侵略戦争を進めてきた戦前の支配層並びにその後継者が中心にいます。岸信介、中曽根康弘など、A級戦犯や内務官僚が戦後国の首相になっていることだけでもこのことが分かります。この点、ドイツと決定的に異なる点です。思想的にも、国家神道・靖国・教育勅語・君が代・日の丸・日本遺族会・侵略賛美教科書・アジアの軽視ないし蔑視・人権無視の警備公安警察等・死票を大量に出す小選挙区制を強いてまで日本共産党の進出を締め出しそうとする反共姿勢など、戦前との連続性が高いものがあります。アジアが、戦前の軍国日本の再来を心配することは杞憂ではありません。戦前のように、自国の覇権のために先制的に武力を行使する危険があります。
 B自民党は、先進国の中でまれに見る金権腐敗にまみれた政党です。あのムネオが、口利き企業から工事代金の三〜五%を貢がせ、これを自公五八人のムネムネ会メンバーに最高一人一二〇〇万円配っていたということが明るみに出ていますが、これまで田中角栄、金丸信など刑事事件になっただけでも数十人にのぼっています。この七月七日の朝日社説「続・国会は犯罪者の巣か」は、一九九〇年以降だけで一六名の国会議員(すべて自民か保守系)が逮捕・起訴されていると報じています。アメリカでは、軍需産業の売上を伸ばすために次々と戦争していると公然と言われていますが、記録的一党支配とその結果としての金権腐敗が蔓延している日本では、軍需産業の利益のために戦争をおこす危険はより大きいでしょう。
 C有事法制ができると、企画・立案・実行に深くかつ前面に出てかかわることとなる自衛隊についても、文民統制に反して、米軍が自衛隊イージス艦などのインド洋への派遣要請を日本政府に対してするように求めたり、情報公開の趣旨に真っ向から反して独自調査までして組織的に膨大な情報公開請求者リストを作り、これがばれるや嘘、偽りを弄し挙句の果てに「表に出した者が悪い。だれだ。」との声が強まる始末。とても、民主的な軍隊とはいえない自衛隊が第一線に立つことにはとても大きな不安があります。戦後、自衛隊が結成強化される過程で戦前の将校が多数自衛隊に入っており、戦前の日本軍との連続性も否定できません。
4 国際紛争は、少なくとも当面、海上保安庁を含む警察力で対処可能なもの以外は、日本の武力を一切使わない方法で解決することに徹するべきです。
 @日本はこれまで明治以後だけ見ても一〇〇年以上、隣国のアジアとの友好関係確立にあまりに無頓着でした。そのつけが現在の姿です。これを抜本的に転換し、まず、北東アジア多国間安全保障対話を開始し、更には日米軍事同盟を友好条約に切り替え、あわせて、北東アジアを始めASEANとも多国間友好不可侵条約を締結し、域内安全保障体制の形成を目ざしていきます。
 Aそれでも生ずる国際紛争には、非戦非暴力を貫きます。日本を守るために必要だからといって北朝鮮を攻めれば、北朝鮮の民衆が多数死亡します。このような道ではなく、いずれの国の国民の命も最大限守る道をあくまで追求すべきです。世界と国連に訴え、国内では非戦・非暴力・非協力・不服従を貫いて闘いましょう。その意味では国民の決意が必要です。
 B純論理的には、将来、有事法制を真に必要なときのみ必要な範囲で執行できる安定的な政権ができたときには、有事法制を制定することがあり得ることを必ずしも否定しません。しかし、歴史は世界的規模で前進していくでしょうから、実際に制定する必要性はますます薄れていくことでしょう。
 C賛成者は、国内で殺人者がいるのと同じで国際的にも何時殺人鬼が出てこないとも限らないといいます。しかし、殺人があったからといってその犯人を簡単に撃ち殺したりしないし、殺人がありそうだからといって簡単に人を捕らえたりましてや殺したりしません。人殺しを今しようとしている人は、正当防衛となる場合なら殺してもよいことになっていますが、人殺しがありそうだからと、こちらも人殺しの準備をするということは正当防衛になりません。また、正当防衛の対象となる相手方は、攻撃してくる目の前の実行者だけであり、後方にいる者に対してまでは無理です。
 更に、警察官などの権力者(戦争もむろんそう)による正当防衛は、本当に他に方法がないのか慎重に吟味されます。また、国際紛争の場合は、互いに攻撃しあうことにより、直接かかわらない多くの民衆が死に至る恐れがあります。このように見ると、通常の殺人と同一視することはできません。
 Dなお、テロに対する国内措置ですが、テロが人命に対する犯罪である以上、(必要な範囲で拡充することを含む)警察力で対処すべきは当然です。国際的な対策については、以下五をご参照ください(むろん、アメリカの世界一極覇権主義や、あまりに凄まじい富の偏在を解消するという根治策が必要なこと当然です)。
5 テロに対する対処
 私の著書「娘の誕生日に悲劇は生まれた」より
 私たちが「テロに対して国連に団結して国連として対処すべきだ」と言うのに対して、「いやそんなことできっこないさ」とか、「今回はしょうがないんじゃないか」とかいうのが大人の男の人に多いですね。とんでもありません。私は調べて言っているわけです。九三年に旧ユーゴでどんどんと虐殺や強姦がなされた。それで国連が、明らかな国際法違反の犯罪だとして安保理事会で国際犯罪特別法廷を開くということを決めたわけです。裁判官も検察官も決めた。それで虐殺したとかレイプした犯人を捕まえる。ミロシェビッチ前大統領も現に捕まって裁判にかけられている最中です。彼を含む八五人以上の人が裁判にかけられました。少なくとも二〇人以上の人が服役をしているはずです。
 また、翌年の九四年にはルワンダというところで有名なツチ族とフチ族の争いで、相手を大量虐殺するということがあったわけですが、これも安保理事会で、「戦時ではない集団殺害も、国際法上の犯罪として処罰する」と決めた国連ジェノサイド条約などに違反したとして、国際犯罪特別法廷を開きました。たくさんの人が、現在までにその裁判にかけられましたけども、二〇〇〇年一〇月には、元首相、対立部族を皆殺しにしろと指示した国家元首に終身刑の判決が下って確定しています。今、彼を含む六名が服役しています。
 それから一九八八年にイギリスの上空で起きたパンアメリカン機の爆破事件、これはなんとリビアの公務員がやったわけです。公務員がね。とんでもないことをやって二百数十人が死亡したわけですが、国連安保理事会としてもその犯人を引き渡せということをリビアと交渉したわけです。しかし、引き渡さないため、国連が航空機部品・武器を輸出禁止にする経済制裁をして粘り強く交渉を重ねてきました。そしてついに、しぶしぶではあったけれども、二〇〇〇年にリビアが引き渡しまして、二〇〇一年一月に判決がありました。二人のうち一人が終身刑、一人が無罪という判決でした。これも公正を期すため第三国であるオランダのハーグで特別法廷を開いたわけです。
 国連はこのように、実績を積んでいるわけです。こういう実績を踏まえるならば、今回の同時テロについても、国連安保理事会で国際犯罪にあたるとして国際特別法廷を開くということを決めて、特別に捜査官を選んで捜査して犯人を特定し、その身柄を確保するために最小限の警察力を行使することができます。国連が犯人を捜索・逮捕するということは、国連憲章の強制措置としてできることですから、これを実践すればいいのです。あくまで犯罪として理性的に対処する、これこそが数千年文明を築いてきた人類の知恵というものです。そういう道があるんだということを、確信を持って私は言っているし、皆さんからも広めていって欲しいと思います。