<<目次へ 団通信1066号(8月21日)
山田 泰 | やれやれ、ほっ・・ | |
尾林 芳匡 | 砕石工場プラント主任の過労死に労災認定 再審査中に労働基準監督署長が自ら不支給処分を取消す |
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高橋 高子 | 配偶者暴力に関する保護命令申立事件 保護命令決定ーさいたま地裁 |
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浦部 信児 | 岡山支部特集 その2 国労事件断想 | |
齋藤 園生 | 熱い、暑〜い 七・二三法律家・市民デモ | |
井上 洋子 | アメリカロースクール調査と NLGパサデナ総会への参加のお誘い |
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赤沼 康弘 | 市民問題委員会委員長を退任しました | |
大川原 栄 | 日本国民救援会第五一回全国大会の報告 | |
木村 晋介 | あの論争から九年を経て(2) | |
伊藤 和子 | 司法制度改革推進本部の「裁判員・刑事司法」「行政事件訴訟」に関する意見募集開始。 今こそ推進本部に国民の声を集中しよう |
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鶴見 祐策 | 篠原義仁著「自動車排ガス汚染とのたたかい」を薦める |
神奈川支部 山 田 泰
頸肩腕障害や腰痛症を公務(業務)上と認定させようとする闘いは、自治体労働者や福祉職場などを中心に苦難の中長く取り組まれてきた。
九三年一月、横浜市鈴木保母事件は東京高裁において逆転不当判決を受けたが、逆風の中大阪府吹田市の東海保母が大阪高裁で逆転勝訴し、確定を果たした。
その後労働省は上肢障害につき認定基準を改定し、また新たな腰痛予防対策指針を出すに至る。そして九七年一一月、最高裁は鈴木保母事件につき保育作業と頸肩腕障害との間の因果関係を認める判決を下した。
司法は、以降頸肩腕障害や腰痛症について明確で揺るぎない判断を示し続けた。保育職場に限らず養護学校教育業務や給食調理業務でも勝訴判決が続き、多くは一審で確定をみた。不当にも控訴された名古屋市保育園の業務士事件では〇一年九月名古屋高裁でも勝訴し、確定させた。
しかし地方公務員災害補償基金本部は、この間頑迷な姿勢を変えず、裁判で敗訴を重ねても公務外認定を出し続けた。
横浜市の学齢前の知的障害児通園施設である「さざんか学園」の二人の保育・介護職員の事件もその一つである。
九七年七月、さざんか事件は基金本部審査会の公開審理を終えたものの裁決には至っていなかった。ときあたかも最高裁は鈴木保母事件につき口頭弁論を開始することを決定した。その意味を直ちにそして丁寧に伝えていたのにもかかわらず、本部審査会はその約二週間後に再審査請求を棄却する裁決書を送付してきた。
かくしてこのさざんか事件は、鈴木保母事件の返り討ちか、はたまた敵討ちかの様相(先方は本部弁護団を拡大強化した)を秘めながら、訴訟が開始された。四時間近くにわたる現場検証、保育・介護労働ビデオの上映など過重性立証に重点を置きながら審理が進行し、〇一年一二月、四年を越える審理を結んだ。
しかし〇〇年後半から基金本部審査会で逆転認定裁決が出るようになり、〇一年秋には神奈川でも動きが現れた。災害性のものを含めると、県支部審査会で二件、横浜市支部審査会で一件と相次いで逆転認定の裁決が出された。
そしてついに今年二月、支部長段階で公務上認定が出た。東大阪市保育士の頸肩腕障害・腰痛症の事件である。
この間、大阪、京都、名古屋、東京等闘う組合・弁護団・研究者のあたたかい風を受け続けながら、さざんか事件は〇二年七月三〇日完全勝訴判決を手にした(福岡右武裁判長、矢澤敬幸裁判官、須賀康太郎裁判官)。これまでの蓄積された勝訴判決の基礎のうえに、丁寧で目配りされた事実認定が重ねられている。特に皆を喜ばせたのは次の一節である。
「障害の程度が重くない園児についても、他の園児と自発的に遊ぶことが余り期待できないため、園児の能力を発達させるためには、児童指導員・保育士が、見本を示したり、手助けするなどして積極的に遊び・課題を行わせることが重要である。そして、児童指導員・保育士が様々な方法で積極的にかかわればそれだけ園児の発達には好影響が生じることが期待されるから、児童指導員・保育士が園児の発達を促そうと一生懸命になればなるほど、業務量は増していくことになる。」
先輩事件から引き渡されたタスキは汗と涙でずっしり重く、敗訴は時計の針を数年前に戻すことにつながりかねない。「やれやれ、ほっ・・」と思うのもつかの間、判決当日から控訴を許さない取り組みが開始されている。
弁護団(小口千惠子、堤浩一郎、山田)は、鈴木保母事件に始まった全国の長く続いた一連の闘いに一つの区切りをつけたいと思っている。これまでお力添えをいただいた団に結集するたくさんの法律事務所やその関係労組・団体に深く感謝しながら。
東京支部 尾 林 芳 匡
一 八王子労働基準監督署長は七月一九日、一九八八年一一月に八王子市内美山町の砕石工場プラント主任の野呂保治さん(当時四五才)が作業中に倒れ即日脳内出血で死亡したのは労働災害であるとする妻の労災申請について、労働保険審査会での再審査請求についての結論を待たずに、すでにした労災保険給付不支給処分を自ら取消して業務上認定し、労災保険給付を支給した。
この労災認定は二〇〇一年一二月の脳・心臓疾患の過労死労災認定についての新基準を適用したもので、労働基準監督署長が労働保険審査会での再審査の審理中にすでにした不支給処分を自ら取消して逆転労災認定することは、全国的な過労死認定拡大の流れに沿って遺族の救済をはかったものと評価できる。
二 事業場の砕石工場は、山間部の岩石を破砕して砂利・砂を生産する業種で、被災者の担当はプラント主任で、プラント運転監視、プラント維持修理、工場内整備、下請工指揮、プラント日報作成等の事務、製品試験など広範であった。破砕機の騒音の直下で、砂や埃が飛散し粉塵の舞う中での作業であった。
被災者は一九八八年一〇月一六日(日)と二三日(日)に休日出勤をし、一〇月一〇日から二九日まで二〇日間休日なしで勤務し疲労が蓄積していた。記録上明確な実労働時間だけでも八月ー二六〇時間〇四分、九月ー二七二時間〇一分、一〇月ー二九四時間五八分という長時間労働であった。
発症直前期は新設の製砂プラントが本格的に稼働し、平日の日中はフルに生産し、プラント停止後の時間外と日曜日に修理や場内整備作業をしていた。数日前から強い後頭部の痛みを訴え病院に行く相談をしていたが休めず、被災当日の一一月二日も所定内業務を終了した後、時間外労働として堆積した砂を除去する場内整備の作業をしている最中に倒れ、即日死亡した。「脳内出血疑い」との診断であった。
申請当時から「野呂さんの過労死を労災と認めさせ八王子から過労死をなくす会」が結成されて一万名を超す署名が集められた。遅過ぎるとはいえ、市民の常識に沿った決定がなされたといえる。
三 周知の通り脳・心臓疾患の過労死についての認定基準は一九八七年通達で拡大されて「発症直前」「当日」のみでなく「発症直前一週間」の過重労働を評価するようになり、一九九五年通達で一カ月を付加的事情として評価するようになり、二〇〇一年通達で六カ月の蓄積疲労を評価し時間外労働の目安も設けられた。この間の認定基準の拡大と認定件数の増大は、世論と運動そして先駆的裁判闘争の成果である。
被災者は発症二日前の一〇月三〇日に二〇日ぶりの休日を取得しており、一九八七年通達では発症直前一週間に一日でも休日があると業務外とする「秘密マニュアル」が存在したため、当時の認定基準では容易に認定されず、二〇〇一年通達の下で逆転勝利に至った。
四 この事件は、私が一九九〇年の登録直後に最も力を注いだ事件のひとつであった。最初に相談を受けた際の遺族の涙にうたれ、東京三多摩地域で過労死救済の旗をかかげ、一九八九年に結成された八王子労連とともに初めて取り組んだ過労死認定闘争であった。監督署だけで三年間、立証と運動に力をつくした。業務外決定を受けても遺族が支援者について「人間はこうあるべきだと教えられた」と感想をもらすほどの献身的な取組で、地域の過労死救済の運動と私の労働弁護士としての基礎をつくった事件であった。
この経過は、一九九八年五月集会の新人学習会で、弁護士になりたての頃に奮闘しながら負けた事件の例として報告したので、一層感慨が深い(詳細は団報一五四号参照)。
当時の私の新入団員へのメッセージのひとつは「勝つとわかっている事件は少ない、当事者への共感があれば困難な事件にこそチャレンジを」というものであった。過労自殺や企業再編リストラなど私自身の抱える最近の課題について、初心が思い起こされる勝利である。
(弁護団は玉木一成、中野直樹、中川重徳各弁護士)
千葉支部 高 橋 高 子
一 二〇〇二年七月、さいたま地方裁判所で配偶者暴力に関する保護命令申立事件につき、 接近禁止の保護命令の決定がなされました。
二 申立人(妻)は、相手方(夫)と結婚して以来、約一〇年間 、暴力を振るわれていました。暴力の内容は、殴る、蹴る、突き倒す、たたきつける、髪の毛を引っ張る、首を絞める、一晩中寝かせない、長時間正座させる、熱湯をかける、家から外に放り出す、一晩中家に入れない、水シャワーを浴びせる、器具を使用して身体を刺すなどのほかに、活字にできないような肉体的暴力があり、まさに犯罪です。
また、肉体的暴力のほかに、侮蔑的、差別的発言は、日常的にありました。
申立人は、暴力により、肋骨々折等の傷害を受けましたが、その都度、医師の治療を受けたわけではありません。諸々の理由から、治療のための通院ができなかったことが多くありました。それでも、診断書等は、書証として七通提出しました。
三 申立人が暴力から逃げられなかったのには、いくつかの理由がありますが、保護命令の申立てにいたるまでに、行政、警察、婦人相談センター、民間シェルター等の支援やアドバイスがありました。「家を出ること」のアドバイスを受けて、申立人は家を出ることを実行しましたが、相手方は、直ちに「捜索願い」を出しました。
申立人は避難先(居所)を相手方に知られることに恐怖と危険を感じていましたので、保護命令の申立てをするとともに、審尋期日は申立人と相手方とが同席することを避けて、別々の日時に指定されるよう要望しました。
裁判所も当事者が家庭内にとどまらず、裁判所の法廷等で暴行事件や危険な事態を発生させるような危険性があるかどうかについては、必要な準備、調査をされるとのことでした。本件は、別期日にそれぞれ審尋がなされて、保護命令が決定されました。
捜索願の取扱について、警察庁は「加害者である被害者の配偶者から捜索願が提出される段階で配偶者からの暴力を理由として家を出ている事実を把握している場合には、捜索願を受理しないこととし、捜索願を受理した後に、当該捜索願が加害者である被害者の配偶者から出されたものであることが判明した場合は、被害者の意思に従い、その生存のみを連絡するなど、被害者の立場に立って、適切な措置を講ずることとした」としています(二〇〇一年七月二三日通達)。
四 保護命令申立にあたり、被害者の安全を確保すること、秘密を守ることには、留意すべきと思います。申立人は、相手方から暴行を受けた状況、更なる配偶者からの暴力により生命又は身体に重大な危害を受けるおそれが大きいと認めるに足りる事情等について、詳細な陳述書を作成しました。
しかし、注意しなければいけないのは、当事者には、記録の閲覧、謄写請求権があることです。なによりも、現在の避難先(居所)を知られないようにしなければなりません。
住民票の異動も避難中はしないことです。申立書、書証などは相手方がその内容を知り得ます。住所(居所)など知られることは、申立人は、もっともおそれます。
また、申立人を支援する人々に、何らかの不利益が及ばないように配慮することも必要です。
私に、決定謄本が届く前日に、千葉県警から、「申立人の安全、警備については充分に配慮するので、緊急な事態など発生したばあいは、すぐに連絡するように」、との電話連絡がありましたが、現在までのところ、申立人は、民間シェルターや、そこでの献身的なボランティアに支えられて、自立した生活をはじめています。千葉県では、千葉県女性サポートセンター(配偶者暴力相談支援センター)や、各市の女性センター、民間シェルター、婦人相談員等が、被害者女性を支援するためのとりくみを積極的にしています。
五 配偶者からの暴力の防止及び被害者の保護に関する法律の前文は、配偶者からの暴力は、犯罪となる行為であるとともに個人の尊厳を害し、男女平等の実現の妨げとなっていることを、明らかにしています。前文の基本理念が実現されるよう、附則三条の「三年後の検討」も踏まえて、今後も保護命令について考えたいと思います。
岡山支部 浦 部 信 児
国鉄分割民営阻止に熱い関心を寄せるうち、主権と人権の対立という問題を意識せざるをえなかった。政策問題としては、いかに経営分析を深め交通の公共性を強調しようと、多数決主義と民意(受益感の肥大)(さらにはマスコミのせん動的役割)という大流のような現実の前には無力を予感しないわけにはゆかなかった。
しかし、もう一つの側面として人権問題がある。国労弾圧は必至と予測された。参院特別決議は弾圧立法例に徴して拘束力欠如ゆえに却って組合間差別の放任・安全を保障しかねない。団結権侵害は絶対に座視することは許されない。数や力や主権的意志は人権侵襲の正体でこそあれ、正当化事由たりえないことはいうまでもない。徹底的抵抗の拠点は団結権にある。-------
果せるかな、差別と弾圧は凄惨を極めた。ゲリラ的に臨んだ悉くの人活現場では、これが白昼の現実かと我眼を疑い、息を呑む衝撃を受けた(屡々管理者・職制から住居侵入で告訴すると脅された)。正しくドストエフスキイ的暗黒、ナチ強制収容所内の拷問的労働、人間の狡智と邪意を振り絞った極点、奸計・野蛮・残忍、労働常識の破壊、人間の尊厳の根底的否定、----連想はとどまらない。
方々で誰彼となく訴えようと訴えた。肝心の国労は厳選主義を方針とした。攻撃の深刻さを想うと忍耐には限度がある。先細りが懸念される。これこそ敵の策略。やられたらやり返そう。乱訴覚悟で総抵抗しよう。
配転停止仮処分、公労法上の救済申立、解雇無効確認訴訟の果てに、人材活用センターの設置・運用を不法行為ととらえた損害賠償請求を提訴した。
系統別各現場の実態を丹念に暴いた。焦点は次々と正当化する証言をいかに弾劾するか。延々審理を重ねることも目途のうちだ。根源に迫れば少なくともやり放題の不当労働行為に対して牽制・抑止効を期待できると。一審勝訴。
しかし,敵は萎縮しなかった。懐疑が兆す。戦術的判断の甘さもさることながら、いわば国民性を。何かの目的、或る状況が人間を変えるのか。人間は或る条件下では変わるのか。
戦中体験としての他民族、「非国民」に対する差別と残虐は聖戦の迷妄として清算されたのではなかったか。そうではなくて、国鉄「改革」を信奉した職員層にとっては、抵抗勢力は「国賊」「非国民」と映り、彼らを排撃することに使命感を抱き、本心からの暗い情熱を燃やしたのではないか。
問題の発端は政治的争点を巡る認識にあるとしても、決断・態度決定・実践の過程を通じて良心・モラル・理性的自制心は当然に一貫しなければならない。目的と手段とのバランスについても同様である。ところが目的に過剰な使命感を焚き付けられた場合、戦術的考慮が突出する。統率下の部下は人格を失った物(将棋の駒)と化す。主体的個性を失わない者には恫喝・懐柔する。反対者は排除する。眼を剥く思いで対決した一群の管理職・職制証人の例外のない斉一性。
彼らも有能な職業人であったにちがいない。あの加虐的管理と労働能力(それに市民・家庭人)とが同一人格のなかに共存しうるというのもどう説明されえようか。
地労委への申立件数は岡山地本が全国水準を超えて多いのをぼやかれた。棄却はなかったが和解例はある。弁護に無我夢中で職場に眼が届くことはなかった。
余事ながら、今でも出張や旅行の時、親しく声を掛けられ王侯貴族も味わえぬ歓待を受けたりする。手弁当弁護の報酬は人生の感激、生きる励ましとして尽きない。
担当事務局次長 齋 藤 園 生
七月二三日昼休み、霞ヶ関で「有事三法案の廃案を」を一致点に、デモをしました。日民協、青法協弁学合同部会、自由法曹団、国法協、社文センターの法律家団体や、国公労連等の労働組合、合計一四団体が共催しました。
ことの始まりは、有事法案も「継続審議確実」と一般紙では報道され、何となく安心ムードが流れはじめたため、このままではいけない!と日民協と団が相談して、目立って且つ簡単にできるということで、計画したものです。しかし、なんといっても安心モードに入っちゃってるしなあ、しかもくそ暑い日中だからなあ、本当にできるのかしらと不安はつきませんでした。
ところが、ふたを開けてみると、総勢約三〇〇人(赤旗報道では二〇〇人とでましたが、何かの間違いです。もっと多かった)。日民協作成の「有事法案反対」うちわを片手に、炎天下をデモ。齊藤一好先生、内田雅敏先生、海渡雄一先生、庭山英雄先生ら多彩な顔ぶれがデモの先頭に立ちました。ちょうど宗教者・二〇労組も国会前で集会をし、その向こうでは健保法改悪反対の座り込みがあり、国会前は悪法成立反対の熱気が満ちていました。ただでさえ暑いのに、本当に熱い。
デモ後は国会内で集会。民主・佐々木秀典、共産・木島日出夫、川田悦子の各議員から国会報告をしていただきました。特別委員会は久間議員がキーパーソンで、秋の民主党党首選、内閣改造などの動きの中で、着々と修正・成立の算段をしているとのことでした。最後は、特別委員会の主だったメンバーに廃案を要請に回りました。
さて、その後国会最終盤で有事三法案の継続審議が決まりました。熱いたたかいは秋まで続きます。
担当事務局次長 井 上 洋 子
国際問題委員会では、昨年に引き続きアメリカロースクール調査を計画しています。
1 調査の視点
日本でもロースクール制度が現実的なものになりつつあります。団が今後ロースクール学生とどのような関わりをもっていくのか、ということは団の将来問題を語る上での重要テーマの一つになっています。今年の調査はこのような観点から、アメリカの民衆の弁護士集団であるNLG(ナショナルロイヤーズギルド)が、ロースクールの学生とどのような関わりをもち、NLG学生支部はどのような活動をしているのか、ロースクールでの教科単位であるエクスターンシップ(スクール外での実務研修制度)は実際にどのように行われているのか、ロースクールの教員とNLGとの連携など、を調査する予定です。
2 NLG総会
また、NLGは今年はカリフォルニア州パサデナで総会を開きますので、その一部にも参加し懇親と連携を深める予定です。NLGの分科会のテーマには、「警察改革」「石油依存からの脱却」「テロリストとの戦争・悪の枢軸問題」(以上一八日)、「新自由主義的経済政策に対抗し脱却するための労働運動」「歴史的不正義に対する救済・補償」(以上一九日)などが予定されており、興味深いものとなっています。(詳細はインターネットでNLGのホームページを開いて見て下さい。http://www.nlg.org)
3 調査日程
主な日程は以下の通りです。全七日間です。
10月13日(日) 日本を出発し、カリフォルニア州サンフランシスコへ
14日(月)、15日(火) サンフランシスコでロースクール調査
16日(水) サンフランシスコから空路ロサンゼルスへ。ロサンゼルスからパサデナまで陸路で移動。
17日(木)、18日(金)、19日(土)午前 NLGパサデナ総会に参加
19日(土)午後 日本への帰途につく
20日(日)日本到着
4 宿泊はサンフランシスコとパサデナの二カ所の予定です。ロサンゼルスからパサデナまでは近距離で車で約一五分ですのでロサンゼルスも楽しめると思います。パサデナはサンガブリエル山脈の裾野にある古い高級住宅街でノートン・サイモン美術館、カリフォルニア工科大学、ハンティントンライブラリーなどがある文化の香り高い静かな街です。調査の合間や移動日などを利用して、観光も十分できます。
費用は未定ですが、なるべく安くすませたいと思っています。
5 参加申し込み
参加申し込みは、団本部までお願いします。申し込みの締切は九月一〇日です。
ぜひご参加下さい。
東京支部 赤 沼 康 弘
私は今年三月末をもって三多摩法律事務所を退所し、四月から同じ立川で個人事務所を開きました。するとさっそく、中野事務局長から個人団員となった感想を書けという要請がきましたが、ハンセン国賠東日本弁護団の事務局長を続ける関係で事務局事務所も私の事務所に移転したため、活動内容にはほとんど変わりがありません。また今年は東弁の高齢者・障害者の権利に関する特別委員会の委員長になったため(実は二年間断り続けていたのですが)、その関係で会務の負担も大きく、忙しさもこれまでどおりです。したがってとりたてて書くこともなしというところです。ただ、個人事務所で事務局事務所を引き受け、さらに東弁委員会の委員長になってしまったこともあって、市民問題委員会の委員長は退任させていただくことになりました。既に八年も委員長をやってきましたから時期的にももう代わってもよいはずと思っています。あとは同期の鈴木修さんが引き受けてくれましたので安心して退任できます。
私が市民問題委員会の委員長になったのは、九四年の秋でした。「ここのところ大きい課題はないから」という鶴見先生の勧誘にのって返事をしてしまったのですが、翌九五年の一月一七日に阪神淡路大震災が発生し、市民問題委員会は大変大きな課題をかかえることになりました。震災直後あのガレキのなかを何度も歩いたのをつい昨日のことのように記憶しています。対策本部をつくって対応し(石川団長が本部長)、最初は毎週のように神戸に通うことになりました。またアメリカロサンゼルス、サンフランシスコ二大地震の被災者支援対策を調査するためアメリカにもわたり、大きな成果を上げることができました。被災者支援立法をつくらせるということで、国会要請活動もしばしば行い、約二年間はあちこち飛び回ることになりました。
その後、定期借家制度創設にともなう借地借家法「改正」、住宅公団の民営化、全国的な消費税仕入税額控除否認裁判の発生、住民基本台帳ネットワークシステム導入問題などが課題となりました。住民基本台帳ネットについては、相当後になってようやくマスコミも問題に気がついたようですが、当時はマスコミで取り上げられることもほとんどなく、残念ながら大きな反対運動を組むこともできませんでした。その他、常時、住宅問題、税金裁判などの課題が山積しており、多種多様な問題をかかえ、息つく暇もない状況でした。
しかし、本当に勉強になりました。私の団員としての活動のほとんどが市民問題委員会のものでした。委員長を退任することになっても、今後とも市民問題委員会には参加していきたいと考えています。ただ、まだまだハンセン事務局の仕事が続くので(ハンセン問題はまだまだ終わっていません。恒久対策に加えて、遺族による提訴を継続中で、その遺族の合計は東日本だけでも一〇〇〇名程度になりそうなのです)、しばらくは少し時間をいただきたいと思っています。
事務局次長 大 川 原 栄
日本国民救援会第五一回全国大会が、七月二七日から二九日まで宮城県仙台市(秋保温泉)にて開催されました。全国から代議員その他役員を含め約四〇〇名の参加があり、三日間活発な議論が行われました。救援会は、一九二八年に創立され、戦前は弾圧に抗してたたかい、戦後は人権と民主主義を守る運動をすすめてきた団体であり、本大会は二一世紀最初の全国大会です。救援会は全国に約四〇〇の支部と約五万名の会員を有する全国団体であり、団とは極めて近しい関係にある団体です。
大会初日の冒頭、来賓のトップで宇賀神直団長が自由法曹団を代表して挨拶をしました。団長はその中で、団が昨年八〇周年を迎えたこと、団と救援会が歴史的にも共通の目標の下に共闘してきたこと、近時においても司法改革、有事法制阻止のたたかいにおいて共闘したことに触れて連帯の意思を表明しました。有事法制については、その成立を断念させたが、戦前における治安維持法、講和条約当時の弾圧、ベトナム反戦運動への弾圧が行われた歴史と最近の東京都「迷惑防止」条例等が提案されている状況から、有事法制下における言論や運動への弾圧の準備が行われていることに強く警戒する必要があると強調しました。司法改革については、今よりはよくなる可能性がある問題、全く空白の問題、敗訴者負担問題等国民の権利に反する問題等を分けて考える必要があるが、敗訴者負担については裁判闘争を根本から覆す可能性があることから絶対阻止する必要があると強調しました。そして、大衆的裁判闘争に触れ、当事者と弁護団との関係においては率直な討論・徹底的議論が不可欠であること、それが司法民主化に役立つと述べました(団長の栃木なまりの大阪弁を聞き取れない参加者もいたようですが、全体としての趣旨は伝わったようで、盛大な拍手を受けていました)。
大会においては、@救援運動をめぐる情勢、A救援会の運動(憲法と民主主義を守り発展させるたたかい、裁判勝利をめざすたたかい等)、B組織・財政の拡大強化等の各議題について活発な討議が行われました。また、事件参加者は七〇事件を超え(ちなみに個別事件の要請決議は約九〇件)、発言通告も一一〇件を超えるという盛況ぶりでした。
私が参加確認ができた団員は、宇賀神直団長(来賓)、内藤功(本部副会長)、庄司捷彦(宮城県会長)、佐藤欣哉(山形県会長)、中田直人(茨城県会長)、桜井和人(埼玉県会長)、大川原栄(中央常任委員)の七名でした。
救援会といえば弾圧・冤罪・再審事件という印象があります。しかし、弾圧・再審事件の数はそれぞれ数件という状況であり、現在は冤罪事件、労働事件、警察監視活動がその活動の中心になっています。労働事件については、地方労働団体が十分に支援しきれない争議について積極的に支援しており、現在の救援会は人権救済の「駆け込み寺」という役割を担っていると感じました。全国四七都道府県全てに本部を有し、警察に対する監視活動も継続しているスタイルは本当に頼もしい限りです。
とにかく、事件参加者の熱意はすごいものがあります。裁判に勝つためには当然のことかもしれませんが、この熱意は当事者との打ち合わせ等では伝わりにくいものです。個別の団員は事件弁護を通じて救援会活動にかかわっていますが、事件当事者の熱意によって支えられている救援会活動の理解ということについてはまだまだ不十分だと思います。毎年四月に開催される「裁判勝利をめざす全国交流集会」(団と全労連、救援会が主催)は、救援会活動を知る絶好の機会です。多くの団員が、可能な限り、この「交流集会」へ積極的に参加し、事件当事者の熱意を汲み取る中で救援会との共闘関係を発展させる必要があると実感しました。
東京支部 木 村 晋 介
私が一月二一日付の本通信に提起した問題について、唯一大久保賢一氏から「木村晋介さんへの返書」なる文書が団通信一〇四八(二月二一日)号に掲載された。私の提起した問題は@「自衛隊の実質的合憲性を承認する大多数の国民と協働が可能な平和運動の再構築をめざした平和基本法の提言(「世界」九三年四月号)や、これを指示する私の発言に対して、同氏を始めとしてあれほど苛烈な批難を加えた団員諸氏(例えば鷲見賢一郎氏の本通信九四年五月一日号での発言など)が、日本共産党の自衛隊実質的合憲論の表明に対して全く沈黙を守っているのはおかしいのではないか」ということ、A「日本の主要政党の中に自衛隊を実質違憲とする勢力が皆無となった段階で、平和基本法の提言の再評価が必要なのではないか」という二点であった。
大久保氏の返書は全く残念ながら、私の提起した問題に一言も答えないばかりか、私が今日の情勢の中で大久保氏に論争を仕掛けること自体が不当だ、というものだった。親しい友人であると思うからこそ辛口で申し上げるのだが、日本共産党という大政党が自衛隊実質違憲論を取っているときには虎の威を借りて他人をあれだけののしっておきながら、その風向きが変わったら今度は「自分に論争を仕掛けるな」というのは身勝手といわれてしかるべき態度だと思う。大久保氏・鷲見氏はぜひとも真正面から私の問いに答えるべきである。なぜ木村や田島泰彦、古関彰一、前田哲男が言えば「憲法の平和主義を骨抜きにする議論」なのに、同じことを日本共産党が言えばそうではないのかを。現段階において貴兄らが平和基本法の提言に対してどのような評価をしているのかを。
もう一つ、大久保氏の返書の中に「木村に期待したいのは、非軍事平和主義の限界をあれこれと指摘するだけでなく、その実効性をどのように確保するかという方向で問題提起することである」と書かれていることに反論しておきたい。私が今まで発言してきたことは決して非軍事平和主義の限界をあれこれ指摘することにあったのではない。私の目的は非軍事平和主義者の一部に存在する偏狭性を批判することにあったのである。このことを私は本通信に繰り返し繰り返し記している。私は非軍事平和主義の立場に立つ人が存在することの意義を否定したことは一度もない。むしろそういう人々の運動にも私なりの協力を惜しまなかったつもりであるし、現にそうした運動を進める人々に対する敬意を明言してきている。そのことは私の一連の発言を読んでいただければ大久保氏らの能力をしてわからないはずは絶対にないはずである。ところがこれに反して、非軍事平和主義の立場に立つ人の一部には、軍事的プレゼンスの必要性を認める人も認めない人も共に取り組みうる課題が山ほどあるにもかかわらず、非軍事平和主義の立場に立たない平和活動家に対して「敗北者、現実への追随者、屈服者、転落者」などと決めつける勢力が強固に存在し、平和運動の前進を現実に阻害しているのである。大久保氏らと日本共産党は、そうした勢力の代表者であったはずである。私はそのことを一連の発言の中で明らかにし、討論の中でそうした阻害要因をなくしていきたいと企図していたし、今もそう思って発言しているのである。決して私は、そういう人格的誹謗を行った人に本通信を借りて復讐をしようとしているわけではない。
そのことは、私の発言を冷静に、客観的に読んでいただければ、十分おわかりいただけるものと思う(過去の論争経過について資料を希望される方は当事務所までFAXを)。次回にはカンボジアPKO論争について振り返りたい。
担当事務局次長 伊 藤 和 子
暑い毎日が続きますが、司法制度改革推進本部の立法化は国民とは関係なく着々と進められようとしています。
1 「裁判員制度・刑事」検討会では、六月一一日の会議で裁判員制度に関する論議をスタートさせましたが、「裁判官三、裁判員二が望ましい」「コンパクトな合議体」にしよう、という国民参加を抑制する意見が相当強力に主張されており、国民の声をつきつけない限りとんでもない事態になりかねません。
九月に予定されているヒアリング対象者は法曹三者、警察、被害者、経営者、労働団体(連合)に限られ、さらなるヒアリングや公聴会は予定されていません(なお、大出検討委員が「冤罪被害者をヒアリング対象とすべきだ」と強く提案したのに反対が多く否決されたそうです)。未だに検討会の論議は非顕名のままです。国民参加制度の論議を、国民に情報を十分提供せず、国民の声を聞く耳を持たないで進めようとする検討会の姿勢は極めて重大です。
さすがにこれでは国民の理解が得られないと思ったのか、推進本部は「八月一日から一〇月三一日まで、国民に裁判員・刑事に関する意見募集をする」と決めました。現在の形勢を逆転するには圧倒的な国民の声・世論を推進本部に集中させるしかありません。逆にこの意見募集に国民の声が集まらなければ、推進本部は国民軽視の態度を改めないまま立法を進めることでしょう。
是非この機会に全国からメールを集中させましょう。団員、そして周りの国民に呼びかけ、「裁判員の人数を圧倒的に多くすべき」「直接主義・口頭主義の徹底が不可欠」「人質司法・自白強要の刑事司法改革を転換すべき」等の意見を推進本部にメールでぶつけてください。
2 推進本部は行政訴訟改革に関しても七月一日から八月二三日まで「行政訴訟制度の見直しについてのご意見募集について」なる意見募集を始めました。「入り口」(「処分性」「原告適格」等で国民の訴えを抑制する手続法)から「出口」(相次ぐ権力を免罪する不当な判決)に至るまで、現在の司法は行政に対するチェック機能を発揮しているとは到底いいがたい状況です。しかし、今回は改革を行なわず、一応検討会で議論させ「ガス抜き」に終わらせるのではないか、という危惧が広がっています。是非こちらの意見募集にも国民の声を集中させましょう。締め切りが間近ですので、早急に意見募集に応じてください。
特に、住民訴訟、情報公開、オンブズマン、国・行政を相手とする公害、薬害訴訟等、多数の経験を蓄積された団員からの問題提起を是非よろしくお願いいたします。
応募要領は以下のとおりです。
○ 裁判員制度・刑事司法に関する意見募集
【締切り】二〇〇二年一〇月三一日(木)一七時
【送付要領】郵送の場合は、以下の宛先に送付してください
〒100-0014 東京都千代田区永田町1-11-39 永田町合同庁舎三階
司法制度改革推進本部事務局 行政訴訟担当あて
メールの場合は、推進本部HPにアクセスして意見募集にクリックし、メールしてください。
○ 行政訴訟の見直しに関する意見募集
【締切り】 平成一四年八月二三日(金)一七時
【送付要領】郵送の場合は、以下の宛先に送付してください
〒100-0014 東京都千代田区永田町1-11-39 永田町合同庁舎三階
司法制度改革推進本部事務局 行政訴訟担当あて
メールの場合は裁判員・刑事と同じ
東京支部 鶴 見 祐 策
東京大気公害裁判(第一次原告)の判決日が一〇月二九日に決まった。いま、原告・弁護団、支援団体が、これまでの大気汚染公害裁判の総決算と位置づけ、画期的な勝利を目指して最後のツメの運動に取り組んでいる。西淀川、川崎、尼崎、名古屋と続いた被害救済と責任追及の成果をふまえ、幹線道路に起因する大気汚染、とりわけ自動車排気ガスによる健康被害に焦点を合わせた東京裁判では、大気汚染の元凶ディーゼル車を製造販売している各自動車メーカーの法的責任を明確にし、その完全な補償をなさしめ、未認定の公害病患者を含む完全救済の制度確立の展望をひらく判決が求められている。まさに大気汚染公害裁判の掉尾を飾るにふさわしい勝利でなければならない。
この重要な時期に、現幹事長の篠原義仁さんが、大気汚染公害裁判の闘いの歴史と到達点、さらに今後の運動の方向性を明らかにする表記の著作を上梓されたことは、極めて大きな意義をもつものである。篠原弁護士は、長年にわたり多くの公害裁判闘争にかかわり、全国公害弁護団連絡会の中心メンバーの一人として先駆的で指導的な役割を担ってこられた。このことは周知のとおりである。その豊富な経験と正確な情勢分析力には、いつも敬服させられている。総じて辛口ながら常に展望を忘れない闊達な弁舌にも定評のあるところだが、この本では、高度経済成長政策のもと深刻化する国民の健康被害、大衆運動の高揚と産業界の巻き返し、これに迎合する政党と環境行政の後退、そのなかで公害裁判がたどってきた前進と逆流などが、わかりやすく語られ、そのなかで著者の公害根絶と被害者救済に寄せる熱い願いが伝わってくる。この本の固有の魅力はそこにあると思う。東京大気裁判の一端を担う者としては強い共感を覚えざるを得ない。そして励まされる。
七七年ごろに始まる財界の「公害防止よりも産業優先」のキャンペーンと、この意向を受けた福田内閣(環境庁長官石原慎太郎)、七八年のNO2環境基準の緩和、八七年の中曽根内閣による公害健康被害補償法の指定地域の解除など、この間、環境行政の甚だしい後退(逆行)と被害者切り捨ての施策が強引に進められるのであるが、経団連の露骨な干渉、環境庁の癒着、財界の政治献金で培養された政治勢力(自民、民社)など、この間いかに彼らによる醜悪で欺瞞に満ちた策動が行われたことか、その顛末の全容がリアルに語られている。今につながる怒りの原点はここにあると思う。私自身もこの経緯を図書館で新聞の縮刷版を拾いながら懸命に辿ったことがあるが、その簡潔ながら遺漏のない正確な叙述には感心してしまった。
最も教えられる部分は、やはり著者が心血を注いだ川崎公害裁判の経過であろう。訴訟提起に先だって裁判の位置づけと目標を明確にする学習会が重ねられたという。それが原告団、弁護団のゆるぎない団結の基礎となったに違いない。そして勝利判決と和解の後の環境再生と街造りに取り組みつつある今日の活動につながっていくのであろう。「和解」は「新しいたたかいの出発点」であり「住民の参加が権利として保障され、住民の意見と要求が対等平等の場で、正しく加害者・行政に反映されない限り、公害環境問題の本質的解決はありえない」との記述は味読に値する。
とりわけ判決日を迎える東京大気裁判の立場からすれば、判決当日に間髪をいれず、かつねばり強く各所で展開された公害企業と行政機関に対する大衆交渉のくだりには最も目を奪われざるを得ない。何を目標として、どう運動を組織するか、改めて学ぶべきものが多い。ここにも大衆的な裁判闘争を目指す団の伝統的な作風が活かされているように思う。
公害裁判闘争はもとより、各種の裁判や大衆運動に携わる団員にとって有益な著作として広く購読され活用されることを望んでやまない。なお団通信一〇六一号にも宇賀神団長の的確な感想文が寄せられている。
(新日本出版社〔電話03・3423・8402〕発行・頒価一七〇〇円)