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篠原 義仁 有事法制阻止! 岡山団総会に結集しましょう
山崎 博幸 岡山総会で英気と団結を ―日本のエーゲ海にようこそ―
清水 善朗 岡山支部特集 その3 過労死問題への取り組み(岡山県)
中野 直樹 秋の活動にむけて五月集会記録の活用を
大久保賢一 木村晋介さんへの返書(2)
黒澤 計男 教育基本法「改正」意見書と執行


有事法制阻止!
岡山団総会に結集しましょう


幹事長  篠 原 義 仁

 五月集会が終了したと思ったら、息つくひまもなく、あっという間に一〇月の岡山団総会を迎えるところとなりました。

一.団は、年始めから有事法制反対の運動に取り組み、必死になって各地、各支部でたたかってきました。そのせいでしょうか、ことさらこの間のことが短く感じられます。
 さて、希代の悪法、憲法と平和と民主主義に挑戦する有事法制制定の策動は、思想・信条をこえた国民の大運動と国会での論戦の結果、延長国会内での成立をくい止めることができました。しかし、「火種を残さず廃案に」という国民要求に反し、国会はこれを継続審議とし、夏休みを隔てた秋以降の課題として私たちに再びこれを突きつけました。日米安保条約下でのアメリカの要求とアメリカの戦略に基づく有事法制の動きは、小泉内閣のタカ派的姿勢とあいまって、緊張感をもった持続的な国民的大運動を要求しています。
 今国会では反対にまわった民主党がその党首選を経てひきつづき反対の姿勢を維持するのか、それとも政府、与党の修正提案にのり、「修正」有事法制の制定に動くのかは予断を許さず、憲法理念に従った国民的大運動の強化がますます重要となっています。
 ちなみに、政府は今秋開催予定の臨時国会対策として、「法成立後二年以内に整備するとして先送りした国民保護など五つの法制」について、関係省庁を横断した作業チーム(@国民の保護A自衛隊の行動の円滑化B米軍の行動の円滑化C捕虜の取り扱いD武力紛争時における非人道行為の処罰)を設置し、政府内部の態勢の立て直しに着手しました。その後この五分野は小泉首相の意向を入れてEテロ対策F不審船対策の二分野が追加され七分野の検討として進行しています。
 「修正」も許さず、有事法制を根っこからくい止め、阻止する課題はますます重要となっており、この夏に英知を結集してたたかう側の方針と態勢を確立し、九月以降直ちに取り組みを開始することは緊要な課題となっています。一〇月団総会は、臨時国会が緊迫するであろう時期と重なり、ここでの討議がきわめて重要となり、同時に今年の前半期の反対運動の到達点を総括し、その総括のうえに立った九月、一〇月の実践活動の経験を交流し、「有事法制阻止」を合言葉に実りある討議を行うことが期待されています。

二.憲法と教育の課題もひきつづき重要となっています。
 衆参両院での憲法調査会の議論は、民主党の中間報告(昨年一二月)の公表以降勢いを増し、今秋の憲法調査会としての「中間報告」の作成を狙って進行しています。教育「改革」の点でも、憲法理念に反する教育基本法の見直し作業が進行しています。
 団は、五月の各地の憲法企画でその中核を担って憲法擁護のたたかいに取り組み、地方公聴会の開催にあたっても、地域の諸団体と連携しての公聴会への参加、公述、これへのカウンター企画、宣伝行動を組織し奮闘してきました。教育問題でも昨年一月に対策本部を立ちあげ、関係諸団体と交流を深めつつ、本年七月末には教育基本法「改正」問題の意見書を公表し、八月八日には文部科学省への申入行動を実施しました。
 憲法、教育の分野でも熱いたたかいがつづいています。
 団は、司法改革の課題でもひきつづきこれを重視し、年明け早々から団外からの報告者を交えての徹底討論を組織し、五月集会での討論をふまえて、労働裁判と裁判員制度に関し、その制度設計を提案し、団としての対案作りを行いました。そして今、官僚的裁判官制度にメスを入れる検討を進め、近々のうちにもそのための制度改善の意見を集約する予定となっています。

三.団は、近時における団員拡大の傾向を分析し、司法試験と司法修習制度の改変、ロースクール問題をみすえて、事前の準備的討議を経て、五月集会、七月名古屋常幹と結合して団の将来を考え、団の組織強化、発展をいかに行ってゆくかに焦点をあてた企画を持つに至りました。修習生三〇〇〇人時代、ロースクールの展開のなかで団の将来像をどう見据え、団の組織強化のあり方をどういう方向に求めるのか、今ほど集中した討議が求められている時期はありません。「団の将来委員会」(仮称)の立ちあげとともに団内討議を深めてゆく必要があります。

四.こうしたもろもろの課題をかかえ、臨時国会の動向をみすえながら二〇〇二年団総会が岡山で開催されます。
 この地を基礎にたたかわれた豊島・産廃の闘い、岡山ハンセンの闘いに学ぶ企画を並行的に実施しつつ、団として、今何をすべきかの緊急の課題とともに中期的展望にたった団の将来についても語り合う、この岡山総会に、是非、各地の知恵と実践をもち寄り集結しようではありませんか。
 岡山支部の団員とともに皆さんのご参集を呼びかける次第です。




岡山総会で英気と団結を

―日本のエーゲ海にようこそ―


岡山支部支部長  山 崎 博 幸

 夏から秋へ「ひと汗かき、うまいビールを」とは四位(有事法制阻止闘争本部長)団員の訴えであり、宇賀神団長はひたすら「心身ともにリフレッシュ」を強調されています(団通信一〇六三、一〇六五)。それなら岡山が一番。岡山におまかせ下さい。
 総会は岡山の県南、わが国最初の国立公園指定を受けた「瀬戸内海」に面した地で開催されます。とりわけ宿泊場所のホテルは、「鷲羽山」という景勝地にあり、瀬戸内の多島美と瀬戸大橋が一望できる素晴らしい眺めを誇ります。世界を見渡してもこれほど島と海の美しい所は、エーゲ海と鷲羽山の二カ所しかないと言われています。
 また古くは「水軍」が活躍した地域でもありますが、この地域を支配していた「塩飽(しあく)水軍」はどの藩にも属さず、固有の自治権と文化を持っていました。水軍といえば海賊を連想しますが、いまの自衛隊よりはるかに規律正しく、一定の代議制の下で、高度な文化圏を形成していた集団であったことが歴史的に解明されています。付近一帯に歴史のロマンが漂います。
 食べ物の案内となると、とてもこの紙数では足りない。岡山といえば果物王国。かつては量で日本一、いまでは質で日本一。マスカット、ピオーネ、白桃、梨、柿。米は遺伝子的にコシヒカリの母親である「朝日米」。名水百選でつくる名酒、それに極めつきの瀬戸内の魚、等々。
 これだけ説明して来なければ団員ではない。とまでは言いませんが、ぜひとも多数の御参加をお待ちいたします。ハンセン病施設がある長島への半日旅行、豊島、直島への一泊旅行など、ユニークな企画も用意しました。岡山総会で心身ともにリフレッシュし、秋の闘いのまっただ中、大いに団結を固めようではありませんか。




岡山支部特集 その3

過労死問題への取り組み(岡山県)


岡山支部  清 水 善 朗

1 取り組みの概要
 過労死一一〇番が全国展開されるようになった一九八九年六月岡山で初めて過労死一一〇番を実施したところ、予想を超える二一件もの電話があった。これは大変と、岡山弁護士会会員有志による過労死研究会を発足させ、対応できる態勢をつくった。これが岡山での「過労死問題」と銘打っての取り組みの第一歩となった。
 もっとも、後に紹介するようにその時既に達野団員・石田団員は、倉敷市職員の心筋梗塞死事件への取り組みを始めていた。
 弁護士の動きが先行したが、機を同じくして労働組合や医療従事者も意識的な活動を始めた。それまで、じん肺・頚腕等それぞれの組合が関係する労災事件に取り組んできたが、「労災・職業病の根は同じ。健康に働くことのできる社会をめざそう」という認識に立って、一九九〇年「岡山労災職業病過労死連絡センター」を発足させた。
 さらに、過労死によって肉親を失った妻や母は、互いの苦しみを分かち合い、癒しあい、過労死が無くなる社会をめざす活動の場として、一九九五年「岡山過労死を考える家族の会」を立ち上げ、地道に活動を続けている。
 以下、私自身の中間総括も兼ねて、特徴的な事件については多少詳しく説明し、岡山県での過労死問題への取り組みを振り返ってみたい。

2 長いトンネル
 過労死一一〇番に相談が寄せられたうち労災申請を希望する事件について、過労死研究会メンバーに担当を割り当て、申請に向けての活動を開始することになった。事実関係を調査して労災申請することになるのだが、事実関係の調査は困難を極めた。労働実態を調査しようにも、遺族には労働の実態はよく分からない。使用者は労災ではないと協力してくれないし、同僚から話を聞くのにもその同僚に不利益があってはならないとの配慮から会社に内密にしなければならない。
 このような困難な状況の下で地道な調査を重ね、労災申請にこぎ着けても監督署の壁は厚かった。苦労して作成した被災者側の証拠を無視し使用者側の言い分だけに依拠する、基礎疾患が悪化してきた経過を見ようとしないで何らかの疾患があれば業務外とする等、理不尽な決定が続いた。被災者の中には、労働基準監督署の判断が出るまでにまいってしまい、業務外の決定が出た段階で断念する方もあり、頼りの夫を亡くし幼い子を抱えて経済的にも精神的にも大変な生活をしている被災者を支えられない無力さを思い知らされることもあった。
 裁判の場であれば、相手方からどのような証拠が出されているのか把握し、必要な反論や反証をすることができる。裁判官も監督署等よりは公正な判断をする。本来、労災(公務災害)制度は迅速な手続によって、被災者あるいは遺族を救済するための制度である。ところが、少なくとも過労死の分野においては救済を阻む大きな壁となっていることは疑いない。
 しかし、地道な闘いを続ける中で、徐々にではあるが成果も現れてきた。
 その一つは達野団員と石田団員が担当した倉敷市役所職員の心筋梗塞死の事件である。一九八四(昭和五九)年職場対抗のソフトボール大会で走塁後に心筋梗塞を発症し死亡したという事件である。地方公務員災害補償基金段階での三度の公務外判断にめげず処分の取消を求める訴えを提起し、一審では敗訴したものの二審の広島高裁岡山支部では逆転勝訴した。基金側は上告するとともに安西愈弁護士にも依頼して弁護団を拡張したが、一九九四年五月一六日最高裁でも勝訴した。岡山の被災者や過労死事件に携わる弁護士の励みになっただけでなく、全国的にも注目された。
 また、一九九〇年一月二四日広島県内の市民病院で働く二六歳の研修医が過労の末死亡した状態で発見されたというケースでは、地方公務員災害補償基金広島県支部は公務外としたものの、一九九七年六月六日同支部審査会は逆転認定の決定をした。学会発表準備のための自宅での作業を公務として認めさせるという画期的なものであった。被災者は婚約していて結婚式を間近に控えて死亡した。すでに婚約者は被災者の子を身籠もっていた。被災者の母親が孫のために亡父が生きていた証を残してやりたいという一心から申請したものだった。私は公務上認定を受けた後初めて婚約者と孫に会ったが、すでに小学生になっていた被災者の子と婚約者を前にして、過労死事件に関わってきた喜びを実感した。
 このような成果に被災者も弁護士も元気づけられ、結構果敢な闘いを挑むようになった。

3 使用者に対する損害賠償請求
 一九八六(昭和六一)年私立高校教諭が職務中脳出血を発症し死亡した事件について、高校を経営する学校法人に対して、損害の賠償を求める訴えを岡山地方裁判所に提起した。岡山労働基準監督署により業務上の認定がなされていたが、妻から損害賠償を求めたいと依頼されたものである。
 当時消防職員の過労死事件で勝訴した先例があったが、脳心臓疾患という労働以外の原因も競合する病気について、使用者の安全配慮義務違反とりわけ過失の壁を突破することは困難に思えた。しかし、労災認定は受けたもののどうしても使用者の責任を問いたい、過労死をなくすためには使用者の責任も問題にしなければならないという遺族の思いを貫くためにはやらなければならなかった。今では過労死事件について使用者に対する賠償請求をすることが普通になっているが、当時は過労死弁護団でも労災認定をめざす取り組みが中心で、未だ賠償請求の取り組みは本格化していなかったという状況に照らすと果敢な取り組みだったと思う。
 この事件で苦労したのは、労働実態と過労ー脳出血発症の因果関係の立証であった。労働基準監督署は労災と認定して因果関係を認めたものの、学校側は「労災認定は遺族のために学校側が努力した結果認められたものである。それほどの過重労働はなく、本態性高血圧等被災者の基礎疾患が原因だった」と因果関係を争った。労基署は因果関係に関する資料を持っているのだが、被災者側から求めても開示してくれない。不当なことだが、これが現実である。そこで、労働実態については同僚の教諭に証言してもらい、過労−脳出血発症の因果関係については脳出血発症前の通院カルテと発症後の入院カルテを提出するとともに、発症後主治医として手術などの治療を担当した脳外科医の証言によって立証した。
 一九九四年一二月二〇日岡山地裁は、過労と脳出血発症との因果関係を認定し、「健康管理に関する措置や体制の整備を漫然と怠っていた」として使用者の安全配慮義務違反も認める原告勝訴の判決を言い渡した。学校法人は控訴したが、一九九六年三月賠償金を支払わせる和解によって解決した。過労死において使用者に対する賠償請求を定着させる上で先駆的役割を果たしたものと自負している。この事件は、当初私一人で担当していたが大阪で過労死問題に取り組んでいた山本勝敏団員が故郷岡山に帰ってきたのを期に、共同で担当した。

4 川鉄過労自殺事件
 一九九一年六月川崎製鉄水島製鉄所の掛長(係長と同じ)であった夫を自殺によって失った渡辺滋美さんが相談に訪れた。同年七月のことだった。渡辺さんは、長時間の労働に従事していた夫が不眠・食欲減退などの不調を訴えるようになり、さらに温厚であった夫が異常に怒りっぽくなり、自殺してしまったという経過から夫の死を過労死と確信しており、当初から会社の法的責任を追及したいと訴えていた。登録四年目の駆け出し弁護士だった私は、徒手空拳で大企業に戦いを挑もうとしている渡辺さんに感心するとともに、大変な戦いに関わろうとしていることに身の引き締まる思いがしたことを思い出す。
 しかし、意気込みだけでは勝てない。しばらくの間、渡辺さんからの聴き取り、会社や労働組合の発行するニュースや夫の残したノートの分析に費やした。さらに、一九九三年七月証拠保全によって勤務時間、夫が会社に提出したレポート、夫が不調を覚えるようになってから通院した川鉄水島病院のカルテ等を入手した。その結果、夫は当時の川鉄の主力商品の発注から製造出荷までの生産工程の管理に従事していたこと、その商品は製造過程で歪みが生じることが多く増産要請に対応できなかったこと、他方で当該係では人員減と経験者の転出によって戦力不足に陥っていたことにより夫が責任者として苦慮していたことが分かってきた。
 このような資料をもとに、一九九四年六月倉敷労働基準監督署に労災申請をすると同時に、岡山地方裁判所倉敷支部に損害賠償を求める訴えを提起した。当時、過労死弁護団の会議で亡林豊太郎団員から飯島事件(労災認定)の困難な闘いの報告を聞いていた程度で、過労死弁護団でも自殺についてはあまり取り上げられていなかった。また、亡藤本正団員が電通事件(損害賠償)に取り組んでいたのであるが、一九九六年一〇月長崎で行われた過労死弁護団総会で報告されるまで知らなかった。
 労災申請と損害賠償訴訟の同時進行という方針をとったのは、公開で行われる裁判での証拠調べの結果(書証・人証)を労災手続に利用することによって労災手続の密室性を克服するためだった。労災手続では監督署の担当者がどのような資料を入手したのか、会社や同僚からどのような聴き取りをしたのか分からないし、反論のしようもないので、偏った資料によって判断されてしまう恐れがある。裁判での資料を労災手続に使えば、少なくとも判断資料としては良質なものを提供できると考えたからである。
 訴訟の進行に応じて、訴状準備書面等主張関係の書類、書証、証人尋問調書を労働基準監督署に提出する形で進め、証人尋問によって労働実態と夫の健康状態の推移が明らかになった段階で、岡山市にある林道倫精神医学研究所の南雲與志郎医師に全訴訟記録をもとに意見書を作成してもらい、裁判所と労働基準監督署に提出した。南雲医師の意見書は、記録を詳細に検討し、そのまま準備書面として使うことのできるほどの充実したものであった。
 しかし、労働基準監督署(労働省)は一九九七年一一月業務外の判断を行った。審査請求も棄却され、再審査請求することになった。
 一方、損害賠償では一九九八年二月二三日岡山地裁倉敷支部の浜本丈夫裁判官は原告勝訴の判決を言い渡した。もっとも、夫の性格(真面目で、責任感が強い反面自らを追い込む)等を理由に四割を減額した。当時、亡藤本正団員と頻繁に情報交換していて、藤本団員から「電通は減額ゼロにするから、川鉄も頑張れ」と励まされたことを思い出す。
 結局、労災事件は二〇〇〇年三月二三日労働保険審査会が逆転認定の決定を行い、同年一〇月広島高等裁判所岡山支部で全面勝利の和解をすることになるのだが、丁度審査会の逆転認定の翌日最高裁は電通事件について、被災者の性格などを理由に三割の減額をした東京高裁判決を破棄し差し戻す判決を言い渡し、電通事件は二〇〇〇年六月二三日全面勝利の和解で解決した。
 審査会での逆転認定、電通事件の最高裁判決と全面勝利和解という追い風にも助けられて、広島高裁岡山支部の和解勧告を受けて和解協議に入った。事前に一緒に担当した山本勝敏団員と渡辺さんとともに、川鉄側弁護士と協議を重ね、一〇月二日全面勝利和解に持ち込むことができた。この間、藤本団員を引き継いで電通事件を担当した川人博団員から貴重な情報を提供していただいた。
 二〇〇〇年一〇月二日の和解は一切の減額をさせないだけでなく、謝罪という点でも裁判所で当時の川崎製鉄水島製鉄所の井上副所長が謝罪文を読み上げ、深々と頭を下げるという実のあるものだった。そして、川鉄側は後日亡夫のお墓参りをし、毎年の命日にも墓参を続けている。責任の受け止め方として誠意があり、遺族の癒しにもつながっていると思う。
 また、性格などを理由にする賠償額の減額は一切許さなかった点で、亡藤本団員からの励ましにも応えることができた。

5 倉敷市役所下水道局
 一九八九年一一月二五日倉敷市役所下水道局の職員(係長)が心筋梗塞を発症して死亡した。倉敷市職員労働組合の援助によって、地方公務員災害補償基金岡山県支部に公務災害の申請をしたが公務外と判断され、審査請求、再審査請求とも棄却され、一九九三年三月取消訴訟を提訴することになり、山本勝敏団員と私が担当した。
 この事件で特徴的なのは、被災者に高血圧、動脈硬化等の長い治療歴があったこと、他方極端な長時間労働という訳ではなく、せいぜい発症前一週間程度の労働実態としか見ようとしない当時の認定基準からは到底公務上とならないということだった。
 被災者は、倉敷市役所で土木関係の部署に勤務した後に、二年間岡山県の大規模下水道事業に出向し、倉敷市役所に戻ってから下水道局の係長になった。各時期の労働実態を同僚の証言によって明らかにし、水島協同病院の前律夫・道端達也両医師にこの労働実態と通院カルテによって明らかになった高血圧・動脈硬化症の推移を対照した意見書を作成してもらった。この意見書は、発症前の約六年間を四期に分けて、労働が過重であった時期に高血圧・動脈硬化症も悪化していることを明らかにした非常に分かりやすいもので、一九九八年一二月岡山地方裁判所はこの意見書に依拠して、過労の積み重ねが高血圧・動脈硬化の基礎疾患を悪化させ心筋梗塞を発症させたと因果関係を認定して原告勝訴の判決を言い渡した。
 基金側はこの判決に対して控訴し、基金や労働省側が設置する検討会の委員をしている柳沼淑夫医師を証人として申請した。柳沼証人は多くの裁判で基金側の証人として、極端な過労でない限り心筋梗塞の原因となりえないという独自の見解を述べてきた人物で、この証人を叩くことは他の裁判にも好影響を与えると位置づけ、東京の岡村親宜団員や愛知の水野幹夫団員からも尋問調書を送ってもらって尋問を行った。広島高裁岡山支部は、二〇〇〇年一〇月二六日基金側の控訴を棄却し、柳沼証言については「動脈硬化に対するストレスの影響を否定ないし極めて限定された範囲でのみ認める見解を前提とするものであり、採用できない」と判断した。判決後上告するなという申し入れを行い、丁度労働省や基金が労働実態の評価期間を広げる方向で基準の見直しをはじめていたこともあって、上告されることなく確定した。
 程度の差はあれ基礎疾患を抱えながら働いている労働者が多いという現実に鑑みるなら、この判決は先例としての価値を有すると考える。

6 まとめ
 これら具体的に報告した事件以外にも業務上と認定された事件はいくつかある。現在も一〇件ほどの事件を分担して抱え、労災公務災害の申請や、裁判に取り組んでいる。団員をはじめとして弁護士も岡山労災職業病過労死連絡センターや家族の会の活動にも参加している。
 過労死事件では認定のたたかいや裁判によって労働省や基金の偏った基準をうち破り変更させるという目に見える成果をあげてきた。各地の成果に励まされ、また自ら勝ち取った成果が他の力になることを実感することができ、充実していた。もっとも、自殺は増加しており、脳心臓疾患による過労死も減ってない。資本のやりたい放題がまかり通り、労働条件は悪化している。たたかいは続く。




秋の活動にむけて五月集会記録の活用を


事務局長  中 野 直 樹

 団員の皆様、猛暑の夏のおわりをいかがおすごしでしょうか。
 すでにお手元に三重五月集会の記録団報一六七号をお送りしております。五月集会は多くのテーマをもちよって討論・交流する場ですが、とりわけ有事法制と司法改革はこの秋のきわめて重要な課題です。
有事法制問題では、浅井基文教授の講演録全文が掲載されていますし、全国で一生懸命に運動したことがコンパクトにまとめられています。司法改革では、労働裁判と刑事司法・裁判員についての団の制度設計案を確定する討議を行い、弁護士報酬敗訴者負担反対運動の格段の強化、裁判官改革へのきり込みなどの必要性を確認しあったことを記してあります。
 司法制度の激動期を迎え、「これからの自由法曹団を考える」全国会議第一弾の議事録も掲載しました。一〇月総会でもプレ企画として第三弾の会議を予定しておりますので、各支部・事務所で、この議事録も参照してただきぜひ討議をしてご意見をお寄せ下さい。
 事務局員交流会で、坂本修団員(東京支部)が「事務局労働者への私のメッセージ=vと題する講演をされました。〈パートT〉私にとって自由法曹団とはー団に寄せる私の思い、〈パートU〉今、自由法曹団はー激動の渦中に立って、〈パートV〉今、事務局労働者になにをー共同の事業のパートナーとして、の三本柱です。事務局労働者への語りをとおして団員の生き方、事務所団結のあり方を考えさせられる文章となっています。坂本団員の要望で、当日交流会に参加された事務局員に対して団報を増刷して配布することにいたしました。それぞれの事務所におかれましても、ぜひ事務局労働者が団報の坂本団員講演録を学習する機会をもっていただけると幸いです。
 なお、神奈川支部の伊藤幹郎団員から団報への感想文が寄せられていますので紹介させて頂きます。
 「団報一六七号は内容が本当に素晴らしい。これまで目次と見出しと関心のあるところを斜め読みしてきた団報ですが、一六七号には眼を洗われる思いをしました。とりわけ坂本先生の講演は「ラストメッセージ」としてふさわしいもので、数カ所で涙が出ました。国宗先生の講演内容も、私の無知の故に多くのことを教えて頂きました。特に締めくくりがよいですね。ありがとうございました。」




木村晋介さんへの返書(2)


埼玉支部  大 久 保 賢 一

 木村さんがぼくに回答を求めているので、必要な範囲で答えておくことにしたい。
 木村さんが問うていることは、日本共産党が自衛隊実質合憲論の立場になったのだから、「平和基本法」の提言を再評価すべきではないかということである。結論を先に言えば、ぼくは、日本共産党は、実質的にも形式的にも自衛隊合憲という立場には立っていないと理解しているし、「平和基本法」に対する評価を変えるつもりはないということである。
 日本共産党の自衛隊論を理解するには、同党の第二二回大会の決議と中央委員会報告を読むことが必要である。大会決議にはこうある。ここまで恒久平和主義を徹底した憲法は世界にほとんど例がない。憲法九条は、戦争の違法化という二〇世紀の世界史の大きな流れの中で、最も先駆的な到達点を示した条項として、世界に誇るべきものである。それは二一世紀に向けてわきおこりつつある平和と進歩の国際的な流れを反映している(ハーグ平和市民会議の成果が援用されている。)。この新しい世紀には、憲法九条の値打ちが、地球的規模で生きることになる。憲法九条に照らすならば、自衛隊が憲法違反の存在であることは、明らかである。わが党は、改憲派がとなえるような自衛隊の現実にあわせて九条をとりはらうような方向での「解決」ではなく、世界史的にも先駆的意義をもつ九条の完全実施に向けて、憲法違反の現実を改革していくことこそ、政治の責任であると考える。この矛盾を解消することは、一足飛びにはできない。国民の合意を尊重しながら、段階的に進めることが必要である。第一段階は、日米安保条約廃棄前の段階である。ここでは、戦争法の発動や海外派兵の拡大など、九条のこれ以上の蹂躙を許さないことが、熱い焦点である。第二段階は、日本が日米軍事同盟から抜け出した段階である。この段階では、自衛隊の民主的改革、大幅軍縮などが課題となる。第三段階は、国民の合意で、憲法九条の完全実施、自衛隊の解消に取り組む段階である。自衛隊問題の段階的解消というこの方針は、自衛隊が憲法違反の存在であるという認識には変わりがないが、これが一定期間存在することは避けられないという立場に立つことである。これは、先行する政権から引き継ぐ避けがたい矛盾である。その矛盾を引き継ぎながら、憲法九条の完全実施の方向で解消することを目指すのが、民主連合政府に参加するわが党の立場である。その過渡的な時期に急迫不正の主権侵害、大規模災害など、必要に迫られた場合には、存在している自衛隊を国民の安全のために活用する。憲法が立脚している原理を守るために可能なあらゆる手段を用いることは、政治の当然の責任である。
 おそらく、木村さんは、この中から「自衛隊を活用する。」という部分だけを切り取って、日本共産党が自衛隊実質合憲論になったと理解したのだろう。こういう理解をしてしまった人は木村さんだけではないようだけれど、それは正確な理解ではない。中央委員会の報告ではこうなっている。
 決議案の基本的立場は、第一に、憲法九条の完全実施を、国民合意で段階的に進めるということ。第二に、国民の安全に対して、政治の責任を果たすということ。この両者に統一的答えを出したものが、決議案の立場です。日本の諸政党の中で、明文改憲はもちろん、解釈改憲も含め、いかなる憲法改悪も許さない立場にたっているのは、日本共産党だけであることを確認しておきたい。憲法との矛盾を解消する過程で、仮に「急迫不正の主権侵害」などが発生し、警察力だけでは対応できない事態が発生したらどうするか。その際には、「可能なあらゆる手段」を用いて、国民の生活と生存、基本的人権、国の主権と独立など、憲法が立脚している原理を守るために全力を尽くすことが、政治の責任であって、そのときに自衛隊が存在していたならば、その手段の中から自衛隊を除外することは、国民の安全に責任を追うべき政党の立場ではない。「急迫不正の主権侵害」が起こったときに、国民に抵抗を呼びかけながら、現に存在している自衛隊にだけは抵抗を禁止したとしたら、これはおよそ国民の支持は得られないことは、明白ではないでしょうか。
 日本共産党の自衛隊論はこのようなものであって、これを自衛隊実質合憲論と指摘することはできない。木村さんは、日本共産党の自衛隊論の曲解の上に立って論争を仕掛けているのである。それは論争の仕掛け方としてナンセンスでしかない。ぼくは、日本共産党の威を借りた覚えもなければ、木村さんの人格を誹謗したつもりもない。ぼくは、非軍事平和思想を体現している九条を完全実施したいという立場から、似非護憲論を論難してきただけである。
 現実の国際政治の中で、アメリカはその強大な軍事力を人道も国際法も無視して傍若無人に行使している。そのアメリカに積極的に協力をし、自衛隊だけでなく、自治体や、公共機関や、個々の国民まで総動員しようというのが現代日本の支配層である。この局面にあって、「平和基本法」の提言者たちは、どのような行動をとっているであろうか。ぼくは、提言者の中に、真摯な自己批判を踏まえ、「有事法制」に対抗する戦線に身を置く方がいることも承知している。木村さんは、そのことを知っているかどうか判らないけれど、未だに「平和基本法」の肯定的再評価を求めているのである。ぼくには、米軍の跳梁跋扈の阻止に何の役に立たないどころか、むしろ自衛隊の存在意義を探し求めるような「平和基本法」なるものを再評価するつもりはない。ただし、誤解のないようにいっておけば、軍事的プレゼンスの必要性を認めるか否かにかかわらず、ともに取り組むべき課題が山積していることや、そのための共同が必要であることは、木村さんの言うとおりだし、ぼくもそのことには大賛成である。だからこそぼくと木村さんが同席する機会があるのではないだろうか。非軍事平和思想は、核兵器はもちろんのこと、紛争の軍事的解決を拒否する思想であり、人間の理性や諸国民の公正と信義を前提とする人間社会の実現を求める思想なのである。日本国憲法九条は、軍事的プレゼンスを承認しないのである。軍事的プレゼンスを承認する護憲論は護憲論として成り立たないのである。そのことだけはぜひ理解してほしいと思う。

(2002.8.27)




教育基本法「改正」意見書と執行


担当事務局次長  黒 澤 計 男

 七月一三日の名古屋常幹後、団教育改革対策本部は『教育基本法「改正」についての意見書』を完成させ、八月八日午後二時、中央教育審議会に届けることにより執行をおこないました。応対したのは、文部科学省大臣官房総務課総務班(教育改革官室)の島崎清治事務官と同柳澤好治、団側では黒岩教育改革対策本部事務局長、篠原幹事長、中野事務局長、黒澤担当次長でした。
 黒岩事務局長から意見書の概要を説明したあと、若干のやりとりをおこないました。省側の発言のうちの数点を以下に要約しておきます。
@ 中教審に対して電子メールでの意見は寄せられているが、今回の(団意見書)のようなかたちにまとまったものは来ていない。メールを委員に配布することはしていない。本意見書を全員に配布することは考えていないが、全員配布の要望があれば審議会長に伝える。
A 名前はともかく、何らかの区切りとして秋口には報告的なものを公表すべきではないかと考えている。「中間報告」という名称はマスコミ用語。
B 省としては来年の通常国会に教育基本法改正案を出したいと考えており、出せるように準備したい。現時点では条文の下案はできていない。全文改正にするか一部改正にするかは技術的な問題。
C 基本法自体に条文としてうたう基本計画の予算云々についてまでの議論は出ていない。省としては具体的な予算を出すことができれば良いとは考えるものの、今の経済情勢下において文部科学省のみがそれを要求するわけにもいかない。
 ちょうど三〇分の面談のあと、文部科学省記者室を訪問し、幹事社に意見書を渡し、各社に配布してもらう算段をとりました。その他、意見書は教育基本法全国ネット・全教・日本共産党にメールにて配信しました。その他送付するのが適当な個人・団体をご指摘ください。対策本部までお願いします。意見書は八月下旬までに印刷を終える予定です。
 その後、要請した文部科学省島崎氏から電話連絡があり、団側の要請を受けて、九月中旬の審議会で委員全員に配布することにしたとのことでした。