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馬奈木昭雄 三井関連じん肺問題の終結について
増田 正幸 全日検賃金カット訴訟完全勝訴する
村井 豊明 住民監査請求期間一年を徒過した場合の「正当な理由」に関する最高裁の新判例を紹介
中野 直樹 岡山総会にむけて
山崎 博幸 岡山支部特集 その5 長島(愛生園・光明園)訪問
山田  泰 裁判官の人事制度・人事評価について
後藤富士子 「自治」と引換にもたらされたもの ―懲戒権・手続開始要件・懲戒事由
船尾  徹 「自由法曹団物語―世紀をこえて」の普及を


三井関連じん肺問題の終結について


福岡支部  馬 奈 木 昭 雄

 八月一日、福岡市において三井鉱山、三井石炭鉱業を被告とする全国すべてのじん肺訴訟原告は、被告両者と全面解決の基本合意書に調印し、じん肺問題の終結を共同宣言しました。
 三井に対するじん肺訴訟は、筑豊訴訟(福岡地裁、福岡高裁で全面勝訴、上告中)、北海道じん肺訴訟第一・二陣(札幌地裁勝訴、札幌高裁係属)、同三陣(札幌地裁係属)三井三池訴訟(福岡地裁勝訴、福岡高裁係属)など、全国で六訴訟が闘われていました。
 基本合意書では、被告両者が責任を認めて、全国六訴訟の患者四六五人(提訴予定者も含む)全員に、総額八一億三千万円の支払を行うことが基本となっています。また共同宣言では、弔意の表明、被告は今後じん肺防止の努力を尽くすことなどが宣言されています。
 今回の解決の意義は、第一に全国の三井関連訴訟のすべて全原告について(提訴予定者を含む)、三井が自ら責任を認め、じん肺被害防止の努力を誓って、同時に全面解決をしたことです。第二に、そのことは全国のじん肺患者の願いである「あやまれ、つぐなえ、なくせじん肺」の目標を三井について一応実現したことになります。
 第三に、とりわけ時効差別をしない全員救済を実現したことです。
 全国のじん肺闘争では、「あやまれ、つぐなえ、なくせじん肺」を共通のスローガンとして、全国の総力を結集した闘いの中で、加害企業の責任については、三〇をこえる全ての訴訟で勝訴し、企業はもはや争うことができないところまで追いつめられました。企業が唯一の争点としてしがみついたのが、時効でした。時効の起算点をめぐって激しい議論が続き、各地の判決は少しずつ救済の範囲を広げて、現時点では、じん肺死の場合は死亡時点、生存者の場合及びじん肺を原因としない死亡の場合は最後の行政判断時、というのが起算点の到達点です。しかし時効問題を抜本的に解決するためには、企業に時効主張を許さないこと、すなわち企業の時効援用は権利濫用だという判断を法的にも、社会的にも定着させることが必要です。常磐じん肺訴訟判決において、この主張が認められ、筑豊じん肺訴訟高裁判決がそれに続きました。しかし三井三池福岡地裁判決は、三井の権利濫用を認めませんでした。けれども全国の原告、弁護団、支援の団結した闘いの前進の中で、社会的には加害企業の時効主張は許されない、という世論は定着しました。加害企業は次々と、時効差別のない、全員救済の和解解決に応じざるを得なくなりました。筑豊、北海道両訴訟においても、古河、三菱、住友はそれぞれ自らの責任を認め、時効差別のない、全員救済の和解に応じました。特に三菱は、今回と同様、筑豊、北海道両訴訟の全原告と同時に時効差別をしない全員救済の解決に応じ、じん肺根絶の努力を尽くす旨の共同宣言を行いました。今回の三井との解決はそれをさらに前進させたものです。
 現在筑豊、北海道両訴訟は、残された企業と国の責任についてさらに闘いが続けられています。じん肺患者の悲願である「なくせじん肺」を本当に実現するためには、国がこれまで石炭産業だけではなく他の多くの産業現場でじん肺発生を防止せず現在もなおじん肺被害を発生させつづけている責任を真剣に反省し、抜本的なじん肺防止対策を行うことが必要です。筑豊じん肺訴訟福岡高裁判決は、国のじん肺を防止しなかった責任を厳しく認定しました。しかし国はまだその責任を争っています。「国が責任を認め、有効なじん肺発生防止対策をとるまで私たちの闘いは終わらない」、原告たちは、その決意をかみしめてさらに闘い続けています。



全日検賃金カット訴訟完全勝訴する


兵庫県支部  増 田 正 幸

 全日本検数協会(以下「協会」という)は、輸出入貨物の数量や瑕疵の有無を第三者機関として証明する業務を行う公益法人である。全国の主要国際港に一〇の支部があり、従業員数は約二三〇〇名、各支部毎に独立の労働組合が存在している。但し、多くの支部の労働組合が全国検数労働組合連合(検数労連)を結成して、労働条件については検数労連が協会本部と労働協約を締結して全国統一の労働条件を維持してきた。
 同協会神戸支部は従業員数約四〇〇名。かっては世界でも屈指の貨物取扱量を誇った神戸港は一九九五年の阪神大震災で大打撃を受け、その後、同支部の業績は低迷。同協会は、支部独立採算的運営と称して、神戸支部の赤字解消を同支部の労働者の賃金の切り下げによって実現しようとして、二〇〇〇年一二月に検数労連との間の労働協約(以下「本件賃金協定」という)を「神戸支部労組との関係でのみ」破棄することを通告した上、神戸支部における就業規則を変更して二〇〇一年四月から賃金の五〇%カットを強行した。
 そこで、神戸支部労組の組合員一六六名全員が五〇%賃金カットの無効を主張して神戸地裁に提訴した。訴訟では、五〇%もの賃金カットという就業規則の不利益変更の効力が争点となったが、神戸地裁は、二〇〇二年八月二三日原告ら全面勝訴の判決を言い渡した。
 判決は、就業規則の不利益変更の効力について、これまでの最高裁が示した判断基準をそのまま採用し、「不利益を労働者に一方的に受忍させることを許容できるだけの高度の必要性に基づいた合理性」の有無を判断した。すなわち、震災後の神戸支部の業績悪化を理由に、賃金カットの必要性は否定しなかったが、五〇%カット後の原告らの生活実態を直視し「早晩家計に破綻をきたす」と認定した。そして、震災による業績悪化については協会を挙げての取り組みをし、他支部にも相応の負担を求めるべきで、神戸支部従業員にのみ過大な不利益を押し付けることに合理性はないと判断した。
使用者も注目し、神戸港の労働者の命運を決すると言っても過言ではない事件で、絶対に負けられない闘いであったが、兵庫労連をはじめ多数の労働者の物心両面にわたる支援により、提訴後一年四月の短期間で完全勝訴判決を手にすることができた。そして、協会は控訴を断念し、判決は確定した。
 震災被害やその後の不況による業績悪化を労働者にしわ寄せをすることに歯止めをかけたこと、業績の悪い支部の採算の悪化を当該支部労働者にだけ負わせることを不合理であると断じた点で意義のある判決である。



住民監査請求期間一年を徒過した場合の「正当な理由」に関する最高裁の新判例を紹介


京都支部  村 井 豊 明

 さる九月一二日に、最高裁は、住民監査請求期間一年を徒過した場合の「正当な理由」について新しい判決を言渡したので紹介します。

1 事案の概要と経過
 @ 京都市は、一九八八年(昭和六三年)度に、同和対策室長に対し、「民生事業」「報償」の名目で三四〇万円を次の通り三回に分けて支出した(いわゆる「つかみ金」)。
     五月二三日   一二〇万円
     八月一〇日   一〇〇万円
    一二月一四日   一二〇万円
 A 一九八九年(平成元年)一二月一一日、京都市議会普通決算特別委員会において、一九八八年度中に報償費名目で民生局同和対策室長あてに三回に分けてされた計三四〇万円の各支出は領収書等がなく使途を明らかにしないまま行なわれた不明朗な支出であると指摘され、そのことが翌一二月一二日の毎日新聞、朝日新聞で報道された。
 B 一九八九年(平成元年)一二月一二日、京都市議会厚生委員会において、一九八八年度決算の中に報償費名目で民生局同和対策室長あてにされた計三四〇万円の各支出は領収書等がないまま行われた不明朗な支出であると指摘され、そのことが翌一二月一三日の京都新聞で報道された。
 C 一九九〇年(平成二年)二月一七日、原告らが京都市監査事務局へ赴き、監査請求書と事実調査報告書を提出しようとしたが、監査事務局は、監査請求期間を徒過したことについて「正当な理由」があることの疎明がないと言って、受理しなかった。
 D 一九九〇年(平成二年)三月七日、原告らは、監査請求書、事実調査報告書及び事実調査報告書(その二)を配達証明付き書留郵便で京都市監査事務局へ送付した。
 E 一九九〇年(平成二年)三月三〇日、京都市監査委員は、本件監査請求が、住民監査請求をなし得る期間を経過して提出されたことに、地方自治法二四二条2項ただし書にいう「正当な理由」があるとは認められないとして、本件監査請求を却下した。
 F 一九九〇年(平成二年)四月二七日、原告らは京都地裁に本件住民訴訟を提起した。
 G 京都地裁での審理の中で、被告側は、三四〇万円の使途として、領収証や支出明細書を提出した。その使途の殆どは飲食代であり、領収証がないものも多数あった。領収証も宛名は「上様」が殆どで、宛名がない領収証も多数あった。そして、誰が誰とどんな内容の会合をしたかは具体的には一切明らかにされなかった。
 H 一九九七年(平成九年)一月一七日、京都地裁は、訴えを却下する判決を言渡した。理由は、新聞報道(平成元年一二月一三日)から二ヶ月以上を経過した平成二年三月七日になした本件住民監査請求は、知ることができた時期から相当な期間内になされたとはいえないので、「正当な理由」はないというものであった。
 I 一九九七年(平成九年)一月三一日、原告らは、大阪高裁へ控訴を提起した。
 J 一九九七年(平成九年)一一月一九日、大阪高裁は、京都地裁判決中、一部の支出金に関する部分を取り消し、その部分を京都地裁に差し戻し、その他の部分に関しては控訴を棄却する旨の判決を言渡した。
 大阪高裁は、監査請求の起算日は、本件各支出行為(同和対策室長に対する支出)がなされた日ではなく、本件各支出金をもって第三者に対する支払いを終了した日を基準とするとして、住民監査請求より一年以内の第三者に対する支払い部分に関する審理を京都地裁に差し戻したのである。
 しかし、大阪高裁は、地方自治法二四二条2項ただし書にいう「正当な理由」が認められるためには、本件各支出決定・支出命令に係る支出が秘密裡になされたことが必要であるとして、最高裁昭和六三年四月二二日判決を引用したのである。そして、本件各支出行為が秘密裡にされたということはできないので、「正当な理由」がないとして、上記以外の部分については訴えを却下した京都地裁判決を支持したのである。
 K 一審原告・一審被告の双方が上告した。

2 最高裁判決の意義について
 最高裁は、二〇〇二年(平成一四年)九月一二日、原判決を破棄し、大阪高裁へ差し戻す判決を言渡した。
 判決は、地方自治法二四二条2項但書きにいう「正当な理由」が認められる場合というのは、「当該行為が秘密裡にされた場合に限らず、普通地方公共団体の住民が相当の注意力をもって調査を尽くしても客観的にみて監査請求をするに足りる程度に当該行為の存在又は内容を知ることができなかった場合にも同様であると解すべきである。したがって、そのような場合には,上記正当な理由の有無は,特段の事情のない限り、普通地方公共団体の住民が相当の注意力をもって調査すれば客観的にみて上記の程度に当該行為の存在及び内容を知ることができたと解される時から相当な期間内に監査請求をしたかどうかによって判断すべきものである。」と判示した。
そして、判決は、「第一審原告らは、平成二年二月一七日に監査請求書及び事実報告書を提出しようとしたが、受理されなかったために、同年三月七日に配達証明付き書留郵便でこれらの書類を送付して本件監査請求をしたというのである。仮にそのような事実があるとすれば、平成元年一二月一三日(新聞報道)を基準とする限り、相当な期間内に監査請求がなされたものということができる」として、原判決を破棄し、事件を大阪高裁に差し戻したのである。
 この新判例は、住民監査請求期間一年を過ぎてからでも広く住民監査請求を認めるもので、住民にとって大変重要な意義を有している。これまでの下級審は、本件の原判決のように、昭和六三年四月二二日判決の趣旨を狭く解するものが多く、「秘密裡」という言葉が一人歩きしていた。しかし、最高裁は、自ら下級審の誤りを正し、「秘密裡」は要件ではないことを明確にした。すなわち、最高裁は、会計文書等に偽造や隠蔽がなくとも、住民が新聞報道などで特定の財務会計行為の存在及び内容を知ることができたときから概ね二ヶ月以内に住民監査請求をすれば、「正当な理由」があるとしたのである。
 提訴から一二年経って、やっと本案の門が開けたという感がする。この種の行政訴訟や住民訴訟では、門前払いの判決が多く、本案に入るのに大変苦労している。司法改革では、是非ともこのような弊害を是正してもらいたい。



岡山総会にむけて


事務局長  中 野 直 樹

 総会が間近くなりました。すでに〆切りが過ぎていますが、参加申込み忘れの方は至急申込書を送信してください。またプレ企画として「新人交流会」「これからの自由法曹団を考える全国会議」が企画されています。この一〇月に入所される新人の参加申し込みもお忘れなく。
 改めて総会のもち方を説明いたします。
 二七(日)午後一時から、児島駅前のファッションセンターホールで全体会を開会します。二時半まで、総会の冒頭議事、古稀団員表彰、幹事長報告、財政報告などを行います。
 この後三つの分散会に分かれます。二つの分散会はファッションセンター内の会議室で二時五〇分〜五時五〇分、一つの分散会は宿泊ホテルで三時〜六時と行います。ホテルで行う分散会の参加者は全体会終了後チャーターバスでホテルに移動することになります。
 分散会の参加者は二日を通じて同じで、振り分けは執行部で行います。
 二八日(月)は分散会から始まります。二つの分散会はバスでファッションセンターに移動し、九時〜一一時三〇分行います。一つの分散会はホテル内で八時四五分開会し、一一時一五分に終えてバスでファッションセンターに移動します。
 一一時四五分全体会を再開し、一二時三〇分まで討議を行い、一二時三〇分から議案等の採択をはじめとした総会決議事項等を処理し、新旧役員の挨拶等を経て、一時に閉会となります。
 会場が二つに分かれる関係で不便をおかけします。また全体会での一般討論時間枠が限られていることもご承知おきください。
 分散会の討議テーマ
1 一日目 三時間
  アメリカのイラクへの戦争拡大を阻止する課題、有事法制、憲法調査会・改憲策動をテーマに、情勢討議と運動の交流、行動方針の確認を行います。三つの分散会に共通する基本レジュメを作成して基調報告から始まります。
2 二日目 二時間三〇分
 司法改革と裁判闘争をテーマとします。司法改革では、全体情勢討議、個別分野として弁護士報酬敗訴者負担、新仲裁制度問題、裁判制度改革案(人事と人事評価を中心)を取り上げます。事前に団通信上で意見出しをしていきます。裁判官制度改革についてはこの分散会での討議をふまえて本年中に団の改革案を作り上げたいと考えています。
 裁判闘争では、裁判官を変え、判例の壁を乗り越えていく法理論に挑戦し、運動をおこし前進している事件の報告をお願いしたい。
 決議案については遅くとも一〇月一六日までに文案を団本部にFAXとメールで送ってください。



岡山支部特集 その5

長島(愛生園・光明園)訪問


岡山支部  山 崎 博 幸

人間回復の橋
 愛生園と光明園、二つのハンセン病療養所がある長島は陸地からわずか三〇メートルしか離れていない。この三〇メートルの海峡部に橋がかかったのは一九八八年、瀬戸大橋開通の一か月後であった。長島に我が国最初のハンセン病療養所として愛生園が開園したのが一九三〇年であり、橋がかかるまでに五八年もの歳月を要した。「人間回復の橋」と言われているが、裁判による人間回復にはさらに一三年を要し、いまも回復の歩みは続いている。
 今年の九月三〇日、私は車で長島大橋を渡り、光明園を法律相談のために訪れた。橋を渡るとすぐに光明園があり、その三q先に愛生園がある。岡山弁護士会は、昨年九月から光明園と愛生園において、それぞれ毎月一回「ハンセン法律相談」を実施している。私は平成一三年度岡山弁護士会の会長の職にあり、長島での法律相談の実現を執行部として後押しした経緯がある。また瀬戸内ハンセン病訴訟弁護団には名前だけ参加し、実務的には何もしなかっという負い目があり、罪ほろぼしのためにせめて法律相談には参加しようとの思いもあり、担当を引受けたというわけである。

牧野園長
 光明園の福祉課を訪ねると、今日の法律相談の予約は入っていないとのことであった。このところほとんど予約がないということは前もってわかっていた。相談がなければ自転車で島をぐるぐる回ろうと思い、折りたたみ自転車を車に積んで来ていた。自転車で回る前にひとまず光明園の牧野正直園長にあいさつに行くこととした。牧野園長は、今年六月の岡山弁護士会主催の憲法記念県民集会のハンセン病シンポジウムにパネリストとして参加していただいた。また一昨年には「ハンセン病と人権を考える」と題して弁護士会で講演されたこともある。牧野園長は、平成八年四月に廃止された「らい予防法」の見直し検討委員会委員として、予防法廃止に積極的に活動した人物である。また日本らい学会を日本ハンセン病学会と改名することを強く主張されたとも言われている。要するに硬骨の士である。職員の人に、前年度の弁護士会会長があいさつに伺いたいと申していると伝えてほしい、と頼んだところ、快く園長室に通された。私は二、三分であいさつを終わって退出する予定でいた。実質的に裁判に加わっていないので話の材料もない。長話をするとボロが出そうだ。ところが園長の方からいろいろと相談を持ちかけられた。「入園者の支援を一日も急がなければならない。年令を考えると気が気ではない。法的な問題で困っているのは、入園者の相続に関し、ほとんど備えが出来ていない」とのことである。昨年一度、弁護士会から講師を派遣し、相続、遺言について学習会を開いたことがある。そして法律相談を開始した。しかし遺言書を作成する人がほとんどいない。入園者の平均年令は七六才である。愛生園と光明園を合わせて約八〇〇名の入園者がいる。頭が痛い問題で、弁護士会にもっと協力を要請したい、というお話である。「わかりました。なんとかしましょう」と、つい会長任期が終わったことも忘れて約束してしまった。こうして約四〇分があっという間にすぎた。福祉課長にももう少し実情を聞く必要があると思い、三〇分ほど話をした。岡山弁護士会では、今年中に「ハンセンサポートセンター」(仮称)を設立する予定である。入園者の社会復帰、医療体制、法律相談と法的支援、行政との連携等、あらゆる支援活動の核となるべく位置づけている。人間回復に向けての実務的作業はまだこれからである。

長島一周
 午後三時。快晴のおだやかな天気である。空も海も島も青々として美しい。このまま帰るのはもったいないので、自転車で島を回ることにする。愛用の折りたたみ自転車を取りだし、光明園を出発する。少し行くと右手の丘に黒い石碑がある。碑には「『らい予防法』違憲国賠訴訟、勝訴記念の碑」と書いてある。テレビ、新聞で見たとおりだ。しばらくベンチで休む。原告や弁護団の苦労を静かに想う。弁護士会の誇りだとも思う。桜の木が並んでおり、春にはきれいなさくらが咲くはずだ。うぐいすも多いだろう。その頃また自転車で来ることにしよう。
 坂を下ると海岸に出る。右手に小豆島の全景がくっきりと見え、島内で最も美しい眺めとなる。左手の道路沿いに煙突がついた小屋が見える。火葬場である。傍らにお地蔵さんがあり、花が活けてある。せめて景色のよい所で最後を、という意味でこの場所を選んだのであろうか。さらに行くと愛生園が見えてくる。規模は光明園より大きい。右手に小豆島、左手には入江が見える。入江の海は、湖面のように静かでひっそりとしている。丘の上から見ると、かきの養殖のいかだが並んでおり、写真を見ているようである。この美しさの描写は私の筆では不可能だ。三浦綾子のような文学者を連れてくるしかない。
 事務棟の間を登って行くと、園舎の棟があり、小高い丘に納骨堂がある。火葬場の遺骨は園の仲間が拾って骨つぼに入れ、納骨堂に納める。愛生園の納骨堂に現在三千数百体の遺骨がある。光明園も合わせると、島全体で六千数百体の遺骨が眠っている。

光田健輔という人
 納骨堂から下って再び事務棟の前に来ると、愛生園の初代園長光田健輔氏の胸像がある。テレビで何度か顔を見たことがあるが、近寄って胸像の顔を見ると、まことに慈悲深く、人の心をとろかすような笑顔である。「救らいの父」と言われたのもなるほどと思わせる見事な顔である。
 私は光田氏のことを詳しくは知らない。絶対隔離政策に死ぬまで固執した最大の責任者というぐらいで、こまかいことはほとんど知らないのだが、二つだけ記憶に残る話がある。一つは、三年前に愛生園の入園者自治会を訪ねたときの話である。自治会の人が言うには、光田園長は、入園者全員の名前と顔を覚えていたということである。園内を歩いていて入園者に会うと、必ず「○○さん」「○○君」と親しそうに名前を呼ぶのである。呼ばれた方はびっくりする。園の絶対的権力者から名前を覚えられているということだから、びっくりすると同時に感激もする。こうして光田信奉者を増やしていったというのである。絶対隔離政策を貫き、断種をし、監房をつくる一方で、きめ細やかな配慮は怠らなかった。光田氏を直接知る入園者が語る同氏の実像である。
 もう一つ。これは弁護士から聞いた話である。あるとき何かの団体の一員として園を訪問した。光田氏が話をしているさい、ある患者を呼び寄せ、光田氏の額と患者の額をくっつけ、こするようにしてすり合わせた。「こんなにしても、らい菌は感染するものではない。安全なんですよ」と説明したというのである。これも訪問者一同をびっくりさせる行動である。そんなに安全なら患者を解放すればよいではないか、というのは熊本判決が出た現在の状況下で生まれる思考である。当時の訪問者は、隔離政策への疑問ではなく、光田氏にあたかもキリストを見る思いがするのである。光田氏はその効果を最大限意識して額をこすりつける。訪問者は光田氏の魔術に完全に翻弄されてしまうのである。光田神話はこうしてつくられていった。
 胸像の笑顔は何を物語るのであろうか。光田氏の王国をこの長島に築いた満足感なのか、それとも効果満点の自分の笑顔に対する自信なのか。この人の下で強制収容され死亡した患者が六千数百名にのぼり、かろうじて生き延びた人達がいま八百名島に残っている。その平均年令が七六才である。牧野園長の「この人達の今後を考えると気が気ではない」と言われる意味は重い。人間回復は時間との競争でもあることを心にとめながら私は胸像の前を去った。

長島を訪問しよう
 九月末の残暑の午後、自転車で島を回ったが、入園者と会うことは少ない。会えば軽く頭を下げる程度であり、これがいまの私と入園者の距離である。光田氏のようにはとてもいかない。けれども何回か訪ねるうちに距離は確実に近くなるだろう。
 団総会後の長島への半日旅行にぜひ多くの団員に参加してもらいたい。ハンセン病を全く知らず関心もなかった団員にぜひとも参加してもらいたい。予備知識は不要であり、なまじ持たない方がよい。
 瀬戸内の青い空と海、濃密な緑に囲まれた園を訪問し、入園者と交流することによって、人間の尊厳と生きる勇気を教えられることは間違いない。



裁判官の人事制度・人事評価について


神奈川支部  山 田   泰

 司法制度改革推進本部・法曹制度検討会は、九月から第二ラウンドの議論が開始された。これまでは弁護士制度改革に重点が置かれていたが、今後は裁判官制度が俎上にのぼることになる。裁判官制度改革はこれまでの経過をみる限り、改革審意見書からさえ後退することが懸念される事態となっている。
 改革審意見書では概ね@給源の多様化・多元化(他職経験、特例判事補解消の条件整備、弁護士任官等)A下級裁判所裁判官の指名過程に関与する諮問機関の設置B人事制度・評価の透明性・客観性の確保(報酬段階の簡素化を含む)Cその他(裁判所運営に関する国民参加、最高裁裁判官の選任過程における透明性・客観性の確保・国民審査制度の改善)を提言している。このうち@に関係する非常勤裁判官制度については既に日弁連と最高裁との間で合意が成立し、今後民事調停法・家事審判法が改正されることになる。特例判事補解消については弁護士任官とセット(いわば同時履行の抗弁を提出)とされることが予想される。Aについては、七月最高裁の一般規則制定諮問委員会が活動を始め第二回(九月)には外部評価の導入に消極的な最高裁に対し批判が相次いだ。Bは七月、一年をかけた「裁判官の人事評価の在り方に関する研究会報告書」が公表され(現状肯定が色濃く出ている)、今後検討会において具体的な制度化の議論が予定されている。なおCの関係では一月「明日の裁判所を考える会」が発足し、九月末までに五回の会議が行われている。

 制度設計の議論として当面優先すべきは、Bの人事制度・評価の点であろう。日弁連ではカウンターレポートの準備が進められていると聞くが、団としてもこれまで常任幹事会で問題提起がなされているものの、総会を契機に議論を深めていくことが必要となろう。 団のこれまでの改革提言と日弁連内の議論を参考にしつつ、冷汗をかきながら意見を述べ、更に恥をかくことにする。
 まずそもそも論。人事評価の要否である。言うまでもなく裁判官の独立を侵害する可能性を極力排除することが必要である。目的・使途として現に使われている(また可能性のある)ものは@昇格A昇給B配属・転勤C任地希望が重複した場合の選考D(再)再任E自己研鑽といったことだろう。このうち@Cについては評価と無縁であるべきだが、DとEについては残る(残ってよい)と考える。部総括や長官・所長は各裁判官会議で決める(前提として経験年数を必要とするのであればこれも決める)。高裁、地裁、家裁の配属についても各裁判官会議で決める(経験年数について同様。必要であれば代表者による高裁・地裁・家裁合同の裁判官会議があってもいい)。
 昇給や転勤は後記のとおりナシとする。
 任地希望が重複した場合、客観的必要性(有職配偶者、子弟の教育、親等の介護の必要性など)によって決する(「在り方研報告書」でも、任地決定につき若手のうちはこれら家庭事情が影響する度合いが高いという)。客観的必要性が同程度であれば、順番制か最後はジャンケン・抽選を否定することもない。大体「優秀」(その中身が問題だが)といわれる者が大都会に集中する運用がなされているものとすれば、地方蔑視に外ならない(正しい意味で優秀な者が地方に配置されているためか、よい判決は地方に目立つように思われ、とすれば地方から文句をいう必要もないか)。
 問題は(再)再任である。田川和幸団員は〇一年五月集会の特別報告集において、これまでの対応につき、再任拒否の運用がもつ政治性を批判するが、他方「困った裁判官」の存在は自明の事実であるのにもかかわらず再任をさせてきたという歴史認識をもつことが必要であると指摘している。私も賛成である。給料分の仕事をしているとはとても思えない裁判官、記録もまともに読んでいない裁判官などは再任されるべきではない。しかし思想・信条・団体所属などが再任拒否理由となってはならないことはいうまでもない。そのためには評価基準(評価項目、評価形式等)が客観化され、評価者も公正さが担保され、さらに評価・不服申立手続き等が透明化されることが不可欠である(再任拒否できるハードルは相当高いものとはなろう。「人権派」であろうと「反動派」であろうと再任されるべきであって、憲法感覚に優れた判断内容をいかに形成できるかどうかは、裁判員・参審員等の国民参加や国民批判レベルの問題となろう)。これに昇給・任地問題を重ね合わせると、一〇年を前提とした応募制の採用が考えられる。予め給与や任地を明示して応募を求め、諮問委員会が適任者を推薦する。一〇年間給与は変わらない(地方に希望が少ないのであれば最初から高めの給与を設定する)。若くして裁判官となり再任もクリアーした場合、生涯で三ないし四の給与段階設定となる)。おらが地方のジャッジ、ウチの町の住人という意識は魅力的だが一〇年間同一任地というのが長すぎる(マンネリ、癒着)というのであれば、五年毎前半・後半というのでもよい。次に評価項目。日弁連と最高裁が合意した任官推薦基準が参考となる。法的判断能力、手続運営能力、組織運営能力、人格的資質・能力(倫理性、柔軟性)といったところが議論されよう。
 評価者としては、各裁判官会議か、その適切な授権による委員会
とし、調停委員、司法委員、裁判員や参審員その他の裁判所職員のほか外部評価(個々の弁護士や検察官など)も必要である。「在り方研報告書」では、外部評価につき直接の利害関係があり客観性がないなどとしてこれを排除する方向を示しているが、多数集まれば極めて有効な資料となる。青法協神奈川支部ではこれまで三回にわたり弁護士(会員に限らない)を対象とした裁判官アンケートを行っているが、数十という数でも、特定の裁判官に対しては概ね同一の評価が集中している。評価結果全部やその資料(一定の工夫が必要か)については本人全員に送付されるべきであり、反論権の確保とともに公正な第三者機関(諮問委員会かそれとは別か)に対する不服申立手段も整備されなければならない。

人事・評価制度の改革は、司法統制を弱め裁判官の独立を強化するとともに最高裁事務総局を縮小していくことにも連なるものであって、積極的な意見交流が求められている。



「自治」と引換にもたらされたもの

―懲戒権・手続開始要件・懲戒事由


東京支部  後 藤 富 士 子

1 旧弁護士法における懲戒制度の概要
 昭和八年改正弁護士法(旧法)で、弁護士会に法人格が付与されたが、弁護士は司法大臣の監督下に置かれ、懲戒権は司法大臣に帰属していた。
 懲戒事由は「弁護士法又は会則に違反したとき」(同法五三条)であり、懲戒は、譴責・過料(千円以下)・停職(1年以下)・除名の四種類であった。司法大臣の懲戒とは別に、弁護士会は「会の秩序又は信用を害するおそれのある者」に対し、退会を命じることができることになった(同法一二条)。
 懲戒手続は、検事長が司法大臣の命又は認可を受けて懲戒開始の申立をなすことによって開始されるとされ、弁護士会は会則により懲戒を求めるため司法大臣又は検事長に申告しなければならなかった。懲戒裁判手続については、判事懲戒法が準用された。

2 現行弁護士法の懲戒制度
 昭和二四年に制定された現行弁護士法では、弁護士が司法大臣の監督下に置かれることはなくなり、弁護士会が弁護士を指導監督する制度になった。これが「弁護士自治」と言われるものである。
それに伴い、懲戒事由は、「弁護士法又は会則に違反したとき」「会の秩序又は信用を害したとき」「職務の内外を問わず品位を失うべき非行」と相当拡張され、懲戒の種類も戒告・業務停止(二年以内)・退会命令・除名と厳格化された。
 懲戒手続は、何人も懲戒請求できるとされ、旧法のような手続開始要件は撤廃された。また、判事懲戒法の準用もなくなり司法審査手続は被懲戒弁護士が行政訴訟として争う場合に限定されている。

3 戦後改革をめぐる裁判官と弁護士
 明治憲法下では、裁判所に検事局が付置されて司法省とされていたから、「司法権の独立」は「裁判所の独立」を意味しなかった。「裁判所の独立」さえないのだから、「裁判官の独立」などあるはずもなく、裁判官(司法官)は司法大臣の監督下に置かれていた。
 旧弁護士法において、弁護士が司法大臣の監督下に置かれ、懲戒手続について「判事懲戒法」が準用されたことは、興味深い。これは、陪審法が成立した大正一二年に統一試験制度になり、昭和一一年に「司法官試補」に対応して「弁護士試補」という修習制度が導入され、在野法曹たる弁護士が在朝法曹と同格になるという、弁護士の水平運動の影響と無縁ではないと思われる。すなわち、裁判官も弁護士も共に司法大臣の監督下に置かれ、同じ法律の手続で懲戒されたのである。
 戦後改革により、裁判所は司法省から分離独立し、「司法権の独立」が実現された。また、裁判官も憲法上「独立」の地位を認められ、その身分保障が手厚くなされている。
 一方、弁護士も司法大臣の監督下から抜けだし、弁護士会の自治が認められた。
 これら戦後改革による新制度の理念からすれば、「裁判官の独立・自由」や「弁護士の独立・自由」が基本的に保障されるはずであり、むしろ、そのためにこそなされた制度改革だったはずである。
 しかるに、今日振り返って、戦後改革の理念が実ったと言えるか問えば、否である。一九七一年の「司法の危機」に見られるように、最高裁事務総局は「裁判官の独立」を踏みにじって、裁判官統制に走った。すなわち、「司法権の独立」を外部の攻撃から守るために、内部を統制したのである。
 一方、弁護士について見れば、「弁護士自治」といわれるものは、単に監督権が司法大臣という外部の者から弁護士会に移ったというだけのことであって、もともと「弁護士の独立・自由」という観念が成立していたわけではなく、そのための「自治」でもなかったのかも知れない。というのは、旧弁護士法においても、法人たる弁護士会は、「会の秩序又は信用を害するおそれのある者」に対し退会を命じることができたのであり、「害するおそれのある者」を予防的に排除するなどということは、弁護士会側に個々の弁護士に対して「弁護士の独立・自由」を尊重する意思がないことを示しているからである。戦後改革で弁護士の意識が変わったとは思われないから、「弁護士自治」が成立したときから、この制度は、「弁護士の独立・自由」を守るためではなく、外部に対して存在を誇示するための「組織統制」の手段であったのかも知れない。

4 弁護士の意識変革の必要性  今次司法改革において、弁護士懲戒制度をめぐって「弁護士自治」が喧しく議論されている。
 しかしながら、懲戒制度をみる限り、「自治」と引換にもたらされた負の部分は看過できないものがある。懲戒事由をとっても、「職務の内外を問わず品位を失うべき非行」など余りにも広範・漠然としている。誰でも懲戒請求が可能になり、請求があれば手続が開始されるから、旧法下よりも弁護士のリスクが大きい。さらに、「判事懲戒法」に準じて裁判手続で行われる方がまだしも手続的保障があったのではないかと思われる。
 それにもかかわらず、日本の弁護士は、「自治」を鬼の首でも取ったかのように錯覚している。すなわち、まず「弁護士の独立・自由」が何にも増して大切だという認識もなしに、弁護士会の監督権が何よりも大切だと言っているのである。これでは、弁護士会は、かつての最高裁事務総局と同じように、外圧を受ければ、組織防衛のために、弁護士を統制・弾圧するであろうことが容易に想像できる。
 かつて、普通選挙法成立と治安維持法厳罰化がセットであったように、「弁護士自治」を守るために、個々の弁護士の独立・自由を抑圧することが危惧される今日である。



「自由法曹団物語―世紀をこえて」の普及を


自由法曹団物語編集委員会事務局長  船 尾   徹

 押し寄せる日々の仕事の波に忙殺され、日常性のなかに埋没しそうな私にとって、過日、亡くなられた小島成一元団長が、かってインタビューで語られたつぎの言葉は、なまけものの私を奮い立たせます。
 「自由法曹団の弁護士は一生懸命大衆のために、大衆運動のために闘っている。単に仕事に付随する面白さというよりは、使命、自分の人生、全人格をかけた使命というようなものに価値を見いだせたときに、初めてその人生は輝くのだと思います。歴史的な展望というか、その中に自分を置いてどう生きていくかということ、それは考えようによっては夢みたいなことですが、そんな夢ももてないような人間になにができるというんでしょうか。夢をもつ、価値をかけるというのは若い人の特権です。民主主義、自由、人権をまもる仕事というのは生きがいというか、歴史のなかに自分をおいて輝かすことが出来るんだと思います」
 「民衆の弁護士」として、その生涯を全うされた小島弁護士の「志」は、この秋、出版される「自由法曹団物語ー世紀をこえて」(日本評論社)の「終章」の「自由法曹団から二一世紀へのメッセージ」の結びで紹介されています。
 団八〇周年記念事業のひとつとして取り組まれた「自由法曹団物語」は、「戦前編・戦後編」(日本評論社)に続く、七五年以降今日までのおおよそ四半世紀におよぶ団・団員の活動を題材に編集されています。そこでサブ・タイトルは「世紀をこえて」としました。
 平和と民主主義、人権と自由のためのさまざまな要求の実現とその発展のために、全国各地の団員は、「民衆の弁護士」として、額に汗して働く労働者や市民とともに、喜び、怒り、悩み、悲しみ、文字通り地を這うような努力をかさね、「歴史の歯車」を前に進める運動の一翼をになってきました。その団員の活動とロマンを、運動の当事者とともに生き生きと語る「物語」、それをライトモチーフにした上・下二巻の「自由法曹団物語」が完成しました。
 それにしても七五年以降今日まで、団員が取り組んだ活動分野は、質・量ともに飛躍的にひろがっています。そのすべてをこの「物語」に編集することは、紙幅の関係でどだい不可能なことであり、残念ながら多くの題材を割愛せざるをえませんでした。
 それでも、この時代を象徴するさまざまな矛盾とそのなかから組織されたたたかい・運動が、この社会に刻印した興味深いたたかい・題材を、できるかぎり多くとりこんだつもりです。そのために、なによりもこれらのたたかいと運動に参加し、取り組んだ各地の団員に草稿の執筆を依頼しました。その結果、「現場の証言」「時代の証言」といった特徴をもった「物語」となりました。
 その構成は、プロローグにはじまって、「第一章 労働者のいのちと権利をまもって」「第二章 市民のいのちと人間の尊厳をまもって」「第三章 坂本一家救出運動とオウム真理教」「略史 自由法曹団の八〇年」(以上上巻)、「第四章 権力による人権侵害と対決して」「第五章 立ちあがる市民の群像」「第六章 憲法と平和」「終章 新たな峰をめざして」(以上下巻)となっております。
 その詳細を、この紙上で紹介する暇ありません。この秋の団総会から発売となります。
 是非、お買い求めいただきお読み下さい。団員とその事務所の所員はもちろん、二一世紀の課題をになう若い弁護士と司法修習生、研究者、そして運動の当事者、関係者にむけてひろく普及していただくよう団員各位の格段の取り組みと御協力のほどお願いします。