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上山 勤 世界社会フォーラム参加の感想
大久保 賢一 誰にとっての「希望の国」か
脇山 弘 弥勒菩薩半跏像の出自
永盛 敦郎 書評 マエキタミヤコ著「エコシフト」
井上 正信 憲法改悪と朝鮮半島有事計画
すべては朝鮮半島有事から始まった(下)
後藤 富士子 ―「官」に奉仕せず、「民」に奉仕せよ(一)
誰のための刑事弁護
山口 真美 リーフレット「国民投票法反対読本」を改訂しました!!
二〇〇七年春号です。
大量普及して法案成立を阻止しましょう!
「そのとき歴史が動いた」にテレビ出演!!



世界社会フォーラム参加の感想

大阪支部  上 山   勤

 ナイロビで開かれたフォーラムに参加した。高地なので体感温度は高くないのだが赤道の直下だけに日差しがとても強い。初日はオープニングセレモニーであったが一日で顔と首と手が真っ赤になった。フォーラムは世界中の多数の人がかかえている災厄「抗争・戦争・貧困・環境破壊・過重債務・性差別・不公正貿易」を全体の会議のアジェンダとして掲げていた。初めてのアフリカでの開催ということもあり、開会式での演説はその多くが不公正貿易の是正を訴えるものであった。周辺では同時並行的にさまざまなデモンストレーションが行われていたが、イラク戦争に引き続きソマリヤへの米国の爆撃が行われた直後であったこともあり、米国のブッシュを名指しで批難するプラカードや横断幕が多かった。いろんな人の演説があったが僕が強い印象を受けたのはパレスチナの女性がイスラエルを告発した演説だった。レバノンへの爆撃で頭にきていたせいもあるが、彼女は、「イスラエルはパレスチナ人を令状もなく逮捕・拘束し、そのまま裁判にもかけず何年も何年も拘禁を続けている」という。まるで、ガンタナモ基地で米国がやっていることと同じである。パレスチナの人たちの無権利状態が思われて胸が痛んだ。

 二日目からは帽子と長袖で武装して、日本国憲法九条のキャンペーンを行った。ピースボートのブースに間借りする形で署名の訴え・呼び込みを行う。全員が九条のロゴマークの入ったTシャツに着替えて行った。しかし、これがまた西向きで午後の日差しが直接さしこむ苛酷な条件をきっちりと満たした位置にあるのだ。とにかく日差しが強い。

 日本から持って行った五〇〇枚の団扇(勿論九条のキャンペーンが印刷してある)が飛ぶように捌けていく。たくさんの人と会話したが九条の精神を説明し、現在の日本政府はこの憲法を変更しようとしている、外国へ武器をもって軍隊を送れるようにしようとしているのだ・・・と、つたない英語で説明をする。ここまで言うとかなりの人が目を丸くする感じで趣旨に賛同して署名に応じてくれた。でも、幾人かの人は、突っ込んできた。

 その一、それってレジョナルな(日本という地域での)問題でしょ、私達アフリカの人間に関係あるの?と聞かれる。軍隊の廃棄とはそのための道具(武器)の廃棄も意味しているのだと説明する。そうすると、たとえばルワンダの抗争でも大量の武器が外から入ってきて人が殺しあっている、そのことに胸を痛めている現地の人は強く共感してくれるのだ。警察力はいるのではないのか?と突っ込む人もいたが、それはそのとおりだ。しかし遠く外国に攻め込めるような航空機とか強力な火器は要らないのだと説明をすると理解してもらえる。

 その二、君はそんなこというが、日本はイラクに軍隊を送ってるではないか、と迫る。意識が高くて国際情勢を良く知っているタイプである。こちらとしては辛い質問である。僕としては「彼らは攻撃できないのだ。攻撃されたときのみ自分を守るために引き金を引けるのだ。九条があるための制約で、日本人は第二次世界大戦以後、外国で人を殺していない。」と説明するのが精一杯であった。イラク訴訟をやっている弁護士としては内心忸怩たる物が残る。しかし、現在の政府が公然と憲法の修正を口にし、外国への武力攻撃も可能な状態を作りだそうとしている、これに反対しているのだというと納得して署名をしてくれるのである。

 ブースでの呼び込みの外に、会場(スタジアム)の周辺をのぼり旗を持って何回も練り歩いた。視線があうと「ハァーイ」と声をかける。みんな社交的でハァーイと返してくれて話ができるのだ。しかし、こちらも炎天下の所業である。初老の域に差し掛かりつつある僕にはきつかった。とはいうものの、道中、フランス人夫婦に声を掛けるとなんと八〇代の御夫婦である。とにかく説明をして署名を訴えると、「What's army ?」と返ってきた。すまん、英語がわからないと。『ガクッ』。こちらはフランス語なんてとんとダメ。幸いにも奥様が御主人に説明をして納得してくれた。ありがたや、ありがたや。しかし、八〇代で夫婦でナイロビのWSFに参加するなんて、すごーい、と妙な所に感動した。

 国際法律家協会とピースボートの共催でワークショップも開かれた。梅田弁護士が九条の意義と現下の情勢を英語で訴えた。とても内容のあるドキュメントなのでどこかで紹介したいと思う。八〇名ぐらいの参加で、意見交換も活発になされ胸をなでおろした僕でした。翌日は、ノーベル賞受賞の女性三人がパネラーとなったワークショップも開かれ、そちらにも参加した。日本人も結構参加していたが普通はお互いに出会わない人が多く、層の広がりと自分の活動の狭さを実感させられた。三人の女性はいずれも女性の権利の拡充を訴え、他人を思いやることは女性の責任でもあること、女性こそがよりよい社会を作り出すとし、現在の各国政府が健康や教育ではなく軍隊に多くの資金を投じている実状を批難した。

 イランから参加していたDRエバディは、唯一つのラジオ放送局が深夜に一度だけ短いニュースを流すだけであり、市民の民主的な権利が制約されている国内事情を訴えていたが、自分は母国での役割があるのでそこにとどまって平和のために活動したいと述べていた。地雷の廃絶で有名なジョディウイリアムスは米国がイラクへの侵攻に八〇億$も使っていることを批判し、国家の安全ではなく一人一人の安全が大切であること、そのためにこそ(基本的な生活のインフラなどのためにこそ)お金が使われるべきだと訴えた。そして、「もったいない」という日本語を世界中に広めたマータイさんは、こども達の高い死亡率・病気・貧困・文盲などアフリカの直面している問題の解決のためには強力な市民社会が作られる必要があると強調した。

 当初参加人員は六万人と発表された。これは登録料を支払った人の数らしい。先進国の参加者たる私達は一一〇US$、アフリカの人たちは約八US$であった。しかし、ケニヤでは一日はたらいても収入が一$に届かない労働者が多くいる。ダボスで開かれている金持ち先進国の「世界経済フォーラム」に対抗して開かれているはずの世界社会フォーラムでそれはないだろ!ということで大会二日目に会場周辺でデモ行進があったらしい。結局大会事務局が折れて三日目からは現地の人が無料となった。これで二万人ぐらいが追加で参加になったようだ。多彩な国からの多くの参加者が共感できるスローガンを叫んでいること、それが僕にとってはとてもよい刺激になった。ナイロビ最大のスラムでのデモ行進からスタートし開幕されたWSFは最後、同じスラムから出発するマラソン大会を行って幕を閉じた。

 帰国してから、イスラエルによるパレスチナ人の違法な身柄拘束について調べてみた。なんと、イスラエルの最高裁判所は、裁判にも掛けないで一〇年間も身柄拘束を続けている政府の行為を、合法だと判決を出している。理由は、人質の交換などの際に有効に使えるのでというのだ。許せない。末世である。



誰にとっての「希望の国」か

埼玉支部  大 久 保 賢 一

「希望の国」とは何か

 日本経団連がいう「希望の国」は、精神面を含めより豊かな生活ができる、開かれた機会と公正な競争に支えられた社会で、世界から尊敬され親しみを持たれる国だとされている。豊かな生活とは、確かな経済成長と社会の絆に支えられた安心できる生活であり、法や規範のほかになにものにもとらわれない選択の自由があることを含意している。その社会では公平な機会と公正な競争と正当な評価が行なわれ、再チャレンジを支援し、必要最小限のセーフティーネットが用意されている。そして、この国は、日米関係を機軸に、多国間の枠組みを通じて、世界の平和と繁栄に積極的に貢献するのである。

それは「希望の国」なのか

 読み方を換えてみると、ぼくにはこの国は次のようなイメージになる。経済成長がないと安心できる生活が営めない、法律に違反しなければなんでもできる、したがって狡猾な奴がはびこり、競争で弾き飛ばされて一から(場合によってはマイナスから)出直さなければならない人たちが増え、最小限の安全網しかないのでそれからはみ出る人が後を絶たず、平和と繁栄を口走りながら他国の民衆を殺傷し、その殺傷に自国の民衆を駆り立てる国というイメージである。

どうしてそんな「希望の国」を語るのか

 日本経団連の会長は「『希望の国』の実現に向けて」と題する講演で次のようにいっている。社会からあらゆる格差をなくそうとすれば、結果の平等を実現しようとする社会主義社会のようになり、やる気や意欲はわいてこない。社会を発展させる格差と解消すべき格差を整理する必要がある。「富は創造してからでなければ分配できない」というのは真理である。持続的な経済成長なくして格差も解消できない。持続的成長のための政府の役割は大きい。民間企業が手を出しにくい基礎研究や知的財産政策などを強化しなければならない。また、法人税の実効税率を引き下げなければならない。新たな財源として消費税の引き上げが必要である。

彼は何を言いたいのか

 彼は、解消すべき格差をなくすためにはまず富を創造しなければならないという。確かに分配するためには分配するものがなければならないことはそのとおりである。けれども分配する意思も必要である。彼の主張には富を分配する意思を見て取ることはできない。そもそも資本制社会の富は商品の集大成であり、それは資本によって所有されているから、資本家がそれを分配する意思がなければ分配されることはない。分配する意思もないくせに富を創造すれば格差が解消できるなどというのは虚言である。また、彼は社会を発展させる格差があるという。結果が平等になると人は意欲がなくなるので格差は必要だというのである。社会主義は結果を平等にしろと主張する思想ではなく、人間の発達の可能性あるいは自由を平等にしろという思想だというのがぼくの理解だけれど、それはさておくとして、彼は、格差がなければ人は働らかないといいたいようである。自分の勤労意欲がその程度だからといって、他の人も同じだなどと決めつけないで欲しいと思う。人は、他人が病気や失業や老齢や配偶者の死亡などで困窮した場合、その人たちに手を差し伸べようという気持ちを持つし、そのことと自分の勤労意欲は全く別のものであることを知っている。格差があろうがなかろうが人は社会の発展は望むのである。その程度の勤労意欲の持ち主であるが故に、彼は、自分たちのために国家予算をふんだんに使え、自分たちの税金は安くして、庶民から税金を取り立てろと臆面もなく語るのである。彼は国家や社会は自分の都合で動くものと思っているかのようである。

彼らの改憲策動に対抗しよう

 日本経団連は、「希望の国」の実現に向けた優先課題の一つとして憲法改正をいっている。二〇一〇年代初頭までに新しい時代に対応した憲法改正を実現するというのである。彼らのいう「新しい時代」とは、経済成長という名目の財界の利益は保護され、庶民は負担が増大することはあっても、最小限の安全網しか提供されず、平和と繁栄を名目として米国とともに軍事力行使をためらわないことを意味している。このどこが「新しい時代」なのか、どこが「希望の国」なのか。彼らのユーフォリア(資本の儲けが最高水準に達したときに陥る気分)は止まることを知らないようである。ぼくらの改憲阻止運動は、その陶酔的熱病(ユーフォリア)に水をかけ、「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ平和のうちに生存する権利」の実現を図り、「各個人の完全で自由な発展を基本原理とする、より高度な社会形態」を展望するものでありたいと思う。



弥勒菩薩半跏像の出自

山形支部  脇 山   弘

 教育基本法改正によって教育内容を法律によって規制できる大枠が設定された。復古的潮流が加速するだろう。本年一月二〇日に行われた大学入試センター試験で出題された日本史Bの第一問を読み、やはりと思った。問題文を示そう。

 「歴史を考える手がかりとしての文化財に関して述べた次の文章A・Bを読み、下の問い(問1〜6)に答よ。

A 博物館や古い寺社などに出かけると、大切に保存された貴重な文化財を目にすることができ、歴史の実際に触れる思いがする。

 図1・2を見てみよう。いずれも七世紀に制作されたと考えられる有名な仏教彫刻である。現在図1の像は韓国ソウルの国立中央博物館、図2の像は京都の広隆寺で、それぞれ所蔵・公開されている。両者がとてもよく似ているのは、a当時の東アジアの歴史が関連しあって推移していたからだろう。また図2の像はb日本の伝統文化や歴史を再評価しようとする動きのなかで、近代に至って真っ先に注目された。なお二つの像は、両国でそれぞれ国宝に指定されている」という文章があって、aとbの各記述について問一から問三まで設問がある。問題文は横書きであり、原文のaとbの文章にはアンダーラインが付されているのを本文では傍線にした。図1は韓国の弥勒座像、図2は広隆寺の弥勒菩薩半跏像の写真である。

 究明すべき(1)は、「両者がとてもよく似ているのは、当時の東アジアの歴史が関連しあって推移していたからだろう」とはなにを意味するのか、その(2)は、「図2の像は日本の伝統文化や歴史を再評価する動きのなかで、近代に至って真っ先に注目された」というが、その再評価とはどのようなものかである。

 これを解く鍵は、設問三に「岡倉天心らは、日本美術院を結成して伝統美術の発展をはかった」と書かれていることだ。天心はフェノロサと欧米美術を視察し帰国早々東京美術学校設立の中心人物となり、校長に就任し政府に民族主義的理念に基づく美術教育の方針を採用させ、伝統芸術の保存と復興に努めその価値を再評価させた。つまり、試験問題がいう再評価は、民族主義的理念に基づく伝統文化の再評価であった。その潮流はその後どうなったのか。

 迂遠だが、私も学んだ国民学校の教科書から見ていこう。入江曜子の『日本が「神の國」だった時代』から引用する。

 「日本ヨイ國  キヨイ國  世界ニ一ツノ  神ノ國

  日本ヨイ國  強イ國  世界ニカガヤクエライ國」

「天照大神の仰せによって、神のお血すじをおうけになった天皇が、日本をお治めになります。臣民は、祖先のこころざしをうけついで、ひたすら、天皇の大みわざをおたすけ申しあげてまいりました。

 かように、國の始めから、君と臣との分がさだまっているということが、日本の國の一番尊いところであります」

「臣民としての道を守り、命をささげて陛下の御ためにつくすのが、ほんとうの日本国民だと玉木のおじ様が教えてくださいました」。

 神国日本、君臣の道、これは理論ではない。理論でないところが強いのだ、というのが皇国の教育方針であったから、民族主義的理念に基づく美術教育の方針をとるのは容易であった。このような教育を可能としたのは帝国憲法と教育勅語である。

 鶴見俊輔は指摘する。「一九三〇年代に起こった極端な国家主義の風潮は、純粋な、混じりっ気なしの日本民族というものがあってその先祖は天から下ったものであり、そしてその純粋な日本民族がすぐれた芸術作品をつくって今日まで残したものであると唱えていました。柳宗悦は、日本政府が国宝に指定した多くのものが、政府代表と国家主義者たちが、これらこそ日本文化の優越性を証明するものであると声高に説く風潮にさからって、これは虚心に見るならば日本に移住した朝鮮の工人が残したしごとであるとのべました」(『戦時期日本の精神史』)。

 民芸運動の提唱者柳宗悦に直接きこう。

 「日本が国宝として世界に誇り、世界の人々もその美を是認している作品の多くは、誰の手によって作られたのであるか。中でも国宝の国宝と呼ばれねばならぬものの殆ど凡ては、實に朝鮮の民族によって作られたのではないか。之に次いで支那のものが多いのは言うを俟たぬ。この事は史家も実証するまぎれもない事実である。それらは正当に言えば朝鮮の国宝とこそよばれねばならぬ。例えば、法隆寺の金堂を飾る最も優秀な仏像は、今『百済観音』と呼ばれているではないか。永く秘伝せられた夢殿に在る同じ観音の立像も、その様式からしても美からしても、まぎれもない朝鮮の作ではないか。中宮寺や広隆寺に保存せられている、あの美しい想ひがちな弥勒の半跏像も、様式は支那に起因しても恐らく朝鮮から伝来せられたものであろう。日本に渡ったものの内で、最も美しいものの一つである玉虫厨子は、朝鮮の名誉をこそ永遠に伝えるであろう。工芸品に至れば殆ど列挙するに暇がないであろう。昨春聖徳太子千三百年祭の法会の折に、特に展覧された多くの御物、又は正倉院に伝蔵せられている種々な古作品、それ等のものの大部分は恐らく朝鮮から伝来せられたものであろう。厳密に日本の国宝から朝鮮の作、又その遺風を伝えたものを除去して了うならば如何にそれは残り少なく寂漠としたものであろう。日本の文明が朝鮮の美に温められて生まれたといふ史実こそ不変である。人々は何故この顕著な事実をもっと意識しないのであろうか。この意識が強まるならば、朝鮮に対する吾々の態度は一変化をうけるにちがいない。その卓越した芸術に対する失念が、如何に友邦への理解を妨げているであろう」(『朝鮮の美術』大正十一年正月号「新潮」『柳宗悦選集第四巻』所収)

 当地鶴岡出身の丸谷才一が推賞する辻惟雄の『日本美術の歴史』は「宝冠弥勒と呼ばれる広隆寺の弥勒菩薩半跏像は、用材のアカマツが日本の仏像には例がなく、これとよく似た姿の弥勒座像が韓国の中央博物館にあることなどから、新羅仏とする見方が有力であり、推古三一年(六二三)に新羅より贈られたものとされる。現在は乾漆が剥がれ痩身となっているが、それを補えば容貌など韓国像により近づくという。現状でも瞑想する弥勒の顔つきには慈愛がこもり、指先には繊細な感覚がやどっている」と書いている。

 試験問題の「両者がとてもよく似ているのは、当時の東アジアの歴史が関連しあって推移していたからだろう」という曖昧模糊とした文章は、弥勒菩薩半跏像が新羅より贈られたという事実を隠蔽し、日本文化の優越性を誇示しようとする民族主義的理念のもとに書かれたものといえよう。そうでなければ、「歴史が関連しあって推移していた」から「よく似ている」彫刻ができたのだという因縁を実証的に記述すべきである。

 このような国粋主義的な伝統文化論の底流は西尾幹二らの『市販本・新しい歴史教科書』の記述にもみられる。

 「岡倉天心は、『アジアは一つである』との言葉を残している。天心は、中国やインドなどアジアの美術が、日本に伝わって一つになったと考えた。日本人は、大陸の文化を積極的に取り入れながら、独自の美意識に裏づけられた世界に誇る美術作品を生み出してきた」と記し、その「世界に誇る美術作品」を「日本の美の形」と称し縄文時代の火炎土器、弥生時代の銅鐸、飛鳥時代の百済観音、奈良時代の阿修羅像、月光菩薩像・鑑真和上像、平安時代の普賢菩薩等々の写真を載せている。

 「市販本・新しい歴史教科書」(改訂版)は平成一七年三月に検定に合格した教科書の市販本である。この改訂版も巻頭に「日本の美の形」という頁を設け百済観音像や阿修羅像などの写真を掲載しているが、西尾・市販本の「岡倉天心は・・・」から始まって「独自の美意識に裏づけられた世界に誇る美術作品を生み出してきた」までの記述を削除している。これは、代表執筆者が西尾幹二から藤岡信勝に代わり小林よしのり、田中英道ら六名が監修や執筆からはずれたので、国粋主義的記述を控えたのであろうか。

 入試センター試験にこのような問題が出されたということは授業もそうなっている、そういう方向にむかうということであろうか。

 釈然としないのは、教基法改正の問題点の冊子が「『改正案』は『我が國の伝統と文化を尊重』することを教育の目標としています。たしかに日本にはヨーロッパ、中国、インドなどとは区別される独自の伝統・文化が存在し、それは尊重されるべきものです」と留保なしに断定していることである。これでは、改正派の伝統と文化論を容認したものと読める。続いて「『伝統』とか『文化』とかの概念には、法律である以上、二義の解釈を許さない厳密さ、明確さが求められ」るから法律に書くことは許されないといい、「あれこれ考えるとますます判らなくなるのが、『日本の伝統と文化』なのではないでしょうか」と続く。これでは読者は「ますます判らなくなる」のではないか。

 憲法二五条は「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」と規定している。のみならず、改正前の教育基本法前文は「さきに日本国憲法を確定し、民主的で文化的な国家を建設し」、「個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期するとともに、普遍的にしてしかも個性ゆたかな文化の創造をめざす教育を普及徹底しなければならない」と謳い、同二条で「学問の自由を尊重し、実際生活に則し、自発的精神を養い、自他の敬愛と協力によって、文化の創造と発展に貢献するようにつとめなければならない」と教育の方針をさだめていた。

 文化は、改正前の教育基本法が宣言していた真理と平和、人間の尊厳などの普遍的な価値をになうものでなければならない。明治憲法や教育勅語に由来する国粋主義的超国家主義的な文化を「再生」させてはならない。



書評 マエキタミヤコ著「エコシフト」

東京支部  永 盛 敦 郎

 この本(講談社現代新書)のサブタイトルは、「チャーミングに世界を変える方法」である。何とかして世界を変えたいと思っておられる団員諸氏にぜひご一読をお薦めしたい。

 著者は某大手広告会社にコピーライターとして勤務するかたわら、ボランティアで自然保護団体の広告を手がけたことから環境問題に取り組み、あわせてNGOのための広告メディアクリエイティブを立ち上げるなど、ユニークな活動を続けている。

 彼女がかかわった活動のひとつを紹介すると、「グリーンピース」から依頼を受けた、二〇〇三年三月のイラク戦争に反対する平和デモの広告がある。当時、アメリカのイラク攻撃の危険が切迫する中、全世界に反戦の波が広がっていた。「ロンドン二〇〇万人、ローマ一〇〇万人、ベルリン五〇万人、ニューヨーク三八万人、パリ二〇万人、トウキョウ五〇〇〇人(すくなっ)。」という状況だった。街で、なぜ平和デモに行かないのかというインタビューを受けたおばさんたちが照れて笑いながら、「だって、誘われていないんだもの。」 と答える姿を見て彼女は、じゃあ誘われれば行くんだと考える。そこで、チャーミングなお誘いが考案された。朝日新聞全国版に全面広告が載る、それは花柄の地の上に大きく「NO WAR」の五文字が描かれたぬりえだった。欄外には、これに自分の好きな色を塗ってダンボールに貼り、柄をつけてプラカードにする方法が図解されている。これさえあれば、ピースパレードに参加できる、知っている人がいなくてもみんな仲間だ、というわけである。事実、平和デモの参加者は五万人までふくれ上がった。上から下までブランド品で固めたカップルや、マッキッキに染めた髪でベビーカーを押すヤングママなど、おそらく生まれて初めてと思われる多くの人が平和への意思表示に参加したのである。

 彼女は言う。シュプレヒコールはパワーを持たない人たちがパワーを持つ人たちにアピールするには有効な手段であった。ところがその条件として「怒り」を原動力とした「弱者の表現」という既成概念がつきまとう。しだいに、「シュプレヒコール」的表現はその団体に属していない一般の人からは「威圧的」「強すぎるこわさ」と認識されるようになった。 そこで、「シュプレヒコール」的表現にかわって、つい頬が緩んでしまう「チャーミング・アプローチ」が登場する。「伝えたい、話し合いたい」という気持ちを原動力にし、表現は魅力的でチャーミング。内容はシビアで深刻でハードでも、表現はできるだけ余裕とユーモアを持たせて魅力的に伝える、というのである。そして彼女は、もっと政治を魅力的に、きれいに、楽しめるように変えよう、と結んでいる。

 今、私たちは、国会の中の状況では、いつ平和憲法が破壊されてもおかしくない局面に立たされている。労働、福祉、教育などあらゆる分野で、大切にしてきた価値が失われようとしている。しかし、世論調査の結果を見ても、これに反対する人たちは決して少なくない。大きな輪を作るための「チャーミング・アプローチ」を考えてみることが必要ではないかと思うのである。



憲法改悪と朝鮮半島有事計画

すべては朝鮮半島有事から始まった(下)

広島支部  井 上 正 信

(前号の続き 二 新ガイドライン、周辺事態法はその後の有事法制と憲法改悪への出発点、の2から)

2 周辺事態法と共同作戦計画

 周辺事態法案が審議されていた一九九九年二月日米共同指揮所演習が開催された。この演習は周辺事態と日本有事を一体化した想定で、日米相互防衛計画の原案に基づいて行われた。この演習に外務省、厚生労働省、国土交通省、海上保安庁、警察庁が視察と称する参加をした。厚生労働省から医政局指導課の担当官、国土交通省から課長職以下延べ一五名が参加した。「包括メカニズム」の関係省庁局長等会議メンバーが日米共同演習を実地に体験して、その後の有事法制策定の参考にしようとしたことは明らかであろう。この点を質問された政府参考人は、関係省庁当局長等会議のメンバーだから参加したと応えている(二〇〇二年三月一九日参議院外交防衛委員会、質問者共産党小泉親司)。「包括メカニズム」の内部では、有事法制の内容がかなり作られつつあったと想像できる。

 では、周辺事態での日米共同作戦計画であるOPLAN五〇五五の策定はどこまで進んでいたのであろうか。実は、二〇〇二年三月一九日参議院外交防衛委員会で小泉議員はこの点を質問している。米太平洋軍司令官ブレアーが、二〇〇二年二月二七日米国下院国際関係委員会東アジア太平洋小委員会で「九七年に改訂されたガイドラインの下で最初の二国間防衛計画に署名した」と証言したことを紹介しながら、何時どのレベルで作られたのかを中谷防衛庁長官へ質問した。長官は日米安保協議委員会では調印していないが、事務作業段階で調印したことを認めた。おそらく共同計画検討委員会で調印されたのではないかと想像できる。西沢優氏は二〇〇一年九月までに制服組が作り上げ調印されたと断定されている(軍の論理と有事法制・日本評論社)。西沢氏の論文によると、在日米軍司令官ポール・へスター中将は、二〇〇一年八月二四日付ジャパンタイムズ紙のインタビューで、二〇〇一年九月開催予定の日米安保協議委員会へ相互協力計画が報告されると述べたが、九・一一テロ事件で開催できなかったとのことである。もし日米安保協議委員会が開催されたら、そこで計画は調印されていたのであろう。二〇〇一年九月までには制服が作り上げ調印されたという根拠はここにあると思われる。

 先の団通信で私は、朝鮮半島有事を想定した共同作戦計画が二〇〇二年に調印されたと報道した朝日新聞記事(〇四・一二・一二)を引用した。そうすると、この記事が報じた「調印」とは、日米共同計画検討委員会レベルではなく、おそらく日米安保協議委員会での調印ではないかと推定できる。そうであれば日米両政府の正式な合意である。二〇〇二年一二月一六日に日米安保協議委員会が開かれている。ここで在日米軍再編と称されている日米同盟再編強化のプロセス開始が合意されている。この際、共同作戦計画(OPLANではなくCONPLANであることは先の団通信を参照されたい)が調印された可能性がある。

三 改憲策動の策源は日米共同作戦計画

 私は、これらの動きを整理しながら、日本での有事法制制定、憲法改悪策動では、常にそれに先立つ軍事的既成事実が密かに積み重ねられ、その上にたって法制度が整備され、一定程度整備された法制度はそれが作られた時点では既に軍事的既成事実はその先を先行しているという関係を痛感している。現在の防衛法制の大きな転換と憲法改悪策動は、歴史を現在から遡れば、その源流は新ガイドラインに行き着くのである。新ガイドラインは日米の軍・政合意である。旧ガイドラインは、合意した主語が「自衛隊及び米軍」であるが、新ガイドラインは「日米両国政府」が主語である。策定に関わったのも、旧ガイドラインでは米国側は駐日公使と在日米軍参謀長であるが、新ガイドラインでは国務・国防の両次官補である。米国とすればいわば支店レベルから本店管轄にしたといえる。新ガイドラインで日本の政治が実行したのは周辺事態法であり、有事法制制定や集団自衛権の制約を乗り越えられなかった。アーミテージ・レポートはここに不満の焦点を当てた。周辺事態法制定時には軍事では既に有事法制を先取りした動きを積み重ねている。政治が有事法制の整備に取りかかる段階では、軍事面で日米同盟再編強化の協議を進め、集団自衛権行使が避けられない既成事実を積み重ねている。中間報告を受けて、有事法制を法的な基礎としながらOPLAN五〇五五の策定を急ぎ、〇七年(つまり今年)秋完成を目指しているといわれる。今年は数年後を目指した憲法改悪の重要な転換の年になろうとしている。安倍内閣が集団自衛権行使に関する憲法解釈を見直そうしているのは、これらの軍事的既成事実の積み重ねを国内法制化するためである。集団自衛権行使の憲法解釈見直し、自衛隊海外派兵恒久化法の制定を果たせば、その先を行く軍事的既成事実に突き動かされるように憲法改悪へ向けて突き進むであろう。目には見えない海洋深層水の流れが海流の流れを左右しているように、日米共同作戦計画は深層で改憲策動を規定しているのである。

 OPLAN五〇五五は、私たちの平和と安全に極めて重大な影響を与えるであろう。憲法改悪の内容を軍事面から語ることで、私たちの国が何をしようとしているのかを分かりやすく説明できるであろう。



―「官」に奉仕せず、「民」に奉仕せよ(一)

誰のための刑事弁護

東京支部  後 藤 富 士 子

一 「司法支援センター解体」運動

 被疑者・被告人の国選弁護人推薦権を掌握する司法支援センターは、昨年一〇月から業務を開始した。すなわち、その当否はともかく、国選弁護事件は、同センタースタッフ弁護士か、同センターと国選契約を締結した弁護士でなければ行えないことになった。これが前提事実である。

 ところが、〈「司法改革」と東弁のあり方を考える会〉は、会員に国選契約拒否を呼びかけ、「支援センターを解体し、推薦権を取り戻そう」という運動を展開している。その成果として語られるのは、東弁会員のうち、被告人国選は約七四%、被疑者国選は約八九%が契約をしていないという(「東弁を考える会通信No.二六」)。そして、「センター解体」を叫ぶ理由としては、単に推薦権の帰属だけでなく、格差社会を反映して国選事件の割合が高くなる一方で私選弁護が激減し、センターの国選報酬値下げにより、弁護士の経済基盤はますます悪化することが挙げられている。

 そこから、新人弁護士への「研修の一環」として支援センターとの契約締結による国選受任義務化に反対し、贖罪寄付金を失ったことによる人権擁護自主事業財源として会費月額二五〇〇円値上げが必要になるから反対、来年から修習修了直後の弁護士をスタッフ弁護士として直接採用して養成することにも反対という。

 できもしないことが分かっていながら「センター解体」を叫ぶ運動は、学園紛争世代の私には、とても懐かしい光景である。そして、いろいろ難癖をつけていても、結局は「弁護士の経済基盤の悪化」に抵抗する既得権益擁護の利己的な運動であることは、恥ずかしくなる程あからさまである。

二 国選弁護の変質

 不毛の論争に気を取られているうちに、国選弁護は変質している。それは、従前、被告人が国選弁護請求申出をしていたのに対し、被疑者であれ、被告人であれ、国選弁護を享受するには、私選弁護を申し込み、弁護士が私選弁護の受任を拒否しなければならない。つまり、被疑者・被告人には私選弁護の申込みしか許されず、国選弁護は権利ではなく恩恵にすぎない。また、弁護士も「私選の高い報酬を払えないなら受任しない」と、まるで「報酬目当ての私的実業家」(戦前の国民が弁護士をどのように見ていたかというオプラーの指摘)を演じなければならないのである。

 こんなことになるために司法支援センターを創設したのではなかったはずだ。どうしてこんなことになったのか考えると、結局、「誰のための国選弁護か」が忘れられたからであろう。

三 刑事弁護報酬について

 公的弁護の領域が拡大すればするほど私選弁護は減少する。しかし、公的弁護事業の資金は税金が投入されるから、公的弁護を受けられるのは「資力のない者」という線引きをなくすことはできない。その結果、「無資力」要件を欠くために、必ずしも質が高いとはいえない私選に国選の何倍もの報酬を払わなければならない人々が生じる。一九九四年にカリフォルニアの公設弁護人制度を見て感じたことは、検察官と対抗するように、安いとはいえ給与が保障されて刑事事件を専門にやっている弁護士の技能は当然高くなるのに、資力のある者は依頼できないという逆差別的不公平である。しかし、よく考えてみれば、私選弁護の質と価格が公設弁護人のそれに及ばなくなっている現象は、私選弁護の側で、質と価格において依頼者を満足させることができるようにするしか解決策はない。結局、刑事弁護は依頼者のためのものなのである。

 このことを日本の現状に当てはめて考えると、日本では刑事専門弁護士は極めて少ないし、刑事弁護のために設立された東弁の北千住公設事務所でさえ、事務所経営の観点から、刑事専門ではない。刑事弁護は全く組織化されていない状態で、著名な刑事事件の私選弁護人は所謂「ヤメ検」弁護士が多い。一方、国選弁護は、その報酬の低額なことを理由に、数年前には「プロボノ義務化」の筆頭に上げられたが、弁護士が増員された今では国選を受任しようと行列である。かように需給関係が激変したにもかかわらず、国選弁護の質は向上していないし、組織化も進んでいない。このような状況下で支援センターが設置されたのである。

 そうすると、支援センターは、新人をスタッフ弁護士として低額の給与で雇用し、OJTで検察官に対抗しうる刑事弁護の力量をつけさせ、組織的に刑事弁護の質の向上を図るほかない。国選報酬については、殆ど弁護活動をやらずに一回結審というなら高額の時給になるのであり、それが弁護の質を引き下げていることを考えると、そのような弁護を排除していく必要がある。弁護士の数が増えれば、スタッフ弁護士ではなくとも国選を中心にした刑事専門弁護士が生まれることも考えられる。そうして技能を蓄積すれば、私選も依頼されるようになろう。また、無資力ではない依頼者から私選を受任しやすくするために、私選報酬の低額化を検討すべきであろう。

 いずれにせよ、刑事弁護は被疑者・被告人のためのものである。国選だからといって「官」に奉仕せず、あるいは「支援センター解体」などと叫んで被疑者・被告人を野晒にせず、また普通の市民が安心して私選弁護が受けられるように報酬を低額化して、「民」に奉仕すべきである。



リーフレット「国民投票法反対読本」を改訂しました!!

二〇〇七年春号です。

大量普及して法案成立を阻止しましょう!

改憲阻止対策本部担当次長  山 口 真 美

 お待たせいたしました。三〇万部を超えるご好評をいただいたリーフレット「国民投票法反対読本」を改定しました。改訂版は、与党と民主党の修正案に対応した内容となっています。

 安倍首相は、七月の参議院議員選挙の争点の一つとして改憲をあげると明言しました。こういった中で、国民投票法案のねらいが、日本をアメリカと一緒に海外で戦争する国にすることにあることがますます明らかになっています。

 他方で、国民の六割以上が国民投票そのものすら「知らない」と答えています(NHK世論調査〇六年三月)。法案の成立阻止のためには、法案の危険性を広く国民に知ってもらうことが重要かつ緊急の課題となります。

 リーフは、(1)国民投票運動の規制、(2)改憲派によるマスメディア利用の危険性、(3)少数の賛成で改憲を実現しようとする危険性という法案の三大問題点を分かりやすく明らかにしています。

 リーフは、A4版のフルカラー両面刷りで、二つ折りにして文庫本風に配布できます。配布したときの受け取りがたいへん良いと好評を得ています。

 国民投票法が成立すれば、いよいよ改憲は秒読みの情勢となります。与党と民主党の修正合意を許さず、今通常国会での法案成立を阻止しましょう。国民投票法の危険性を広く国民に訴え、法案の成立を阻止する運動を大きな波とするための宣伝ツールとして、ぜひ、大量にご活用ください。

◆ご注文は自由法曹団本部までお寄せください。

* 一枚七円です。(値下げしました)
* 一〇〇〇部以上の場合は送料無料。一万部以上の場合は一枚五円です。
* 御注文の順に発送いたします。ぜひ、お早めに御注文ください。
* 郵送費は、別途御請求いたしますので、御負担お願いいたします。



「そのとき歴史が動いた」にテレビ出演!!

 京都支部の近藤忠孝団員(イタイイタイ病裁判の当時弁護団副団長)が三月七日(水)午後一〇時からの「そのとき歴史が動いた」(NHK総合テレビ)にゲスト出演されます。

 お見逃しなく!!

【近藤団員からのメッセージ】

 報道概要をお送りします。

 故梨木作次郎団員、豊田誠元団長、近藤忠孝、木澤進、山下潔、石橋一晁、松波淳一(元団員)、稲田堅太郎団員らが裁判の中心的役割を果たし、裁判終了後の発生源対策(無公害産業の実現)カドミ汚染土壌後元(豊かな大地のとりもどし)イ病認定(患者救済)のために中堅・若手団員が奮闘しています。