<<目次へ 団通信1229号(3月1日)
山口 真美 | 国民投票における有料広告は全面禁止 イタリア国民投票制度調査報告・速報版 |
城塚 健之 | 「代行店」は労働者─ビクターサービスエンジニアリング事件で勝利命令 |
鍜治 伸明 | 忘れたころの歴史的判決(所沢産廃問題) |
中野 直樹 | 二〇〇六年 私のまち相模原市のうねり |
井上 正信 | 戦争国家体制づくりの源流(上) |
一 イタリアの国民投票制度の調査へ
「イタリアでは国民投票における意見広告は厳しく規制されるらしい。しかも、二〇〇六年の憲法改正国民投票も否決されたそうだ。」「しかし、実態がよく分からない。」「では、イタリアまで調査に行きましょう。」と、イタリア訪問が決まりました。
さて、本当に行くのだろうかと思っているうちに計画はどんどん進み、二月一二日出国、一七日午前帰国というハードスケジュールでイタリアに行ってきました。
聴取・面会した方々は、次のとおりです。
情報通信の監督に関する独立行政委員会(アウトリタ)のニコラ・ダンジェロ氏とラウラ・アリア氏、国会の放送サービス指針監視委員会のジェンナロ・ミニオーレ氏(イタリア下院議員・共産党再建党所属)、国営放送のジャーナリストであるロベルト・ナタール氏(国営放送の労働組合の元組合長)、テラモ大学教授アンジェラ・ムスメイジ氏、弁護士ジョバンニ・グッツェッタ氏とフランチェスコ・セベリーオ・マリーニ氏の七名です。
成果は上々。イタリアでは、選挙運動及び国民投票運動期間中のマスメディアへの平等なアクセス並びに政治的宣伝に関する法律(二〇〇〇年二月二二日、法律第二八号)によって全国放送での有料意見広告は全面禁止、無料の意見広告では反対派・賛成派が公正・平等に扱われています。
有料意見広告を規制する法律第二八号は、ベルルスコーニ元首相によるメディア支配を経験し、資金力のある者が「カネで政治を買う」ことの恐ろしさを体験したイタリア国民の智恵の結晶です。
二 イタリアメディアの状況
イタリアでは全国ネットは、国営放送が一社で三チャンネル、民間放送が四チャンネル。そのうち、民間三チャンネルがベルルスコーニ元首相の傘下。ベルルスコーニが所有するチャンネルが視聴率の四五%、広告率の六〇%以上を占める状況。これに対して、地方局は七〇〇以上。新聞は大手が三、四紙ほど。もっとも、人口五八〇〇万人の国で最大発行部数が一〇〇万部も行かない国であり、しかも駅売りがほとんど。そのため、テレビの影響力が絶対的な比率を占めています。
九四年、結成されて数ヶ月のベルルスコーニが率いる政党がこうしたメディアの状況を悪用し、政権を取るという事態が生まれました。ベルルスコーニによるメディア支配を是正する必要性が強く意識され、法律第二八号による有料広告の禁止へとつながっていきました。
三 有料広告の禁止と無料広告の公平の保障
全国ネットに関しては、有料広告を野放しにすると影響力があまりにも大きいことから、法律第二八号によって国民投票運動期間以前においても有料広告は全面禁止となっています。
しかも、無料広告についても、その時間の割当については公平性の確保が要請されています。また、政治番組についても中立的な報道が要求されています。選挙運動期間中にはメディアを通じての政治活動は政治広告か政治番組を通じてしか認められておらず、ベルルスコーニ元首相がACミラン会長という肩書でテレビに出演して政治活動をした際には放送局に二五万ユーロの制裁金、対立候補に同じ時間の出演を命じる制裁がなされました。
また、地方局は、七〇〇以上もあるため、多様性を保つことができるとして、有料広告も認められています。もっとも、有料広告と同じ時間だけ無料広告をするという条件が付されいます。さらに、有料のCM料金については国民投票運動期間に入る際に、料金表の公開が義務づけられています。もちろん公平な時間の割当の要請は同じです。
国営放送及び民間放送の監視を行う機関は、一般指針の策定及び監視を行う国会の放送サービス指針監視委員会と情報通信の監督に関する独立行政委員会(アウトリタ)です。
四 情報通信の監督に関する独立行政委員会(アウトリタ)について
アウトリタとは、九七年設立の独立行政機関で、国民投票運動及び選挙運動に際して、メディアの報道に関する規制を作り、監視をし、制裁を科す権限をもっています。
委員は九名で構成され、離職後の四年間の報道機関等への就職禁止という制約があります。予算、決算に関して国家から完全な独立性が確保されています。
独自の地方組織はありませんが、中央のスタッフは総勢約三〇〇名。そのうちの三〇名程度が監視活動に当たっています。国民投票運動期間中のテレビにおける国民投票に関する発言時間など二四時間体制でモニターし、違反があれば制裁を課しています。ベルルスコーニ首相傘下の報道機関に対しても二五万ユーロの制裁を科すなど制裁は実際に機能しています。
五 国会の放送サービス指針監視委員会について
委員会は、七五年に設立。専ら国営放送のラジオ・テレビ放送を管轄し、放送サービスに関し一般的指針の策定及び監視を行っています。委員は、上院二〇名・下院二〇名の議員から構成され、スタッフは約一〇人。
委員会の権限は専ら一般的な指針の策定が中心で、アウトリタにように監視・制裁は行いませんが、国営放送の理事会を構成する九人中八人の任命権を持つことで、国営放送に対して政治的影響を行使できます。
六 表現の自由との緊張関係について
法律第二八号と表現の自由との関係についても国民的理解が得られいます。
下院議員ジェンナロ・ミニオーレ氏の言葉が印象的でした。イタリアでは、まさに法律第二八号によってこそ言論の自由が確保される。イタリアにおいては、法律第二八号ができるまでは言論の自由は形式的なものにすぎなかった。この法律によって小さな政治勢力にも自由に発言する機会が実際に与えられるのであって、実際に言論の自由を実現するのは法律第二八号であるとしています。アウトリタのニコラ・ダンジェロ氏も、現在のような規制をすることで多様な情報に等しく接することができ、監視を行うアウトリタは、国民の権利を保障する上でも重要な役割を果たしており、国民にも支持されているとしています。憲法裁判所も同様の判断をしているとのことです。
七 最後に
政治的広告に関してイタリアでは国営放送には無料広告が義務付けられています。より多くの人々が自由に意見を言い、国民が多様な意見に触れるためには意見広告を無料としていることが重要であり、イタリアでは、有料広告を全面的に禁止する一方で、無料広告を保障することで自由な言論が保障されていることが分かりました。また、こういった考え方は、イタリア独自のものではなく、フランスやスペインでも政治的広告は無料で行なわれているとのことです。
以上がイタリア調査の速報版です。無料広告について調べるためにフランスやスペインにも行こうなどと言うことにならないよう祈りつつ、現在、イタリアの国民投票制度と有料広告規制に関する詳細な調査報告書を作成中です。
一 最近、「雇用契約」ではなく、「請負契約」や「委託契約」などという働き方が増えているのは労働問題に多少とも関心のある方ならご存じのこととと思います(個人請負などともいいます)。もちろん、これは、働く側ではなく、働かせる側のニーズによるものです。「雇用契約」でなければ、労働法の適用がないので、使用者は働かせ放題。残業代を支払う義務もなければ、社会保険料の使用者負担もない、解約(解雇)も自由、労災にも責任を負わないということで、企業にとってはまことに都合がよろしいのですが、働く者にとってはたまったものではありません。もちろん強行法規たる労働法の適用は実質で判断されるべきものですから、契約形式でこれを免脱することはできません。実質的に労働者であれば、労働法の保護が受けられ、使用者にはさまざまな規制が課されます。にもかかわらず、形式をたてに使用者が責任を免れようとするやり方が横行しています。労働者派遣法の適用を免れようとして請負契約を締結する「偽装請負」が、昨年来、社会問題となったことは周知のとおりですが、これにならって、脇田滋教授は、労基法や労組法潜脱の目的で締結する請負契約を「偽装雇用」と名付けておられます(労旬一六三四号。なお「偽装請負」が「形」に着目したネーミングであるのに対して、「偽装雇用」は「実質」に着目したネーミングなので、個人的には違和感があるのですが、さしあたりほかに適当な用語が思いつかないので、これに従っておきます)。これはその一事例の報告です。
二 ビクターサービスエンジニアリング(千葉県浦安市)は、日本ビクター(横浜市)の子会社で、テレビ・ビデオ等の家電製品の出張修理を行っている会社です。そこには、「代行店」と呼ばれる労働者がいて、朝八時半頃から晩の八〜一〇時頃まで出張修理業務に従事してきました(こんなに遅くなるのは夜間修理を終えてから会社に戻って報告業務をしなければならないからです)。こんなに長時間働いてろくに休日もない生活を続けて、会社からもらう「報酬」は手取りで一五万円〜四〇数万円程度。同年代の正社員の三分の二程度です。ところが会社はコスト削減のために「代行店」の取り分をさらに減らしました。しかも、当初は二年だけという約束だったのに、会社は約束を反古にして削減期間を延長したものですから、これでは家族を抱えて生活できないと、彼らはJMIU(全日本金属情報機器労働組合)に相談し、その指導の下に分会を結成して、会社に団体交渉を申し入れました。しかし、会社はこれを拒否し、「すぐに帰らなければ警察を呼びます」という態度をとりました。そこで、二〇〇五年三月、分会は、地本・支部とともに、大阪府労委に救済申立をしました。
そして、大阪府労委は、二〇〇六年一一月一七日、「代行店」は労組法上の労働者であると明快に認めて、会社に団体交渉と謝罪文の手渡しを命じました。
三 本件の最大の争点は、「代行店」が労組法三条の労働者にあたるかという点でした。大阪府労委は、労働者性の判断基準について、「雇用契約下に『賃金、給料』を受ける者のみならず、使用者との契約の形態やその名称の如何を問わず、賃金、給料に準ずる収入を受ける者であって、雇用契約下にある者と同程度に団交の保護を及ぼす必要性と適切性が認められる労働供給契約下にある者を含む」と、菅野教授の定義(菅野和夫「労働法」第七版補正版四五〇頁)をほぼそのまま採用して、以下のとおり、あてはめを行っています。
(1)会社組織における不可欠性
会社の主たる事業目的である修理業務は主に「代行店」が担っており、必要不可欠な労働力として組み込まれている。
(2)会社への専属性及び従属性
「代行店」の受注件数からすれば独立した事業者として活動を行う時間的余地はないので、専属であり、また、独自の屋号を用いているわけでもなく、顧客との直接取引は制限され、「代行店」が所有する自動車の任意保険・所得補償保険への加入も義務づけられ、修理手順や顧客への対応方法もマニュアルに決められ、高価な工具は貸与され部品も支給されているなど、会社に従属している。
(3)委託料の労務対価性
「代行店」は設備機械を有しておらず、修理業務は労務提供といえること、訪問件数には時間的に上限があり、委託料もその範囲にあること、無料修理の委託料計算は会社が一方的に定めていることから、委託料は労務の対価とみるのが相当である。
(4)業務遂行上の指揮監督
会社は「代行店」の訪問先、訪問日を一方的に決定し、修理業務はマニュアルに沿って行わせており、接客態度も指導している上、研修を行ったり制服や社員証等を使用させて、顧客にあたかも従業員が修理に来ているように思わせるよう指導しているのであるから、業務遂行の指揮監督をしているといえる。
(5)業務時間、業務日及び業務担当地域の拘束性
会社は出退勤管理は行っていないが、一日の標準訪問件数を定め、訪問日・訪問時間も会社が決めていること、休みも会社が輪番制を敷いていること、業務担当地域も会社が指定していることから会社に拘束されていたといえる。
(6)業務依頼に対する諾否の自由
「代行店」は会社のコールセンターが決めた訪問先を決められた時間に訪問する義務があり、会社からの業務依頼に対して諾否の自由はない。
これらは、素直でオーソドックスな判断といえます。もっとも、会社は、命令後ただちに「組合との団交に応じる考えはない」とマスコミ各社にコメントし、中労委に再審査申立をしました。会社は、「労組法上の労働者」性判断にかかるCBC管弦楽団労組事件最判昭和五一年五月六日(労働判例百選第七版3事件)が「労基法上の労働者」性判断にかかる横浜南労基署長(旭紙業)事件最判平成八年一一月二八日(同1事件)により否定されたという独自の論理を展開して、徹底的に争う姿勢を崩していません。
四 この一〇年、雇用流動化を進める日本経団連路線のもとで、非正規雇用労働者の割合は三割を突破し、さらにその周辺に(特に電機・IT・運送・建設等の業界で)本件のような請負労働という就労形態が広がってきました。現代ほど真面目に働く労働者が痛めつけられている時代はありません。
こうした中で、大阪では労組法上の労働者性を争う事件が二件(イナックスメンテナンス事件とビクターサービスエンジニアリング事件)たたかわれており、注目を集めています(現在、いずれも中労委係属中)。本件命令についても、読売新聞夕刊の一面にとりあげられたほか、各紙で大きく報道され、その社会的意義の大きさに、弁護団として改めて身の引き締まる思いをしました。今後各地でこうした労働者を組織化し、「偽装雇用」をただす取組が広がることを期待しています。
(弁護団 鎌田幸夫、篠原俊一、河村学と私の各団員)
さいたま地裁判決
本年二月七日、さいたま地裁第四民事部(豊田建夫裁判長)は、埼玉県知事がなした産廃業者に対する産業廃棄物処分業の変更許可処分の一部取り消しを命じる判決を出した。
焼却から破砕へ
ダイオキシン問題で有名になった所沢周辺だが、住民の粘り強い運動によって、それまでにあった産廃焼却施設についてはほぼ根絶することができた。
しかし、ダイオキシン問題は終っても、所沢周辺の産廃問題は終っていなかった。所沢周辺は、東京から至近距離にあるという地理的条件から、産廃の中間処理を行うには絶好の場所のようであり、産廃業者もなかなかあきらめない。焼却を断念した業者が、次々と破砕に転業して、稼働を続けている。埼玉県としても焼却さえやめてもらえば「ダイオキシン」の悪いイメージから脱却できるということで、安易に破砕施設に対する許可を行ってきた。
ずさんな許可行政
今回問題になった許可の対象となっているのは、石坂産業という産廃業者である。石坂産業は、早々と焼却に見切りをつけ、焼却施設に代えて大規模な破砕施設を作り、事業を拡大していった。これに際して事業範囲に変更が生じるので、石坂産業としては、廃棄物処理法上、埼玉県知事の許可を受けなければならなかった。これまでも、埼玉県の廃棄物行政は、「埼玉がゴミを受け入れなければ、一体どこが引き受けるんだ」という方針のもと、一貫して業者側を向いていた。今回も、埼玉県知事は、地元住民の反対にもかかわらず、いとも簡単に石坂産業の事業の変更の許可を下ろしてしまった。
これに対し、地元住民が許可関係の書類を詳細に分析したところ、埼玉県が許可を下ろすに際して行った審査がかなりずさんなものであることが明らかになった。そこで、地元住民七三名が原告となり、埼玉県知事に対して、この石坂産業に対する許可処分の取り消しを求めたのが今回の裁判である。
この裁判の中で、埼玉県は、ほぼ業者の言いなりに審査をしていることが明らかになった。例えば、石坂産業が出した申請書では、明らかに「破砕施設」であるものに「破砕減容施設」という名前をつけ、廃棄物処理法上の許可が必要な「破砕施設」ではないとしていたが、埼玉県の審査は、安易にこれを追認するものであった。また、申請書では、この「破砕減容施設」の処理能力についても、明らかに不合理な数字を用いて、実際の処理能力よりも過少な処理能力を記載し、廃棄物処理法上の許可が必要な施設ではないと取り扱っていたが(処理能力が一日あたり五トンを超えないものは許可が不要)、これについても、埼玉県の審査は、石坂産業の申請を安易に追認していた。
この判決の意義
さいたま地裁判決は、この「破砕減容施設」は、あくまでも「破砕施設」であり、その処理能力も過少に申告している(実際の処理能力は一日あたり五トンを超えている)と認定した。つまり、この「破砕減容施設」は、本来、廃棄物処理法上の許可が必要な施設であるにもかかわらず、許可を受けていないということになる。そして、この「破砕減容施設」は、産廃の処分業にとっての中核的な役割を果たすものであるから、その設置について廃棄物処理法上の許可を受けていない場合には、そのような施設を含む事業範囲の変更許可は違法と言わざるを得ないという結論を導いた。
すでに述べたとおり、この裁判では、「破砕施設」とは何か、あるいは、「破砕施設」の処理能力など極めて技術的、専門的な問題が争点となった。「普通の」裁判所であれば、そのような点は行政の裁量に属する類のものであるとして、あまり踏み込まなかったであろう。しかし、今回のさいたま地裁判決は、その点に勇気をもって踏み込み、明確に違法と判断した。ほとんど業者の言いなりに審査をしてきたこれまでの埼玉県の廃棄物行政であるが、今後は多少ともまともな方向に進むのではないかと予想される。
また、今回の判決では、石坂産業の施設の周辺三キロメートル以内に居住、勤務する原告に原告適格を認めている。裁判所は、破砕施設から飛散する鉛等を含んだ粉塵による健康被害が生じる危険性がこの範囲にまで及ぶと判断したのである。産廃の破砕施設の危険性に言及した判決として、高く評価できる。
一 軍の都
私は一九九〇年に相模原市の住民となった。自宅は米軍相模総合補給廠の脇にある。七二年、ベトナム戦争の戦地に向けて搬出されようとする戦車を、市民が身体をはって阻止したたたかいの舞台である。ここを紹介した不動産業者は、冷戦終結により、近い将来米軍基地が撤去されるのではないかという話をセールスとしていた。ところが翌年、湾岸戦争が起きると、基地内には、みるみるまに巨大な倉庫群が新設され、臨戦状態となった。この市には、外にキャンプ座間・相模原住宅地区という米軍基地が居座っている。なぜこうなったのか。
一九三六年、二・二六事件がおきたこの年、陸軍が陸軍士官学校と練兵場の用地として広大な農耕地の買収を強引に進めた。これを期に四三年までの間に、現在の相模原には、陸軍関係の造兵廠、兵器学校、通信学校、機甲整備学校、病院、電信第一連隊が連綿とつくられた。「星が丘」「相武台」という現在まで残る町名の由来もここにある。この買収に対する農民の抵抗の歴史もあった。相模原市民がつくる総合雑誌季刊「アゴラ」二〇〇六年秋号に、その一部が紹介されている。
一九四五年九月、進駐してきた米軍がこれらの基地を接収していった。そして、戦後の相模原は、〇一年まで実に三七次にわたり米軍から基地を少しずつ取り戻す苦難の歴史を重ねてきた。
二 保守の風土と合併・七〇万の人口に
相模原が位置する神奈川県北部地域は全体として保守層が厚い。平板な台地に大きな工業団地をつくり、三菱重工などの大企業が進出してきた。隣の東京都町田市にマイホームを買えない新住民が流入し、二〇〇〇年に人口が六〇万人を超えた。
相模原は鉄道が中央部分を通過していないこともあり、へそがない町と言われてきた。面積も大きく、一カ所に集まることが容易ではなく、民主運動も全市的なレベルで組織がつくられることは稀有であるし、ましてや異なる潮流間の共同を実現できない状態がいまだに続いている。
自民党神奈川県議出身の現市長は「平成の合併」に飛びつき、津久井郡四町(津久井、藤野、相模湖、城山)との大合併を打ち上げた。相模原に飲み込まれることに反対する各町の町民運動を抑えて、この三月一一日、ついに津久井郡が消滅し、人口七〇万人を超える「新」相模原市が生まれることになった。現市長は、全国一九番めの人口、川崎市を抜く面積となることを自慢し、次は政令都市をめざして、さがみはらキャンペーンをはるとのことである。
三 基地強化反対闘争の高揚
二〇〇五年一〇月、在日米軍再編中間報告で、キャンプ座間に米陸軍第一軍団司令部が移転、相模総合補給廠への陸上自衛隊一三〇〇名配置などが発表されると、市当局と自治会連合会が前面に立った米軍基地強化反対運動が組織された。平和委員会、社民党系運動体も活性化し、同年一一月には市主催の屋内集会に会場いっぱいの一二〇〇名が集まり、二一万人の市民が反対署名し、〇六年一月には、自治会総連合会主催の屋外集会に一二〇〇人が参加し、「黙っていると一〇〇年先も基地の街」の横断幕をかかげたデモ行進が実現した。官製型の運動が中核であったが、このまちにとってかつて経験しないうねりであった。現市長が「命をかけて反対する」ことを公言して神奈川県下のみならず全国の基地闘争と呼応し、こだましあったことは瞠目されることだった。
残念ながら、その後現市長は、補給廠の一部の返還、補給廠への陸上自衛隊連隊の配備撤回が表明されると、キャンプ座間への米陸軍新司令部と陸上自衛隊中央即応部隊の新配置、補給廠への戦闘指揮訓練センター設置という統合軍化・作戦本部化という質的大変化を前にしながら、「国の専権事項」として後退してしまった。
四 私のまち意識の醸成と憲法運動構築への挑戦
私は地元意識の乏しい生活者であったが、このまちをふるさととする娘が地元の小中学校で育っていくにつれ、少しずつ変化が生じた。〇三年に、誘われて、さがみはら市民オンブズマンの代表となり、さまざまな思想信条の方々とともに市政チェックの活動に継続してかかわる市民となった。
〇六年はじめ、元市職員・元高校教員と三人で語らい、市レベルの「九条の会」づくりを始めた。精一杯の幅を追求した呼びかけ人さがしから始まり、どこでも苦労している課題にぶつかる日々となった。すでに地域版九条の会が六つあり、それぞれ個性をもって旺盛な活動を展開しているが、相互の関係がない。そこに市レベルのものをつくって何をするのかとの冷ややかな見方もある。ここにいきなり「市九条の会」を打ち上げてもうまくいかないと判断し、第一段階として、「憲法のつどい」大集会を企画して、これに向けた地域九条の会の交流と共同を実現しようということになった。〇六年一一月二九日夜、小森陽一さん・川田龍平さんのトーク&トーク、若者の音楽、朗読を盛り込んだ「輝け!私たちのオンリーワン」を開催した。市民会館大ホール満席に少し足りなかったが、九〇〇名集い、呼びかけ人・事務局約三〇名、九条の会結成賛同者二五〇名の財産をつくることができた。基地強化反対運動に熱心に取り組む自治労・日教組に一線を画されたことを含めてまだこの程度の到達ではあるが、かつて経験しないタイプの集会づくりの体験を通じて地域の活動家にも大きな自信が生まれている。
いま、六月「さがみはら九条の会」結成大集会に向けた第2段階の準備が始まっている。改憲手続法をめぐる情勢が緊迫しているなかで、地域九条の会がカバーできていない多くの地域での学習会、市内全駅でのいっせい宣伝行動を提起しながら、このまちの市民運動の一人としての日々が続く。
一 私は、今年の一月に「密かに進む戦争国家体制づくり」、「憲法改悪と朝鮮半島有事計画」を書き、前者は団通信一二二五号と一二二六号へ掲載され、後者は一二二七号と一二二八号へ掲載された。
この二つの小論で、有事法制の整備や自衛隊法・防衛庁設置法改正、新たな自衛隊海外派兵法制の制定の動き、憲法改悪策動を推進する核心部分が日米共同作戦計画であるが、それは国民の目の届かない秘密のベールに閉ざされた作業であること、しかし有事法制の制定、防衛法制の改正、憲法改悪策動として政治プロセスへ浮上する遙か以前から、その先取りをするように進められ、政治プロセスを牽引していることを強調した。それ故に、日米共同作戦計画の内容と、その策定プロセスを分析することが、過去・現在・将来にわたる戦争国家体制づくりの赤裸々な姿を明らかにする上で有益であることを述べた。
前記二つの小論を脱稿した後も新しい情報を入手したので、引き続きこのテーマにこだわって書くことにする。
二 二〇〇七年一月三〇日新聞赤旗が一面と三面で朝鮮半島有事の日米共同作戦計画について、しっかりした記事を掲載した。その内容は一面では、
(1) 朝鮮半島有事を想定した日米共同作戦計画の改訂作業を今年九月までに完了させる予定であること、
(2) この作業は、有事法制に盛り込まれた民間空港・港湾の強制使用規定を反映させるもの、
(3) (2)は〇五年一〇月在日米軍再編に関する合意(いわゆる「中間合意」のこと)で決めていること、
(4) 政府は共同作戦計画の検討を行う「関係省庁局長等会議」を〇六年一一月二一日七年ぶりに開催したこと、
(5) 〇六年一二月一三日共同計画委員会(BPC)が四年ぶりに開かれたこと、
(6) (1)の作戦計画を日米両政府では「五〇五五」と呼ばれていること、と報じている。三面では更に詳細に歴史的経過に言及しながら、
(7) 朝鮮半島核危機問題で、北朝鮮への軍事作戦のため日本側へ一〇五九項目の支援要請があり、この内容が新ガイドラインと周辺事態法の基礎となったこと、
(8) 米軍は、周辺事態法とその後制定された有事法制を先取りする民間空港・港湾の使用を繰り返していること、
(9) 〇五年一〇月の合意(「中間合意」)は、共同作戦計画の検討作業の拡大のため、「関連政府機関と緊密に調整する」としており、関係省庁局長等会議の七年ぶりの開催はこの具体化であること、
(10) 「中間合意」は、共同作戦計画の検討作業拡大のため、「地方当局等と緊密に調整」することや、「二国間演習プログラムを強化する」事を挙げており、〇六年一月から二月にかけて開かれた「ヤマサクラ」演習では、九州・沖縄各県の担当者が初めて参加し、「中間合意」と符合する、と報じている。
これらの内容は、私の前記二つの小論の内容とぴったり一致しているが、新しい事実も含まれているし、言及が不十分なところもある。
不十分な点とは、〇六年一月から二月にかけて行われた「ヤマサクラ」演習へ参加した九州・沖縄の各県の担当者とは、国民保護計画作成を担当する職員であり、日米共同作戦計画の策定が民間空港・港湾の強制使用(特定公共施設利用法の関係)だけではなく、国民保護計画(国民保護法関係)とも密接に結びついていること、CONPLANとOPLANとを区別せず作戦計画とひとくくりにしているため、今年九月までに完了させる予定のものが共同作戦計画の改訂ではなく、CONPLAN五〇五五をOPLAN五〇五五へ格上げする作業であるという点である。
新しい事実は、これまでの新聞記事では、今年秋までに完成を目指すとしていた(〇七年一月四日朝日新聞)のが、九月までと具体的になったこと、二〇〇一年九月に日米の制服組(在日米軍副司令官と統幕事務局長)の間で調印された作戦計画(CONPLAN)が、二〇〇二年一二月の日米安保協議委員会へ報告されたと断定していること、〇六年一一月二一日関係省庁局長等会議が七年ぶりに開催されたことである。
私は、「憲法改悪と朝鮮半島有事計画」の中で、二〇〇一年九月までに日米の制服組の間で調印された作戦計画(CONPLAN五〇五五)は、二〇〇二年一二月一六日日米安保協議委員会で調印された可能性を指摘していた。赤旗のこの記事は、「調印」ではなく「報告」としているものの、私の指摘した「可能性」を「断定」したのである。断定した根拠を赤旗編集部へ質問したところ、二〇〇三年二月二七日小泉親司参議院議員(共産党)が提出した質問趣意書への政府答弁書であることが判った。赤旗政治部からファックスですぐに送付してもらった事を感謝する。
三 1 先日入手した新しい情報を紹介する。軍事問題研究会が三年越しで情報公開法に基づく公開請求し入手した内閣安全保障・危機管理室(以下管理室)の公文書である。この文書を分析すると、新ガイドラインで設置された「包括メカニズム」が、日米共同作戦計画と有事法制制定、憲法改悪策動の策源であるとの私の主張が裏付けられるばかりか、新ガイドライン策定作業のプロセスの中で既に先取り的に進展していたことが判明した。
これらの文書は、平成一一年(九九年)六月二四日付内閣安全保障室「緊急事態対応策の検討の状況について」(以下「状況について」)と題する文書とその関連文書(一部は「極秘」の印あり)であり、「状況について」では、九六年五月内閣総理大臣(橋本龍太郎)から、我国に対する重大な危機が発生した場合やおそれのある場合の対応策を具体的に検討・研究するよう危機管理室へ指示があり、管理室は、
(1) 在外邦人等の保護
(2) 大量避難民対策
(3) 沿岸・重要施設の警備等
(4) 対米協力措置等
の四項目についてそれぞれワーキンググループ(WG1〜4)を設置し、検討・研究を進めた。
と述べている。
関連文書とは極秘の内閣安全保障室作成「今後の緊急事態対応策の検討について」と取り扱い注意や極秘のWG1の作業文書、WG1の構成メンバー表である。
2 文書の内容に入る前に、WGで検討・研究が開始された時期を考察する。橋本総理が指示をした九六年五月の一ヶ月前には、日米安保共同宣言が発表された。そこで日米両政府は旧ガイドラインの見直しを合意したのである。橋本総理大臣の指示は、明らかにこの見直し作業の開始を告げるものである。第四の検討項目では、九四年に在日米軍から支援要請のあった一〇五九項目がその検討の基礎になったことは間違いないであろう。
WG関係の文書の内多くは黒塗りされているとのことで、WG1の一部の文書についてのみ内容が判明している。それでも実に興味深い内容である。今後その他の関連文書が公開されれば、更に重大な事実が次々と明らかになるであろう。
WG1の構成メンバーにまず注目した。公開された文書をそのまま添付(後記)する。ここに登場する各省の課長の上司である局長は、外務省法人保護課長を除きすべて「包括メカニズム」を構成する関係省庁局長等会議の構成メンバーなのだ。新ガイドラインにより「包括メカニズム」設置を合意し、そのための関係省庁局長等会議が、新ガイドライン調印直後の九七年一〇月に設置されるが、既にそれ以前から名称こそ違うものの、それと同レベルの会議が設置されていたことになる。新ガイドラインを先取りする動きである。
(以下、次号へ続く)