<<目次へ 団通信1255号(11月21日)
藤木 邦顕 | 佐野第一交通事件完全勝利 第一交通産業本社に雇用と損害賠償責任 |
吉原 稔 | 最高裁決定は絶妙のタイミング 無駄な公共事業に最後の一撃 ―栗東新駅起債差止判決が確定 |
加藤 健次 | 就任・退任の挨拶 その1 事務局長就任のあいさつ |
今村 幸次郎 | 退任挨拶 |
阪田 勝彦 | 退任のご挨拶 |
増田 尚 | 事務局次長退任のごあいさつ |
山口 真美 | 退任の挨拶 |
松本 恵美子 | 退任挨拶 |
半田 みどり | 団本部事務局次長就任のご挨拶 |
神原 元 | 事務局次長就任ご挨拶 |
三澤 麻衣子 | 事務局次長就任のご挨拶 |
小山 哲 | 山口総会の感想特集 団総会に初参加して |
河野 純子 | 山口での自由法曹団総会に参加して |
加藤 悠史 | 団総会に参加して |
中島 哲 | 団総会に参加して |
柴田 五郎 | 団の一泊旅行は楽しい |
杉本 周平 | 若者向けの改憲阻止戦略を考えよう |
溝手 康史 | 弁護士の増加と司法支援制度 |
島田 修一 | 『憲法をめぐるせめぎ合い その今とこれから』 ―坂本修弁護士(前自由法曹団団長)に聞く― を全国の人々へ |
大阪支部 藤 木 邦 顕
二〇〇三年四月に、子会社を解散させて組合員五五名全員を解雇した佐野第一交通の解散解雇について、本年一〇月二六日大阪高裁は地位確認訴訟控訴審判決で、自交総連佐野南海交通組合員について、第一交通産業本社との間に雇用関係があると認め従業員の地位の確認と賃金の支払い、組合員各個人と佐野南海労組、自交総連大阪地連に対してそれぞれ組合壊滅を目的とした会社解散をしたことについての損害賠償を命じました。
高裁判決の意義としては、雇用の相手方は誰かという問題に高裁が決着をつけ、第一交通産業本社であるとしたこと、一審に引き続いて佐野第一の解散を偽装解散として、組合壊滅を目的としたものであったと認め、黒土始会長、田中亮一郎社長についても個人としての損害賠償を認めたことです。
法人格否認については、労働関係に適用があり、法人格が形骸化している場合か違法な目的のために真の経営者・親会社が法人格を濫用した場合に真の経営者・親会社との間で雇用関係が継続するとして、第一交通産業本社との間で雇用関係があるとしました。この事件では、地位保全仮処分についての大阪地裁岸和田支部二〇〇三年九月一〇日決定が迷いながら第一交通産業との間で雇用関係があるとしたのに、仮処分決定に対する保全抗告では、第一交通傘下で非組合員の受け皿として泉南地域に進出した御影第一という会社が事業を実質的に承継したので、御影第一に対して雇用関係があるとしました。ただし、保全抗告段階では第一交通産業本社が不当労働行為を企画実行したという点で不法行為責任があるとして、賃金相当の損害金の支払いを命じていました。保全抗告決定に対する双方の許可抗告の申立に対して最高裁は、大阪高裁決定を是認し双方の許可抗告を却下しましたので、雇用関係は御影第一に承継されることで決着したかに見え、仮処分に対応する地位確認の本訴でも二〇〇六年五月三一日判決で大阪地裁堺支部が御影第一に対する雇用関係を認め、第一交通産業本社は不法行為責任を負うとしました。ところが、会社側の控訴による本訴控訴審の第一回口頭弁論で高裁の裁判長は、御影に承継という原審の結論には与しないと発言し、組合側としては第一交通産業本社に対する地位確認について附帯控訴をして御影第一に対する請求と両建てにしました。今回の判決で、高裁は冒頭の裁判長の言明通りに第一交通産業本社に対する雇用責任を認めましたが、裁判所に不意打ち、闇討ちをされると御影第一に対する雇用関係の否定だけで終わってしまったかもしれません。
佐野第一交通事件は、大阪でもめったにない大型争議であり、かつ第一交通産業という名うての悪質資本が相手ということで、自交総連はもとより大阪労連も支援共闘会議に参加して、ねばり強い運動を続けてきました。第一交通産業が旧南海電鉄系統のタクシー会社7社を買収してすでに六年半が経ちます。今回の高裁判決によって、第一交通産業は逃げられないところへ追いつめられたといえますが、会社は一一月九日に最高裁へ上告しており、弁護団としては現実の就労実現・争議全面解決のために組合・支援共闘会議とともに一層奮闘する決意です。
滋賀支部 吉 原 稔
一〇月一八日に最高裁第一小法廷(中川了滋裁判長)は、起債差止め判決の上告棄却、上告不受理を決定した。
新幹線新駅は、この一〇月末にJR東海と関係自治体の協定が終了する。その三週間前のこの判決は、「新駅の方向性に影響力を持っている絶妙のタイミング」(市職員)というほど、地元の情勢を承知していたようなグッドタイミングであった。
一八日の二時頃に最高裁から電話の通知があったが、上告後五ヶ月しか経っていないので聞き違いかと思い、再度最高裁に問い合わせて安心した。
この訴訟は、住民運動を背景に、提訴から最高裁決定まで一年八ヶ月、一人の証人尋問もなくフルスピードで起債差止めという新判例をつくり、無駄な公共事業をスタートの時点で止めさせた画期的な訴訟であった。
新聞は、私の「完璧な最後の一撃だ」、「新しい判例、滋賀から」、「勝利は住民運動の誇り」などを記事にして、「今回の決定は新駅劇場の幕引きを告げるとともに、自治体の安易な起債にも警鐘を鳴らしている」と評した。(中日)
栗東市は、嘉田知事の登場で新駅が中止となったことは県の責任であるとして、県に損害賠償を請求するといっている。しかしこの判決は、栗東市が起債差止め判決によって財源を断たれ、これでJR東海に工事費を支払えない債務不履行による中止終了となるのだから、県の責任ではない。嘉田知事は、後顧の憂いなく、中止を決断できる。
この判決は、嘉田知事への強力な援護射撃であった。
栗東市が、既に平成一八年五月に起債をしてJR東海に支払ったが、五二五六万円をJR東海が栗東市に返して貸主(農協)に返せという訴訟を提起している。起債違法判決が確定したので、市長は起債を一般財源から農協に繰り上げ返済しようとしている。
一週間前の永源寺第二ダム計画取消最高裁判決に次いで、一週間をおいて二回も最高裁決定が出てビッグニュースになったのは、私も初めてであり、弁護士冥利に尽きるうれしい一週間であった。
この事件は、控訴審で河村武信、藤原猛爾、両弁護士に参加していただいた。
東京支部 加 藤 健 次
九六年から九八年まで次長をつとめて以来、一〇年ぶりに団本部の仕事をすることになりました。
総会でこもごも話が出たように、この一年ほどの世の中の動きは、まさに「激動」と言う言葉がぴったりです。総会終了後一か月足らずの間にも、「大連立」騒動など、めまぐるしい動きがありました。表面的な「政局」を追いかけるのではなく、軸足と方向性をしっかりと定めることが大切だと実感しています。
憲法の問題でも、総会プレ企画で扱った貧困と格差の問題でも、やられっぱなしのように見えた中から確実に反撃の芽が生まれてきています。この芽を大切にし、一緒に大きくしていくというイメージで、いろいろな課題に取り組んでいきたいと思います。とりわけ、改憲手続法が成立した下で、改憲の発議を許さない力関係をつくっていく課題について、団の経験とアイディアを結集していきましょう。
総会では、久しぶりに司法問題が議論となりました。この問題では、団の中にさまざまな意見があることは身にしみて(!)わかっています。しかし、裁判員制度にしても、法曹養成・弁護士人口の問題にしても、司法改革が現実に一つひとつ具体化されていく中で、私たちがこれを避けて通るわけにはいきません。司法改革をめぐって、この間さまざまな事実が積み重ねられてきました。この事実を踏まえて、議論を深めていきたいと思います。
「激動」の時代に試行錯誤はつきものです。意見が分かれることもあるでしょう。大いに議論しながら、実践する。実践を踏まえて、また議論する。団がそういう場になるように、力を注ぎたいと思います。そのためにも、各支部・事務所から、積極的に団の活動に参加していただくようお願いします。
古稀団員と新人弁護士の団員とが一堂に会して議論し、一緒に行動できるところに団のすばらしさがあります。私は四〇期ですが、いつの間にか、真ん中辺りの年代になってしまいました。豊かな経験と斬新な発想を生かしていくためにも、団員の持ち味と力を生かす役割を果たすことができれば、と思っています。よろしくお願いいたします。
東京支部 今 村 幸 次 郎
山口総会をもって事務局長を退任となりました。この二年間は本当にあっという間にすぎました。周囲の人に恵まれ、楽しく仕事をすることのできた二年間(次長の期間を含めると三年間)でした。
振り返ると、端で見ていてハラハラすることも多かったように思いますが、坂本・松井両団長には、大きな目で暖かく見守っていただきました。また、吉田・田中両幹事長には、事務局長の仕事のかなりの部分をカバーしていだきました。さらに、ご一緒させていただいた次長の皆さんは、いずれも極めて意欲的で有能な方々でした。起案の分担などが、いつもスムーズに決まり、とても助かりました。専従の方々も、皆さんそれぞれに団を大切にしていただき、業務に精励して下さいました。この間、事務所の任務はほとんど免除してもらう結果になっていましたが、旬報事務所の皆さんにも支えていただきました。
皆さん、本当にありがとうございました。
民衆の生活と権利のために、常に本気で取り組む全国の団員の皆さんの活動に触れ、大変いい経験をさせていただきました。これからも、この団のスピリットを忘れずに、日々の業務などに取り組んでいきたいと考えております。
以上
神奈川支部 阪 田 勝 彦
私は、次長に就任した当初は、団活動をやっても「所詮、一介のNGOが活動したってそれほどの影響は与えられないのでは・・」などと悲観的な考え方をしていました。しかし、それは大きな間違いだったと今次長を退任して実感しています。
就任当初は、丁度小泉政権の全盛期で、世論も右傾化の方向へ急激に動き始め、自民党が悲願の改憲案である新憲法草案をまさに発表した時期でした。
幸運(?)にも私は、改憲対策本部(一年目)と教育基本法改悪阻止対策本部(現教育問題対策本部)を担当することになり、右傾化に突き進む中で改悪反対運動を構築するのかという局面に突き当たるという経験をさせていただきました。当時は、「単なる手続法でしょ」という声が対策本部内でも多数派で、手続法を反対運動の中心としてはいけないという流れになっていたと思います。それが、いつの間にか改憲手続法の危険性を団で研究し、団がリードする形でついには大きな社会問題にまで拡がっていくとは当時では想像もできませんでした。教育の問題も、就任当初は非常に狭いマイナーな問題という扱いで、「教育問題」と聞くと「それは専門の人に聞いてくれ」というのが通常の反応であったかと思います。この問題もいつしかとても大きな社会問題となり、国民一般に「教育問題」というものが浸透していくことになるとは思いもよりませんでした。議員要請に行っても当初は、やる気のなさそうな秘書対応が、社会問題化していく中で、委員の秘書は誇らしげに要請に応えるようになり、審議会のTV中継にかぶりつくようになっていきました。
この社会問題に発展していく過程では、団が問題提起をすると驚いたことにこれに政府が反応し、反論してきました。また、次第に当初は二、三人だった学習会も数百人規模となり、ビラ、リーフの受け取りも、街頭で話す言葉に耳を傾けてくれる人も次第に増えていきました。弁護士会や様々な団体、学者なども立ち上がっていく・・・。私はこの過程に、自分が政治に触れている、関わっているという感覚を抱きました。
この政治に触れている感覚は、今でも忘れられません。講演会ばかりか街頭演説したり、街宣車乗ったり、お金にもならない法文を徹夜で調べたり・・とても次長就任前の自分がやるとは思えないようなことばかりやりましたが、これによって政治が反応し、世論が動いていく様に私は民主主義の原点を感じた気がします。「もし、こういう気持ちを国民の一人一人がもてたなら、そのときに初めて本当の民主主義っていうものが完成するのかもなぁ」などと本気で思いました。
団に入った若い人たちも、この感覚を是非体験してもらえたらと思ってやみません。
団は〇七年以降、諸問題を構造改革・貧困問題から体系的にとらえるスタンスを構築していましたが、結果として、構造改革の矛盾の露呈によって自民党の参議院における歴史的大敗という結果が生まれました。就任直後の情勢とは天と地ほども違う情勢に不思議な気持ちがします。就任直後の議員要請では、「福祉」なんて言ったら鼻で笑われ、自己責任が世論が望むものと言い放っていた自民党議員が今では真逆の行動をとっているのを見ると、政治は変えることができるもので、それは私のような、知識もなければ気概もないただの一国民が知ろうとし、訴えようとすることで現実に変わっていくものなのだと今は思えます。
最後に、団長、幹事長、事務局長、事務局の皆さん、次長のみんな、諸先輩団員、後輩団員の皆さん、本当にありがとうございました。忙しいにもかかわらず働き盛りの所員を送り出してくれた横浜合同法律事務所にも本当に感謝しています。先輩団員の方には総会などで暖かい言葉をかけていただいて本当に救われた気持ちになりました。安倍晋三と同時期に体調を壊してしまってご迷惑をおかけしてしまったり(特に国際委員の先生方誠に申し訳ありません)もしました。
改めて感謝と陳謝の気持ちを込めてご挨拶させていただきます。二年間本当にありがとうございました。
以 上
大阪支部 増 田 尚
二〇〇五年の総会で選任されてから二年にわたり務めた事務局次長の任を無事に終えることができました。快く送り出してくれた事務所と大阪支部のみなさま、様々な分野でともににとりくんだ執行部のみなさま、何より、自由法曹団の活動を下支えしてくださった専従事務局のみなさまのお陰であり、深く感謝申し上げます。
この二年間、主として、労働分野と司法分野を担当いたしました。
労働分野では、競争力強化、労働市場の流動化から規制緩和が叫ばれ、労働契約法案やホワイトカラー・エグゼンプション阻止などにとりくみました。次から次へと報告書、諮問、答申、法案化とすすむごとに、意見書や声明の起案に終われていました。その甲斐があったかどうかはさておき、労働契約法案は、就業規則の一方的不利益変更をのぞけば概ね「毒」を取り除くことができ(その代わり、「薬」にもなりませんが。)、エグゼンプションを法案提出断念に追い込むことができました。エグゼンプションは、「過労死促進法案」・「残業代ゼロ法案」と呼ばれ、世論の大きな注目を集めたことが勝因になりました。また、昨年夏から、ワーキング・プアや偽装請負がメディア等でも取り上げられ、団全体としても、非正規雇用労働者の権利と生活を擁護する運動をスタートさせました。この運動が団員や団の事務所のすみずみにひろがっていくことを願っています。
司法分野では、改正刑訴法(争点整理手続)の検証作業や、被害者参加への対応などにとりくんできました。また、急激な司法試験合格者増員に伴う弊害が現実化したことを受けて、法曹人口のあり方につき問題提起をいたしました。ここでも、「構造改革」のひずみが現れていることが分かります。現実を直視し、軌道を修正する絶好の機会ですので、ぜひ多くの団員に、あらためて司法制度改革とは何だったのか、ほんとうに必要な司法制度とは何か、それを支える法曹の体制はどうあるべきかを考え、実践する団の活動に参加していただくことを求めます。
国民の権利侵害に抗して、自由と平和を守る運動の一翼を担い、社会のダイナミズムにふれることのできた二年間であったと思います。今後は、地域に根ざした運動をすすめる立場から、団の活動に参加して参りたいと存じます。
東京支部 山 口 真 美
「はじめに行動ありき」とはゲーテ『ファウスト』の言葉だ。自由法曹団はまさに行動の集団であったというのが私の感想だ。そのときどきの政治情勢の変化に即応して、声明や意見書をすぐに正確な数が言えないほどたくさん書いて、出したような気がする。それに集会・宣伝行動・国会要請に参加・開催し、リーフレットやブックレットを出版するなど、実際におこなった行動には枚挙にいとまがない。改憲手続法成立阻止のとりくみで、有料広告禁止のルールの調査のためにイタリアにまで行ってしまった(これが私の最初の海外旅行だったのだが)。本部でも常幹でも改憲阻止対策本部でも決断即行動。これが私の性格にあっていたのか、実に心地よかった。
任期中に私の中心的な活動となったのは、改憲手続法成立阻止のとりくみである。このとりくみに最初に声を上げ、本格的にとりくんだのは、おそらく団であろう。〇五年秋から〇六年はじめまで、マスコミでも民主諸団体でも法案の危険性は十分に認識されていなかった。こうしたなか、団は〇六年二月と九月の二回にわたって全国活動者会議を開催し、その討論を通じて、これが改憲のための「カラクリ」法案であることを確認した。このようにして団の改憲手続法成立阻止のとりくみがはじまった。最初は小さな声だった団の訴えが、改憲に反対するさまざまな運動の広がりにつながり、マスメディアにも世論にも変化が生じ、それが国会での日本共産党や社会民主党の鋭い論戦へとつながったのだと思う。残念ながら手続法は成立したが、このとりくみは改憲阻止の運動と、その勝利につながっていくはずである。私もたゆまぬ情熱で憲法を守り活かすとりくみを広げていきたい。
改憲手続法成立阻止のとりくみでは、最初の小さな問題意識と行動がたくさんの人や団体を巻き込みながら大きくなり、ひいては政治情勢を動かしていく運動のダイナミズムを感じることができた。こうした運動のダイナミズムは実際に運動をやっていく中でしか体験できないのではないだろうか。周りには団の活動が大好きという諸先輩がたくさんいるが、なるほどと思う次第である。
最後に、「次長職の感想は?」と聞かれれば、答えは、「とにかく楽しかった」の一言に尽きる。政治と運動のダイナミズムを間近で感じることができたし、期が近い次長達との仕事も充実していた。もちろん、いそがしさで心身共にハードな二年間だった。しかし、本部の仲間、本部・東京支部の専従事務局の皆さん、たくさんの団員、出会ったさまざまな運動体の人たち、それに事務所や家族に支えられ、なんとか任期を乗り切ることができたというのも事実だ。支えてくれたすべての人たちに感謝の言葉を述べたいと思う。本当にありがとうございました。
東京支部 松 本 恵 美 子
私は、今、とても幸せな気分です。市民問題委員会が取り扱った改正保険業法問題で、新たな改正の動きが生まれており、充実した気持ちで次長の任期を終えることができたからです。
この二年間でとりわけ印象的だったのは、治安警察問題委員会での共謀罪新設阻止の取り組みです。二〇〇六年の国会は、強行採決をされても仕方のない力関係にありました。「落としどころは○○だ」という団員もいましたし、もう駄目だと何度も思いました。しかし、地道な反対運動とマスコミによる宣伝が効を奏し、反対する多数の国民の声が国会に届けられ、共謀罪の新設は阻止されたのです。国民の声を国会に届けることが大切だと確信できた瞬間でした。
当初不安に思っていた声明、意見書、議案書など苦手な起案は、事務局長や幹事長がサポートして下さいました。また、他団体と一緒に、裁判交流集会を企画するのは、とても楽しかったです。
専従事務局の皆様、常幹の皆様、周囲の方々に温かく見守っていただきながら次長のお仕事をさせてもらえ、本当によかったなと思っています。みなさん、二年間、お世話になりました。
大阪支部 半 田 み ど り
この一〇月より、自由法曹団本部の事務局次長に就任させて頂きました。
大阪支部の井上洋子先生にお声をかけて頂いたのですが、本格的な団の活動を今までにしたことがなく、自分がなっても良いのかと大変悩みました。
本部の今村先生、田中先生や同期の青法協の仲間からの強いプッシュもあり、思い切りを付けました。
先日団本部での事務局会議があり、そこで私は労働問題と将来問題の委員会に所属させていただくことになりました。
岸和田支部という地域で日々の活動を続ける中で、深刻に感じているのが不安定雇用・ワーキングプアの問題です。
団本部での議論を地域に持ち帰り、また地域の実情を団の議論に持って行き、事務所での活動と団本部の活動を結びつけていきたいと思っています。
また、弁護士活動を通じてだけではなく、最近、同年代の友人が、何年も非正規雇用で働き、何時間ものサービス残業を続けて見るたびにやつれていったり、三ヶ月更新の契約職員(自治体職員)だから三ヶ月後の自分がどうなるか分からないと心配したり、という姿を見てきたことも、労働問題委員会をやってみたいと思った動機の一つです。
労基署に相談した方がいいよ、組合に入ってみたら、などと軽い気持ちで声をかけてみたりはするものの、当人はそれだけの時間も体力も気力も、そこまでして働き続けるだけの職場への愛着もなく、ただ疲れていくという状況です。
若い世代がまだまだ組合活動を敬遠するというのも問題かも知れませんが、やはり制度から労働者を守っていかなければ、労働者一人では身を守る余裕もないのだという現実を実感しています。
将来問題については、今まで団総会や五月集会で分散会に参加していたものの、事務所としては、事務所訪問の受け入れはしても若手とのつながりが作れてこなかったという現状があり、積極的に団の将来問題について議論することもありませんでした。この機会に、問題意識を深めていきたいと思っております。
自分にどこまで務まるか、甚だ不安ではあるのですが、是非ともご指導をよろしくお願い申し上げます。
神奈川支部 神 原 元
前回山口総会において、事務局次長に就任させて頂きました、川崎合同法律事務所所属、五三期の神原元です。担当は改憲対策本部、国際委員会、司法委員会になります。
自由法曹団本部に顔を出すのは二度目です。弁護士になりたてのころ、篠原幹事長(当時)に連れられ、有事法制対策本部で二年間ほど勉強をさせて頂いた時期がありました。有事法制対策本部の中心が、現幹事長の田中隆先生でした。このような時期に次長に就任できたのは非常にラッキーだと思っております。有事法制成立後は、地元に戻って青法協神奈川支部憲法平和部会を中心にイラク戦争反対等の各種集会を打って活動をしてまいりましたが、今回、団に「戻ってきた」という感じでおります。
私が有事法制対策本部に顔を出していた頃は、九・一一事件後アフガン戦争が勃発し、国内では(旧)テロ特措法が審議されていた時期でもありました。今でも妻と一緒に「九・一一事件」の映像を大井町の居酒屋で見たことを鮮明に記憶しております。私はもともと少年事件や刑事事件に関心を抱いて弁護士になったのですが、あの事件が(大げさに言えば)私の弁護士人生を変えてしまいました。その後、有事法制対策本部で、日米ガイドライン、周辺事態法からテロ特措法、有事法制へとつながる一連の法制度を勉強し、「平和問題」に首を突っ込む法律家の必要性を痛感したのです。
テロ特措法が期限切れとなり、新テロ特措法が審議されている正にそのとき、団次長になったのも何かの縁でしょう。是非、この分野に力を入れてがんばりたいと思っております。
そのほか、現在進行中の事件では、国旗国歌強制に反対する「神奈川こころの自由裁判」(原告一六二名、弁護士実働二〇名以上)で事務局長を勤める一方、自衛隊員のいじめ自殺事件である「護衛艦たちかぜ」事件、保育園民営化差し止め訴訟である「小田中保育園事件」に力を入れるほか、労働事件で大船自動車教習所事件、東芝思想差別是正申立事件等に参加しております。
どうかよろしくお願いします。
以上
東京支部 三 澤 麻 衣 子
このたび事務局次長に就任させていただきました東京支部の三澤麻衣子です。
昨年度の事務局長である今村幸次郎先生から次期事務局次長にと、お声をかけていただいたときは、「事務局次長」という立場を含め、団の役職構成を図解してもらわなければならなかったような私でして、先日の総会の壇上での就任挨拶を経て、その後の事務局会議、対策本部会議、飛び交うメールの嵐の中、いまさらながら大役をおおせつかってしまったと感じております。
担当の対策本部は、教育と治安・警察です。治安・警察問題は堀越事件の弁護団の一員ではあるものの、議題は弾圧ばかりでなく、また教育問題についても一からお勉強の日々です。新しく事務局次長になられた方々の中で比べても勉強不足を感じる私です。ただ、それだけにこれからの二年間で得るものは相当大きいはず、と密かに期待もしております。
このように現時点では、いささか頼りない私ではありますが、少しでも団のお役に立ち、二年後の自分に期待しつづけられるよう、尽力して参りますので、どうぞよろしくお願いいたします。
岐阜支部 小 山 哲
一〇月二〇日より三日間、山口の湯田温泉において、団総会が開催されました。今年の九月四日に第六〇期司法修習生としての修習を終え、弁護士登録をした私にとっては、初の団総会への参加となりました。
現在私が所属している岐阜県弁護士会も、また、実務修習先であった奈良弁護士会も、ともに一〇〇人強の単位会なので、これほど多くの弁護士が一堂に会している場面に遭遇したのは初めてで、その数の多さに圧倒されるとともに、これほど多くの団員が志を同じくして実際に同じ場所に集い、同じ問題意識について実際に議論するのだと思うと、あらためてすごいなと実感しました。
団総会で報告され、議論されていた問題の中には、まだまだ勉強不足で議論についてゆけない問題も多々ありましたが、問題意識を持つことはできたので、これからいろいろと勉強を重ねてゆければと思っています。
また、夜には、同期の団員とお酒を酌み交わしながら司法制度改革の問題等について朝まで議論しました。つい先日まで同じ六〇期として修習していたにもかかわらず、実務修習先や現在の事務所のある地域の違いで、同じ問題に対しても違う感覚・問題意識を持っているということを肌で感じることができました。
私のように地方の支部の事務所にいると、同期で集まって話し合う機会も少なくなるので、日本中から団員が集まり、同期同士の気兼ねのない議論をし、地域による意識の違いを共有できるという面でも、団総会というのは、非常に貴重な機会だということも、今回の参加で感じ取ることができました。
また、岐阜支部では、六〇期より二名が新入団員となり、支部団員が一割以上増加したということもあって、団総会の前日一〇月一九日より支部旅行を行いました。
団総会の日程に合わせて下関周辺を巡ってきましたが、古くは記紀に出てくる豊浦宮から、源平の合戦、維新、現代へと一〇〇〇年以上のスパンでいろいろな史跡を見ることができ、改めてこの地が昔から現代までの要所であることを実感するとともに、一緒に行動しながらいろいろな話をすることができ、団員同士の親睦を深めることができました。
来年の五月集会は、岐阜の下呂温泉で開催されます。今回の団総会での経験も踏まえてよい集会にしたいと思いますので、今回参加された方も、参加できなかった方も、奮ってご参加いただけますようお願いいたします。
滋賀支部 河 野 純 子
山口の団総会に参加して、早三週間が過ぎました。総会に参加した頃は、まだまだ修習生気分の抜け切れていなかった私も、ようやく、弁護士になったんだなぁという自覚が芽生え始めてきました。
私は、修習生時代には、青法協に所属していたわけではなく、青法協の活動には色々と参加しても、団体に入るのはちょっと…と思っていました。人権活動は、個人でもできるし、団体に参加することでかえって自由がなくなるのではないかという不安がありました。
しかし、事務所のボスが団会員として熱心に活動されていることもあり、ようやく入団する決意ができ、山口団総会に参加することになったのです。
私は、団総会で色々な報告を聞いて勉強しようという意識で参加しました。
しかし、団総会は、各分野について十分に議論が尽くされた上での討論ですから、しっかりと準備していなかった私には、難しい内容が多かったです。もっと主体的に参加しなくてはならないという点は反省点です。また、私は、個々の人権問題についての訴訟や判例の動向といった法律問題には関心が高いので、各地で活躍されている弁護団の報告は大変興味深かったのですが、自民党が…、民主党が…という政治的な話にはなかなか興味を持ちにくかったです。
けれども、平和の問題にせよ、司法制度改革にせよ、政治的な働きかけなくしては問題の解決は図れないので、弁護士同士が真剣に議論し、それを世間に発していける場があるということには大きな意義を感じました。私自身、いつまでも無関心ではいけないし、弁護士という職責上も、もっと政治の動きに敏感になって、声を挙げていかなくてはならないということを感じました。
総会に参加して、こんなに、あらゆる分野で必至に人権活動に取り組んでいる弁護士がいるということが分かったことで、私も頑張るぞというエネルギーをもらった気がします。
やはり、個人でできることには限界があり、社会の貧困、平和という大きな問題を目の前にしながらも、どうしても日々の仕事の処理に追われる毎日になりがちです。しかし、こうやって団員の各地の活躍を目の当たりにすると、私にも何かできないかという思いが湧き起こりますし、問題意識すら抱いていなかった点について考える契機となります。
抽象的な感想となって申し訳ありません。自分のことでいっぱいいっぱいの私が、どれだけのことができるか分りませんが、団員のみなさんの溢れる力の後押しを受けて、自分なりに頑張っていきたいと思いますので、これからもよろしくお願いします。
愛知支部 加 藤 悠 史
名古屋北法律事務所の加藤悠史です。弁護士登録して二ヶ月足らずで仕事らしい仕事はしていませんが、先日は山口での団総会に参加させていただきました。
団総会にはプレ企画から参加させていただき、ワーキング・プアの企画に参加しました。格差社会という言葉が社会でも定着していますが、その背景には「貧困」をキーワードとした多くの問題が絡んでいるんだという本質に切り込んだものに感じました。労働運動の場面では、派遣労働をはじめとして労働者の切り捨て政策があり、働いてもまともな生活が出来ない人が増えていること。一方、社会保障の面でも、生活保護を切り下げ、受付すらさせないような対応を進め、保護から追いやっていること。また、消費者問題という点でも、消費者金融による多重債務の問題。「貧困」の背景にはこれらの問題が重層的に絡んでいるんだということが各方面から説得的に報告され大変勉強になりました。
とりわけ、派遣労働者の直接雇用を求める取り組みについては、私も登録直後から名古屋で発足したばかりの派遣請負研究会に参加させていただいて、相談にも関わらせていただいていたので、労働者の訴えが実感をもって響いてきました。正社員と同じ仕事をしてもまともな給料をもらえない、いつ首を切られるか分からない。そもそも「派遣」という言葉自体が人を道具のように扱っている現れではないかと思いますが、それを許している法制度自体の問題が本質的にはある一方で、個別の事件で裁判などを闘っているケースもあり、それがまた制度改革の力にもなると思います。派遣というと以前は仕組みもよく分からないし難しいなというイメージでした。
それが実際に現場にいる労働者を目の前にすることで、その事件や当事者から学ぶことが沢山ありましたが、同じように今回の企画でも「貧困」の本質を知ることができ、参加してよかったと思っています。
さて、総会本体はといいますと、参加者の多さにも資料の多さにも驚きの連続でした。夜の懇親会も本当に圧巻でした。私たち新入団員は舞台上からご挨拶をさせていただく機会があり、刺激的な発言もありましたが、先輩方には大変暖かく見守っていただき、新しい人も意見も大切にするところに八〇年以上にわたり団の歴史を発展させてきた秘訣があるのかなと感じました。
自由法曹団というと修習中に事務所の先輩から「自由法曹団物語」をプレゼントしていただき、かいつまんで読んでいたのが、私の中でのイメージでした。本の帯には「常に民衆の戦いに身を寄せてきた弁護士」とあるのですが、総会の討論などで熱く語られる先生方の姿は、まさに現場で当事者に身を寄せてきたからこそなんだろうなと思います。まだまだ未熟者ですが、私も一つ一つの事件や人を大切にして、熱く語れるような弁護士になれるよう頑張りたいと思います。
北海道支部 中 島 哲
二〇〇七年一〇月二〇日〜二二日にかけて山口県湯田温泉において開催された自由法曹団総会に参加してきました。
新山口駅で新幹線を降りて、電車を乗り継ぎ会場に向かう道中、見知った同期の顔がちらほら。二回試験終了から二ヶ月ぶりに旧交を暖めあう。札幌から来た私が、暑い暑いと上着を脱ぐと、周りの同期から一斉にツッコミが。どうやら本州ではむしろ寒いくらいの日だったらしい。
初日はプレ企画、修習生時代から関心を寄せていた労働分野について、ワーキングプア・労働の貧困の現状に触れ、改めて何とかせねば!という義憤に駆られる。夜は宴会で新入団員の自己紹介。
二日目は総会初日。様々な提案、報告、討議がなされる。なぜか、「たたかい」という単語が非常に多く飛び交う。「たたかい」「戦い」「闘い」「斗い」、古参の団員はどの字を当てるかにもこだわりがあるらしい。
夜はやはり宴会。初日の宴会よりもさらに大人数が集まり、その規模の大きさにビックリする。こんな人数の弁護士が一堂に会しているのか!しかもそうそうたる顔ぶれ。団の凄さを思い知る。
そして今日も自己紹介。昨日に続き二度目の自己紹介でネタがない、しかも昨日より新入団員の数が多い。数十人もの自己紹介、誰も聞いていないんじゃないか?という疑念を抱いていると、たまに自己紹介中の団員の地元の先生方が拍手を送ってくれるのが嬉しい。
最終日は総会二日目、午前九時スタートだが、明らかに皆前夜の影響で眠そうである。
最後に、真面目な話を一つくらいしておきたいと思います。総会で将来問題の話が出ましたが、どうも話がかみ合っていない部分もあったかと思います。「将来的な法曹人口増員にどう対応するか。」という問題と「実際に増えてしまった新人をどうするか。」という問題はレベルが違う話なので、分けて考えた方が良いかと思います。
自分たちは法曹人口増員に反対だから、新人採用にも消極的、というのでは、団の勢力衰退につながりかねません。たとえ法曹人口増員に反対の立場であっても、やる気ある新人は懐深く迎え入れるという姿勢が、団の勢力増加にもつながるのではないか、そう思われてなりません。
新人の分際で生意気を申し上げて恐縮ですが、実際に私の周りで、とある地方で人権活動(彼女の場合は薬害肝炎)をやりたかったのだけど、その地方では受け入れてくれる事務所がなかったので、最終的には検事任官してしまったという女性がおり、私としては非常に残念でしたので、あえて申し上げる次第です。
以上
東京支部 柴 田 五 郎
今次総会の後も、例によって一泊旅行に参加した。参加総勢一三名でいつもの半分ほどだったが、楽しさは変わらない。
初日は、かの鍾乳洞で名高い秋芳洞にもぐった後、秋吉台の大平原(?)を見て、夕方油谷温泉は楊貴館に着く。三〇分差で、日本海に沈む夕日を見損なったのが残念。一風呂浴びた後食事までの二〇〜三〇分、地元で金子みすゞの詩に曲をつけて歌っているシンガーソングライター もりいさむ さんのミニコンサート。一同子どもに帰って声を合わせて合唱。夕食は、海の幸満載(皆さんには悪いが、昨夜の五〇〇人の宴会料理とは少し、いや大いに違う)。
翌早朝朝風呂に入り、真ん前の海の香りを存分に吸い込む。
午前中は、私のお目当てだった童謡詩人金子みすゞ記念館へ。
私の気に入っている詩を一つ二つ紹介しよう。
【大 漁】
朝焼け小焼けだ 大漁だ
大羽いわしの大漁だ
浜は祭りのよううだけど
海の中では何万のいわしのとむらいするだろう
【私と小鳥と鈴と】
(1)私が両手を広げても
お空はちっとも 飛べないが
飛べる小鳥は わたしのように
地面を早くは走れない
(2)私がからだをゆすっても
きれいな音は出ないけど
(以下略)
鈴と小鳥とそれからわたし
みんなちがってみんないい
まるで、一部大企業が繁栄を謳歌する陰で多くの貧困が広がる現在を、今の教育=テスト・競争主義の弊害を、一世紀近く前に見事予言していると見るのは、読み過ぎだろうか。
その後、香月泰男美術館を経て、萩博物館で昼食・見学。私は昼食後エスケープして、一人萩シーマート(鮮魚市場)へ。女房への土産に鮮度抜群のサバ・アジ・イカをシコタマ買い込む。松蔭神社で本隊と合流。一路瀬戸内まで南下。新山口駅経由で宇部空港へ。
山口県支部の内山新吾団員に懇切丁寧なガイドをして貰って感謝!感謝!。
以上
滋賀支部 杉 本 周 平
私の地元滋賀では、一般市民の方々を対象として、憲法や国民投票法のお話をさせていただく機会を得ている。その際、私は「デモや署名活動といった従来型の改憲阻止運動だけで若者の共感を得ることはできない」「インターネットやマンガ・アニメーションなどを多用した新しい活動を展開し、若年層の支持と共感を得なければならない」旨の発言を続けてきた。
しかし、私の講演を聴いた人々の感想文に目を通せば、「やっぱり署名活動は大事だと思いました」などという「挑戦的」ともとれる文章が並んでいて(私の話を聞いてなかったのか?)、いつもショックを受けている。
地元で改憲阻止運動に携わる方々と話をしてみても、彼らは異口同音に同じことしか話をせず、情勢の変化に対応できていない。改憲阻止運動の主体が中高年層で占められており、若者の意見が取り入れられないというのも気にかかる。少なくとも、特定の政党や団体が行ってきた従前の改憲阻止運動が硬直化・閉塞化しており、若者の賛同が得られないことに間違いはない。
改憲派の戦略は至ってしたたかである。インターネット掲示板には「南京大虐殺や従軍慰安婦の問題は全てねつ造である」「前の大戦はアジア解放のための正しい戦争であった」という文字が躍り、世間では好戦的なマンガや美少女アニメが商業ベースに乗ってタレ流されている。つい先日も、ある人気タレントが、自身の深夜ラジオ番組で「テロで日本人も多数死んでいる」「その遺族の人達のことをどう思っているのか」などと発言し、テロ特措法の延長に反対する勢力を批判しているのを聴いたばかりだ。このような改憲派の巧妙なメディア戦略によって、憲法九条の存在意義に疑問を抱く若者が、じわりじわりと増えているのが現状である。
もちろん、デモや署名活動によって、引き続き市民に改憲阻止を訴えることも重要であろう。しかしながら、それだけで現代の若者の心に日本国憲法の大切さが届くとは到底思えない。表面的には「改憲阻止」という爪を隠してでも、したたかに若者を引きつけていく独自のメディア戦略が必要なのではないか。
将来、憲法改正国民投票が実施されるとき、その結論を左右するのは、戦争世代でも、団塊世代でもなく、その時期に投票権を持つ若年層の投票行動である。現在の中高生を中心とした若年層に対して「なぜ戦争をしてはいけないのか」「なぜ憲法を守らなければならないのか」という至極当然のメッセージを伝える具体的な方策を、自由法曹団として真剣に検討すべき時期が来ているように思われる。先日の山口団総会において、このことが十分議論できなかったのは誠に残念であった。
広島支部 溝 手 康 史
1、弁護士に対する需要の実情
萩尾団員の「三〇〇〇人増員には反対、問題はその論拠である」(団通信一二四九号)、及び、城塚団員の「萩尾団員の論考について」(団通信一二五一号)に関連して、(1)弁護士の需要をどのように考えるべきか、(2)弁護士の数と司法支援(法律扶助)制度の関係について述べたい。
私は、広島市内で約九年間、山間部にある人口四万人の地方都市(現在は合併して人口六万人)で約一一年間弁護士をしてきたが、以下はあくまでその経験に基づく雑感である。
弁護士に対する需要は大きく、弁護士の数は圧倒的に不足しているという意見があるが、潜在的なものを含めて弁護士に対する需要があったとしても、現実に市民が弁護士に依頼できるわけではない。市民が弁護士に依頼できるかどうかは、そのようなシステムがあるかどうかに左右される。
例えば、零細企業では、労働者が休暇を申し出ると、雇主から「それなら明日から会社に来なくてよい」と言われたり、残業代の未払は日常茶飯事だが、これらが弁護士に相談されることは稀である。毎年、この地域で労働組合が主催する労働一一〇番などに私も参加しているが、残念ながら相談者はほとんどいない。田舎では「お上」に対する依存心が強いために行政との間の紛争は多いが、弁護士への相談は少なく、弁護士に依頼されることはほとんどない。役所が生活保護の申請の受理を拒否したり、年金の支給額に関する紛争があっても、ほとんど弁護士に相談されない。近隣とのゴミ、汚水、騒音、日照などに関する些細な環境事件や通路や境界などをめぐる近隣トラブルは無数にあるが、ほとんど弁護士に依頼されない。訴額の小さい些細な医療ミスや国賠紛争もあるが、弁護士に依頼されることはほとんどない。消費者関係の紛争では、破産と過払金請求を除き、弁護士費用や裁判費用がネックになって裁判を断念する人は多い。土地の紛争は多いが(田舎では公図や登記簿の地番と現況が違っている地域や境界が不明になっている山林が無数にある)、紛争の解決のために弁護士に相談がなされることは少なく、弁護士に依頼がなされることはもっと少ない。田舎では、会社でも、地域でも、家庭でもおよそ法の支配とは無縁であり、市民もその点をよく理解しているので、最初から弁護士への相談を諦める人が多い。
他方で、この地域では借金に関する事件は非常に多く、毎日、破産と債務整理事件、過払金請求などの処理に追われている。破産事件などの多さとそれ以外の市民的事件の少なさというアンバランスは異常である。
以上のように、労働事件、行政事件、医療過誤事件、過労死事件、国賠事件、環境事件などに関する潜在的な弁護士の需要が現実化しない点は、田舎でも都会でも基本的には同じであって、田舎ではその地域の司法の状況が見えやすいが、都会では見えにくいという違いがあるに過ぎない。都会では労働事件や行政事件などがないわけではないが、都会ではこれらの紛争の中の「ほんの一部」が弁護士に依頼されて事件になり、田舎では人口が少ないためにそれがゼロに近くなるのである(日本は同一人口当たりの行政事件の訴訟件数がドイツの七〇〇分の一だという事実を見れば、日本の司法の「異常さ」がよくわかる。「人間の尊厳と司法権」三一六頁、木佐茂男、日本評論社)。
田舎でも都会でも、弁護士に依頼する市民は、紛争関係者のほんの一部でしかないという厳然たる事実を直視する必要がある。そして、ほとんどの場合、弁護士に依頼しない理由は、「弁護士が足りないから」ではなく、弁護士が近くにいても依頼しない人の方が多いのである。そのような人たちにとって、弁護士の数が多かろうと少なかろうと関係がない。弁護士一人当たりの人口を計算することは、国民一人当たりの国民総生産の金額を計算することと同じく、庶民から見れば意味がない。もちろん、弁護士のいない地域で弁護士が開業すれば市民から歓迎されるが、それは弁護士の総数が増えることとはまったく別の問題である。
2、弁護士に対する需要が現実化しない原因
市民の司法へのアクセスの障害としては、(1)経済的な問題、(2)司法制度の問題、(3)心理的・社会的な問題がある。(3)に関しては、警察官から受けた暴行について法律扶助制度(法律扶助)を利用して国賠請求をした事件(請求額一五〇万円)で、「マスコミや勤務先に裁判をしていることを絶対に知られたくない。裁判をしていることが会社にわかると、会社にいられなくなる」という依頼者の言葉が象徴的である。裁判を起こすことに対する市民の心理的・社会的な障害は、(1)と(2)の結果、社会的に形成されたものである。
一般に、紛争や事件の社会的意義を理解する市民はそれほど多くなく、人間は「得か損か」と「感情」に基づいて行動することが多い。些細な土地の紛争、組織的的支援を受けない労働事件や行政事件、ゴミ、汚水、騒音などに関する近隣トラブル、訴額の小さい市民的事件などについて、「得か損か」を考えて弁護士に依頼しない人は多い。
(1)は、弁護士に依頼するには金がかかるという、それだけの話であるが、ここで述べているのは、一〇〜二〇万円レベルの話である。ほとんどの市民が住宅ローンやクレジット債務を抱えているので、法律扶助の対象外の階層は弁護士費用が重い負担となり、法律扶助の対象者のほとんどは償還金の返還が無理な階層である。現在、借金に関する事件が多いのは、サラ金に追いつめられた結果であって、法の支配の次元としては低い。この地域では、弁護士に依頼せずに自分で破産申立や訴訟をすることが「賞賛される」ような風潮があるが、それは、例えるならば、公的な医療保険のない国で、金がないために医者にかからずに自分で病気を治したことが自慢になるようなものである。
スウェーデンでは国民の八〇パーセントが法律扶助の対象とされ、フィンランドでは国民の七五パーセントが法律扶助の対象とされている(「スウェーデンの新しい法律扶助法」菱木昭八朗・リーガルエイド研究二号七〇頁、「立替金償還制度をめぐって」大石哲夫・判例タイムズ一一八六号・七五頁)。法律扶助に関しては、(イ)法律扶助の対象の拡大、(ロ)償還免除制の導入、(ハ)扶助額の適正化という問題があるが、扶助額の適正化と弁護士の需要は密接な関係がある。
ほとんどの国民が法律扶助の恩恵を受けるようになれば、弁護士が扱う事件の多くが法律扶助事件になるが、弁護士が大量の扶助事件を扱うためには、扶助額は事件解決までの労力に比例した金額であることが前提となる。スウェーデンでは法律扶助事件の時間の上限が一〇〇時間に設定され(ただし、特別の事情があれば時間が延長される)、法律扶助事件の弁護士報酬が時間単位で計算されている(リーガルエイド研究二号八二頁)。適正な弁護士費用の額は、事件の解決に要する労力、すなわち時間数で算定するのが、経済的法則に基づいた合理的な算定方法である。
私は年間に何十件も法律扶助事件を扱っているが、法律扶助事件のほとんどが破産事件であり、訴訟事件が少ないので対応できている。しかし、労働事件や行政事件など訴額が少なく労力がかかる事件を法律扶助制度を利用して年間に何十件も受任すれば、労力と扶助額が対応していなければ、経済的に成り立たない。扶助制度が、慈善事業ではなく国民の権利として位置づけられるならば、経済的法則を無視するものであってはならない。
「弁護士に支給する扶助額=本人の償還額」という考え方では、扶助額は本人の償還可能な金額という制限が伴い、労力に応じた扶助額にならない。扶助制度が市民に広く利用されるようにはなるためには、「扶助額=事件解決に必要な費用」、「償還額=本人の資力に応じた金額」、「資力によっては償還免除」とすることが必要である。
国民の多くが法律扶助の対象になり、扶助額が弁護士の労力に応じたものになることは、法律扶助事件以外の弁護士の報酬制度にも大きな影響をもたらし、弁護士の仕事のスタイルや意識の大幅な変革をもたらす。他方で、市場経済のもとでは、経済的利益に応じた報酬という考え方も合理性を持つので、企業や一部の事件では訴額に応じた弁護士報酬という考え方も必要である。
3、今後の展望
法律扶助の対象が拡大され、法律扶助事件の弁護士報酬が労力に応じた適正なものになれば、労働事件、行政事件、医療過誤事件、過労死事件、国賠事件、環境事件など時間と労力を要する事件でも市民が法律扶助制度を利用して裁判を起こすことが可能になる。従来、これらの事件は、「特別な弁護士」が担う「特別な事件」として扱われることが多く、弁護士がほとんど無償奉仕をしたり、支援団体が援助することが多かった。法律扶助事件も従来は「特別な事件」として扱われる傾向があった。しかし、これらは、市民の誰もが関係する可能性があるという意味で一般的な市民的事件であり、どんなに些細な事件であっても(大規模な弁護団を組んだり、運動として取り組む事件は別として)、誰もが弁護士に依頼しやすいシステムが必要である。労働事件や行政事件、扶助事件などの件数が増えれば、それはもはや「特別な事件」ではなく、弁護士の日常業務の一部になる。
もちろん、制度の問題だけでなく、前記の市民の側の心理的・社会的な問題や、大量の法律扶助事件を受け入れることができるのかという弁護士の側の問題もあるが(実は、これが大きな阻害要因である)、労働事件や行政事件などを含めて市民の日常的紛争が弁護士に依頼されるようになれば、必要とされる弁護士の数は飛躍的に増える。しかし、現状のままでは、法テラスや公設事務所の設置などで弁護士の需要が多少は増えるとしても、その数は知れている。弁護士の数が増加しても、市民が弁護士に依頼できなければ弁護士が「過剰」になるのは当然である。
司法支援制度のあり方は、弁護士の数に止まらず、労働事件、行政事件、医療過誤事件、過労死事件、国賠事件、環境事件や市民の些細な日常的紛争が弁護士に依頼されずに放置されているという現状が解決できるかどうかに関わる問題である。潜在的に眠っている大量の労働事件、行政事件、消費者事件などに関して裁判が起こされることは、企業や行政を変える力になる。
日本の司法政策は明治以降一貫して、市民が裁判を起こしやすくすることを妨げてきたが、司法支援制度の拡充は司法に関して消極的な政治に方向転換を迫ることになる。
東京支部 島 田 修 一
七・二九選挙から九・二九沖縄県民集会までの二ケ月。この国を襲ったものは何か。生活破壊、改憲軍事大国化さらには歴史改ざんの自公政権への激しい怒りであった。国民の中で何が起き、何が生れたのか。改憲勢力にどんな影響を与えたのか。今後の情勢はどうなり、私たちは何をなすべきか。“情勢は変わった”と興奮し誰もがこの問題意識をもつなか、標記のブックレットが発刊された。『マスコミ・文化 九条の会 所沢』が「新しい情勢にふさわしい活動を私たちも用意する必要がある」として坂本修弁護士に四回もインタビューし、会内で呼んだ反響を「所沢のなかだけにとどめておくのはもったいない。もっと多くの人に届けたい」との思いからの刊行である。
改憲をめぐるせめぎ合いの到達点、今後の憲法運動の戦略的課題が本書の柱となっているが、全4章から成る第1章は「激変の情勢―国民の意思は改憲ノー」。生活破壊への怒り、暴走国会への不信の広がり、九条解体を叫ぶ安倍政権への危機感。これら「自公政権と国民の間に深まる何重もの矛盾」が広がり、その広がりは「九条の会」「共同センター」を始めとする様々な努力と運動が世論の流れを作り出したもので、しかも生活の怒りと九条改憲反対の要求が「かなりの人々の心の中で結び」ついて厳しい審判を下したこと、その結果、改憲発議が困難となり、悪政と悪法を阻止する憲法を守るたたかいに有利な条件が生み出された、と坂本さんは分析する。
構造改革と改憲軍事大国化を国民が拒否したことは、憲法を徹底的に無視してきた自民党政治の根本的転換を求めたものだし、新たに生れたその力は改憲の第一ハードルに大きな障害を与えるとともに、政治を厳しく監視する状況を作り出した。対立関係・緊張関係に質的に転換した現憲法がめざす国家と国民の関係が、この国を覆い出したことを意味する。
同時に、坂本さんは、〇一年以降の戦争加担、新憲法草案発表、教基法改悪、改憲手続法強行、三年後発議の選挙公約等、改憲勢力が参院選直前まで「攻め込んできたのだということを忘れてはならない」と警告する。福田政権の本質もまた米日支配層の経済覇権追求と日米軍事同盟の地球規模化に「しがみつく政権」だとして、改憲策動を再構築して動き出す、様々な迂回作戦を取ってくる、つまり改憲の「筋書きは」変わっていないとの警告である。現に一〇月に入り自民党は新憲法制定推進本部(福田本部長)を立ち上げ、憲法調査会を憲法審議会(中山会長)に格上げの改憲体制を強化し、水面下では憲法審査会の発動を民主党に促してきている。改憲日程の誤算を立て直す動きは始っているのである。
激変、しかし警戒。その中で坂本さんは「いまの私たちの力では勝利はまだ困難」と言い切る。巨大な圧力とメディア利用、民主党抱き込み等の様々な工作に対する強い警戒がそこにあり、この立場から坂本さんは「改憲反対の心をますます熱く」「せめぎ合いはこれからが正念場」と構えを強くすることを求める。そして第2章「開かれた情勢を生かすために」、第3章「新たな視点で、かつてない共同を広げる」に移り、これからの憲法運動の課題を提起する。
その課題とは、「目前の課題」(第2章)と「戦略的課題」(第3章)。前者は、戦争協力法阻止、改憲審議阻止、改憲先取りとのたたかい、要求闘争と改憲阻止闘争の結合。後者は、憲法を語り世代をつなぐ、改憲反対を労働組合の多数派に! インタビュアーが「限りある身」には大変だと驚くが、すべてが「勝利のための活動」だと坂本さんは引き下がらない。
憲法は再び他国の民衆を殺戮することはしないと約束し、憲法審査会を宙に浮かせておくことは改憲論議を更に沈静化させる結果をもたらす。激変した情勢は逆に「既成事実をつくり、それを利用して改憲に国民を引きずり込む」作戦となるから、「目前の課題」はいずれも「機敏にたたかわなければならない」ものばかりだ。
その上で坂本さんは、これまでの「共同の枠」を大きく超えて広げるべきだとして、「勝利のための戦略的な課題」と「勝敗に大きくかかわる戦略的に重要な課題」を提起する。前者では、共同の枠を広げるには不可欠だとして、憲法をつかみ直し語り広げる運動を呼びかけ、後者では、改憲発議を許さない草の根運動を作るには労働組合の力がどうしても必要だとして、「全ての」労働運動が憲法闘争にどう立ち向かうかを取り上げる。
この国をどのように作り変えようとしているのか。坂本さんがいう憲法の“光”を語り新憲法草案の“闇”を告発することが「絶対に有利」であることは間違いない。“闇”は彼らの決定的な弱点だからである。憲法を知り、それを通じて歴史を学び、未来を語ることは「世代をつなぐ共同」に必要な実践でもある。他方、「せめぎ合いの前面に立ってたたかう強力な組織とその共同が不可欠」な勢力としての労働組合、連合を含む全労働運動の共同の道筋をどうつけるのか、私にはよく分からない。ただ、坂本さんが紹介するJMIUの“憲法まもろう”の職場世論を作る運動をあらゆる職場に広げ、“改憲阻止は労働者多数の声”を下から積み重ねていくことは鍵となるであろう。また「世論の鍵握る労働運動」とともに、「労働運動の鍵握る世論」の角度から市民による改憲反対運動の広がりを一層大きくすることも全労働運動を動かす鍵となるのではないか。政治的社会的に大問題の「貧困」を、弱い者に犠牲を強いる政治を許すことは戦争する国へ導く、と掘り下げていくことも鍵ではなかろうか。
最後の第4章は「自由法曹団とともに」。団はものすごい団体であることが紹介されている。また「一人の話し手として活動するぐらい」と謙遜されるが、後期高齢者となられても坂本さんの熱情、未来への確信、鉄の意思が確実に伝わってくる。団員の真骨頂をみる思いだ。国民のエネルギーが沸き起こっている今、揺るぎない多数派結集へ向けて「大きな力」となる本である(七一頁、連合通信社)。
日 時 一一・二七(火)一八時三〇分(開会)
会 場 社会文化会館 三宅坂ホール
協力券 五〇〇円
主 催 全労連/国公労連/全教/自治労連/日本国民救援会/自由法曹団
講 演 「憲法改悪とのたたかいと公務員労働者」 小澤隆一さん(東京慈恵医大教授)
パネルディスカッション
大久保史郎さん(立命館大教授)
福田昭生さん(国公労連中央執行委員長)
田中 隆(団・幹事長)
みなさん、ふるってご参加ください。