<<目次へ 団通信1259号(1月1日)
松井 繁明 | 新年のごあいさつ |
根本 孔衛 | 「5大陸20人が語り尽くす憲法9条」を読むことのすすめ |
中村 欧介 | |
加藤 健次 | 社会保険庁の「解体」・「民営化」に対して現場の労働者とともに公的年金制度を守る運動を |
滝沢 香 | 美祢社会復帰促進センター見学に参加して |
団長 松 井 繁 明
新年おめでとうございます。
団員および事務局労働者のみなさまが、良いお年を迎えられたことを喜んでいます。
昨年は、「激動」を絵に描いたような一年でした。前半は、あの安倍首相のもと、改憲手続法や教育三法などが成立。三年後の明文改憲も現実味を帯び、「集団的自衛権」行使の解禁にも途が開かれていました。この国の「危機」はまさにさし迫っていたのです。
しかし七月末の参院選で自公両党が大敗したことで、状況は一変した。安倍内閣の退陣と福田内閣の成立。福田首相と民主党小沢党首の密談による「大連立構想」とその破綻、小沢党首の辞意表明とその撤回など、政局はめまぐるしく変動しました。そのなかで一一月一日、アラビア海に配備されていた自衛艦二隻が帰国の途につきました。戦前、戦後をつうじてはじめて、民衆の力が軍隊を撤退させた歴史的快挙でした。
防衛省疑惑が拡大するもとで福田内閣は、アラビア海での給油活動を再開するための「新テロ特措法」を国会に上程し、衆院で強行可決しました。与党は会期を一ヶ月再延長し、この法案をめぐる参院での攻防が、年を越して展開されます。福田首相にたいする問責決議が成立する可能性が少なくなく、これが衆院解散・総選挙の引きがねになるかもしれない、と観測されています。「一寸先は闇」とみなければならないようです。
アメリカのサブプライムローン問題が世界同時不況に拡大するのではないか、原油価格の高騰が日本経済に与える影響はどうか、など経済問題にも注目すべきでしょう。
さて今年も、自由法曹団の活動は多岐多彩にわたりますが、次の四つを重視します。
第一は、憲法改悪阻止のたたかいを、いっそう広げ、より充実させることです。
第二は、ワーキングプア、社会保障、多重債務など「貧困格差」の問題に取り組みます。
第三に、しばらくおこなってこなかった司法改革をめぐる討議を、建設的な方向で再開したいと考えます。
さいごに、五月の「9条世界会議」の成功にむけて、団は可能な限りの支援をします。
いずれも難問ばかりですが、団員のみなさまの積極的なご協力を得て、進めてゆきたいものです。
さいごに、みなさまが家族とともに、年末・年始の休みで心身ともにリフレッシュされ、お元気でことしの仕事と活動にとりくんでいただけることを、心から願っています。
神奈川支部 根 本 孔 衛
来年の五月の四日と五日に千葉の幕張メッセで世界の各地からの人々が集って、憲法9条を守り、世界に広げていこうということで「9条世界会議」が開催されることは、既に知っておられることと思います。この本は、この催しを企画し推進している「グローバル9条キャンペーン」が編集し、「かもがわ出版」で本にしたものです。これを読みますと、世界の平和を愛する多くの人々が、憲法9条を自分たちのものと考え、その行方を見つめて連帯を表明しており、また平和の建設について日本国民に何を期待しているかが良くわかりますので、団員の皆さんに読んで頂きたいと思い、推薦の筆をとりました。
この9条世界会議の全体会議がおこなわれる幕張メッセ・イベントホールは七〇〇〇人を収容できますから、ここが日本をはじめ世界の各地から集った人びとによって埋めつくされてこの会議が成功するならば、9条の「改正」阻止のための結集の大きな弾みになりますし、また「戦争のない世界へ」の運動を前進させる上で大きな力になりましょう。
憲法改悪阻止運動の中で「グローバル9条キャンペーン」がもつ意義は二つあります。これまでの動きを見ていますと、日頃は政治ことに憲法問題にあまり関心をもたないのではないかと思われた若者たちが、この会議をきっかけにして運動に立ち上がろうとしていることです。昨年七月末奈良で行われた「改憲阻止徹底討論集会」でも、全国の各地で若者たちにこの運動に加わってもらうために、憲法ミュージカルを開いたり、平和コンサートを催したりして成功をおさめたことが報告されていました。この世界会議もそのプログラムを見ると、この集会は討論の場の設定であるとともに、大フェスティヴァルとして運動を盛り上げようとする企画になっています。そのような性格は呼びかけ人の顔触れからもうかがえます。この会議が成功すれば、運動のウイングがぐっと拡がり、また兎角陰気臭いものと見られがちな憲法運動が、うんと多彩なものとなり、華やぎ明るいものとなるのではないでしょうか。
もう一つは、いうまでもなく憲法「改正」問題の国際的な側面の強化です。日本国憲法、とくに9条が日本軍国主義を破綻にいたらしめた結果の国際関係の中で制定されたことは誰にでも分かっていることです。またそれが冷戦体制という国際的な勢力配置の中で歪曲されながらも、日本が戦争に立ち入ることを防ぎ、国民にも「豊かさ」をもたらす働きをしてきたことを否認する人はいないでしょう。今の憲法「改正」をめぐる動向は、日本が冷戦体制終結後の世界にどのように対処すべきかの問題そのための軍事力をめぐっての考え方についての争いです。ソ連崩壊後は日本が外国から攻め込まれる危険があるとは言えなくなりました。すると、9条を無くして日本を戦争ができる体制にするという場合の戦争とは、日本という国の安全を守るためではなくて、海外に出兵して戦争することを意味します。北朝鮮がゲリラを日本に上陸させたり、ミサイルを撃ち込んで来るという意見がありますが、それは真実でしょうか。北朝鮮の動きは軍備強化によって対処する問題ではないでしょう。これを言い立てる人びとは北朝鮮の動勢を日米軍事同盟強化という「レンズ」をとおして歪めて描き出し、それを憲法「改正」に役立てる魂胆でしょう。
世界第二の「経済大国」になった日本の大資本が、一層の海外進出を企て、「単独主義」によるグローバリゼーションを振りかざして世界的覇権の樹立に向かっている米国と提携していくため政治的、軍事的手立てが9条の廃棄です。世界の人びとは、そのおかれた立場と過去の歴史的経験からして、日本のこのような動きに注目し、それが自分たちにどのような影響を及ぼすかについて心配しています。この本に五つの大陸から一六の国の二五人が寄稿して、日本国憲法、ことにその9条が存在していることの世界的意義とこれを守り広げていくことの重要性をうったえ、私たちに連帯の手を伸ばしているのはその現れです。
これらの人びとの内で最も関心の高いのは、日本の侵略により、国を奪われ、惨憺な被害を受けたアジアの人びとです。この戦争で日本では三〇〇万の人命が失われましたが被侵略地域のそれは二〇〇〇万人ともいわれています。この本には韓国、中国、フィリピン、オーストラリアの四名の方が寄稿されています。9条の制定はこれらの地域の人々に対する日本国民の謝罪の証であり、戦争の過ちを再びおかすことはしないという誓いであります。日本の戦争被害者に対する償いは、同じ立場におかれたドイツに較べてきわめて不十分なものでした。米国の冷戦対策もあってこのような状態がおこったのですが、その結果として近隣諸国の日本に対する信頼をドイツのそれに比してはるかに弱いものにしています。憲法9条の存在がこれらの国の人びとの日本に対する信頼関係を辛うじて保たせていることを、韓国の李京桂さんは指摘されています。この際日本が9条を廃棄するということは、日本が再び軍事力にたよって海外進出を目論むことの意思を表明することであり、それは周辺諸国に脅威を及ぼすことになる、と言われています。
EUの動向にも見られるとおり、世界は大勢として、平和の維持を一九世紀時代以来の勢力均衡や軍事同盟にたよるのではなく、地域諸国が信頼と友好に基づく結集をすることによって果たそうとしています。東アジアでも各国間の経済的相互依存関係が格段に強まり、共同体の形成へと動きはじめることは日本の財界筋でも必至と見ています。そこで、どこがどのようなイニシアティブをとるかが問題です。それについてには色いろな考え方があります。例えば東南アジア諸国連合(ASEAN)プラス日中韓三国でいくか、米国、オーストラリア、チリなどを含む一八カ国のアジア太平洋経済協力(APEC)の結集を主にするかがあります。日本は米国の影響力をアジアの中に導入し強めようとしていますが、アジア諸国はその動きに対する警戒心があります。賠償問題に見られるように、日本は過去の戦争に対する責任の自覚が足りないものと見られており、また日米安保条約にたよりきった外交には不信の目が向けられています。それに加えて憲法9条の廃止に動いていることは、米国の従属下での「大東亜共栄圏」の再版の企てではないかという疑問が出てくるのは避けられないでしょう。李さんは、憲法前文の平和的生存権の考え方を、平和の基礎として高く評価しており、東アジア共同体の形成の上でもこれを重視していますが、これをかえり見しようとしない日本の当今動きをきびしく批判しています。
中国の鄭澤善さんは、日本が憲法9条を取り外して「普通の国」になろうとしているのは、軍事力による対外拡張に再びとりかかることを意味するとして、そのための口実として中国脅威論が唱えられ、靖国神社の戦争観が再び頭をもたげてきていると指摘しています。
フィリピンのガス・ミクラットさんは、9条は日本軍の侵略を受けた国民に対する戦争放棄の約束だと言っています。その9条が失われればアジアに再び不安が訪れ戦争の恐怖が蘇り、それによって諸国の間に軍備競争がはじまり、憎しみと敵意が生み出す狂気のサイクルが再び始動するのだ、と言っています。
日本の中で、9条をなくすことによって軍備強化の道をひらくことによって、自分たちの平和と安全が守られると考えている人がいるとすれば、それはとんでもない思い違いであって、そのような選択は日本を危険の中に飛び込ませることになるということが、これら近隣諸国の識者たちの日本国民に対する忠告です。「踏まれた者でなければ、痛さはわからない」といわれますが、9条の意義とそれを守ることの大切さについて、私たちは戦争でひどい目にあわせたアジアの人びとの声に耳を傾けなければならない、と思います。
もう一つは、戦火にあい、それがもたらす苦難の中に現にある人びとからの9条に対する評価です。それは意見というよりもむしろ9条を求める叫びといった方がよいでしょう。東欧のボスニア、中東のイラク、アフリカのケニアから寄稿されています。これらを読むと、戦争が如何に惨忍なものであり、人間にとって無意味なものであるかを思い返させられます。これらの人びとの苦しみの声をきく時、戦争にまき込まれなかった日本の戦後六〇年の歴史が、その支柱であった9条の尊さをあらためて思わずにはいられません。これらの地域ではただちに戦争を無くさせることも、9条を制定させることもできないでしょう。しかし、それだけ一層彼らにとっては9条は希望と期待の星であることがよくわかります。彼らはそれに向かって努力を続けています。私たちは9条を守りきることによって、それを連帯し協力することはできます。
彼らは平和樹立のための協力に武器や軍隊はいらないと言っています。それらは罪のない人びとを犠牲にするのに役立つだけだ、と言っています。欲しいのは医療であり、生存のための施設だ、と言っています。日本が軍備や派兵への支出を止めてその分をそれらの目的のために投じて欲しいとうったえています。私たちは憲法前文でそのような協力を約束しているのです。日本国民が「平和を愛する諸国民」の共存のために力を出すことは彼らの後に立ち、それがまた9条を存続させ生かすことの力となるのだ、と思います。
国連憲章も、一国が軍事力を保持し、その行使について制限を課しているとはいえ、その行使を認めている現状では、それを廃棄して、戦争を一切しないということは、やさしいことではありません。
日本国民が憲法制定でそれを実行することができたのはある意味で幸運だった、と思います。しかし現実は9条が傷だらけになっていることは残念であり、この条項の制定者である国民として恥ずかしくもあります。ところがこの本の第四章にある記述によれば、軍隊をもたない国が、中米のコスタリカをはじめ二七カ国もある、と言うのです。このことによって9条をもつ日本が孤立しているのではないことを知り、心強く思いました。しかし、それはいずれも小国であって、世界の中で占める影響力は日本ほどではありません。しかもその中の多くの国が日本が安保条約下にあるように、他国となんらかの軍事関係をもっています。しかし非武装国家であること自体に意味があるのだ、ということが強調されています。世界がやがて彼らについてくるというのです。
現在、「普通の国」でただちに軍備を廃止し、廃棄できる可能性は少ないでしょう。それらの国ぐにでも平和を愛する人たちは、自分の国に戦争をさせない、戦争を止めさせるための運動の利器として日本の憲法9条に注目し、日本の護憲派に期待し、その間の協力を強めています。米国のナショナル・ロイヤーズ・ギルドが今年の総会はこれを表明し、、このグローバル9条に賛同しこれを宣伝し、その代表を9条世界会議に派遣する決議をしました。それにいたった事情、総会の様子については、そこに参加した団員の報告が団通信一二五六号に載せられています。
この本の中ではピーター・アーリンダーさんが、米国に存在する強力な軍産共同体が進めている戦争によってどれほど米国民が生命と税金で苦しめられているのに対し、日本国民は9条があることによって、それらから免れ、あるいは軽減されていることがいかに幸せであることか、と論じられています。このような具体的な説得は今苦しみ悩んでいる米国の人々にも良くわかるのではないでしょうか。
フランス、ドイツなどの西ヨーロッパの人びとは、EUを結成することにより、その域内で戦争がおこる危険性を殆どなくなしました。しかしNATO軍などのかたちで対外戦争が全く止められたわけではありませんので、なお戦争をなくすことが彼らの願いであることに違いはありません。第一次世界大戦後の国際連盟の結成も、戦間期の不戦条約も彼らの戦争体験とそれへの反省から生まれたものです。日本国憲法の9条は、彼らの願いであり、その理想の結実である動きを基礎にして、9条の非戦はそれよりさらに一歩を進めたものです。それらの国からこの本に寄稿した人たちは、自らの国の憲法でできなかった理想を実現した日本の国民がその9条を守り、さらにそれを実体あるものにすることに期待を寄せ、連帯を表明しています。これらの寄稿は9条の精神を国連憲章や諸条約を手がかりに実現していく努力の現状を語っています。
この本の第5章は、「世界は9条をえらび始めた」となっているのですが、そこでは、ヨーロッパから、南北アメリカから、また日本でのこのような動きの具体的な有様を伝えています。憲法9条の会がジュネーブで、バンクーバーで、結成されるのもその動きの現れです。一一月一八日の神奈川新聞は、ソウルで「韓国9条の会」が結成されたことを報道しています。その趣意として「自らの社会で平和を追求しない者は他国のことにかかわることはできない」と呼びかけがなされたとのことです。民主化以前の韓国の軍事独裁政権は、米国を間に入れて、日本の改憲派と結ばれていました。韓国の人々の宿願である戦争状態の終結、南北の平和的統一にとって、今障害となっているのは冷戦体制の遺物である韓米相互防衛条約と在韓米軍の存在であると見られています。これをなくす、あるいは薄くすることは、日本の改憲策動が「日本同盟」強化にあるのと逆方向の対称的関係にあり、日本の改憲阻止運動と結びついています。憲法問題でその国際連帯の必要性と重要性の認識がようやく緒につきだした時、「韓国9条の会」の結成は大変心強いものがあります。これに応えでるためにも、「9条世界会議」は是非成功させなければなりません。
国内のこのような連帯運動としても若者が大きく動きだそうとしていることの現れがこの世界会議です。このようなプラン建てには馴れていない私たちから見ると危なっかしく見えます。しかし、これを成功させるのと失敗するのでは、改憲阻止運動の発展にとって大変な違いです。なんとしてもこの会議を成功させるために、法律家の笹本潤さんを始めこの企てに参加してきた人達が世界をめぐり有志の人々と意見を交換し、寄稿を求めてでき上がったこの本を一読され、皆さんが9条問題の国際的側面についても関心と協力をよせられ強化されるようお願いします。
【かもがわ出版一九〇〇円+税】
東京支部 中 村 欧 介
1 二〇〇七年一二月一一日は、戦後裁判史に汚点を残す一日となった。
東京高等裁判所第6刑事部は、第一審無罪判決を覆してまでも公安による言論弾圧を追認する姿勢を明らかにしたのである。
2 すでにご承知のとおり、本件については昨年八月二八日、東京地方裁判所第12刑事部において無罪判決が出されている。
全一六回の公判を通して、弁護団は、本件マンションにおける日常的なビラ投函実態と本件配布行為によって居住者らに具体的な権利侵害が生じていないことを立証した上で、「ビラ配布の目的だけであれば集合郵便受けへの投函にとどめておくのが望ましいとはいえても,それ以上の共用部分への立入行為が刑事上の処罰の対象とすることについての社会通念は未だ確立しているとはいえず,結局、被告人の立入りについては正当な理由がないとはいえない」として、住居侵入罪の適用を否定した無罪判決を獲得した。
3 これに対し、控訴審における検察側立証は本件マンションを設計した建築士の証人尋問に止まり、弁護側は第一審判決に対する新聞社説一四紙と捜査機関の行き過ぎを批判する住民の声を記載した新聞記事二紙を証拠物として採用させたほか、住居侵入罪を専門的に研究しておられる関哲夫教授と憲法学専攻の阪口正二郎教授の意見書を証拠採用させた。
しかし、高裁判決は、(1)「チラシ・パンフレット等広告の投函は固く禁じます。」という張り紙が玄関ホール内に掲示されていた事実などからビラ配布のための立入を禁止する管理組合理事会の決定が存在すると認定でき、それに反した立入は住居侵入罪を構成する。(2)許可なく立ち入って多くの住戸のドアポストにビラを投函しながら滞留した行為が相当性を欠くことが明らかであり違法性は阻却されない。(3)マンションに立ち入らないビラ配布や個別住民の許諾を得てそのドアポストに投函するために立ち入ることは禁止されていないので、表現の自由や住民の知る権利も害されない、などとして不当判決を導いたのである。
この判決は、本件マンションにおける日常的なビラ投函実態とそこから明らかになる「チラシ投函お断りの張り紙」が実効的に厳格に運用されていなかった実態を完全に無視するとともに、配布先に事前予告なしに配られるビラの本質を曲解し、本件マンション居住者らに具体的に如何なる権利がどの程度侵害されたのかの論証も全く行わない極めて形式的・表面的な論理構成であり、説得力を欠くこと甚だしいものがある。裁判所の強引な論理の背後には、ビラを配ることへの偏見や無理解、すなわち自己と異なる見解を持つ者に対する寛容の精神を背後に持つ憲法二一条1項に対する無理解・軽視の姿勢が垣間見える。
4 残念ながら、如何に不当であると非難しようとも、この判決が持つ萎縮効果は大きいと言わざるを得ない。
本件以外にも堀越・宇治橋両国公法弾圧事件をはじめ、「平成の言論弾圧事件」の先陣を切る形となる本件で、自由法曹団の叡智を結集して最高裁での必勝態勢を組むことが急務である。
上告趣意書作成にのぞむ弁護団の拡充をはじめ、全国の弁護士の怒りの声・危機感を訴えるような弁護人名簿の作成も必要ではないかと考えている。また、言論の自由の危機に対する最高裁が無視できない国民的運動を盛り上げるためにも、是非とも全国の団員の皆さんの力をお貸しいただきたい。
私としては、全国どこでも学習会や訴えに赴く所存である。
東京支部 加 藤 健 次
国会では、「消えた年金」問題に関して、福田首相や桝添厚労相の無責任な言動が、内閣の支持率を低下させている。
この間、政府・与党は、年金行政に対する国民の強い不信に乗じて、社会保険庁を解体し、民営化する法律を成立させた。健康保険業務は「健康保険協会」へ、年金業務は「日本年金機構」へと引き継がれる。新法人の業務の多くを民間委託し、職員についても民間から積極的に登用するとされている。職員の採用について言えば、社会保険庁官が新法人の職員となるべき者の「名簿」を作成し、その中から新法人の設立委員が「新規採用」するという、国鉄改革法二三条と全く同じ仕組みになっている。ただし、「国鉄清算事業団」のような組織はなく、新法人に採用されず、配転先がみつからない職員は、「分限免職」(つまり解雇)されることになっている。
しかし、社会保険庁の解体・民営化で、本当に年金制度はよくなるのか。社会保険庁の労働者の雇用保障を否定することが許されるのか。いったい社会保険庁の現場はどうなっているのか。まず事実を知ろう。ということで、一二月一四日に「守れ!国民の年金制度 今社会保険庁職場では」と題した懇談会が開かれた。
国公労連に加入している全厚生という労働組合に所属している労働者が十数名参加し、それぞれの職場の現状や悩みを語った。まず、感じたことは、このまま社会保険庁が「解体」「民営化」されると、「消えた年金」の解決はおろか、公的年金制度が崩壊する恐れさえあるということだ。年金行政には、歴史的・構造的な問題があり、職員を入れ替えて済むような問題ではないということだ。むしろ、民営化によって、業務の継続性が破壊され、加入者のプライバシー保護などの公的責任が希薄化する可能性もある。
懇談では、異様な社会保険庁バッシングの嵐の中で、社会保険庁の職場が、「何でもあり」の無法状態化している実態がこもごも語られた。過去の記録の照合作業や加入者の問い合わせに忙殺され、勤務時間が終了した後、やっと本来の担当業務にとりかかる。休日出勤が日常化し、上司が「ボランティアで出勤して」と真面目に公言する。しかも、労働者は、新機構への「選別」という圧力にさらされながら仕事をしている。メンタルヘルスを原因とする休職者が突出して増えている。見切りをつけて退職する人が続出し、そのことがさらに人員不足に拍車をかけている。
印象的だったのは、こんな大変な状況の中でも、年金業務に対する誇りと責任を失わないで悪戦苦闘している姿だった。懇談会を通じて、「公的年金を守れ」という要求と現場の労働者の要求を結合した運動をつくっていかなくては、という点での確認ができたように思う。
国民の不安や怒りの反映という側面はあるにしても、年金制度の問題点を冷静に議論しようとしたり、社保庁労働者の「権利」を問題にすることそのものがはばかられるような雰囲気が支配している。構造改革論に対抗する運動に対する分断をはねのけるためにも、この「雰囲気」を打ち破り、新しい連帯を広げていくことが求められているのではないだろうか。
*懇談会には団員も数名参加し、引き続き議論を続けようということで、一月八日(火)午後三時から五時まで団本部で集まりを持つことにしました。組合の方も参加しますので、関心のある方は、ぜひ参加して、意見を出してください。
東京支部 滝 沢 香
一 山口総会終了後の美祢社会復帰促進センターの見学に参加した。弁護士登録二年目からずっと東弁人権委員会に所属しており、とぎれることなく刑事施設からの人権救済申立事案をかかえている関係で関心があった。なお、このセンターに関する情報は山口県弁護士会のHPに詳しい
二 センターは、本年五月一日以降に受刑者の収容が開始され、男女各五〇〇名、合計一〇〇〇名収容可能な施設に、見学時の収容者は約三五〇名、稼働率三五%という状況。舎房などは未使用部分がたくさんあるので、内部も含めて見学が出来た。
矯正処遇については、ITスキルの職業訓練などの試みがあるようだが、これも始まったばかりでとくに検証できるような状況ではない。説明書にはハローワークと連携した就労支援などもあげられているが、どの程度の効果が期待できるかは疑問もある。
ここの収容対象は、犯罪傾向が進んでおらず、初めて刑の執行を受ける者のうち、心身等に著しい障害がなく、集団生活に順応できる者で、男性については、社会内で安定した就労状況が維持されていたこと、帰住環境が良好であることなどの条件をみたした受刑者という厳しい条件が設定されている。このため、他施設の過剰収容解消には今のところあまり役立ってはいないようだ。
受刑者の居場所は、受刑者用の服の胸につけられたICタグと五〇〇か所のセンサー、二〇〇台以上のカメラによって、中央警備室で管理され、作業場への入室は生体認証による確認がなされている。受刑者が自由に歩き回れることと看守の負担の軽減という意味があるそうだ(実際に出会ったのは、複数の受刑者が複数の看守とともに移動している姿だったが)。
いわゆる塀はなく、高さの異なる三層のフェンスと、ここに設置された関知システムによって逃亡などへの対応をしている。
アクリル板の仕切のない面会室、家族複数で入れる広い面会室などもあるが、交通も不便なところにあり、帰住環境が良好な受刑者が収容されているにもかかわらず、あまり活用されていないようだ。
舎房は基本的に強化ガラスの向こうには鉄格子がない個室で、夜九時までは自分の部屋の出入りは自由にでき、鍵の施錠・解錠は中央警備室での操作によって行われている。
三 人権救済申立事件を処理していて圧倒的に多いのは、医療を受けられないなど、医療に関わるものであり、弁護士会の人権救済手続の限られた手段では、医学的な必要性も含めて判断に苦労する。医師の確保はもはや塀の外でも深刻な問題になっているが、刑事施設となるとなおさら難しい。徳島刑務所の受刑者での暴動に関わり、視察委員会は法相宛に医療に関する改善要望を提出したばかりだ。
このセンターでは、常駐の看護師の外に市立病院との連携により週三回は医師が来ており、歯科も含めて速やかな受診が可能な状況にあるとの説明であったが、何せまだ三五%の稼働率なので、なんとも評価しがたい。一方、地域との共生という点で、市内に婦人科診療所がないために、このセンターに一般も受診できる婦人科診療所を設置した。しかし、見学時点では未だ医師の確保が出来ていない状況で、構想通りに進むというわけでもなさそうである。
四 センターで働くのは国職員一二三人と民間職員は約三〇〇人とのこと。説明にあたった刑務官は、正確な民間職員の人数を把握していないという。炊事、洗濯、清掃、理髪などは、民間職員が行っているが、ここに非正規雇用形態の職員が多く導入されているためのようだ。最近、神戸刑務所における偽装請負について、労基局が是正指導を行ったとの報道がなされたが、このセンターでの民間職員の雇用形態や労働条件等についても問題点がないのかどうかは、今後目配りをしていく必要があるだろう。
五 物理的に、あるいは刑務官らによる強制は従来の刑務所に比べて少ないのかもしれない。しかし、塀はなくても、隔離はされているし、ICタグやカメラで監視された生活には、何となく違和感もある。先の厳しい条件をみたす者といっても、おそらくは初犯は執行猶予などがついて、二回は刑事手続に付された経験がある受刑者が多いだろう。社会の中での関係がうまく築けなかったり、生きづらさを抱えて犯罪にいたったような人たちの社会復帰の促進については、センサーやモニターに監視された中での「より自由で快適な」矯正施設というだけではなく、もう少し人間味のある工夫が語られてもいいように感じる。そうした点にこそ、民間の智恵や資源の活用や地域との共生という点をもっとうまく生かしていけないものだろうか。
もっとも、塀の外も監視社会も進んでいる。ここから復帰するのは同じように身につけた携帯電話で居場所が管理される社会という怖い話にもなりかねない。
最後に、この見学を企画していただいた松本前次長や警察問題委員会の皆さまに改めてお礼を申し上げます。