<<目次へ 団通信1283号(9月1日)
加藤 健次 | 二〇〇八年福島総会特集 福島・穴原温泉総会にご参加下さい |
広田 次男 | 二〇〇八年福島総会特集 来らんしょ、福島さ! |
渡邊 純 | 一泊旅行・半日旅行のお誘い 大衆的裁判闘争の原点を探す旅 |
大竹 寿幸 | 〜今年もやります!4団体合同事務所説明会のご案内〜 |
村田 智子 | 団の教育・教科書への取組を支えた森脇さん |
事務局長 加 藤 健 次
今年の総会は、一〇月一九日及び二〇日に、福島県の穴原温泉で開催されます。大衆的裁判闘争の原点ともいえる松川事件の現場に近い会場です。一八日には松川事件と大衆的裁判闘争をテーマにしたプレ企画を予定しています。
昨年の総会は、参議院選挙で、格差と貧困の拡大、改憲策動に対する国民の審判が下され、安倍内閣が退陣した直後に開催され、新たな情勢の下でのたたかいを呼びかけました。
「テロ」特措法の期限切れによる海上自衛隊のインド洋からの帰国と、衆議院での再議決による新給油法の強行成立。自民と民主との大連立構想と連動した自衛隊の海外派兵恒久法制定の策動と四月の名古屋高裁での歴史的なイラク派兵違憲判決。全国的な「九条の会」の広がりと「九条世界会議」の成功。米軍基地再編とこれに対する全国各地での新たな運動。憲法と平和をめぐる課題をみても、支配層の攻撃とこれに対する国民の反撃が激しくぶつかっていることを実感させられます。運動の到達点を確認しながら、自衛隊の恒久派兵法を阻止するたたかいと九条改憲に反対する運動をさらに発展させる方針について大いに議論したいと思います。
昨年の総会では、「ワーキング・プアと貧困問題」をテーマにしたプレ企画を行い、多くの団員が参加して熱のこもった討議を行いました。総会後、この分野では、派遣法抜本改正を掲げた二度にわたる街頭宣伝相談活動や各地での青年労働者との共同の運動が取り組まれるなど、めざましい発展がありました。若い団員が中心となって活動していることも特徴です。労働と貧困の問題をめぐって全国的に「潮目が変わった」と言われる中、今後の運動をどう発展させていくのかを議論したいと思います。
昨年の総会では、法曹人口問題、裁判員制度と刑事裁判の問題について問題提起をし、団内での討論を呼びかけました。その後、二つの課題について、司法問題委員会、法曹人口問題プロジェクト、常任幹事会などで議論を重ね、全国的な会議も開催しました。司法問題について団内に様々な意見の違いがあることは事実ですが、この間の議論を踏まえれば、一致した運動の方向を打ち出すことは十分可能だと考えています。大いに議論を戦わせた上で、実践的なたたかいの方針を確立しましょう。
今年の五月集会は、分科会を中心に据え、改憲阻止、教育、労働、刑事裁判、地方自治、貧困の六つの分科会で、時間をかけた討議を行いました。総会では、五月集会の成果を踏まえ、この間の経験も交流しながら、それぞれの分野で団の活動の方向を深めていきたいと思います。
この間、若い団員が増え、それぞれの分野で活躍しています。若い団員とベテランの団員の力をうまく組み合わせて、ともに成長していくことが団全体の課題となっています。そこで、今年は、会場が福島で、かつ、来年には裁判員制度が施行されるという情勢を踏まえ、松川事件と大衆的裁判闘争をテーマにしたプレ企画を行うことにしました。内容はこれから具体化しますが、若い団員の皆さんにも「なるほど」と実感しもらえるようにしたいと考えています。
国内的にも、国際的にも、大きな歴史のうねりを感じさせられる時代です。その大きな流れの中で、どのように生き、活動するのか。多くの団員の皆さんの参加で、大いに議論し、総会を成功させましょう!
福島支部 広 田 次 男
今年の自由法曹団全国総会は、福島市・穴原温泉の「匠のこころ 吉川屋」で開催することになりました。
五月集会での総会開催支部からの歓迎あいさつは私がする予定でしたが、よんどころない事情により、「代筆代読」となり、各方面に多大なご迷惑をおかけしました。非常に不本意な内容でしたので、今回の団通信からの歓迎文は、是非とも自分で起案する予定でしたが、今回もよんどころない事情により、代筆を余儀なくされています。代読がないだけ、まだましと自分を慰めています。
総会が行われる穴原温泉は、温泉歓楽街で有名な飯坂温泉(福島市の北)から、少し北に入ったところにあり、「奥飯坂」とも呼ばれる湯量豊富な温泉です。総会が行われる吉川屋は、天保十二年創業と古く、アルカリ単純泉の「美人の湯」として知られる旅館です。五月集会でもご紹介したとおり、わが自由法曹団福島支部の重鎮である安田純治団員ゆかりの旅館でもあります。
飯坂温泉近くの道路には「フルーツライン」との愛称が付けられているほど果樹園が広がっており、総会が行われる一〇月には、ちょうどリンゴの収穫期を迎えます。たわわになったリンゴが、総会に向かう皆さんの車窓を彩っていることでしょう。もちろん、道路脇には直売所もたくさんありますので、おやつに、お土産にお買い求め下さい。飯坂といえば、福島駅と飯坂温泉を結ぶ私鉄・飯坂線を運営する福島交通の民事再生申立で何かとお騒がせしておりますが、ご安心下さい。今のところ飯坂線は運行を続けております。
さて、団の全国規模の集会が福島県で開かれるのは、一九八九年、磐梯熱海(郡山市)での五月集会以来と聞き及んでおります。当時の日本は、いわゆるバブル景気のまっただ中でしたが、プラザ合意(八五年)や前川リポート(八六年)による「産業構造調整」の名の下、現在につながる産業空洞化や各種「規制緩和」「民間活力」路線が始まった時期でもありました。その結果は、現在の「ワーキングプア」や「格差社会」に端的に示されています。団は、当時から、プラザ合意や前川リポートにしめされる新自由主義を厳しく批判してきましたが、その先見性は明らかであると思います。今年の団総会でも、貧困や労働問題についての各地の取り組みが交流されることと思いますが、ここ福島県は、一九一七(大正五)年、かの宮本百合子が一七歳の若さで文壇デビューを飾った「貧しき人々の群れ」の舞台である桑野村(現・郡山市)のある県でもあります。郡山市の開成山公園の中には、宮本百合子の文学碑も建立されていますが、当時の開拓農民の姿をつぶさに活写した宮本百合子の観察眼には、我々団員も学ぶことが多いのではないかと思います。
また、福島県で自由法曹団と言えば、忘れてはならないのは、言わずと知れた松川事件です。総会のプレ企画では、松川事件と松川運動を現代的な視点で学び返す趣旨の企画が予定されていると聞いております。当時、文字どおり全身全霊を傾けて事件に取り組んだ先輩団員や元被告たちから直接に当時の様子を聞くチャンスは滅多にありません。ぜひご参加下さい。松川事件の事故現場(松川記念塔公園)と福島大学の松川資料室は、ともに、会場から車で四〇分程度の場所にありますが、もちろん総会終了後の観光コースに含めております。ぜひ、こちらにもお立ち寄り下さい。
福島支部の団員一同、全国の団員の皆さんが、団総会にご参集されることを楽しみにお待ちするとともに、皆さんのお越しを心から歓迎します。
来らんしょ(福島弁で「お越し下さい」の意)、福島さ。
団総会のお楽しみと言えば、総会終了後の恒例オプショナルツアーですよね(私は参加したことがありませんが…)。
広田支部長も歓迎あいさつで触れておられたはず(いや、代筆者は私ですから間違うはずはありません)ですが、自由法曹団、そして福島県と言えば、忘れてはならないのは松川事件です。文字どおり全国民的な運動により、被告全員の無罪をかちとった松川事件は、戦後の自由法曹団の歩みを象徴する事件であり、また、刑事訴訟上の問題としても現在につながるたくさんの問題を提起した事件でもあります。
しかし、なにせ事件が発生したのが一九四九(昭和二四)年、被告全員の無罪が確定したのが一九六四(昭和三九)年ですから、今の中堅・若手団員の中には、「話だけは聞いたことがあるけど、詳しくはよく分からない」「そもそも松川事件って何?」という人も多いのではないでしょうか。何を隠そう、私も松川無罪確定後に生を受けた人間です(威張ってどうする)。
今回の団総会のプレ企画では、裁判員制度導入など、刑事裁判が大きく代わろうというこの時期に、改めて松川事件に学び、現代的な視点で「大衆的裁判闘争」や刑事裁判の問題を考えようということで準備が進んでいるようです。
そこで、今回のオプショナルツアーは、プレ企画とのタイアップを図り、松川事件を巡る旅を企画しました。先輩団員からは「新味がない」とのご批判もあろうかと存じますが、お許しを。
以下、予定する日程の概略をご紹介します。
一〇月二〇日(月)の昼に総会が終わりますが、半日コース・一泊コースとも、総会終了後すぐに福島大学を目指して出発します。福島大学の生協食堂(最近の学食は、侮れませんよ)で昼食後、福島大学にある松川資料室を見学します。松川事件の資料は、法政大学の大原社会問題研究所にも保存されていますが、松川事件の資料を今なお収集保管し続けている資料室といえば、ここです。松川資料室では、自ら「松川資料の守人」を持って任じていらっしゃる伊部名誉教授(現在特別研究員)直々に、松川資料のご説明を受けることができます。その後、近くにある松川事件の現場を訪れます。福島市内から事件現場までの道中の様子は、事件当時とはかなり変化していますが、現場付近は、いまだに草深い山中という感じで、当時の様子を忍ばせます。事件で命を落とした乗務員の慰霊碑や事件後に建立された記念塔(広津和郎の碑文が刻まれている)を見学していただけます。また、記念塔周辺が松川運動記念会により公園として整備されており、公園内で松川事件の「語り部」から話を聞くこともできる予定です(体調が許せば、元被告の方も参加されます)。なぜ、あのような全国民的な運動(大衆的裁判闘争)が可能になったのか、その中で自由法曹団の先輩団員たちがどのような役割を果たしたのか、じっくり考え、今後の活動に生かすきっかけになると思います。
松川事件関係の見学をたっぷりしていただいて、半日コースは郡山へ。時間が許せば、短時間で郡山付近の観光(見るところはあまりないんですけどね)をしていただいて、郡山駅を経て福島空港で解散となります。
一泊コースは、松川記念塔公園で半日コースと別れ、会津方面へ。このまま会津の奥座敷、東山温泉のお湯と会津の地酒で見学の疲れを癒し、翌日は、萱葺屋根の民家で有名な大内宿、奇岩が立ち並ぶ景観で知られる渓谷「塔のへつり」(へつりとは、会津の方言で険しい崖という意味)などを見学し、郡山駅・郡山空港で解散する予定です。
本当は、観光で立ち寄っていただきたい場所は他にもたくさんあるのですが、何分、福島県は広いので、選に漏れた候補地がたくさんあることをご了解下さい。
いずれにせよ、団の歴史に残る事件にゆかりの地をめぐり、現代的な視点でとらえ直すという「自由法曹団ならでは」の観光コースになりました。中堅・若手の団員の皆さんにとっては新鮮な、古手(失礼)の諸先輩方にとっては懐かしく旧交を温めることのできる旅行になると思います。是非ご参加下さい。
東京支部 大 竹 寿 幸
一 六二期の新人弁護士を迎えたい団員のみなさん
また、私たちの仲間を広げるビッグチャンス、事務所説明会のご案内を差し上げる時期がやってまいりました。
きたる九月一三日(土)午後二時から六時まで、東京は四谷駅から徒歩一分、プラザエフ(03-3265-8111)にて、六二期司法修習生を対象とした、団、青法協、日民協、労働弁護団の四団体合同事務所説明会を開催します。ちなみに六二期司法修習生は、現在実務修習中で二〇〇九年九月上旬に約二五〇名が登録予定です。
来年は六二期、新六二期をあわせて約二三〇〇名の修習生が修習を終えますが、私たち団員と修習生との接点が極めて少なくなっています。そのような状況において、多くの修習生が参加する四団体事務所説明会は、団員の活動を知り、共感してもらう絶好の機会です。現在の修習生が置かれている就職難という状況からすると、必ずしも最初から人権活動に興味があるという人だけが来るとは限りません。また興味関心の程度も様々であることが予想されます。しかし、だからこそ私たち団員がみずからの活動を情熱的に生き生きと語る必要があります。四団体事務所説明会・懇親会は、単に「良い修習生」を探す場というだけでなく、将来の団員を育てる場でもある場でもあることを踏まえ、是非、多くの団員の方にご参加いただきたいと思います。もちろん青法協1月集会の宣伝をしにくる修習生もいますので、何かとお忙しい時期とは思いますが奮ってご参加下さい!
二 当日のスケジュール及び実施方法
午後一時三〇分 開 場
午後二時〇〇分 説明会
午後六時〇〇分〜八時〇〇分 懇親会
実施方法は例年どおりの方法を踏襲します。弁護士には数ヶ所のテーブルに分かれて座っていただき、修習生に各テーブルをローテーションで回ってもらいます(テーブルの数、ローテーションの時間は参加人数によって適宜変更があります)。
説明会の進行は、各テーブル毎に司会を配置しますので、司会にご協力ください。
同事務所から複数の弁護士が参加しても構いませんが、発言時間が他の事務所より多くなることはありませんのでご注意ください。 なお、参加人数にもよりますが、例年では、一事務所の発言時間は三〜五分程度です。
三 参加要領
(1) 当日の駆け込み参加はもちろん大歓迎ですが、会場設定の都合もございますので、参加される場合は事前に私までご連絡ください。
(2) 修習生には、例年どおり四団体事務所ガイドブックを配布済みですが、独自の宣伝資料も自由に持参・配布していただいて結構です。
(3) 弁護士お一人につき説明会の参加費用として一万円、懇親会の参加費用としてお一人五〇〇〇円をそれぞれお支払いください。その際、領収証を発行します。お支払いいただいた参加費は、会場費の他、修習生の交通費への援助金として使用させていただきます。
ご質問、ご意見は私までよろしくお願いします。
大 竹 寿 幸
〒一六〇−〇〇〇四 東京都新宿区四谷一−二 伊藤ビル
東京法律事務所
電話 〇三ー三三五五ー〇六一一
FAX 〇三ー三三五七ー五七四二
東京支部 村 田 智 子
1 はじめに
森脇さんが自由法曹団を退職されるとうかがいました。
森脇さんが自由法曹団に就職されたのは一九九七年九月、私が自由法曹団の事務局次長になったのは二〇〇二年一一月です。つまり、私は森脇さんが団に入られてから五年以上経ってからしか、森脇さんの働き振りを間近で見ていません。
そのような私にも、森脇さんが、自由法曹団の教育や教科書に関する取組について、どれほど大きな役割を果たされたのか、よく分かります。
でも、ひょっとしたら、このような森脇さんの働きは、教育や教科書に関する取組で中心的な役割を果たした団員以外には、案外知られていないのかもしれないと思い、自分の知識や経験には限界があることを恥じつつ、筆をとりました。
2 二〇〇一年、熱き教科書闘争
二〇〇一年夏は、熱く燃えた夏でした。
あの、「新しい歴史をつくる会」が、きわめて偏った内容の歴史教科書及び公民教科書を出し、全国で一〇%の採択を目指すと公言しました。これに危機感をもった各地の市民が、地元で採択反対運動を展開していきました。教科書ネット21などのネットワークが広がっていったのもこの時期です。
残念ながら、私は、この頃、学童クラブ父母の会の仕事で忙しく、自由法曹団の活動にまったく関与しませんでしたが、現在の幹事長である田中隆団員らが先頭に立って、東京支部が中心となって闘争を繰り広げ、市民とともに運動をつくっていきました。このときの闘争の内容は、東京支部が、「熱き教科書」という冊子にまとめています。
このとき、森脇さんは、何人かの団員とともに運動の先頭に立ったほか、教科書ネット21のメーリングリストに加入して、情報の収集や取捨選択などの仕事を担当されました。当時はまだ、市民運動のメーリングリストもめずらしく、そこで行きかう情報も信憑性の高いものから低いものまで様々でした。そのため、田中隆団員ら、弁護士はメーリングリストに加入せず、森脇さんのみが加入して、情報の取捨選択の役割を担ったのです。まだ弁護士も市民も、ネットを通して入ってくる山のような情報といかに接するのかに慣れていなかった当時、このような「取捨選択」という仕事は、非常に配慮を要する、難しい仕事だったのではないかと思います。でも、ここでうまく教科書ネット21のメーリングリストを使いこなしたことが、後々の、「市民とともに歩む」という団の教育問題への取組のスタイルに繋がって行ったのではないかと思います。
その後も、森脇さんは、団の顔として、団の意見書などを、教科書ネット21のメーリングリストなどで発表され続けました。
二〇〇五年夏の二回目の教科書闘争では、団の果たす役割は、市民の中でも大きく評価されていくようになりました。
3 教育基本法改悪阻止の取組(二〇〇二年〜二〇〇六年)
教育基本法改悪の取組は、私が次長になってから取り組んだ最大の問題でした。この取組については、常時、団執行部全体に支えていただきました。その中で、森脇さんに関わっていただいた部分はたくさんあり、とても逐一書くことはできません。また、たしか二〇〇五年頃からではないかと思いますが、専従事務局の方たちが、それぞれ、本部内の対策本部や委員会の担当になりました。森脇さんは、当然のように教育の担当になってくださり、その後はもう本当に何から何までお世話になりました。
森脇さんがおっしゃった言葉で印象に残っているのは、二〇〇二年の年末頃、私が、教育基本法への取組を大きくしなければならないと言っていた頃に、「私も常々そう思っていた。団の教育への取組はすばらしいけれど、いつも取り組む人は限定されているように感じていた」という一言です(細かい表現などに間違いがあるかもしれませんが、その点はご勘弁ください)。
それから、なんといっても思い出すのは、二〇〇六年一二月一五日、私が参議院前で最後の国会前闘争に参加していたとき、何度も携帯電話で国会での審議の模様を伝えてくださったことです。改悪法案が参議院を通過したことを知ったのも、森脇さんからのお電話でした。私のすぐ近くにいた、見ず知らずの方たちも、私の携帯電話があるたびに、耳を済ませていました。国会前にいると、案外、情報が伝わらないものです。今思い出しても、あのお電話は嬉しかったです。
4 学力テスト問題への取組(二〇〇七年秋)
昨年(二〇〇七年)、全国の小中学校で一斉学力テストが行われました。
団は、その後の報道や公表問題も含めて研究をし、その結果を、「〇七年四月文部科学省が行った全国学力・学習状況調査についてのレポート」にまとめましたが、この研究・レポート作成には、森脇さんは直接関わり、お名前も出しておられます。
新しい団の運動のあり方ではないかと思いました。
5 最後に
思い出せば思い出すほど、団の教育や教科書に関する取組が、どれほど森脇さんに支えられていたことかと思います。
森脇さんが団の専従事務局として細やかな配慮をしてくださったこと、いつも支えてくださったことについては、どれだけ感謝をしてもし足りません。でも、何よりもの森脇さんの功績は、団に市民運動のセンスを持ち込んでくださったことではないかと思います。
最後に。森脇さんへ。
森脇さんは、今後も、どこにいってもご活躍され、周囲の方たちから頼りにされるのではないかと思います。
どうか、お体にはご自愛ください。
またどこかでお会いできることを、楽しみにしています。
お知らせ
一九九七年九月から、団本部の専従職員として団の活動を支えてきた森脇圭子さんが、八月末をもって退職いたしました。
大変残念ですが、今後の活躍を期待したいと思います。
長い間本当にご苦労さまでした。