<<目次へ 団通信1290号(11月11日)
広田 次男 | ならず者 (「どうもこうもならぬ者」の意、広辞林) |
河野 善一郎 | 公選法の戸別訪問禁止等の撤廃を勧告 江戸の仇はジュネーヴで |
井上 洋子 | 閑散のデトロイトに希望の微風あり シュガー・ロー・センター訪問記 |
小池 義夫 | 名張再審事件と法廷意見書 |
労働問題委員会 | 労働者派遣法の「まやかし改正」を許すな! 一一・一九 JR新宿駅西口 「宣伝・相談・アンケート活動」参加のお願い |
笹山 尚人 大竹 寿幸 |
新六二期向け四団体合同事務所説明会にご参加ください |
田中 隆 | ** 福島総会特集 その2 ** ときとともに ― 離任のごあいさつ |
町田 伸一 | ** 福島総会特集 その2 ** 退任のご挨拶 |
馬屋原 潔 | ** 福島総会特集 その2 ** 退任の挨拶 |
杉尾 健太郎 | ** 福島総会特集 その2 ** 次長退任あいさつ |
今泉 義竜 | ** 福島総会特集 その2 ** 新入団員の福島総会雑感 |
福島支部 広 田 次 男
1.大概の事務所と同じように我事務所の電話も午後五時頃から忙しくなる。
裁判所から戻った弁護士、終業間際の事務所・裁判所、仕事を終えた人等々からの電話に殆んどの事務員と弁護士が対応に追われる事になる。
そんな時間帯に、依頼者との架電中にも拘わらず事務員が「仙台高裁から電話です」と言ってきた。
私は「用件を聞いておけ」とだけ言って、依頼者との電話を続けようとした。
事務員は少し改まった表情で「裁判官のAといっていますが」と言い足した。
私は、架電中の依頼者に「後で架け直す」と言って、急いで点滅中のボタンを押した。
「仙台高裁のAです」と聞き慣れた声が私の耳朶を打った。
高裁々判長、直々の電話である。
時計を見ると五時二〇分を廻るところだ。
「職務時間外という事か」と私は思った。
Aは「この間の和解案五〇〇万では駄目なのか」「その理由は何か」「是非五〇〇万で手を打て」という趣旨を延々と述べたてた。
返答を渋る私に、Aは「では半分位ならどうかね」と持ちかけたうえで「この次ぎの和解期日には支援者も連れてきて下さい。反対運動の幹部の人々」と言って電話を切った。
時計を見ると五時五〇分に近い、約三〇分もの間説得されていた訳だ。
2.福島県郡山市に本社を持つBが福島県双葉郡双葉町を貫流する、前田川の水源地に産業廃棄物処理場の建設の計画を発表した。
以後、町民約七〇〇〇人のうち四〇〇〇人余の反対署名、議会・町長などの反対表明にも拘わらず、計画は着々と進行した。
やむなく、二〇〇二年六月反対運動は、建設予定地内の地主から土地を買い取って、処分場建設禁止を提訴し、一審・高裁と勝訴した。
二〇〇六年三月二日住民は、最高裁に於いても勝訴して、建設計画は息の根が止まったはずであった。
しかるに、未だ上告審の最中である二〇〇五年一二月六日、Bは反対運動に土地を売却したCを被告として二億円の損害賠償を提訴した。(以下「本件」)
Bの意図は見え透いていた。
建設禁止の訴訟では敗訴したが損害賠償(本件)で勝訴すれば、反対運動はCを見棄てる事はできないから、建設禁止についても「話し合い」に応じてくる事は、必定と見込んでの事である。
住民側としては建設禁止訴訟の勝利で住民運動は事実上解体しているし、二度に亘る訴訟の仕組の説明は相当に難しいし、ゴミ業者としては処分場建設という目的を達成できるし、実に巧妙な戦術といえる。
3.どのゴミ業者も同様と言えるが、双葉処分場の業者の粘りは一入のものがあった。
二〇〇二年一〇月頃、当時の私の依頼者を通して「反対運動から降りてくれ。何をする事もない、ただ降りてくれれば三億円払う。勿論、領収証はいらない」との申入があった。
私はホンの一瞬驚いたが、驚いた素振りはホンの少しも見せず「それは駄目だ、みんな生命懸けでやっている事だ」と言って、これを断った。
その後、近隣で活動する右翼団体D会の街宣車が動き出し「処分場反対運動は広田が蔭で操っている、広田はアカだ、アカマムシドリンクは見ても効かない。飲んでも効かない…。」等々と流し始めたが、誰も驚く人はいなかった。
二〇〇三年三月、D会が「広田と反対運動がBに三億円で土地の売込を計画してる」趣旨のチラシを双葉町に撒いた時には少し驚いた。
私と反対運動幹部が原告となって、D会を被告として、慰謝料と謝罪広告を求める提訴をし、D会には東京の弁護士がついた。
やがて、近隣に威を振う暴力団の代貸Eが「俺がD会の事務所から、当該のチラシを盗み出し、撒いたものだ」との趣旨(悪いのはEで、D会ではない)との陳述書が提出された時には大いに驚いた。
Eの謝罪広告など三文の値もつかない。
更に、建設禁止の最高裁判決が決まった後も、私宛に「双葉町の処分場をやりたい。土地を売ってくれないか」との趣旨の電話・手紙が相次いだ。
ゴミ業者には、最高裁判決は、反対地権者が土地代をツリ上げる手段としか映らないようであった。
4.二〇〇七年一〇月九日本件につき、福島地裁郡山支部は、Cの全面勝訴を言い渡した。
全ての論点に於いて、勝利する完全勝訴であった。
Bは直ちに控訴をした。
私は当然、高裁での「一回結審」を予想したが裁判長AはBの申請した証人を採用し、尋問終了後、双方に「和解勧告」をなし、A自ら「CがBに対して五〇〇万円支払う」旨の和解案を提示した。
この五〇〇万支払の提示に対して、拒否の上申書を提出した直後に冒頭の電話がAから架かってきたという次第だ。
Aから電話のあった晩、私は仕事を終えた後、仙台の畏友F弁護士の自宅に電話をして、Aからの電話の件を話し、Aの「人となり」を聞くとともに事件経過を説明し、その処理の方向について相談した。Fは丁寧に話を聞いたうえで「情報を収集したうえで、後日電話する」との事であった。
数日後、Fから電話があり「Aはならず者だ、何をやるか分からない。そういう事件なら、一〇〇や二〇〇で済む事なら払ってしまった方が無難だ」というのが、Fの意見だった。
私はFの意見には盲従するのが習癖となっていた。
5.私は、それまでの経過を二回に亘り、住民運動の幹部に説明し、四名ほどの幹部を伴い、仙台高裁の和解期日に出頭した。
Aは、書記官も退席させ、私および四名に対し、和解の必要性を説き始めた。
「双葉町は原発の中心地だ、処分場よりは原発の方が余程、危険だと思わないか」「原発はそのまましておいて、処分場反対運動だけというのは、少しヘンではないか」
私は「原発は本件和解とは関連性がない」と喉まで出かかったが、住民運動幹部に、裁判長の「人となり」を知って貰うには良い機会だと思い、そのまま放置した。
Aは「もっとも私は、原発も処分場も両方とも危険とは思っていないのだが」などと、その怪奇炎は止まるところを知らなかった。
同行した住民運動幹部は当初、反論の試みていたが、いずれも賢い人々であったため、暫くしてAの「人となり」を見抜き、黙ってAの喋るのに委せていた。
Aの独演会は1時間近く続いた。
6.「是非、次回には色良い返辞を聞かせて下さい」とのAの言葉で和解期日を終え、和解室を出た途端に、温厚な人柄で信頼を集めている住民運動の幹部の一人が吐き捨てるように「あれでも裁判官か」と呟いた。
その後は、堰を切ったようにAの「人となり」と発言に対する、批判が参加者全員の口から吐き出された。
「一銭も出さない、筋は通す。万一負けたら、Cの救済は俺たちがなんとかする。Aの言う事は絶対に聞かない。」と裁判所の建物を出る前に、住民運動の結論は出ていた。
7.二回目の和解期日に於いて、私は決然と和解拒否の返答をした。
Aは「そうですか」と語尾を上げて、不快感を示した後、更にB側を呼んで協議をしていた。
私の回答振りを見て、これ以上の説得は無理と判断したのか、Aは「では判決にします」といって「いろいろ検討しなければならないので」と如何にも思わせ振りに言って、二ヶ月余も先の平成二〇年一〇月二三日を判決日とした。
8.同日、法廷で控訴棄却(住民勝訴)の判決を聞いた時には、肩の荷が降りた思いであった。
判決文は予想した通り、ゴチャゴチャと書かれており、「危くセーフ」といった印象であった。
しかしこれで、双葉町処分場については、法的には住民勝訴が金銭面でも決った事になる。
但し、ゴミ業者の、私および住民運動に対する「勧誘」はこれからも続くと思われる。
「今後も頑張ろう」と判決を傍聴した住民運動のメンバーと誓いを新たにした。
大分支部 河 野 善 一 郎
一、去る一〇月一五、一六日、自由権規約委員会による第五回日本政府報告書審査がジュネーヴで開催された。団は国際活動日本委員会を通じてカウンターレポートを提出したほか、藤原、鈴木、小池、田島、三上と私が日弁連の代表団の一員として参加し、現地のロビーイング活動などに携わった。私は、大石事件の関係から、公選法の戸別訪問禁止や文書頒布制限など選挙活動の自由に関して、日弁連のカウンターレポートを担当していたので、初めて参加した。他の参加団員からもそれぞれ担当の報告があると思うが、私はとりあえず公選法に限って報告したい。
二、審査は、事前に委員会から政府に示されていた二九の質問項目(List of Issues)に沿って政府代表団(上田大使、法務省、警察庁、厚労省などからもスタッフ随行)が答弁し、さらに規約委員(各国選出一八名)が追加、補充質問するという形式で進められた。
公選法については、日弁連レポートの中で、先行して自由権規約一九条、二五条違反を主張した祝・中村事件の広島高裁、最高裁判決、今回の大石事件の一、二審、最高裁判決の各英文や、戦後一九四六年から今日まで九万一千人の市民が戸別訪問罪や法定外文書頒布罪で検挙、処罰されている警察庁の統計、エヴァットさんの英文意見書などを資料として添付して、規約一九条、二五条で保障された選挙活動の権利が、日本ではかくも不当に侵害されている事実をリアルに報告しておいた。
ところが皮肉なことに、質問項目のトップが「前回審査(注:一九九八年)以後に規約の援用が直接主張された裁判の結果を報告せよ。」となっていたため、政府は七つの最高裁判決を報告せざるを得なかったが、これが全部規約の適用を否定した判決であり(これまで規約を適用したことなどないから当然!)、その中に祝事件(戸別訪問、文書違反)、中村事件(戸別訪問、事前運動)の判決が掲記されていた。のっけから公選法問題が取り上げられるなと予感していたら、初日にウェッジウッド委員(アメリカ選出、検察官出身)がさっそく規約一九条違反ではないか、戸別訪問は普通の活動ではないか、と疑問を呈する質問をした。翌日政府側は各委員の質問に対する回答をしたが、公選法については裁判所の判決に政府として干渉できない、戸別訪問を許すと買収や迷惑がおこるなど、言い古された弁明を繰り返しただけであった。回答が一巡して、ふたたびウエッジウッド委員が、政府が判決に介入できないのはわかるが、政府は国内法を変えるとか憲法(の解釈?)を変えるとか可能ではないか、言論の自由と政治参加の権利は重要であり、なぜ近所にパンフレットを配ることができないのか、と追い打ちを掛けた。こういう調子で、刑事勾留制度、死刑制度、慰安婦問題その他多くの個別問題も逐一論議され、二日目の夕方終了した。結果は二八日に委員会の最終見解を政府に交付するという予定であった。
三、遅れて一〇月三〇日に最終見解が発表されたが、公選法問題については、ズバリ、制限を撤廃せよという勧告である。
仮訳すると委員会の見解と勧告は次のようになっている(全文は憲法、治安・警察、国際の各MLにデータアップしている)。
「二六 委員会は、公職選挙法による戸別訪問の禁止や選挙運動期間前に配布することができる印刷物の数や形式に関する制限のような、表現の自由と政治参加の権利に課せられた不合理な制限について懸念を表明する。また活動家や公務員が政府を批判するリーフレットを郵便受けに配布する活動が、不法侵入罪や国家公務員法によって逮捕、起訴されているという報告についても懸念を有する(規約一九、二五条)。
(勧告)締約国は、規約一九条及び二五条のもとで保護されている政治的宣伝(注:political campaigning)その他の活動を、警察、検察、裁判所が過度に制限することを防止するために、自国の法制度から表現の自由及び政治参加の権利に対するあらゆる不合理な制限を撤廃するべきである。」
堀越事件など国公法事件は、日本委員会がカウンターレポートで強調し、活発にロビー活動をした成果である。現在最高裁、東京高裁に継続中の審理にも積極的に生かす必要がある。
私としては大石事件で苦労し、最高裁で敗れたあとは悔し紛れに「まだジュネーヴがある!!」と叫んでいたので、江戸(最高裁)の仇をジュネーヴ(規約人権委員会)で討ち取ったような気分である。快哉々。
大阪支部 井 上 洋 子
菅野昭夫、鈴木亜英両団員と私で金融破綻のアメリカはデトロイトを訪問してきました。
カナダとの国境の川縁にそびえ立つガラス張りの八〇階建てGM本社ビルとそれを取り囲む高層ビル四本、一階には麗しきクラッシクカーや新車が色も鮮やかにぴかぴかと約二〇台。その華やかさとは裏腹に、ダウンタウンを歩く人はほとんどなく、みかけるのはうちひしがれたホームレス風の人ちらほらか、カジノ(景気沈滞後の一九九六年設立だそうで貧困層から賭博で金を吸い上げようという歪みは日本と一緒)やその周辺のレストランに出入りたむろする人たちのみ。そして、訪問したシュガー・ロー・センターは、ダウンタウンからはずれた場所で、ホームレスがたむろし白いごみ袋が散乱する荒れた広い公園に隣合う大きな雑居ビルの一室にありました。
シュガーローセンターというのは、NLGの創設時(一九三七)からのメンバーであり腕利きの労働弁護士であったモーリス・シュガーの遺産を基金としているのでその名を冠し、活動はNLGの一プロジェクトから立ち上がって、一九九一年に設立されています。
労働問題については、職場閉鎖や解雇があったときに、労働者の働く権利を守るために、八割は裁判により、残り2割はロビー活動によって支援をしているそうです。裁判で法定の解雇手当二ヶ月分給料相当額だけでなくそれ以上を勝ち取っているそうです。アメリカでは解雇は原則自由で、それを縛るためコモンローが使われるのは例外で、労使契約で縛ることも許されないとか。それゆえ、解雇規制立法の成立を目指して活動しているそうです。大統領選挙の帰趨によってはこの立法の実現も夢ではなく、改善に期待をかけておられました。
労働組合運動については、労働者は一般に会社への信頼が強く、仕事を必要としているし、楽観的でもあるので、会社に対して要求を出して闘っていくという姿勢になかなか到達せず、しかも、ここ二〇年の間に、会社や富裕層の払う税金が高すぎるのにひきかえ労働者の権利は保護されすぎている、といった攻撃が相次ぎ、労働者もそうした論調に影響されているそうです。しかし、労働者が、行政や労働委員会の企業に対する監視が不十分であると感じていることには間違いがないので、シュガーローセンターとしては、労働者や市民が、行政や企業に対して健全な懐疑主義を持つように支援したいと思っているということでした。実際、小さくても進歩的な組合ができたり、AFL・CIOなども変わりつつあり、徐々にではあっても組織率は拡大しつつあるそうです。現在は経済的には厳しい状況ではあっても、組合が力をつけるには好機だと考えているとのことでした。
貧困の問題については、フルタイム労働から複数のパートタイム労働へ、世帯に一人の稼ぎ手から共働きへ、失業率も実感は一二%程度に至る、と貧困化は進んでおり、シュガーローセンターでは最低生活費をあげる運動や訴訟をしているそうです。現在の最低賃金ではおよそ最低生活を維持できないのは日本と同じです。労働問題を扱う弁護士と貧困問題を扱う弁護士とは、不法移民への支援を通じて、協力態勢ができつつあるそうで、地域ボランティアなどの力も得て運動を進めているそうです。
運動形態として興味深かったのは、企業や行政の説明責任を求める活動でした。すなわち、企業は、新規雇用を創設し、地域を活性化させる、ということで、地方公共団体から、税金を一定期間免除するとか土地を安く手に入れさせるとか有利な条件を提示されて誘致を受けますが、企業は一旦進出したら、約束した雇用の数を守らなかったり、前言を翻すこともしばしばです。そこで、シュガーローセンターはそういうことを避けるために、その企業に対し、雇用創出予定が二〇〇〇人分にのぼるというなら、それを企業と地域社会との契約書につくり、企業に対して拘束力を持たせたり、また、企業が有利に手に入れた敷地の一部を地域社会のために公園として還元するように交渉したりするそうです。
こうした活動の中心を支えているのは常勤の弁護士二人、外部支援してくれる弁護士四、五名、センターの専従スタッフ二名というささやかな陣容です。私たちに話をして下さったのはジョン・ファイロ弁護士で三〇歳代の好男子でした。かつて投資顧問会社で働いていたけれど、やりがいを感じることができず、ロースクールに入ったそうです。
こうした話を聞いて、戦争好きな貧困大国アメリカだけどそれを克服すべく格闘している立派な人たちがたくさんいると感じました。やはり「人は力」だなあと感じます。そして「国を憎んで、民を憎まず」の姿勢で共感し連帯していくことが必要だと感じました。アメリカは苦しみながらも徐々に良い方向に動いていきそうに思えます。さびれたデトロイトでしたが、逆に励まされて帰ってきました。
(二〇〇八年一〇月三〇日記)
東京支部 小 池 義 夫
一 名張事件の現況
名張毒ぶどう酒再審事件は、〇五年四月五日に第七次請求審(名古屋高裁刑事一部)で再審開始決定が下されましたが、〇六年一二月二六日に異議審(名古屋高裁刑事二部)で再審開始を取消す決定があり、現在、特別抗告審が最高裁第三小法廷に係属していますが、今春、アメリカの著名な誤判研究機関から、自白を偏重した異議審決定をきびしく批判した法廷意見書(後記)が送付され、弁護団は四月二五日に、これを最高裁に証拠として提出しました。本件の概要と再審開始決定までの経過については〇五年五月の五月集会特別報告集一三五頁(小池報告)、取消決定の不当性については〇七年五月の同報告集六一、六四頁(伊藤和子・小池報告)、最高裁における活動については〇八年五月の同報告集一二三頁(岡村晴美報告)をご参照下さい。
二 請求審決定が認めた新証拠
請求審で弁護団は、ぶどう酒瓶の開栓実験によって、痕跡を残さない偽装的開栓が可能であること(新証拠1)、工学鑑定によって、本件ぶどう酒瓶に装着されていた王冠(四つ足替栓)の足の折れ曲がりが歯による開栓行為では生じないこと(新証拠2)、農薬の成分に関する理論的、実証的鑑定によって、本件犯行に使われた毒物が請求人が事件当時所持していた農薬と異なること(新証拠3)を立証し、請求審決定は、新証拠1により「偽装的な二度開栓が行われたとの疑問を生じさせ、犯行場所を限定することに疑問があり、請求人以外の者による犯行の可能性を否定できない」、新証拠2により「証拠とされた替栓が本件ぶどう酒瓶に装着されていたものとは別物である疑いがある」、新証拠3により「犯行に使用された農薬は、請求人が所持していた農薬とは異なる農薬である疑いがある」として、三証拠に新規性、明白性を認め、新旧証拠を総合的に再評価して、「自白の信用性にも疑問が生じ、確定判決の有罪認定に合理的な疑いがあることが明らかとなった」として再審開始を決定しました。
三 異議審決定における自白偏重
ところが、異議審決定はこれら新証拠について、「別の可能性がある」という論法で証拠価値を減殺し、「本件の開栓は特異な方法だから、犯人が思い付くとは考えられない」、「偽装的な開栓が実際に行われた可能性は高いとはいえない」、「ニッカリンTが請求人の手元に存在したのだから犯行に使用された可能性がある」などという憶測や「別の可能性がある」という論法で証拠価値を減殺した上、請求人の捜査段階における(1)自白、(2)妻の犯行だと言った虚偽供述、(3)逮捕直後の記者会見での供述、を高く評価し、これら供述と整合しないことを理由にして新証拠の明白性を否定したのです。異議審決定が自白を信用した理由は、(1)任意の自白は信用できる、(2)死刑になるかも知れない重大犯罪について易々と嘘の自白をする筈はない。(3)短時間のうちに自白したのだから虚偽である筈がない、(4)自白内容が具体的で詳細だから真実である、(5)虚偽の供述は犯人であることを推認する重要な事実である、という典型的な自白偏重の判断でした。
四 法廷意見書
特別抗告審では、弁護団は異議審決定の自白偏重を打破するため、他の立証と共に、請求人の自白について心理学的鑑定を提出しましたが、〇五年に伊藤和子団員がアメリカの著名な誤判研究機関であるノースウェスタン大学ロースクール内の誤判救済センターを訪問したことを機に、弁護団が同センターに異議審決定の請求人供述に関する判示について意見を求めたところ、同センターから「奥西勝に関する法廷意見書(Amicus Brief)」が、同書に引用された論文「DNA時代の虚偽自白の課題」と共に送付されてきました。法廷意見書とは、高度な専門的争点について民間の専門機関が「法廷の友」として裁判所に意見を具申するもので、アメリカで多用されています。本件で証拠とした法廷意見書の著者ステイーブン・ドリズイン(Steven A.Drizin)氏は前記ロースクールの教授で、誤判救済センターの主幹であり、同センターは、これまで全米の誤判事件について数々の法廷意見書を提出し、イリノイ州での死刑執行停止の原動力となり、ニュージャージー州で取り調べの可視化を実現するなど多くの成果を挙げています。本件の法廷意見書は、近年、アメリカでDNA鑑定によって無実であることが証明された多数の冤罪事件の中から、虚偽の自白がなされた一二五人の実例を基にして、本件奥西氏の自白の虚偽性を論証したもので、前述した異議審決定の自白に関する認識が誤りであることを実例によって証明しています。
五「DNA時代の虚偽自白の課題」
これは法廷意見書の基礎となった文献で、ドリズイン氏がリチャード・レオ教授と共同で、過去一〇年間にNDA鑑定によって虚偽であることが証明された一二五人の自白について詳細に分析し、二〇〇四年に発表した研究論文です。論文は、自白に関する普遍的な解釈、評価の基準を提言しており、自白に関する異議審決定のような考え方が誤解であることがよく判るばかりか、広く刑事事件の解明に役立ち、日本においても画期的な警鐘となる文献で、年内に日本評論社から出版される予定です。
六 ドリズイン氏の来日講演
上記法廷意見書の著者ステイーブン・ドリズイン氏は、日弁連の招聘で来日し、来る一二月一三日(土)に、東京都内の発明会館(港区虎ノ門二−九−一四)で、アメリカにおける虚偽自白の実態について講演します(一三〜一七時)。貴重な意見が聴けると思いますので、奮ってご参席下さい。
労働問題委員会
政府は、一一月四日、労働者派遣法「改正」案を国会に提出しました。しかし、その内容は、(1)一八業務もの日雇派遣を認める、(2)登録型派遣を野放しにする、(3)均等待遇、みなし雇用、マージン率の上限規制は認めない、(4)常用型派遣についての派遣先の雇用申込み義務をなくす、(5)事前面接等の特定行為を認める等、「まやかし」改正以外のなにものでもありません。
労働問題委員会では、政府の「まやかし」改正に反対し、労働者派遣法を派遣労働者保護法に抜本改正することを要求する、一一・一九JR新宿駅西口「宣伝・相談・アンケート活動」を計画しました。
東京・神奈川・埼玉・千葉等関東近県を中心に、多数の団員が参加されることを呼びかけるものです。
日 時:一一月一九日(水)午後五時〜七時 (準備のため可能な方は、午後四時三〇分にお集まり下さい。) 場 所:JR新宿駅西口 内 容:宣伝カー、机等を出して、労働者派遣抜本改正問題を中心に「宣伝・相談・アンケート活動」を行ないます。 総括・交流会 「宣伝・相談・アンケート活動」終了後、引き続き行います。 ※ お問い合わせは、自由法曹団本部 TEL:〇三−三八一四−三九七一 |
東京支部 笹 山 尚 人 / 大 竹 寿 幸
1、新六二期向け四団体説明会
きたる一二月一三日(土)、午後二時三〇分から、東京は四谷駅から徒歩一分、主婦会館(プラザエフ)にて、新六二期司法修習生を対象とした、団、青法協、日民協、労働弁護団の四団体合同事務所説明会が開催されます。
2、この説明会にみなさまの参加をお願いする理由
新六二期は、今年九月一一日に合格発表をされた約二〇〇〇名の合格者が、今年一一月下旬から一年間の司法修習を行い、来年一二月ころ登録をする予定の人達です。現在修習開始を待っていて厳密にはまだ修習予定者の状況にありますが、昨今の法曹人口増加と就職難の状況下、すでに内定が出されている者も多く、現在行われている私たちへの事務所訪問においても、修習開始前であるにもかかわらず具体的な条件面の話し合いや内定が出る時期について議論がなされているような状況にあります。
このような状況の影響を受けて、また今年は、新六二期の人に法科大学院生時代からの青法協会員がいることもあって、例年になく私たちの事務所に対する関心は広まっており、青法協本部には一五名の修習予定者の方の参加申し出があります。昨年の新六一期のときの修習生の参加人数全体が二〇名に満たなかったことを考えると、今年は、予想を超えて五〇名規模程度の参加があってもおかしくない状況です。
他方、新六二期修習生から採用を考えている法律事務所が減少しており、現在、主催者サイドで把握している事務所側の参加予定は、一〇に満たない状況です。
事務所側の参加が少なければ、四団体事務所説明会としての体裁をなさないばかりか、せっかく団の事務所はどういうところがあるのかと訪ねてくる新六二期修習生のみなさんを失望させてしまうことになります。そこで、なんとか多数の事務所のご参加を頂きたい。それをお願いするのがこの投稿の理由です。
全国の会員所属の事務所におかれましては、新六二期採用について全く検討する余地がないということでない限り、極力ご参加いただくようお願い申し上げます。
3、参加要領〜例年と少し変わっています。ご注意を。
●一二時半会場
●一時開始 学習会
新六二期司法修習生を対象にした学習会で、アスベスト訴訟について行う予定です。
新六二期修習には前期がなく、事前に人権課題について十分に学習する機会がないことをフォローし、私たちの事務所の活動を知って貰うために、行う企画です。
*この時点では、事務所側は参加していただかなくて結構です。
●二時半 事務所説明会開始
*この時間までにお越しください。
●六時半 懇親会
以降二次会以降に流れる。
★場 所 主婦会館(プラザエフ)
弁護士おひとりにつき説明会の参加費用として一万円を頂戴します。そして、懇親会にはそれでまた別途費用をいただきます。
4、参加申し込み、質問受付
弁護士 大竹 寿幸(担当事務局 山本 善久)
〒一六〇−〇〇〇四 東京都新宿区四谷一−二 伊藤ビル
東京法律事務所
電話 〇三−三三五五−〇六一一
FAX 〇三−三三五七−五七四二
メール otake@tokyolaw.gr.jp
※ 事前の参加状況確認等のため、参加される事務所は事前にお申し出下さい。よろしくお願い申し上げます。
東京支部 田 中 隆
まことに激しく揺れ動いた二年間でした。やっている側ではさほど長い時間ではないけれども、ときの流れからすると決して短くなかった。そんな気がしています。
和倉温泉総会で就任したとき、構造改革継続と明文改憲推進が叫ばれ、日本海は北朝鮮核爆発実験で一触即発の様相を呈していました。「七・二九の審判」にあらわれた「潮目」の変化をどう見るか手探りだったのが折り返し点の阿蘇温泉総会、そして世界規模の金融危機と米日両国の政権交代をはらんだ流動のなかで終わったのがつい先日の穴原温泉総会でした。
幹事長一代で、安倍・福田・麻生と首相が三代変わるジョークのような展開も、ときの移りの激しさを象徴しています。そして、解散権だけを抱きしめてかろうじて現職の地位を保っているこの国の三代目をよそに、かの国ではオバマ候補が当選して共和党・ブッシュ政権からの政権交代を実現しました。グローバリゼーションとブッシュ・ドクトリンの破綻が明らかになり、この国では構造改革と海外派兵が見直されはじめ、北東アジアでも曙光の兆しが見えはじめています。
連日のように国会に詰めた暴走国会への対応から、ワーキングプアや地方自治、9条世界会議へのサポートを経て、司法問題や組織財務問題への対応に至った活動は、激しい変動を追って駆け続けた二年間でした。改憲阻止・非戦平和の運動と構造改革克服の運動のリンク、世界に目を向けた世界的視野での運動、新しい時代に対応した新しい発想や手法での運動・・この間模索してきたこうした課題は、明日のたたかいを創造していくうえで欠くことができないテーマだったと思います。若い力にあふれた自由法曹団が模索の先端を走っていることを確認できたのは、望外の喜びでもありました。
私的な感慨で恐縮ですが、離任のあいさつに「とき」を冠するのはこれで三度目になります。東京支部事務局長を離任した一九九三年三月に東京支部ニュースに掲載したのが「ときを超えて」、支部幹事長離任の二〇〇一年三月は「ときに挑んで」でした。前者は政治改革とのわたりあいを背景にしたいささか虚無的な独白、後者は実行段階に入った国家改造や石原都政との激突を経ての気負いを帯びた追想でした。
政治改革がはじまり、新自由主義が世界を覆いだして二〇年たったいま、ある時は超えようとし、ある時は挑もうとしたものがなんだったのか、白日のもとに明らかになりました。そのことを、政治の展開やたたかいの前進を通じて確認させてくれたのがこの二年間でした。徹底した相対主義者の私でも、ときというものが無駄に流れているわけではないことを実感できた二年間でもありました。三度目の「とき」を、虚無や気負いを脱した言葉で語れるようになったことを、幸せに思っています。
お世話になったすべての方々にお礼を申し上げて、離任のごあいさつとします。二年間、本当にありがとうございました。
(二〇〇八年一一月五日 アメリカ大統領選挙投票の日に)
東京支部 町 田 伸 一
私は、東京ということもあり、また、たまたま二年間続けて担当した市民問題・治安警察問題委員会の性格もあり、関係諸団体との連絡を多く担当しました。その中で、団に対する周囲からの期待の大きさと、それに応える全国津々浦々かつ広範な分野に及ぶ各団員・支部や委員会等の活動、そしてこの活動が諸政党や報道機関、社会に与える力の大きさを実感しました。また、団の次長でなければできない大変貴重な経験をさせて頂きました。
失敗が多々あり、また、中途では大変に思った時期もあったのかもしれませんが、今は、楽しく仕事をさせて頂いてあっという間に二年間が過ぎてしまったと感じています。周囲の沢山の方々に助けて頂いたおかげだと思います。期限を守らぬ私を大目に見て素早く処理してくれた本部専従事務局、思うまま自由に仕事をさせて下さった三役、助け合って活動した同僚の次長、物心共に一貫して支えてくれた東京合同法律事務所と、しわ寄せに堪えてくれた妻に感謝します。
全国の団員の活動に学びつつ、引き続き団員として頑張りたいと思います。ありがとうございました。
千葉支部 馬 屋 原 潔
二度目の退任の挨拶です。一度目の退任の挨拶に際しては、団通信一一一〇号で「仕事の経験も積んで一回りも二回りも大きくなって団本部に復帰することで償いたいと本人は思っている」
と書きました通り、団本部に次長として復帰しまして、今後は無事に任期を満了することができました。このように無事に二度目の任期を満了することができましたのも、皆様に支えていただいたおかげです。ありがとうございました。
私はもともとは改憲対策本部の事務局次長として活動していたこともあり、二年間改憲対策本部の担当次長として活動をしてきました。その任期中の一番の思い出といえば、何と言っても昨年二月のイタリア調査です。団のイタリアのメディア規制の在り方の調査が、その後の国会審議にも影響し、最終的には附帯決議にまで結実しました。団の戦いの一面を垣間見ることができ、私自身、今後の団員としての生き方の糧になりました。
総会ではリレーゾーンという言葉を使いましたが、リレーゾーンが終わっても引き続き団員として頑張っていきますので、今後ともよろしくお願いします。
東京支部 杉 尾 健 太 郎
1 二年半前、前任次長だった平井哲史団員から「次長やらない?勉強になるし、全然大変じゃないから。平気、平気」と誘われました。だいたい彼がニコニコして「平気、平気」などと言うときは全然「平気」じゃないのは分かっていましたが、「勉強になる」のは本当だろうと思いました。そもそも私は、ウルトラマン、仮面ライダーで育った世代で「世界平和のためにたたかう」というのにあこがれて弁護士になったようなものですから、自分のキャパも考えずに一も二もなくお引き受けしました。私事で恐縮ですが、当時弁護士五年目でそれなりに忙しくなってきており、配偶者からは反対されました(賢妻ですね)。しかし、「世界平和の前に家庭の平和なんか言っていられるか」と押し切って次長になりました。で、次長になってしばらくして体調を崩しまして、執行部の皆さんや事務局の皆さんには大変なご迷惑をおかけしたわけですが、替わりに…これも私事で恐縮ですが、配偶者がものすごーく優しくなりまして、で、本当に私事で恐縮ですが、結婚一六年目にして今月子どもが生まれます(良母になってくださいね。一所懸命稼ぎますんで)。二年の次長任期を終え、世界平和への道は半ばでありますが、わが家庭の平和はより強固になりました。これもひとえに団のおかげです。
2 さて、この二年間、私は、教基法改悪阻止対策本部、改憲阻止対策本部、司法問題委員会を担当させていただきました。それぞれ想い出はありますが、強いて挙げれば、一昨年末からの国民投票法案反対、教育基本法改悪反対のたたかいでしょうか。法案自体は、残念ながら、止められませんでしたが、連日国会に詰め、国会議員と協同して質問の準備をするなど得難い経験をさせていただきました。団が現場でたたかう法律家団体だということを実感しました。
また、他の弁護士、専従事務局の仕事ぶりを見て感心させられました。松井繁明団長は、存在感たっぷり。酒を呑みタバコを燻らしながら最後はビシッと決めます。(団長かくあるべし!)田中隆幹事長は、熱いハートにクールな頭脳。明快な論理を熱い口調に載せて語ります。私なんぞは、田中幹事長の文章を読むとアノ声が頭の中に響くようになってしまいました。(幹事長かくあるべし!)今村幸次郎前事務局長、加藤健次事務局長は(まとめちゃってごめんなさい)、見事に片っ端から案件を片付けていきます。(事務局長かくあるべし!)次長のみなさんも(みんなひっくるめてごめんなさい)、優秀な方ばかりで、起案など参考にさせていただきました(引け目感じちゃって精神衛生上良くない面もあるんですけどね)。そして、専従事務局の薄井さん、森脇さん、渡島さんはじめ事務局の皆さん、皆さんの支えがあってはじめて一八〇〇名の団員が好き勝手できてます。ありがとうございます。(まあ、弁護士なんてみんなワガママですからね。大人の目で見てやってくださいね)。
3 次長をさせていただいた二年間、長いようでアッという間でしたが、本当に貴重な経験をさせていただきました。今後とも団員であることに誇りをもって、地域に戻って微力を尽くしていきたいと考えております。執行部、専従事務局の皆さん、団員の皆さんへお礼申し上げます。ありがとうございました。そして、これからもよろしくお願いいたします。
東京支部 今 泉 義 竜
一 福島は私の実務修習地。福島支部の皆様には大変お世話になった。思い出深いその土地で、団員としての第一歩を踏み出すことが出来たのは、とても嬉しい。
二 松川事件
松川事件は修習時代に福島大学の企画で学んだ。その時見た映画「松川事件」は素晴らしく、心に刻まれた。元被告人鈴木信さんのユーモアあふれる講演も。
今回の総会で鈴木信さんの話を再び聞く機会を得た。監獄の中で学習会をしたり、他の冤罪事件の支援をしたりした話や、世界情勢の中で自分の置かれている立場を分析し、勝利の光明を見いだしていたというお話には、改めて感嘆させられた。
現代は、国民が一緒になって権力に立ち向かうという松川運動のようなものは望みにくい時代だ。しかし、ひどい労働現場、貧困層の増大の中で、蟹工船のブームや新しい組合の成長など、改めて団結の力というものが求められている時代でもある。
自分が時代の要請に応えられるように、実力を付けたいと思う。道のりは遠いが…
三 裁判員制度
修習中に見た裁判員模擬裁判は、お粗末な出来レースという印象しか残らなかったこともあり、私は修習生時代に裁判員制度に対し懐疑的な立場となった。材料もろくに与えられない中、数日の評議で一般人が適切な市民感覚を反映させられるなどとは幻想である、と。
総会の議論では、致命的な欠陥が正されない以上は実施すべきでないとする意見は筋が通っていると感じた。ただ一方で、それぞれの立場の方が第一線で奮闘される中で最善の方法を考えていることは確かな事実であり、大した実践も経験もない自分が頭の中だけで考えられることには限界があるということも感じた。実践を通じて考えを深めたい。
四 初めての団総会で、各地の団員の活発な活動に触れた。百戦錬磨の先輩方の話を聞くと、自分の小ささ、未熟さを痛感させられる。果たして自分がどれだけのことが出来るのか、はなはだ不安になる。
以前、大先輩から「宇宙の歴史からすれば人間の一生なんて一瞬のことにすぎない。でも、その一瞬をどう輝かせるかが重要なんだ」という言葉を聞いた。団の伝統を受け継ぎ、諸先輩方の経験に学びながら、自分なりにその一瞬を輝けるよう成長していきたい。