<<目次へ 団通信1291号(11月21日)
鈴木 亜英 | 言論規制を咎めた自由権規約委員会の注目すべき勧告 |
萩尾 健太 | キヤノン非正規労働者 宮田さんのたたかいにご支援を |
中丸 素明 | 西船橋「派遣村」での宣伝・調査活動 |
篠原 宏二 | 名古屋高等裁判所における一部無罪判決 〜ウィドマーク法による酒気帯び運転罪の立件 |
中村 和雄 | 不当労働行為救済命令不履行「過料事件」報告 |
毛利 正道 | 死刑・無期罪を当面裁判員制度の対象から除外することを求める決議案について |
菅野 昭夫 | バラク・オバマはフランクリン・ルーズベルトとなりえるか? |
松浦 俊介 | 「戦場からの告発」 〜西谷文和イラク講演会の報告 |
菅野 園子 | ** 福島総会特集 その3 ** 就任挨拶 世代を超えたつながりを |
西田 穣 | ** 福島総会特集 その3 ** 次長就任のあいさつ |
伊須 慎一郎 | ** 福島総会特集 その3 ** 貧困問題の取り組みを通じて |
福山 和人 | ** 福島総会特集 その3 ** 次長就任にあたって |
東京支部 鈴 木 亜 英
1.自由権規約委員会は一〇月三〇日、採択した総括所見を公表しました。これは一〇月一五、一六両日行われた第五回日本政府勧告の審査を踏まえたものであり、二九の主要な懸念項目と勧告からなるものです。
自由権規約は性質上、多分野に亘る勧告ですから全文の紹介は他に譲り、ここでは言論表現の自由(規約一九条)についての注目すべき勧告を紹介します。
勧告二六は
「委員会は表現自由と政治の参与する権利に対して加えられた、公職選挙法のもとにおける戸別訪問の禁止や選挙運動期間前に配布することのできる印刷物の数と形式に対する制限などの不合理に制限に懸念を表明する。さらに、住居侵入罪もしくは国家公務員法に基づいて、政府に対する批判の内容を含むビラを郵便受けに配布する行為に対して、政治活動家や公務員が逮捕され、起訴されたという報告に懸念を有する。」としたうえで、「締約国は規約一九条及び二五条のもとで保護されている選挙やその他の活動を警察、検察及び裁判所が過度に制限することを防止するため、その法制度から表現自由及び政治に参与する権利に対するあらゆる不合理な制限措置を撤廃しなければならない」
と述べています。
このように規約に違反する公選法や国公法の不合理な制限措置の撤廃を求めています。この短い一文に私たちの宿願が凝縮されています。
2.この勧告に至る私たちの取り組みの一端を紹介します。
日本政府は本来提出すべき報告を四年間も遅らせました。私たちは当初政府報告が出ないからカウンターレポートも出せないとボヤいていました。しかし、三年前に訪れた国連人権高等弁務官事務所のスタッフから「政府が出さないならあなた方が出せばよいのです」と目から鱗の助言を受けた私は帰国してから報告書づくりを急ごうと皆に呼びかけました。前回のカウンターレポートづくりに参加した国際人権活動日本委員会、日本国民救援会も早速これに賛成して集まってくれましたが、政府報告のないなかでの作業は標的がないだけに私たちには正直言って闘争心が沸いてきませんでした。原稿の集まりもよくなく、漸く届いた原稿も規約とのかかわりがはっきりしないものが多く、イニシアチブをとるべき団国際問題委員会のモチベーションは下がりっ放しでした。
二〇〇六年一二月、日本政府から報告書が漸く国連に提出されました。内容は相変わらずのもので、八年の歳月が生かされているとは到底思えませんでした。日本の人権状況を語っていないのです。反論せずには気が済まない私たちの闘争心に火がついたのもその直後でした。作業のピッチも上がりましたが、問題は何を捨て何を強調するかでした。私はビラ配布に対する言論弾圧を抜きに市民的自由を語ることはできないと考え、政府報告には全く触れられていませんでしたが、新たな課題としたいと提案しました。こうして途中から加わった治安維持犠牲者国賠要求同盟も含め、四団体のカウンターレポートづくりは二六のテーマを取りあげることになりました。なかには社会権規約で取りあげた方が相応しいテーマもありましたが、切り口を変えて自由権規約報告に盛り込みました。九〇ページ余りの英文レポートが完成したのはカウンターレポート提出の期限も迫った今年の三月中旬でした。
3.日本政府報告を検討した自由権規約委員会は日本政府に対し、今年六月リストオブイッシューを送りました。これは審査を効率よく行うための課題一覧表です。私はこの一覧表をみて落胆しました。言論の自由(規約一九条)関連で委員会から出された質問は中労委の腕章問題だけで公選法もビラ配布も日の丸君が代も取りあげられていませんでした。私たちの報告書は多様な人権分野を取りあげているがアクセントがなく単調かも知れない。そう思った私たちは言論表現の自由が危機にあることに焦点を当て改めて最新情報を分析した英文報告をつくり提出期限までに国連に送りました。日弁連は九月下旬自由権規約委員会のポサダ委員長(コロンビア)とシーラー副委員長(オーストラリア)を日本に招き、大阪と東京でNGOとの懇談会を開きました。委員に日本の人権状況をつかんで貰ううえでこれは大いに役立ちました。ここには様々なNGOが参集しましたが、公選法の戸別訪問文書配布規制やビラ配りに対する住居侵入、国公法による弾圧を批判する発言が相次ぎました。このときシーラー副委員長はリストオブイッシューに載っていない課題についても審査では取り上げることがあると説明し私たちはこれに激励されました。
4.審査は一〇月一五、一六日の九時間を使って行われましたが、それに先だって一〇月一四、一五日の両日一時間ずつとって行われたNGO主催のブリーフィングで日本の人権状況を訴える機会が再度ありました。私たち四団体は国際人権活動日本委員会の松田順一さんにすべてを託し、「政治ビラ配布の規制は規約違反」であるとテーマを一本に絞ってプレゼンテーションを行いました。大分大石事件の大石忠昭さんも与えられた三分間、公選法の不合理を懸命に訴えました。これが私たちが訴えることのできる最後の機会でした。
一日目の一五日午後三時から開かれた審査は冒頭九〇分の政府報告からはじまりました。これが終わってそれぞれの委員から順次質問が行われましたがウエッジウッド委員の質問には耳をそばだてざるを得ませんでした。日本の最高裁及び下級審では規約違反を指摘した判例がないという日本政府の答弁に対する同委員の質問要旨はこうでした。「一般の市民がいろんな選挙に関する情報を、自分の支持する人について、戸別訪問していろいろ配ったり、たとえばポストに入れることを禁止しているそうですね。私ビックリしたのですが、日本の裁判所ではこれが規約一九条違反に該たらないのですか。こんなことはどこの国でもやっていることです。一般の人が戸別訪問をするのは草の根民主主義の根幹となるまさに普通の活動です。私は好奇心があってお尋ねします。こういった日本の考え方というのは非常に根強いものなのでしょうか。自由な選挙、表現自由にかかる問題です。」
そして二日目にもウエッジウッド委員はこの問題に触れて、「政府のなかで議論として、裁量を行使して何か変更を図るとか、国内法を変えるとか…何らかの形が可能なのではないでしょうか。それによって、自由に戸別訪問やリーフレットの頒布などが個人によってできるようになると思います。これは個人の権力、主権の行使に関わる問題です。」と政府に迫りました。日本政府から戸別訪問に関する最高裁合憲判決が紹介されただけで戸別にビラを配ることについて両日ともまともな返答はありませんでした。
こうした経緯から冒頭に紹介した勧告がなされたのだと思います。素晴らしい勧告だと思われます。今後どしどしこの勧告を活用した運動を展開し、選挙にしても日常生活のなかでもビラ配布の自由を確かなものにしたいものです。
東京支部 萩 尾 健 太
見るからに木訥な青年である宮田さんが、財界天皇=日本経団連会長御手洗を擁するキヤノンに真っ向から立ち向かう、とても痛快です。
二〇〇六年一〇月、安定した雇用を求め、組合員らとキヤノンの偽装請負を、栃木労働局に内部告発した宮田裕司さん。約一年という異例の調査期間の後に、栃木労働局はキヤノンの偽装請負を認定し、是正指導を行いましたが、キヤノンは指導されることを恐れて、認定直前の二〇〇七年八月に宮田さんら組合員全員に、最大二年一一ヵ月に限定した期間社員としての直接雇用を申し込みました。希望していた正社員としての採用ではなかったため、組合員は受け入れるべきか悩みました。しかし、期間社員の道を断れば職を失ってしまうため、宮田さんらは苦渋の選択をし、二〇〇七年一〇月一日にキヤノンの期間社員として入社しました。
しかし、五ヵ月〜六ヵ月の細切れの有期契約を繰り返しながら働く、この期間社員制度は、製造業派遣の選択肢を選べないキヤノンのあらたな人間使い捨て策であり、不安定な働き方であることに変わりありません。
入社後キヤノンは、偽装請負を内部告発した組合員を敵視し、上司が宮田さんらを監視する日々が続きました。そんな所に、宮田さんは職場長から受けたパワーハラスメント被害を会社に申し出ました。「お前はバカか!」と突然従業員の前で叱責されたり、頭を叩かれるなどの暴力行為を受けたのです。
このパワハラの申し出以降、さらに宮田さんに対する監視が強まり、キヤノンは宮田さんのたった三度のミスを理由にして、二〇〇八年八月三一日付で不当解雇しました。組合は団体交渉で、解雇を撤回するようキヤノンに求めましたが、会社はこれを拒否。現在宮田さんは職を失い、先の見えない毎日を過ごしています。宮田さんは、これまで正社員として働いたことがありません。就職氷河期時代を過ごしてきた宮田さんは、今回同様他社で不当な雇い止めに合ってきました。
しかし、「もう泣き寝入りはしたくない」との想いで、二〇〇八年一〇月一日、東京地裁に地位保全を求める仮処分の申請をしました。
弁護団は、緻密で職人肌の久保木亮介団員、この分野の権威である笹山尚人団員と、私です。
日本には、現在多くの非正規雇用で働く労働者がいます。世界恐慌と言われる状況の中で、期間工や派遣の多くの非正規雇用労働者が首を切られています。トヨタでは五八〇〇人の人員削減が発表されました。今回のような不当な解雇にあった時に、たくさんの人が泣き寝入りしていることでしょう。しかし、宮田さんのように、あきらめずに会社と闘う人が増えれば、こうした不当で差別的な働かせ方が改善されるのではないでしょうか。
そのためにも是非、宮田さんの地位保全がされるよう、皆様のご支援をお願いします。
宮田さんが属するキヤノン非正規労働者組合は、殆どが二〇代、三〇代の青年で構成された若い上部団体を持たない組合です。お金がありません。
宮田さんのたたかいを支えるためのカンパにご協力をお願い致します。
振込口座名義人 キヤノン非正規労働者組合
ゆうちょ銀行 記号 一〇〇六〇 番号 五九〇六三九五一
*お振込みいただく場合は、ご面倒でも通信欄にご連絡先をご記入下さい。
千葉支部 中 丸 素 明
いざ「派遣村」へ
去る一一月一四日、JR西船橋駅周辺で派遣労働問題の宣伝・実態調査行動があり、参加した。これは、千葉県権利討論集会実行委員会がプレシンポとして企画し、呼びかけたものであった。
同権利討論集会は、今年で一八回目を迎える。今年の五月に亡くなった田村徹弁護士が手がけ、情熱を注いで育ててきた集会であり、一八年間続いてきたことになる。今年は、一一月二四日の開催が決まった。今回のテーマは、「青年の思い・働き方を考える」、サブタイトルが「潮目を変える運動の本流を」というもの。実行委員会のメンバーからは、この問題を取り上げる以上、派遣労働者の実態に少しでも触れ、集会への参加を呼びかけるような事前の取組みが必要ではないかとの正論がだされた。その強い声に押されて、ようやく実現したものであった。
平日の午前七時から八時までという、早朝の企画であったにもかかわらず、総勢二三名が参加。弁護士からは、馬屋原潔・宮腰直子・近藤裕香・それに私の四名が加わった。
なぜ西船橋駅周辺が「派遣村」と呼ばれるのか
マスコミ各紙が、「ワーキングプア」や「ハケン」問題を「絵」にしようとするとき、しばしば取り上げる場の一つが、JR西船橋駅周辺である。西船橋駅といえば、個人的にも関係が深い。というのも、国労千葉地本の拠点の一つであり、現書記長・前副委員長の出身分会の職場でもあるからである。地下鉄東西線と交差する駅であって、県内で一、二の乗降客数を誇る駅でもある。そのような関係で、これまでに何度となく足を運んだ。しかし、駅付近から見渡す限り、労働者を運ぶ大型バスが多数発着できるような場所は見あたらない。恥ずかしながら、どこに「派遣村」があるのか全く知らなかった。ただ、西船橋駅南口(海側)から現在の海岸線までの、船橋市から市川市にかけての一帯は、昭和三〇年代から四〇年代に大規模な海面埋立てが行われたこと、その埋立地上に食品・化学関係をはじめとした各種の工場・倉庫群が林立していることは知っていた。だから西船橋駅あたりから、派遣労働者をはじめとした大量の労働者が運ばれていくこと自体は、ごく自然なことだとは感じていた。
異様な光景
集合時刻の五分くらい前に駅前の待合せ場所に到着。駅前南口付近は、線路沿いの狭い通りに、一〜二階建てのレストランや小売店が並んでおり、何の変哲もない街にみえた。居合わせた労働組合役員に導かれるままに、海側に向かってワンブロック歩くと、異様な光景が飛び込んできた。そこに大きな通りがあり、その両側にはビルが建ち並んでいる。そして、その通りの両側に、さまざまな社名などが書かれた大型のバスが停まっている。ざっと見渡せる範囲だけでも、一〇台前後はあろうか。バスは、労働者を満載して出て行っては戻ってくるといった発着を繰返していた。他方、歩道上には長蛇の人の列があり、次々にバスに飲み込まれていく。ほとんどが無口で、多くはコンビニ弁当らしいビニール袋を手に下げている。座席のシートにもたれかかるなど、疲れの色を隠せない者も少なくない。また、派遣労働者は「若い男性」が多いものと何となく思い込んでいたが、若い女性や、決して若くはない男女の姿も、意外に目についた。
「つかの間」だが真剣に訴え
実行委員会では、この日に備えて横断幕を作った。「もう許せない!”使い捨て”」「派遣労働者守る法律を!」と書かれた三色刷のものである。千葉労連の地域組織である船橋労連から、宣伝カーも出してもらった。そのため、何の宣伝行動なのかは、分かりやすかったに違いない。開始時刻となり、千葉労連議長をはじめ、「いの健」の役員、地域労連役員、それに弁護士などが、次々にマイクを握った。わずか一時間の短い行動ではあったが、五〇〇部用意した「ポケットティッシュ付きチラシ」は瞬く間に配りきり、予備に準備していたチラシだけをずいぶん撒いた、とあとで聞いた。ボクの実感でも、チラシを受取る人が前例がないほど多かったように思う。「村」のバスに乗込む人も、そして、通勤等のために駅方面に向かう通行人も。
「コワモテ」の人物の姿もチラホラする中で、チラシに食い入るように見入る人、さりげなさを装いながらも真剣にマイクに耳を傾ける人、などの姿がとても印象的であった。
まずは派遣法の抜本的改正の実現を
千葉県でも、一一月二三日に待望の青年ユニオンが結成されるなど、非正規雇用労働者の組織的なたたかいが本格的に始まった。そして焦眉の課題は、なんといっても派遣労働法の抜本的な改正の実現であり、それに向けて総力を挙げて取組むことであろう。今回のささやかな体験を大切にしながら、気をひき締め直して取組んでいきたい。
愛知支部 篠 原 宏 二
1 宮田陸奥男団員と私が担当した事件で、名古屋高等裁判所が、本年四月二八日、一部無罪判決を下しました。業務上過失傷害罪、救護義務・報告義務違反については自白し有罪、酒気帯び運転罪についての一部無罪でした。ただ、犯情が悪く、懲役一年二月の実刑判決でした。
2 事案は、飲酒後、車を運転し、人をはねて怪我を負わせたが、酒を飲んで運転したことがばれるのがこわくて、そのまま逃げたというものです。この件について、検察は、酒気帯び運転について、ウィドマーク法を用いて立件してきました。ウィドマーク法とは、飲酒後の体内におけるアルコール濃度は、速やかに上昇した後、ほぼ一定の率で下降するとの特性があるとされることから、飲酒量からある一定時間経過したときの血中アルコール濃度を計算式を用いて算出するというものです。
しかし、厳罰化の要請に応えるためか、行き過ぎた捜査がなされていました。
被告人は、缶ビールの飲み残しを、ぬるくなると捨てていたのですが、捨てた量を覚えていないにもかかわらず、警察官は、ウィドマークを用いるためには飲酒量を特定する必要があるため、ビーカーを用い、被告人に捨てた量を測定させていました。
また、その測定の際、警察官は、何とかウィドマーク法により立件しようと、被告人を誘導し、飲んだ缶ビールの本数を増やしていました。測定は、県警本部から来ていた捜査官の指示を受けた所轄警察署の巡査部長らにより行われたのですが、当初は、飲み残しを捨てたビールの本数は二本との前日における被告人の供述に基づき、二本につき行われる予定でした。しかし、二本の測定が終わった後、それでは起訴基準が満たされないことがわかった警察官は、「量が合わんだろ。数が合わんだろ。」と言い、「仕事の後でのどが渇いていたからもう一本飲んだだろ。」「コンロの前に座っていたからのどが渇いてもう一本飲んだだろ」などと、被告人を誘導しました。被告人は、飲んだ覚えがなかったので、「飲んでいない」と言ったのですが、警察官の執拗な誘導に、このままでは終わらないと思い、「もう一本飲みました」と答えてしまいした。そして、三本目の測定が行われるとともに、その後の被告人に対する取調べで、警察官はもう一本多く飲んだとの調書をとっていました。
被告人の変遷前の供述による飲酒量では、ウィドマーク法によっても、酒気帯び運転の構成要件を満たしません。また、被告人がどれだけの量を捨てたか覚えていないことなどにより、そもそも飲酒量を特定することができず、ウィドマーク法を適用することはできません。そこで、飲酒して運転したことは間違いないが、構成要件該当性に合理的な疑いが残り、「疑わしきは被告人の利益に」の観点から、無罪であると主張しました。
3 接見には、何度も行きました。また、大阪地裁で、本件と同じようにウィドマーク法で立件された事件について無罪判決が出ているのを知り、その担当弁護士に連絡をとり、判決書を送ってもらいました。ビール会社に連絡をとり、ビールのアルコール濃度の誤差を調べ、書面化し、証拠として提出しました。
公判では、被告人供述調書の任意性、信用性を争い、担当警察官を尋問しました。
4 一審は有罪判決でしたが、被告人の意思により、控訴しました。
5 一審で攻防をやり尽くしていたので、控訴審では、控訴趣意書を提出し、被告人質問を行っただけでした。
有罪を覚悟していたのですが、無罪となりました。その理由は、警察官が、被告人を誘導し、飲んだ缶ビールの本数を増やしたことは認められなかったものの、原判決が認定した飲酒開始時間から事故時までの経過時間が誤っているということと、被告人が捨てたビールの量が不明であるということから、構成要件該当性に合理的な疑いが残るというものでした。裁判官は、警察官の誘導についてもあったかもしれないと思ったけれど、警察官の不当な捜査を認定することまでには、踏み込めなかったのかもしれません。
厳罰化の要請のもと、また、このような立件は、なされるかもしれません。弁護される際に参考にしていただければと思います。
京都支部 中 村 和 雄
昨年一年間に全国の労働委員会に申し立てられた不当労働行為救済申立事件数は三三〇件です。一方、訴訟、仮処分、労働審判をあわせた労働事件の全国の裁判所の新受件数は四〇〇〇件を超えました。しかも、裁判所での活動はほとんど弁護士が関与していますが、労働委員会の不当労働行為救済申立事件では弁護士が関与する事件は半数以下です。私たち「労弁」の活動も時代とともに大きく変化しており、いまや労働委員会での活動を知らない若い「労弁」もたくさんいます。かく言う私も最近は労働委員会には年間一〜二件関与するだけです。しかし、労働組合の活性化、労働運動の再構築のために労働委員会の積極的活用は重要です。若いみなさんが不当労働行為救済申立事件に興味を抱き積極的に関与していただけたらと思い、最近関与した事件を紹介します。
京都地裁での事件名は「過料事件」です。元になる事件は京都府労働委員会に申し立てた不当労働行為救済申立事件です。相手方会社は二〇〇名あまりの社員を擁する運送会社で、会社には社準労という組合が存在しており、組合員は八〇名ほどです。会社は社準労に組合事務所を無償で貸与し、掲示板を提供し、さらに過半数組合でないにもかかわらず協定を結びチェック・オフもしていました。三年前に社準労が会社の賃金引き下げ提案を受け入れたことから、これに反対する社員を中心に申立人組合が結成され、一時は五〇人ほどの組合員を擁するまでになりました。申立人組合は会社に対し社準労との平等取り扱いを要求し、掲示板の提供、チェック・オフの実施、組合事務所の提供を要求したのですが、拒否され続けたため、これらの平等取り扱いを求めて京都府労働委員会に不当労働行為救済申し立てをしました。
この間に会社は組合分会長の担当配送先を変更し、分会長の賃金が激減しました。このことが原因となり分会長が社準労組合員に対して傷害事件を起こしてしまい、会社を退職しました。この事件を契機として申立人組合員数は激減し、労働委員会結審時に残った組合員は六名となりました。審理中に、組合掲示板については社準労に提供していた掲示板の内三分の一が申立人組合に提供されました。
労働委員会は、チェック・オフについては、社準労にチェック・オフを継続する限りは申立人組合にもチェック・オフをしなければならないと命じました。掲示板、組合事務所、チェック・オフについて不当労働行為があったこと、今後は差別をしないことを記載した誓約書の手交も命じました。そして、組合事務所については「打合わせや事務作業が可能であるなど社会通念上必要最小限に機能し得る程度の広さの組合事務所を提供しなければならない。貸与の具体的条件については、申立人と協議の上、合理的な取決めをしなければならない。」と命じました。
会社は中労委に再審査申立をせず、裁判所に取消訴訟提起もせず、労働委員会命令が確定しました。会社はチェック・オフと誓約文書の手交は履行しましたが、団交を重ねても組合事務所をいっこうに提供しようとしません。団交には会社側弁護士が同席し、申立人との協議は重ねているので命令の不履行ではないと嘯きました。
そこで、申立人組合は労働委員会に対し確定命令が履行されていない旨を報告し、労働委員会規則五〇条二項に基づき労働委員会が裁判所に対し不当労働行為救済命令不履行通知を出しました。これを受けて、労働組合法三二条に基づき京都地方裁判所で「過料事件」として審理が始まりました。申立人は当事者ではないので審理に加われませんでしたが、裁判所に対しいつでも審尋に応じる用意があることを伝達するとともに、経過についての詳細な陳述書を提出しました。そうした中で、一〇月一〇日に会社を過料五〇万円に処する決定が出されました。
現在、団交において、会社は組合事務所提供に前向きの姿勢に転換しています。不履行がさらに続けば再度の過料があり得ることがプレッシャーとなっています。六人の申立組合員は連日組合掲示板に経過報告を行い組合員拡大に向けて元気で活動しており、早期に組合事務所を獲得し組合活動の飛躍に繋げようと頑張っています。
労働組合の闘いは波瀾万丈です。それだけに弁護士としてのやり甲斐もあります。組合員と一緒に悩み、苦しみ、励まし合い、未来を語るこってりした組合事件に多くの若いみなさんが浸かっていくことを期待します。
長野県支部 毛 利 正 道
団総会分散会での発言を具体化したものです。長野県弁護士会臨時総会に左記決議案を提案したところ、常議員会にて正式に議題として取り上げることが決まりました。全国で取り組んでいただけると嬉しいです。
呼びかけ文
裁判員制度が多くの問題点を抱えたまま、明年五月から施行されようとしていることに強い危惧を抱いています。そこで、いわば最小限要求として、下記決議案を採択していただきたいと強く念じています。
この決議案は、いわば妥協案であり、予定されている執行部提案や制度施行延期を求める提案いずれに賛成の方からも賛同していただけるものと思います。
各位のご理解ご賛同をよろしくお願いいたします。複数会員が所属される事務所におかれては、ぜひコピーのうえ会員全員に配布していただきたくお願いいたします。
******************
長野県弁護士会 会長 北川和彦 殿
二〇〇八年一一月一三日
長野県弁護士会 会 員 毛 利 正 道
同
本年一一月二九日開催の臨時総会の議案として、以下を提出しますので、よろしくお取りはからい下さい。
決議案
死刑または無期刑を法定刑に含む罪に係る事件を、
少なくとも当面三年間、裁判員制度の対象としない立法措置を求める決議(案)
裁判員の参加する刑事裁判に関する法律(以下、同法という)附則九条による施行後三年以降における検討を終えるまでは、対象事件に関する同法第二条第1項第一号「死刑または無期の懲役若しくは禁錮に当たる罪に係る事件」を、対象事件から除外する立法措置をなすことを求め、この措置がなされないときには同法の二〇〇九年五月二一日からの施行を延期することを求める。
提案理由
有罪率九九・九%という官僚刑事司法を打破するためには、弁護人の尽力などこれまでなされてきた取り組みだけでは足りず、主権者たる国民の積極的司法参加が必要であり、そのためには、国民の司法参加が前進する方向で対応すべきである。また、現在法定されている裁判員制度が被疑者被告人の権利保障のうえで抱える問題点も、弁護人の真摯な努力によって一定程度克服できる可能性もある。
しかし、現在法定されている裁判員制度には、公判前整理手続終了後における弁護人の立証制限規定、開示証拠の目的外使用禁止規定、全取調過程の可視化の未実施、検察官手持ち証拠の全面開示の未実施、「裁判員であった者」にまで課する守秘義務規定、被告人の選択権不存在、自由意思による裁判員就任拒否権の不存在など、被告人と国民の人権や適正手続を確保するうえで多大な問題点が存在していることも明らかである。これらを反映してか、国民のなかに施行が近づくにつれ反対の声が大きくなる傾向もある。これらが解決されることなくして施行された場合には、大きな混乱が生ずる現実的可能性があり、全面的延期論を軽視することもできない。
他方、施行を延期するだけでは今後も議論が平行線となる恐れが大きく、一部施行しつつその経験を踏まえることにより実りある議論・検討ができることも確かである。また、今や施行まで残り半年となっており、政府や国会がいまここで大きく動く現実的可能性は少なくなっている。
この事態にたって、上記決議案を提案するものである。すなわち、当面、国民からも抵抗が強く、また、誤判がなされた場合に取り返しがつかなくなる「死刑または無期刑を法定刑に含む罪」に係る事件を裁判員制度の対象事件から除外して施行し、三年後からの「見直し」を経たうえで、問題点が相当程度解消された段階で対象とするよう立法措置を執ることを政府に求める。
なお、「死刑または無期刑を含む罪」を当面対象から除外することによって、裁判員制度対象事件が極度に少なくなる場合は、必要的弁護事件(長期三年以上の罪)、若しくは現在の被疑者国選対象事件(短期1年以上の罪)に対象を広げることにより対応すべきである。このような立法措置は、「なぜ重い罪から始めるのか、軽い罪から始めては」との国民の疑問にも応えるものである。
北陸支部 菅 野 昭 夫
アメリカ大統領選挙は、予想通りバラク・オバマの圧勝に終わった。そのことは、私たちが、ナショナル・ロイヤーズ・ギルド(アメリカの進歩的弁護士団体 NLG)との交流のためにデトロイトに滞在していたときから明らかであった。テレビ・コマーシャルを見ても、オバマはマケインを質量ともに圧倒しており、資金力の違いは明らかであった。加えて、オバマ陣営は、草の根の選挙運動を組織しており、私たちが交流したNLGの弁護士も、マイカーにオバマへの投票を呼びかけるワッペンを貼っていた。
交流したNLGの弁護士の話からも、NLGのメーリング・リストを通じての意見表明からも、今度の選挙では、NLGの弁護士の殆どが、ラルフ・ネーダーではなくオバマを支持し、彼に投票したと思われる。その理由として、メーリング・リストを通じての討論では、オバマの限界を強調しせいぜい最高裁裁判官(今やリベラル・穏健派対右派は、五対四と逆転寸前となっている)の指名や連邦裁判官の人事のためという消極的なものもあった。しかし、今回の金融危機とアメリカの勤労者の苦境は、ニューディール的な政策を必要とし、オバマにはその可能性があるという意見がかなりあったのは、NLG誕生の歴史を考えると興味深い。
レーガン政権からブッシュ政権までの新自由主義政策は、アメリカの貧富の格差を極限にまで広げた。この二〇年間のアメリカのGDPで生み出された富の半分が、頂点に立つ一%の富裕層のものとなり、その一%の金持ちの保有する金融資産は、九五%の国民のそれとほぼ等しいものとなった。そして、彼らが富を独占することを容易にしたのは、富裕層に対する大規模な減税と投機的なマネーゲームに対する規制の撤廃であった。その野放図な新自由主義的カジノ資本主義が、今回のサブプライムローンと金融危機を生み出したことは、保守的な経済学者でも認めるところである。
思い起こしてみると、一九二九年の大恐慌も、ニューヨーク株式取引所が忌まわしいギャムブルの場と化していた結果であった。そして、このときも、高額所得を得ている人口のわずか五%の人たちが個人所得の約三分の一を得ていた。一九二九年から一九三二年の三年間で、アメリカの勤労者は、一五〇〇万人が職を失い、膨大なホームレスが作り出され、賃金の切り下げ、農民と中産階級の没落、公教育の破綻など、塗炭の苦しみを味わい、闘いに立ち上がった。各都市で生活防衛の相互扶助組織としての失業救済委員会が組織され、労働者農民は政府と雇い主に対策樹立を要求した。一九三二年の大統領選挙は、大恐慌に対し無策であったハーヴァート・フーヴァー現職大統領に挑戦した民主党のフランクリン・ルーズベルトに地すべり的大勝利をもたらした。フランクリン・ルーズベルト大統領は、勤労者の闘いに押されて、二期八年間にわたり、歴史上名高いニューディール政策を遂行していった。このニューディール政策は、ケインズ主義的な経済政策を基調とし、大規模な公共事業により雇用を創出し、労働保護立法によりそれまで無権利に等しかった労働者の権利を擁護するほかに、グラス・スティーガル法などの新法により、銀行の証券参入を禁止(商業銀行と投資銀行の業務の峻別)し、信用取引にも厳しい枠をはめ、投機的活動に対する規制を確立した。しかしながら、ニューディール政策によって確立された銀行の証券参入禁止、投機的取引の規制は、やがて、レーガン政権から開始された新自由主義的『改革』により次第に緩和され、一九九九年にはグラス・スティーガル法が撤廃され、二〇〇〇年の商品先物近代化法などの立法により、投機的取引は再び無規制となっていった。加えて、グリーンスパン前FRB議長が「イノヴェーション」と絶賛したコムピューター技術と金融工学の発達は、素人には理解不能な「金融商品」を生み出して、リスクを覆い隠し、投機取引を促進していったのである。
今回の大統領選挙のおけるオバマ候補圧勝の要因は、こうした投機的取引を野放しにし、何の監視や監督も行わず、その結果今日の不況を招いた既存の政権に対する、アメリカ国民の怒りを反映している。このように、経済状況と大統領選挙での民主党候補者勝利の要因は、両者において瓜二つといっても良い。そして、大統領選挙後の各種ジャーナリズムにおいては、今回の選挙はフランクリン・ルーズベルトとレーガンの代理選挙であったとか、新自由主義的市場経済万能主義は終焉し、ニューディール的政策のみが今日の事態からアメリカ経済を脱却させるという意見が、ますます有力な論調となっている。
先に見たように、ニューディール政策は、勤労者の闘いを背景にして生み出されたものであるが、フランクリン・ルーズベルト自身も労働運動をニューディール政策遂行の原動力の一つとして位置づけていた。そのため、彼は、労働者の権利を確立するため、一九三三年に全国産業復興法を制定させたが、当時企業法務弁護士のみが参加していたABA(アメリカ法曹協会)はニューディール政策の妨害に狂奔し、保守派に占拠されていた合衆国最高裁も、この新法を財産権を侵害するという理由で違憲判決により葬った。しかし、ルーズベルト大統領は、一九三五年に再びワグナー法を制定させ、これにより、労働者の団結権、団体交渉権、不当労働行為の禁止が保障され、労働者は続々と労働組合に参加していった。しかし、この新法も、やがてABAの挑戦によって最高裁の違憲判決により葬り去られることが危ぶまれた。このような状況で、勤労者の運動は、ニューディール政策を擁護し労働者の権利を防衛する全米的な法律家の組織を切望し、こうしてNLGは一九三七年に創立されたのである。その規約には、「NLGは、人権が財産権よりもより尊重されるべきものとみなすがゆえに、人民大衆の奉仕活動により効果的な社会的な力を発揮することができるひとつの組織に、すべてのアメリカの法律家を結集することを目的とする」と謳われた。創立総会には、ルーズベルト大統領からのメッセージも寄せられ、結成直後のNLGの活動は、ニューディール政策の擁護と労働運動への法的支援に集中したのである。結局、ワグナー法をめぐる攻防は、一九三七年の合衆国最高裁による合憲判決で終了し、これに力を得た労働運動は燎原の火のように燃え広がり、大規模なストライキが頻発した。そして、産業別労働組合の多くは労使協調的AFL(アメリカ労働総同盟)に飽き足らず、CIO(アメリカ産業別労働組合会議)を一九三八年に結成する。こうして、この時期アメリカの労働運動は最も戦闘的な時代を迎え、NLGも大きな役割を発揮したのである。
今回の金融危機と大統領選は、NLGの弁護士にこの創立の歴史を想起させたと思われる。オバマ候補のテレビ討論や選挙演説は、「変革」や「ひとつのアメリカ」などの抽象的レトリックで構成され、具体性にはなはだ乏しい。加えて、選挙期間中のブレーンはいわゆるアーミテージ・グループなどタカ派を多く含んでいて、安全保障戦略は、ブッシュ政権の対テロ戦争戦略を踏襲し、主戦場をアフガニスタンに移すという誤りに固執している。しかし、彼は、九五%の国民の生活向上、富裕層に対する増税、公的健康保険制度の確立、投機的取引の規制などマケイン候補が『社会主義的』と批判した政策を打ち出している。ニューディール政策を遂行したフランクリン・ルーズベルト自身は、保守的な人物といわれながらも、勤労者の運動が創り出した世論と上下両院での民主党が多数派であったことに依拠して、ニューディール政策を断行した。今、アメリカの労働運動には、一九三〇年代の産業別労働組合が見せたエネルギーは期待すべくもない。しかし、投機的取引を野放しにして大金持ちに儲けさせておきながら巨額の公的資金でこれを救済することに対して見せたアメリカ国民の怒りはすさまじいもので、上下両院議員は選挙区からの洪水のようなメールで震え上がり、いったんは75兆円の公的資金救済法案を否決せざるをえなかった。さらに、選挙期間中に結集された変革を求める若者のエネルギーもこれまでの大統領選挙では見られないものであった。この民衆の怒りとエネルギーが、変革を求める勤労者の運動に成長するとき、圧倒的支持票を獲得し、上下両院における民主党優位を得たバラク・オバマがフランクリン・ルーズベルトになりえないとはいえない。そのような思いで、オバマ候補に投票したNLGの弁護士は少なくなかったのではあるまいか。
しかし、オバマがどちらの方向に行くのかを予測することは困難である。彼が大統領首席補佐官として指名したイマニュエル下院議員は、イスラエル寄りで知られ、進歩派の失望を買った。さしあたりの試金石になるのは、ブッシュ政権の人権抑圧政策についての彼のスタンスであろう。NLGは、一一月一二日に声明を発し、大統領就任第一日目にグアンタナモ基地を閉鎖する措置を取るべきことを要請した。
ともあれ、オバマがフランクリン・ルーズベルトに匹敵する役割を果たすかを、私たちは注意深く見守る必要がある。
(二〇〇八・一一・一三・記)
大阪(きづがわ共同法律事務所) 事務局 松浦 俊介
一〇月二九日に大阪市の西成区民ホールで「戦場からの告発」と題して、フリージャーナリストの西谷文和さんの講演会を開催しました。講演会には、三〇〇名を超える方々のご参加をいただきました。
これは、当きづがわ共同法律事務所と大阪市南西部の民主団体・労働組合等で構成している「九条をいかそう・木津川地域連絡会」が主催して行いました。当連絡会は、毎年二〇〇〜七〇〇人規模の集会・講演会を企画してきました。今回も、事前に何度も連絡会を開いて打合をしてきました。講演会開催前には、当事務所の弁護士と事務局員、労働組合や民商、民主診療所等の責任者の方々が各団体に地域回りをして要請をしたり、依頼者の方に呼び掛けたり、新聞にチラシの折り込みするなどをし、三〇〇名を集めることができました。
西成九条の会事務局長の山田英樹さんの開会の挨拶ではじまった講演会は、まず、名古屋高等裁判所で出された自衛隊イラク派兵違憲判決の意義について、同大阪弁護団の徳井義幸弁護士が、平易に解説されました。
西谷さんは、講演会直前までおられたイラクの現状について、三点に絞って、最新の映像と共に紹介されました。
一点目は、米軍の劣化ウラン弾による放射能汚染や、クラスター爆弾や自爆テロによって傷害を負った人々(特に子どもたち)が、イラクではたくさんおり、満足な治療が出来ていないという現状について。特に激戦地では、従来の劣化ウラン弾などでは考えられない神経の麻痺による障害を蒙った患者が多く、米軍が何らかの化学兵器を使った可能性を指摘されました。
二点目は、イラク戦争が「民営化」された戦争であることについて。傭兵を雇ったPMC(民間軍事会社)が、イラクには多く動員されており、それら「非正規軍」によるイラク市民への加害の現状、そして、アメリカが自軍の被害を過小評価するためにそんな傭兵たちの死体を砂漠に「捨てる」という状況を語られました。また、このイラク戦争で儲けたPMCの役員にジョージ・H・W・ブッシュ元大統領がおり、株主にオイルマネーで儲けたビンラディンの一族がいたという事実も紹介されました。
三点目は、イラク戦争の遠因ともなった九・一一のテロ事件の怪しい点について紹介されました。航空機が突っ込んだにしては小さすぎるペンタゴンの被害や、解体工事の様にきれいに崩れるWTC1、2のビル。そして、飛行機が激突していないにもかかわらず崩壊したWTC7ビルの不思議などです。
講演会は、木津川地域連絡会事務局長の坂田宗彦弁護士による閉会の挨拶と、イラク戦争を支援するために自衛隊を派兵する「テロ特措法」の反対決議を満場の拍手で採択し、終了しました。また、会場では西谷さんが主催する「イラクの子どもを救う会」への募金も行いました。
東京支部 菅 野 園 子
この度自由法曹団の事務局次長となりました東京合同法律事務所の弁護士の菅野園子です。事務局次長になることを前提に、この度一〇月一八日、一九日と自由法曹団の総会に出席しましたが、団の魅力を改めて感じ、その団体の運営に関われるということをうれしく感じました。出席された古希団員の方々の表彰と、その後の古希団員の方々のあいさつをお聞きして、団員の方々が全国あちこちで自分たちが正しいと思うことを貫こうとする中で、自由法曹団(あるいは団員のつながり)が果たした役割というのがとても大きかったこと、一方で、全国の団員がそれぞれ活動することが団や他の団員を励ましている、こういうつながりをそれこそ何十年も積み重ねてきたということに、団の価値を改めて感じました。困難な活動を闘い時には勝利をおさめてこられた先輩弁護士を自由法曹団の団員としていることを誇りにし、その団員の方々にとっても自由法曹団の存在が支えとなってきたことをますます誇りに思って、事務局次長の職を勤めていきたいと考えております。
弁護士になって四年がたちましたが、この間、六〇年前の侵略戦争が原因で、今引き起こされている問題に関わってきました。具体的には、戦時中、中国に持ち込まれ敗戦時に遺棄された毒ガスが発見される過程で被害者を出ている遺棄毒ガス問題であり、日本の右翼や市民の誤った歴史認識によって南京大虐殺の被害者が被害者であることを日本の社会で否定されてしまった名誉毀損事件です。これらの問題の一つの側面は、原因が過去に有りながら、被害を作り出している行為は、現在にあるということです。すなわち、遺棄毒ガス問題については、現在に至るまで日本政府が中国に毒ガスがあることを知りながらその有する具体的な情報を提供せず、被害が出ることを放置する行為であったり、歴史認識問題については、過去の過ちを決して認めようとしない右翼や政府や市民の態度であります。これらの問題は、過去の問題ではないことを認識してもらうことが容易ではない点でも共通しています。一方で、市民の方々の中に世代を問わず、こうした問題に対して、被害者の状況を具体的に改善するために、前向きに具体的に関わっていこうとする努力があったのも事実です。この姿勢を学ぶことができたのが何よりの収穫だと思っています。
私個人としては、悪法改正などの活動等要請活動に関わってきた経験はほとんどありませんし、またこのような大きな組織の運営に関わるなどの経験はありませんが、様々な期の弁護士がもっと活発に率直に交流できるような組織を目指していきたいです。また自分の中の様々な苦手意識を克服していきたいと思います。二年間よろしく御願いします。
東京支部 西 田 穣
東京支部の五七期の西田穣です。この度、次長に就任することになったため、就任にあたっての抱負を、就任の挨拶とさせていただきます。
現在、私は弁護士五年目に突入しますが、弁護士登録直後に地元東京・葛飾区でマンションの住戸に共産党のビラを配布していた荒川さんが逮捕・勾留・起訴されるという事件が起こりました。今考えても、この事件に捜査段階から弁護人として関わったということが、私の弁護士としての方向性を決めたといっても過言ではないと思います。というのも、それまでの私は、平和というか無知というべきか、警察・検察、そして裁判所に対する一定の信頼を有していました。過去の冤罪事件にも触れていましたが、現実に今、目の前にある問題として受け止めていませんでした。しかし、憲法上の権利を行使していたに過ぎない荒川さんの身柄を解放するのに時間がかかり、その間、当たり前のことが当たり前として認められない現実に悩み苦しむ中で、当たり前のことであっても誰かが戦わなければ、間違った判断が「常識」とされてしまうこと、それを強く実感しました。
当然ですが、治安警察の問題については積極的に取り組んでいきたいと考えています。最近、東京で起きた弾圧事件について不当な判決が相次ぎ、葛飾ビラ事件も控訴審において逆転有罪判決を受け、全国各地でマンションにビラを配布する行為を躊躇う傾向が出てきたということを聞いています。しかし、本来許容されるどころか(許容してもらう必要などない)、むしろ強く尊重されるべき表現行為が、政治的影響力により抑圧されるというのは絶対にあってはならないことです。次長就任にあたり、この弾圧をはね除け、自由にビラをまけるような社会を取り戻すことを一つの目標にしたいと考えています。
また、もう一つ、今後の将来を担う人材の育成についても積極的に取り組みたいと考えています。多くの解決すべき人権問題が存在する現在において、積極的に種々の問題に取り組む人材は必要不可欠です。しかし、自由法曹団は、将来の人材育成という点につき、取り組みが十分でないと思われます。是非はともかく、今後はロースクール出身の弁護士が大量に登録し、自由法曹団や弁護士会などを支えていくことになります。ロースクール生は、大量の課題と試験に追われ、実務に関する情報を十分に享受できておりません。そのため、人権活動を行う弁護士に対する偏見なども生じています。自由法曹団としては、今後の人権活動を支える弁護士を確保するため、修習生や必要に応じてロースクール生などにも、ロースクールで授業を持つ団員の協力を仰ぎつつ、積極的に働きかけていく必要があると考えています。
現在、自由法曹団で多くの問題を抱えていることは理解しています。微力ながら、次長就任期間に、上記問題を中心に、人権擁護活動に積極的に関与していきたいと思います。ご協力よろしくお願いします。
埼玉支部 伊 須 慎 一 郎
福島総会で事務局次長に就任した埼玉の伊須(いす)です。埼玉支部だけの悩みではないと思いますが、自民党の新憲法草案、国民投票法案、海外派兵恒久法などの学習会に行くといつも思うことがあります。若い人がほとんどいないということです。先日も春日部革新懇総会で海外派兵恒久法の学習会を行いましたが、参加者は明らかに五〇歳以上の方ばかり二〇人ほどでした。埼玉支部で海外派兵恒久法学習会の講師派遣を宣伝しており、お馴染みのところからはお呼びがかかりますが、新規開拓というわけにはなかなかいきません。九条改悪を阻止するためには、二〇代、三〇代の若い世代にどんどん仲間を増やしていくことが不可欠ですので、いつもどのようにすれば若い人たちに広げることができるのか悩んでいます。
ところで、今、埼玉では反貧困キャラバンの埼玉実行委員会の構成員によって、今後さらに反貧困運動を広めるために反貧困ネットワーク埼玉を作ることになりました。現在、弁護士、司法書士、社会福祉士などが協力して立ち上げの準備を行っています。具体的なスケジュールとしては一二月一日に宇都宮健児弁護士を迎え、反貧困ネットワーク埼玉の設立会を開く予定です。そのため一〇月三〇日に第一回目の立ち上げの準備会議を開きました。そこになんと社会福祉士になりたいと希望している学生さんが急きょ七人ほど参加しました。みんな貧困問題に関心があり、やる気十分ですので、今後、ネットワーク埼玉の立ち上げに協力してもらうことになりました。元々、反貧困キャラバン実行委員会には二〇代、三〇代の若い弁護士、若い司法書士、若い社会福祉士が幅広く参加していたのですが、力のある各団体の諸先輩方だけでなく、さらに若い学生さんたちの新しい発想を加えて、一緒に貧困問題に取り組むことができそうです。生存権、勤労権、平和の問題は、すべて私たちの人間らしい平和な暮らしを守るという根っこが同じ問題なので、みんなと憲法を活かす活動をすることにより、若い世代にも少しずつ平和憲法を守るんだという動きが広がっていくことを実感することができるのではないか、そうすれば本当に平和な社会を確立できるのではないかと少し期待しています。
今、各地で生活保護申請、雇用問題、住まいの問題など生活全般の問題に取り組む各種団体が幅広く連帯する動きが加速しています。一二月二四日には「明るいクリスマスと正月を!年越し電話相談会」と題して、生活保護、雇用問題、多重債務、住まいの電話法律相談を実施することが計画されており、自由法曹団も共催団体となっております。一人でも多くの市民が安心して年越しできるよう、各地の団員が積極的に取り組めば、自由法曹団の存在意義がますます高まることは間違いありません。詳細は今後お伝えすることになりますが、是非ともよろしくお願いします。
京都支部 福 山 和 人
福島総会で事務局次長に選任された福山です。期は五四期、事務所は京都法律事務所で、今年一〇月まで京都支部の事務局長を三年間務めていました。京都からは、三七期の荒川英幸先生(京都第一法律事務所)、三九期の高山利夫先生(京都法律事務所)以来、久しぶりの次長就任となります。
出身は京都府宇治市です。宇治は「山宣」の愛称で知られる戦前の代議士山本宣治を生んだ地です。誕生日が山宣の命日と同じ三月五日だったので、親父からはいつも「お前は山宣の生まれ変わりや」と見当違いの薫陶を受けて育ちました。親の願いをよそに、小学校から高校までずっと野球一筋で過ごしてきました。高校時代は球速一四〇キロの速球派投手でしたが、今では見る影もありません。しかし、ノーコンだけは今も暮らしにしっかり根づいており腹立たしい限りです。
投げ過ぎで肩を壊したため、私はプロへの道をあきらめ(?)、立命館の法学部に進みました。民家法律というサークルに入り、高校までとはうって変わって学問への道に目覚めるはずでした。しかし覚えているのは、夏合宿で死ぬほど飲んだことくらいです。大学で主にやっていたのは自治会活動でしょうか。学園祭で、「司法の反動化を考える」という企画を立案、当時自由法曹団団長をしておられた上田誠吉先生と、任官拒否された吉川実先生(現大阪弁護士会所属)をお招きしてパネルディスカッションをやりました。このとき、任官拒否という現実に初めて接して怒りを感じたことが司法試験を目指す原点になったと思います。当時私は、自由法曹団のことも上田先生のことも全く知りませんでした。講師について知り合いに相談したところ、教えてもらったのが上田団長でした。恐いもの知らずでいきなり電話でお願いしたところ、二つ返事で引き受けてくださり、交通費だけ受け取ってとんぼ返りで東京に戻って行かれたのが、とても爽やかな印象として残っています。これが私と自由法曹団との初めての出会いです。
学生時代、ほとんど勉強しなかったのに、どうせ無理という周囲の雑音に闘志を燃やし、司法試験を受けるという決意をしました。しかし合格までがとにかく長かった。様々なバイトで食いつなぎながらの生活で、家族にはとてつもなく苦労をかけました。妻からは合格が遅れた分、他の弁護士より一〇年長く働くようにと申し渡されております。
受験中のバイトの経験から、私は労働問題、とりわけ非正規雇用の問題に関心を持つようになり、京都支部では主に労働法制プロジェクトに参加して活動してきました。また今住んでいる修学院で、九条の会の活動も行っています。来年三月一四、一五日に京都で上演される憲法ミュージカル「時間旅行はいかが」にも出演する予定です。
二大政党が競って海外での自衛隊の武力行使を企む一方、国内では貧困と格差が激化しており、いまや闘う法律家集団たる団の役割は益々重要になっていると思います。そうした情勢の下、私のような軽輩が次長を務めていいのだろうかと正直不安も覚えます。超のんびり屋でお気楽な性格の私が、曲がりなりにも京都支部の事務局長を務めてこれたのは、心やさしい担当事務局(人は彼女を「影の事務局長」と呼ぶ)をはじめ周囲の支えがあったからこそです。本部でも、ご迷惑をおかけすることが多々あるかと思いますが、執行部のみなさんや優秀な事務局の方々に支えていただきながら、二年間がんばりたいと思います。よろしくお願いします。