過去のページ―自由法曹団通信:1343号        

<<目次へ 団通信1343号(5月1日)



松島 暁 「楚辺」と「三沢」、二つの「象のオリ」
─青森(三沢)五月集会に向けて
内田 耕司 日比谷野音から沖縄へ!徳之島へ!
四・一四日比谷野音集会に参加して
玉木 昌美 普天間基地無条件撤去
緊急 沖縄県民と連帯する夕べ
高橋 由美 派遣法抜本改正に向けての神奈川支部の活動に参加して
平井 哲史 独立行政法人のリストラと団での取組みについての呼びかけ
三澤 麻衣子 シンポジウム「だれのため、なんのため 国会改革・比例削減〜民意切捨・官僚排除・陳情統制〜」に参加して
神原 元 「公判前整理手続の問題点」
〜伊藤睦先生をお招きして
海川 道郎 「司法改革」間題についてのお願い
「こんな日弁連に誰がした?」を読んで
關本 喜文 永嶋実先生を偲んで
笹山 尚人 永嶋実君の急逝を悼む
「国際基準に遠く及ばない政府案!」
「政府案では救われない!」
労働者派遣法の抜本改正を求める 5.11行動 にご協力下さい



「楚辺」と「三沢」、二つの「象のオリ」

─青森(三沢)五月集会に向けて

東京支部  松 島   暁

 かつて沖縄県中頭郡読谷村に「象のオリ」と呼ばれる米軍の施設があった。「楚辺通信所」である。

 内側(半径六六メートル)に高さ一九メートルのアンテナが三〇本、円形に立てられ、その外側(半径九一メートル)に高さ九メートルのアンテナが一二〇本、やはり円形に立てられていた。その姿が巨大な「オリ」のように見えるところから、「象のオリ」と呼ばれていた。

 少女暴行事件に端を発した一九九五年の沖縄のたたかいにおいて、この「象のオリ」は一つの象徴であった。この「象のオリ」の敷地の一部を、反戦地主であった知花昌一さんが所有し、しかも、米軍(国)が、その地を何らの権原もなく不法に占拠し続けたからである。

 生前贈与を受けていた知花さんは、九六年三月の使用期限切れを前に、父親の結んだ契約を更新しないことを決めていた。しかも、契約に代わる強制収容(使用)手続は太田昌秀沖縄県知事(当時)が手続に必要な代理署名を拒否、四月一日以降には不法占拠状態となることは誰の目にも明らかだった。

 知花さんは、四月一日以降の所有土地への立ち入りとその返還を那覇防衛施設局に申し入れた。ところが国は、期限切れ直前の三月二六日、急遽、「オリ」の外にフェンスを構築、期限の切れた四月一日には、楚辺通信所の内外に機動隊員やガードマン、防衛施設局職員を配置し、その正当な立ち入り要求を実力で阻止した。その模様は、メディアを通じて全国に報道された。

 同時に、政府は、梶山静六幹事長(当時)が、

  1. 過去二年間、賃貸契約に基づき適法に使用をしてきた、
  2. 当該土地を引続き米軍へ提供することは安保条約上の義務であり、我が国及び極東の平和と安全のために必要、
  3. 使用権原を得るための手続、適法に使用し続けるための努力は行っていること、
  4. 土地所有者に対しては賃貸料相当の金員を提供していることからは、「直ちに違法な状態であるということには当たらない」

との見解を表明し、不法占拠を継続したのである。

 「象のオリ」楚辺通信所は、在沖米艦隊活動司令部、海軍航空施設隊が管理し、海軍通信保安活動隊沖縄ハンザ部隊が使用していた。陸軍・空軍・海兵隊の電子通信傍受部隊と共同しながら、アメリカ国家安全保障局の作戦統制下で活動していた。その任務は、他国の軍艦、潜水艦、航空機あるいは地上部隊から発信される短波通信や超短波通信を傍受・記録するとともに、送信(発信)地点割り出しのための方位測定を行う(円形に設置されたアンテナによって受信される電波の時間差を解析することによって、電波の来る方向を特定する)ことにあった。この点で、アメリカの世界的戦略機能の一つで、通信傍受を目的とした「電子スパイ基地」だと言われた。同時に、高性能コンピューターを駆使しての暗号解読も重要任務とされ、軍事情報の解析センターでもあった。

 しかし、この「象のオリ」は、軍事評論家の故西沢優氏によれば「欠陥」施設なのだそうである。楚辺の「象のオリ」は、通信所建物に至る地上進入路が施設の東南部に設けられており、円形アンテナとしての完全性は、その限りでは破られていた。当時の軍事的な関心が施設の北側や西側、北朝鮮、中国、かつてのソ連にあったことを示している。

 同時期、「象のオリ」と呼ばれる施設が、「楚辺」とともにもう一箇所存在した。「三沢」の「姉沼通信所」である。

 こちらは半径一七〇メートル、高さ三六メートルの円形アンテナが佇立し、その存在はグーグルによっても確認できる。

 西沢氏は、この三沢の「象のオリ」が、完全に平坦な土地のうえに設置されている(楚辺は自然の土地の起伏のまま、その上に設置)こと、施設への進入路は地上ではなく地下を通っていることなどから、「楚辺」の「象のオリ」より数段進化していると述べておられた。

 楚辺の「象のオリ」は二〇〇七年に解体・撤去された。三沢の「象のオリ」もすでにその役割を終え、解体される予定だとの報道もある。

 今回の五月集会では、地元で三沢基地を長らく取材し続けてこられた東奥日報の斉藤光政さんによる記念講演「米軍三沢基地からみる日米安保の現実(仮題)」が予定されているし、三沢基地ツアーにも同行いただけるとのこと、ぜひ解体予定との報道のことも含め「象のオリ」の現在と今後についてのお話を聞きたいと思う。さる三月には、第九回早稲田ジャーナリズム大賞を受賞した斉藤さんの『在日米軍最前線』が文庫化(新人物文庫)された。三沢・五月集会の予習には最適の書である。



日比谷野音から沖縄へ!徳之島へ!

四・一四日比谷野音集会に参加して

東京支部  内 田 耕 司

 去る四月一四日、東京は日比谷公園内にある日比谷野外音楽堂において、「沖縄県民と連帯し、普天間基地の即時・無条件撤去を求める四・一四中央集会」が開催された。早速、当日の模様をご報告したい。

 東京メトロ丸の内線は霞ヶ関駅で下車、弁護士会館へ通じる改札口を出る。そこかしこに集会に参加されるであろう人々が集っている。階段を昇り、地上へ出る。日比谷公園は目の前だ。霞門から園内へ入る。たくさんの人々が渋滞になりながら会場へ向かっていた。何やら興奮してきた。会場入り口へ通じる小路へ入ろうとすると、同期に声を掛けられた。彼は、憲法の理念を訴える催しのビラを配っていた。何だかうれしくなった。

 人波をかきわけ、ようやく会場に足を踏み入れ、私は立ちすくんでしまった。野音はそれこそ人・人・ヒト・・・・・。ものすごい人の数だ。文字通り満席に近い。そして、そこかしこに各団体の「のぼり旗」が林立していた。「自由法曹団はどこだろう?」必死に探してみるが、なかなかわからない。一応、目安の席割図は受け取っていたが、何しろたくさんの人。よれよれになって、やっと我が自由法曹団の一群を見付けた。

 開始時刻前から、舞台上ではエイサーの披露。気分は沖縄である。この夜の東京は寒かったけれど、それもまた良し。そうこうするうちに定刻通り集会が始まった。

 司会のお二人のキビキビした進行で議事が進む。大黒全労連議長による主催者あいさつの後、志位日本共産党委員長から国会情勢の報告。代替地を必死に探すのではなく、堂々と「撤退」を要求すべきこと、それこそこの問題の本来の筋であることを再確認することができた。

 新垣沖縄県統一連代表幹事から、沖縄の運動報告。最も身近の問題として直面せざるを得ない方々のお話は、とても切実である。その思いは、続く「徳之島憲法九条に賛同する女性の会」のお二人からの連帯あいさつで、より深くなった。報道されている徳之島移設案など、ただの「たらいまわし案」に過ぎない。沖縄の苦しみが、別の場所へ一部移って、そこで続く。まやかしとしか言いようがなかろう。

 各地の基地問題に取り組む諸団体から発言が続いた。神奈川民医連の若い皆さんのアピールがとても印象に残った。学習することが大切なのだ。

 集会アピールを採択し、会場全体でシュプレヒコールを高らかに、「基地NO!」の思いを熱く訴えた。

 さて、私は憲法前文が好きである。特に、その締めくくりの一文が大好きである。「日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。」この言葉を、政府はもう一度かみしめるべきだ。「国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。」のならば、安全保障を武力によって達成しようという発想は根本から改めるべきだ。この憲法は、先の戦争までにおける日本のありかたそれ自体を反省して定められたはずだ。力に頼ることはむなしい。沖縄は、そのむなしさがいまだに詰め込まれている。そんなことを感じた夜だった。



普天間基地無条件撤去

緊急 沖縄県民と連帯する夕べ

滋賀支部  玉 木 昌 美


 滋賀県では、四月一六日、滋賀弁護士会館で「沖縄県民と連帯する夕べ」と題して緊急集会を開催しました。これは、団支部と革新の会しが、安保廃棄、民医連、県労連等が実行委員会を作り、急遽開催したものです。

 当日午前八時から膳所駅前で、団支部独自の街頭宣伝活動を行いました。表面に集会案内を、裏面を団本部の「普天間基地は無条件撤去を!」のビラを入れたものを作成し、「九条だけは守るのよ」の憲法ビラと一緒に配布しました。ハンドマイクで宣伝し、一四名(弁護士六名、事務局八名)でにぎやかに行い、基地撤去をアピールしました。登校する高校生も多く、アニメ風の憲法ビラがあることもあり、約三〇〇枚ずつを配布することができました。通行人からは「集会会場の弁護士会はどこにあるのか。」という問い合わせもありました。

 午後六時三〇分からの集会においては、新入団員である石川賢治弁護士(六〇期)が「米軍による沖縄基地用地接収の不法性」と題して報告しました。講和条約締結まで、沖縄返還まで、返還後と分けて、ハーグ陸戦規則や布告等に触れながら、接収の不法性を説明しました。(石川団員には、三月の支部例会で「日米同盟」について報告してもらっており、その関係で担当してもらいました。)そして、四・一四中央集会に参加されてきた、沖縄統一連事務局長の山田義勝氏から、沖縄からの訴えをしていただきました。山田氏は、パワーポイントを駆使しながら、基地問題の歴史的経緯、被害の実態、沖縄県民の怒り、そして、その闘いについて熱い思いを語られました。

 その後、連帯の挨拶を、自由法曹団、民医連、平和委員会の代表が行いました。また、滋賀から七名を二五日の沖縄集会に派遣することも報告されました。私は沖縄県民に連帯して、団支部独自で早朝街頭宣伝をして集会に臨んだことなどを報告して決意表明をしました。

 集会には合計七八名の参加があり、緊急な取り組みとしては成功したといえます。赤旗と京都新聞が集会のことを報じました(京都は写真入り)。

 今回の集会で、沖縄が国体護持の捨石にされ、終戦後、そして現在もあらゆる犠牲が押し付けられている植民地の状態にあること、沖縄の基地がアメリカの世界戦略に組み込まれ、侵略戦争の前進基地としてあること、沖縄の基地を全面撤去することが日本の平和、世界の平和につながることを改めて痛感しました。また、マスコミが日米同盟重視、抑止論を絶対的なものとし、移転先をどうするという議論ばかりしか報道しない姿勢は本当に問題であるといえます。尚、三月の日弁連の憲法委員会で、外務省参与・イラク復興支援担当大使の講演を聴きましたが、アメリカの侵略戦争、イラク国民の大量虐殺等について何ら批判的視点を持たず、破壊しつくした後の復興を考えればよいという姿勢に唖然としました。

 集会参加者からは沖縄県民に対する連帯メッセージや感想が多数寄せられました。「基地撤去後の経済効果について始めて聞いた。運動に確信が持てた。」「すごくよかった。山田氏の話は迫力があった。石川氏の話は、『もともと悪いから返せ』というのももっともである。」「多くの人に実態を知ってもらうことが大切だと思う。危険な米軍基地は日本には要らない、声を広げ、平和問題はあらゆる多くの人と闘える問題であり、頑張りたい。」など、運動に確信を持ち、さらに頑張る決意を参加者で共有できるものとなりました。ちなみに、平和委員会では、県内の各支部で学習会を展開していく予定であり、早速この四月二五日、私は高島市の学習会に講師として行く予定にしています。

 尚、今回、団本部のビラは、これまでしっかり読んでいませんでしたが、短い文章ながら言うべきことが全部盛り込まれており、水準が高いことを理解できました。また、講師の山田氏は、偶然にも四月一六日が四九歳の誕生日であり、打ち上げはそのお祝い会も兼ねることとなりました(個人的なことながら、沖縄におけるマラソン大会事情までお聞きでき、有益でした)。

 これからも滋賀は元気にがんばります。



派遣法抜本改正に向けての神奈川支部の活動に参加して

神奈川支部  高 橋 由 美

 神奈川支部では、今年の団支部総会において、活動の中心に安保と派遣法を持ってくることを確認した。そこで、その取り組みの一環として、毎月一回の幹事会の前には、労連の仲間とも一緒に街宣を一時間行うこととしており、すでに三月、四月と二回の街宣を行った。

 私は、一回目の街宣の時には、突如回ってきたマイクに、あわてるばかりで、派遣労働者の実体や、派遣法の正体を訴えたい、と思っても、なかなかその思いが伝わらず歯がゆい思いをしていた。もし、またマイクで訴える機会をいただいたら、次は、自分の思いを訴えたいと思っていた。

 その矢先、三月二六日に院内集会に参加することができた。(前回の団通信に掲載していただいたとおり)院内集会とその後の議員要請では、今後の派遣法抜本改正への展望をもらい、同時に、そこでは団本部から政府案の派遣法の問題点を鋭く突いたリーフレットも配られたのだった。

 リーフレットを読み、私が訴えたい、また訴えるべき内容であると感じ、私は、二度目の街宣を前に、このリーフを元に街頭宣伝用の原稿を作った。

 そして、四月五日、新横浜駅のペディストリアンデッキという、今までまだ誰も街宣をしたことの無い場所で、二度目の街宣行動が行われた。

 その場で、私は、再びマイクを握る機会を得、今度は、道行く人に、「派遣法の抜本改正についてともに考えよう!」と、リーフを元にした原稿で、しっかりと訴えることができた。仲間の弁護士からも、非常にわかりやすい内容だったと好評で、さらに演説を聴いた人はちゃんとビラを受け取ってくれたようである。

 せっかく、弁護士でさえも良くわかっていなかった、政府案の改悪、抜け穴、不十分を明確に記した、まさに現時点での政府案の問題点に最も迫った内容のリーフレットがあるのだから、これを大いに使った宣伝行動をしていこう!との思いを強くした。

 また、神奈川支部では、このリーフレットを抜粋したビラをつくり、街宣でも毎回使用しているが(団のHPのビラにはまだ「事前面接解禁」時のもので、残念ながら使えなかった。)、さらに多くの人に派遣法の抜本改正を訴えようと、今月中に行われる政党の演説会でのビラ配布を手配した。これはすでに当該政党の了解済みで、今月中には演説会を通じて、平塚で一五〇〇、川崎で二〇〇〇、横浜で四〇〇〇のビラが配布される予定である。

 派遣法の抜本改正を目指す為には、世論の高まりが必須だと思う。新人の私でも非常にわかりやすいリーフができたのだから、これを大いに活用して、世論の高まりに一役を担っていこう!



独立行政法人のリストラと団での取組みについての呼びかけ

東京支部  平 井 哲 史

一 事業仕分けのなかで登場した雇用・労働条件の継承なしの廃止法案

 今国会に独立行政法人雇用・能力開発機構(以下「開発機構」)の廃止法案が提案されようとしている(いったん見送りが発表されたが不透明である)。

 開発機構のような独立行政法人は、従来から「天下り」批判の対象とされてきたが、これに加えて、雇用保険や労災保険の特別会計からの資金で建設されたスポーツ施設や、スパウザ小田原、「わたしの仕事館」といった赤字を生み出す箱モノ建設への批判から〇七年に一度閣議決定されていた。その後、同機構本来の事業に対する評価もあり、廃止方針は凍結された状態にあったが、民主党中心政権となってからおこなわれた事業仕分けで再び標的となり、本年三月に労政審でも「廃止相当」の報告があげられ、法案が提案されようとしているのである。

 無駄な事業については整理統合はむしろ当然と言えるが、そこで働く人の雇用を無視して実行してよいものではない。開発機構のような特殊法人はこれまで五回、行政改革の対象となってきたが、いずれの場合も、「一切の権利と義務の承継」が明文化され、整理解雇は行なわれてこなかった。ところが、今国会に提案されようとしている廃止法案は、事業は別の独立行政法人に承継するが、わざわざ「職員の労働契約に係る権利及び義務」を承継の対象から除いている。開発機構自身は解散を予定しているため、事実上の「解雇法案」と言えるものである。

二 「独立行政法人」・「開発機構」とはどういうものか

(1) 独立行政法人の前身である特殊法人は、政府が事業を行う際に特別の法律で設立した法人(※独立行政法人通則法第二条第一項)で、住宅金融公庫、日本道路公団、雇用促進事業団などがある。独立行政法人は橋本政権の〇一年中央省庁再編で登場し、小泉政権の特殊法人「行革」を経て、多くの特殊法人は非公務員型・独立行政法人になってきた。三〜五年ごとの見直しが法制化(通則法二九条)されており、中期計画を立て、その実行具合が審査され(通則法第十二条)、行革推進法の適用により、人件費の縮減やあらゆる経費の見直し、保有資産の売却などが行われている。

※「国民生活及び社会経済の安定等の公共上の見地から確実に実施されることが必要な事務事業であって、国が自ら主体となって直接に実施する必要のないもののうち、民間の主体にゆだねた場合には必ずしも実施されないおそれがあるもの又は一の主体に独占しておこなわせることが必要であるものを効率的かつ効果的に行わせることを目的として、この法律及び個別法の定めるところにより設立される法人」

(2) 独立行政法人は公的サービスを担う特殊な法人であり、非公務員型は労働三法が適用され、贈収賄には公務員法が適用されている。労働条件は、表向きは自主的決定ができることになっているが、通則法六三条にある「社会一般の情勢への適応」を理由に、国家公務員準拠とされる傾向にある。

(3) 法人の改廃は法律により行われ、従前の特殊法人・独立行政法人整理合理化の際には、雇用確保の文言が繰り返し挿入されてきた。

(4) 開発機構の前身は、一九六一年に労働者の技能習得、技能向上、雇用促進、福祉増進、就職援助、経済発展を目的に労働省所管の特殊法人として設立された雇用促進事業団である。その後、労働福祉事業団の労働者福祉事業と炭鉱離職者援護会の事業を引き継ぎ、職業訓練だけでなく、労働者福祉施設と雇用促進住宅(〇六年時点で十四万戸)も継承し、雇用保険法で定められた雇用保険二事業を主に行っている。

三 廃止法案の雇用に関わる問題点と団での取組みの呼びかけ

(1) 廃止法案では、まず最初に、開発機構の事業は、承継計画書に定めるところにより独立行政法人高齢・障害・求職者雇用支援機構(以下「支援機構」)と独立行政法人勤労者退職金共済機構(以下「共済機構」)が承継することとしているが、その承継の対象からは「職員の労働契約に係る権利及び義務は」除外している。

 そして、職員については、支援機構および共済機構が、開発機構を「通じ」て募集をおこない、応募者の中から開発機構が「選定」をおこない、両機構が「採用通知」を出すという、「退職・再雇用」型をとっている。この点、社保庁解体に際してとられた枠組みと共通する。

(2) 問題は、雇用と労働条件の承継が保障されていないところにある。法案要綱では、支援機構と共済機構への承継のほか、職業能力開発促進センター等の施設・設備を都道府県に譲渡し、同施設に勤務する職員の雇用を引き継ぐ自治体には最高で対価なしの特典をつけているが、引き継ぐ職員数は半分でもこの特典を受けられるようになっている。それでも、事前の調査では手をあげているところは二〇にも満たない。

 もともと厚生労働省の説明用資料でも三六〇〇人の職員の「二三%」を減らす方針であることが示されているため、七〇〇人超の整理解雇が立法によりおこなわれかねない。

(3) 営業譲渡の「営業」に労働契約は含まれないとする裁判所の凝り固まった判断が定着しているもとで、大船自動車事件で認定されたような個別合意がない限り、雇用は当然には承継されない。しかし、事業が承継される以上は、それを担う労働者の契約も承継されるというのが道理にかなう。これまでも営業譲渡に際して労働契約は引き継がないとした企業は厳しく批判されてきた。それを国家が率先してやるというのは非道というものではなかろうか。営利企業であれば、まだ、解散をするか、事業譲渡をするかは自らの意思で決められるし、解雇には整理解雇の法理が適用され、簡単には実施はできない。ところが、今回の法案は、対象となる独立行政法人の意思に関係なく、国が勝手に法人格の廃止を決め、リストラを決定するというのであるから、乱暴極まりない。しかも、都道府県において引き取り手がないところでは、職業訓練サービスの提供が低下し、雇用情勢の悪化を助長することにもなりかねない。

(4) 現在、廃止法案は諸事情から提出が止まっているが、出てきたときには今の国会内の力関係では可決は必至といえる。問題は、開発機構にとどまらない。都市再生機構などすでに名前のあがっている独立行政法人はもちろん、「次はどこか?」という不安が広がっている。

 雇用の悪化による経済の低迷という負のスパイラルが指摘されているなかで、それを助長するリストラを食い止めるために団としてできることはないものか? 社保庁解体のときはPTが立ち上がったが、独立行政法人のリストラの問題についても、同様に、研究・対応することが必要ではなかろうか。

※ 本原稿の執筆にあたっては、特殊法人労連に情報提供をいただきました。紙面を借りてお礼申し上げます。



シンポジウム「だれのため、なんのため 国会改革・比例削減〜民意切捨・官僚排除・陳情統制〜」に参加して

東京支部  三 澤 麻 衣 子

 四月一〇日、日本マスコミ文化情報労組会議(MIC)、日本ジャーナリスト会議(JCJ)、マスコミ関連九条の会及び自由法曹団の四団体共済で開催されたシンポジウム「だれのため、なんのため 国会改革・比例削減」に参加しました。

 東京慈恵会医科大学憲法学教授小沢隆一氏の基調講演では、民主党が、鳩山政権成立直後から、「国会・政治改革」として矢継ぎ早に行ってきた、多くの政治手法に関し、その狙い、及び、それらの議会制民主主義における意味について分析されました。具体的には詳細なレジュメが資料として出されましたので、こちらを入手していただければ、と思いますが、小沢隆一氏は、民主党の行う「国会・政治改革」は

(1)二〇一〇参院選に勝利して政権基盤を盤石にするために採用、特に自民党の政治資源の奪取をねらうもの、

(2)政権奪取を展望してあらかじめ準備、構想されたもので、「自民党政治」にかわる新しい政治枠組みの創出と、そこでの民主党の政治力の向上、政策の実現をはかるもの、

(3)長期の国家戦略目標(九条改憲、安全保障など)を念頭に置き、それに適合的な統治の仕組み、国家体制の構築をめざすものであると指摘されます。国民のためとは、名ばかりの、「政治主導」を口実に、政権党執行部による権力の独占、議会軽視、官僚組織の囲い込み、国民と議会との距離の拡大などを導くものにすぎないというもの。そして比例削減は、長期的な国家戦略を達成するため、一旦政権を失っても、容易に政権奪取可能な仕組みの構築をも大きな狙いとしていると分析されています。

 また、パネリストとしてご発言された上智大学憲法学教授高見勝利氏も、民主党政権下での改革は、本来の「政」と「官」のあり方、本来の議員としてのあり方とは違う方向に行っていると指摘されています。たしかに官僚システムは政治の判断に従うものであり、政権交替があって政策が変わればそれに従うのが基本ルールであるが、官僚システムは技術的性質を有し、政治のリーダーシップとは別に官吏のリーダーシップというものは必要で、民主党の改革は、事務次官を外して、官僚抜きに、政治が直接電卓を叩くようなことを行い官僚システムを壊してしまっていると。また、本来の議員のあり方とは、国民の代表として、それだけの責任を負って、ぎりぎりまで考えて議決をするものだと。ようするに、党議拘束があるからと、最初から審議、議論を放棄するようなことは議員としての責任放棄ということでしょう。その比較としてイギリスで始動している下院改革の例をご紹介いただきました。

 同じくパネリストである自由法曹団弁護士の坂本修団員は、いち早く比例定数削減に異論を唱え、昨年一〇月に「衆議院比例定数削減とは何か」を自費出版して、その危険を広く訴えて来ました。その成果が、今回のシンポにも通じているといえます。坂本団員は、昨年の衆院選の結果を利用してシュミレーションし、比例削減により、いかに民意が切捨てられた結果を生じさせるのか、そして、切捨てられるのは、少数政党の利益ではなく、多様な意見の反映を基本とする民主主義政治そのものであると訴えます。そして、最後に、坂本団員は、早くこの事態に国民で立ち向かうこと、時間の勝負だと、強く訴えています。

 そして、関東学院大学教授で、日本ジャーナリスト会議会員である丸山重威氏は、世論とは、ようするにマスコミが作っているものであり、今の番組進行キャスターは、不勉強で、ムードに流されたコメントをしてしまう、このムードを壊して、比例削減の真の意味、つまり、歳費削減などという目先の問題より、もっと大事な、少数政党の利益、ひいては、少数意見も含めて議論される民主主義の基本の維持という利益に、世論、国民が目を向けるようにすることが、マスメディアの役割であると訴えます。

 今回のシンポの構成は、憲法学者である小沢氏と高見氏から、民主党の政治手法を分析、民主党の進める国会改革・政治改革の実態の報告がなされ、さらに、いち早く比例削減の危険を呼びかけた坂本団員から、広く国民に広げることの重要性が訴えられ、マスメディアの立場から世論を作るべきとの呼びかけを丸山氏が行っています。各分野からの専門家による見事なリレーができたシンポジウムだったと思います。

 世論がまだついてきていない、と言われていますが、それでも今回のシンポジウムには一二〇人の参加がありました。今回のシンポの成功により、より大きな運動、そして世論形成へとつながることを期待しています。

(東京支部ニュース四三七号より転載させていただきました)



「公判前整理手続の問題点」

〜伊藤睦先生をお招きして

神奈川支部  神 原   元

 去る三月六日、団本部にて、三重大学の伊藤睦先生をお招きして、「公判前整理手続の問題点」と題した勉強会を行ったので報告したい。勉強会主催の問題意識は、我々が実務で感じている公判前整理手続の問題点を英米法などとの比較において、学問的にも裏付けて頂き、理論的向上を図りたいという点にあった。成果は予想を超えるものであり、先生のご講義は、自由法曹団の問題意識が理論的にも正当であることに確信が持てる内容であった。

 講義の冒頭、先生は、公判前整理手続の問題点を「証拠開示の不徹底」「被告人の防御権の切り捨て」「争点形成義務の過剰な強調」「主張明示義務の存在」の四つに分けて端的に指摘された。伊藤先生は、その原因を、迅速性・効率性や分かりやすさを至上命題に据えたことに求める。これは、自由法曹団が指摘し続けてきた論点である。

 次に、先生は、アメリカ連邦法における証拠開示制度について触れられた。アメリカ法においては、検察官は開示されない資料について唯一知りうる立場にあり、証拠の持ちうる価値を全て吟味し、無罪立証ないし刑の減免に役立つ証拠を開示する包括的義務を負う。開示義務は訴追側の立証のために働く者が認知していた全ての証拠に及ぶ、極めて広範なものである。そして、被告人に有利な証拠開示を怠ることは被告人から「公正な審理を受ける権利」を奪うことになり、上訴理由となる。この場合の開示義務は訴追側が悪意の場合は請求なくしてその違反となることはもちろん、善意の場合であっても、被告人の請求があり、かつ重要な証拠(訴訟の結果が変わることは不要、事例全体の見方に異なる観点をもたらし得た合理的可能性があれば足りる)と認められれば開示義務違反となる。

 このように訴追側に重い義務が課される一方、被告人側には、日本の公判前整理手続にある証拠提出制限は存在しない。アメリカ法で事前通告義務が課される主張としては、

  1. 被告人の精神状態に関する抗弁
  2. 専門家証言を要する場合
  3. アリバイ主張を予定する場合
  4. レイプ・シールド法で制限される場合

があげられるが、(3)アリバイ主張については疑義があるという。この義務を是とする議論は、アリバイ主張には被告人に不利益な情報が含まれないこと(自己負罪免責特権と矛盾しない)や、訴追側の有罪立証に変化を生じさせない(立証責任の所在に変更はない)こと等を根拠とするが、日本におけるように、主張排斥のための立証準備の機会を訴追側に与えることが論拠とされていない(そうであれば自己負罪免責特権との抵触は避けられない)という。このような事前通告義務違反の証拠提出であっても当然に禁止されるわけではなく、被告人の権利の不必要な制限とならないか、さらに審査されるという。

 以上のようなアメリカ法における証拠開示、証拠制限の規定を紹介し、日本法の公判前整理手続における被告側の権利がいかに不当な制約を受けているか論じた後、先生は、アメリカ法から得られる示唆として、被告人の権利論からのアプローチの必要性と、権利拡充が他の政策的利益(真実の発見)にも合致することを説かれた。

 このような被告人の権利の拡充が、アメリカにおいていかにして可能になったのか。その素朴な疑問に対し、先生は、アメリカでは「無罪の推定」を根拠に多くの制度が形作られたと述べた。他方、我が国では、学会ですら「無罪の推定」の原則が忘れられかけているという。そのギャップの大きさを再確認せざるを得ない。

 先生の講義は刺激的で、自由法曹団の問題意識と重なり合うことが大きく、非常に大きな収穫があった。今後も学者の先生方との対話を重ねていきたい。



「司法改革」間題についてのお願い

「こんな日弁連に誰がした?」を読んで

北海道支部  海 川 道 郎

 先般・小林正啓弁護士が書いた「こんな日弁連に誰がした?」という本(平凡社新書)を読みました。疑問に感じた点もいくつかありましたが、結論的に言うと、かなり説得力のある内容だと思いました。特に、日弁連が、「法曹一元」という餌でうまいこと乗せられて、司法試験合格者の大増員や法科大学院構想を呑まされたのではないかという印象を強く受けました。

 私は、一三年前に、当時弁護士ゼロ地域であった北海道の僻地に移住して、そこで法律事務所を開設しました。弁護士としての仕事は忙しくこなしてきましたが、「馬と一緒の田舎暮らし」という夢を実現するために多くの時問を取られたこともあって、団員らしい活動は全くしてきませんでした。その上、身近にはほとんど弁護士がおらず、所属する札幌弁護士会に行くにも、片道車で二時間半もかかるという地理的な問題もあって、「司法改革」問題について他の弁護土と議論する機会もほとんどありませんでした。

 しかし、この間、現在進められている「司法改革」については多くの疑問を感じてきました。特に、弁護士だけの急激な増加や法科大学院の安易な設置、さらには法務省の管轄下にある法テラスが国選弁護を運営するということなどについては、かなり疑問を感じてきました(なお、裁判員制度については、いろいろと問題点はあると思いますが、積極的評価していますので、念のため)。

 そんなこともあって、今回の日弁連の会長選挙では、「同期のよしみ」ということも若千ありましたが、これまでの執行部を継承しないという宇都宮候補を支持し、札幌弁護士会での支援の呼びかけ人にも名前を連ねさせてもらいました。そして、この選挙で宇都官候補が勝利するという結果を見ますと、これまでの日弁連の「司法改革」問題への対応を否定的に見る人たちが多数いるということも実感させられました。

 そこでお願いですが、団員の中にはこれまで「司法改革」問題に積極的に関与してこられた方が数多くいると思いますので、この本に対する私の評価が正しいのか間違っているのかご意見をお聞かせ下さい。「何を今頃寝ぼけたことを言っているのか」とお叱りを受けるかもわかりませんが、この間団員らしい活動をしてこなかったにもかかわらず、決して少なくない団費を納入し続けてきたことに免じてもらって、こうしたお願いをさせていただく次第です。

 また、こうしたことがきっかけとなって、「司法改革」問題についてシビアな総括がなされることを期待すると同時に、そうした総括が、今後の宇都宮新執行部の「司法改革」についての方針をどう評価し、またこれにどう対応するかということを検討するうえでも大変重要なことだと思っています。



永嶋実先生を偲んで

山梨県支部  關 本 喜 文

 永嶋実先生が二〇一〇(平成二二)年四月四日に突然亡くなられた。

 享年三五歳である。若すぎる死であり、無念の一言である。まだ、私の中では整理ができない。今でも、メールに先生からの連絡が入るような気がしてならない。

 先生は、二〇〇一(平成一三)年一〇月に、二六歳で弁護士登録され(五四期)、甲府合同法律事務所で弁護士生活をスタートされた。

 先生の年代は、バブル崩壊後の就職氷河期世代にあたり、弁護士登録後は、そのような社会の動きを敏感にかぎ取り、まっさきに格差社会の人権問題の解決に果敢に挑んだ。

 二〇〇四(平成一六)年には、憲法会議の総会に斎藤貴男氏を講師に呼んで、現在の格差社会の問題提起を行った。その後、憲法会議の事務局長として活動の中心となった。

 青年の労働問題については、山梨青年ユニオンの顧問として、街頭労働相談にも顔を出し、夜遅くまで解決に奮闘した。

 さらに、二〇〇八(平成二〇)年四月に発足した、山梨生活保護利用支援連絡会の中心メンバーとして、同会の活動を引っ張った。

 消費者問題では、とりわけヤミ金被害者の代理人として、ヤミ金業者と渡りあった。

 また、山梨県市民オンブズマン連絡会議の事務局長として、山梨県内の税金の使い方に目を光らせた。地元紙の記事には、先生のコメントが何度も取り上げられた。

 自由法曹団員、労働弁護団員として、様々な会議、会合で積極的に意見を述べた。その意見は先生自身の実際の活動の裏付けがあったから、先輩諸氏といえども、一目置く存在であった。

 弁護士会会務については、ライフワークとも言えるこどもの権利委員会活動が光る。毎年の少年付添人交流集会に参加し、また、日弁連委員として、全国の動きを山梨県弁護士会会員に伝えてくれた。また、犯罪被害者支援センター委員長に委員会発足当時から就任し、活動した。

 全ての活動は、先生の高い事務処理能力に支えられていた。いつもパソコンを持ち歩き、どこでもメモを欠かさなかった。どんな活動の記録も先生のパソコンに存在した。

 だから、先生の突然の死は、全ての人に深い悲しみを与えた。

 今年の二月の甲府合同法律事務所の事務所だよりには、「山梨の労働者・消費者、また、民主運動の前進のためにがんばりたいと思います。」とあった。

 先生の遺志が、いつまでも、だれもの心の中で、今後の活動の支えとなると確信する。

 先生よ、天から我々の活動を見守って欲しい。そして、ときには、優しい笑顔で我々を励ましてもらいたい。

 (二〇一〇年四月二〇日)



永嶋実君の急逝を悼む

東京支部  笹 山 尚 人

 まさに、「断腸の思い」。永嶋実団員(甲府合同法律事務所、五四期)の訃報に接したときの、私の正直な思い。まだ三六歳。まだまだ、これからであったはず。なぜ、彼のようなよい男と、ご家族に、このような残酷な運命が待ち受けているのだろうか。

 私は永嶋君と同期でもないし、山梨県登録の弁護士でもない。同じ事務所や事件の弁護団に在籍したこともない。その私が追悼文を書かせてもらうのはおかしいかもしれない。しかし、実は、私が追悼文を書くこと自体が、永嶋君の活躍を物語っている。

 私は、首都圏青年ユニオンの顧問弁護士を長く務めている。団通信でも、特別報告集でも、何度か報告させて貰ったことがあるが、首都圏青年ユニオンは、誰でも、どんな雇用形態でも、一人から加入できる個人加盟の労働組合である。首都圏を中心に約三七〇人の組合員を擁し、すき家、SHOP99、洋麺屋五右衛門、グッドウィル、日産自動車、三菱ふそうといった名だたる企業を相手に争議をたたかっている。労働運動の再生の一つの契機になる運動として注目を集め、首都圏青年ユニオンの成功に学んで、全国各地で地域の青年ユニオンを結成する動きが進んでいる。こうした動きに顧問などの立場で具体的に関わっている団員もいると思う。

 永嶋君は、そうした地方の青年ユニオンの先駆け的存在、山梨青年ユニオンの顧問として活躍していた。私とは、そうしたご縁であった。

 山梨青年ユニオンのことは以前から話には聞いていたが、具体的に交流したのは、二〇〇七年七月一日のこと。何回目かの山梨青年ユニオンの大会の際に、記念講演をしてほしいということで永嶋君から依頼があった。私は甲府に赴き、首都圏青年ユニオンとその顧問としての私の活動を講演させて貰った。永嶋君には、その際、車で送り迎えをして貰い、その車内や、講演後の懇親会の席上で、地方での青年ユニオン運動の難しさなどを教えて貰った。曰く、「山梨とひとくくりにすると広すぎるんですよ。相談があっても、その相談者が甲府まで来れない。甲府の駅前で宣伝しても、山梨全域に活動の輪が広がらない。組合員もあちこちに点在していて、会議を持つのも大変なんです。専従も経済的におけない。民青の専従が、半専従のような形でなんとかやってくれています。」永嶋君の語る組合及び組合員の活動の困難さには、首都圏にはあり得ない悩みに満ちていた。

 しかし更に驚いたのは、こうしたユニオンに対する永嶋君の支え方。彼は、首都圏青年ユニオンを支える会に学んで、活動費用をカンパするサポーターを募ってそのリーダーになっていたが、それだけでなく、「組合のビラの印刷も僕がやっている。」。ほとんど組合員といって良い活躍ではないか。私も路上で法律相談をしたりビラをまいたりといったことはあったが、さすがにここまでのことをしたことはない。その活躍の地道さ、大変さには頭が下がった。

 でも、彼の表情は明るかった。「だって、非正規雇用の分野に切り込める労働組合を創っていかなければ話にならないですもんね。気がついた以上、やらなければ。」構造改革路線によって常用代替が進み、非正規雇用の労働者が増えているのに、正社員中心に組織されてきた労働組合は、非正規雇用の労働者の権利実現になかなか真正面から取り組むことが出来ていない。非正規雇用の労働者の権利実現に真剣に取り組む労働組合と、それを支える社会運動が必要―。この問題意識は、簡単なようでいて、実践するのは非常に難しいこと。永嶋君は、この問題意識を本当に共有できた、同志だった。

 実際に、永嶋君の支援があり、山梨青年ユニオンは、地道ながらも活動を広げつつあった。ある温泉地でのホテル従業員について、解雇事件で団交して解雇撤回、現職復帰の成果を勝ち取っていた。永嶋君自身も、結婚生活も幸せに満ちているということで、永嶋君は懇親会にも配偶者を連れてきていた。ご夫妻の幸せそうな表情は今も記憶に残っている。

 前進を信じて、砂に水をまくような作業をしながら、一つ一つ運動を明るく進めていく、その姿勢に、更に更に頭が下がった。

 その後、団の五月集会だったか、総会だったかのとき、朝の露天風呂で永嶋君に偶然会った。その後どうだい?という話をして、山梨青年ユニオンの組合員で、「派遣切り」の難しい相談を受けている、と永嶋君から聞いた。悩ましい事案で、彼も対応に困っている様子だった。いつでも相談に乗るよ、とそのとき私は言った。同じその日、永嶋君は、山梨青年ユニオンの活動とその困難について発言していた。

 その後、永嶋君から、その温泉で語られた事案について電話で相談を受けた。全くたいしたアドバイスにならなかったと思うが、永嶋君に電話でアドバイスをした。永嶋君と話したのは、そのときの電話が最後になったと思う。

 今、全国で地方の青年ユニオンが続々と増えている。成果をあげているユニオンも多い。青年ユニオンに刺激され、地域ローカルユニオンも活躍をするようになっている。奈良の佐藤真理団員のように、青年ユニオンの立ち上げに自ら資金も出して尽力してくれる団員もあらわれた。私はこうした運動の広がりの中で、自分も首都圏青年ユニオンで顧問弁護団を結成し、たくさんの争議をたたかって首都圏青年ユニオンの発展に貢献したいと活動している。そんな私の念頭には、同じ問題意識を共有する、同志の永嶋君が、山梨で奮闘してくれている、日常やりとりすることがなくとも、一緒に運動に取り組んでいる、という意識があった。

 だから今回の訃報は、大事な同志が途中で倒れたことを知らせるものだった。無念でならない。永嶋君自身も、そうだっただろうと思う。

 今は、せめて、永嶋君の思いを受け継ぎ、必ず全国で青年ユニオンを建設し、日本の民主化運動の先頭に立つ労働運動を再生させ、そのために団が先頭に立つことを彼に誓って、そのことを手向けとしたいと思う。

 永嶋君の訃報を聞いてまもなく、四月七日、首都圏青年ユニオン顧問弁護団では、洋麺屋五右衛門の変形労働時間制度悪用事件で、変形労働時間制の違法な運用を認定させ、残業代、本給の未払いのほか、付加金をも支払わせる判決を東京地裁で得た。まさに、青年ユニオン運動の大成果である。この勝利を永嶋君に捧げる。そして、永嶋君に、今後とも私たちは、彼の思いを受け継ぎ、彼の思いに応え報いる活動を続けることを誓う。

 永嶋君のご家族と甲府合同法律事務所のみなさまに、謹んで哀悼の念を表します。

 永嶋君、ありがとう、本当にご苦労さまでした。ゆっくりお休みください。



「国際基準に遠く及ばない政府案!」

「政府案では救われない!」

労働者派遣法の抜本改正を求める 5.11行動 にご協力下さい

5.11 法律家昼デモ

 日  時:2010年5月11日(火)正午〜午後1時

 出発場所:日比谷公園霞門

 ル ー ト:日比谷公園霞門〜国会まで

 ↓

引き続き

 ↓

5.11院内集会と国会議員要請活動

 日 時:2010年5月11日 午後2時〜5時

 場 所:衆議院第一議院会

 自 由 法 曹 団

  東京都文京区小石川2−3−28 DIKマンション小石川201号

  TEL  03−3814−3971/ FAX  03−3814−2623