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小林 武 〈寄稿〉
「国会改革」・定数削減と連動する名古屋市「河村改革」
笹本 潤 沖縄県民集会への海外メッセージから見えるもの
板井 俊介 熊本市が控訴断念!
画期的な熊本市政務調査費返還訴訟
城塚 健之 誰のための民法(債権法)改正か
杉本 朗 映画『弁護士 布施辰治』完成!



 四月二一日に行った国会法改悪・「国会改革」反対集会(全労連・自由法曹団・憲法会議共催)で講演いただいた小林武愛知大学教授から、名古屋市で企てられている「議会改革」についての寄稿をいただきました。

〈寄稿〉

「国会改革」・定数削減と連動する名古屋市「河村改革」

愛知大学教授  小 林   武

名古屋に独裁の妖怪

 今、名古屋に妖怪が彷徨している。独裁という名の妖怪が。

 ――気恥かしくなるような大袈裟な書き出しですが、民主主義と地方自治の憲法原則を突き崩す危険な事態が進行しています。その一端をお伝えしつつ、国政における問題との関係を考えたいと思います。

 独裁を志向しているのは、河村たかし名古屋市長。昨年四月の市長選で、民主党代議士から転身して五一万という破天荒の得票で当選しました(名古屋市は人口二二五万、有権者一七五万、当日投票者は八九万です)。それから一年。市政の基本姿勢が、大企業・富裕層を優遇し、効率本位の自治体経営を追求して、福祉・市民サービスを削減するところにあることが明らかになりました。また、南京大虐殺はなかったなどとする歴史認識に立って9条改憲を主張し、名古屋市にある護国神社に市長として参拝する「ヤスクニスト」でもあります。

河村市長の「議会改革」の意味するもの

 河村市長は、熟慮にもとづく議論は相手が誰であれ不得意のようで、靖国史観付き改憲・構革ブルドーザーよろしく「市政改革」を一瀉千里の勢いで進めています。その中心に置かれているものは「議会改革」で、主な内容は、議員の定数半減、報酬半減、政務調査費廃止、党議拘束撤廃などです。それによって議会を弱体化して市長への権力集中をはかり、憲法上の自治体統治構造の原則である二元代表制の根本的改変を目指すものです。この二元代表制を、「立法者のミスだ」と言ってはばからないのが河村市長です。

 最も重大なものは、議員定数の半減です。現在名古屋市議会定数七五(地方自治法上の上限は八八)を三八にするという提案で、それによれば、一六選挙区のうち九が、定数一ないし二の実質小選挙区となります。そのため、議会の民意反映機能は決定的に弱まり、とくに少数意見が議会から閉め出されて、民主主義の根幹が大きく傷つきます。

 議会は、二月市議会で、これを含めて市長提案をすべて否決しました。市長は、四月に臨時会を招集して再度提案しましたが、その際、定数半減案だけを除いたのは、報酬半減案などとは違って、市民の反対が強かったためです。しかし、市長はそれを引っ込めたのではなく、住民直接請求で議会を解散して選挙をおこない、市長翼賛の議会へと造り直して、そこで半減を実現させる、という迂回作戦に出たわけです。そのために、「減税日本」を名乗る地域新党の結成に乗り出しています。いまや、参院選の前後にまたがる長期戦となりました。

民主主義の手法で独裁を実現

 河村市長が議会解散請求という直接民主主義の制度を独裁実現の手段として使おうとしていることは、今回の問題の大きな特徴です。まさに、本来住民のものである民主主義手法の悪用ないし逆用です。ただ、住民投票・国民投票が独裁者の出現、また独裁的政策の正当化のために「プレビシット」として用いられた例は、歴史上少なくありません。河村市長も、住民投票を強権政治実現の手段として利用すべく、住民を動員しているわけです。

 そして、こうした手法にとって不可欠の要素はポピュリズムですが、河村市長は、これに長けており、今やマスコミの寵児です。彼は、論理は支離滅裂、感情のみが先に立つ議論をしますが、それはむしろ、独裁に向かおうとする権力者にふさわしい資質なのかも知れません。ファシズムは芽のうちに摘まねばならない――この教訓を、いま名古屋では、現実味を帯びたものとして心に刻んでいるところです。

民主党「国会改革」との呼応関係

 名古屋市の河村「議会改革」は、国政における民主党・小沢「国会改革」と軌を一にしたものであるといえます。小沢印≠フ改革は、今、「政治主導」を掲げて、官僚答弁の禁止、とりわけ内閣法制局長官の政府特別補佐人からの除外、また副大臣・大臣政務官の増員、などを手がかりに進められていますが、構想はもっと大がかりです。企図されているのは、単純小選挙区制への移行を根幹として、国会(院)の国政調査・法定立・行政監督の権能を弱め、内閣、とくに首相に権力を集中させるという、議院内閣制そのものの変容です。そして、この背景には、大企業・財界団体の方針があり、それを具体化する役割を21世紀臨調などが果たしていて、小沢民主党の改革は、その方針に沿って進められているといえます。

 このような統治構造の改変を地方においても並行的に展開することは、体制側の大方針のようです。総務省の地方行財政会議は、「厳格な二元代表制の下では政治主導による自治体経営は困難である」として、二元代表制を見直し、首長の権限強化と議会の弱体化の方針を提起しています(三月九日)。河村改革は、まさにその先兵としての位置にあるものと考えるべきでしょう。こうして、国の議院内閣制では、国会を動員して国会を弱体化し、一方、自治体の二元代表制の下では、住民を動員して同じく議会を弱め、それぞれ首相・首長への権力集中をはかるという、強権政治への動きが同時進行しているのが現況だといえます。

緒戦の勝利と長期の展望

 名古屋では、市議会議員定数半減の企図は、さしあたり頓挫しましたが、それが河村市長の「議会改革」の中心テーマであることには変わりはありません。緒戦の勝利に気を緩めずに、暴走の根を絶つことが私たちの現今の課題です。

 河村市長の暴走で、市議会がにわかに覚醒したことが認められます。独裁市長の果たした皮肉な貢献です。議会は、歴史上、王権との闘争を使命として誕生したことに照らして、今回のような非道理な独裁志向者が現れたときにこれとたたかうのでなければ、その存在意義はありません。名古屋でも、これまでの長い間の、共産党を除くオール与党体制をとおして市民の中には根強い議会不信が育っています。議会は、これを真摯に受けとめて、自らに根本的な反省を加え、市民の声に応える議会に再生することが不可欠です。市民の運動の中に、「議会を守れ」のスローガンが掲げられるようになったとき、そのときにはじめて、今般のたたかいは勝利を展望することができるものと信じます。



沖縄県民集会への海外メッセージから見えるもの

東京支部  笹 本   潤

 四月二五日の沖縄の県民集会に参加しました。

 数多くの旗が立ちならんで、集会は始まりました。自民党のノボリを集会で見たのは私も初めてです。集会のシンボルカラーである黄色い色も鮮やかで、集会に前日に参加することになった仲井真知事のスピーチでも、人の多さに感嘆していました。高校生の、基地の問題を自分の問題として考えてほしいというアピールには参加者もシーンとしてうなづいて聞いていました。

 今回の県民集会には、海外からいくつかのメッセージが寄せられ、私はそのとりまとめをしました。それらを見ると、米軍基地問題の国際的な意味の一端がわかる気がします。

 特に、普天間基地の移設先として新基地をつくるということは、世界中に「米軍基地が増える」ということを意味していますから、これに対しては世界の平和運動は敏感に反応したような気がします。

 アメリカの大統領選挙にも出たことのあるクシニッチ議員は、基地反対派の名護市長が当選したもとで、「米軍普天間基地に駐留する海兵隊の名護市への移転計画に関する私の懸念を表明しました。海兵隊がその活動を名護市へと移そうとするとき、その討論において、地元住民の意見がまったく存在していないのです。」と、新基地建設に強い懸念を示しています。

 カナダの「バンクーバー九条の会」の乗松聡子さんからは、「二〇〇三年のアメリカのイラク侵攻の際は、カナダは明確に参加を拒否しました。だからといって米国との関係が悪くなることはありません。日本の中央政府のように、米国一辺倒の外交で、従属関係を続けている国は、国際的にも米国の属国扱いで、尊敬されているとは言えません。」と、移設先探しに明け暮れている日本政府の態度を批判しました。

 グアム島の先住民の「チャモロネーション」のデビィ・キナタさんは、「米軍は自らの場所アメリカに戻るべきだと強く思います。そこには使われていない広大な土地があり、多くのアメリカ人が帰還を求めています。」と新基地は沖縄にもグアムにもいらないことを述べています。基地の移転先が沖縄だろうとグアムであろうと、新しい米軍基地の建設には断固反対ということです。

 また、日本政府がグアム移転に資金を出すことについても「私たちは、沖縄やグアムの基地を建設するための資金提供を要求し続けるアメリカ政府高官の要請を拒否するよう、またその資金は共同体に必要な社会サービスや教育など資金が必要とされているものに使うよう、日本の首相の良心に訴えます。」と、日本政府は基地建設に資金を使うよりも、福祉などに回せと訴えています。

 普天間基地の移転先としてグアムの名が挙がることがありますが、そのグアムでさえ住民は基地の受け入れを拒んでいるのです。

 アメリカでは、今年に入ってからアメリカと日本などの市民でつくる反基地のネットワーク「ネットワークFOR沖縄」を結成しました。アメリカでは、日本の基地問題はほとんど報道されないようですが、市民を中心にして沖縄の普天間基地問題を発信する活動を続けています。四月二八日には、ワシントン・ポストに沖縄の新基地反対の全面広告を出し、アメリカの世論にも沖縄の米軍基地問題を訴えました。四月二五日の沖縄の県民集会に合わせて、ワシントン、ハワイ、カリフォルニアでも集会やキャンドルナイトが行われました。

 県民集会への連帯のメッセージでは、「たとえ『国家や世界の安全保障のため』という名目であっても、ある地域の環境や社会福祉を損なうということはそれ自体、自然と人間社会に戦争を仕掛けるようなものだ」と環境保護の点からも新基地建設に反対しています。「沖縄県民の力強い要求は明らだ。平和は人権である。沖縄の人々は私たち自身の運動にインスピレーションを与えてくれる。太平洋をまたがる平和への連帯のもと、私たちは沖縄の人々を支持する。」と、今までアジアと比べて必ずしも反基地の連帯活動が進んでいなかったアメリカでも平和活動の連帯が進んでいきそうです。

 八〇カ国以上の法律家で構成する国際民主法律家協会(IADL)は、一九六九年と一九九六年に、沖縄の現地調査をしました。米軍基地の実態と住民の被害を調査し、それに法律家としての意見を発表してきました。今回の沖縄の県民集会にあたっても、

(1)日本は海兵隊の米軍基地を置く義務はない、

(2)平和的生存権に基づいて米軍基地を撤去させる権利がある、

との声明を発表しました。

 普天間基地にいてイラク・アフガニスタンに派兵される海兵隊は、極東の平和と安全を守るために存在する米軍基地(日米安保条約六条)からもはずれており、そもそも私有地を接収してできた普天間基地もハーグ陸戦規則など戦時国際法に違反する、ということです。憲法九条や憲法前文の平和的生存権からしても米軍基地は撤去すべきです。

 この間「九条を世界に広げよう」というスローガンのもとに、各国に九条を広げようという活動をしてきました。しかし、その際海外の人から強く批判されるのは、「なぜ日本には九条があるのに、米軍基地がたくさんあるのか?」という批判です。さらに「日本では憲法が守られていない。日本には『法の支配』がないのか?」と耳の痛い批判を言われることもあります。

 今回の沖縄の普天間基地撤去を実現させることは、それらの批判に答えていく第一歩であるし、国際連帯運動の発展は、世界中から米軍基地をなくす運動にもつながっていくのです。冷戦終結以降、世界ではテロを口実にした軍事拡大が進む一方、世界各国では米軍基地を廃止したり、廃止する憲法もできつつあります。このような国際的な平和の大きい流れも受けて米軍基地廃止の運動を発展させて行きたいと思います。

(宣伝ですが、拙書「世界の『平和憲法』 新たな挑戦」(大月書店))を五月二〇日に出版します。)



熊本市が控訴断念!

画期的な熊本市政務調査費返還訴訟

熊本支部  板 井 俊 介

一 控訴断念を実現

 平成二二年四月九日、幸山政史熊本市長は、三月二六日、熊本地裁が言い渡した平成一七年度の熊本市議会議員一二名に対する政務調査費(事務所費と調査旅費)のうち四七八万一四一四円の返還請求を命じた判決に対し、控訴せず確定させることを表明した。

 私は熊本空港でこのテレビ報道に触れ、「これでひとまず弁護士として最低限のいい仕事ができた」と思った。いかなる行政事件でも、常に「控訴断念させて地裁勝訴判決を確定させること」を目標として活動してきたからである。

 この事件は、平成一九年四月ころ、同じ事務所のいずれの弁護士も事件に追われていたことから、私が一人で受任して始めた事件であり、大変苦労したことからここで投稿しておきたい。

二 大いに盛り上がった四七八万円返還の三・二六勝訴判決

 平成二二年三月二六日午前一一時〇〇分、熊本地裁一〇一号法廷が沈黙と緊張に包まれた。熊本市議会議員に対する平成一七年度の政務調査費の返還を求め、一三回の弁論を積み重ね、いよいよ判決言い渡しである。判決に至るまで、原告をはじめ「政務調査費を透明にする会」のメンバーは、熊本市及び市議会から時には厳しい視線を浴びせられながらも、地道かつ明るく運動を続けてきた。その成果と運動の社会的正当性がいよいよ証明されるのである。

 入廷した高橋亮介裁判長が、淡々と読み上げる。

「主文 一 被告は、被告補助参加人に対し、一〇七万・・」。その後、息をのんで主文朗読を聞き入る。五人、六人・・・一〇人、一一人、一二名。補助参加人全員に返還を命じている。二人の議員には全額の返還を命じた。

 主文読み上げの後、裁判官は速やかに退廷した。その後、原告らと支援者が抱き合って喜び、私も握手を求められた。熊本地裁前では、小野寺信勝会員らにより「勝訴」「政務調査費の透明化を命ずる」の旗だし、報告へと続く。私は判決内容を検討して記者会見を実施し、その足でマスコミを引き連れ、熊本市役所に出向き、被告熊本市長幸山政史氏、及び、被告補助参加人らが所属する熊本市議会事務局に対し、「控訴しないで判決に服することを求める要請書」を提出した。

 その足で熊本市街地に出向き、横断幕を掲げハンドマイクで歩行中の市民の判決をアピールした。市民の反応は思ったより良かったと感じた。

三 熊本地裁判決の内容

 本判決は、以下のような判断を示している。

(1)立証責任論について

 原告らの主張立証責任を、「調査研究活動」のための支出に対する『合理性ないし必要性」を疑わせる『客観的事情』を主張・立証した場合には、違法が推定され、被告らの『反証』がない限り、政務調査費の「使途基準」に合致しない』という一般論を示した。

(2)事務所費について

  1. 自宅の敷地内に事務所があるような場合の事務所賃料等はすべて違法
  2. その他の事務所費も事務所が他の事務所と一体化している場合には、事務所経費も按分した範囲以外は違法
  3. 領収証の裏付けのない支出で、支払証明書等が存在しない支出も違法
  4. ティッシュ、石けん、常備薬、観葉植物、ケーブルテレビ等、市政に関する調査研究のための事務所に通常必要とされる物以外は違法
  5. 二万二〇〇〇円のコーヒーカップは高額に過ぎ違法

(3)調査旅費について

 観光地に調査に出向く場合、行政担当者と面談せず、資料の収集もせず、報告も一般的なものにとどまる場合には違法

 特に判決は、調査旅費について、現地での行政担当者との面談や資料を収集していないこと、一般の観光客ないし旅行者でもなし得る行動しかしていないうえ、その後の委員会での発言は一般観光客ないし旅行者においても報告が可能な内容にとどまっていると明示した。ある自民党議員については、平成一七年度にした一五回の調査出張がすべて違法であると認定した。判決は市民感覚に沿った常識的判断を示し、血税の使途の適正化を真正面から求めたものであり、今後の地方自治における監査基準を提示したものとして、極めて社会的意義の大きい先例的判断である。

四 原告のほか、多数の運動体とともに

 提訴前の平成一九年四月上旬、事務所を訪れた女性原告四名は「本当は裁判まではしたくないんです」と口を揃えた。原告が、私が書いた訴状案の請求の趣旨欄を見て、「この『返還することを請求せよ』という表現は厳しいのではないか。もっとやさしい表現はできないか」と指摘したことをよく覚えている。いかに裁判に動揺していたかがよくわかる。

 しかし、全国でそうであったように、当時の条例では、各議員に領収証の提出義務はなく、政務調査費の使い道は一切判らないまま、住民監査請求も門前払いされていた。苦しい生活の中で収める自分たちの血税が、適正に使われているかどうかを知る術さえ市民には与えられていなかった。要するに、住民訴訟をするしかなかったのである。

 一方、熊本では、水俣病、ハンセン病、川辺川などの訴訟に力を注ぎ、長い間、訴訟におけるオンブズマン活動は停滞気味であった。また、いわゆる市民オンブズマンからの依頼ではなく、それとは別個に地道に活動を続ける立場の異なる市民団体が政務調査費問題において団結した「政務調査費を透明にする会」からの依頼であった。

私は、一人で受任することに躊躇を覚えながらも決断した。私は常々、特定の政治問題につき、大枠で一致できるのであれば政治的立場を超えて団結して闘うべきだと考えているが、この政務調査費問題においては、そのような団結が可能であり、今後の熊本の市民運動に必ず有益であると考えたからである。

 私は原告に対し、「この種の訴訟は判決で勝つことだけが目的ではありません。この訴訟は、熊本市をはじめ、熊本県下の全自治体、ひいては日本の全自治体の公費に対する考えを変える訴訟です。私は訴訟では勝訴のために尽力すると約束しますので、皆さんも政治的立場を超えて団結して運動に全力を注いでください」と持ちかけ、原告らと運動と訴訟の両輪で活動することを約束し受任することとなった。

 さっそく私は、当時、政務調査費訴訟の最先端を突っ走っていた仙台の野呂圭弁護士に連絡し、訴状等の資料を頂き、即日訴状を完成させた。野呂弁護士には大変お世話になった。この場を借りて御礼を申し上げたい。

 原告の四名は、熊本市政に対して請願等の運動を精力的に行っていた諸団体の代表者的な方々であり、様々な集会や催しに参加しては、新たに始まる政務調査費訴訟のことを宣伝して回った。また、弁護団会議も原告や支援者と一緒に行った。これにより、弁護士の活動内容がわかっていただけたと思う。口頭弁論では大法廷を毎回満員にし、毎回意見陳述を行い訴訟の進行を理解しやすいものとした。そのことにより、マスコミもよく理解して判決の報道を積極的に行ってくれた。

 こうした草の根運動が奏功した。被告熊本市長の控訴断念がそのことを証明した。今後とも、「市民自身が力を合わせて闘うことでしか、市民のための政治は実現できない」と信じる市民と団結し、世の中の改善を訴えることこそ正当な力であるいう世論を作るため訴え続けたい。



誰のための民法(債権法)改正か

大阪支部  城 塚 健 之

 民法(債権法)改正が法制審にかかったこともあって、現在、弁護士会はこれへの対応に追われている。弁護士会の研修会は、債権法改正があたかも既定の方針であり、これに乗り遅れるな、と言わんばかりの雰囲気に満ちている。私はこれに(司法改革の時にみたような)既視感とともに、強い違和感を覚えている。

 なるほど、債権法が改正された暁には、私たちがかつて勉強した債権法理論は、スクラップとまでは言わないにしても、全面改修が必要となるから、弁護士を廃業したくなければ、もう一度司法研修所に入れとまでは言わないにしても、要件事実の勉強をやり直すくらいの覚悟が求められよう。みんなが焦る気持ちも分からなくはない(これは弁護士だけでなく、司法書士等の周辺職種やパラリーガルの問題でもある)。

 しかしながら、これを既定の方針と考えるのはいかがなものか。

 今回の債権法改正は、ご承知のように、内田貴・法務省参与が率いる「民法(債権法)改正検討委員会」が作成した「債権法改正の基本方針」(別冊NBL一二六号)がベースになっている。一応、法制審では、加藤雅信・名古屋大名誉教授が率いる「民法改正研究会」の案なども検討するとなっているようだが、内田案に誘導しようという方向性は明らかである。

 しかし、そもそも、なぜ、今、債権法改正なのか。なるほど、「契約で引き受けた範囲についてのみ責任を負う」などという発想は、事前の予測性・透明性を徹底するということで、新自由主義にすこぶる親和的ではある。

 それでは誰が債権法改正を望んでいるのか。どうやら財界が改正を望んでいるわけではなさそうである。弁護士や企業法務が求めているわけでもない。裁判官が望んでいるわけでもない。今の民法で実務上誰も困っていないからである(だからこれまでの内田氏らの作業に実務家がまったく関与してこなかったのも当然といえる)。それどころか、民法学者ですら、多数は改正に消極的だそうである。そうなると、一体誰が債権法を改正したがっているのか。ただ、内田氏とその周辺の人々が盛り上がっているだけではないのか。

 内田氏は、司法制度改革を引き合いに出して、このような改革を進めるためには「読んで分かる」「市民のための民法」を作る必要があると力説する(内田貴「債権法の新時代」(商事法務)六頁以下)。しかしながら、国民の側から債権法改正を要求する声が高まっているなどという話はさっぱり聞かない。そもそも、「読んで分かる」ように既に現代用語化がなされたはずであり、それでもわかりにくいなら法文の表現を変えてもいいかもしれないが、概念それ自体を変える必要はないはずである。

 内田氏はさらに「ヨーロッパで形成されつつある共通法のモデルができるのを待って一九世紀末と同様にまた輸入するという態度をとるのか、それとも、グローバル・スタンダードが確立する前に共通法としての債権法のモデルの一つを発信しようというスタンスをとるのかが、問われている。」、「日本にとって、債権法の抜本改正は、日本の国際的プレゼンスのかかった国家戦略の問題でもある。」(内田前掲三二〜三四頁)とされる。要するに、債権法改正は国威発揚のために必要だということである。

 内田氏の議論は典型的な「上からの改革」である。それは内田氏自身が同書で批判する「エリート」の発想そのものである。

 先日、大阪の民法協と関西民科の共催の「労働法研究会」でもこの問題が取りあげられ、杉本好央・大阪市大准教授(民法)と、水口洋介・日本労働弁護団幹事長を講師に迎えて勉強する機会を得たが、疑問はいっそう膨らんだ。

 杉本准教授の紹介された平野裕之・慶応大教授の論文(ジュリスト一三九二号一〇一頁)では、今回の民法改正は「実務の必要性に応じた改正というよりも、明治時代の民法典制定をやり直す(新民法典の編纂)に等しい学理的な意義を持つ文化的営み」であり、各国で民法改正が行われる現在、「世界における日本民法または日本民法学の地位は相対的に低下する一方」なので、「世界の注目を浴びる改正をして、日本民法学が世界の檜舞台に上がる」という「夢の実現のため」とされている。要するに、世界にその名をとどろかせたいとか、歴史に名を残したいとかいうのが改正の動機のようである。

 しかしながら、そんな一部の民法学者の野望めいたものをわが国の社会全体に押しつけることが果たして許されることなのか。それで日本国民が幸せになるというのだろうか。法務省の役人は、内田氏らに押されて、改正はやむなしという態度だそうである。でも、これって、一度計画したら止められないダム行政と一緒ではないか。いや、無駄なダムなら金の無駄遣いと一部の環境破壊だけですむが、民法はわが国の社会の存立基盤そのものに関わる問題である。それが、一部の学者の趣味によって変えられてしまっていいのか。誰もそんなことを頼んだ覚えはないのに。これはもう、暴走以外の何物でもない。

 もちろん暴走による被害を最小限にとどめるために、弁護士会などで各論的な検討をしておくことは必要であろう。各論に積極面が含まれていることも否定できない。しかしながら、個別の論点ごとに、たとえば労働者に有利だとか不利だとかを論ずる前に、一体誰のための改正なのか分からない、債権法改正そのものに反対の声をあげるべきではないか。

 「やめさせよう。無駄なダムと債権法改正」。



映画『弁護士 布施辰治』完成!

事務局長  杉 本   朗

 団員のみなさんに物心両面にわたり応援していただいた、映画『弁護士 布施辰治』が、このほど完成いたしました。

完成記念有料上映会にいらして下さい

 五月二八日東京を皮切りに、次のとおり完成記念有料上映会が予定されています。みなさん、ぜひ上映会にいらして下さい。

☆二〇一〇年五月二八日(金)  一五:〇〇/一八:三〇
  東京都中野区 なかのZERO小ホール

☆二〇一〇年六月四日(金) 一〇:三〇/一五:三〇/一八:三〇
  宮城県石巻市 岡田劇場

☆二〇一〇年六月九日(水) 一三:三〇/一六:三〇
  宮城県仙台市 仙台弁護士会館四階ホール

☆二〇一〇年七月二日(金) 一〇:三〇/一五:〇〇/一八:三〇
  東京都千代田区 YMCAアジア青少年センタースペースホール

☆二〇一〇年七月三日(土) 一〇:三〇/一五:〇〇/一八:三〇
  東京都千代田区 YMCAアジア青少年センタースペースホール

 チケットの必要な方は、「『弁護士 布施辰治』製作委員会」までご連絡下さい。(連絡先末尾)

各地で上映会を企画して下さい

 団員のみなさん、ぜひこの映画の上映会を、みなさんの地元で企画して下さい。布施辰治の映画ですから、弁護士会などでの上映会もいいのではないでしょうか。

 どんな中身なのか分からなければ、上映会の企画しようがない、と不安かもしれませんが、大丈夫です。製作委員会では、一〇分ほどの予告編を作成し、上映会を検討しているところにお送りする準備が出来ているそうです。また、上映会の細かいマニュアルについても製作委員会が用意してあります。

 ちょっと予告編を見て検討してみたい、あるいは積極的に上映会に取り組みたい、という方は、同じく「『弁護士 布施辰治』製作委員会」までご連絡下さい。(連絡先末尾)

 団員のみなさん、ぜひ映画『弁護士 布施辰治』の成功にお力添えをお願いいたします。

《連絡先》

 ドキュメンタリー映画『弁護士 布施辰治』製作委員会

 一一四‐〇〇五四 東京都台東区鳥越一-二五-六

          ライオンズマンション御徒町五〇五号室

          電 話 〇三-五八四〇-九三六一

          FAX 〇三-五八〇三-九五三〇

          http://www.fuse-tatsuji.com/