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松井 繁明 【安保条約五〇年安保を語り、安保とたたかう(1)】
アメリカ単独占領の延長としての「日米同盟」
自由法曹団広報委員会 安保条約五〇年
安保を語り、安保とたたかう特集への投稿を!
神田 高 五・一六普天間包囲“人間の鎖”
内山 新吾 仁比さんと「被害の力」と沖縄、岩国
蟹江 鬼太郎 「洋麺屋五右衛門;変形労働時間悪用残業代不払事件」
菊地 修 団は司法修習生給費制維持のため本格的取り組みを!
〜給費制維持のたたかいは新自由主義とのたたかい
田中 隆 「非実在青少年」を生み出したもの
……児童ポルノ規制と不健全図書規制の交錯
水口 洋介 「より良い民法(債権法)改正」に向けて
―城塚団員の「誰にための民法(債権法)改正か」を読んで
木下 康代 自由法曹団女性部企画
「〜自由法曹団女性部の歴史を学ぶ〜女性として、弁護士として輝いて」に参加して
後藤 富士子 「選択的夫婦別姓」に反対する理由
――「法律婚」主義に潜む差別
改憲阻止対策本部 普天間基地の即時閉鎖・無条件撤去を求める新聞意見広告へご協力ください!



【安保条約五〇年 安保を語り、安保とたたかう(1)】

アメリカ単独占領の延長としての「日米同盟」

東京支部  松 井 繁 明

 今年は、いまの日米安保保障条約がむすばれて五〇年にあたる。日米安保条約体制の維持・存続をのぞむ勢力は、「日米同盟」なることばをしきりに使って日米対等を印象づけようとしている。ほんとうはどうなのか。あらためて日米安保体制を見直すべき時ではないだろうか。

 五月集会で、新入団員を中心に三沢基地の見学が企画され、私は日米安保条約についての解説を求められた。念のためいくつか資料にあたってみて、つくづく実感したのは、今日の日米安保体制の実態が、さまざまな変化をともないながらも、基本的にはアメリカ単独占領の延長でしかない、ということであった。

アメリカ単独占領下における米軍基地の設置

 一九四五年日本は、アジア太平洋戦争に敗北した。ポツダム宣言の受諾を発表した八月一五日が敗(終)戦記念日とされているが、国際法上の敗戦は同年九月二日の降伏文書への調印であった。

 これによって日本は、国際連合軍の占領下におかれた。しかしその実体は、アメリカ軍による単独占領であった。アメリカ軍は占領軍としての全権力を行使して日本各地に軍事基地を設置した。

 占領軍といえども国際人道法などの制約をうけるのだが、その違反を咎めるしくみのなかった当事のアメリカ占領軍は、まさにオールマイティーであった。軍事基地設置にあたってアメリカ軍の行使した権力は、合法か否かを問われることのない、ナマの権力=暴力そのものであった。これが今日の米軍基地の出発点であった。

対日講和条約と日米安保条約

 一九五一年九月、サンフランシスコで対日講和条約(サ条約)が締結され、翌年四月に発動した。日本は独立し、ポツダム宣言にもとづき「占領軍は直ちに日本国を撤収」しなければならない。軍事基地も当然に撤去されるはずのものであった。ただし、沖縄、小笠原、奄美各諸島についてはサ条約で日本が施政権を放棄させれ、アメリカ軍の占領がひきつづいた。さいごに沖縄の施政権が返還されたのは、一九七二年のことだった。

 そればかりでなく、本土についてもサ条約と同時に、日米安保条約(および日米行政協定)が日米間で締結されたのである。

 サ条約は事前に内容が発表され、国民の間でも論争がおこなわれたが、日米安保条約については、まったく国民に知らされていなかった。調印後に発表されたその内容は、すくなくとも軍事基地に関するかぎり、アメリカ単独占領時代の状況を、そのまま継続するものでしかなかった。

安保条約改訂とその偽まん

 当然のことながらこの旧安保条約にたいする不満があらわれ、安保改訂の要求がつよまった。日本が一方的に基地提供義務を負わされ、アメリカには日本防衛の義務もなく、アメリカ軍の行動に日本はなんの制約をくわえることもできない旧安保条約。これでは、日本は「独立国としての体をなさない」ではないかという、それなりに理由のあるものであった。

 しかしこの安保改訂の要求は、国民のなかから出たものではなく、保守政権の内部から出たものである。旧安保条約のもとで、軍事基地の新設・拡張にたいしては、内灘、新島、立川などではげしい基地反対闘争が展開された。立川基地闘争では安保条約を違憲とする伊達判決をひきだし、安保条約の無謀さはひろく知られていた。それにもかかわらず当事の国民は、ソ連・中国をふくむ全面講和を要求し、単独講和であるサ条約を前提にした旧安保条約のみの改訂などを要求していなかったのである。

 それでもこの安保改訂にたいし国民は、史上空前といえる反対闘争(六〇年安保闘争)を展開した。国民の怒りは、これによって在日米軍基地が永続化してしまうことと、国会に警官隊を導入して強行採決するという反民主的な手法とに集中した。

 一九六〇年六月に成立した新安保条約には、日米対等を実現したかのようにみせる仕掛けが二つあった。アメリカに日本の防衛を義務づけ(六条)、日本領土内にたいする攻撃にたいしては共同行動をとること(部分的集団自衛権の行使)が、そのひとつであった。もうひとつは、事前協議制である。岸・ハーター交換公文によって、軍隊の配置および装備の重要な変更、日本国内の基地からおこなわれる作戦行動には日米間の事前協議を必要とするというのである。

 しかしこれらは偽まんでしかなかった。

 一九五九年にむすばれた松前・バーンズ協定によれば、日本の防空指揮系統は日本が掌握し、アメリカ空軍はその指揮下にはいらないこと、すなわちアメリカは日本の防空に関わらないことが合意されていた。安保改訂によっても同協定は維持された。防空戦のみならず、地上戦、海上戦についても同様の了解があったであろうことは、その後の海兵隊や第七艦隊の動向からも明らかである。アメリカは、日本を防衛する意思などまったくなかったのである。

 またこの五〇年間、事前協議がおこなわれたことはいちどもなかった。そのうえ、事前協議制はまったくの骨抜きであったことが、さいきんの密約の暴露によってだれの目にも明らかにされた。

 密約によって「通過」や「移動」は事前協議の例外とされた。核兵器を積載した艦艇や航空機が日本の港湾や空港に立ちよるのは「通過」であり、日本の基地からベトナムや中東に出撃するのは「移動」のあとで攻撃するのだから事前協議は不要、というわけである。朝鮮戦争が再発したばあいは日本の領空で空中戦になる可能性があり、さすがに「移動」では説明できない。そこで、朝鮮戦争を例外とする密約までむすばれた。―なにをか言わんや、である。

 安保改訂による日米対等など偽まんにすぎないこと、すなわちアメリカ単独占領時代の状況がいまなお引続いていることは、疑いようがないのである。

今日の安保体制とたたかいの方向

 現在の日米安保体制=日米軍事同盟の実態は、六〇年安保体制のままではない。二回にわたるガイドラインの設定によって、その内容が大きく変容したからである。

 最初のガイドラインの設定(一九七八年)によって、日本の軍事基地を利用するアメリカの作戦にたいし日本が後方支援活動を共同することがさだめられた。新ガイドライン(一九九七年)では、日米共同作戦の範囲を極東からアジア太平洋に拡大した。これらふたつのガイドラインは、実質的な安保条約の改訂であったにもかかわらず、国民の反発をおそれた日米両政府が国会の承認を経ずに強行したものである。しかしこれらの安保条約「改訂」は、日米共同作戦の充実・拡大をはかるものでしかなく、アメリカの日本防衛義務やアメリカの作戦にたいする日本による制約をひろげるものではなかった。その意味では、アメリカ単独占領にもとづく強権的基地使用の実態を、少しも変更していないのである。

 普天間基地をめぐる政治の迷走は国民にたいし、海兵隊をふくむアメリカ軍が日本に駐留する意味と理由はどこにあるのか、という疑念を拡大させている。その疑念は、日米安保条約の存在意義にまでおよぶ可能性を十分に秘めるものである。われわれはいま、臆することなく、日米安保条約が憲法の平和主義に反すること、安保条約を解消することこそが日本とアジアの平和と安全に資することを訴えるべきであろう。



安保条約五〇年

安保を語り、安保とたたかう特集への投稿を!

自由法曹団広報委員会

 一九六〇年六月二三日、日本国とアメリカ合衆国の相互協力及び安全保障条約(新安保条約)が発効しました。この国と国民に、全面的な対米従属を強い続けた新安保体制の幕開けでした。同じ六月二三日、岸信介首相は内閣総辞職を表明しました。この日は、歴史的な安保改定阻止闘争が、反動内閣を打ち倒した瞬間でした。

 「自由法曹団もこれ(=安保条約改定阻止国民会議)に参加したが、・・法律家は別に安保改定阻止法律家会議をつくり、約一五〇〇人の学者・弁護士がこれに加入した。・・団員は、・・講演会、学習会に参加し、労働者をはじめ広汎な国民のなかに入っていった。またデモ行進があれば、官憲の介入あるいは暴力団の襲撃に対する監視に立ち、自ら隊伍を組んで行進した・・。」自由法曹団物語・戦後編は、安保闘争における団と団員の活動をこのように描き出しています。こんにちに至る団の悪法阻止闘争の「原型」になったのが、安保闘争だったと言えるでしょう。

 あれから五〇年になります。

 このいま、沖縄・普天間基地をめぐって、安保が生み出した対米従属の問題が鋭く告発されています。この間、対峙し続けてきた自衛隊海外派兵や新自由主義的構造改革の根底に、政治・軍事・経済の全面にわたる対米従属構造があることも明らかでしょう。

 安保五〇年を考えることは、現在の世界とこの国を考えることであり、これからの東アジアを考えることでもあります。安保の軛を断ち切った新しい時代を切り開くためにも、安保五〇年を語ることをかかすことはできません。

 こうしたことから、自由法曹団通信紙上で、「安保条約五〇年安保を語り、安保とたたかう」という連載特集を組み、投稿をお願いすることにしました。

 本号ではその第一稿として、五月集会で「新人向け安保ガイダンス」を引き受けられた松井繁明前団長に投稿をお願いしています。団員や学生として六〇年安保を体験した方はもとより、平和や基地の問題をはじめさまざまな問題に取り組んでおられる皆さんから数多くの投稿をいただき、安保五〇年をめぐる問題を多面的に検討する企画にしたいと考えています。

 積極的な投稿をお願いいたします。

 なお、紙面の都合などから、ひとつのテーマでの投稿は、最大三千字とさせていただきます。ご了承をお願いいたします。

(広報委員会委員長 田中 隆)



五・一六普天間包囲“人間の鎖”

東京支部  神 田   高

 何十回となく訪れた沖縄にはめずらしく、強い雨と風が本土からの参加者を迎えてくれた。那覇空港着陸直前で突風のため飛行機は急上昇した。お陰で同行した“三鷹の九条の会”会員は、“空酔い”に苦しめられた。

 昨年の一一月八日、普天間基地のある宜野湾市海浜公園内で、超党派の県・国外移設要求の県民大会が開かれた。二万人が参集したスタジアムで自民党の那覇市長が堂々と県民の過重な基地負担を理由に県外移設を訴えた姿とともに、沖縄と同じく米海兵隊の移駐、米軍住宅建設と闘っている井原岩国元市長の沖縄と連帯する姿が印象深かった。

 翌一月、団は移設先とされる名護市の市長選の応援に訪れ、稲嶺市長候補を激励する表敬訪問をおこなう。市の教育長を勤めた誠実な人柄と名護・辺野古移設反対の確固たる意思を感じさせた。“振興策”をかかげる移設推進派の強力な巻き返しを跳ね返し、一五〇〇票差で稲嶺市長が誕生した。

 この時、宜野湾の伊波市長とも懇談をしたが、本土マスコミではほとんど報道されていなかった在沖海兵隊のグアム移転についてのアメリカ自身の計画の詳細を報告いただいた。世界的な米軍再編の中で、海兵隊にとっても、オキナワは不可欠ではないとの印象を深めた。

 鳩山政権が参院選に向け、“普天間五月決着”のアドバルーンを上げたが、現地オキナワはこれに敏速に対応し、四月二五日嘉手納町に隣接する読谷村の運動公園で九万人の県民大集会を成功させた。大会前日にわが家族や“沖縄の会”のメンバーで沖縄入りしたが、読谷村で宿探しをしていたら、地元の女性に道を教わり、“明日の大会に参加します”と言うと“私たちもいくわ”と連帯のエールを交わした。翌日は晴れ。シンボルカラーの黄色いリボン等を身につけた子供連れが目につく。全島からのバス、全国から訪れた人々で会場は次第にあふれ、閉会後も国道五八号線を北上してくる車で渋滞した。

 地元中高校生らのエイサー風のパフォーマンスが幕開けを飾った「米軍普天間飛行場の早期閉鎖・返還と、県内移設に反対し国外・県外移設を求める県民大会」で、普天間高校生は「基地問題を日本国民が自分の問題として考えてほしい。一人でも多くの人たちに思いが届いてほしい。」と訴えた。宜野湾市長は「あくまで米国が代替施設を県内に造れと言い続けるのであれば、われわれは沖縄から米軍の撤退を求めなければならなくなる」と日米政府に決断を求めた。

 「県外・国外移設は公約でない。」と開きなおり、鳩山政権の支持率は一〇%台となった。五月一六日の一万七〇〇〇人の“普天間基地包囲行動”は鳩山政権とアメリカに対するジャストタイミングのカウンターパンチとなった。びしょ濡れとなった全国からの参加者、黄色のリボンや服を着た子どもたちを連れた家族など、二回目、三回目と普天間を包囲する“人間の鎖”は輪を広げた。

 私も、ザックに入れた着替えまで台無しになったが、参加者の顔はみな晴れ晴れとしていた。天が与えたこの“試練”は、米軍基地撤去に向けた力量を数倍に広く、深く高めてきた沖縄県民とこれに連帯する全国の仲間への“贈り物”のように思われた。

PS;包囲行動の後、宜野湾市長と名護市長は、「私たちは、名護市民や宜野湾市民のためにも沖縄の未来のためにも基地の無い平和に暮らせる沖縄を取り戻さなければならない。そのためにも、新たな米軍基地を断固として造らせてはならない。」との共同声明を発表した。



仁比さんと「被害の力」と沖縄、岩国

山口県支部  内 山 新 吾

 娘が私のカバンを隠した。トイレに入った隙にやられた。父親の困った顔を見上げて、得意気な顔をしている。休日くらいゆっくり遊んでくれ、という意思表示である。それにしても、目的のためなら実力行使も辞さないという性格は、誰に似たのだろう。そう思いながら振り返ると、妻がそばにいて、ギクッとする。私は動揺をつくろいながら、「今から仁比さんの話を聞きに行くけど、何かメッセージある?」と聞いてみる。「いつも私たちのために、ありがとうございます。体に気をつけて下さい。」とありきたりだが、夫には久しく言っていない言葉を口にする。私は、少しの間、捜し物ゲームにつきあった後、カバンとともに釈放されて、福岡の「団九州ブロック情勢問題学習会」へ向かう。

 この五月一五日の福岡行きは、案内があって、すぐに決めた。仁比さん(参院議員、福岡支部団員)の話が聞きたい、沖縄の仲山団員の話が聞きたい、と思った。私は、いま、岩国基地訴訟とマツダ派遣切り訴訟の弁護団に加わっている。どちらも、当事者の思いを考えると、ぜひ勝ちたい。判決では「勝ちにくい」事件かもしれないが、「勝ちにいく」力を身につけたい。だから、学習会の講師二人の話は、どうしても聞きたい、と思った。

 仁比さんの話は、史上(私が聞いた中で)最高に良かった。「鳩山内閣をどうみるか、なぜこんなに迷走しているのか」という政治家らしい問題提起で始まる話(この問いへの「こたえ」そのものは、聞かなくてもわかる)。しかし、話の中身は、まるごと、「団の弁護士はどうあるべきか(何ができるのか)」というテーマに置きかえることができるものだった。仁比さんは、B型肝炎、普天間、派遣法、貸金業法、水俣、有明海という、大きな政治(人権)課題へのとりくみを具体的に紹介し、それをもとに「被害論」というべき話を展開した。すなわち、「被害を受けとめる力」が政治の出発点だということ。「被害の力」が世論と政治を動かすということ。被害あるところに加害あり、加害者を明らかにし、免罪しないこと。そして、被害者の認識は、深化していくのだということ(「私憤から公憤へ」という言葉の紹介もあった)。同時に、仁比さんは、過去のたたかいから学ぶことの大切さも教えてくれた。当日午前中、大牟田での集会に参加したという仁比さんは、三井三池のホッパー前での攻防と、そこでの故諫山団員の果たした役割(最前線で敵と火花を散らす気概)を紹介した。その際、仁比さんは、その現場で歌われ警察権力の動きをとめた子守歌を口ずさんだ。仁比さんの話は、どの場面も、まるで映像(映画)を見ているようで、心に迫るものがあり、目に涙がたまった。とても一期目の議員とは思えない頼もしさにあふれていた。

 正直いうと、私は、仁比さんの、立派すぎるところ、すごすぎるところに、「不満」を感じていた。しかし、この日の話を聞いて、「立派すぎて何が悪い。すごすぎて何がいけない!」という気持ちに変わってきた。これほど、当事者にとって力強い味方(議員)はいるだろうか。これまでの私の「不満」は、けちな嫉妬心にすぎない、と恥ずかしく感じた。(だから、これからは、仁比さんが真夏にスーツをビシッと着込んでいる姿を目にしても、文句を言わないことにする。)

 仁比さんのすごさは、議員としての実績を積み重ねながら、「団の弁護士」としてもパワーアップしている、と思えるところだ。ちまたでは、「弁護士出身」の国会議員はゴロゴロいる。でも、「弁護士」は肩書きや経歴だけになってしまって、弁護士としての良さを発揮していないように感じられたり、いつのまにか「政治屋」になってしまったような人が少なくない。ところが、仁比さんは、議員になっても、弁護士のこころを持ち(いかし)つづけている。私は、「仁比パンフ」(発行・仁比サポート連絡会。ぜひ普及して下さい!)で仁比さんのことを「最強の弁護団長」と書いたが、その思いがいっそう強くなってきた。

 私は、岩国の裁判をたたかうことで、岩国から爆音も基地もなくしたい。マツダの派遣切り裁判をたたかって、原告を早く楽にさせたい、と思う。(マツダ訴訟のことは、五月集会の特別報告でも書いた。でも、私が、ノーテンキな文章を書いている間にも、原告の中には、健康を害し心も疲れ深刻な状況になっている人がいた・・・。)だから、訴訟の弁護団の一員として思う。仁比さんには、これからも議員であってもらわないと困る、と。

 五月集会の行われる五月二三日に、岩国では、米軍再編見直しを求める大集会が開かれる。どうも、仁比さんは、五月集会には参加しないで、岩国集会に来てくれるらしい。うれしいが、申し訳ない気もする。仁比さんが五月集会に出れば、熱血演説で団員を魅了するはずだ。それがかなわなくなったので、おわび(?)にできることはないかと考え、拙文を投稿することにした。(なお、仁比さんの情熱とすごさを体感するには、特製のDVD(連絡会製作)がおすすめです。)

 生きづらい世の中。「仁比リスト」が増える条件は十分あるような気がする。

 ところで、「福岡行き」を動機づけたもう一人は、沖縄の仲山団員である。なぜかよくわからないが、私は仲山団員にひかれるところがあるので、この情勢下、どうしても話を聞きたいと思った。

 仲山団員からは、普天間飛行場を中心に、沖縄の基地問題の歴史と現状について、基礎的な話をうかがい、「移設」問題をめぐる現在のたたかいの到達点と展望について語っていただいた。

 私が一番気になるのは、やはり、岩国基地との関わり、連帯の問題である。かつて、私は、沖縄の人に、「岩国への移転をどう思うか」と尋ね、「沖縄の痛みは、どこにも押しつけようとは思わない」との答えをもらって、ほっとしたことがある。仲山団員の話の中で、現地では、「県外移設」論(基地負担平等論)が、乗りこえられつつある、と聞いて安心した。私には、言葉にならないほどの痛みを背負っている沖縄の人たちが、「県外移設」を本気で求めるとは思えない。もし、本心からそう思っている人がいたとしたら、それは傷の深さのあらわれであり、悲しいことだと思う。「沖縄差別」論は、「抑止力」論を克服することとセットで、乗りこえていくべきもの、と思う。九万人集会で高校生が「日本国民すべての人が自分の問題として考えてほしい」と訴えた真意は、そこにあるのではないだろうか。

 その「抑止力」論について、私は、スローガン的に「海兵隊は実は侵略力」と反論するだけで、圧倒的多数の国民を納得させることは必ずしも容易ではないように思っている。安全保障に関しては、歴史的な視点と世界的な視野をもって、事実から学び、確固たる展望を持ちたいものだと思う。

 仁比さんの話の基調となった「被害論」は、沖縄問題を考えるうえでも、重要な視点だということが、学習会の中で確認された。安易な「基地負担平等(痛みを分かち合う)論」を克服するためには、広く国民の間で、本当の意味で「被害の共有」をする必要があるだろう。そのために、どうすればいいのか、課題も見えてきた。

 いま、岩国では、(「騒音被害の軽減のため」の)基地沖合「移設」が、実は基地の拡大・強化をもたらすものだったことが、誰の目にも明らかになっている。「負担軽減」「移設」という言葉が、被害者をだましたのだ。爆音訴訟は、本来、基地撤去自体を求めるものではないが、爆音の解消を求めて裁判をたたかう原告の気持ちが、次第に、「やはり基地はなくすしかない」と発展しているのがわかる。この認識はこれから先さらに発展していくのだろうか。自分はこれから、岩国での被害にどう向きあっていくべきだろうか・・・。

 終始、学習会の進行を明るく仕切る堀団員(福岡)に感心しつつ、私は、自分の関わる事件と当事者への思いが深くなっていくのを感じた。

 熱気が残る学習会場をあとにして、博多駅前の店で、九州の先輩団員の方々と愉快に飲む。帰りに、駅で、妻子のみやげを買う。でも、「添加物なし」の食べ物が見つからなかったから、また妻からしかられるなあ・・・と酔った頭に不安がよぎる。「議員一〇人分」くらいの活躍をして激務続きの仁比さんは、どんなみやげを持って帰るのだろうか。

(五月二〇日記)



「洋麺屋五右衛門;変形労働時間悪用残業代不払事件」

東京支部  蟹 江 鬼 太 郎

一 事案の概要

 本件は、東京の錦糸町のパスタ店「洋麺屋五右衛門錦糸町テルミナ店」にアルバイトとして接客・調理業務に従事した原告が、(1)会社が主張する変形労働時間制は違法であるので、労基法三七条に基づく残業代を支払え、(2)タイムカードで把握される賃金本給にも一五分未満の労働時間の切捨てがある(未払いがある)、として「五右衛門」を経営する日本レストランシステム株式会社に対し、未払い賃金総計二〇万九四五一円の支払いを求めた事件である。

二 争点

 会社は、(1)半月単位の変形労働時間制を適法に導入しており、その点は労基署にも確認して貰ったので残業代の未払いはない、(2)労働時間はタイムカードではなくシフトで把握しているので本給の未払いはない、と主張し、(1)変形労働時間制の成否及び(2)労働時間の把握方法が主要な争点となった。

三 東京地裁判決

 二〇一〇年四月七日、東京地裁(藤井聖悟裁判官)は、会社に対し未払残業代四万二九九五円および付加金三万七七四九円、未払時間給四万二七三六円、合計一二万三四八〇円及び遅延損害金の支払いを命じる判決を下した。

 判決は、(1)変形労働時間制の適否につき、「被告が採用していた変形労働時間制は就業規則によれば一か月単位のそれであったのに、半月ごとのシフト表しか作成せず、変形期間全てにおける労働日及びその労働時間等を事前に定めず、変形期間における期間の起算日を就業規則等の定めによって明らかにしていなかったものであって、労基法に従った変形労働時間制の要件を遵守しておらず、かつ、それを履践していたことを認めるに足りる証拠もない」として、被告が採用したと主張する変形労働時間制は無効であると判断した。

 また、判決は、(2)労働時間の把握方法の点についても、「被告は、シフト表と併せてタイムカードによっても原告の出退勤の管理を行っており」と事実を認定して、タイムカード記載の労働時間の切捨てを認めず、被告に対し、一五分未満の切り捨ててきた賃金を支払うように命じた。

 また、(3)付加金については「被告は、本件未払時間外手当の請求について十分な資料根拠に基づかずに変形労働時間制の主張を行ってその支払を拒絶してきている」と判示して、被告に対して三万七七四九円の付加金を支払うよう命じた。

四 本判決の意義

 本判決は、変形労働時間制度が就業規則等の面においても、労働日や労働時間の事前特定の面においても不十分であったとして、その違法な運用に際しては、原則にもどって労基法三二条一項、同三七条によって、時間外労働割増賃金が支給されるべきことを示した。

 この判断は当然のことであると思われるかもしれないが、実は大きな意義がある。

 一つは、飲食業界においては、本件と同様、当日の来客数や売上高に応じてアルバイト従業員を「臨機応変に」休憩に出したり逆に残業させたりと人件費を調整する取扱を行っている店舗が少なくない。このように使用者にとって「臨機応変で」「都合のよい」労働時間管理を行いつつ「変形労働時間制」を採用して残業代支払義務を免れることは許されないことが明らかになったのである。

 もう一つは、本件において労基署は、「就業規則にある一ヶ月単位の変形としては無効だが、実態としての半月単位の変形労働としては有効の可能性がある」という意味不明の説明を原告や原告の加入する首都圏青年ユニオンに対して行っているからである。判決が示した当然の法理(変形労働時間制として適法でない以上労基法の原則に戻る)を明らかにしたことは大きい。

 判決後、被告は、認容額及び支払日までの遅延損害金の全額を当方に支払った上で、控訴した。

 本事件は、このように、労働基準法からすれば当然の内容が実現したに過ぎない事件であり、法解釈として新境地を開いたものではないのかとも思う。

 しかしながら、あたり前のことがあたり前として判断されるよう、控訴審でも力を尽くしていきたい。

 なお、本件の弁護団は、笹山尚人弁護士(東京法律事務所)、西田穣弁護士(東京東部法律事務所)と私である。

 弁護士になって三年目に過ぎない私は、この事件で原告主尋問を担当し、多少(?)尋問に自信が持てるようになった気がする。尋問事項や尋問の方法の細部についてまで指導していただいた両弁護士や、このような機会を与えてくれた原告や首都圏青年ユニオンにも密かに(?)感謝している。



団は司法修習生給費制維持のため本格的取り組みを!

〜給費制維持のたたかいは新自由主義とのたたかい

宮城支部  菊 地   修

 司法修習生に対する給費制は二〇〇四年一二月の法改正により本年一一月をもって廃止され、その代わり必要な者に修習資金を貸与する貸与制が導入される。

 現在団には、改憲問題、派遣法改正問題、貧困問題、比例削減・国会改革問題、米軍普天間基地問題など全力で取り組むべき課題が多い。しかし、それらと同等に、むしろそれ以上に重要なのがこの給費制の問題ではないかと思う。それは、将来の国民の権利の担い手にかかわることだからである。ところが団は全体としてこの点の認識が不十分ではないか、こういう問題意識で投稿することにした。

 以下で偉そうなことを書くが、実は私がこの問題の重大性に気付いたのは恥ずかしながら本年一月のことである。本年一月から新六二期の若い弁護士が事務所に入所し、彼らから今のロースクール生の実態を聞き、これはとんでもない事態になっていることが分かった。そのうえ給費制が廃止されてしまうのでは、金持ちしか弁護士になれなくなったり、借金まみれの弁護士が大量に発生する危惧感、これが出発点であった。

 すでにご承知のことと思うが、現在修習生はロースクールの奨学金等で平均三一八万円の負債を抱え、最高で一二〇〇万円の負債を抱える者もいる。私が知っている修習生も七〇〇万円、八〇〇万円の者がざらである。このうえ、修習生に対する給費制が廃止され貸与制になれば(ほとんどの者は貸与を受けることになると思われる)、これに新たに三〇〇万円を超える負債が加わる。これでは、富裕層でない層の出身者は最初から弁護士等を目指すことを断念せざるをえなくなるだろう(現状でも司法試験合格率の低下等によりロースクールの受験者数は激減している)。「有為かつ多様な人材の確保」という理念はどこかに吹っ飛んでしまう。また、無理に借金を重ねて弁護士になったとしても、なった時点で借金まみれである。そういう弁護士は事件選択の際どういうインセンティブが働くか。やはり、目先の金になる事件ばかりを優先することになるのではないか。

 そもそも国が修習専念義務を課してアルバイト等を禁止しておきながら、給費を出さないのは理不尽である。臨床研修医制度において国が国費を投じて研修医師に給与を保障していることとの比較からしても(この制度は司法修習制度をモデルにしたものと言われている)、不合理である。

 二〇〇四年一二月の法改正により給費制を廃止した理由は、受益者負担論である。二〇〇二年一一月の財務省財政制度等審議会の「建議」にちゃんと「受益と負担の観点から給費制は早急に廃止し、貸与制にすべきである」と明記されている。弁護士になればもうかるんだから(今はとてもそういう状況ではないが)貸与制でいいんだという発想であり、まさに新自由主義的発想である(そういえば、二〇〇一年の司法制度改革審議会意見書にも「給費制の廃止」が検討項目に入っていた)。

 二〇〇四年一二月一日の参議院法務委員会において、日本共産党の大門実紀史議員はまさにこの点を突いていた。同議員は、「限られた司法予算の中で給費制を維持することは国民の理解を得られない」との政府答弁に対し、財政上の理由というつまらない低次元の理屈で戦後続いてきた給費制を廃止することはナンセンスであること、廃止の根底にあるのは「受益者負担論」という新自由主義であること、借金を抱えたまま弁護士になるとその若い弁護士にどういうインセンティブが働くのか危惧する、お金にならないボランティアの事件をやらなくなるのではないか、これが一番問題であること、国民の理解を得られないと言うが国民にアンケートでも取ったのか、国民は決して給費制廃止を望んではいない等政府を追及している。この大門議員の質問は秀逸であり、今日でも大いに参考になる。ぜひ多くの団員に読んでもらいたいと思う(参議院のホームページから入手可能)。当時はまだロースクールにどれほどお金がかかるかまだ不透明な時期であったが、その実態が明らかになった今日では上記大門議員の指摘はいっそうあてはまる。

 二〇〇四年当時は小泉流構造改革・規制緩和が猛威をふるっていた時期であった。その嵐の中であえなく餌食になったのが給費制である。したがって、給費制維持を求めるたたかいは新自由主義とのたたかいに外ならない。そして、新自由主義の破綻が誰の目にも明らかになった現在では、十分勝算があるたたかいであると思う。

 弁護士同士で議論すると出てくるのが「全くそのとおりだが、市民の理解が得られないのではないか」である。しかし、私はこの間の活動の経験から、市民の理解は必ず得られるものと確信している。

 本年三月、仙台で「市民のための法律家を育てる会」を立ち上げ、一〇〇名規模の市民集会を開催した。この会は地元私立大学の元学長や歯科医師等を共同代表に、弁護士のみならず幅広い市民が呼びかけ人になって結成したものである。集会では、弁護士になったら労働事件や貧困問題をやりたいと思っている志ある貧乏修習生が借金返済を第一に考えた結果、テレビCMで派手に広告している大手債務整理系事務所に就職し、そして一〇年後見事に変身を遂げる「CHANGE〜変身」という寸劇を、弁護士有志(劇団あおば)が上演し大好評であった(この寸劇は五月一八日の日弁連の集会でも上演される)。また、リレートークでは市民の方々から、「この問題は弁護士の問題ではない。法的サービスを受けるわれわれ市民の権利の問題である」、「心根の優しい弁護士さんを絶やしてはならない」といった積極的発言が相次いだ。

 仙台弁護士会では本年三月給費制維持PTを立ち上げ、私が担当副会長になり、上記市民団体と一緒にこの間多数の街頭宣伝行動(チラシ配り、署名活動)を行ってきた。意外にも市民の反応は良く、「そんな問題あるとは知らなかった」「お金がないと裁判官や弁護士になれないのはおかしいですね」、「子どもの学費の問題と同じで、どの分野にも経済格差が導入されるんですね」等と言ってくれて、多数の市民が署名に応じてくれている。経済力により格差が持ち込まれることについて市民は敏感である。五月一五日時点で署名は九〇〇近く集まっている。私の依頼者などはブログ(一日のアクセス数は三〇〇件)でこの問題を宣伝してくれて、かなりの数の書き込みがある。その中に否定的な書き込みはない。このように外に打って出れば市民の理解は必ず得られるものと確信している。また、仙台弁護士会では地元国会議員回りも精力的に行っており、国会議員の反応もおおむねよい。

 事は権利の担い手の問題である。団の将来問題にとどまらず、日本の弁護士層の変質をいかに防ぐかという大問題である。当然、ロースクールの学費のところをどうするのかも検討する必要があるが、まずは修習生に対する給費制廃止阻止である。一一月まで残された時間は余りに少ない。しかし、市民に訴え、世論を動かし、マスコミを動かし、国会議員を動かせば、私は十分可能であると考えている。九月の臨時国会に向けてこの夏が勝負である。

 そのために、日弁連で対策本部を立ち上げたように、団本部でも早急に対策本部を立ち上げていただきたいと思う。また、全国の団支部に給費制廃止反対の取り組みを呼びかけたい。

 ということで、今日は司法試験の最終日。宮城ではこれから司法試験会場に行って受験生相手に給費制維持の署名活動、チラシ配りに行ってきます!

(二〇一〇・五・一六記)



「非実在青少年」を生み出したもの

……児童ポルノ規制と不健全図書規制の交錯

東京支部  田 中   隆

一 「非実在青少年」の登場

 「非実在青少年」という言葉が一躍流行語になった。

 俗語ではなくれっきとした法律用語。「年齢又は服装、所持品、学年、背景その他の人の年齢を想起させる事項の表示又は音声による描写から一八歳未満として表現されていると認識されるもの(以下『非実在青少年』という。)」(東京都青少年条例改正案第七条二号)が、その「ルーツ」である。「一八歳未満として表現されている青少年」だから実在する青少年の写真や映像ではなく、コミックやアニメに登場するキャラクタのことになる。

 三月に東京都議会に提出された改正案では、非実在青少年を当事者とする性交などの描写で、「みだりに性的対象として肯定的に描写することにより、青少年の性に関する健全な判断能力の形成を阻害」するものが、規制の対象になる。まずは業界団体による自主規制を行わせ(第七条)、「強姦等著しく社会規範に反する行為を肯定的に描写したもの」は不健全図書に指定して青少年への販売を禁止する(第八条)という二段構えである。

 青少年の性行為を肯定的に描写するコミックは確かに存在するが、一六歳から婚姻できる法制をもつ国ではことさら不自然というものではない。また、性行為の描写を見ることが青少年の性的成長を歪めるという学問的知見がないことは、東京都も認めている。

 にもかかわらず、抽象的な基準での規制を認めれば、青少年の性を描いたコミックはいつ「有害図書」の烙印を押されるかわからない。コミック作家をはじめとする言論・出版界からの厳しい反対・批判を受け、改正案が異例の継続審議に追い込まれたのは、そのためである。

二 二つの図書規制

 今回の改正では、青少年条例による不健全図書規制と児童買春・児童ポルノ処罰法(以下、「児童ポルノ法」)による児童ポルノ規制という性格を異にする二つの図書規制が、意図的に混同され、交錯させられている(児童ポルノ法の「児童」は一八歳未満だから、条例の「青少年」と同義である)。

 東京都青少年条例は、「性的感情を刺激」「残虐性を助長」「自殺若しくは犯罪を誘発」の要件にあたる図書を指定し(個別指定)、指定図書の青少年への販売を禁止するシステムをとっている。これらの要件も次第に拡張されてきているが、それでも性的非行や自殺を引き起こす具体的な危険を伴う図書に限定され、相当厳格に運用されている。東京条例以外では、自動的に不健全図書とされる包括指定が採用されているが、要件そのものは変わらない。この図書規制の本来の目的が、読み手の青少年を自殺や性的非行から守るところにあることは言うまでもない。

 これに対して、児童ポルノ法は、「児童を相手方とする又は児童による性交又は性交類似行為に係る児童の姿態を視覚により認識することができる方法により描写したもの」などを児童ポルノと定義し(第二条第三項)、児童ポルノの販売・頒布、販売等目的の製造・所持を処罰する。写真やビデオを対象とする児童ポルノの目的は、被写体とされる児童の人権や人格を保護することにあり、善良な風俗の維持や読み手の成長の保護が目的ではない。

三 児童ポルノ法改正から青少年条例改正へ

 二つの図書規制のうち、先に動きが起こったのは児童ポルノ法であった。〇九年通常国会に自民・公明両党と民主党が改正案を提出したが、衆議院解散でともに廃案となった。自公改正案は、単純所持罪の新設とともに、「児童ポルノに類する漫画等」の規制の検討を附則に加えたもの、他方、民主改正案は、児童ポルノの要件の厳格化と反復所持罪の新設などで漫画等への拡張には言及していない。

 自公改正案は、児童ポルノを「児童ポルノに類する漫画等」に拡張してコミック等に規制を及ぼすことを示唆している。人権・人格の享有主体でない「非実在児童」に規制を拡張することは、被写体の児童の人権を擁護する人権法から、「社会的有害図書」を駆逐する治安法に、児童ポルノ法を変質させることを意味している。

 この改正案を推進したのは、前田雅英首都大学教授であった。その前田教授は、今回の青少年条例改正案の前提となった東京東京都青少年問題協議会の専門部会の座長をつとめている。

 前田教授主導の青少協によって、「社会的有害図書」と目されるコミックの規制が青少年条例に持ち込まれ、性的非行や自殺などの具体的な危険を伴わない抽象的な基準による図書規制の導入がはかられた。「非実在青少年」とは、性格の異なる二つの図書規制を交錯させ、児童ポルノ法で果たせなかった規制強化を青少年条例で実現するためのキーワードと考えていい。

 「江戸の敵を長崎で・・」に等しいこうした改正が、青少年条例の図書規制に変容をもたらし、言論・表現の自由と性的自己決定能力の育成に、深刻な問題を発生させることは論を待たない。

四 五月一八日 都議会と国会

 さる五月一八日、はからずも東京都議会総務委員会で参考人陳述に立つことになった。長いつきあいの共産党都議団からの依頼を断りきれなかったためである。賛成・反対各二人ずつの参考人で、賛成側が前記の前田教授と赤枝恒雄六本木診療所長、反対側が宮台真司首都大教授と筆者である。

 賛成(自民・公明)、反対(共産)、慎重(民主・ネット)を問わず、議員の質問は極めて真剣で、傍聴人やメディアで埋まった議場は緊迫感に満ちていた。採択直前に行われるのが常の国会での参考人陳述に比べて、残った疲労も深かったが、学んだものも大きかった。他の参考人の陳述・質疑は聞いていないので論評しようがないが、メディアの観測では「反対意見が優勢だった」そうで、自民・公明のかたちだけの修正案は民主に拒否されたとのことである。

 いささか蛇足めくが、対応を続けている国会方面との、奇妙な交錯をあと二つ。

 まずは国会改革法案。五月一四日提出の法案では、委員会から政府参考人(=官僚)だけでなくすべての参考人を排除することになっており、強行されれば国会の委員会で意見を聞かれることはもうなくなる。「意見聴取会」を設置して官僚や学識経験者の意見や説明を聞くそうだが、委員会と切り離された「聴取会」では真剣度や緊迫度に雲泥の差が出るに違いない。「国権の最高機関」のはずの国会は、「都議会以下の議会」に転落することになるようである。

 次は改憲手続法。附則と附帯決議で是正を突きつけられた欠陥法は、陳述を行った五月一八日に、是正なきまま「かたちだけの施行」に至った。是正の眼目のひとつは成人年齢の一八歳への引き下げであり、是正が怠られたからといって国会が成人年齢引き下げを採択したことの意味は変わらない。青少年や若者の人権主体性を拡大しようとする流れのなかで登場した規制強化は、こうした趨勢に対する「ためにする逆行」以外のなにものでもない。

(二〇一〇年 五月二二日脱稿)



「より良い民法(債権法)改正」に向けて

―城塚団員の「誰にための民法(債権法)改正か」を読んで

東京支部  水 口 洋 介

 団通信で、大阪の城塚健之団員の「誰のための民法(債権法)改正か」を読みました。私が大阪の民法協と関西民科の労働法研究会で「債権法改正」について報告したことにも触れられていますので、私の意見も述べたいと思います。ちなみに、私は労働弁護団幹事長の職にありますが、民法協での報告も、この駄文もすべて個人の見解であり、労働弁護団の見解とは縁もゆかりもないことをお断りしておきます。

 二〇一〇年一〇月、千葉景子法務大臣は、法制審議会(法制審)に民法(債権法)の改正を諮問しました(諮問第八八号)。これに先立ち、二〇〇六年一〇月に発足した民法(債権法)改正検討委員会(「検討委員会」)は、二〇〇九年四月に「債権法改正の基本方針」(「基本方針」。NBL別冊一二六号)を発表しています。この検討委員会は、建前上は学者の私的研究会と言われていましたが、事務局長である内田貴氏(元東大教授)は法務省民事局参与、多数の法務省民事局参事官や局付が関与しているために、法務省「肝いり」のオフィシャルな委員会であると誰もが思っていました。この基本方針は「条文一歩手前」の具体的な試案です。

 さて、「民法改正が必要なのか」と正面から問われれば、私は「現代社会の要請に応える民法改正が必要だ。」と答えます。ある弁護士(経営法曹)から我妻栄博士の民法講義「新訂民法総則」(一九六五年刊)に民法改正の課題について次の論述があると教えてもらいました。

 「要するに、民法典の財産関係についての規定は、形式的な自由と平等の原理に貫かれたものであって、それが現実の社会に適用されるに当って、わが国の社会的・経済的事情のいかんにより、一方では、従来の封建的な関係を自由なる契約の名において是認しながら、近代法思想の狙いである個人の自主性の確立の理想に達しない場合があると同時に、他方では、その理想を通り越して、資本主義的な富の偏在のために、右の原理そのものが不合理な結果を導いている場合もある。もちろん、この区別は、必ずしも明瞭ではないであろう。しかし、民法典の規定が不都合な結果を生ずるという中にも、右の両面の場合のあることを理解することは、民法典の改正を考える際には、極めて重要なことと言わなければならない。」

 「基本方針」の条文試案を見ると、このような現代的要請に応えようとするものも含まれています。また、加藤雅信教授が中心となる民法改正研究会の「日本民法典財産法改正 国民・法曹・学会有志案」(法律時報増刊・二〇〇九年一〇月)も民法に解雇権濫用法理を明文化することを提案しています。双方、意欲的です。

 我妻博士が指摘される「資本主義的な富の偏在ために、右の原理そのものが不合理な結果を導いている」ことを是正するため、「基本方針」の提案には注目すべきものがあります。例えば、新しい公序良俗規定として、「当事者の困窮、従属もしくは抑圧状態、または思慮、経験もしくは知識の不足等を利用して、その者の権利を害し、または不当な利益を取得することを内容とする法律行為は、無効とする」との条項を提案しています(前記NBL二〇頁【一・五・〇二】)。これは従来の暴利行為の法理を一歩進めたものです。

 多くの労働者が使用者の解雇や不利益取扱いの脅しにより、退職強要や労働条件の不利益変更を押しつけられ泣き寝入りさせられている現実はご承知のとおりです。この規定はその救済に活用できます。また、継続的契約を規律する条文も提案しています(前記NBL四一七頁【三・二・一六・一四】)。これによれば「期間の定めのある契約の終了」について、「更新の合意が認められない場合であっても、契約の目的、契約期間、従前の更新の経緯、更新を拒絶しようとする当事者の理由その他の事情を照らし、更新を拒絶することが信義則上相当でないと認められるときは、当事者は、相手方の更新の申し出を拒絶することができない」としています。これは有期の雇用契約にも適用されますから、判例の雇止め法理の明文化です。その他にも、不実表示の一般法化、消費者契約法(の一部)統合、約款の要件と約款規制、事情変更の制度化など注目すべき提案をしています。

 他方で、基本方針は、われわれ実務家が慣れ親しんできた法制度や法概念の全面改正を提案しています。曰く、「危険負担制度を廃止して解除に一元化すべき」。曰く、「債務不履行責任の『過失責任主義』を転換し、『契約において債務を引き受けていなかった事由』を債務者の免責事由としてすべき」。曰く、「債権消滅時効は客観的時効と主観的時効と両建てにすべき」等々。われわれ弁護士は(きっと裁判官も)戸惑うばかりです。この点は法的安定性・連続性に考慮すべきであり、全面改正には慎重な審議が必要で拙速なとりまとめには賛成できません。

 一一〇年前に制定された「民法」(財産法)は、「近代日本」を形成するため、薩長藩閥政府による「開発独裁」の「上からの改革」によって制定されました。しかし、この民法が現在まで日本社会に定着してきたことは間違いない。この古い民法を現代に対応させて、我妻博士が指摘する「課題」を克服するために、より良い民法(債権法)改正を求める努力は無駄ではないと思います。問題は、そのような改正ができるかどうかですが。確かに努力しても「進歩」しない事態はままあることです。が、努力がなければ何事も「進歩」しないことも事実でしょう。

 法務省は、労使の対立を民法改正に持ち込みたくないのが本音だろうと思います。民法(債権法)改正をスムーズにすすめるために、労働法に大きな影響を与える事項については労働政策審議会に委ねるという仕切りをするでしょう。したがって、先に述べた積極面も放置をすれば消えるかもしれません。それを傍観していて良いのでしょうか。

 今回の民法(債権法)改正は、現代社会に対応した、より良い民法(債権法)改正を実現するチャンスでもあります。そして、労働法分野で言えば、債権法改正は、内容次第では、労働契約法を労働者保護に役立つ包括的かつ抜本的に改正するためのインパクトになるかもしれません。無駄なダム工事になるのか、建設的な公共工事になるのか、それはこれからの取り組みにかかっているのではないでしょうか。



自由法曹団女性部企画

「〜自由法曹団女性部の歴史を学ぶ〜

女性として、弁護士として輝いて」に参加して

滋賀支部  木 下 康 代

 二〇一〇年四月二二日、前記団女性部の企画に参加しました。参加した率直な感想は「とにかく楽しい!そしてためになる」。

 今回の企画の趣旨は、女性弁護士や女性修習生も増加し、以前よりは女性差別がなくなったかのように思われているが、最近では、今般の就職難等により、女性弁護士や女性修習生等が再び、セクハラやパワハラの被害者になるケースが増えている、そのような状況から、もう一度女性部の歴史を見直すといったものでした(この日、私は関東在住者以外の唯一の参加者であり、会の冒頭は緊張気味であったため、このあたりの記憶が定かではなく不正確かもしれません。すみません)。そこで、まず、団女性部の歩みが冊子と共に紹介され、私は初めて「団の内部での女性弁護士の権利を守る」という団女性部が発足した意外な経緯を知りました。

 しかし、何といっても、今回の企画の目玉は、弁護士活動を行いながら家事や育児をこなしてこられた大先生四人のお話しでした。貴重なお話を聞く機会に恵まれ、滋賀県から参加した甲斐があったと感動しました。

 坂本福子弁護士からは、数々の労働事件のお話しを伺いました。当時女子定年三〇歳制が当然であり、組合からも見放されたような依頼者と共に闘い、新しい判例を作ろうとして努力されたこと、その依頼者らとのつながりのおかげで現在まで弁護士としてやってこられたこと等大変興味深いお話しを伺いました。他方、お忙しい中、今でも野菜類は必ずご自分で買い物されていることなど家庭との両立のお話も伺い身近に感じさせていただきました。

 また、亀井時子弁護士のお話しの中では、「経済的基盤がなくても民主的活動ができる」というお話が一番印象に残っています。女性弁護士は苦難の連続であり、弁護士になった当初はまともな事件などなかった、逆に時間があったからこそ社会的な活動ができたのであり、そういった活動を続ける中で仕事になるものが出てくるんだというお話には感心することしきりでした。

 さらに、杉井静子弁護士のお話しでは、「団女性部の活動も日弁連の活動も偏ることなく積極的に行う」「育休期間中の仕事は代わってもらえるが依頼者は逃げる。一人目二人目を産んだ時には依頼者は逃げたが、弁護士になって一〇年ほどたったときに産んだ三人目の育休のときには依頼者は待っていてくれた」など、家庭と子育て、仕事とを両立させなくてはならない自分たちの世代には大変心強く感じるお言葉の数々を伺いました。

 また、平山智子弁護士からは、「子育ては楽しい。子どもを保育園に入れると弁護士ではなく保育園のお母さん同士のつながりができ、その経験が大変役に立った」「候補者として活動していた時、近所の方がおかずを作って届けてくれたり、子どもを見てくれたり。そのときの人脈が今の自分を作っている」など、人とのつながりの大切さを教えていただきました。

 女性弁護士にとって苦難の時代を乗り越え、自らの力で仕事を開拓されてきた先生方のお話しは、大変興味深く、時間も忘れて聞き入りました。その内容は多岐に渡っており、この場で一部しか紹介できないのが本当に残念です。

 また、先生方は、パワフルで明るく、まさに「女性として弁護士として輝いて」おられました。「女性としてこうありたい」と思う素敵な先生方にお会いし、家事や育児も自分のプラスの経験に変えるためには、どんなに大変な時期にも仕事を続けることが大切だと身を持って感じました。

 当日、会に参加されていた先生方もパワーあふれる方ばかりで、仕事のこと育児のこと女性部のことなど話題は尽きることなく、懇親会も大いに盛り上がりました。東京に着いた頃には、日常の家事と育児(一歳四カ月のいたずら坊主)と仕事に追われ息切れしていましたが、帰る頃にはすっかり元気を取り戻し、夫や子どもに対する感謝の念も取り戻したのでした。

 私の拙い文章では、団女性部の素晴らしさを伝えきることはできません。特に、子育て世代の女性団員の方に、女性部の企画に参加されることをお勧めします。団女性部の活動は、「とにかく楽しい!そしてためになる」こと間違いありません。



「選択的夫婦別姓」に反対する理由

――「法律婚」主義に潜む差別

東京支部  後 藤 富 士 子

一 「選択的夫婦別姓」の欺瞞

 「選択的夫婦別姓」は、夫の姓を称する法律婚をしながら婚姻前の姓を通称として使用している数多の女性弁護士の長年の野望である。それは、「事実婚の不便」と「通称の限界」という、いずれも「生活の便宜」上の要求である。しかるに、それを、憲法原則で粉飾している。

 まず、名前は人間の個人を表象するものであり、個人の尊厳を守るという憲法の大原則から考えても「人格権」として尊重されるべきという論拠が挙げられる。しかし、そうであれば、なぜ「選択的」なのか? 端的に「夫婦別姓」にすべきであろう。そして、これこそ戸籍制度を根底から破壊する。なぜなら、戸籍制度の大原則は「同氏同戸籍」だからである。「選択的」というのは、本質的に日和見主義である。

 戸籍制度の大原則との関係で日和見主義なのは、別姓を選択する妻(夫婦ではない)が少数の「持てる女」と解っているからであろう。その論理は、結婚願望から「改姓願望」を持つ人もいることを踏まえ、別姓を希望する人に「同姓」を法律で強制しないようにするために「選択制」なのだという。そして、反対論が「家族の絆が壊れる」と主張するのに対し、家族の絆を「同一の姓」で縛らなければならないほど弱いものしか築けないのか、と反論する。

 しかしながら、別姓を希望するなら、なぜ事実婚で通さないのか。それこそ、家族の絆を戸籍制度で守ってもらわなければならないほど弱いものしか築けないのか、と言いたい。そして、昨今の離婚紛争を見ていると、法律婚制度こそ家族破壊の道具になっているのである。

 「選択的夫婦別姓」論は、事実婚の不利益を回避する方策にしているにすぎない。子どもを婚外子にしたくない、配偶者扶養によるメリット、保険証・銀行通帳・パスポート等通称では通らない・・・。なぜ、「事実婚を法律婚と同等に扱え」という要求にならないのか? 推進派である「持てる女」の、その「志」の低さに唖然とする。

 そもそも憲法第二四条一項は「婚姻は両性の合意のみに基づいて成立する」と謳っているではないか。それにもかかわらず、民法では婚姻の要件を定め、「婚姻は、戸籍法の定めるところにより届け出ることによって、その効力を生ずる」(民法第七三九条一項)とし、届出の様式まで規定している。世界に冠たる日本の戸籍制度は、「法律婚優遇」政策に守られている。しかし、婚姻の国際化、離婚の増大などの現実は、「法律婚優遇」政策の変更を迫っているように思われる。

二 婚外子差別は事実婚差別から来ている

 「選択的夫婦別姓」を導入する民法改正論は、その欺瞞を隠蔽するように、同時に非嫡出子差別撤廃も入れている。とはいえ、民法の非嫡出子差別としてあげられるのは、相続分差別だけである。「生まれた子には罪はない」というのが差別撤廃の論理だが、裏返せば、「産んだ女」には罪があるというのであろう。

 事実婚を法律婚と同等に扱うことを考えると、法律婚の要件である重婚禁止、婚姻適齢、再婚禁止期間、近親婚の禁止、直系姻族の婚姻禁止、養親子等間の婚姻禁止などを潜り抜けることを容認しなければならない。そして、「選択的夫婦別姓」を標榜する「持てる女」には、到底容認できないのではなかろうか?

 日弁連が人権大会で選択的夫婦別姓導入と非嫡出子差別撤廃を求める民法改正を決議したのは一九九六年のこと。それから、一四年も経過して、今や「法律婚優遇」の逆襲が問題になっている。「三〇〇日問題」、フィリピン女性と日本人既婚男性との間に生まれた子の日本国籍など・・・。一方、性同一性障害の同性夫婦の子を嫡出子と認めろというように、伝統的な「両性の婚姻」ではないものを「法律婚」に取り込んだ結果生じる制度上の矛盾に立ち往生している。

 このような現実を見ると、「選択的夫婦別姓」は、極めて不合理な政策というほかない。むしろ、「事実婚を法律婚と同等に扱え」ということこそ、民法改正の論理であるべきと思う。人間の内心を法律で縛ることなどできない。そして、法制度の下に人間がいるのではなく、法制度は人間が幸せになるための道具であることを、法律家は肝に銘じるべきではないだろうか?

(二〇一〇・五・四)



普天間基地の即時閉鎖・無条件撤去を求める新聞意見広告へご協力ください!

改 憲 阻 止 対 策 本 部

 鳩山政権は迷走の末、「抑止力」の維持などと称して、普天間基地を辺野古へ移設すると表明しました。

 鳩山政権は、自公政権と同じく無条件撤去を願う沖縄県民の願いを歪め、「移設」にすりかえ、「移設」候補地さがしに明け暮れてきました。そのうえ日米両政府は、抑止力の維持などと称してあくまで機能を沖縄に残そうとしています。沖縄県民の負担軽減とか、沖縄の痛みをわかちあうなどと偽って、基地の重圧を全国にも押し付けようとしています。

 しかし、住宅密集地のなかに存在し「世界一危険な基地」と呼ばれる普天間基地の即時閉鎖、“無条件撤去”は待ったなしです。沖縄では日米両政府に県民の意思を示そうとたたかいを重ねてきました。昨年は総選挙では四選挙区で新基地建設賛成候補者を追放し、そして名護市長選挙の勝利、超党派で全会一致した「県内移設反対」の二・二四県議会決議、九万人が結集した四・二五県民大会へと発展してきました。

 沖縄のたたかいをさらに引き上げ、日米両政府を追い込み、「普天間問題」を解決させるためには、「県内移設反対」から、「無条件撤去」に向かって、いまこそ沖縄県内の世論を、そして国民全体の世論を高める必要があります。

 そこで、沖縄統一連、沖縄革新懇・安保破棄中央実行委員会が呼びかけ、普天間基地の閉鎖・無条件撤去という県民の要求を正確に示すため意見広告を県内二紙に掲載することになりました。全国の個人・団体に賛同の要請がなされています。掲載及び賛同金の要領は下記の通りです。

 「普天間基地の即時無条件撤去」をめざし、改憲阻止対策本部からも、支部、法律事務所、団員、事務局の皆様にも出来る限りのご協力を頂けるよう呼びかけます。

◇ 名 称  普天間基地の即時閉鎖・無条件撤去を求める意見広告

◇ 概 要  六月一三日(日)付「琉球新報」「沖縄タイムス」の二紙に掲載

◇ 賛同金  個人一口一〇〇〇円、団体一口五〇〇〇円(何口でも結構です)

◇ 申し込み方法  個人・団体名、住所、電話番号、FAX、口数金額を明記の上、安保破棄中央実行委員会にEメール、FAXなどでお申し込みください。

◇ 締め切り 六月一一日(金)…締め切り以後も入金は受けつけます

◇ お知らせ 紙面を有効に使うため、主催団体(沖縄県統一連・沖縄革新懇・安保破棄中央実行委員会)と、その加盟団体名を掲載し、それ以外の団体名・個人名は掲載しませんのでご了承ください。

◇ 連絡先  安保破棄中央実行委員会

       〒一〇一―〇〇六一 東京都千代田区三崎町二―一一―一三 MMビルII五〇二

 電 話  〇三―三二六四―四七六四

 FAX  〇三―三二六四―四七六五

 E-Mail  anpohaiki@nifty.com

 郵便振替 〇〇一二〇―三―二五三二二〇 (口座名 安保破棄中央実行委員会)