過去のページ―自由法曹団通信:1347号        

<<目次へ 団通信1347号(6月11日)


菅野 昭夫 ピーター・アーリンダー弁護士がルワンダ政府に逮捕される。
即時釈放要請に取り組もう
根本 孔衛 【安保条約五〇年安保を語り、安保とたたかう(2)】
日米安保条約改定と私のかかわり(前編)
毛利 正道 米軍普天間基地撤去問題
「抑止力」よりはるかに現実的な、基地被害と「アメリカの戦争に巻き込まれる危険」
吉原 稔 司法改革は「司法大激減」の再現か
菅野 園子 遺棄毒ガスチチハル被害事件訴訟不当判決
「中国人の命をもてあそぶな!」
津島 理恵 裁判員制度施行一周年企画
「市民参加の裁判を考える集い」開催報告
島田 修一 *書評*
笹本潤著「世界の『平和憲法』新たな挑戦」を読む
市民問題委員会
民法(債権法)改正学習会のお知らせ
労働問題委員会
大量解雇阻止対策本部
六・一五「派遣法抜本改正と裁判勝利をめざす院内集会」への参加のよびかけ



ピーター・アーリンダー弁護士がルワンダ政府に逮捕される。

即時釈放要請に取り組もう

北陸支部(石川県) 菅 野 昭 夫

 NLG(ナショナル・ロイヤーズ・ギルド、アメリカで最も進歩的な法律家団体)元議長で、自由法曹団の長年の友人であるピーター・アーリンダー弁護士(ウイリアム・ミチェル・スクール・オヴ・ロー教授)が、五月二八日に、ルワンダで弁護活動中に、ルワンダ政府に逮捕されました。逮捕容疑は、彼のルワンダ国際刑事裁判所の法廷及び彼の出版物での言動などが、ルワンダ現政権によって二〇〇八年に制定された反ジェノサイド法に違反しているというものです。NLGは、直ちに議長声明を発表し、「どのような国でも、もし、ある政権が、自己の嫌悪する被告人を弁護する弁護士を黙らせ、効果的な弁護活動をさせないように仕向ける行為をするならば、正義は死滅し、その国は世界の人々に決して信頼されないだろう」「ピーターの逮捕は、犯罪事実に根拠を置くものではなく、彼の依頼人の弁護活動における自由であるべき言論の行使を抑圧することに根拠をおいており、法の支配そのものを否定するものである。」と逮捕の不当性を糾弾し、即時釈放を要求しました。同時に、彼の居住地であるミネソタ州選出のエイミー・クロブチャール上院議員も現地のアメリカ大使館と連絡を取りつつ、釈放要請に取り組んでいます。

 ニューヨーク・タイムズ、CBS、ミネソタ・パブリック・ラジオなどのメデイアは、彼の逮捕直後に、事態を以下のよう報道しています。

 ルワンダは、一九九四年に、多数派のフツ族の中で過激な急進派が少数派のツチ族と穏健なフツ族を大虐殺しました。その数は、五〇万人とも言われています。虐殺の後に、今度はツチ族がカガメ現大統領に率いられて内戦を制し、現政権が誕生しました。しかし、その過程で、ツチ族も数万人の民間人を殺害したといわれています。カガメ政権は、経済再建に取り組んでいますが、同時に、ヒューマン・ライツ・ウオッチなどのルワンダにおける活動を禁じ、人権抑圧的政策について、国際人権団体から批判されています。また、本年三月に発表されたアメリカ国務省の報告書も、カガメ政権は、言論・出版・報道の自由を封殺し、司法の独立を否定するなどの問題点を有していると評価しています。

 カガメ政権は、二〇〇八年にジェノサイドを肯定する思想、言動を犯罪として処罰する反ジェノサイド法(「ジェノサイド思想を犯罪として処罰することに関する法律」)を制定しました。しかし、人権団体から、その構成要件があまりにもあいまいで、運用が恣意的であるとの非難が続いていました。ルワンダでは、本年八月に大統領選挙が行われることになっていて、カガメ大統領の対立女性候補として、穏健なフツ族に属するインガビル氏が、フツ族に対する虐殺の存在を指摘し、民族間の和解の必要性を訴えてきましたが、その言動および彼女が虐殺を肯定しているテロリスト団体に関与しているとして、反ジェノサイド法に違反するという理由で、本年四月に逮捕されてしまいました。

 ピーター・アーリンダー弁護士は、国連によって設置されたルワンダ国際刑事裁判所の刑事弁護人として活動し、かつカガメ政権の人権抑圧に対し、アメリカで提訴活動を代理するなどの活動に従事してきましたが、同時に、インガビル氏の弁護人となり、逮捕当日は、ルワンダでその弁護活動に従事中でした。

 ルワンダ警察の説明によると、逮捕理由は、彼のルワンダ国際刑事裁判所法廷における弁護人としての言動と彼の出版物の内容が、ジェノサイドの存在を否定するもので、それゆえ、反ジェノサイド法に違反するというものです。しかし、以前にアメリカのルワンダ大使を勤め、彼の弁護活動を知るロバート・フレイトン氏は、「ピーター・アーリンダー氏がジェノサイドを否定したようなことはまったく無い。彼が強調したことは、虐殺は双方にあったことであり、ツチ族に対するフツ族の虐殺と同じく、ツチ族のフツ族に対する虐殺も問題とされるべきということに他ならない。」と述べています。

 ちなみに、ヒューマン・ライツ・ウオッチの二〇〇九年六月一日のニュースは、「紛争の全当事者による犯罪を訴追している旧ユーゴスラビア国際刑事裁判所と異なり、ルワンダ国際刑事裁判所では、紛争の片方側だけを訴追しているため、ルワンダ愛国戦線(注 カガメ政権与党)は訴追されていない。」(そのため)「ルワンダ国際刑事裁判所は、勝者の裁きしか行っていないという印象を与える。」と批判していました。

 これが、ピーター・アーリンダー逮捕に関する概括的状況ですが、その後入ってきた情報によると、ルワンダのカガメ現政権が彼を不倶戴天の敵として位置づけ、逮捕の機会を虎視眈々として狙っていたことが明らかといえます。

 即ち、ピーター・アーリンダー弁護士は、二〇〇三年に上記ルワンダ国際刑事裁判所で虐殺などの罪に問われた被告人の弁護人となって以降、事件に関する調査を深め、弁護団は、長文のFinal Trial  Brief(最終弁論書)を公けにしました。この文書は、「ルワンダにおける悲劇的事件に関する別な説明」と題する一章をもうけ、その中で、一九九四年に起きた当時のハビヤリマナ大統領らが乗っていた飛行機が撃ち落されて暗殺された事件は、カガメ将軍の指示によるものであり、この暗殺が一九九四年に起きたジェノサイドの引き金になったこと、カガメ将軍はそのことを十分に認識して暗殺を指示したことを、法廷で取り調べられたさまざまな証拠を挙げて主張しています。今回の逮捕理由である「ジェノサイドの否定」とはこの主張を指すと思われます。そして、この主張が、カガメ大統領にとって、許容できないものであることは言うまでもありません。

 さらに、本年四月に、カガメ大統領が、アメリカを訪問した際に、オクラホマ・キリスト教大学において講演をしようとしたタイミングを見計らって、ピーターら数人のアメリカ人弁護士が、暗殺されたハビヤリマナ大統領未亡人らを原告として、外国人不法行為法に基づいて、オクラホマの裁判所に訴訟を提起し、訴状の送達をしたことも、カガメ大統領の逆鱗に触れたと推定されています。

 このため、ピーター・アーリンダー弁護士自身が、ルワンダ政府による報復を予測し、本年五月六日に、ミネソタ州選出の議員に宛てて、弁護士としての活動をするためにルワンダに入国・滞在する際の身の安全を保障する措置を国務省と提携して取ってほしい旨の要請書を送付しています。

 以上の事実関係によれば、NLGの議長声明が述べているとおり、今回の逮捕が彼の弁護活動における言動と言論の自由そのものを犯罪として処罰しようとしているものであることは疑う余地の無いことのようです。同時に、現政権が政敵を抹殺する政治的目的で、大統領対立候補とその弁護人を抹殺しようとした、きわめて政治的恣意的な弾圧であることも明らかといえます。

 ピーター・アーリンダー弁護士は、わが自由法曹団にとっては、長年の友人であり、NLGと団の交流を支えてきた人物です。一九九一年に団が初めてNLGの総会に代表団を派遣したとき以来、昨年まで毎年、彼は、日本との交流のアメリカ側の事実上の責任者として活動してくれました。二〇〇七年のNLG総会においては、「NLGは、日本国憲法九条を擁護し、九条世界会議に代表団を派遣し、その成功に貢献する。」との総会決議を妻の薄井雅子さんとともに起草し、提案してくれました。昨年は裁判員裁判とアメリカの陪審員裁判を比較する学習会の講師として来日し、多くの貴重なアドヴァイスを与えてくれました。

 団執行部は、ピーター・アーリンダー氏の即時釈放を求める活動に着手しました。しかし、ルワンダ政府は、断固たる決意と周到な準備で逮捕を行ったものと思われます。また、ピーターの家族によると、アメリカ国務省はルワンダの司法手続きを見守るという態度をとっています。それだけに、彼を救出するには、国際的な運動が必要と考えられます。彼の逮捕について多くの団員が関心を持ち、団として即時釈放要求の活動を展開することを呼びかけるものです。

(二〇一〇・六・三)



【安保条約五〇年 安保を語り、安保とたたかう(2)】

日米安保条約改定と私のかかわり(前編)

神奈川支部  根 本 孔 衛

一 安保条約の改定と目を覚ました憲法九条

 今年二〇一〇年は一五年戦争の結果を一応締めくくった講和条約締結からおよそ六〇年。したがってこれと同時組合せの日米安全保障条約からも六〇年、日本人の慣習的言い方からすれば 還暦ということになる。対日講和は米日両政府が終戦間もなく始まった東西冷戦の中でおこった熱戦であった朝鮮戦争等の東アジア情勢対策であったという方がより本質をつき正確な見方ではなかろうか。

 それから約一〇年後におこなわれた一九六〇年の安保条約改定は、冷戦の深まりと日本の復興と発展進行に即して、基地提供を主とする旧安保より日米軍事同盟への転換を意味する。この新安保条約はそれだけに日本を戦争が近づけることになった。講和と旧安保の時は占領が終りになり、その抑制がなくなるであろうということで、政治家や知識人などの一部を別にすれば、民衆の中でのそれに対する批判の声が低かったのではないか。しかしその間に核兵器開発競争がはげしくなり、ことにビキニ環礁での水素爆弾実験によって漁船第五福竜丸の乗組員が被曝し死亡したことは、国民に広島、長崎の被爆の惨状をあらためて思いかえさせた。また、沖縄、砂川など各地の軍事基地拡張反対闘争は、国民に新憲法の九条のもつ意味を再認識させることになった。

 新憲法制定の当時は多くの人びとは、戦時中のことに戦後の苦しい生活の原因である戦争を自分たちが再びやらなくても済むだろうということで、いわば受身で九条を容認してきたのであるが、講和でほっとし、さらに五年ほどたってここで安保改定をつきつけられてみて、憲法九条こそ自分たちの生命と生活をまもるための法的武器であることに気がつき本気になって、むつかしい言葉でいえば、主体的な姿勢で憲法九条に向き合うことになったのではないだろうか。私もそのような国民の一人であった。

二 安保改定反対闘争のさ中で

 私は一九五九年四月に弁護士登録を済ませ、東京の第一法律事務所に入所した。私をふくめて一〇人をこえる新人弁護士が自由法曹団に加入し、団の歴史ではじめての一時多数入団とのことであった。これも時運であったろう。

 共闘組織である安保条約改定阻止国民会議は、私が弁護士になる直前の一九五九年三月に結成されている。これには自由法曹団も加入し、警職法反対の時とは違って日本共産党も中央でもオブザーバーとして参加していた。

 私たち新米弁護士の仕事は、集会やデモ行進があると現場に出向いて警察の不当な介入、妨害の監視をしておさえ、交渉にも立合い、逮捕、拘束があればその解放につとめることが主な任務だった。大衆行動に襲いかかる暴力団から参加者を防衛することも大切な仕事であった。また、安保改定阻止法律家会議の一員としてデモの隊列に加わったり、あるいは学習会など安保条約の仕組み、役割についても自ら勉強し皆さんにそのことの話をしてまわった。

 その年の一一月になって国民会議が国会への請願というかたちで国会に向けてデモ行進を組み、万を超える大衆が国会の建物を取り巻くようになると私たちの監視活動はいよいよ忙しくなった。当時国会常任委員会庁舎の中に社会党法律相談部という一室があり、そこで渡辺良夫さん、新井章さん、相磯まつ江さんなどが執務していた。そこが私たちの「溜り場」となっていた。その頃にはよほどよんどころのない仕事でもないかぎり毎日のように私たちはそこにつめかけていた。そこで、皆で情報を交換し、打合せをし、指示をうけてはあっちに行きこっちに立ち合って反対行動の防衛にあたった。そこで、日ごろ忙しくて滅多に顔を合わせることの少ない仲間と会うことが出来、手すきの時には修習が終わって以来の経験談も語り合った。

三 国会請願デモ最終日(六〇年六月一五日)

 改定安保条約が一九六〇年一月一九日に調印され、二月九日にはその批准が国会に提案された。国会での審議の中で、新条約の適用地域、在日米軍の行動範囲、日本の協力義務などの答弁で国民の側の改定への難問と危機感はいよいよ深まった。今になってはっきりしていたことは、米国との密約の存在が彼らの答弁をわかりにくいものにしていたのである。

 そこで「重い」といわれてきた反対運動はにわかに広がり、高まってきた。五月二〇日の自民党の衆議院においての強行採決があり、そのような民主主義の破壊に対する国民の憤激は高まり、マスコミをも事態憂慮と政府の反省を求める言説をさせるにいたり、国会審議の空白を生み出させた。全国各地で労働者、市民のデモは勿論商店街の一斉閉店などがおこり各層に広がった反対行動は一挙に沸濤した。

 これを機に国会を取り囲む請願デモでは岸退陣、国会解散の要求が前面に出てきた。私の国会行きも日参のようになった。その中でとくに覚えているのは国民会議が決定した六月一一日から一五日までの連日国会請願デモの最終日のことであった。

 国会周辺は一三万といわれた人びとに取り囲まれ、それが午後から夜にかけて続けられた。暗くなってからどんなことがきっかけになったかはわからなかったが、多数のデモ隊が国会の南通開門から庭の広場に入り込んで気勢をあげていた。私は国民会議の方針では国会内に入るということはなかったことを知っていたが、このようになれば何がおこるかわからない、それに対処できなければならないと思って私は門内に入った。警備の警官もこんなに多くの人数に圧倒されてしまったのか、門は私が入る時には開け放しの状態であった。門内は人で一杯であり、方々で歓声があがっていた。

 その内に「人が死んだ」という声がきこえた。死者は後からわかったことだが東大生の樺美和子さんであった。各所で小競合いはあったが、人が圧死するような大きな揉み合いは見うけられなかったので、そばにいた山田善二郎さんだったと思うが国民救援会の人と「おかしいなあ、何かで殺られたんではないか、死因をたしかめなければならない」と話し合った。それで、情報をたずねてみると死体の鑑識は警察病院でやられることがわかったので、その場にいって立ち合い、原因を確かめようということになり、国救の人たちと飯田橋駅近くだったと思うが病院にいき検視の立ち合いを要求した。病院内には入ることが出来たが、検視の行われている室内には入れない。その入口の扉の前で「入れろ」「入れない」という押し問答となり暫くねばったが、目的を達することができなかった。

 今から考えればその立会いの目的を達することは難しくその場の長時間の交渉は無駄だったと思うが、その当時は私の方に勢いがあり気負いがあった。この当時の弾圧事件の弁護活動で私は、やってはいけないことを除いて、やられた方の利益になることは何でもやってみるという姿勢であった。(以下、次号)



米軍普天間基地撤去問題

「抑止力」よりはるかに現実的な、

基地被害と「アメリカの戦争に巻き込まれる危険」

長野県支部  毛 利 正 道

 鳩山首相は、五月四日沖縄で、「抑止力」を理由に選挙公約を公式に投げ捨て、沖縄県内移設を公言した。メディアの多くも、「抑止力」を当然の前提としている。そのなかで沖縄県民挙げての声が、そのまま、「本土」の声にまで高まりにくい大きな理由に、この「抑止力」の流布があることも否定できない。そこで、「抑止力」を超える努力をしてみたい。

留意点

 この論説を起案するにあたって有した問題意識。

(1)「抑止力」への従来の反論は、ともすると、「抑止力」の原理的曖昧さが十分意識されないままになされている傾向があるように見える。

(2)「抑止力」の有無という観点から反論をなそうとすると、「抑止力」肯定論者のなかには外務・防衛省関係者などそれなりに軍事に詳しい者がいるため、軍事的知識を十分有していないことが通常である「反論者」が、どうしてもオタオタ劣勢に見えることが少なくいない。その状況を転換する必要がある。

(3)これまで、海兵隊は「侵略力」であるから、「抑止力」など持っていないという組み立てで論ずることも少なくなかったが、少なくとも論理的には、「侵略力」であると同時に、必要に応じて「抑止力」にもなるということは否定できない。このことを意識した組み立てが必要である。

本   論

第一の柱

沖縄米海兵隊基地は、日本防衛のための「抑止力」ではない

理 由

 「抑止力」を言う者は、陸海空海兵隊四軍によって構成されている在日米軍基地全体、若しくは軍人軍属二万六〇〇〇名に上る在沖縄米軍四軍全体の基地が持つ「抑止力」を論ずることが多いが、現在の焦点は、日常的には軍人軍属三〇〇〇名程度しかいない海兵隊基地である普天間基地【=最も危険な基地】の撤去問題である(再編計画でも、沖縄全体の海兵隊一万二〇〇〇名のうちの八〇〇〇名は、すでにグァムに移転することが決まっていて、日常はその差三〇〇〇名が沖縄全体に配置される程度である)。両者を混同させてはならない。

 海兵隊は、アメリカ建国とともに設けられた、相手国を侵略するために先制攻撃する部隊であり、米国で「殴り込み部隊」とよばれている。最近の一二〇年間で、一三五回も他国に軍事介入している米国軍における文字通りの先兵である。一九三五年に、海兵隊の元指令官スメドレー・D・バトラーが「私は三三年間のほとんどを大企業とウオール街と銀行家のための高級雇われ暴力団員として過ごした。私は、資本主義のためのゆすり屋であった」と語っているとおりである。

 また、海兵隊については、一九八二年四月二一日、当時のワインバーガー米国防長官が、上院歳出委員会において、「沖縄の海兵隊は、日本の防衛には充てられていない、それは第七艦隊の即応海兵隊であって、その通常作戦区域である西太平洋、インド洋のいかなる場所にも配備される」と証言をしている。

 沖縄の海兵隊は、以上の通り、日本防衛の任務を持っておらず、よって、日本への攻撃を防ぐ「抑止力」とはなり得ない。それ故、沖縄に海兵隊がいることによって、日本の領土が中国から浸食されることを防いでいる、などという主張には何も根拠もない。

第二の柱

「抑止力」より、基地被害やアメリカの戦争に巻き込まれる危険のほうがはるかに現実的

理 由

 それでは、次により広く、沖縄を含む在日米軍基地に、武力攻撃から日本を防衛する「抑止力」があるかを検討する。

 ここでいう「抑止力」とは、「相手に対し、在日米軍基地があることによって、日本への軍事攻撃を思いとどまらせるだけの影響力がある」ということである。

(1)これは、相手がどのように思うかということであるから、どうしても不確かな面がある。

(2)しかも、他方で、在日米軍基地があることによって、相手に、米軍から身を守るためにより強固な軍事力を持とうとする欲求が生まれることも否定できない。となると、在日米軍基地があることによって、日本の防衛にとってより危険な事態が生ずることもあり得る。そうなっては、「抑止力」にとってマイナスである。

(3)それを避けるために莫大な税金を投じて止めどない軍備拡張競争に入り込んでしまっては、軍事衝突の危険が一段と高まるとともに、日本は経済的にも破綻する。

(4)このように、「抑止力」とは、原理的に著しく曖昧な概念である。よって、どんなに論じてみても、在日米軍基地があることによって、「抑止力」が一〇〇%あるということも、全くないということも、どちらも論証できない。このことを踏まえなければならない。

 それでは、他方、曖昧でない動かしがたい現実はなにか

(1)在日米軍基地が戦後六五年間にわたって存在していることによって住民が被る基地被害は、文字通り確固とした現実である。普天間基地近くの住民が、「騒音が最もひどい。切り裂くようなそのひどさは、視察に来ただけでは到底分からない」「目の上をかぶさるように飛ぶ米軍ヘリが、国際大学のようにいつ落ちてくるかと毎日居たたまれない」と次々に述べるとき、言葉を失う。環境・自然破壊にも躊躇がない。  

 米軍による犯罪が、またひどい。旧安保条約が発効した=日本が形のうえで独立した一九五二年から二〇〇四年までのほぼ五〇年間(統計のない本土復帰までの沖縄県を除く)に、米軍による犯罪・事故(「事故」もほとんどすべてが「犯罪」である)が二〇万件起きており(沖縄県では毎年ほぼその半数が起きている)、この間に命を奪われた者一〇七六名、レイプされた女性一七二名に上っている。米軍犯罪には、人のいのちを奪うことをなんとも思わないように訓練・体験させられている者にしかなし得ない残忍なもの、占領意識丸出しで日本人を人間と思わないようなものが多い。「抑止力」という曖昧なもののためにこれら現実に日々起きている基地被害を、いつまで我慢しなければならないというのか。

(2)日本は、「日米同盟」に追随する立場から、イラク・アフガニスタン(インド洋)に二〇〇八年一一月までに二万一〇〇〇名余の自衛隊を派遣したが、そのうち、二三名が帰還後に自殺している(二〇〇八年一二月一六日共同通信配信)。派遣されていない自衛隊員は一〇万人当たりで三八・六名が自殺しているが(二〇〇六年六月二二日国会議事録)、帰還自衛官もこれと同じ比率で自殺するとすれば、八名にとどまることになる。すなわち、その差23―8=15名が、イラク・アフガニスタンに派遣されたことによる犠牲者ということになる。

 これを裏付けるように、帰還した自衛官が話す。「いつ攻撃されるか分からない緊張状態。ストレスは半端ではなかった」「海外での過酷な任務が隊員を追い込んでいる現実に目を向けて欲しい」「帰国したものの精神的な不安定が続き、職場に復帰できない幹部や隊員が少なくない」。戦後、日本国憲法九条のもとにありながら、すでに一五名の日本人が日本政府の戦争政策の犠牲となっている(この他にも数人がイラク戦争の犠牲になっている)。これが現実である。

(3)現に、何の根拠もなかった違法無法なイラク攻撃においても、次々と日本から海兵隊が送られている。例えば、バグダッド近くのファルージャでは、沖縄から出動した一六〇〇名の海兵隊などが二〇〇四年四月、女性子ども三二〇名を含む七三一名以上の住民を殺害し、同年一一月には同じく沖縄から出動した二二〇〇名の海兵隊などが女性子どもを含む六〇〇〇名以上の住民を殺害している。

 重要なことは、日本は、陸海空合計一万一千人以上の自衛官をイラクに送り、航空自衛隊が二万三七〇三名の米軍を隣国からイラクに輸送するなど、この無法な米国のイラク戦争に全面的に加担しこれを支え、六〇万人以上のイラク住民殺害の共犯者になったという動かせない現実である。

(4)北朝鮮は、日本列島が射程に入る非核ミサイル「ノドン」を二〇〇発保有しているといわれている。しかし、米国との関係抜きで(=日米安保がないものとして)、日本との関係だけで北朝鮮が日本をミサイル攻撃してくることなど全く想定できない。

 米国との関係を見ても、在韓米軍は最近一〇年間で、三万七〇〇〇人から二万五〇〇〇人に、一万二〇〇〇名=三分の一も減少している。本当に北朝鮮が危険なら、こんなに激減させるはずがない。

 また、北朝鮮が核兵器を開発保有したのは、米国からイラクと同じように攻め滅ぼされないことが目的であった(拙論「被爆者の声を聴き、オバマ・金正日会談の実現に尽力を」参照)。すなわち、自国の防衛目的だったのであり、核兵器についても、対米国との関係抜きで日本に撃ち込まれる場面はどうみても想定できない。このように対北朝鮮との関係でも、米軍基地があることによって「抑止力」になっているということよりも、米軍基地があることによって日本が戦争に巻き込まれる危険性のほうがはるかに現実的である。

(5)中国と日本の経済関係は、貿易総額でみると、日本にとって対中国貿易は第一位の二一%に上っており、中国にとっての対日貿易も一〇%を超えている(二〇〇九年)。資本収支でも両国関係が一段と深まっており、相互の人事交流も盛んである。切っても切れない関係になっている。こうした「蜜月」状態を踏まえて、米国の高官(国務省ドノバン次官補)も、本年三月一七日に下院公聴会で「中国は、日本の脅威ではない」と明言している。武力衝突はこうした「蜜月」関係を一気に破壊するものであって、両国いずれにとっても万が一にも想定できるものではなく、東アジア・北東アジアにおける平和の共同体構築に尽力するなかで、武力衝突に至る事態は双方が絶対に回避しなければならないのである。

 台湾海峡で中国と台湾との間で戦争が起こることも、両者間における最近の緊密な交流からみて極めて想定しずらい。それどころか、かりに、沖縄を含む在日米軍基地から出動した米軍が関与して武力紛争が起こる場合には、出撃基地である沖縄米軍基地などが中国から武力反撃を受ける可能性があり、沖縄や日本本土の米軍基地の周囲に住む多くの住民が、六五年前の沖縄戦以上の被害を受ける恐れがある。「抑止力」よりも、米軍基地があるがゆえにこのような惨事が起きる危険性のほうがはるかに現実的である。

(6)さらに言えば、世界に武力と住民虐殺をまき散らす在日米軍基地は、非政府組織による攻撃(いわゆる、テロ攻撃)を受けやすいこと世界の常識である。その七五%が集中することによって人口密集地に基地が隣接している沖縄県民にとってだけでなく、本土の基地周辺住民(そこには首都圏も入る)にも動かしがたい危険がある。

 このようにみると、在日米軍基地と日米安保条約があることによる、日本の国民が受けているあまりにもひどい基地被害、ならびに、日本が米国の起こす戦争に巻き込まれて自国民と他国民に多くの犠牲を生む危険は文字通り現実である。曖昧な「抑止力」によって、我慢・犠牲を強いられる理由はない。

 砂川事件判決が述べる、「日本が米国の戦争に巻き込まれる危険」

(1)日本で初めて、政府の行為が憲法九条=戦争放棄に違反していると断定した、画期的な一九五九年三月二〇日の砂川事件第一審判決(伊達秋雄裁判長)。

 この判決は、在日米軍は、日本の防衛だけに使われるものではなく、米国自身が戦略上必要とした場合に日本外に出動させることもできるのであり、「わが国が自国と直接関係のない武力紛争の渦中に巻き込まれ、戦争の惨禍がわが国に及ぶ虞は必ずしも絶無ではない」と述べて、その危険な米軍基地を日本に置くことが憲法九条に違反するものであると明言している。

(2)この判決の当時においても司法に対する権力側からの圧力著しく、裁判官が、政府の行為が憲法秩序の根幹である九条に違反すると断定することは、並大抵のことではない大変勇気の要ることであった。その理由付けに、日本が米国の戦争に巻き込まれる危険があることを第一に掲げた、それほどにこの「巻き込まれ」論は根拠と説得力を有していたのである。この点は、自衛隊の海外派遣が恒常的になりつつある現在は、より充てはまる。

(3)曖昧な「抑止力」よりも、基地被害と日本が米国の戦争に巻き込まれる危険のほうがはるかに現実的なものである。このことを前面に出して、「抑止力」のために普天間基地や辺野古などの代替え基地が必要との声・疑問に答えていこう。それが、普天間基地の無条件撤去を実現させる力となるとともに、日本全土から米軍基地をなくせとの力の高揚にもつながるに違いない。  二〇一〇年五月二〇日



司法改革は「司法大激減」の再現か

滋賀支部  吉 原   稔

 四月八日朝日新聞のインタビューで宇都宮健児日弁連会長が、「日本全体で新たに裁判所に持ち込まれる事件はここ数年減少の一途で、〇四年(平成一六年)の五七四万件から〇八年には四四三万件まで減った。特に民事事件で目立ち、〇四年の三一七万件から〇八年の二二五万件へと四年で一〇〇万件近くも減っている。」と言っている。「こんなに減っているのか、信じられない、本当か。」と思い、滋賀県統計書や最高裁のウエブサイトをみた。平成一六年は全国で民事行政事件の新受件数は一二三万件、平成二〇年は八二万三〇〇〇件、大津地裁は平成一六年で九六五四件、平成二〇年は六九二六件で、これだけみれば確かに四年間で四〇%も減っている。これは、「司法大激減である。えらいこっちゃ、規制緩和による国民の司法参加で事件を増やすと豪語していた司法改革は大失敗だ。これでは最高裁自ら司法改革は大失敗と自白していることになるではないか。」と思ったが、地裁の資料室できいたところ、減ったのは、破産事件が二五万件から一四万件と一〇万件近く減っているが、破産の免責事件を従来は雑事件として破産事件とは別に事件番号をつけていたのを、平成一七年からつけなくなったので、事件数が減ったのはその分だと教えてくれた。確かに、平成一五年は全国で雑事件が四三万件あったのが、平成二〇年は七万五〇〇〇件、大津地裁では平成一五年が、三三四一件、平成二〇年が六一二件になっているので、事件数が減った原因の大部分は、雑事件の番号をつけなくなったのが原因だ、とわかった。

 一方、民事通常事件((ワ)号事件)は、平成一六年は全国で一三万五七九二件、平成二〇年では二〇万件で一・三六倍、大津地裁では平成一六年で九九七件、平成二〇年では一五七四件で一・五倍、控訴提起は一万五二九五件から一万三五〇〇件に、保全は二万三〇三〇件が、二万二八二件になっているので、通常事件は微増、又は、横ばいといえよう。

 ちなみに、刑事事件は、平成一六年の全裁判所の訴訟事件の新受事件は、八九万七二五六件、これが平成二〇年には五八万二八二一件と三七%も減っている。大津地検の検察事件数は平成一六年で二万八四三六件、平成二〇年は二万一三七六件と二五%も減っているから、これは「刑事大激減」である。民事も刑事も弁護士の増加に比例して増加していないことは確かである。

 それにしても、インタビューで引用されている数字と裁判所の統計の数字とが合わないのが不思議だが、日弁連会長の談話もいい加減なものである。統計のカラクリに気を付けて発言してもらいたい。

 だからといって、司法改革は「大成功」か、「司法大激減」はないのか、というとそうは言えない。

 この間、滋賀弁護士会の会員は、五〇名から一〇〇名と倍化した。つまり、司法への国民参加、国民が裁判を提起しやすいようにとする司法改革の結果、増えたのは弁護士だけで、肝心の民事通常事件はあまり増えていないのである。増えたのは過払金返還が増えただけである。今の状況は「相対的な民事大激減」といえよう。裁判所に出される事件を増やさないため、訴訟費用敗訴者負担法案の議論がされたことが懐かしい。

 五月一一日のNHKで宇都宮会長は「弁護士は地方で増やさねばならない」と言っている。よく、弁護士増員は大都市では限界だが、地方ではまだまだいけるといわれるが、とんでもない。大津地裁は平常でも、代理人は、大阪から四分の一、京都から四分の一、残りの二分の一を一〇〇名の会員が分け合っている。つまり、大阪、京都弁護士会の侵入を受けている植民地なのである。最大のもうけ口である破産管財事件も、大口はほとんど大阪、京都の弁護士がやっている。しかも、訴額が減少して事件の規模が小さくなっている。事件の三分の一はサラ金、多重債務事件、これは、あと二年もすればなくなるから、まさにお先真っ暗である。地方の町弁は、地裁の(ワ)号事件がないと食っていけない。私は最盛期には(今から六年前)大阪高裁に二〇件、民事の係属事件があったが、その五倍の一〇〇件は大津地裁に(ワ)号事件があったということになる。(ワ)号事件があってこその弁護士なのであって、予防法曹では飯は食えない。これから開業する人にはゆゆしき問題であるが、私のようなロートルにも引退を迫られているようで侘しい。

 表題の「民事大激減」は、会長任期一年制のころの昭和五〇年ごろ日弁連会長に立候補した候補者が数年続けて揚げた公約であり、「日本の裁判所の事件数は、戦前の方か数倍多かった。民事は大激減した。事件を増やさねばならない」というものである。この候補者の公約は先見の明があった。「司法への国民参加によって弁護士が増え、事件も増える」ことを前提にした司法改革が、結果として、この「相対的な民事大激減」となったのでは、司法改革は弁護士の飯の種をなくすための「改革」であったといわざるを得ない。



遺棄毒ガスチチハル被害事件訴訟不当判決

「中国人の命をもてあそぶな!」

大阪支部  菅 野 園 子

 二〇一〇年四月二四日、チチハル遺棄毒ガス事件の判決が言い渡された。チチハル事件とは、二〇〇三年八月四日、中国黒竜江省チチハル市の工事現場において旧日本軍の遺棄した毒ガス液(マスタード、ルイサイト)がドラム缶に入った状況で発見され、それにより一名が死亡し、四三名が負傷した事件ある。二〇〇七年、被害者たちは日本政府に対し、国家賠償請求訴訟を提起したが、東京地方裁判所民事第一三部(山田俊雄裁判長)は原告の請求を棄却すると非情な判決を下した。その概要は以下の通りである。

  1. 毒ガス(毒ガス液の入ったドラム缶)の発見された工事現場付近は、戦時中飛行場の近くにあり、旧日本軍五一六部隊(化学兵器部隊)の弾薬庫として使用されていた。

  2. 本件毒ガスは、旧日本軍関係者によって地中に埋設され隠匿あるいは捨て置かれていたものと推認できる。

  3. 本件毒ガスが旧日本軍関係者によって遺棄されたことは違法な先行行為である。

  4. 本件遺棄毒ガスは人の生活圏内にあったのだから、人の身体生命に対する生命、身体に対する危険が切迫しているといえる。

  5. 国の担当者は、チチハル市内における旧日本軍の駐屯地やその軍事関連施設付近に毒ガスが存在し、人の生命身体に危害を及ぼすことは予見可能であった。

  6. しかし、遺棄毒ガスは中国全土に広範囲に存在し、地中に埋設されたり川や古井戸に投棄されているから毒ガスが遺棄された可能性のある地域すべてを事故までに調査することは困難であった。

  7. 調査地域をチチハル飛行場の場所及び軍事関連施設に限定できれば結果回避は可能だったかもしれないが、チチハルで回収された毒ガスが他の地域より特に多いという傾向もないことに照らすと、チチハルを優先的に調査すべきだったという事情はない。

  8. 原告らが受けた生命、身体への被害は甚大であり、その精神的苦痛、肉体的苦痛はきわめて大きいものであったことは明らかであるものの、法的責任は認めがたい。

というものである。

 チチハル市内における旧日本軍の駐屯地やその軍事関連施設付近に毒ガスが存在し、人の生命身体に危害を及ぼすことは予見可能であったのになぜチチハルを調査するべきといえないのか。判決の論理でいけば、遺棄毒ガスが中国全土に広範囲にある場合、その地域に特にたくさん毒ガスが発見されない限り、結局、中国のどの地域においても被告国は調査義務を負わず、結果回避もできないことになる。事故の発生が予見できる地域が多数あれば、それぞれについて結果回避のための努力を尽くさなければいけないのではなかろうか。全部を調査することはできないから具体的な予見可能性があっても調査義務を免れるというのは明らかにおかしい。製薬会社が販売した薬品に副作用があることがわかり回収しなければならなくなった場合、たくさん世間にあればあるほどすべて回収するのは困難になるから結果回避可能性がなくなるということはありえない。日本国内では文献や聞き取り等調査によって、毒ガスが発見される可能性の高い地域から優先的に磁気探査、レーダー探査などを行い実際に毒ガスを発見して事故を未然に防いだ例もある一方、中国国内の遺棄毒ガス問題については、日本政府は既に発見された毒ガスの視察に赴くほかは何も調査らしきことはしていない。そうした「何もやってない」日本政府に対して、「全部を調査することができない」から責任はないと免罪したのが今回の判決である。もし、日本において、毒ガスがどこからでてきてもおかしくないくらい人の生活圏内に身近に存在していたら、何もしないという選択が許されないことは歴然としている。

 戦後約六〇年たって、子供や若者が毒ガスの被害に遭うという異常さと異常な事態に対してそれを防ぐ手立てを何にもしない日本政府と、それを免責する裁判所は人間の命をどう考えているのか。証人尋問において、原告である一七歳の女の子は日本政府に「中国人の命をもてあそぶな」と言った。その少女は体力の低下や記憶力の低下などにより進路を断念し、毒ガス被害者であることの偏見から逃れるために名前を変えなければならなかった。

 原告らは、今後とも控訴して闘っていくが、同時に第一審において認定された事実をもとに日本政府の政治的責任を追及し政治解決を目指すため努力したい。各団員の支援を賜りたい。



裁判員制度施行一周年企画

「市民参加の裁判を考える集い」開催報告

京都支部  津 島 理 恵

一 はじめに

 団京都支部は、日本国民救援会京都本部(以下「救援会京都本部」といいます。)、京都地方労働組合総評議会、京都マスコミ文化情報労組会議などの団体と共に「裁判員制度を考える京都の会」を立ち上げ、裁判員制度施行直前の昨年四月にはジャーナリストの大谷昭宏氏を、また、施行半年の節目にあたる昨年一一月には安原浩弁護士(元裁判官)をお招きして集会を開催するなどの活動を行ってきました。

 そして、本年五月二一日、裁判員制度が施行一周年を迎えるにあたり、「市民参加の裁判を考える集い」(以下「集い」といいます。)を開催しましたので、若干のご報告をさせていただきます。

二 準備活動

 団京都支部司法・刑事合同プロジェクトのメンバーと救援会京都本部の方々が中心となって集いの準備を行いました。

 四月中旬頃に案内用のビラが完成し、広報活動に入りました。新聞や情報誌への掲載依頼はもちろんのこと、関係団体・民主団体等合計三六団体へのオルグ活動も行い、集いへの参加及び協賛金の協力を求めました。私は救援会の方と一緒に、教職員の労働組合や年金者組合など八団体を訪問しました。オルグ先で対話をする中で、学校の授業で裁判員制度を取り上げておられる先生の話や、団の弁護士を講師に迎えて組合員(教員)むけの学習会を開いてほしいという要望をお聞きすることもできました。

 また、京都市内の繁華街において街頭宣伝を数回行いました。宣伝の日になると決まって雨が降り、傘を片手に道行く人々にビラを受け取ってもらうのは容易ではありませんでした。しかし、街頭宣伝に参加した団員からは、昨年の集会の街頭宣伝に比べるとビラの受け取りは良かったという声が聞かれました。

三 集い当日の様子

 一周年企画なので規模の大きい集会にしようということで、一〇〇名以上収容可能な会場を予約したところ、開会時刻になっても参加者がまばらな状況だったので、少し心配になりました。しかし、折しも京都地裁では、子どもの点滴に水道水などを混入し死傷させた事件について過去最長九日間の審理日程で裁判員裁判が行われたばかりであり、また、施行一周年にあたるため、連日のように裁判員制度に関するマスコミ報道がなされていたことも追い風となったのでしょう、救援会京都本部大平勲会長の挨拶が終わる頃には、会場席の約半数が埋まりました。そして、最終的には、団員のほか、オルグ活動を行った団体の会員、法律事務所事務員、一般市民など約七〇名もの方にご参加いただきました。

 集いではまず、京都新聞の峰政和記者から、司法記者の視点から見た裁判員制度についてお話いただきました。従来の判決文では、有利な情状と不利な情状が淡々と書かれていましたが、裁判員が関与した判決文には「弁護人が主張する○○という点は重視した」など評議の中身に触れるものや、「被告人が○○した点については人間の弱さがみられる」など被告人の内面にせまろうとするものがみられ、刑事裁判に変化が生じているとのことです。また、自分の意見が刑を左右したことを公にされたくないといった理由から守秘義務は必要と考えている裁判員が多く、他方で、裁判員制度を検証することも必要であり、守秘義務に配慮しながら取材する記者の苦労話などもお聞きすることができました。

 次に、立命館大学大学院法務研究科の渕野貴生教授にご講演いただきました。

 刑事裁判への市民参加は、調書裁判の克服、直接主義・口頭主義の徹底、そして取り調べの全面可視化を実現させる起爆剤になり得るものであり、意義があるとのことです。しかし、現実には調書裁判が存続しており、しかも、裁判所は証拠の厳選を要求するため調書が一層要約・単純化されており、また、守秘義務の壁があるせいで評議を検証するのが困難であるなど、市民参加の意義を薄めかねない運用がなされているとのご指摘がありました。その上で、市民が、制度の問題点を十分認識した上で、例えば、調書朗読で理解できない点については証人尋問や被告人質問を求める、尋問時間が不足するなら延長を求めるなど、積極的に関与すれば改善できるのではないか、そして、理解できないままに審理が終了したときは「疑わしきは被告人の利益に」の原則に従って判断することが大切であるとのご意見をいただきました。このような関わり方は、裁判員にとっては負担増となるものですが、市民が、一人の人間に刑罰を科すことの重みを自覚し、負担を引き受ける覚悟をする必要があり、他方で、法曹三者としては、市民を支援するためにさらに努力しなければならないとのことです。

 最後に、裁判員裁判京都地裁二号事件の弁護人を担当した高山利夫団員から、ご自身の経験をご報告いただくとともに、裁判員裁判を経験した京都支部の団員を対象に実施したアンケート調査(六件)の結果を踏まえてお話いただきました。情状弁護を中心とする事件ばかりだったこともあり(一件は公訴事実の一部に争いのある事件)、審理計画策定に不満を感じたという回答はなく、公判前整理手続きについても、疑問を感じなかったとの回答がほとんどでした。ただ、裁判官からの要請で複数の調書を一つにまとめると、当初の調書を読んでいる裁判官とそうではない裁判員との間で情報格差が生じるのではないかなどの点に疑問を感じたという回答もありました。なお、二号事件については、五月集会の特別報告集で報告されていますので、ご一読いただければと思います。

 三人の講師の方々のお話は、市民目線を意識したもので、分かりやすく、かつ、鋭い分析がなされた大変興味深いものでした。このため、会場からは、裁判員裁判の報道を行う際にどのようなことに気をつけているか、裁判員制度を市民にもっと定着させるにはどうしたらよいか、など多数の質問が寄せられ、質疑応答の時間も充実したものになりました。

四 おわりに

 街頭宣伝やオルグ活動、また、この報告文の投稿など、集いの運営に関わらせていただく中で、集会が、実はその場限りの一過性のものではなく、市民運動の流れの中に位置づけられた一つの機会なのだと感じました。集いの開催をきっかけに出会った団体や市民の方との貴重なつながりを大切にしながら、今後も様々な運動に関わっていきたいと思います。

 裁判員制度は、法施行後三年を経過した段階で見直しがなされることになっています。それまでに、運動や法教育を通して、裁判員制度とその問題点について市民に十分な情報提供を行い、共に考えることが重要です。裁判員制度は、制度自体について賛否が分かれるところですが、制度が施行された以上、市民参加によって従来の刑事司法の問題点が克服され、冤罪が生じることのない公正な裁判が行われるようになればと思います。



*書評*

笹本潤著「世界の『平和憲法』新たな挑戦」を読む

東京支部  島 田 修 一

 我らが盟友、笹本潤団員がこの間の旺盛な国際活動と平和の深い思考からすばらしい成果物を発表した。早速、中身を紹介しよう。「世界に広がる九条と国際連帯」、「外国軍事基地も軍隊もなくした新たな憲法」、「法と市民の力で実現する『武器・核なき世界』」、「アジアからみた日米安保」、「みえてきた『武力によらない平和』のつくり方」と本書は五章から成る。想像を逞しくさせるタイトルばかりである。

 第一章で、筆者はブルガリア・北朝鮮・カナダ・フランス・ベトナム等で訴えた「九条のような平和条項を各国の憲法に取り入れよう」、「各国の政府や市民が共通の目標を持ち連帯して平和を創造しよう」に誰もが共鳴し、その結果「九条を世界に広げていくことが世界の平和運動の課題になってきた」と、その到達点を指摘する。日本軍国主義が戦争を繰り返し、米国が戦後二〇回以上もの戦争を行ってきたのは憲法に「戦争放棄・武力行使禁止」の条項を持たなかったからだが、国の最高規範にこの縛りを取り込むことが平和を創造する大きな力になるとの認識を広めてきたその功績には感嘆するばかりである。

 第二章。筆者は九条世界会議(〇八年五月)を成功させたその足でコスタリカに留学。留学中の見聞、また〇九年七月に同国で開かれた「平和憲法会議」を通して中南米の巨大な平和の流れ、新たな平和憲法制定の動きを紹介する。軍隊を廃止したコスタリカ、軍隊廃止と米軍撤退を実現したパナマ、米軍を撤退させたエクアドル、外国軍基地を認めない憲法を制定したベネズエラとボリビア、米軍基地撤去を勝ち取ったフィリピン。これらを見た筆者は、平和運動と政治の変化が結びつくと「劇的な変化」が起こる可能性があると予測する。そうであれば、「軍隊廃止」「外国軍基地は認めない」の平和条項を確実に実行している各国に比し、徹底した平和憲法を持ちながら巨大な米軍基地、辺野古に新基地建設まで認めるというこの国の異常な姿が逆に浮き彫りとなってくるが、筆者はこれに正面から向き合う。

 まず、九条の「法の力」を第三章で検証する。六〇年以上戦争がない事実、専守防衛、集団的自衛権行使不可、海外活動の縛り、非核・武器輸出三原則、防衛費GDP一%枠等がその力であることを、アフガンとイラクに軍を派兵した韓国の憲法との違い、「アフリカは武器の市場になっている」と訴えるウガンダ青年との会話を通した検証である。続く第四章で、東北アジアの冷戦構造にメスを入れる。今も続く軍拡競争・米軍ミサイル防衛等、この地域に残る危機の構造は日米・韓米の軍事同盟そして核の傘による北朝鮮包囲網にあるという。正鵠を射た分析である。そうすると、この構造をいかに解消していくかが次の課題となるが、筆者は冷戦構造の存在をリアルに自覚する、軍事同盟を解消する、そのためにも「空気のような存在」としてあり続けてきた日米安保条約を見つめ直す、その時が来た、と強調する。同感。普天間問題で国民の怒りが臨界状態にある今、「脅威」は作られたものであり、その下での「抑止力」がいかにまやかしであるか、その絶好の機会を私たちは活かさなければならない。

 最後の第五章で、米軍基地撤去・平和外交など「武力によらない平和」の実現へ向けた六つの提起がなされる。国際交流そして国内の平和運動の現局面から考え出された現実的かつ重要な提起である。その一つの「平和外交」を考えてみると、筆者も第四章で「私たちはこの憲法前文に書いてあることを、戦後六〇年間ほとんど実践してこなかった」と述べているが、軍隊に代わる安全保障の措置を近隣諸国との信頼関係に求めたのが憲法前文である。しかし、信頼関係構築の外交努力をこの国の政府は怠り、それを政府に迫る運動が弱かったことも事実であるから、この国際公約を今後実行していく義務があると私も思う。それと関連するが、核兵器の保有は九条二項で禁止されている。しかし、歴代日本政府は自衛のための核の「保有」と「使用」は九条の下でも可能、よって非核三原則は「政策上」のものとしてきた。そうである以上、この政府解釈を変更させ、非核三原則を法制化させることは「傘」から離脱し、真の意味での非核日本そして東北アジアを非核地帯にするためにも必要不可欠である。笹本さん、「非核実現」を提起の中に盛り込んだらどうでしょう。

 各国の法律家や平和活動家との交流を通して九条の価値を世界に広げる活動を展開してきた笹本さんの実行力に驚き、感動し、敬服しながら読み終えた。私たちの運動が平和を求める世界の巨大な流れの中にあることを教えてくれ、九条運動に勇気と展望を与えてくれた本書に感謝したい。皆さん、ぜひお読みください。



民法(債権法)改正学習会のお知らせ

市 民 問 題 委 員 会

 学者を中心に、民法(債権法)の抜本的改正が検討されています。私たちの生活や権利にいろいろと影響を及ぼすことが予想されるのですが、なかなかその全貌を理解するのが大変です。私たちも、民法(債権法)改正について検討しなければならないと思いつつ、今日に至ってしまいました。

 しかし、いつまでも手を拱いているわけには行きません。今回、市民問題委員会では、次のとおり、民法(債権法)に関する勉強会を行うことにしました。講師の中野和子団員は、コンビニ・フランチャイズ問題などで大活躍している団員です。

 この問題については、私たちも含めてほとんどの団員がビギナーです。ぜひ、民法(債権法)改正問題に興味のある若手のみなさんも、ふるってご参加下さい。もちろんベテランの先生も大歓迎です。

 なお、この日は、鶴見雄策団員による、納税者背番号制度のレクチャーもあります。

民法(債権法)改正学習会

 日 時 二〇一〇年七月七日午後三時〜五時

 場 所 団本部

 講 師 中野和子団員(シンフォニア法律事務所)



六・一五「派遣法抜本改正と裁判勝利をめざす院内集会」への参加のよびかけ

労 働 問 題 委 員 会

大量解雇阻止対策本部

 六月二日の鳩山首相の退陣表明のなかで、民主・社民・国民新党の三党がくわだてていた衆議院厚生労働委員会での派遣法の政府「改正」案の強行採決は、行うことができませでした。しかし、引き続き、管新内閣の下で、会期を延長し、政府案の採決を強行する危険が残っています。いま、「徹底審議と政府案の抜本修正=派遣法の抜本改正」を求める世論と運動を飛躍的に強化する時です。

 全国で、派遣切りの裁判闘争も前進しています。派遣法抜本改正を求める運動と派遣切りの裁判闘争を車の両輪として強化することが重要です。

 自由法曹団は、全労連、労働法制中央連絡会の三団体の共催で、次の要領で、六・一五「派遣法抜本改正と裁判勝利をめざす院内集会」を開催することにしました。全国から多数の団員・事務局の皆様が参加されることをよびかけます。

六・一五「派遣法抜本改正と裁判勝利をめざす院内集会」

 ○日 時:二〇一〇年六月一五日(火)午後一時〜五時

 ○場 所:衆議院第一議員会館第四会議室

 ○主 催:自由法曹団・全労連・労働法制中央連絡会

 ○内 容:

  1. 国会議員からの情勢報告
  2. この間の活動の感想、総括と今後の方針
  3. 全国の裁判闘争の現状とたたかいの展望
  4. たたかいの当事者からの訴え
  5. その他

  (適宜国会議員要請を行うことも検討します。)