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村山 晃 関西建設アスベスト京都訴訟で、
国と企業の責任を認める画期的判決
谷 文彰 ついに扉を開いた
―断罪された建材メーカーの不法行為責任―
中丸 素明 日本郵便契約社員雇い止め撤回裁判
東京高裁で現職復帰の勝利和解
菅野 昭夫 アメリカ大統領選挙の序盤の様相(上)
中谷 雄二 安倍内閣の暴走を止めよう!
一・一九あいち集会&デモを開催しました
種田 和敏 「自衛隊をウォッチする市民の会」の活動について
大久保 賢一 核抑止論は核拡散をもたらすことになる
―北朝鮮の水爆実験を例として―(下)
林 治 千葉県銚子市・県営住宅母子心中事件の
悲劇を繰り返さないために(下)
和泉 貴士 対リニア地域戦略と相模原の成果(上)



関西建設アスベスト京都訴訟で、
国と企業の責任を認める画期的判決

京都支部  村 山   晃

一 勝訴判決
 一月二九日午後二時三〇分、京都地方裁判所の一〇一号法廷で、関西建設アスベスト京都訴訟の判決が言い渡された。いろんな意味で影響の大きな事件の判決は、いつものこととは言え、緊張に包まれる。三人の裁判官に、「判決」という名の運命をゆだねた私たちの宿命とも言える瞬間である。
 この事件の判決は、「主文」を聞いても、直ちに全容が分からなかった。しかし、裁判官が、主文を朗読してく内に、まず国に勝ったことがわかり、続いて企業にも勝訴したことが分かる。「被害者二六名の、どこまでが認められたのか」は、判決を受け取らないと詳しく分からないが、安堵とともに、思わず強い感動がこみ上げてくる。
 「旗だし」の弁護士は、「勝訴」「国の責任を四度認める」「建材メーカーの責任を初めて断罪」という旗を持って、三人が法廷を飛び出す。
 国は、四度目の勝訴だが、企業は、四連敗している中での初の勝訴判決である。「何らかの形で企業責任に風穴を空けたい」という強い思いの中で迎えた判決は、「風穴」ではなく、ほぼ全面的に企業責任を認める内容になっていた。アスベスト建材を作り販売した業者が、責任を負わないのはおかしい、という私たちの思いをストレートに受け止めた判決となった。
二 深刻かつ重大な被害と積み重なる司法判断
 建設アスベスト被害は、その広がりと深刻さから言って、過去類例をみない甚大なものだ。輸入された膨大なアスベストの七・八割が建材となって建設現場に入り込み、そこで働く数百万人の建設労働者に被害を与えてきたのである。一〇年前にようやく製造禁止になったが、これから先も、改修・解体作業で、どれだけの人たちが、被害に会うか計り知れない。
 建設アスベスト被害を問う裁判は、首都圏で始まり、関西(大阪・京都)・北海道・福岡と全国的な広がりを持っている。これも必然である。そして、先行する東京地裁が、国の責任を認める画期的な判断をした。その後、泉南アスベストの最高裁判決が、国のアスベスト規制が「適時・適切に行使されなかった」との判断をしたことから、「産業優先」とする考え方に終止符が打たれ、かつ国の規制権限不行使が裁かれた。
 ただ、この時の最高裁は、国の責任期間を一九七二年までとする政治的な判断を行い、時の厚労大臣は、「建設は別」と言明した。
しかし、その直後の福岡地裁で再び国の責任が裁かれ、今般、大阪地裁と京都地裁が、国の責任を裁いた。四度に及ぶ判決で、国の責任は「不動のものとなった」と、私たちは評価した。
三 建材メーカーの責任を断罪=解決の舞台はできた
 しかし、国の責任を認める判決も、「一人親方」と「建材メーカー」の責任は、認めようとしなかった。そして、建材メーカーの責任が初めて京都地裁で認められた。その内容や、要因等については、谷団員の報告に譲る。
 主要紙は、「社説」で国と企業による早期全面解決の必要性を力説した。利益を上げ続けた企業が前面に出て、解決を図ることが強く求められており、その当然の指摘を判決はしているに過ぎない。しかし、あまりにも道は遠かった。いや、これからも企業は争う姿勢を崩していない。どう早期決着を図るか。私たちに突きつけられた重大な課題である。
四 建設アスベストと取り組んで三〇余年
 この事件と京都は深いつながりがあった。今から三〇余年前、京都建築労働組合(京建労)が、初めて、建設アスベストが重大な被害を引き起こすことに気づき、「アスベスト全廃決議」をあげた。その動きは、全建総連に届き、政治を動かすところまで行ったが、実らなかった。製造禁止になったのは、それから二〇年、首都圏の提訴には、さらなる年月を要してしまった。それは、アスベストの被害が、二〇年から四〇年という長い潜伏期間を経て発症することと無関係ではない。私自身、この空白に近い二〇数年間に忸怩たる思いがある。
 ともあれ、今回の画期的判決を生み出したのは、そうした京建労の活動があり、何よりも、首都圏・北海道・九州のじん肺の弁護団、大阪の泉南アスベストの弁護団が、それまでの大きな蓄積の上に立って今回の各地の訴訟を牽引してきたことにある。京都は、団京都支部が全力で取り組んだが、全面解決を図るには、さらに大きな闘いが求められる。京都訴訟の舞台は、大阪訴訟と共に、大阪高裁に移った。
 各地どこにも建設労働者はいる。全国各地で声を上げること、運動を大きく広げることが強く求められている。
 京都弁護団 弁護団長村山晃、副団長佐藤克明、事務局長福山和人、大河原壽貴、秋山健司、古川拓、毛利崇、吉本晴樹、諸富健、谷文彰、津島理恵、日野田彰子、分部りか、清洲真理、大江智子、各団員


ついに扉を開いた
―断罪された建材メーカーの不法行為責任―

京都支部  谷   文 彰

一 初めて企業責任が認められた瞬間
 主文第四項「被告企業は、各原告に対し、連帯して、別紙認容額等一覧表のうち被告企業欄記載の金員を支払え」―
 それは、建設アスベスト訴訟で初めて企業責任が認められた瞬間だった。ついに扉が開いたのだ。しかも、大きな大きな扉が(企業に対する請求が認められたのは、被害者二六名中二二名にもなる)。その瞬間の心情を言葉で表すことはできそうにない。これまでの苦労、書いた書面の分量、費やした時間、その間に亡くなられた方々、その言葉と無念、全国から寄せられた六〇万近い署名、勝った喜び、驚き、安堵、感動、興奮―種々の想いが一瞬にして駆け巡ったと思う。が、よく分からない。自分の心情は言い表せないが、それでも、企業に初めて勝ったということを理解した原告や支援の皆さんの笑顔だけは脳裏に焼き付いている。その光景に、思わず涙が溢れてきたことも。
 関西建設アスベスト訴訟が起こされてからは四年半、準備が始まってからは五年、企業班の責任者として、いかに企業に勝つかだけをひたすら考えきた。首都圏訴訟が提起されてからは八年の年月が既に経過し、全国で一〇〇人以上が道半ばで倒れ、横浜、東京、福岡、大阪と四訴訟連続で企業に対して敗訴、それもほぼ一蹴されてきた中で、さらには「まだ京都がある」「京都はきっと勝てる」などと言われ続けてきた中で迎えた判決。それが、全面勝訴といってよいものだった。このような経験をすることはもう二度とないかもしれない、それくらいの出来事だと思う。
 (もっとも、今から振り返れば、主文第一項で、被告国に対し、「被告国認容額欄記載の金員」を支払えと裁判所が述べた時点で、認容されたのが国だけではないということが分かるので、主文第四項を読み上げた瞬間に分かったというでは遅きに失するのだが。しかし読み上げの瞬間は、そんなことまで理解する心の余裕はなかった)
二 厳しく断罪された企業の不法行為責任
 本判決は、同種訴訟で初めて、主要なアスベスト建材企業九社につき、被害者二六名中二二名との関係で共同不法行為責任を肯定し、合計約一億一二四五万円の賠償を命じた。内訳を原告ごとに見れば、原告によってそれぞれ一社〜八社との関係で不法行為責任を認めており、逆に被告企業ごとに見れば、企業によってそれぞれ一名から一九名の原告に対する賠償が命ぜられている。
 これまでの判決は、使用した建材を特定することができないという理由で賠償を認めてこなかったが、これは不可能を強いることに他ならない。そこで本判決は、原告の主張のとおり、警告表示なく危険なアスベスト建材を流通に置いた行為を加害行為と捉え、建材の特定と企業の絞込み作業を最大限尽くした原告側の姿勢を受け止めて、裁判所自らが被告企業の不法行為責任の成立を丁寧に検討し、加害行為者やその責任の程度を検討した。「損害の公平な分担」という不法行為の考え方を正しく捉えた、極めて常識的な判断である。
三 主要企業の重大な責任と本判決の意義
 本判決において賠償が命ぜられた企業は、いずれもアスベスト建材市場において大きなシェアを占めていた主要企業である。特に、エーアンドエーマテリアル、ニチアス、ノザワの三社はあらゆる種類のアスベスト建材を世に送り出してきたトップ企業であり、いずれも被害者一九名に対する損害賠償が命ぜられた。次点の企業は一〇名程度なので、倍近い被害者に対する責任が断罪されたことになる。賠償金額も当然ずば抜けていて、その悪質性と責任の重さは他と一線を画す。
 他方、企業に対する賠償が認められた被害者二二名の職種は、大工、左官、電工、配管工、吹付工、鉄工、屋根工と実にさまざまである。その八割以上に対する賠償が命ぜられたということは、今後の救済に大きな道を拓くものと評価できよう。とりわけ、「一人親方」として国の責任が認められなかった被害者のうち一〇名について企業責任が認められたということは特筆に値する。企業責任を追及することで、労働者・一人親方・個人事業主の別なく救済を図ることが可能だということが明確になったのだ。
 企業責任に真摯に向き合い、賠償を命じた本判決の判断は、今回責任が認められなかった原告のみならず、全国の全ての同種アスベスト訴訟の原告らとの関係でも法的救済の可能性を大きく拓くものであり、極めて大きな意義がある。全国で闘う原告の皆さんが「わがこと」として喜んでくれているということを何度も聞き、本当に嬉しく思った。
四 新たな不法行為類型を裁判所に認めさせるための年月
 本件は、製品が市場に流通することによって被害者に辿り着く「市場媒介型不法行為」あるいは「流通集積型不法行為」と呼ばれる類型だが、数十の企業(京都訴訟では、提訴時の被告企業数は四三、結審段階でも、主位的主張で三二社、予備的主張で一四社が加害行為者として名を連ねた)に対する責任追及だったことで、その困難性は過去と一線を画すものとなってしまった。
 故に敗訴が続いてしまったのだが、全国の原告団・弁護団は諦めることなく、加害行為者を原告ごとに特定し、絞り込んでいく作業を何年も続けてきた。具体的方法については全国で知恵を出し合って議論し、特に関西訴訟と位置付けて一体的に取り組んできた大阪弁護団には、会議に参加させて頂くなど様々な観点で大変お世話になった。その意味で、勝訴判決を得ることができたのは、全国の原告団・支援者・弁護団が「わがこと」としてすべての裁判に取り組んだ結果であって、たまたまそれが京都で結実したというだけのことにすぎない。とりわけ裁判所に積み上がった六〇万筆近い署名の重みなくしては、この判決はなかっただろう。この場をお借りして、改めて御礼を申し上げる。
 具体的な加害行為者の特定作業・絞込み作業は非常に複雑で、この場で披露することはできない(判決を機に準備書面を見返してみたが、「よくこんなことやったな」というのが率直な感想…)が、加害行為者の絞込みを徹底的に行ったことや、被告企業らからの主張・反論に対して必要な反論等を尽くしたことが、企業責任を認めさせることができた大きな要因ではないかと思う。もちろん、学者の方々の意見書や論文も欠かせなかったことは述べるまでもないが。
五 企業の法的責任を不動のものとするために
 賠償を命ぜられた企業は、即日控訴が四社、週明け二月一日の控訴が二社など、二月三日までに全九社が早々と控訴した。判決の検討すら十分にすることなく争いを続け、責任を免れようとする加害企業の姿勢には怒りを禁じえない。
 とはいえこれからは企業側もいよいよ本腰で主張・立証してくるであろうし、控訴審で本判決を維持するのは並大抵のことではない。けれど、ようやく開いた扉が閉ざされることのないよう、企業の加害責任を法的にも確立したものとするため、今後も全力で奮闘したい。皆様のご支持・ご支援を心よりお願い申し上げる。
 関西建設アスベスト京都訴訟・企業班 佐藤団員、毛利団員、吉本団員、日野田団員、諸富団員、大江団員、谷


日本郵便契約社員雇い止め撤回裁判
東京高裁で現職復帰の勝利和解

千葉支部  中 丸 素 明

 暮れも押し迫った昨年一二月二二日、東京高裁で、日本郵便の契約社員雇い止め裁判について、雇い止めの撤回・現職復帰・それまでの賃金の全額支払い、を主たる内容とする和解が成立した。
 二〇一三年七月、千葉中央郵便局で一八年以上にわたって有期雇用社員(「時給制契約社員」)として勤務していたYさんが、仕事上のトラブルから同僚の顔面を殴打し傷害を負わせるという出来事が発生した。日本郵政は、そのことを理由に、Yさんを停職二か月の懲戒処分に処するとともに、その直後の更新時期において雇い止めにした。外形的な事実については、当事者間に大きな争いはない。
 二〇一五年六月、一審千葉地裁はYさんの主張をほぼ全面的に認める判決を下した。 
 まず、停職二か月の処分については、社会通念上相当であるとは認め難く、権利の濫用として無効とした。そして、雇い止めについては、郵政省職員時代を含めると一八年四か月勤務を続けてきたことから労働契約法一九条二号に該当することを認めた上で、本件雇い止めは客観的で合理的な理由を欠き社会通念上相当とは認められないとして、無効と断じた。これに対して、日本郵便は、ただちに控訴した。
 控訴審の審理は一回で結審し、一二月初旬に判決言渡し期日が指定された。その上で、裁判上の和解交渉がギリギリまで続けられた結果、冒頭の和解成立となったものであった。
 「日本郵政は、絶対に和解に応じない、テコでも動かない」とさんざん聞かされてきた。その日本郵政が、なぜこの段階で、おそらくは屈辱的ともいえる和解に応じたのか。私なりに、四つほど挙げておきたい。
 第一に、高裁での判決でも、勝訴が確実視されたこと。
 第二に、Yさんの不退転の決意。年収額を倍する程の額での和解金の支払いが見通せたにもかかわらず、職場に戻るとの決意が揺らぐことはなかった。長年携わってきた郵便の仕事に対する愛着と誇り、そして、職場の仲間達との深い絆とが、そうさせたのだろうと思う。
 第三に、最大の特徴であるが、その職場の仲間達の「戻って来い!」との堅固な支えがあったこと。一例だけ挙げておく。一緒に夜間作業に従事してきた職員は一部の管理職を除いた全員が有期雇用社員であったが、そのほぼ全員(数名を除く二九名)が、「今回の問題の背景には、人が削られて余裕がないままで仕事をさせられていることにあります。こうしたことを放置して置けば、同じようなことがまた起きると思います。仕事や現場のことを考えずに、人を削ってきた会社にも責任があります。」との連署の陳述書を作成し、裁判所に提出した。不安定な雇用を強いられている契約社員が勇気を持って声を上げてくれたことが、裁判所を大きく動かした。ちなみに、当の被害者自身も、その後Yさんと同じ労働組合(郵政産業労働者ユニオン)に加入している。
 第四に、裁判官にも恵まれた。和解を担当した裁判官は、元千葉地裁木更津支部長で、当地在任中は私教連組合員の配転事件で現職復帰の和解をまとめるなど、私とも気心が知れた間柄であった。「現職復帰以外の和解解決は考えていない、本気で」と伝えたのを真正面から受け止めてくれ、献身的な説得努力をしていただいた。
 解雇事案でも、なかなか職場復帰による解決が難しいという実情の下、有期契約労働者が雇い止めを跳ね返し、現職復帰を実現することができた。全労働者の四割を超えるに至った非正規雇用労働者に、大きな勇気と励ましを与えるものではないかと思う。
 今年の一月一八日、Yさんは千葉中央郵便局の職場に復帰した。それに先立つ一月一五日、「勝利報告&職場復帰を祝う会」が催された。その中で、職場復帰の細かい条件を決めるための団体交渉が幾度かもたれたが、それまでの会社の態度とはまるで違った真摯な対応であったとの職場報告があった。一緒にたたかって、ホントによかったなと実感した。そして、何よりも、Yさんの晴れやかな姿があった。


アメリカ大統領選挙の序盤の様相(上)

石川県支部  菅 野 昭 夫

 アメリカ大統領選挙は本年二月から予備選挙に入り、本年七月の共和党、民主党の党大会で候補者が指名され、両党の候補者による一一月八日の本選挙を迎えるという長丁場の闘いが本格化します。
 報道によれば、現時点において、共和党では不動産王のドナルド・トランプ候補が勢いを維持して他の候補を大きくリードしており、民主党では本命たるべきヒラリー・クリントン前国務長官がバーニー・サンダース上院議員の猛追を受けて苦戦しているとのことです。
 アメリカは、いわゆる二大政党制が支配的制度として長年機能し、共和党と民主党の間で大統領を交代させてきました。そして、レーガン政権以降の新自由主義的政策と大義なき対外戦争の結果、アメリカの政治・経済・社会は今日膨大な財政赤字、膨大な貧困層と社会的経済的格差の拡大等の諸矛盾を拡大させてきました。そのため、こうした問題に起因した国民の不満が、オバマ政権の誕生と再選の原動力となってきたのです。
 しかしながら、アメリカは巨大な多国籍資本、大会社と軍部の癒着からなる産軍複合体が内外の政策を決定し、リベラルな大統領といえども、せいぜいその手のひらの中で許容される政策だけをなしえることで推移してきました。クリントン大統領が国民皆保険を公約として当選しながら一期目で断念し、オバマ大統領も国民皆保険とは異なる「オバマケア」(さまざまな欠陥を有する保険会社の私的健康保険に国民が加入すること義務化するという、保険会社を喜ばせる「改革」)でお茶を濁さざるをえなかったのも、本当の政治権力が大統領にはないことの例証といえます。
 共和党の大統領候補者は、一〇人以上が名乗りを上げていますが、どの候補も共和党の右翼的潮流に属し、その多くが、小さな政府を標榜し社会保障費等の削減を主張する「ティー・パーティ」(茶会)運動を支持しています。この中で当初はマルコ・ルビオ上院議員やテッド・クルーズ上院議員が本命と見られましたが。すぐにトランプ候補が優位を占めるようになりました。トランプ氏はニューヨークを中心として多数の不動産を所有する大富豪ですが、これまではこれほど本格的に政治の世界に躍り出ることはありませんでした。しかし、昨年の六月に大統領選挙への参加を表明してからは、同年七月からは共和党支持者の中では世論調査で終始他候補をリードして今日に至っています。その主要な原因は、彼の移民やイスラム教徒排斥の極端な発言がメディアに大きく取り上げられ、喝采を呼んでいるからです。例えば彼は、「メキシコからの移民はみな犯罪者であり、入国を禁止すべきだ。国境に塀を作ってその費用はメキシコ政府に負担させればよい」と発言し、またISISによるテロが起きるや、毎年一〇万人規模で出入りしているイスラム教徒の入国を一切禁止することを提唱しています。ヨーロッパと同じくアメリカの庶民層の中にも、移民が失業者の原因となっているとして移民排斥の空気が鬱積しており、これに呼応した発言は新自由主義的政策の犠牲になっている勤労者やテロにおびえる国民の感情に心地よく聞こえるためです。
 また、トランプ候補を追う他の有力候補も、右翼的政策を争っている点では、負けず劣らずといえましょう。例えば、ISIS対策として、全ての候補が武力によるテロ「根絶」を唱え、殆どがシリア難民の受け入れに反対しています。そればかりか、トランプ、クルーズ、カーソンなど多くの候補者がシリアへの地上軍の派遣さえ要求し、ルビオやクルーズ候補等大多数の候補がシリア上空を飛行禁止ゾーン(ISISは空軍を有しないから、シリアやロシア空軍を対象にすることになる)にすべきことを提唱しています。
 予備選挙は二月から、オハイオ州、ニュー・ハンプシャー州の投票が序盤の闘いになりますが、トランプ候補の優勢が予想されます。トランプ候補の強みは他の候補と違って、選挙資金は自前で調達可能であり、資金集めに精力をそがれる必要はありません。本命と一時見られていた他の候補等が巻き返すかどうか注目されますが、共和党候補者の顔ぶれを見ると、誰が指名を得て大統領に当選しても、アメリカはファシズムに大きく傾斜することを心配せざるを得ません。
 これに対して、民主党候補の予備選挙序盤の情勢は、きわめて興味深いものがあります。
 昨年前半は、ヒラリー・クリントン候補が初の女性大統領になるのではないかという期待と予想がメディアでも主流となっていました。いうまでもなく、彼女は、クリントン大統領の夫人であり、上院議員及び国務長官(日本の外務大臣)として豊富な政治家としての経験を蓄積してきました。彼女は、もともとは、ロー・スクールの学生であった時、私が長年交流してきたナショナル・ロイヤーズ・ギルド(アメリカの進歩的法律家の組織)の専従をしており、弁護士になってから法律扶助協会に所属し貧困者のための弁護に従事していました、また、夫の大統領時代(第一期)には国民皆保険の導入の責任者でした。そのため、彼女に対しては、リベラルな人々からも大きな期待が寄せられてきました。しかし、彼女はイスラエルとの結びつきを強め、外交政策ではタカ派となって、退任後も大資本からの多額の献金を受けて選挙資金を蓄えてきました。従って、リベラル派や進歩的な人たちはもはや彼女のことは信用していない状況です。彼女が立候補を表明してから、爆発的な人気が起きない一因はそこにあるようです。(続)


安倍内閣の暴走を止めよう!
一・一九あいち集会&デモを開催しました

愛知支部  中 谷 雄 二

 一月一九日、名古屋でも雪がちらつく寒さの中、名古屋栄の繁華街に一〇〇〇人の市民が集まり、戦争法制廃止、辺野古新基地建設中止、緊急事態条項反対を掲げて集会とデモを開催した。
 この行動は、昨年四・二八以来、愛知でこれまでの枠組みを超えた幅広い市民が結集して戦争法制反対・辺野古新基地建設中止を訴えて街頭宣伝、集会・デモを繰り返してきた安倍内閣の暴走を止めよう!共同行動実行委員会(以下、共同行動実行委員会という)の呼びかけによるものである。共同行動実行委員会は、昨年、一二月、正月を越えても市民が反対の声を上げ続けることが重要だということから今年の参議院選挙まで毎月一九日に集会とデモを続けようと決定した。寒さに加え、呼びかけの時間もない中での開催で何人が集まるか最後まで心配したが、市民は怒っていた。
 集会は、沖縄県人会副会長の上運天さんの三線と歌から始まった。三線の伴奏で歌う「沖縄を返せ」の大合唱には参加者の思いがこもった。司会はSEALsより少し年長の若者たちの団体びDemos Kratiaの村田さん。最初の若者からの訴えはDemos Kratiaのチェリーさんとルセールさん。チェリーさんの「この運動で、私は人生を生きなおしています。」という言葉が参加者の胸に沁た。続いて名古屋大学教授の和田肇さんは、一・経団連会長が名古屋大学出身。二・自衛隊員募集が学園に入り込んでいる。三・自衛隊の軍事研究を大学が受け入れていると、最近の状況を報告した後、安倍首相は、次の参院選で改憲に必要な三分の二をめざすと表明したが許すわけにはいかない。そして、「私は学者らしく闘う。民主主義とは何か、立憲主義とは何かを訴えていく。」と熱く語った。発言の最後は、沖縄県人会副会長の上運天さんは、「地球環境のことを考えれば、米・日・沖縄は同じテーブルにつくことができるはずだ。海を守るために話し合ってほしい。」という沖縄県人会会長のメッセージを代読した。最後に代表の私が、「まとめと行動提起」で「私たちは怒りに燃えて立ち上がった。今後も毎月一九日、集会とデモを敢行する。安倍首相は改憲を具体的課題として掲げ、緊急事態条項を導入しようとしている。マスコミはお試し改憲というが、そんな軽いものではない。閣議決定によって基本的人権を制限でき、国会の承認は事後でも可、百日ごとに承認をすれば何時まででも延長ができる。宣言後は議員の構成が変わらない、まさに独裁ではないか。私たちは、安倍政権を打倒するために、参議院選挙で戦争法に賛成した自民・公明の議員を落選させよう」と訴えた。
 その後、すっかり恒例になった名古屋のデパートが集中する繁華街を一周するデモ。今回のデモの先頭は、その発言で参加者を感動させたチェリーさんたち女性三人と私、いつもと違う雰囲気に、寒さからいつもに比べれば少なかった歩行者も、一〇〇〇人にも上る隊列に手を振ったり、途中からデモに参加したりと昨年、行動を始めた時に比較して反応がよい。デモの隊列は長々と続き、最後にDemos Kratiaのサウンドデモが通ると一際沿道の反応はよくなった。デモ隊の最後まで参加者に声を掛けていると、最近では、参加者から「今度は何時やるの。」「今後もがんばろう」との声がかかる。
 戦争法廃止を訴える闘いは、憲法改正を阻止する闘いに直結している。全国の津々浦々でこのような声を大きくあげ続ける必要がある。団員は運動の中に飛び込むことが求められている。


「自衛隊をウォッチする市民の会」の活動について

東京支部  種 田 和 敏

 ウォッチの会も設立からまる三年がすぎました。ここで、これまでの活動を簡単に振り返ってみたいと思います。
一 設立
 まず、二〇一二年六月に陸上自衛隊のレンジャー訓練の一環として、練馬と板橋の市街地を白昼に完全武装した自衛隊員が行軍訓練をするという事態が発生しました。実に、二三区内で基地外での武装訓練は四二年ぶりのことでした。その後、立て続けに二〇一二年七月には、二三区内全域に自衛隊が展開し、区役所や公園で通信訓練をするという出来事もありました。このような活発化する自衛隊の活動に危機感を持った市民が二〇一二年一〇月に結成したのが、自衛隊をウォッチする市民の会(略称:ウォッチの会)です。
二 これまでの活動と成果
 ウォッチの会は、設立以来、憲法九条を武器に市民目線から平和を守る運動を展開し、具体的には、学習活動(内藤塾や例会の開催など)やウォッチ活動(駐屯地祭ウォッチなど)、申入れ活動(駐屯地交渉など)を行ってきました。
 ウォッチの活動の成果としては、上記市街地でのレンジャー訓練については、申入れなどを行い、二〇一二年六月に強行された以外は阻止することができています。また、二〇一三年四月には、自衛隊基地でのイベントなどで自衛隊が市民に銃を触らせていた件について、当時の防衛大臣らを銃刀法違反で刑事告発し、結果的に、それ以後、市民が銃に触れることを阻止することに成功しました。さらに、二〇一四年から都立高校の生徒が防災訓練と称して、自衛隊の駐屯地に宿泊する行事について、自衛隊の狙い(広報・募集目的)を指摘するとともに、その実施をやめるよう働きかけ、二〇一五年度には、生徒が自衛隊の駐屯地内で宿泊することを断念させるという成果を勝ち取りました。
三 二〇一五年の活動
 ウォッチの会の二〇一五年の活動としては、二月(若者たちの秘密保護法反対運動)、三月(学校を戦場の入口にさせない第三弾企画)、七月(言論の自由がなければ戦争へ)、一一月(女たちの戦争と平和資料館への訪問企画)に例会を開催しました。また、四月の練馬駐屯地祭では、改善を申し入れた事項(子供を戦車の上に上らせない、東条英機の遺品を展示室の入り口に特別展示しないなど)のほとんどが受け入れられる結果となりました。さらに、九月には、練馬工業高校が授業の一環として練馬駐屯地へ「自衛隊見学」と称して生徒を連れて行っていたことについて質問をし、今後は自衛隊見学をしないことを約束させました。最後に、既に三年目になりましたが、内藤功弁護士を講師に、『憲法九条裁判闘争史』をテキストで行う「内藤塾」も実施しました。戦争法が国会で強行採決される中、砂川事件、恵庭事件、長沼訴訟、百里訴訟、イラク派兵違憲訴訟といった、これまでの憲法九条をめぐるたたかいの教訓に学びながら、今現在の問題にどう対処するかを語り合いました。
四 おわりに
 二〇一六年も、平和をめぐる情勢は問題山積です。ウォッチの会は、憲法九条を武器に、市民目線から、戦争に反対し、平和を守る運動を継続していきたいと考えています。


核抑止論は核拡散をもたらすことになる
―北朝鮮の水爆実験を例として―(下)

埼玉支部  大 久 保 賢 一

核拡散のおそれ
 各国政府が、北朝鮮の核保有を禁止するのであれば、自国も核兵器に依存することを止めるので、貴国も止めようではないかというべきであろう。それが大小各国の同権を前提とする国際社会における道理であり理性的な態度というものであろう。(vii)それをしないままで、核不拡散だけを強制しても、それは早晩破綻するであろう。身勝手で不平等な主張だからである。
 現に、北朝鮮の水爆実験を受けて、韓国にも核武装をすべきだという議論が見受けられる。(viii)「金政権は、天が二つに割れても核は放棄しないと公言している。今後も、水爆、ICBM、SLBMを目標に突き進むであろう。日本のように核兵器を作る能力のある『核武装選択権』を検討する必要がある。」というのである。核兵器の韓国への水平的拡散である。
 こうして、核抑止論による核不拡散政策は、北朝鮮の核開発をとめられないだけではなく、新たな核拡散の危険を招来しているのである。この事態は核抑止論が本来的に内包する矛盾の顕在化である。
敵視政策の放棄を
 北朝鮮の核保有の動機は、米国の敵視政策に対抗し、国家主権と民族の生存を防衛するためとされている。米国が北朝鮮に対する敵視政策は止め、北朝鮮がそれを信頼できれば、北朝鮮の核保有の動機はなくなるのである。
 米国は「ならず者国家」を地上から抹殺してきた。北朝鮮は「ならず者国家」と名指しされてきたのである。
 「労働新聞」の社説は、「今日に至るまで米国の核威嚇を受けている朝鮮を、どの国も救おうとしなかった。自分の運命は自力で守らなければならない」としている。(ix)こうして、北朝鮮は「小型化された水素爆弾」(x)の開発という核の垂直的拡散を進めているのである。
 私は、北朝鮮に味方をするつもりはない。けれども、米国は北朝鮮に対して消極的安全保障(xi)を提供すべきだと考えている。なぜなら、北朝鮮の核開発の動機付けが解消されれば、単に北朝鮮が安心するかどうかではなく、北東アジアの非核化と平和につながると期待するからである。
結語
 私は、北朝鮮の水爆実験を非難する。のみならず、核兵器国や依存国の核抑止論も非難するし、核兵器廃絶に向けての交渉開始とその早期妥結を求める。私は、核クラブ(xii)が構成する安保理決議や米国の核の傘に依存する日本政府の制裁などは、北朝鮮の敵愾心を煽るだけで、核の放棄などにはつながらないと考えている。
 今、国際社会では、核兵器の非人道性に着目しての核兵器廃絶の動きが強まっている。核兵器を国家安全保障の道具とするのを止めようという潮流である。
 私たちは北朝鮮の核実験とその保有を責めるだけではなく、核抑止論を乗り越え、核兵器に依存しない世界の実現を求めなければならないのである。
二〇一六年一月二二日記
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(vii)国連憲章二条一項は、「この機構は、そのすべての加盟国の主権平等の原則に基礎をおいている。」としている。
(viii)「朝鮮日報」二〇一六年一月一七日のユ・ヨンフォン論説委員のコラム
(ix)に同じ
(x)北朝鮮政府の声明で使用されている表現
(xi)攻撃的軍事同盟ではなく、先制攻撃はしないという消極的な保障
(xii)国連安保理の常任理事国は全て核保有国である。


千葉県銚子市・県営住宅母子心中事件の
悲劇を繰り返さないために(下)

東京支部  林     治

三 国土交通省との交渉
 二〇一五年一二月二二日には国土交通省に対しても要請行動を行った。
 国土交通省では、今回の事件が起きたのですぐに二〇一四年一一月五日に通知(「公営住宅の滞納家賃の徴収における留意事項等について」)を出した。これにより、国交省として減免制度の周知を依頼しているとのことである。滞納が生じた場合には通知では「法令等の規定による督促等の措置を早期に講じて、事情を十分に把握すること」を求めているとの点を強調していた。
 しかし通知を出して周知を求めるだけで十分なのかは疑問である。
 調査団側から、ライフラインが止められた場合の連携や、収入申告する場合の申告額で自動的に減免制度を適用すること、減免の窓口を各市町村に設置することを求めたが、これらについては「個人情報保護の点から難しい」「課税対象の所得以外の所得も考慮して減免を決定しているので難しい」「窓口の設置は自治体の問題であり国交省が窓口を増やせとは指示できない」との回答であった。
 また、家賃の徴収を民間に委託することは各自治体の判断ではあるが、委託している場合にも一一月五日の通知を踏まえることが必要であるとのことであった。
 各自治体の担当者と会合を持つことがあるので、こういった機会を利用して、各自治体で減免制度の周知徹底のさせ方や実情把握については情報提供することはある。しかし、国交省としては、自治体の事務に口を出すことはできないとのことであった。
 確かに、国交省が今回の事件を受けて速やかに通知を出したことは評価できる。しかも、その内容も滞納世帯からの取立てを強化するというものではなく、滞納世帯の実情把握を求めていることも妥当である。
 しかし、全体として、「各自治体の判断である」との一言で国交省として何らかの行動をすることまでは極めて消極的であった。
 もっとも調査団が国として減免制度の遡及適用を禁止しているのかということをしつこく確認したところ、公営住宅法一六条には「家賃を減免することができる」としか規定されていないので、法で減免制度の遡及適用を禁じていない、遡及適用するかどうかは、各自治体の判断で条例で決めてもらえればできると明確に回答をした。
 これまで千葉県との交渉では「遡及適用はできない」とのことであったが、国としては遡及適用は禁じていないとのことであった。そこで、今後は各自治体で減免制度の遡及適用を求めていくことも重要になる。
 仮に、本件事件の母子世帯に減額制度の遡及適用がされていればそもそも滞納は生じていなかった可能性が高い。
 国交省の交渉で、この回答を得たことは非常に重要であった。
四 最後に
 本件の母親に対する刑事事件では、殺人罪で懲役七年が確定した。
 県営住宅の家賃減額措置がとられていたら、生活保護を利用できていたら、この事件は起きなかったであろう。
 本来公営住宅は住宅確保に困窮する低所得者が入居する住宅であるから、安易な明渡請求はされるべきでないはずである。行政には強制執行をしたらどうなるのか、生活保護の利用を拒否したらどうなるのか、想像して業務を行うことを強く求めたい。


対リニア地域戦略と相模原の成果(上)

東京支部  和 泉 貴 士

一 「リニア新幹線を考える相模原連絡会」との出会い
 二〇一四年一一月、とある地域住民を対象としたバス旅行に参加した翌日のことだった。
 バス旅行で同席したNさんという方が自宅に来た。リニア反対運動について一度相談したい、近所の公民館で会議があるので参加しないか誘われた。それが、「リニア新幹線を考える相模原連絡会」(以下、「連絡会」と略す。)との最初の出会いだった。
二 連絡会の活動と可能性
 連絡会は、相模原市内の各地に存在するリニア反対運動団体の連合体である。私が会議に参加した時点で、定期発行しているニュースは二四号を数え、定期的に地域住民対象の勉強会(リニアカフェ)を開催したり、学者や専門家を呼んでのシンポジウムを三ヶ月に一回程度のペースで行っていた。また、相模原の地域雑誌で、リニアによる環境破壊や経済効果への疑問について、積極的な情報発信を行っていた。リニア反対の署名も独力で一〇〇〇筆以上集めていた。
 第一印象として感じたのは、人材の豊富さとバイタリティーだった。議事録は毎回詳細なものが作成されメーリングリストで共有、メンバーは地域住民への戸別訪問を臆することなく継続的に行っていた。連絡会が持つそのような素地に、弁護士の知恵や経験を加味することで、大きな運動のうねりを作り出せるのではないかと考えた。
三 地域活動のための弁護団の創設
 二〇一四年の段階で、リニア建設工事の不合理性は既に多くの人が語る問題となり、連絡会においても国が行った事業認可の取消訴訟を通じて、国民的世論を喚起するという方針がほぼ固まりつつあった。他方で、本気でリニアの建設工事を止めるためには裁判に依存するだけでは不十分なことも明らかであった。行政裁量論、公定力、事情判決の法理、日本の環境訴訟が克服しなければならない壁は厚い。本当にリニアを止めたければ、裁判によって国民的世論を喚起するととともに、運動によって工事を遅らせることが不可欠であると考えた。
 とくに、リニア建設の事業主体はJR東海という一民間企業による巨大アウトソーシングとして行われる点が重要だ。リニアの建設工事費は九兆円(東京大阪間)、これはJR東海の経常利益(年間約一五〇〇億円)の六〇倍にもあたる。JR東海はリニア建設のため多額の融資、社債発行を行なっているため、工事が遅れれば遅れるほど年間二〇〇〇億にものぼる金利がJR東海を苦しめ、需要予測に甘さがあるJR東海は経済的に行き詰る。そのような戦略のもと、相模原地域全体をいわば地雷原化しようと考えた。一時間に一本しか停車しない駅を作るために大規模再開発を行う橋本、車両基地ができる鳥屋(とや)、大規模な土盛りがされ集落が埋まってしまう小倉、非常口と残土処理場ができる牧馬(まきめ)、一日七七〇台のダンプが通行する道志、工事が行われるあらゆるあらゆる地域で反対運動が起こり、JR東海が工事に着手しようとするたびに次々と新たな障害に突き当る、それこそがリニアを止める大きな力になりうると考えた。
 八王子合同法律事務所から尾林、白神弁護士、まちださがみ総合法律事務所から徳田、足立弁護士に参加をお願いし、地域運動対策の弁護団を創設した。私と足立弁護士が橋本での会議に張り付き、各地で発生する突発的事態には他の弁護士がフォローするような体制を組んだ。
四 鳥屋トラスト
 リニアの総論的な問題点については、既に団通信一五四四号(http://www.jlaf.jp/tsushin/2015/1544.html#a05)に関島弁護士が投稿されているので参照されたい。ここでは、相模原における特筆すべき反対運動を二つ挙げる。
 まず、鳥屋地域の反対運動を紹介する。
 鳥屋は相模原市緑区、宮ヶ瀬ダムの近くにある集落だ。集落の背後にある山に盛り土して、五〇ヘクタールにもおよぶ巨大な車両基地の建設が予定されている。連絡会は、トラスト運動の候補地として、鳥屋の地権者に対して定期的な接触を続けてきた。また、自治会内部においても集落を分断し、沢を埋め、狭い道路や橋を一日七〇〇台ものダンプが走行する車両基地計画に対し、反対の声が挙がっていた。
 連絡会は、春と夏、二度にわたって地権者の方々にオルグに行き、一人の地権者の方からトラスト用地の提供について了解を得た。また、他の地権者の方が経営する組紐工場(かつての養蚕産業の名残りで組紐工場が多い。)の見学会なども行い、地域と運動の融和を図った。
 私も何度かオルグに参加し、九月にはトラスト予定地の現地視察を行った。想像以上に深い山林だった。日曜日で子連れの私は三歳児を抱えて汗まみれ、山から下りると全員足首を山ヒルに四〜五箇所噛まれていた。オルグ先の組紐工場の奥さんが塩を用意してくれ、山ヒルに塩をかけると玄関先に血が滴った。もっとも、オルグ先の警戒感を解くには丁度良かったように思う。蛭に噛まれて慌てる都会っ子達を居間に迎え入れ、菓子など振舞ってくれた。なお、山ヒルは、宮ヶ瀬ダムの建設工事でエサ場を失ったイノシシが運んできたらしい。
 トラストは、弁護団での議論の結果、「筍トラスト」というものを試みたいと考えている。年会費を払えば、トラスト参加者には山での筍掘りの権利が与えられる。一番美味しい時期はゴールデンウィークらしいので、皆で筍掘りを楽しみつつリニアを考えるイベントを行いたいなどと考えている。イノシシに先に筍を喰われないように、まずは罠を仕掛けなければならない。トラスト自体は近日中に実現する予定だ。(続)