<<目次へ 団通信1561号(5月21日)
荒井 新二 | 歴史的な歯車を回す |
齋藤 耕 | 札幌における五・三の取り組みについて |
土居 太郎 | 大盛況!千葉県憲法記念日の集い |
江夏 大樹 | 憲法集会〜明日を決めるのは私たち〜 |
玉木 昌美 | 憲法集会・滋賀における取り組み |
園田 洋輔 | 姫路・憲法集会 |
良原 栄三 | 紀南での憲法記念日 |
石口 俊一 | 広島での五・三憲法集会 |
中野 和子 | 六月四日「女の平和」行動 〜戦争は弾圧と貧困とともにやってくる〜 |
田中 隆 | 選挙制度改革法案と参考人陳述 |
志田 なや子 | 労委救済命令取消請求事件の緊急命令で差別是正を勝ち取る |
山下 潤 | リニア中央新幹線は経済合理性のない乗り物 〜リニアは絶対にペイしない〜(下) |
笹田 参三 | 旬報社発行:「なぜ母親は娘を手にかけたのか」(居住貧困と銚子市母子心中事件)をお勧めする。 |
山本 完自 | *北海道特集・その五* 新・人間裁判〜生活保護基準引下げ違憲訴訟・札幌訴訟〜 |
※憲法集会特集を組むにあたりまして、たくさんのみなさまから原稿をお寄せ頂きました。誠にありがとうございました。
今号と次号の二号にわたって特集を行います。掲載は原稿到着順にご紹介させて頂きます。
団 長 荒 井 新 二
五月三日の憲法記念日行事は全国各地で多彩な催しとアクションが行われた。新聞報道では集会の講師や報告者、憲法劇の出演や企画などで全国の団員が活躍している。集会やデモ・パレード等の連絡先などにも団員事務所名が目立っていた。その裡に数知れない多くの団員の、これまた無数の努力があり、運動を裏方で運動を支えていることが分かる。心からごくろうさまとエールを送りたい。
公布から七〇年目の節目にあたる本年は、現政権がそれに先立つ夏の選挙で改憲勢力で発議に必要な三分の二以上の議席獲得をめざしている。これに対して「野党は共闘!」の市民の声に励まされて、昨年成立した戦争法を廃止し、安倍政権による改憲を必ず阻止しようとする広汎な運動が大きく前進している。直近の五月二〇日に岐阜県で統一候補が実現したことを含め、全国で二五の野党共闘が実現し、今後も増えそうで、国民の切実な期待にこたえている。現政権に対峙する態勢が国政レベル・全国規模で立ち上げられていることは画期的であって、われわれは今まぎれもなく歴史の転換点のただ中にある。こういう情勢をつくり出すまで、これまでに全国の団員のはかり知れない苦労があったはずである。その献身と尽力に対しては勿論、同時に立候補を表明し奮闘する団員の高い志に心からの敬意と感謝をささげたい。全国の団員は揺るぎない前進的な営為のうちに、改憲を許さず安倍政権の退場を求めるという目標を必ずや、我らの手で成し遂げることを誓いあいたい。
団通信では今号と次号で全国の憲法記念日を中心にした取り組みについて特集を組むことにした。期の若い方からベテランの団員を含めて各地ではすでに旺盛な運動が進んでいる。その熱い息吹をこの便りから全国の団員が肌で感じとってほしい。そして現政権による、九条を亡きものにしようとする動きを確実に封じ、塗炭の苦しみにあえぐ国民のいのちと生活を守るための政治的社会的な動向と状況を具体的につくり出していこう。歴史の歯車を回しながら今の情勢を大きく切り開いていく、この革新的な運動に十分に自信と希望を持ちながら、この「チャンス」に団員諸氏が持てる力の最大限を尽くすことが求められている。
北海道支部 齋 藤 耕
憲法記念日の五月三日、札幌においては、長きにわたって、団北海道支部も参加する北海道憲法会議などが主催する「憲法を語ろう!道民集会」と平和運動フォーラムが主催する市民集会がそれぞれ開催されてきた。
今年五月三日の取り組みをより大きく、多様な層に参加を呼びかけるにはどうするかについては、昨年秋頃から、大きな課題として議論されていた。
というのも、安保法制反対の運動の最終版の二〇一五年九月、憲法会議も参加する「北海道憲法共同センター」と平和運動フォーラムが事務局を務める「戦争をさせない北海道委員会」が事実上の共同のデモを開催し、北海道選出の民主党(当時)議員と共産党議員が並んで挨拶する画期的な一歩を踏み出し、安保法制制定後も、毎月一九日(参議院本会議で強行採決が行われた日)に、上記枠組みで、安保法制廃止を求めるデモを継続して行ってきた。正に、立場の違いを超え、立憲主義の回復、「アベ政治NO!」の一致点での共闘が進んだ。
そのため、五月三日の取り組みも、従来通りのそれぞれ別々に集会を行うのではなく、統一した取り組みを行いたいとの思いは、多くの関係者の間で共有されていた。
しかし、統一集会実現への途は、決して楽ではなかった。
これまでデモを統一したとしても、主催者は、「戦争をさせない北海道委員会」であり、北海道憲法共同センターの共同代表が挨拶を行うことはあっても、対等平等な形での統一デモではなかった。
共闘のあり方をより強固なものにすべく、主催者をどうするか、政党代表者の挨拶をどうするかなどを巡り、協議を継続するも、一旦は、統一の取り組みを諦めかけたこともあった。
しかし、全国的に注目を集めた衆院北海道五区の補選において、池田真紀氏を安保法制に反対する野党統一候補とすることに成功して、選挙運動を行う中で、並行する五月三日の集会開催に向けての取り組みを別々に行うことは、野党共闘による憲法擁護を求める道民の期待に反することになるとの懸念があった。このことが、最終的に統一の取り組みを行うことの後押しとなったものと理解している。
このようにして、実現した統一集会は、晴天の五月三日午前一〇時三〇分から大通公園で行われた。
集会は、約一時間程度、主催団体代表者、道内の憲法学者、若者らのリレートークが行われた。
特に、印象的であったのは、衆院五区補選で善戦した池田真紀氏の力強い挨拶であった。
リレートークの最後には、四月末時点での道内での二〇〇〇万人署名として道内において、戦争をさせない北海道委員会、共同センター併せて、合計約七六万筆を集めたことが報告され、参加者から歓声が上がった。
その後、参加者は、札幌市中心街をデモ行進し、解散した。
デモ参加者は、約一二〇〇名程度であり、デモの最後尾には、札幌では恒例となった若者らによるサウンドデモが行われ、テンポ良くデモが行われ、付近の市民へ大いにアピールすることができた。
振り返ってみて、初めての憲法記念日の統一的な取り組みは、今後解決すべき課題もあったが、成功といえよう。
そして、この取り組みが、今後の様々な闘いにおいて、連帯の輪を広げることへ期待を抱かせるものであった。
千葉支部 土 居 太 郎
はじめに。
私は六八期の土居太郎と申します。今回は、五月三日、私が司会を行った県憲法会議と共同センター主催の「五・三憲法記念日の集い」について報告いたします。なお、私は自由法曹団弁護士として司会を行いました。
集いの概要。
今年は、経済学がご専門の神戸女学院大学教授の石川康宏先生により「安倍流改憲の道か、日本国憲法の道か ―主権者は軍事立国をめざすアベ政治を許さない」というタイトルで講演をしていただきました。
また、千葉うたごえ協議会による合唱やママの会のスピーチがあった他、千葉県弁護士会会長山村清治先生にも来賓として参加していただき、挨拶をしていただきました。主催者の煖エ勲団員が開会の挨拶を担当いたしました。
なお、同集会は毎年行われています。
集会について。
私にとってはじめて主催者側として参加した憲法記念日の集会で、私は忘れがたい印象と多くの学ぶべきものを得ました。
第一に、当日の参加人数が予想を大きく上回っていたことです。参加者用の資料は多めに五五〇部用意していたのですが、それが全て無くなりました。さらに、スタッフの分の資料も使いましたが、それでも参加者全員に資料は配れませんでした。席も満員で、廊下で聞いている方もいらっしゃいました。結局、参加者は七〇〇人近くになり、カンパも例年を大きく上回る額が集まりました。
現在の日本社会の危機、日本国憲法の危機に多くの人々が関心を寄せていることが分かり、身が引き締まる思いでした。
第二に、千葉県弁護士会会長が挨拶をして弁護士会として安保法に反している旨述べてくださったことが印象的でした。多くの弁護士達が現在の憲法の危機に立ち向かっているということを再認識いたしました。
第三に、石川先生の講演は、内容・手法ともに学ぶべきことが多々ありました。
石川先生の講演は、現社会・現政権の問題点を取り上げた他、現政権が目指していること、シールズが取り組んでいる活動方法等につきパワーポイントを用い、ユニークな語り口で、かつ、丁寧に取り上げるものでした。石川先生のお話は、子どもの貧困、奨学金問題、非正規の問題、安保問題、改憲問題等新聞やテレビでよく目にする話題ですが、先生は、それを体系立てて、かつ、面白く取り上げており、大変参考になりました。
私が憲法に関する学習会をするときは、つい後ろ向きというか暗くなりがちな話が多くなってしまうのですが、やはり何事も楽しんでやらないといけないと反省いたしました。
終わりに。
繰り返しになりますが、集会の参加者の数には驚かされました。少し多めに資料を用意したのに、予想を上回る数の参加者が来て、多くの国民が憲法の問題に関心を持っているという状況に嬉しく思うのと同時に(資料を渡せなかった参加者には申し訳ありませんが・・・)、事態はそれだけ深刻ということを再認識いたしました。
今年の憲法記念日の集会は、全国的にかつてない盛り上がりを見せました。私も、団員として、県民の皆さん、そして団員の皆さんと共にこの憲法の危機に立ち向かいたいと思います。
東京支部 江 夏 大 樹
二〇一六年五月三日、晴天と強風の中、有明には五万人の人たちが集まった。
有明駅を出ると、ひと・ひと・ひとで、集会会場の有明防災公園にいたるまでも、人でごった返していた。会場に入ると、各グループは、旗を立てており、大漁旗をかかげているかのような不思議な光景であったが、なかなか見つからなかった自由法曹団の旗は遠く、後方にあった。
集会では、各政党からのスピーチがあり、志位和夫氏は、三つの旗印(戦争法廃止、立憲主義を取り戻す、改憲阻止)を掲げて、野党共闘を実現させようと呼びかけ、あの小沢一郎氏が、「ただ一点、憲法の理想を実現するにせよ、安保法を廃止するにせよ、選挙に勝たなければならない」と言った。このようなことからも、野党共闘への意気込みがひしひしと伝わってきた。
また、学生団体「SEALDs」の奥田愛基さんも、「主権者は私たち。憲法は私たちの言葉であり、現政権のルールを無視した政治は許されない」と発言し、老若男女の結束の場となったと思う。
平成生まれの私であるが、政治に興味を持ち出したのも、ほんの数年前。そんな何も知らない私ながらも、この憲法集会には、とてつもない熱気を感じた。戦後かつてない新しい市民運動の真っ只中に自分がいることを再認識する機会となった。
憲法が現状に則していないから、憲法を変えるべきだという言説が、日々聞かれる昨今であるが、「この厳しい現状を憲法に近づけることこそが大事である」という社民党の吉田忠智氏の言葉に、強く同意する。価値観の押し付けから、少数者の人権は侵害され、価値観の押し付けから、戦争がはじまる。しかし、日本国憲法のもとでは、価値観の違いを超えて、「個」人として尊重され(一三条)、思想良心の自由その他の諸々の自由を保障している。「みんな違ってみんないい」という寛容の精神と「持てる者が持たざる者へ」という助け合いの精神という二つの精神を再現した日本国憲法の理念に近づくことこそ、あるべき姿であると私は思う。
憲法九条を、理想主義にすぎず、ユートピア的な発想だと批判する自民党の壊憲草案のような弁護士に私はならない!
東京法律事務所において、あるべき自分を見失うことなく、日々着々と精進し、いずれ大輪の花を咲かす弁護士に、私はなる!
滋賀支部 玉 木 昌 美
滋賀県においては、安倍政権の改憲策動に対し、憲法記念日前後に集会等いくつもの取り組みがなされた(五月集会の特別報告集の報告の続編)。
まず、滋賀弁護士会は、四月二三日、野洲市において、「平和的国際貢献を考える〜憲法九条を持つ日本しか果たせない役割〜」と題して、憲法記念のつどいを開催した。日本国際ボランティアセンターの谷山博史氏に講演をいただいた。紛争現場を知らない政府が「かけつけ警護」などを主張するナンセンスさ、一発でも銃を撃てば戦闘に巻き込まれること、軍隊を派遣しない日本に対する国際社会の信頼感等軍事に頼らないことの重要性を改めて確認でき、感動した。当日は一四〇名の参加があり、多くの感想が寄せられた。また、四月一九日、滋賀弁護士会主催で、九カ所の駅頭で安保法制の廃止を求める一斉街頭宣伝を行った。九か所の駅頭で市民を含め、合計一〇〇名を大きく超える参加があった。石山駅では野嶋会長や永芳副会長(団員)も訴えた。各駅ではマイクを持ちなれない若手弁護士もマイクを握ることとなった。五月一九日には四つの駅頭で通学する学生向けに早朝宣伝を行う予定である。
五月三日には、近江八幡市で市民の会等の主催で憲法集会があり、高橋陽一団員が安保法制の問題点を詳しく説明した。集会では、民進党の今江県連幹事長が、四月二五日に野党三党で合意された野党共闘について発言し、統一候補の林久美子氏のメッセージを代読した。この集会には六〇名が参加した。
五月五日には、滋賀九条の会主催で大津市において憲法集会を開催した。当日は、森英樹教授に「『戦争する国』日本へと暴走する安倍政権―どう立ち向かうか」と題して講演していただいた。憲法ができた直後の国民の意識状況から展開され、立憲主義の重要性、緊急事態条項の問題点等をわかりやすく説明された。当日は、三二〇名の参加があったが、大変好評だった。
「市民の会しが」は四月九日に栗東市で県民集会を開催し(二五〇名の参加)、安保法の廃止、立憲主義の回復、個人の尊厳を大切にする政治の実現を目的に野党共闘を求めてきたが、四月二五日に民進党、共産党、社民党の間で野党共闘の合意ができ、統一候補が決まってからも旺盛な活動を展開している。同会は、五月一四日には市民フォーラムvol1として、尾木直樹さんの講演を、五月二一日には、同vol2として、SEALDlsの奥田愛基さんの講演を予定している(いずれも五〇〇名規模を目標)。ちなみに、私は副代表のひとりとして活動している。
憲法共同センターは、六月二日に白井聡氏の講演会を予定している。彼の『永続敗戦論』は必読文献である。安倍首相の見苦しいまでの対米従属は、占領軍が冷戦体制のもとで、急遽侵略戦争を担ったファシストたち(岸信介ら、本来戦争責任を負うべき者)を利用したことに端を発し、その末裔が自民党であるという説明はわかりやすい。
そのほか団員は憲法カフェや各地の学習会の講師を担当している。
滋賀においては、あらゆる団体の活動を展開して、県民世論を変え、憲法秩序を取り戻そうとしている。そのための活動に団員や団事務所の事務局も大きな役割を果たしていると自負している。
兵庫県支部 園 田 洋 輔
兵庫県の姫路市では、三八年前から、私が所属する姫路総合法律事務所が事務局となって「憲法を守るはりま集会」を主催しております。
今年は、第三八回はりま憲法集会が五月五日、姫路市民会館で開催されました。連休の最終日ということもあり、また、各地で様々集会が開催されていたこともあり(五月三日は神戸市にて一万一〇〇〇人以上が参加する憲法集会が開催されていました。)、果たしてどれだけの方が集会に参加していただけるのかと不安がいっぱいでしたが、天候にも恵まれ、実に六五〇名の参加者に来ていただき、大盛況となりました。
集会はまず、姫路の合唱団「希望」の皆様による、「新しい憲法の話〜日本国憲法第九条」(作曲:外山雄三)の美しい合唱により始まりました。
続いて、明日の自由を守る若手弁護士の会兵庫支部(通称:あすわか兵庫)の会員によって立ち上げられた劇団(通称:劇団あすわか)が、「憲法が昏睡るまで〜Darkness of the magic wand〜」という憲法劇を演じました。内容は、緊急事態条項が憲法に盛り込まれた社会で国家権力が暴走していく様を、演劇の素人である若手弁護士が迫真の演技をもって演じるというものでした。「劇団あすわか」では、二年半前から、多くの憲法劇を演じてきており、今回の劇は、その第四作となり、本邦初公開でした。なお、私も劇団員として参加いたしました(「劇団あすわか」では、随時公演依頼を受け付けております☆)。
そして、次に、集会の目玉企画である、泥憲和氏と雨宮処凛氏の対談が行われました。泥憲和氏は、元自衛隊員。雨宮処凛氏は、(元右翼)活動家。泥氏と雨宮氏の対談では、保守の側にいた二人が、なぜ、憲法を守ろうという立場に立って大きな声を上げるようになったのかということを自らの体験に基づいて語っていただき、「右翼」と「左翼」という違いはどこから生まれてくるのか、考え方はどこが違うのか、その違いを理解した上でどのように共闘していけるのか、という観点からとても分かりやすい言葉で話をしていただきました。特に、対談の中で、「この一年、若者たちが立ち上がった」として、社会に無関心といわれていた若者たちが、いま、立憲主義を守るために立ち上がり、いろいろな分野で頑張っていることが紹介され、若い人たちの力をも結集すれば憲法改正は必ず阻止することが出来ることを確信させてくれる話でした。
その後、集会の参加者全員で、会場内にて「戦争法廃止」のプラカードを掲げ、壊憲反対の意思を示しました。
そして、最後に合唱団「希望」による「その手の中に」(作曲:安広真理)の合唱により、集会は盛大な拍手に包まれ、集会は閉会しました。
今年は、いよいよ参議院選挙が夏に行われ、「右派」・「左派」の垣根を越え、これまでの安倍政権の暴走政治にNO!を突きつけることができるのかという決戦の年でもあります。
これからが正念場です。これまで以上に、憲法を守れという声を大きくして、夏の参院選に臨みましょう!
和歌山支部 良 原 栄 三
紀南では、五月三日に主催:紀南九条交流ネット(田辺九条の会、輝け状!芳養の会、変えたらあかん中辺路九条の会、輝け九条・龍神の会、上富田九条の会、白浜九条の会、すさみ九条の会、九条ママメット「キュッと」、田辺・西牟婁九条連絡会)、協賛:戦争する国つくりストップ・田辺西牟婁住民の会等により、紀南文化会館小ホールを満席にして、講師宇都宮健児弁護士を迎えて『どこがあかんの?戦争法(安保法制)』―戦争法と憲法改悪を許さないないためにーと題する憲法記念日のつどいが開催され、大成功をおさめた。
宇都宮健児講師は、戦争は、最大の人権侵害である、憲法が今最大の危機を迎えている。明文改憲に向けた動きが進んでいる。これに際して、野党共闘が前進し、野党共闘を後押しした戦争法反対運動が盛り上がっている。戦争法と憲法改悪を許さなたために国会で戦争法の廃止を求める勢力が多数派となれば、戦争法を廃止することができる。また、司法が戦争法を違憲と判断すれば戦争法を無効とすることができる。戦争反対の運動を継続して、選挙運動と裁判闘争を戦っていくことが大切である。現在の総がかり市民連合の運動を継続的、恒常的な運動にしていく必要がある。私たち一人ひとりは微力であっても、決して無力ではない。一人ひとりがつながれば大きな力になって社会を変えることができると結んで大きな支持を受けた。
また、集会直後、参議院議員選挙の和歌山選挙区に立候補予定の由良登信弁護士が登壇し、戦争法阻止、安保法廃止のために全力をもって戦うことを力強く宣言し大きな拍手を受けた。
広島支部 石 口 俊 一
生憎の雨となった広島の五・三は、午後から野外での統一集会に続き、屋内での憲法集会の二つの集会を開催しました。
一 午後一時〜「平和といのちと人権を! 五・三ヒロシマ憲法集会」
主催は「ストップ!戦争法ヒロシマ実行委員会」ですが、これまで平和運動センターが中心となって開いていた「輝け九条・活かそう憲法五・三ヒロシマ集会」と、広島憲法会議が母体の「広島憲法集会・マイライフマイ憲法」が統一して憲法集会を開催することになりました。昨年五・三は、午前と午後にそれぞれ集会を開き、夕方に戦争法反対の統一デモをしましたが、今年はいよいよ統一して、旧広島市民球場の側にあるハノーバー庭園での野外集会です。
傘をさして立ち並ぶ約二〇〇〇人の参加者の前で、平和運動センターの佐古議長と、憲法集会実行委員長の私が挨拶した後、メインスピーカーの落合恵子さんが「今だから、今こそ!」と題して講演しました。立憲主義が脅かされている今、より高い志、深い思いを持ち、次の世代に引き継ぐこと、「どうしようかなと思っている人に働きかけていくことが大切」と、詩の朗読を織り込みながら呼び掛けました。その後、広島のママの会のメンバー達からの訴え、広弁の若手弁護士から弁護士会の憲法講座、街頭での戦争法反対などの活動紹介がありました。
最後に、主催委員会から、広島県内で二二万余の署名が集まっていること、さらに七月の参議院選挙まで積み上げていこうと訴えました。
二 午後三時〜「マイライフマイ憲法」で憲法ミュージカル上演
先の統一集会後、広島県民文化センターホールで、二三年目となる憲法ミュージカル「主権者って言われてもー今、覚醒のときー」を上演しました。今年のテーマは「国民主権」、一八歳からの選挙権の行使です。統一集からの引き続きの方々も交えて会場一杯の約五五〇人の参加です。
雨の中、東京へトンボ帰りの落合恵子さんが会場に駆けつけてエールを。一部は、実行委員長の私から、戦前の普通選挙と治安維持法、戦後の国民主権のもと男女平等の普通選挙、そして七〇年振りの新たな有権者二四〇万人の登場の中、「一八歳からだけではなく上の世代も、主権者として今どのような行動、公民権の行使をすればいいのかを考える機会に」という、主催者挨拶&ミニ講演「あなたが主人公」をしました。
二部の憲法ミュージカルは、共催の広島高校生平和ゼミの高校生ら一〇人をはじめ、子どもから高齢者ら市民、弁護士ら総勢五〇人を越える出演です。生演奏の憲法バンド、歌の応援の広島合唱団、裏方支援を合わせれば一〇〇人規模。
有権者となるのを切っ掛けに、「九条高校」の高校生達が、国会議事堂前のデモ、メディアの現場、介護の現場(施設から要支援の人を追い出す“卒業式”を体験)、進路相談の中での自衛隊への勧誘や奨学金問題等々を知っていく中で、「生まれて初めての選挙で、誰に入れても変わらないなんて思わずに、僕たちの未来に繋がる人を選びたい」と「しっかり使うことの大切さ」に次第に目覚めていくストーリーです(映画「SW フォースの覚醒」もヒントの一つです)。
ミュージカルは、面白くて可笑しくて為になるがモットーですから、「カイゴのゴカイ(介護の誤解)」や「自衛隊に入ろう」、「こんなはずじゃなかった」、「君は主権者」などの創作曲を、三月からの練習で仕上げた踊りとともに歌い上げ、大いに会場を沸かせました。
東京支部 中 野 和 子
今年も国会を赤いファッションに身を包んだ女性たちが取り囲み、平和を訴えます。
皆さんへの行動提起として、まず、「女の平和」HPを閲覧していただきたいと思います。
呼びかけ人は、心理学者の横湯園子元中大教授をはじめとして、青井未帆学習院大学大学院教授、浜矩子同志社大学大学院教授、詩人の浅見洋子さん、作家の雨宮処凛さん、落合恵子さん、講談師の神田香織さん、音楽評論家の湯川れい子さん、弁護士では角田由紀子さん、黒澤いつきさん、杉浦ひとみさん、藤原真由美さんなど一五名です。賛同人は、各地の団員多数が名を連ねています。
「女の平和」行動は、昨年一月一七日、安倍の暴走を許さないとして七〇〇〇人以上が集まり、その後の運動に大きな勇気を与えました。さらに昨年六月二〇日、第二回の行動では一万五〇〇〇人を超える女性たちが集まり、レッドカードを安倍政権に突き付けたのです。男性の多数の参加、協力もいただきました。いずれも東京新聞に大きく報道されました。
五月一二日の記者会見では、赤いファッションの由来であるアイスランドのレッド・ストッキング運動が紹介され、女性の九〇%が赤いストッキングを身に着けて立ち上がり、古い因習を打破し平和への道を開いていった歴史が語られました。
また、「女」という言葉には、「国民の半数」という意味もあります。日本では「過半数」かもしれません。女性が声を上げれば社会が変わる、アリストファレス「女の平和」という劇作もありますが、これも平和を願った女性たちが立ち上がった話です。
過去にも三・八国際女性デーでは、女性銀座デモを行ってきましたが、「女性たちの集まり」の場合は、夫も反対せず参加しやすいという声が多くありました。また、国会を取り囲みたいけど、男性が多い総がかり行動はちょっと気が引ける、初めてでも参加しやすい、赤いものを身に着けていればすぐに受け入れてもらえる、そのような運動への入りやすさが「女の平和」行動にはあります。そして、体験者は、皆でつながり思いを共有できた喜びで、もう一度やりたいという気持ちが集まり、今回の日程での開催となりました。
六月四日は、国会周辺だけでなく各地で赤いファッションを身に着け、集まったり、歩いたりして、赤い色で街中を染め、安倍政権ノーの意思表示を示すことが目標です。
東京支部 田 中 隆
一 二つの法案と調査会答申
自民・公明の与党と民進党がそれぞれ提出した衆議院の選挙制度改革法案(公選法・画定審議会設置法改正案)が提出されている。四月二八日、与党案が衆議院で可決されて参議院に送付され、五月中旬には成立する見通しである(共産・社民は両法案に反対、おおさか維新は与党案に賛成)。
二つの法案は、
(1)衆議院の議員定数を一〇議席(小選挙区六、比例代表四)削減して四六五議席(小選挙区二八九、比例一七四)にする(公選法四条一項)
(2)都道府県への選挙区配分と一一の比例ブロックへの議席配分に「アダムズ方式」を採用し、一〇年ごとの大規模国勢調査結果による改定を行う(設置法三条、四条、公選法一三条)。
(3)簡易国勢調査結果による改定は、小選挙区間の格差が二倍を超えた場合に、都道府県内の小選挙区の境界変更のみ行う(設置法三条、四条)
(4)望ましい選挙制度のあり方について、不断の見直しが行われるものとする(改正法案附則 与党案五条、民進党案四条)
というもので、骨格はまったく変わらない。
この法案が、一月一四日の衆議院選挙制度に関する調査会答申の敷き写しであることは、あらためて指摘するまでもない。その答申は、政党の意向を結論にした「問いをもって問いに答える」に等しいものであった。与党と民進党は「丸投げ」した調査会から投げ返された答申を、そのまま「丸のみ」したことになる。答申をめぐる問題点は、意見書「国民の声が反映する衆議院を」(三月二九日発表)などをご参照いただきたい。
与党案が前記(2)の「アダムズ方式」を二〇二〇年の国勢調査結果から適用するのに対し、民進党案は二〇一〇年の国勢調査結果からとする。与党案でも二〇一五年の簡易国勢調査結果によって定数一〇の削減は行われるから、「本格的な再配分をさかのぼって行うか」が二つの法案の違いということになる。この点について答申はなにも語っておらず、「丸のみ」しようがなかったのである。
「アダムズ方式」の採用は、「人口変動に伴う議席再配分を大規模国勢調査ごとに実施するシステム」を公選法と設置法に組み込むもので、「議席配分方式」に限って考えるなら完成度は極めて高い(こうしたシステムを法文にすると実に難解になるが)。
問題は、選挙制度改革の焦点が、「完成度の高い議席配分方式」を生み出すことではなかったところにある。
二 政治改革から答申まで
この問題で、四月二六日に参考人陳述を行った。相参考人は調査会座長だった佐々木毅氏である。
法案の「議席配分方式」を論評しても意味がないので、答申論、第二次政治改革論、政治改革論の三段構えで陳述を構成し、三月発表の意見書を配布してもらうことにした。
a 答申論
答申は並立制の二〇年の検証や本質論・制度論の検討を回避して「問いをもって問いに答えた」もの。それを「丸のみ」した法案は全面的な再検討を要する。
b 第二次政治改革論
国会内外で行われた第二次政治改革の論議は、白日のもとにさらされた小選挙区制の問題点を直視し、「過度の民意の集約」を是正する方向を共有していた。その流れこそ引き継ぐべき大道。
c 政治改革論
「政権の直接選択」を第一義にすえ、小選挙区制と政党執行部の独裁を生んだのが政治改革。国会の役割の自己否定で、劣化や歴史的低得票率の原因。政治改革そのものの抜本的な見直しが必要。
要するに、政治改革からこんにちまで、自由法曹団が二五年余にわたって主張し続けてきた国家論・国会論・選挙制度論を全面展開するもので、最後は答申に引き寄せて、衆議院には「投げ返されるべくして投げ返された問い」を受け止めて、検証と検討を行う責任があるとした。
三 国会と国会議員のあり方をめぐって
質疑・応答は実に刺激的で示唆に富んでいた。なんどか参考人をやったが、これほどおもしろかったことはない。五月三日の憲法集会で、出席していた議員や傍聴していた団体幹部から同趣旨の話があったから、筆者だけの思い込みではないようである。
まずは、佐々木氏の陳述と質疑への応答。
陳述では、答申の取りまとめに至るプロセスが淡々と語られた。「政治改革派」だけを集め、はじめに小選挙区制ありき」だった第八次選挙制度審議会(八次審)と違って、取りまとめに苦心惨憺があったのは事実のようである。
応答に登場した「更地の上の選挙制度の議論をするとは考えていなかった」「第三者委員会が国会の人数を決められるか」「立法府のあり方を全体として継続的に検討していっていただきたい」などには、調査会の「立ち位置」に対するある種の憤懣も感じ取ることができる。それあってか、見解を異にするはずの佐々木氏と筆者が、質問にはほとんど同趣旨の回答を続けることにもなった。
次に、筆者への質疑・応答から。
*選挙制度改革を進めつつ時限法で「アダムズ方式」ならわかるが、完成度の高い恒久法にすれば制度の固定化につながる(平沢勝栄議員=自民の「緊急避難的措置では」との質問に)。
*削減は妥当ではない。答申がいうとおり議員は多くない。国政課題は増え、行政監視機能が必要。一八歳選挙権で有権者も増加。委員会の人数を減らせば少数意見は反映できない(鈴木義弘議員=民進の「これからの削減をどうする」との質問に)。
*「政権を選択するのが総選挙」としたのが根本的な誤謬。重大な問題は、その誤謬が財界・メディア・一部の学界等によって外から持ち込まれ、「反対したら守旧派」とする暴風のなかで強行されたこと(穀田恵二議員=共産の「政治改革の評価を」との質問に)。
*有為な人材を送る上で現行制度は適切か。後援会を鍛えてしのぎをけずっていた中選挙区制の方が、政治家が輩出していたのでは(浦野靖人議員=おおさかの「問題議員と政治不信」の質問に)。
ほんの一部の抽出だが雰囲気は理解いただけるだろう。
法案に触れたのは冒頭の一問だけで、あとは国会論や国会議員論。政治改革・選挙制度に焦点が移った後半になると、自民党議員席などから「うなずき」が増え、終了直後には平沢委員から「回顧話」をもちかけられた。筆者が取り上げた中選挙区が、二人の自民党大物議員がしのぎをけずっていた旧東京一〇区(平沢議員は同一地域が地盤)だからではあるが、「中選挙区の時代」の認識や余韻が残っていることによる現象でもある。
選挙制度の抜本改革が悠遠のかなたに遠のいたかに見える永田町に、現行制度への疑問や不満が流れていることが確認できたのが、想定外の参考人陳述の「望外の成果」と言えるだろう。
(二〇一六年 五月 八日脱稿)
神奈川支部 志 田 な や 子
[事件の概要]
鶴川高校の学園理事長は、これまで労働委員会命令や裁判所の判決で不当労働行為であると断罪されてきたにもかかわらず、不当労働行為はおさまらず、手段方法を変えては組合に対する攻撃を行っている。二〇一一年一一月に鶴川高校教組組合員であるN教員が授業時間中に教室外にいた生徒約一〇名に対し教室に入り授業を受けるよう指導したところ、生徒から暴力をふるわれた。学園は事実を歪曲して、Nを生徒とトラブルを起こしたとしてクラス担任から外した。そのうえ、保護者と生徒に対し、学園が関係生徒を誘導して得た生徒の言い分を引用してNを担任から外した理由を記載した文書を配布した。配布した文書には生徒とトラブルを起こした不適切な教員であるので担任を解任すると記載されていた。
鶴川高校教組は、Nのクラス担任解任処分の取り消し、教師としての名誉を棄損する文書を保護者などに配布したことについての謝罪を求め、二〇一二年一月に東京都労働委員会に不当労働行為救済命令の申立を行った。都労委は二〇一三年一一月、組合の申立を認める救済命令を発した。同年一二月、学園は中央労働委員会に再審査申立をしたが、二〇一四年一二月に再審査申立を棄却するとの中労委命令が発せられた。
[学園の救済命令取消請求訴訟と中労委の緊急命令申立]
学園は、二〇一五年一月、東京地方裁判所に中労委を被告として不当労働行為救済命令取消請求の行政訴訟を提訴した(東京地裁民事第一一部に係属)。組合は二〇一五年一〇月に中労委あて緊急命令申立を求める上申書を提出した。二〇一五年一二月、中労委は、遅くとも二〇一六年四月一日までに鶴川高校教組組合員Nをクラス担任教員に就任させなければならない旨の緊急命令の申立をした。二〇一六年一月には学園が申請をした証人について尋問が行われた。同年三月に原被告、組合が最終準備書面を提出し結審し、六月二九日が判決期日として指定された。組合は、学園申請の証人尋問にもとづいてもクラス担任外しには根拠がないことを明らかにし、クラス担任から外された後に当該クラスの生徒が書いた、N先生は正しくクラス担任外しは間違っているとの作文をコンピュターソフトで字体を変形して証拠として提出した。二〇一六年三月に結審し、判決期日は来る六月二九日と指定された。
[緊急命令とN教員の担任復帰]
二〇一六年三月三一日、東京地裁民事一一部(裁判長佐々木宗啓裁判官、湯川克彦裁判官、杉山文洋裁判官)は中労委の申立を認め、鶴川高校教組組合員Nをクラス担任教員に就任させなければならない旨の緊急命令をくだした。本件決定では、クラス担任外しにより「Nは……重要な業務を遂行する機会を逸することになるし、また、Nが教員としての適格性を欠くとの誤解を生徒、保護者に充て続けることになり、……職務上、精神上の不利益が増大することになる」とし、本件命令が履行されずNクラス担任に就任させない状況が継続すると「組合員であることや正当な組合活動を理由として一度課された職務上、精神上の不利益は容易に回復できないとの印象を与え、前記の本件組合の組織や活動に及ぼす効果を増大させて、回復困難な状態に陥らせ、労組法の趣旨、目的に反する結果となることから、緊急命令の必要性があるというべきである」とした。
学園は、二〇一六年四月四日、Nを二〇一六年度一学年のクラス担任に任命し、Nは四年半ぶりにクラス担任に復帰した。労働組合法三二条は、使用者が緊急命令に違反したときは五〇万円、当該命令が作為を命ずるものであるときは、その命令から起算して不履行の日数が五日を超える場合はその超える日数一日につき一〇万円の割合で算定した金額を加えた金額以下の過料に処せられると定めている。学園は多額の過料が課されることをおそれて、担任に復帰させたものと思われる。
かつては労働委員会で勝ち使用者が不当労働行為救済命令に対して取消請求訴訟が起こした場合、必ず裁判所に緊急命令の申立をしていたが、最近は消極的になっている。労働委員会命令を実効性のあるものにするために緊急命令制度がもうけられている以上、これをおおいに利用すべきである。鶴川高校事件では原則的な対応を行い、成果をおさめたので、報告する。なお、担当弁護士は、私、中野直樹(以上、まちだ・さがみ総合法律事務所)、江森民夫弁護士(東京中央法律事務所)等である。
長野県支部 山 下 潤
四 安定的かつ継続的な経営を行うことはできない
(1)過大な輸送需要とそれに合わせた供給輸送力から導かれる
非現実的な収益計算
(前回投稿の)三項で述べた通り、JR東海は、過大な輸送需要とそれに沿った供給輸送力から導かれる非現実的な収益計算を行っているので、少なく見積もっても五兆四三〇〇億円はかかる東・名間の工事費等を返済することはできず、安定的かつ継続的なリニア中央新幹線の経営を行うことはできません。
それだけでなく、次の通り東・名間の工事費等が五兆四三〇〇億円で納まるはずはなく、この点からしてもJR東海の収支予測からはリニア中央新幹線の安定的かつ継続的な経営ができないことは明らかです。
(2) そもそも費用の予測が不十分
ア リニア中央新幹線計画(東・阪間)は、一九八〇年代末にはおよそ三兆円でしたが、九〇年代末には五兆円、二〇〇七年には九兆円と二〇年間で三倍にまで膨らみました。バブル崩壊以降、資材、労務費、長期金利などがいずれも低水準で推移したにもかかわらず、ここまで建設費が膨らんだ背景には技術開発段階での管理の甘さがあったからですが、現時点においても基本的には変わっていません。
一般的に見ても、大規模インフラプロジェクトで実際の支出総額が当初計画を下回ったことはまずない。むしろ、完成までに当初予算の二〜三倍の資金を投入したケースは珍しくありません。
例えば、東京湾横断道路(アクアライン)は、東京湾の総合的発展、東京一極集中の是正、東京湾岸道路の渋滞緩和等を目的に、平成元年(一九八九年)七月着工、平成八年(一九九六年)八月に完成、平成九年(一九九七年)一二月に供用を開始しました。しかし、工事費が当初計画を約二五%上回る一兆四四〇九億円もかかったのに対し、利用者は、開業当初で計画の三〇%弱、現在でも計画の三八%程度しかありません。そして、利用者を増やすため、通行料金を当初の四〇〇〇円から現時点の八〇〇円にまで下げた結果、当然のことですが赤字は増大し、現在でも増え続けています。
イ JR東海が公表している費用項目は、建設費(東・名間五兆四三〇〇億円、名・阪間三兆六〇〇〇億円)、維持運営費(東・名間一六二〇億円、東・阪間三〇八〇億円)の試算値にとどまり、その内訳は示されていません。
建設費は、工事費、車両費及び土地取得費を含みますが、東・名間で五兆四三〇〇億円と予測されています。工事費は、実行予算が当初予算を上回ることはあっても、下回ることはありません。工事請負会社との契約工事費が工事進捗中に減額修正されることはあり得ませんが、用地費上昇、工事中の設計変更、事故復旧工事、資材の高騰、長期金利の上昇等によって増額は現実的に避けられないでしょう。
ところが、JR東海の予測では、工事着工後当初二〇年間での物価上昇を五%しか見込んでいません。それどころか、建設中の金利負担分が未だに工事費に計上されていません。この建設中の金利負担分については、世に様々な見解がありますが、一つの試算では五四〇〇億円とも言われており(東・名間工事:三兆円×五〇%×三%×一二年)、これだけの金利負担分を計上せずに収支予測を行っているのです。さらに、JR東海は、計画公表後に中間駅工事費を自社負担に変更しましたが(当初計画では五六〇〇億円の地元負担を前提としていた)、この中間駅工事費増額分も計上されないまま収支予測が行われています。
ウ 計画通りに進まないことをJR東海は予測している
ところで、JR東海は、リニア中央新幹線は東・名間の完成まででも着工から一二年かかり、その間の工事費等で負担する莫大な負債を開通後から返済し始めても東・名間が開業する平成三九年から一〇年間は工事を停止して財務状況の回復を待たざるを得ないと既に明らかにしています。そして、財務状況が改善すると思われる平成四九年ころから名・阪間の工事にあらためて着工するとしていますが、この一〇年間にしても未知数で、JR東海は「想定外の経費増、収入減を伴うリスクに対しては、それぞれの具体的な状況に応じて工事(=支出)のペースを落とし、その間、長期債務の縮減の促進に専念する。これにより長期債務を再び適正な水準に戻した後、工事の再開、ペースの回復を行うことになる。(中略)仮に、以上のリスクへの対処により、開業目標年度の延期が生ずることがあったとしても、当社は自己負担でプロジェクトを確実に完遂できる。」などと公言しています。これは、スケジュールよりも自社財務の健全性を優先させ、新幹線鉄道網のもつ高度の公共性を全く無視した態度と言えます。
エ リニアは絶対にペイしない
平成二五年九月一八日、JR東海が環境影響評価書をまとめ、沿線ルート、停車駅の位置を公表したその日に、同社の山田佳臣社長(当時)が記者会見において「(リニア中央新幹線計画は)絶対にペイしない。東海道新幹線の収入でリニア中央新幹線建設費を賄ってなんとかやっていける。」と発言しました。この発言は、リニア中央新幹線計画は、それ単体では収支が合わないということを、計画を遂行する等の本人が認めたものであり、その意味するところは大きいです。リニア中央新幹線計画が路線としてその事業が安定的かつ継続的な経営を行う上で適切なものでないことは既に明らかです。
(3) 小括
以上の通り、リニア中央新幹線計画は、そもそも費用の予測が不十分で東・名間の工事費等が当初予算の五兆四三〇〇億円では到底納まらないことが既に明らかになっています。しかも、それだけでなく、JR東海は、過大な輸送需要を行い、それに合わせた過大な供給輸送力から導かれる非現実的な収益計算を行っていますが、そのような利益が生み出されるはずはなく、リニア中央新幹線を安定的かつ継続的な経営を行うことはできません。
五 さいごに
このように、リニア中央新幹線は、収支予測が希望的観測の積み上げに過ぎず、「こうであれば返済してやっていける」という計算をもとに逆算して、需要予測や費用の計上をしているに過ぎないのです。結局は、英仏海峡トンネルのように、途中でJR東海が経営破たんし、どこが救済するのかという議論になると予測されています。
ただ、経営破たん必至という問題点は、リニアの問題では一つの問題に過ぎないのです。最大の問題は南アルプスに大きなトンネルを掘るという点ですが、それに尽きず、山のように論点があります。また、遠くない将来、別の裁判を提起することも想定されています。それに対して、弁護団の人員は限られており、はっきり言って人手が足りません。
行政訴訟等に興味のある団員の皆さま、ぜひ、弁護団に加わって一緒に戦いましょう。
弁護士 横山 聡(弁護団事務局長、アルタイル法律事務所)
電 話 〇三―六三七〇―五六一三
FAX 〇三―六三八〇―五六一四
岐阜支部 笹 田 参 三
荒井新二団長が共同編集者となっている本「なぜ母親は娘を手にかけたのか」(居住貧困と銚子市母子心中事件)が今年五月一〇日に旬報社から出版された。
出版ホヤホヤです。団員の皆さんには、この本を是非購入し読んでいただくことをお勧めする。
貧困、社会保障問題に関心のある団員のみならず、刑事弁護を関わる団員など全てに有用です。五月集会では、定価一〇〇〇円+消費税のところ、消費税込み九〇〇円で販売する予定。
銚子市母子心中事件とは、二〇一四年九月、千葉県銚子市内の県営住宅に入居する母子世帯が、家賃滞納を理由に、県から明け渡し訴訟を提起され、その判決に基づき強制退去処分を求められた日に、母親がその中学生の娘を殺害し自分も死のうとした無理心中事件です。
母親は、裁判員裁判で裁かれ、懲役七年の実刑が確定した。
事件発生後、二〇一四年から自由法曹団貧困社会保障問題委員会の団員を中心に、全国生活と健康守る会連合会、中央社会保障推進協議会、住まいの貧困に取り組むネットワーク等が連携して、現地調査団を結成し、現地調査や行政に対する要請活動を行った。
この本の第一の特徴は、徹底した現地調査の成果が現れていることです。
自由法曹団が参加し、関係諸団体と連携して、現地調査と要請活動を実施した記録となっている。
本件は、新聞報道から事件を知った団貧困社会保障問題委員会が、前記他団体と連携して、調査団を結成して事実の解明を始めたもの、依頼者のいない事件でした。事件の重大性、重要性に鑑み、活動を始めた。依頼者のいない事件で、調査団を結成して実行することの重要性が示されている。
荒井団長によると、現地調査は、大衆的裁判闘争と並ぶ自由法曹団の伝統的活動とのことです。団は、一九二一年神戸における労働争議弾圧に対する調査団が契機となって結成された。今回は、その伝統を引き継いで実践したものです。
同時に、見えにくくなっている「貧困」を可視化する成果となっている。
二〇〇九年派遣村で「貧困の可視化」の第一歩が開かれたが、その後の貧困の深化の進行の中で、居住する権利との関連で新たな「貧困の可視化」第二段階が開かれた。
第二の特徴は、井上英夫調査団長(金沢大学名誉教授)、湯澤直美(立教大学教授)を初めとする多数の研究者との共同調査、研究が実現できたことです。
研究者の調査叙述によって、侵害されたものが、「住み続ける権利」という人権であり、居住貧困が進行していることが指摘されている。研究者との共同研究が、事実解明、事件の根幹を解明する上で如何に有用であるかが示されている。
井上英夫教授は、住み続ける権利、居住の権利が、日本国憲法、確立された国際人権条約によって保障されたものであることを指摘する。
湯澤直美教授は、女性の人権保障の視点から事件を解析している。裁判員裁判を傍聴して、母親の生い立ち、結婚生活の経過、夫の多額の負債を抱え込む過程を丁寧に追いかけている。その結果、読み応えのあるものとなっている。
我々法曹が事件検討する際の模範となる事実解明が展開されている。
例えば、夫の多額の負債を抱え込む過程では、「よき妻/よき母」として家族生活を守り抜こうとした女性が、複合的恐怖を抱え込む暮らしの中で、「心が折れる」ほどの極限状態に追い込まれていく構図を詳述する。
同時に、湯澤教授は、「裁かれる母」で、東日本大震災以降おびえて一人では寝られなくなった中学生の娘と一緒の布団で寝ていたこと、寄り添って生きてきた母親と娘の姿を記述する。そして、娘に手を掛けた後、執行官が居室に入る時、母親が見ていた映像は、娘が応援団として活躍した晴れがましい姿を撮影した運動会のビデオだった。運動会で使った赤い鉢巻によって娘の命は途絶えたことを記述する。
このように、自由法曹団が研究者との共同を進め、事案の解明、事案の本質を探る一つの経験を積み上げたことは重要です。
第三の特徴は、事件を防止できなかった問題点の指摘、その改善策の提言をそれぞれ行い、一定の成果を実現したことです。
問題点の指摘では、県のレベルでは、県営住宅の家賃減免制度がありながら周知されていないこと、未納の居住者の所得が把握できるにもかかわらず適切な案内をしていないこと、市のレベルでは、母親が生活保護の窓口を二回訪問しながら不十分な聴取のまま追い返したことが挙げられる。
国との交渉の中で、家賃が遅滞となっている中でも、過去に遡って家賃減額をすることが可能なこと、成果が明らかになった。
このように、依頼者のいない事件で、調査団を中心として問題の解明、制度の改善を求めていく一つの経験を積み上げたことは、今後の団の活動発展に寄与するものです。
この本で、荒井団長は「おわりに」の中で、悲劇的事件から後世のために多くの教訓を引き出し実効的な諸措置が積極的になされるために、(1)母子家庭が住居を失うことの意味を考えること、(2)母親が住居を失う条件に置かれていると認識した時に自殺念慮が生じたこと、(3)母子がセーフティネットの穴に落ち込み易いこと、(4)行政がセーフティネットを積極的に推進する義務があること、(5)県、市の行政各部局が母子家庭に関する情報を共有する必要性があることをそれぞれ指摘している。今後の団の活動に有用な示唆となっている。
自由法曹団にとって、母子家庭のみならず、高齢者、子どもの貧困を克服して行くことが求められているところ、この本には汲み尽くすべき多くの教訓が含まれている。
団員各位に是非この本の購読をお勧めする。
北海道支部 山 本 完 自
一 生活保護基準引下げ違憲訴訟・札幌訴訟
政府は、二〇一三年八月から二〇一五年まで三年間かけて生活保護基準(生活扶助基準)の引下げを行い、被保護世帯の生活扶助基準額が(消費税の増税に対応した引上げの影響を除くと)平均六・五%、最大一〇%も減額されました。
周知のとおり、現在、この生活扶助基準の引下げに対し、全国各地の地方裁判所で多数の生活保護利用者を原告とする訴訟(生活扶助基準の引下げによる個別の保護変更決定(生活保護費の減額)に対する取消訴訟。地域によっては、国賠請求もなされています。)が行われています。
北海道でも、北海道生活と健康を守る会連合会(道生連)の支援のもと、北海道内の約一四〇名の生活保護利用者が原告として立ち上がり、現在、札幌地方裁判所において訴訟が係属しています(以下「札幌訴訟」といいます。)。約一四〇名という原告数は、現在のところ、今回の生活保護基準引下げ違憲訴訟が行われている地域の中では最多の人数となっております。また、北海道では、二〇一六年五月一二日に二回目の生活保護基準引下げに対応する処分に対して第二次提訴も行います。
札幌訴訟では、(他の地域と概ね同様ですが、)生活扶助基準の引下げによる保護変更決定(生活保護費の減額)の取消を求める理由として、今回の生活保護基準の改定ないし同改定に基づく個別の各処分が憲法二五条及び生活保護法に違反し無効であること、同改定について厚生労働大臣の裁量の逸脱濫用があること(具体的には、生活保護基準の見直しのための検証方式が恣意的であること、物価変動の比較に用いた生活扶助相当CPIという厚生労働省独自の計算方式に問題があること等)等を主張しています。
二 「新・人間裁判」
北海道の弁護団・原告団・支援団体では、今回の生活保護基準引下げ違憲訴訟を「新・人間裁判」と名付け、訴訟と連動した運動も展開されております。
かつて朝日訴訟は、「人間裁判」とも呼ばれ、同訴訟に伴う運動は大きく拡がり、訴え提起後の生活保護基準の引上げ等につながりました。
札幌訴訟では、この「人間裁判」に倣い、原告らの生活実態の主張立証にも力を入れて、運動と連携しつつ、「健康で文化的な最低限度の生活」とは何かを問うような訴訟を展開していく予定です。
三 小括
札幌訴訟の弁護団には、自由法曹団北海道支部の団員も相当数参加し、中心的な役割の一端を担っております。
今後も、この生活保護基準引下げ違憲訴訟を通じて、原告らや支援団体とともに、今回の生活保護基準の引下げに抗し、生活保護利用者ひいては国民の「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」の実現を求めるたたかいに邁進していきたいと思います。