<<目次へ 【意見書】自由法曹団


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第7、「利用しやすい司法制度」について

1、はじめに

 中間報告は報告書のおよそ半分を費やして制度的基盤の整備の必要を指摘し、これを(1)利用しやすい司法制度、(2)国民の期待に応える民事司法の在り方、(3)国民の期待に応える刑事司法の在り方の3点からアプローチしています。この中には、一定の前進と評価すべきものもありますが、批判さるべき問題点を含み、国民のための司法の実現の観点から再考すべきものがあります。ここではそのうち(1)「利用しやすい司法制度」に関する部分について私たちの意見を述べ、(2)民事司法は第8で、(3)刑事司法は第9でそれぞれ触れることにします。

2、基本的な考え方について

 中間報告は利用しやすい司法制度を実現するためとして、ア、弁護士へのアクセス拡充。イ、法的サービスの内容の充実。ウ、裁判所へのアクセス拡充。エ、民事法律扶助の拡充。オ、裁判外の紛争解決手段(ADR)の拡充・活性化。カ、司法に関する情報公開の推進。キ、分りやすい司法の実現、の7点を掲げています。
 部分的にみれば、前進と評価すべき点もあります。しかし、問題は国民にとって利用しやすい司法制度とは一体何か。このことがここでも改めて問い直されなければなりません。今日国民が司法制度を利用しにくいものと考え、利用をためらう最大の要因は何でしょうか。この根本問題に対する視点を欠いた改革案は残念ながら皮相な見方に終わらざるを得ません。
 まず、第一に、国民に利用しやすい司法の実現を妨げている最大の理由は弁護士へのアクセス障害かという問題です。
 審議会は、国民に利用しやすい司法の実現のために弁護士へのアクセス拡充を中心的課題として位置づけて審議をしてきました。中間報告も利用しやすい司法制度の実現のために、弁護士へのアクセスの拡充を第一の課題としています。
 しかし、このような審議会の問題のとらえ方は弁護士の在り方に比重を置きすぎており、適切でないと考えます。なぜなら現在の司法制度が国民に利用しやすいものとなっていない原因には、弁護士人口の不足、弁護士の地域偏在、情報不足など、弁護士へのアクセスの問題もありますが、裁判所を含む現在の司法制度が国民にとって権利実現のために実効的な制度になっていないことに最大の原因があります。このため、国民の中には司法システムを利用して自己の権利の実現を図りたい、そのために弁護士の援助を受けたいという要求が潜在化してしまっているという問題があります。
 例えば、税金に関する訴訟での国民の側の勝訴率は極めて低い現状にありますが、これは、裁判所が税務行政寄りの立場に立った訴訟指揮・事実認定・法律判断をし、国民の立場に立った司法判断をしていないことに起因しています。このような裁判所の現状にあっては、国民のなかには税金に関して裁判を受けたいという要求は減殺されます。この結果、弁護士の法的サービスを受けたいという要求も結局顕在化せず、とどまるところ税金申告に関して税理士を利用するという程度に終わっています。
 同様の問題は行政の分野全般に言えることであり、国や自治体を相手とする行政訴訟においても、国民の側の勝訴率は著しく低く、このため、国民は申請などの行政手続に行政書士や社会保険労務士を利用することはあっても、行政に対する交渉や裁判のために弁護士を利用するという発想にまで至らなかったのが実情です。この意味では、弁護士制度の現状をもたらした歴史的、構造的な原因が明治以来の「弁護士を必要としない社会づくり」政策にあるという中坊委員の指摘は正鵠を射ていると云えます。
 これまで国民の側が勝訴した行政訴訟・税務訴訟などは、こういった厳しい状況の下で行政による不正は許せないとして立ち上がった一握りの国民とそれを無償に近い形で援助してきた弁護士による犠牲的活動によるものでした。したがって、司法制度を国民にとって利用しやすいものとすることは、弁護士人口を増やすなど中間報告が掲げるその他いくつかの方法を用いて弁護士へのアクセスを拡充するだけでは実現できず、裁判所をめぐるそうした実態を改革することが必要不可欠です。これまでの審議会の審議はこの点の実態把握と分析が欠落しています。
 第二に、裁判所へのアクセス拡充のためには何をなすべきかという問題があります。裁判所へのアクセスの拡充は緊要な課題ではあるにせよ、それを解決する根本的な手段はどこにあるかを考えなければなりません。中間報告がこれを、(ア)利用者の費用負担の軽減や(イ)裁判所の利便性の向上といった方法の問題に解消しているところに最大の問題があるように思われます。
 このことは、「論点整理」以来司法改革の必要性について一貫して裁判の実態に関する分析を欠いていることと無縁ではありません。原因はまさに裁判の質と関係しており、これまでの裁判が国民の権利救済に熱心でなかったことが司法への信頼低下を招き、このことが、国民を裁判から遠ざけてきたことに思いを至すべきです。裁判実体が不問に附されたまま市民にとって使いやすい裁判所が論じられ、あれこれの手だてが考えられても根本の解決にはつながらないことは自明です。改めて国民を裁判から遠ざけてきた、人権救済に不熱心な裁判とこれをもたらす官僚的司法制度にメスを入れ、国民の信頼するに足る司法制度を根本から作り直すことにまず力を注ぐべきです。そうしたことに目を塞いだ「改革」がその名に値しないどころか、かえって反対の結果を招くことにつながりかねません。

3、弁護士報酬の敗訴者負担制度導入に断固反対する

こうした観点からみて最も問題なのが、弁護士報酬の敗訴者負担制度です。中間報告は「弁護士報酬の高さから訴訟に踏み切れなかった当事者に訴訟を利用しやすくするものであることから、基本的に導入する方向で考えるべきである」とし、この制度の原則導入を提起しつつ、「労働訴訟、少額訴訟など敗訴者負担制度が不当に訴えの提起を萎縮させるおそれのある一定種類の訴訟はその例外とすべきである。」とし、これに例外を設けるべきであるとしています。
 もともと、弁護士報酬の敗訴者負担制度は濫訴防止の効果を狙って提案されてきたものですが、中間報告はこの狙いをあえて背景的なものとし、「訴訟提起の躊躇からの解放」といったあたかも万人の納得しそうな理由を正面に掲げるという姑息な方法をもって、その導入を図ろうとしています。
しかし、弁護士報酬の敗訴者負担制度は、訴訟提起を萎縮させる効果の方が遙かに大きく一般的に「当事者に訴訟を利用しやすくする」とは断定できません。
 特に、労働、公害、薬害、基地問題、消費者問題、医療過誤その他、市民が企業や国、自治体等の行政を相手にする訴訟では明白な萎縮効果を生むことは間違いありません。こうした事件での市民の側の勝訴率は極めて低い現状にあります。その原因は決して市民の側が「濫訴」をしているからではなく、企業や国・自治体などの行政が、訴訟の行方を左右する証拠を明らかにせず隠す一方で、個人の原告にとっては証拠を模索収集することが困難なために、訴訟手続上極めて不利な立場に置かれているためです。しかも、前述のように最高裁を頂点とする官僚的司法制度の下にあって、裁判官による企業や国、自治体など行政を重んじる極めて偏頗な訴訟指揮と判断が横行しています。こうした勝訴することがそもそも厳しい状況の中でこれらの事件の原告は、自らの利益のためではなく、公益のためにあえて訴訟提起に踏み切っているのです。このような不公平な現状を放置したままでの弁護士費用の敗訴者負担制度の導入は、こうした分野での訴えの提起を大幅に減少させることにつながるでしょう。
 それだけではありません。実際に訴訟に踏み切った者に対し、懲罰的な制裁としての機能を果たすことになりかねません。
中間報告自身も、本制度の導入が「訴訟を通じて社会的に問題を提起し、立法府や行政府に政策の変更や制度の改革を迫る、いわゆる政策形成訴訟について」訴の提起を萎縮させる結果となることを認めています。その点を意識して中間報告は、一定の例外を設けるとしていますが、その例外が労働訴訟、少額訴訟といった具体的に例示されたものだけだとすれば、多くの政策形成訴訟や社会的弱者の提起する訴訟には適用されないことになります。また、どのような規定の仕方をしようとも、敗訴者に弁護士報酬を負担させるべきでない事件をあらかじめ全て網羅して定めることは不可能です。その結果、訴えを提起する時点では例外規定の適用を受けるのか否か見通しが立たないため訴えを控えるという萎縮効果を生むことになります。結局このような制度の導入は、市民を裁判から遠ざけている原因を取り除くどころか、一層強めてしまうことになりかねないのです。
 大きな司法、国民の近づきやすい司法どころか、国民は一層司法から遠のくことになりかねない本制度の導入には反対です。